“誇り”
子供達からの強力な後押しが功を奏したのか、概ね順調に話が進んでいった。
元々騙す意図が無かったこともあり、王宮側も熱心に対応した。
その背景にムラタからの圧力があったとしても、出てくる結果に違いは無い。
そんな中で首を傾げた者がいる。
言わずもがな、次期国王であった。
「そこのところがよくわかりません」
移住予定者の家族をどう保護するか、という話になったタイミングでマドーラがそう声を出したのだ。
話の内容としては、こうだ。
下見に出ている間に、家族にこの貧民街に待たせたままだと要らぬちょっかいを掛けてくる者がいるとも限らない。
それなりの宿屋に泊まって貰えばいいんじゃないか? と話が進む。
ここまでは問題なかったが、一行の中で宿屋暮らしとなれば侍女として付き従っている、メイルとクラリッサになる。
だが、この2人も元はノウミーの田舎者。
それでいて、現在泊まっているところは「クライスワン」という王都でも、最高級の宿屋というかホテルである。
「ガーディアンズ」の口利きが有り、しかも資金援助があるとはいえ、どうにも極端すぎる。
参考にはならないなぁ、とムラタとメイルが同意したところで、マドーラが声を上げた、というわけである。
「……わからないとは?」
「宿屋って、お金を出したら泊まる事が出来る場所ですよね? 先ほどのお金とは別に用意しても……」
ムラタの確認に、不思議そうにマドーラが説明する。
これにはマドーラ以外、貧民街に住んでいる家族も狼狽した表情を浮かべた。
どうにもマドーラが求めている事を掴みかねていたのだ。
貧民街の家族にすれば、それだけでは済まない。
これでマドーラの言うように最高級ホテルに連れて行かれたら、恐縮するというレベルでは済まないだろう。
だがムラタは少し考えた後、こうマドーラに尋ねた。
「君はお金を出せば泊まる事が出来るという、その仕組みがあるのに何故今回見送る形になるのか? ――それが疑問という事で間違いないか?
「あ……はい」
ムラタの確認にマドーラが頷く。
それで周囲もマドーラの疑問が把握できたが、そこからの返答を考えて、またも止まってしまった。
しかし、ムラタは今度は間を置く事無く即答する。
「それは宿屋を守るためだ」
「宿屋をですか?」
「そう。その宿屋は、高品質である事を武器にして商売している。これを王様が邪魔をするべきではない――貧民街の住人が出入りすることは、その宿屋の価値を下げてしまう」
ムラタがあっさりと“言ってはいけない”言葉を口にした。
この言葉と同じ意味の仕草をした神官職の男を、ムラタ自身が吊り上げている。
確かにムラタ自身が、その言葉を口にしたところで文句を付ける者はいないが――
「これはな、今までの王国の政治が悪い」
出し抜けにムラタの言が、予期せぬところに飛んだ。
思わず唇を噛みしめていた、貧民街の大人たちも思わずムラタを見上げてしまう。
「何度も説明しただろ? 王国が“民を護る”という基本的な仕事をしてなかったんだ。だから真面目に働こうとしてる人も、それが出来なかった。結果として他業種も圧迫する事になる。今、君が納得行かない事は、全て王国の今までのやり方がまずいせいだ」
マドーラは黙って、ムラタを見上げていた。
やがて「護民卿」なる役職に就いたギンガレー伯を見つめ、最後に貧民街の家族を見つめた。
その眼差しに感情は無い。
ただ、目の前にある現実を観察してるように見えた。
貧民街で暮らすという事。そのために衣服すらままならないという事。
そしてそれが行動にどれだけ影響を及ぼすかという事。
マドーラは、やがて口を開いた。
「これが第一歩なんですね」
「そうだ」
即座にムラタが応じる。
「最初から何もかも上手くは行かない。その辺は、子供である君よりも“大人”はしっかりとわかっている――そうですよね?」
不意にムラタに話しかけられる貧民街の大人達。
多分に脅迫じみた問いかけではあったが“大人”たちは噛みしめるように頷いた。
「……そうです。新しく住める場所があって、それも慎重に考える事が出来る。これ以上……そう、これ以上お世話になったら、大人として情けなくて……」
身分も関係なく、大人からの真摯の訴えにマドーラは頷いた。
