“こだわり”は隙
「隙を作るだと!?」
リンカル侯の太り肉が震える。
「左様です。ご面倒でしょうが、しばらくお付き合いいただけますか?」
「う、うむ……」
とにかくこれでリンカル侯のまったく発展性の無い長広舌を止めることが出来る。
代わりにノラ自身が長々と話さなくてはいけなくなったわけだが――これは仕方ない、と彼女は諦めた。
放っておけば、どこまで付き合わせられるかわかったものでは無いのだから。
「ええ。私どもの界隈ではむしろ当たり前の手法ですが、やってみるのも悪くはないと思います」
「“やってみる”だと? そんな曖昧なことで……」
「閣下」
無礼である事を処置でノラがリンカル侯の言葉を遮った。
心配することは無い。
次に続けられる言葉、必然的にこうなるのだから。
「相手は“あの男”です。確実な手段を選んで下手につむじを曲げられると……」
「ま、曲げられると……?」
「閣下の方がよくご存じなのではありませんか? 何やら御前会議で随分大暴れしたそうで。私どもも流石に詳細は存じ上げませんが」
実は詳細を知ってるノラではあったが、それで自分の力を誇示する事は無い。
それに私“ども”という紛れも、文言に組み込んでいた。
「……そ、そうか。あまり表立って動くのはマズいか」
「ご明察恐れ入ります」
追従半分であったが、この理解力の速さにノラは本当に驚いていた。
臆病なだけあって、危機を察知する能力は高いようだ。
だがこちらの意図を正確に掴んでいるかは不分明なままだ。
とりあえず、伝わっているという前提で話を進める。
「基本的にはあの男に“楽しみ方”を教えることが肝要だと心得ますが――」
「“楽しみ方”じゃと?」
やはり、伝わっていなかったらしい。
単純にムラタとの接触を嫌がっただけなのだろう。
何とも頼りの無い話ではあるが――この侯爵に腹芸を期待しても無駄だ。
「左様です。何かに執着する。これ即ち、隙を作ることに繋がりますから」
実際、この侯爵の女好きは充分に隙たり得る。
だが己を顧みるということが無いリンカル侯には皮肉にもならないだろう。
「――ただ、私にもあの男がいかなる事柄に関心を示すのかがさっぱりわからないのです」
「わからない……わからぬか」
「そうです。まず女はありません」
「無いのか!?」
侯爵にとっては受け入れがたいだろうが、これは本当に無い。
ノラもただただ付き合っていただけでは無く、あの男の調査もしっかり行っている。
だが女の影は無い。
歓楽街に踏み込んだことすら無いだろう。
「……あやつの何かおかしな細巻きは?」
リンカル侯から積極的な発言が出た。
先ほどまで、まったく建設的な状態で無かったことを考えると、なかなかに感慨深い。
ノラは、胸中で気合いを入れ直した。
このまま侯爵には自分のために動いて貰おう。
取りあえずは、ムラタが持つ細巻きについてだ。
「そうですね。それについては思案したのですが……」
「が?」
「あの男がどこからあの細巻きを入手しているのかが――これまた不明なのです」
「不明? 何処かで買っておるのでは無いのか?」
ノラは首を捻った。
実のところ、どうやって入手してるかはわかっている。
“孤高”と目される、あのスキルの働きによってだ。
どうやら食事に関しても――下手をすれば家までも――スキルで賄っている可能性がある。
それに比べれば細巻きぐらい簡単なものだろう。
それにしても、やはりスキルとしては“孤高”という部分が基本にはあるのだろう。
何がどうなっているのかはわからないが、そのスキルが働いた結果だけを見ると、理解できることもある。
――1人で生きていくのに何ら問題が発生しないスキル。
これに尽きるのでは無いだろうか。
そして名前にもこだわりが無いあの男は、それならそれで1人で生きていくに違いない。
それなのにここ最近の、精力的な動き。
隙、は確かにある。
こだわりが感じられる。
だが流石にその正体が掴めない。
次期国王には流石に打ち明けているか……いや、恐らくそれも無いな。
「……こうやって考えてみると、あの男がますますわからなくなるな」
首を捻るノラを前にして、ひしがれたようにリンカル侯が独りごちる。
このまま終了しては同じことの繰り返しだ。
取りあえずはリンカル侯を元気づけねばならないだろう。
「閣下。やはりここは動くしかありません」
