ムラタは見えない、ろくでもない
「当たり前に、俺は書面でしか知りませんがマウリッツ領は海に面していると聞き及んでいます。間違いないですか?」
ムラタの確認に、出席者がめいめい頷く。
「それでは訪れた事がある方はいらっしゃいますか?」
それに一同が顔を合わせ、やがて1人の人物が浮かび上がった。
リンカル侯のすぐ横に座っていた、中年と青年の間ぐらいの年の頃だろうか。
今まで、発言も無くただただ座り続けていたこの人物は、当たり前に影が薄い。
それはベージュの髪色にも表れている。
さらに色素の薄い瞳は突然の注目を浴びた事で、挙動不審に動き回っている。
「……ええと席から鑑みるとカルパニア伯、で間違いないですか?」
「ひゃ、ひゃい!」
その影の薄い人物が、ムラタの問いかけに辛うじて返事をした。
カルパニア伯は、派閥的にはリンカル侯派と目されており、ここまでの会議にも当然不参加。
気骨がある、というわけでは無く、ただ逃げ回っていた事はこの様子を見れば間違いないところだろう。
つまり派閥のボスと同じである。
役職は碑道卿。
ムラタは、その役職名に首を捻ったが、要するに国内のインフラ関係の統括が仕事らしいと理解する事にしていた。
もちろん彼は専門家でも何でも無く、実務者の上にチョンと座っているらしい。
碑道卿もまた、半ば世襲のお役目のようだ。
「カルパニア領といえば、マウリッツ領のすぐ隣ですね。そして役職が碑道卿となれば……なるほど訪れた事があるのも頷けます」
ムラタは、1人頷いて右手をカルパニア伯に差し出した。
「ここは1つ、俺を助けると思ってマウリッツ領について説明していただけませんか。そうですね農産物などを中心に。他に特徴があれば、それも併せて」
「は、はい……そ、それだけで?」
「ええ。何をご心配されているんです?」
「そ、その……戦のために……」
カルパニア伯がそう口にした途端、彼に注目していた者のほとんどが、反射的に彼から目を反らした。
彼の気の弱さによって、かえって触れなくてもいい藪の中に手を突っ込んだようにしか思えなかった
からだ。
ムラタは肩をすくめ、周囲と同じようにカルパニア伯から視線を逸らした。
「――処理は進んでいるんでしょ?」
「さきほど始めたばかりだが、強弁するなら“滞りなく”だな」
そのまま逸らした先にいるハミルトンに確認する。
ムラタはそれを受けて再び、カルパニア伯に向き直った。
「ご安心下さい。戦になる事はありませんよ。俺は単にマウリッツ領の様子を知りたいだけですから。マドーラを連れて行く件はお話ししましたよね? ですから危ないところに連れて行く事はありませんし、これは観光のため、とでもお考え下さい」
「あ、はは、そ、そうですよね。殿下も向かわれるんですから……」
「そうでそうです」
ムラタがそんな風に猫なで声を発する事で、カルパニア伯はようやく落ち着いたようだ。
カルパニア伯は、胸をなで下ろしながらマウリッツ領について語り出した。
まず農産物としては、穀物はさほど収穫されず柑橘系の果物の収穫が多い事。
柑橘系に限らず、果物についても豊富。
海に面している事で海産物も豊富ではあるが、良港たりうる恵まれた地形が領地に無いようで、漁船については小ぶりの物が多い。
そのため領民が、漁に関してはさほど熱心では無いようだ。
「……随分とお詳しい。俺はまた、細かい部分は従者から資料が渡されるのかと思っていたんですが」
「ああいえ、私は爵位を継ぐまでフラフラしてましたので」
国内をあちこち旅してました――と照れながらそう応じるカルパニア伯。
ムラタは顎に手を当てて、
「爵位を継いでから何年になるんです?」
「はぁ、1年ほどですか」
「それはそれは……ん、マドーラどうした?」
ムラタが不意にマドーラに話しかけた。
何か言いたそうにしているのを目敏く見つけたらしい。
マドーラは、頷きながらカルパニア伯に話しかけた。
「そ、その……綺麗な花とかが集まって咲いている場所はありますか? マウリッツ領で」
この会議において、マドーラから初めての積極的な発言だった。
