相談という名の気休め
日に1度だけ。
それも10分程しか使えないが、距離は関係無しに通信が可能な魔法具「木霊」。
形としては、向かい合う2つの渓谷を模しているらしく、マントルピースの上で鎮座しているのがお似合いの置物にも見える。
使用者はこれを正式名称で呼ぶ事は少ない。
単純に「連絡具」と呼ぶ事が多い。
もしくはアレ、とかなりおざなりだ。
人々の生活を変える程ではないが、一番広く使われているのも確かな魔法具である。
貴族ならまず間違いなく所有しているものではあるが……
自分にとってよい報せをもたらす事が無いこの魔法具を、ギンガレー伯は憎しみ始めていた。
そして今晩も、伝えられるのは自分の地元で冒険者ギルドをまとめているレナシーの声。
もちろん、内容ごと気にくわないのは言うまでも無い。
「戻れるはず無かろう。こちらはこちらでやる事がある」
この主張はその場しのぎの言い訳ではない。
実際、ギンガレー伯は“護民卿”――それも初代だ――として、忙しい日々を送っているのだから。
だが、それで満足されては困る者たちもいる。
言うまでも無くギンガレー領に住む者たちである。
この辺りの事情は、何とも対応が難しい。
その原因を突き詰めれば……やはりギンガレー伯になるのだろう。
『それでは閣下。せめて冒険者を帰してくれませんか?』
問題はこの言葉に集約される。
「アニカ達は……戻らぬぞ。恐らく」
『伺っております。しかしながらヨハンは? それにキーンも』
「それはだな……」
言い淀むギンガレー伯。
わかりやすく言うなら、ただただ伯爵の焦りすぎ、もしくは見通しの甘さ、に集約されるだろう。
王宮で地位を求めるのなら、必然的に自領での統治に関してはある程度は人に任さねばならない。
そういう前提がある。
リンカル侯が、自領をゴードンに任せているように。
メオイネ公は信頼する配下が、領地経営を滞りなく回している。
しかしギンガレー伯にはそういったアテがない。
子供はいる。
だが、領地系を任せるわけにもいかない。
幼い、というような年齢では無いが、そのための訓練はまだ十分ではないのだ。
それに何より、ギンガレー伯自身が息子とはいえ人に任せたくは無いのだ。
そのため領地では仕事が滞っている。
そして今宵、レナシーが訴えてきている問題もあった。
伯爵による冒険者の占有だ。
むしろより深刻なのは、こちらの方かも知れない。
何しろギンガレー領では、事実上冒険者によって防衛がまかなわれているのだから。
確かにギンガレー伯は冒険者を優遇してきた。
そのため恩も確かに感じている。
だが、これほど長期間に領の外に留まられると非常に困る――そうレナシーが訴え続けているのだ。
この訴えは仕方なくもあり、同時に逼迫もしている。
ギンガレー伯が王都に行くにあたって、引き連れていった冒険者は20名ほど。
タダの20人では無い。
ギンガレー伯が勢力を伸ばした端緒となった、ノウミーのギルドに所属していた者がほとんどだ。
つまりはギンガレー領における実務的な指導者層と言っても過言ではあるまい。
それが丸ごと居なくなっている。
確かに能率の良い鍛え方というノウハウは残っている。
だが、その経験者、それに加えて力を持った冒険者が実戦に参加出来るという利点。
それが無くなっている。
「……だが、彼らがいなければ……」
すっかり次期国王に――つまりムラタに喜んで尻尾を振る事を覚えた王宮の事務官達に囲まれてしまう事になる。
そうとなれば、自分自身まで王宮の勤め人と変わらぬ存在に成り果ててしまいそうな予感……いや、悪寒といいきっても知れない。
そういった恐怖をギンガレー伯は感じていた。
自ら望んで王都にやって来たはず。
そして名誉ある役職に任命された。
――何ら問題は無い。
問題は無かったはずなのに……
『閣下。もう時間ですが、どうかご再考を』
「うむ……とにかくしばし待て」
連絡具から声が聞こえなくなる。
そのままギンガレー伯は天を仰ぎ私室のソファに身体を預けた。
実はこの問題の大元にあるのは単純にギンガレー伯の虚栄心だけに留まらない。
問題は冒険者への扱い方がはっきりしていない事にある。
簡単に言うなら指揮系統が整理されていない事が問題になっているのだ。
ギンガレー伯に忠義を誓うならまだしも、冒険者はあくまで冒険者ギルドに所属している事になっている。
それがギンガレー伯に従っているのは、爵位に敬意を払うという“常識”が、冒険者の行動を縛っているだけなのだ。
つまり、その“常識”に囚われなければ、実際には冒険者をつなぎ止める枷など存在しない。
事実、王都の冒険者ギルドに移籍した形となったメイルたちに強制させる術は無い。
当人達は単純に、
「仕事を受ける事が出来るように」
と考えただけであった。
いや全ての冒険者がそのぐらいの軽い気持ちであるのだろう。
だが実際には、その土地の防衛力として機能している中で、勝手に所属を変えるような事など簡単に出来てはいけないのだ。
ただ冒険者ギルドが騙し騙し運営していただけ。
事実、約1年前の巨人襲来を思い起こしてみればわかる。
冒険者ギルドが対処した。王都から騎士も派遣された。
だが、ギンガレー伯はどう行動したのか?