「う、動く?」
「細巻きについては確かに上手く行きませんでした。ですがあの男にも確かに好みがある」
「そ、そうじゃな」
「であれば、環境を変えれば見えてくるものがあるのでは無いでしょうか?」
「環境……つまり?」
「王宮から、いえ、王都から出すわけにはいきませんか?」
それを聞いて、リンカル侯は目を剥いた。
即座にノラはフォローを入れた。
「何も剣呑な方向に向かうわけではありません。これは単純に探りを入れる段階ですから――出来ますれば殿下にも同行して貰うのがよろしいかと」
「そ、そうか。しかし殿下をか……」
リンカル侯が触れたくない対象その2の登場だった。
あの女の子は、どうやらムラタにすら一目置かれている。
マウリッツ子爵について“処理”を急がせようとするムラタを抑えているのは彼女なのだ。
それを聞いて後、リンカル侯もマドーラへの見方が変化している。
ムラタから身を守るためには、マドーラとの関係も良好に保つべきかも知れない、と。
だが、今まで彼女を蔑ろに扱ってきたことも事実。
簡単に彼女の庇護を頼りにするのにも問題がある。
立場と矜持。
その2つが、リンカル侯を縛り付けていた。
「いえむしろ本命は殿下です。差し出口だと思いますが殿下にお休みは?」
「いや、それは知らぬが……だが、王宮勤めの者たちに休みを多く与えていると聞いておるし、侍女も……」
「であるならば、殿下が休んでおられぬ場合、大義名分が立ちます」
ノラが流れるように話を進める。
「上の者が休まないともなれば、下の者は非常に休みづらいものです。むしろ休息を取るのは上の者の義務があると存じます」
「そ、そうか……」
「これについてはムラタも同意するでしょう。そして殿下が休みを取るとなればムラタもそれに即した動きになります」
「殿下が行幸ともなれば――」
「同道するでしょうね。間違いなく」
ノラは確信を込めて頷く。
「――ですが本命はムラタです。この間に好物などが判明する。あるいは風光明媚に心奪われる。はたまた恋に落ちる」
「落ちるか? あの男が」
流石に疑心を露わにするリンカル侯であるが、ノラは黙って首をすくめた。
「あくまで可能性ですから。それに閣下にはご留意いただきたいことが」
「何だ?」
「くれぐれも、閣下自らご提案なさらぬように」
途端、リンカル侯が眉を潜めた。
当たり前に、自分の能力が不足していると受け止めたのだろう。
だがこれはノラにとっては想定の範囲内。
それに侯爵の能力不足は当然として、それ以上に懸念材料があるのだ。
「……ムラタが疑います」
「何?」
「あの男はとてつもない臆病者です。あれだけの力を持っているのに、その慎重さはむしろ異常と言うべきでしょう。ですから閣下と殿下とのかつての“間柄”がありますゆえ、あの男は閣下の行動に裏を勝手に見てしまう」
棒でも飲み込んだような表情になるリンカル侯。
今更だが、リンカル侯の理解の及ぶところではない。
ムラタとはそういう男なのだ。
「……ではどうする?」
「人選はおまかせします。私が尊き方々を選ぶなどと言うことも畏れ多いことですし」
「ふむ。お主は基本的な方針だけだな?」
「ええ――それと確かマウリッツ領に行幸の予定がおありだとか?」
「良く知っておるの?」
流石にリンカル侯も引っかかるが、それをノラは軽く躱す。
「“蛇の道は蛇”と申します。それにこの程度のことが出来ずに閣下のお役に立てましょうか?」
「ま、確かに……」
「ですから最初は、行幸のための予行演習と提案してみるのがよろしいかと」
「予行演習……それならあの男も食いつきそうだ」
御前会議の時、ムラタは新しいことを提案したときに。似たようなことを口にしていた。
リンカル侯はそれを覚えていたのだ。
「それに併せて休暇の事も提案してみれば……取りあえずこちらの望む形には成るでしょう」
それと同時にノラにもリンカル侯の宮中での勢力も見えてくる。
もちろん、これでムラタのこだわりが見えてくるようであれば幸運だが……
「……しかしこれだけ大騒ぎしてもただ単にあの男を外に出すだけか」
「閣下。僭越ながらお慌てになることは無いかと。今は問題が発生しているわけではありませんし」
「……そうだな。確かにその通りかも知れぬ」
やれやれ。
一番の成果はリンカル侯が大人しくなったこと。
ノラはそう胸の中で呟いた。




