ムラタ、初ダメージ
「貴方を屋敷に帰すわけにはいかない」
ムラタが普段は見せないキリッとした眼差しで相手を見つめている。
いつもの“異世界風”ではなく、会議の時に着込んでいた襟食いの広い、真っ白な衣服に身を包んでいる分、さらに雰囲気があった。
「な、何を仰っているんです……?」
相手は影も色素も薄い男。
カルパニア伯ランフレットだ。
王宮に召し出された事で、当たり前に一張羅である。
よせば良いのに、ダークブラウン地の上着に金の飾緖があしらわれているなかなか派手な出で立ち。
もちろん衣装に負けてしまって存在感はさらに希薄だ。
「何をされているんですか?」
割り込んできたのは近衛騎士団団長チェルシー・ルシャートである。
彼女も召し出されたわけだが、こちらは平服と変わりは無い。
鎧も着込んでおらず、ジトッとした眼差しで2人を等分に見つめていた。
「何って、伯の重要度が上がりすぎたんです。率直に言ってこのまま監禁したい」
「か、監禁!?」
口を開けば不穏当。
そんなムラタをカルパニア伯があしらえるはずが無い。
「それはまぁ、認めますけれど」
ルシャートもそのムラタに同調するものだから、カルパニア伯はますます追い詰められた。
ここは王宮の一角「アマリリスの間」
王族の団欒に使用される私室めいた造りである。王宮の中では割と狭い部類の部屋であろう。
暖炉、毛足の長い絨毯に、穏やかな森の風景が浮かび上がっているタペストリー。
そういった調度品は“それっぽい”が、あとから運び込んだと思われる実務一点張りの大きなテーブルに、これまた飾りも何も無い、二脚の椅子。
これが完全に雰囲気を台無しにしていた。
元より、この部屋の使用を決めたムラタには当たり前に団欒するつもりがない。
単純に、王宮で奥まった場所にあるから使用しているだけだ。
その点は、今現在マドーラ達と暮らしている一角と共通しているが、多分に魔法による“覗き見”を警戒しての事だろう。
そのマドーラは就寝中だ。
時刻はすでに午後11時。
すでに深夜と言っても構わないだろう。
子供はとうに寝ている時間だ。
では、その深夜に何を行っているかだが――
「貴方はご自身の重要さをわかっていない。そのついでに状況もわかってない」
相変わらず立ったままのムラタからは厳しい言葉が飛んだ。
「で、ですが、私はただ地図を……」
「“ただ”?」
テーブルに対して真っ直ぐに腰掛けるカルパニア伯が言い訳を始めた途端、ムラタが睨め上げた。
「……ムラタ殿。せめて説明差し上げましょう。こちらもいきなり呼び出したようなものですし」
こちらはテーブルに対して斜めに腰掛けるルシャートが、ムラタを窘めるようにカルパニア伯をフォローした。
「そもそもお二人は何をされていたんです?」
途端にその気遣いを無駄にしてしまうカルパニア伯。
とうとう、ルシャートも諦めた。
いや諦める以上に敵に回ってしまったらしい。
ムラタとルシャートは同じタイミングで、タバコと細巻きを取り出した。そして同時に火を点ける。
「……どうしても、帰りたくないと」
「何もかも知ってしまいたいと」
そう告げられた瞬間、カルパニア伯の飾緖が揺れた。
もちろん持ち主の動揺によってだ。
「ひ、ひぃ……し、知りませんよ! い、いや、知りたくありません!!」
必死になって首を横に振り続けている。
「元々、伯は好奇心旺盛らしい。しかも観察力もあって、それを人に伝える事も巧みだ」
「諜報にうってつけですね」
そんなカルパニア伯の訴えに耳を貸さず、2人は煙を吐き出しながら検討を開始する。
今度は2人揃って不穏当だ。
「そ、そんな事、い、言われましても……」
「貴方が作成し、持ってきて下さったこの“地図”」
ムラタは一見、ペンでの走り書きのような曲線が乱舞している紙面を指さした。
だがそこに記されているのは王都を中心とした、周囲の地形、人口、集落、植生、作物の分布、道、と貴重な情報。それらが、その紙面には溢れかえるほど記載されている。
果たしてこれを単純に「地図」と言い切ってしまって良いものかが、悩みどころだ。
そもそもはマドーラの依頼で、カルパニア伯が地図作成を請け負ったのがはじまりだ。
この時、ムラタは観光地がクローズアップされた、絵地図のようなものを想像していた。
