ムラタが見ているもの
会議室では、盛んに言葉が飛び交っている。
だが剣呑な雰囲気では無い。
それもそのはずで、簡単に言えば出席者によるお国自慢が繰り広げられているだけなのだから。
しかしムラタによって、ある程度のフォーマットが示された状況では、それも産業振興の一翼となり得る。
それに、今までジッと出席者を見つめていたマドーラが、積極的に質問を始めたのも大きい。
ここでマドーラの覚えめでたければ、将来の安定、までは行かなくとも、ここしばらくの安泰は見込める。
その具体例もつい先ほど出現した。
言うまでもなくカルパニア伯である。
リンカル侯の派閥に属し、今まで出席もせずムラタから逃げ回り、つい先ほどまでは顔色を失うを地でいっていたカルパニア伯であるのに、今現在はなんと生気に満ちあふれている事か。
マドーラのみならずムラタまでも、
「今度じっくりお話を伺う時間を設けたいですね」
と、手放しで彼を認めているようにも見える。
ムラタはのそんな様子を見て、出席者は思った。
――カルパニア伯は虎口を脱した。
と。
となれば、即座にカルパニア伯のような経験を積む事は出来ぬまでも、方向性としては彼に倣う事になる。
そして、それはムラタも望んでいるようであり、先ほど説明したようにマドーラの積極性もそれを肯定していた。
だが――
今まで出席者とひとまとめにしてきたが言うまでもなく、他の出席者とは違う色を見せる者たちもいた。
ルシャート。それにハミルトンであり、メイルとアニカだ。
すでにムラタの腹案の本当の部分を彼らは聞かされている。
だから、このお国自慢を聞きながら彼らは思うのだ。
――話せば話すほど、ムラタの思惑通りになるのに。
と。
もちろんそれを親切に指摘したりはしない。
彼らもまた、ムラタの共犯者であるのだから……
「――そろそろ終わりましょうか。最後に実に有意義な時間となった事を嬉しく思います」
時計の針が頂点を僅かに通り過ぎた時、ついにムラタから終了の合図が出された。
言うまでもなく、そろそろ食事時でもあり、切り上げるにもちょうど良いタイミングだ。
「今日の議事録はまとめさせますが、流石に外部に出すわけにはいきませんので、皆さんもそのお心づもりで」
途端、緩んでいた出席者の気が引き締められる。
先ほどまではお国自慢ではあるが、マウリッツ子爵の“処理”に冒険者の命運。
やはり外に漏れると、ややこしくなりそうではある。
「……最後のあたりは閲覧出来るようにしたいですね――お願いします」
「皆様、ご起立お願いします!!」
ムラタの言葉を合図にして、侍従から声が放たれる。
出席者がその言葉に従う中、マドーラはゆっくりと頷いて、手順通りに告げる。
「大義でした。忠勤嬉しく思います」
「ハッッ!!!」
会議が始まった時とは比べものにならない覇気のある応答によって御前会議は終了となった。
ムラタの専横、という点では想定通りとも言えるし、まったく想定とは違っていたとも言えるだろう。相も変わらず“埒外”ぶりを十全に発揮している。
だがそれも、取りあえずは終わりだ。
皆が帰り支度を始める中――
「メオイネ公、リンカル侯」
――不意にムラタがこの両名を呼び止めた。
皆がギクッとなるが、ムラタの顔には笑顔が浮かんでいる。
だがマドーラは腰掛けたまま。
本来なら一番最初に、退席するはずがジッと座ったままだ。
「あ、皆さん先にどうぞ。というか、この2人だけに特別に用事がありましてね。是非とも先に退席していただきたい」
「それでは」
即座に応じたのはルシャート。
さっさと書類をまとめて出て行ってしまった。
もちろんマドーラの護衛たる近衛騎士たちは、ハミルトンも含めて動き出す事は無い。
それどころか、退席が許されたものの判断に迷っている出席者に無言の圧力を掛けてゆく。
突然訪れた危機的状況に、大貴族2人は冷や汗をダラダラと流しているが、声を掛けるものはいない。
気の毒そうな眼差しで、2人を見つめるものの、結局は退出するしか無いのだ。