――何もしなかった。
いや、何も出来なかったと言った方が正確か。
ギンガレー伯の手元には即座に動かせるだけの兵力が無い。
緊急の折に対応出来る、謂わば予備兵力の概念が無いのだ。
それほどに冒険者に依存している。
この構造を変えぬまま――問題点に気付かぬまま安易に冒険者を動かせば、今のギンガレー伯のような状態に陥るだろう。
そう。
この問題は、ギンガレー領だけに起こりうる問題では無い。
ムラタはそれを見越しているのかいないのか……
□
そんな構造的欠陥を抱えたままでありながら、今のところそれを破綻させない領土を持つ貴族がいる。
言うまでも無くリンカル侯だ。
まず財力。
それに加えて、一攫千金を夢見る血気盛んな冒険者の不足に陥る事も無い。
リンカル領に隣接する“大密林”は、見方を変えれば宝の山であるのだから。
確かに、ギンガレー伯に上前をかすめ取られた形には成っているが、まだ深刻に考える事もないだろう。
そんなわけで領地経営には問題は生じていない。
リンカル侯は認めたくは無いだろうが、世嗣のゴードンが優秀すぎるのも一因だろう。
自分の足下がしっかりしているからこそ、リンカル侯は王都で政争に耽る事も出来たのである。
だがその政争も、今となっては虚しい。
仮に権勢をもって他を圧倒したとして……それについて回る余禄が何とも小さくなってしまったからだ。
ヴェスプ共和国との交易には、必ず国王の印璽が必要にある。
その印璽の持ち主が変更になる場合は、ヴェスプ共和国にそれを認めさせねばならない。
となれば、力で奪い取るよりも王を傀儡にして、実を取った方が何事に関しても話が簡単だ。
この辺り、嫌う長男と同じような思考に至っているのだが、そこに違いを感じるのは――やはり見据えているものの違いだろう。
金と安定。
結果としてリンカル侯は得られる予定の金を失い、ゴードンは取りあえずの充足を得ている。
これには多分にムラタの事情が大きく働いてはいるが、より多くの人間の支持を集めるのは間違いなく後者であろう。
有り体に言って、この状況に逆らう事になれば、間違いなく悪と誹られることになる。
マドーラとムラタのやり様は、強引ではあるが、基本的にはより多くの人が幸せになるように変化させているからだ。
元は自分たちの事情があったとしても、このように振る舞われてしまえば、手を出せなくなる。
悪政を敷かれた方がまだやりやすい。
(つまり、今のところは傍観が打つ手なんだがなぁ)
と、ノラは頭の中でその結論を祈りの聖句のように繰り返す。
リンカル侯に呼び出され、リンカル邸の離れで佇んでいる彼女は諦観と共に、リンカル侯を眺めていた。
彼女自身にはムラヤマ――つまりはムラタのやりように不満は無い。
ただただ、あてどの無い不満を抱えるリンカル侯だけが、落ち着かないだけだ。
リンカル侯の背後に使える鎧姿の護衛も、何とも複雑な表情を浮かべていた。
これで再びあの男とやり合うことにでもなれば、犠牲となるのはこの護衛達だ。
ノラは知っている。
ムラタに踏みつぶされた護衛は、傷こそ癒えたものの結局職を辞してしまったことを。
もう誰もあの男には触りたくは無いのだ。
だが、それをリンカル侯に訴えても仕方がない。
何かしらの方向性を定めないと、これから先もリンカル侯は益体も無い呼び出しを続けることになる。
いや、方向性が合っていても呼び出されるのは迷惑……
そこまで考えが及んだとき、ノラの脳裏に1つの閃きが走った。
それは多分に“ムラタ”的ではあったが有効なように思えた。
「閣下」
「何だ!? 何か思いついたのか?」
そもそもがあの男を“何とか”しろという無茶な欲求なのである。
これぐらいは構わないだろう。
だからまずはこの常套句だ。
「――隙が無ければ作ればいい。そうは思われませんか?」




