老獪を欺くか
「……いや、存じません。“向こう”の言葉でしょうか?」
少しばかりの逡巡の後、フォーリナはムラタにそう返した。
ムラタはいかにも残念そうに肩を落とす。
「そうですか。この言葉があるのなら説明が簡単になるかと思ったんですが……あ、いや、言葉としてはなくても、実際には存在している可能性もありますね」
「取りあえずお話を伺いましょう」
何しろここは応接室の前の廊下である。
こんな場所で話込む必要は無い。
「おっとこれは失礼しました。最高司祭殿」
「私のことはフォーリナで構いませんよ、ムラタ殿」
このやり取りが為されたことが成果といえば成果だろう。
そのままムラタを案内してきた神官の手配で応接室は整えられ、ムラタとフォーリナがソファに腰を掛ける。
その後、ムラタは如才なく、貧民街で進行しつつある計画について話を振った。
最初は謎の人物と言うことで構えていたフォーリナであるが、この時、初めてムラタを観察する余裕を持つことが出来た。
余裕が出来たのは、年の功。
そして、ムラタの様子に違和感を覚えることが出来たのは……恐らく冒険者として経験を積んだ経験があるからだろう。
――そう。違和感。
今この場でいきなり違和感を覚えたのは、愛想が良い、と称されるような行動をムラタが取り始めたから。
そこから推測されるのは……
(どうやら、あまり人とは関わりたくないらしい)
という結論。
そうであれば、あの日いきなりムラタが神官を“吊り上げた”のも何となく腑に落ちる。
(面倒ごとを避ける性格……だが先に済ませられることが出来るものならば手早く片付けたい……そのための力も持っている)
お茶を持ってきた神官に、礼を言いながらフォーリナの推測は続く。
(ならば、彼の行動は何に起因しているのか……?)
そこが問題になるはずだが。
フォーリナはお茶を啜りながら、ムラタの言葉に応じる。
その実、頭の中では思考を続けていたが、突如それを打ち切った。
(彼の行動がどうであれ、今現在不幸になったものはそれほど多くは無い。それに、彼の行動を咎めようなどという気力も持ち合わせていない)
フォーリナはそういう結論に達していた。
これが諦観、と切り捨てるのは酷だろうか?
だが、その一方でムラタの改革に乗り出す気力も持っている。
だとすればムラタに対するこのフォーリナの心境は――やはり老獪と呼ぶべきものであろう。
「――それでムラタ殿。この度のお話というのは?」
応接のための準備が整った、というタイミングでフォーリナが切り出した。
途端に、ムラタの表情が変わる。
明らかにその場しのぎの表情から、生気の見える表情に。
何ともわかりやすい。
つまりはムラタという人物は、人付き合いのために必要な行為――例えば挨拶や儀礼――を出来れば行いたくないのであろう。
それでいて、そういった行為の必要性も認めている。
だから対応がチグハグになるのだ。
「その前に近衛騎士団への協力、誠にありがとうございます」
こんな儀礼じみた言葉も、どうやらムラタの本命であるらしい。
何しろ声が今にも踊り出しそうだ。
フォーリナもそれに付き合って、意識して明るく応じる。
「いえいえ。あの申し出は聖堂としても有意義なものでしたから」
それに実際、明るく応じざるを得ない内容でもあったのだ。
先日、王宮から持ち込まれた提案とは、騎士を育成するにあたって神官の協力をお願いする、というものだった。
これは単純に神官に協力せよと命じたわけでは無い。
神官が騎士の育成に協力すると言うことはこれは必然的に、神聖術の行使が求められると言うこと。
となれば、必然的に神官もまた鍛えられると言うことだ。
だがこれは従来の“やり方”ではない。
神官が神聖術を鍛えるとなれば、それは冒険者稼業の中で、という不文律じみた“やり方”があったからだ。
実際、フォーリナ自身がそうやって「最高司祭」に推されることとなった。
だがこの“やり方”では能率が悪い。
いや能率だけの問題では無い。
神官がある一定数失われることが計算されている。
そんなはずが無いのに、何故かそんな風に思えてしまう。
本来なら、しっかりと育ててゆかねばならない、そんな新米神官を冒険者として、時には死地と大差ない場所に送り込まねばならない。
――これは矛盾しているのではないか?
そんな想いが澱のように堆積しても仕方ないだろう。
その点、王宮の申し出は同じように新米神官を求めてはいても、決して死地に赴くような任務では無い。
それでいて、神聖術を鍛えることも出来る。
正解にたどり着いたかのような――あるいは今まで何故こんな簡単な方法から目を背けていたのか。
そんな疑問が新たな“澱”となりかねないところではあるが、とにかく今は良い方向に向かい始めている。
王宮の申し出とあっても、元の発想はこの“異邦人”ムラタである事は間違いないだろう。
流石にこれぐらいはわかる。
であるからこそフォーリナは、愛想よくムラタに応じることが出来るのだ。
そのムラタからの新しい申し出とは一体何か?
