マドーラの望み
王宮から伝わってくる話は、どうにも大袈裟なものに感じていた。
さらに貧民街でのムラタの行動。それに仕草。
フォーリナには、ムラタが噂されるような人物であるとは思えなかったのだ。
噂――
だが、その噂が少々問題でもあった。
曰く――ムラタは女神の使いである、という。
もはや出所もはっきりしないが、そんな噂が貧民街において、まこと秘めやかに流布している。
その噂が、今の移住計画に際して隠然たる影響をもたらしていることもまた明らか。
だが、これが何とも――何とも都合が良すぎる。
フォーリナは、そんな風にも感じていた。
だからこそムラタの善性を頑なに信じ過ぎてしまったのかも知れない。
「……安心しました」
そのムラタが笑みを浮かべながら、言葉を紡ぎ出した。
フォーリナはその言葉に意表を突かれた。
次にムラタの口から紡ぎ出されるのは、きっと言い訳。
そんな予想が、フォーリナの脳裏には浮かんでいたからだ。
だが、実際には謝罪でも何でも無く――言ってしまえば上からの論評。
「どうも聖堂の方々が、王宮の申し出に対して、唯々諾々と従っておられるような気がしましてね。少し心配になって、つまらぬ真似をしました。ご容赦下されば幸いです」
「つまらぬ……それは目的地のことですね?」
「そうです。俺の意図も含めて、最初から説明させていただきます。お時間は大丈夫でしょうか?」
「は、はい」
フォーリナはすぐさま、その申し出に応えることに決めた。
無論、予定が無いわけでは無いが、今はムラタの説明を聞くことが何より緊急だ。
「目的地は西。お察しの通り、これはマウリッツ領の懸案を睨んでのことです」
フォーリナは、その言葉に深く頷いた。
「恐らくは戦を睨んでのこと、とお考えのことと思いますが俺の思惑はその逆です」
「逆……それはどういう?」
「マウリッツ子爵の喉元に、いきなりマドーラを突きつけようと、そういう思惑があるのです」
「な、何と!?」
流石にフォーリナが目を剥いた。
「例えば、街道に沿って向かうとなればマウリッツ子爵がいよいよ覚悟を決めた場合、それこそ戦になる危険があります」
「それは……確かに」
その可能性を否定することは出来ない。
フォーリナは常識的な判断の下に、そう応じざるを得なかった。
「もちろん、それを排除するのは簡単です。だがどうしても遺恨は残る」
「ですが、だからといって殿下の御身を危険にさらすことは……」
「率直に言って、こんな時に身体も張れないようなら為政者としての資質が問われることになります」
あっさりとムラタは断言した。
息を呑むフォーリナ。
「ましてや、この俺が側にいるのです。実質的に身体を張るわけではない。であるなら、より多くの民の安寧のためにも、王は行動するべきです」
「それは……そうかもしれませんが……」
「領民全てが、王国に叛旗を翻しているわけでは無い。問題は子爵ただ1人と言っても過言では無いでしょう。であれば、マドーラが目の前で最後通牒を突きつける――これが1番混乱が少ないのです」
フォーリナは考え込んだ。
理屈の上であるなら、確かに説得力がある。
ムラタの説明は同じ内容の繰り返しではあるが、それだけ“民に安逸を”という想いが強いのだ、とも思える。
「先ほども言いましたが俺としてもマドーラを危険にさらすつもりは無いんですよ。本当に危険が見込まれるなら、この計画はすぐさま取り消しで構わないんです」
「そうなんですか?」
「ええ。ですから遠征隊にも危険を侵させる様なことがあれば、すぐさま引き返すように、と。これも説明しましたね」
確かにムラタはそう言っていた、
計画に対するスタンスは首尾一貫している。
だが、それならば――
「――何故、我々を試すようなことを?」
根本の疑問として、ここに行き当たってしまう。
ムラタは、それを聞いて自嘲とも思える歪んだ笑みを浮かべた。
「我ながら嫌になってしまうのですが、どうにも貧乏性でね。あれもこれも一緒にやってしまいたくなる。カルパニア伯の能力、騎士達の遠征能力、それに神官達の能力が加われば、どれほど遠征に安定性が備わるのか……」
ムラタは一息に並べ立てた。
「……これだけやってしまおうと考えてしまう。そして、ここ最近の聖堂の反応」
「反応?」
「どうにも素直すぎる」
そう告げられたフォーリナは、思わず自らの腰が浮き上がるのを感じた。
若い自分であれば、そのまま激高のまま言葉を投げつけていただろう。
だが、フォーリナは気付いていた。
言葉と同時に、ムラタがジッとこちらに視線を投げかけていたことを。
「……まったく失礼なお話で俺は疑っていたんですよ」
たっぷりと時間を掛け、それでもムラタの言葉が続く。
「王宮の申し出に対して、考えることなく従っているのでは無いかと」
「それは……」
「大丈夫です。もうそうは考えていませんから。ですが、人間というものは間違いを起こすものです。であれば決して疑うことを止めてはいけない。それが俺の信条です」
その言葉に、不意を突かれるフォーリナ。
ムラタの言葉は、確かにあの言葉とは違う。
違うがしかし、これは――
――常に心の内で女神に問いかける。
これと同じ意味合いなのではないか?
