背中を見せつけた結果
王宮の中の中庭を見渡してみると、確かに「セイアー」の別館に雰囲気が似ているようにも思える。
いや、それは当然と言えば当然かも知れない。
庭造りに関しては、ごくごく王道。
奇を衒った選択をしなければ、当世の流行もあり、同じような造りになる。
しかし、だからといって風呂場を作ろうというのは、無茶が過ぎる。
「お姫様、それはやっぱり無茶だよ。イチローの“あれ”がないと」
マドーラの護衛のためにクラリッサと共に、マドーラに付いていたメイルが無慈悲に告げる。
クラリッサと同じように侍女服姿ではあるが、しっかりと剣帯を吊して武装状態だ。
あの大剣は、流石に使い勝手が悪すぎるということになったらしい。
クラリッサは、そもそもハルバートを王宮ではあまり持ち歩いてはいない。
「だって水は……魔法か……温めるのに……これも出来るか……あれ?」
メイルはマドーラが如何に無茶を言っているのか並べようとしたようだが、何故か途中で自分の主張を見失ってしまった。
だが無茶であることに変わりは無い。
何しろムラタのスキルででっち上げられた風呂場を、あのスキル無しで再現しようというのは、やはり無茶の範疇だろう。
水の供給に関しては、メイルが言うように魔法でこなすやり方もある。
そこまでやらなくとも、王宮内部に水を供給するためのシステムも稼働中だ。
そもそも、中庭の植物を育てるためにも水の供給についてはすでに為されていると考えても無理はあるまい。
では、温めるはどうだろう?
この辺りも、問題があるようには思えない。
魔法も薪もある。
風呂場を作るにあたって、水の問題よりも簡単な問題である事は明らかだろう。
となれば、あとは建物だろうか。
これも、次期国王がそれぐらいのワガママ言ってもバチは当たるまい。
ここまで、特にワガママらしいことも言い出さないマドーラである。
ムラタの日頃のマドーラへの態度から考えれば、即座に用意するか、段取りを整えるかはしそうなものであるのだが……
基本的にムラタはマドーラに甘い。
そうであるのに、ムラタが風呂場の設置に対しては一向に首を縦に振らない。
もちろんその理由も説明されている。
「……殿下。それにメイルも。ムラタ殿からはきちんと説明いただいたはずですが。技術的には可能だが、それを継続させるには負担が大きい、と」
まったくの正論であった。
風呂場を作ったとしても、それを風呂場としての役割を果たすためには、多くの人件費が掛かる。
薪代も掛かる。
その辺りを魔法で処理するとなれば、魔法使いを風呂番に従事させることになる。
出来なくは無い。
出来なくは無いのも確かだが、これをやってしまうと確実にダメージを受ける。
もちろんマドーラの“評判”にだ。
無理を通せば、確実に歪みが発生するものだ。
「……やる」
「はい?」
「用意は自分でやるから」
マドーラの何時になく力強い言葉に、メイルとクラリッサは肩をすくめ合う。
このマドーラの主張もまた繰り返されているからだ。
「それは、いよいよおかしいよ。用意するにしたって1日仕事だよ。そりゃ、あたし達は手伝うよ。お姫様優しいから、風呂は一緒に使っても良いって言うだろうし」
メイルのその言葉に、マドーラはこくこくと頷く。
確かにマドーラは、そう言い出すだろう。
優しいという主張は、にわかに頷けない部分であるが、マドーラがそう言い出すことはまず間違いが無い。
何しろ、彼女は未だ世の全てに対して無関心である事が多い。
身分差についても同様だ。
王宮での振る舞いについては仕組みは理解しているようだが、それがもたらす効果に関しては、さほど関心を抱かない。
自分の身内になればなるほど、その傾向は強くなり、現に今もメイルが自分を“お姫様”と呼ぶことについても、何ら関心を持っていないようだ。
この辺りは、ムラタにそっくりだとも言えるが、王宮でのマドーラはそもそも、そういった性質であった事は間違いない。
そう考えると風呂場の再現に固執するマドーラは確かに変化しているようにも思える。
それが良い変化なのか悪い変化なのかはわからないが。
「ですが殿下。これはやはりムラタ殿に大きな負担を強いるような気がします」
クラリッサがメイルのフォローに入った。
「準備は自分でします」
即座にマドーラが反論するが、クラリッサは頭を振った。
「問題になるのは、風呂場が完成してからのことです」