多少の無茶を聞くつもりであり、それと同時に次はどんな申し出であるか楽しみにしているフォーリナであった。
先ほどの聞いたこともない言葉からして、どうやら新しい申し出のようだが……
「――どれが主なのかは意見の分かれるところですが、基本的には遠征隊を出そうかと思ってまして」
「遠征隊?」
「ええ。もちろん戦闘が主な目的ではありませんが、途中でモンスターに遭遇する可能性もあります」
「……なるほど」
フォーリナは考えながら頷いた。
その遠征隊に神官を加えたい、というのが新しい計画なのだろう。
王宮で鍛錬している新米神官に任せるのは、リスクを伴うことになる。
言ってしまえば、冒険者稼業とあまり変わらない。
問題は遠征隊の目的だ。
ムラタは相変わらず、事前に言葉を置いてゆく。
遠征隊の目的の“主”とは何なのか?
それが肝要となるだろう。
「それで、目的は奈辺になりますかな?」
フォーリナが直接的にムラタに尋ねた。
互いに韜晦しあっていては、話が一向に進まない。
「俺としては地形調査が主な目的です」
「地形……わざわざですか? 街道を往かれるのではなく?」
「そうなります」
屈託無くムラタは答えるが、これは中々の難物だ。
司祭として、ではなく、元・冒険者としての経験が警鐘を鳴らしている。
街道とは、それなりの根拠があって敷かれたもの。
それを無視するのは、わざわざ危険に飛び込むようなものだ。
だからこその“遠征隊”なのだろうが……
「――ここから先はご内密にお願いします」
そんなフォーリナの心境を読み取ったのか、ムラタが声を潜める。
「碑道卿であるところのカルパニア伯。ご存じですか?」
「ええ、それは無論」
「これが俺が思う以上に頼りになる方で、新しい街道の可能性を探って貰おうかと」
そこでフォーリナの思考が一旦停止した。
カルパニア伯は、どう考えても“頼りになる”人物では無い。
しばしば義務的に聖堂を訪れることもある人ではあるが、そんな短い接触でも、何とも落ち着きの無い人物であるという印象がある。
では、端からムラタの話はでたらめか?
だがそれなら、それらしい人物の名前を挙げても良いし、いっその事ムラタの名前を挙げても良いはずだ。
どうにも、出口が見えない。
だが、すでに一種の“開き直り”状態であるフォーリナは、またも直接的な手段を選択した。
つまり、そのまま尋ねる、だ。
「閣下はそれほどに頼りになりますかな? その辺りがどうにも……」
「その点は確かに。ですが彼無くしては遠征隊を派遣する意味が無くなります」
フォーリナは驚きに目を見張った。
「閣下も同道なさると?」
「ああ、そうですね。それをきちんと説明しなくては、俺の考えでは遠征隊の中核になるのはカルパニア伯です。彼を安全に護衛する事が重要なのです」
ムラタは堂々と言い放ったが、これは異例と言っても間違いないだろう。
貴族が――それも大貴族たる伯爵が――このような危険な任務を帯びること自体が、これまでの常識ではあり得ないこと。
「もちろん死地に向かわせるつもりはありません。本来なら俺が付いていきたいところですが、それもままなりませんし」
「それは……そうでしょうな」
フォーリナがゆっくりと頷いた。
ムラタが手が掛けている案件は数多いと予想される。
そんな中、遠征、などと称される行動に付き合っている暇は無いであろう。
「では危険に遭遇したら?」
「すぐさま引き返す様に指示を出します。それに、何でしたかあの魔導具。あれでもって緊急時にも連絡できるように手配します」
「……それならば、確かに」
「こちらからは、ある程度経験の積まれた神官を2名派遣していただきたい。お互いに、神聖術を使えるなら、グッと安全になりますから」
話が具体的になってきた。
さらにムラタが続ける。
「最初に俺が口に出した言葉の意味は、地方で巡回している神官、という感じの意味です。そういった存在があれば、うってつけだと思うのですが……」
なるほど。
これで話が繋がってきた。
だが、とフォーリナの思考がそこで再び一時停止した。
今度の原因は、困惑では無くて警戒。
ムラタは、1番に説明しなければならないことを、ここまで口の端にも上らせない。
これは偶然? あるいは意図的なのか。
「――ムラタ殿。この遠征隊が往くべき目的地は?」
フォーリナは、その疑問を単刀直入にぶつけた。
途端、ムラタはニヤリと笑みを浮かべる。
「西です」
短く告げられた、その言葉。
フォーリナは胸の内で、ムラタの胡散臭さを感じ始めていた。