彼女も気付いたのだろう。
何もかも、できるからといって手を差し出していては、かえってその人を傷つけてしまう。
それは、かつての自分の境遇に人を押し込むのと同じ事。
問題は――そう“誇り”だ。
それが人間には大事な事だ。
それをマドーラは肌で感じ始めていた。
「……正直、あのホテルってちょっと肌に合わないしね」
不意にメイルが口を開いた。
何とも空気を読んでいるのかいないのか微妙なところではあるが、いったん区切るには良いタイミングである事は間違いない。
「それは良くないぞメイル。我々はかなりお世話になっているんだぞ」
さらに空気を読まないクラリッサが参戦した。
「あ~でも、これは俺もメイルに賛成。あんな豪華すぎる宿屋、出来れば避けたい」
「でしょう?」
さらに乗ってきたムラタの言葉に、メイルが声を上げた。
「……実は我々も……」
貧民街の大人達からも声が上がる。
それは紛れもない本音だったのだろう。
「ま、ああいう宿屋で苦労するのは王様と貴族……最高司祭はどうしますか?」
今まで、というか貧民街に連れてこられて後、すっかり身を縮めていたフォーリナが身じろぎした。
王と同じように席を与えられ、この場限りではあるが同格の扱いを受けているのに、何とも居心地が悪い。
初っ端、不測の事態としか言いようが無い事件が発生したが、その後はただひたすらに状況に流されるだけ。
貧民街となれば、王宮関係者よりも神官に一日の長があったはず。
しかし、王宮が提供しようとしているのは単なる救済では無かった。
自分は――自分たちは単に貧民街の住人と王宮との間の緩衝材として連れてこられただけ。
いや、その役目も果たせているのかどうか。
「わ、私は……」
「司祭様は、泊まる必要無いでしょ」
「それを言い出したらマドーラだってそうだろ。つまり豪華な部屋は肌に合うか合わないか、という話だ」
何とか発言しようとしていたフォーリナ。
そこをメイルとムラタが遮る形になった。
「司祭様って、神様の?」
子供から声が上がった。
何とも言葉足らずだが、聞きたい事はわかる。
ムラタとのやり取りが前提にあれば、質問の主旨が変わってくるが、それに対応する者はいない。
何よりそれよりも先に、フォーリナが縋り付くように子供の質問に答えた。
「そ、そうなんだ。女神アティール様のお導きを受けて、みんなの……」
そう救済。
何と傲岸な事をしていたのか、フォーリナは愕然とする。
言葉が続かない。
「司祭様?」
子供がそんなフォーリナを不思議そうに見つめる。
だが、言葉が出てこない。
そして子供達の視線がついに、ムラタに向けられようとした時――
「そこが難しいんだ。神官というのは本当に難しい」
再びクラリッサによる空気を読まない発言が放たれた。
「……そんな無責任な」
即座にメイルからツッコミが入る。
「だが、女神様の御心に適うかと自問しながら行動するのは本当に難しいんだぞ」
もはや質問を発したのが子供であるというという事も忘れてしまったらしい。
だが、その言葉はフォーリナの心を打った。
フォーリナは我知らず、クラリッサの言葉に頷いている。
「そうか~むずかしいのか~」
子供達が何か投げやりに応じた。
すると、ムラタがそれに反応してこう告げた。
「そうだ。大人は難しいんだ。お前もその内難しくなるぞ~」
「ええ~やだ~」
子供の叫びは何とも素直な言葉であった。
それだけに思わずムラタが笑い出し、メイルが笑い出し、クラリッサが笑い出し――フォーリナも笑う事が出来た。
その後は、追従だろうが何だろうが笑いが巻き起こり、その発端となった子供が1人取り残される、良くある光景が生み出される。
そう――
マドーラもかすかに笑みを見せていたのだ。
それは彼女の成長なのか、それとも……
□
この笑いが、本当の意味での起爆剤になったのだろう。
ゆっくりではあるが、ムラタの細工とは別に説明を聞きに来る者も現れたのだから。
そうすれば、移住の説明以上に一時金の話に食いついてくる者も当然現れる。
だが、それは予想の範疇で有った。
もちろん、こういった職業の者が現れる事も。
「俺はソニ、こいつはトファン。ギルドにはちゃんと登録してるぜ」
そう――冒険者である。