クラリッサの話がいきなり飛んだように感じられたが、確かにそれも想定しなくてはならないだろう。
特にムラタを相手にするのであれば。
「そもそも人が少なかったラクザのホテルであるならともかく、王宮ともなれば、人が多すぎます。出入りする人間も多い」
「……それは」
「殿下が入浴中の警備は可能でしょうが、風呂場自体に何やら仕掛けが施される可能性があります。ともなれば完璧に殿下を守り切れるのは――」
「イチローだね。あたし達じゃ無理」
もったいをつけたクラリッサに、メイルがあっさりと結論を口にした。
だがこれも優しさの形ではあるのだろう。
自分の要求が無茶なものであることを、マドーラに断定口調で告げることで、理解させる。
マドーラ程に聡いのならば、それだけですぐに気付くはずだ。
マドーラの欲求はムラタに多大なる負担を掛けてしまう。
基本的にはマドーラの“ため”に行動しているムラタに対して、これ以上の無茶は言い出せない。
だが、マドーラの眉は開かれない。
「そもそもお姫様は、何が良くてあの風呂場にこだわるの?」
未だ納得した様子の見えないマドーラの様子に、たまらずメイルがフォローに回った。
だが、これもまた今更ではある。
「おい、メイル」
クラリッサが声を掛けると、メイルは中庭に設置されている四阿を指さした。
「とにかくここで立ちんぼも何だから、あそこに座らない? お姫様も」
その声には曲がりなりにもパーティーリーダーである響きがあった。
どうにもならない事で、悩み続けるのもいい加減限界だったのだろう。
今度はマドーラも頷き、3人揃って四阿へと向かう。
流石にクラリッサは遠慮したが、メイルは遠慮無くマドーラの正面に座った。
キルシュに見られたら、確実に怒られるところではあるが、幸か不幸か彼女はいない。
今頃は、洗濯物をたたんでいる頃だ。
「――話を続けるとね。こういう時は細かく考えた方が良いんだって。アニカがそう言ってたよ。何が大事なのか、ちゃんと見定めた方が良いって」
腰掛けると同時にメイルが何やら建設的なことを言いだした。
そのアニカはと言えば、今日は休みである。
別に何処かに出かけるわけでも無く、自分たちの部屋でのんびりしているのであろう。
もしかしたら単純に眠りこけている可能性もあるが。
「そもそもお姫様は最初からこの中庭に風呂場作るつもりだったみたいだけど、中庭じゃなきゃダメなの?」
その問いかけにマドーラはほとんど即座に答えた。
「中庭なら作るのに丁度良いと思って。水も運びやすいだろうし広さにも余裕があるだろうし」
その答えを聞いて、クラリッサが首を傾げた。
「もしや……殿下は最初からムラタ殿のスキルに頼るつもりは無かったのですか?」
「はい」
これにもあっさりとマドーラは応じた。
何と潔い事ではあるが、いささか潔よ過ぎるようにも、メイルたちには思えた。
もちろんこれにはムラタとの関わり方の違いが如実に表れているわけだが、メイルはそこを追求しなかった。
代わりに、マドーラの欲求を突き詰める。
「じゃあ、中庭じゃ無くても良いんじゃない? 具体的には何が大事なの?」
「それは――」
マドーラはそこで考え込んだ。
そしてやがて、口を開いた。
「――とにかくお湯が入っている場所が大きいこと。それに窓が大きいこと」
「わかる!」
マドーラの宣言に即座にメイルが賛同した。
それこそ、膝を叩きそうな憩いで。
「その2つは本当に気持ち良かった。出来ることなら、あたしももう一度味わいたい」
「メイル……それじゃ元に戻ってしまう」
「そんな事無いでしょ? その2つがあるなら中庭じゃ無くても良いんだももの」
「あ……」
「つまり、もっと警護しやすい場所で作るのならイチローにも負担が掛からないわけよ」
マドーラがその言葉を聞いて考え込んだ。
そして、おずおずと、
「……何だかムラタさんをやっつける相談しているみたいです」
と、呟いた。
そして、その言葉にメイルが反応した。
「いいね! それ! 確かにイチロー出し抜くために計画練ってるみたい。アニカが居たら、きっと参加するよ。何だかワクワクしてきた! イチローをやり込めるなんてね!!」
「おい、メイル……」
流石にクラリッサが窘めようとするが、その唇が途中で止まってしまう。
マドーラだ。
彼女のアッシュブラウンの瞳が、感情の揺らぎを湛え輝いていた。
その輝きを見ればわかる。
つまり――
「……それ、もう少し相談したいです」
――すでに手遅れであると言うことが。




