為政者はこれを秘匿する
ムラタはテーブルの上に白紙を広げた。
そして何やら書き込んでいる。
文字では無い。
何かしらの絵……では無くて、地図だ。
「アニカ、これでわかるかな?」
出来上がったらしい地図をかざしながら、ムラタが尋ねる。
アニカは言われるままに、その地図をジッと見つめた。
「これ……ノウミー辺り?」
「よかった、通じるみたいだ。で――」
ムラタが持っている地図が僅かに発光すると、次の瞬間には先ほど出てきたような「地図」に化ける。
化けるがしかし……
「カルパニア伯。おわかりですよね? 貴方が作成した地図と、今俺が書いた地図との違い」
「は、はい。等高線、と言うんでしたか? それが見あたりません」
ムラタは頷いた。
「これは恐らく、元になった地図に込められている情報量の違いが出ているものと思われます」
「“情報量”? “思われます”?」
そんなカルパニア伯の反応にムラタが苦笑を浮かべた。
「何とも……こちらから行きますか。その通り。実は俺のスキル、俺自身にもよくわかってないんですよ。無茶苦茶なのでね」
肩をすくめながらムラタはそう告げるが、それを瞬時に理解せよと言うのも無茶な話だ。
ムラタもそれは承知の上。
クッション代わりに、目を見開いているアニカに声を掛けた。
「そうなんだ。俺はこれを“壊れスキル”と呼んでいる」
離れた距離にいるアニカ相手に、心なしか胸を張ったような素振りを見せるムラタ。
「……名前なんかどうでも良いよ。それって使い方もわからないの?」
「いや、1人だったときに色々試して大体の事は試している。だけど地図を作成するっていうのは初めてだったから、こんな風に手探りだな」
「そうか……なるほど……」
アニカとの会話でカルパニア伯もムラタの言わんとしている事を理解したようだ。
「で、情報量ですね。俺が書いた地図と、貴方が作成した地図は記載されている内容が違う。恐らくルシャートさんなどは『比べるまでも無い』と俺が作った方を却下してしまうでしょう」
「ええ」
間髪入れずにルシャートが反応する。
ティーカップ片手に何とも優美な佇まいだ。
そんなルシャートには構わず、ムラタはアニカへと語りかけた。
「ちなみにアニカ」
「……な、何?」
「冒険者ギルドでも地図はあったりするのかな?」
途端に警戒するアニカ。
ムラタが冒険者ギルド――ひいては冒険者排斥の意図がある事は間違いないのだから、その反応も当然と言えば当然だろう。
だが抵抗を続けるのも無益な事のようにアニカは思えた。
ここで拒否したとしても、ムラタが別口から聞いてしまえば同じこと。
それならムラタの反応を見た方が有意義に思える。
「…………それは……ある」
「それは俺がさっき書いたみたいな感じの?」
「……そう」
「そうか。それならまぁ……」
顎を撫でるムラタ。
そして気を取り直すように笑顔を浮かべた。
「さて話が盛大にそれましたが、これでおわかりでしょう。貴方は俺のスキルに干渉出来るほどの地図を作成出来るのです。そんな事が出来るのは貴方1人だけですよ。貴方ご自身に特殊なスキルは?」
「それは確認した事が……で、でもこんな事……」
「仕方ない。それではもっとも物騒な手段で貴方の目を覚まして差し上げます――ルシャートさん」
「私ですか?」
「仕方ないでしょう。何しろ貴方は武官の頂点だ。語る事はどうしたって物騒になります」
それには異議を唱えたいところだったようだが、ルシャートは仕方がないと言わんばかりに、肩をすくめた。
「それで私は何を聞かれるんでしょう?」
「戦になるとします」
ムラタがそう告げただけでカルパニア伯の腰が浮く。
だがそれに構わず、ムラタは先を続けた。
「その戦にカルパニア伯が参加しています。しかも敗色が濃い局面になってしまいました。さぁ、指揮官であるルシャートさん、どうしますか?」
ヒィ、悲鳴を上げるカルパニア伯を無視してルシャートは笑いながら、その問いかけに応じた。
「そういう……まぁ、他に色々やるべき事はありますが閣下を脱出させるための指示を出す事は間違いないですね。それも優先順位はかなり高い」
「どうして!?」
ルシャートの言葉に、たまらずカルパニア伯が悲鳴を上げた。
だがムラタはニヤニヤと笑いながら、とどめを刺す。
「貴方のこの特技は戦で有効すぎるんですよ」
本当に物騒な話になった事に驚いているのはカルパニア伯だけでは無い。
アニカ、キルシュはもちろんの事。