やがて静寂が会議室を席巻する中で、ついに2人はマドーラの前に取り残される形となった。
「ようやく、場が整いました――マドーラ」
「はい。2人には面倒を掛けましたが、もう大丈夫です、これまでの働き、嬉しく思います」
いきなりムラタの合図で、マドーラの口上が始まった。
何ら心が込められてはいなかったが、それはいつもの事。
それ以上に、何の話かさっぱり見えない。
だがそれを尋ねる前に、ムラタが口火を切った。
「俺がぶち上げた計画に関して、金銭的な裏付けに対してまったく言及しなかった事――お2人は当然気付いてらっしゃる事と思いますが」
メオイネ公とリンカル侯。
2人の目が大きく見開かれる。
ムラタはそれに構わず、さらに続けた。
「ヴェスプ共和国との貿易、実に堅調です。俺が好き勝手計画出来たのも、まさにこの貿易によって多大な利益が生み出される背景があったからです。これをここまで守ってきたお2人には頭が下がる」
……と言いながらまったく頭を下げないムラタ。
そして、さきほど以上に脂汗を流す2人。
もちろん、本当のところは違う。
彼らが宮廷で争っていたのも、まさにこの貿易により利権を確保するためだからだ。
マドーラを傀儡にし、自分たちでこの利権を独占する。
将来的には自分たちの利権となるので、この件に関しても2人は手を取り合って“調整”を続けていたのだが――先ほどのマドーラの「言葉」で、事態がどのように推移したのかは、火を見るよりも明らかだ。
貿易の利権はまさに王を王たらしめるものであり、その利権は再び正当な持ち主の手に還った。
そういうことである。
マドーラの持つ正当性。
そしてムラタの持つ圧倒的な暴力が、この変化を受け入れるようにと2人に強制し、抗う術も無い。
いや、それどころかその首が物理的に胴と泣き別れとなっても、文句の付けようが無いのだ。
権威と暴力が結びついている、マドーラとムラタが確立した“王権”の前では。
「……しかし、奇妙な状態ですね。まるでトヨトミ政権だ」
「と、トヨトミ?」
酸素を求める魚のように、口をぱくぱくさせながらもリンカル侯がムラタの言葉に反応する。
まさに命からがら、と言う風情であったが、ムラタの様子は随分と穏やかなものだった。
その様子はどこか諦観しているようにも見える。
「俺の世界で、諸侯乱立する中で自分だけが貿易を独占し、巨万の富を保持した政権があるんですよ。もう諸侯に大盤振る舞いで、特別に貨幣を鋳造するとか」
「そ、そんなことが……」
メオイネ公がようやくのことで言葉を発した。
ムラタは肩をすくめながら、その言葉に応じる。
「ま、俺の世界とはどうにも勝手が違う部分があるんですけどね。普通に考えれば、こんな貿易成り立つわけが無い」
「な、なぜ、そう思う?」
思わず――だったのだろう。
リンカル侯がムラタの言葉に追いすがる。
ムラタは一瞬視線を外すが、一回息を吐いて、そして独り言のようにこう告げた。
「損するんですよ。ただただヴェスプ共和国が一方的に。それでも共和国は貿易を止めない。俺の世界でのトヨトミ政権では、相手国の偏狭な価値観が損を許していたんですが、そんな様子も無い。じゃあ、その理由はなんなのか――」
2人はムラタの言葉を待った。
彼らにとっても、ヴェスプ共和国との貿易が実に“おいしい”ものである事は理解している。
だが、何故そうなるのかまで深く考える事はなかった。
それを考える余裕が無かったとも言えるが……
「――いや、これは口にすべきことでは無い。お2人にも。そしてマドーラにも」
突如、硬質な声がムラタから漏れる。
そしてなんの迷いも無くタバコを取り出すと、火を点けて一服。
その瞳は、マウリッツ領の鏖殺を宣言したときよりも、激しくそして深く。
ゴクリ。
誰かの喉が鳴った。
メオイネ公か。
リンカル侯か。
あるいは、ハミルトンを始めとした近衛騎士たちか。
メイルとアニカは青ざめ――そしてマドーラは。
「何時か聞かせて貰います」
「……そうだな。そんな時が来る事を願っているよ」
――こうして、御前会議は終了した。