それこそ観光地の駅前に設置されている、カラフルにデフォルメされている感じの物だ。
「それは、いきなり全部は難しくないですか? まずは王都周辺で」
その時、そんな風にムラタが口を出したのは、本当に助け船のつもりだったのだ。
だが、それが吉と出たのか凶と出たのか。
確かに読みにくくはあるが、カルパニア伯が作り上げたこの地図は戦略的な価値を見いだせるほど――つまりは余人に決して知られてはいけないレベルの「地図」がここに出てきてしまったのだ。
「……慎重に行きましょう。人生が掛かっていますから」
「あ、あの誰の……」
ムラタは、クールダウンしたかのように見える。
だが目つきが尋常では無いので、カルパニア伯も流石に警戒は解かない。
ムラタも構わず続けた。
「確かマドーラから頼まれたのが三日ほど前ですね……作成はそれからすぐ?」
「も、もちろんです! 殿下のご下命ですし、碑道卿としても……」
「なるほど。この地図は三日がかりで……資料は? まさか全部頭の中――」
「とんでもない! 旅している間の手記を手掛かりにして、それで自分でも思い出して……でも。いい加減に作ったつもりは無いですよ!」
どうやらカルパニア伯はまだ自分がどういった状態であるか把握していないらしい。
ムラタは、ますます眉を潜めて灰を慎重にテーブルの上の灰皿に落とした。
「やはり資料があるのか……これはマズい……この人の重要度がますます上昇したが……」
そのまま、ブツブツと呟き始める。
「私からもよろしいでしょうか?」
その隙にルシャートが声を上げる。
こちらは、何とも人好きのする笑顔を浮かべていた。
だが小動物のように人生を送ってきたカルパニア伯にはわかる。
これは、警戒すべき笑顔だと。
だが、自分がどうして2人を警戒させてしまったのか?
これがわからない。
「閣下、その地図を作成するにあたって下書きなどはされましたか?」
ルシャートが穏やか笑顔を浮かべたまま、そう尋ねた。
これを聞いて、顕著な反応を示したのはムラタである。
手に持っていたタバコをそのまま握りしめてしまったのだ。
「熱ッ!!」
そして当たり前に悲鳴を上げる。
ムラタが“異世界”に来てもしかすると初ダメージの可能性もあるが、それほどの大事を為したカルパニア伯には、その自覚は無い。
ムラタの様子にビビりながらも、笑顔を崩さないルシャートに返事をする。
何よりもルシャートが怖かったからだ。
「は、はい……そうですね10枚ほど……」
「10枚!?」
ムラタがついに叫び声を上げた。
「で、で、ですが殿下に差し上げるというのに、いきなり完成させたようなやっつけて作ったような物を……」
「良いんですよ。閣下の判断は何も間違ってはいません――それで、その下書きはいかが為された?」
部屋の中でわかりやすく右往左往を始めたムラタを置いておいて、ルシャートがカルパニア伯を肯定する。
それと同時に、新たな質問を乗せて。
そのルシャートも、細巻きを挟んだ指先が震えていた。
彼女も必死に堪えているらしい。だがここで彼女まで取り乱してしまっては、事態は一向に好転しない。なんとかカルパニア伯に確認しなければならないのだ。
「え? ああ、それは屋敷の……」
「お屋敷の?」
「自室に……」
「それは書斎のような物ですか? 閣下以外の方のご入室は?」
「そうです。ちょっと汚れ放題で使用人も近づき難いらしく、あまり人は……」
ムラタの右往左往が止まった。
その代わり、じっくりとカルパニア伯を見つめている。
「それでも余人が入れない事は無い――それで下書きは」
「はぁ、丸めて……多分捨てましたね」
「そのゴミの回収は? 使用人の仕事でしょうが、それは何時行われるんです?」
カルパニア伯は眉を潜めた。
そこまで使用人の仕事に気を配ってはいないし、それは伯爵の身の上としてはごく普通のことだ。
これは家宰の仕事の範疇――いやもっと現場だけで仕切られているような仕事である。
だが、それをそのまま主張する事が危険だという事はカルパニア伯にもわかっていた。
懸命に記憶を掘り起こし……
「……恐らく午前中……それも朝のうちに回収されるのではないかと」
「当然、3日前より今日の方が出来は良いんでしょうね……」
ムラタが復帰してきた。
そして真面目な表情でこう告げる。
「今すぐ屋敷に帰っていただけますか?」