それに加えてマドーラが反応している。
「どういうことですか?」
そして誰よりも先に声を発した。
「専門家であるルシャートさんを前にして、俺が説明するのは間違っている気もするが……」
「殿下にご説明差し上げるのですから、ここはムラタさんでしょう」
とても良い笑顔でルシャートが応じる。
そのまま、キルシュにお茶のおかわりを頼んで彼女を驚きから回復させた。
「――簡単な話だけど戦には準備が必要だ。その時にカルパニア伯の地図があれば驚くほど効率的に準備が行えるんだ」
その説明にマドーラは首を傾げる。
ムラタも、心得たものでそのまま説明を続けた。
「一番極端な例を挙げよう。ここに川がある。これはわかるな?」
自分が書いて、スキルで変化させた地図をムラタは胸元で掲げる。
今度はしっかりと頷くマドーラ。
「それで、この川の両側に兵隊がいると考えてくれ。さぁ、どういう風に兵隊を並べる?」
「え? 数は?」
「ああ、すまん。単純にしすぎたか。だけどまぁ同じ数だとしよう」
マドーラはしばらく首を傾げていたが、やがてこう答える。
「同じだけの人数ですから同じように並べるしか……無いのでは?」
ムラタは次に、地図上の川のある一点を指さした。
「ところが俺は、この付近の兵隊を並べない……そうだよな? アニカ」
いきなり矛先がアニカに向いた。
そのアニカの顔は心なしか青い。
「……そ、そうね。そうなるね」
だが口からは、そんな言葉が漏れる。
それをマドーラは訝しむ。
ムラタに向けていた眼差しをアニカに向けた。
アッシュブラウンの瞳を真っ直ぐに。
「……この地図は私の本拠地であるノウミーの地図なんです殿下。だからわかるんです。ムラタが示した場所は川が深くなっている。とても人が渡れるような深さでは無い」
かつてはそこに巨人を誘い込んだのだ。
それもムラタの指示で。
間違えるはずが無い。
そして……
「ここに並べなくて良い。と言う事は他のところに兵隊を持って行ける……こうですか?」
今度はムラタに向き直るマドーラ。
流石に理解が早い。
そして、マドーラの言葉でカルパニア伯も理解を始めたようだ。
「それで閣下。鉱山などの位置もわかりますか? ……あ、キルシュありがとう」
その瞬間、あくまでついで、という風情でルシャートがカルパニア伯に話しかける。
全員が虚を突かれる中で、1人だけ大きく目を見開いたものがいる。
ムラタだ。
「ルシャートさん!! 昨日からなんです、そのタイミングは!?」
ムラタがこれほど声を荒げるところを見た事が無いマドーラ達は、再び目を見開く。
だがルシャートは飄々とした態度は崩さずにこう答えた。
「今思いついたのですから仕方ありません。殿下に教えて差し上げるのに、こういった要素を無視するわけには行きませんから――それで、どうなんでしょう閣下?」
「あ、は、はい。殿下に差し上げた地図には書きませんでしたが……そのあまり必要では無いかと……その他にも沢山……」
段々、声が尻すぼみになっていくカルパニア伯。
ムラタはそんな伯をフォローしようか、未だ興味津々であるマドーラへの講義を進めようか迷ったようだ。
だが、自分の中の優先順位を確認したようで改めてマドーラに向き直った。
「……さっきの兵隊の置き方な。逆に絶対外してはいけない場所がある。ルシャートさんが言ってくれたみたいな鉱山はその典型だ。例えば戦が長引く、武器が壊れる、ということが起こった場合必要になるのは鉱山だ――わかるか?」
マドーラは頷いた。
ムラタは安心したように、胸をなで下ろした。
マドーラが鉱山と武器の関係性を理解しているかどうかがわからなかったのだろう。
そのまま説明を続ける。
「これは立場を逆にも出来る。相手の持っている鉱山を取ってしまえば戦は簡単になる。だけど、こういうことが出来るようになるための条件があるよな?」
「はい。その場所を知っている事」
マドーラが淀みなく答える。
「川での例えも同じですね。どの場所が深いか知っているかどうかが大事」
「そうだ。場所がわかる以上にそこまで行くのに、どれだけ苦労するか、どれだけ時間が必要になるのか、それも重要なんだが――」
「カルパニア伯の地図なら、それがわかるんですね」
マドーラが結論にたどり着いた。
カルパニア伯を導くように――あるいは追い詰めるように。
「さぁ、伯爵。流石にご理解いただけた事でしょう。ご自身の貴重さについて」
そして実際にムラタがカルパニア伯に詰め寄った。