フォーリナはそう感じてしまった。
「もちろん俺は自分自身も疑います。だから最終的に結論が同じになったとしても、出来るだけ多くの意見が出た方が好ましいのです――ああ!」
不意にムラタが声を上げる。
「図らずも、今回の遠征隊と同じ様相になってしまいました。子爵領までの新たな道筋を探る。まさに、そういうことをずっと続けていきたいのです。自分を疑いながらね」
それは本当に図ってはいなかったのか?
何もかもを最初から計算していたのではないか。
そう考えてしまったことで、フォーリナは一種の陶酔感を覚えていた。
ムラタの掌の上で、踊らされてしまったような。
だがそれも――超越者の技であるのなら……
(あるいは本当に、女神の……)
「ま、とにかくご検討下さい。王宮としての申し出は以上となります。恐らく説明に関しては、これで十分だと思われますが……」
いきなりムラタの口調が変わった。
フォーリナが、ハッ、となって心を引き戻す。
「え、ええ。そ、そうですね。聖堂といたしましても検討させていただきます。人選の際に不都合が出てくるかも知れませんし」
フォーリナがどこか胸を張るような面持ちでムラタに応じた。
ムラタもそれに如才なく応じる。
「なるほど。その可能性もありますね。よろしくご検討下さい」
その言葉を合図に両者とも立ち上がった。
あとは適当に別れの挨拶を済ませば終わり――のはずだったが、ムラタが慌てたようにフォーリナの声を掛けた。
無論、別れの言葉では無い。
「すっかり忘れていました。3日後にまた聖堂の一室をお借りしたく。お願いできますかね?」
「ああ、今日と同じような……わかりました」
フォーリナが憑き物が落ちたような表情で、朗らかに応じる。
だが、この時にフォーリナは思い出すべきだった。
未だ、ムラタから“その場しのぎ”のような気配が感じられないことを。
であれば、今も……
□
王宮の一角には当たり前の話だが、中庭がある。
それも王家専用の中庭だ。
今現在、王家の者と言えばマドーラただ1人。
つまり、その中庭はマドーラ専用と言っても間違いは無い。
そういった“建前”を確認したマドーラは休暇から帰って後、幾たびと無くこの中庭を訪れていた。
ムラタが居る時は言うに及ばず。
現在は近衛騎士がその身を守り、それに加えてメイルたちの護衛もあるから尚更だ。
さらには王宮の主として、名実共に認められているマドーラである。
最近はムラタが外出することも多くなってきたが、それでもマドーラが中庭を訪れる頻度は減少することはなかった。
最初は庭師が丹念に育てている、季節ごとの花々に興味があるのだろう、と目されていた。
事実、ムラタもそう考えていたし、マドーラが花々に興味があることも間違いは無い。
だがマドーラがこの中庭を訪れる理由は、それだけでは無かった。
そしてムラタが外出している今も――
「殿下」
そんなマドーラの傍らに控えつつ、侍女服姿のクラリッサが眉毛をハの字にしながら、声を掛ける。
「何度、ムラタ殿に訴えてもあの方は首を縦には振らないでしょう――ここに風呂場を作ろうなどとは」