何とも可愛らしく思える内容であったが、年相応といえば確かにそうなるだろう。
「それだマドーラ! その方向性をすっかり忘れてた――と言う事でカルパニア伯、心当たりはありますか?」
絶対にろくな事を考えないムラタが、どういうわけかマドーラの質問に興奮している。
一同が訝しげな眼差しでムラタを見やる中、カルパニア伯は暢気に首を捻りながら、やがて思い当たったらしい。
「季節にもよりますが、チューリップの群生地があります。いやあれは栽培してるのかな?」
「ほう! 金の匂いがしますね!」
やはり、ムラタはろくでもない事が証明されたわけだが“金”といきなり言い出したのは意味不明が過ぎた。
「ムラタさん。お金がどうかしたんですか?」
有り難い事にマドーラから声が飛んだ。
ムラタは興奮したままで、言葉を並べ始める。
「ああ、すまん。俺の世界は薄汚れすぎてておかしな事を言ってしまった。市場が無いと金にはならないよな……と言うわけでチューリップの綺麗さに取り乱したということにしてくれ」
「はぁ」
「だが、金は卑下する物じゃ無い。実際問題として金について考えているわけだから――」
そのままムラタはマウリッツ領で考えている事を説明し始めた。
まずそれぞれの領で特色のある産業を興す事。
例えばカルパニア伯が説明したような柑橘類の生産に力を入れる。
単純に量を増やすだけでは無く品質の向上も、しっかりと視野に入れて。
つまりは産業をブランド化するのだ。
これは海産物に付いても同じことが言える。
「最初は塩でそういうことをしようと考えてたんだが……」
「塩? 塩って辛いだけですよね?」
「ところがそうでもない。俺の世界では“フール・ド・セル”という、特産品と化した塩があってな……」
マドーラに向けたムラタの講義が始まったようだが、マドーラのみならず出席者もムラタの言葉に興味を覚えていた。
「ああ、料理人が塩にこだわっていると言うのは聞いた事があります」
そこにカルパニア伯が参戦した。
それをムラタは嬉しそうに迎え入れる。
「そうでしょ? 風味とかがやはり違うらしいんですよ」
「で、ではムラタ殿にもこだわりが?」
「いえ俺には、そんな繊細さなど欠片もありませんので」
途端に台無しにするムラタ。
しかも名目上は“料理番”であるのに、言っている事が無茶苦茶である。
「……それで、チューリップの件は? 金の話では……ないのか」
めげてしまったらしいマドーラとカルパニア伯を引き継いでリンカル侯が尋ねた。
「簡単に言うと金の話になりますが、要は“観光”なんです。風光明媚なところを宣伝していけば人が集まるでしょ?」
「それで……どうなる?」
「これは異な事を。人が遊ぶために動く、即ち金を落とす――となればマウリッツ領が儲かる」
眉を潜めるリンカル侯。
他領が儲かる事に、気分を害したのだ。
だが、ムラタの説明は終わらない。
「儲かって余裕が出来れば、金を使うでしょ? そこから単純に税で回収しやすくなりますがそれ以上にこういう展開も見込めます」
ムラタは意気揚々と両手を広げた。
「そこから他領に旅行すれば? いやいや、そこまでせずとも他領の品質の良い産物を求める余裕が出来てくれば……」
「他領も潤うのか。そして税収も……」
ついに財務卿だという自分の役職に目覚めたのか、リンカル侯も理解に及んだ。
いやこの時には、出席者のほとんどがムラタの言いたい事を理解し始めていた。
ところが、それに水を差すかのようにムラタは肩をすくめる。
「ま、これも最初はマウリッツ領で試験的にですが。マドーラに出て貰うのも民衆の士気を高めて、ちょっとズルをしようという意図があります」
「なるほど……」
思わずメオイネ公が唸った。
「マウリッツ領を選んだのは? 念のためにお伺いしたいですね」
今度はルシャートから質問が飛んだ。
「領主が不手際起こして交代となれば領民も不安になるでしょう? どちらにしてもマドーラには出て貰う事になる。それならあれもこれも一緒にやってしまおう――ついでにマドーラの見聞も広げられる」
――基本的には貧乏性なんですよ。
ムラタが、そう締めくくった。
確かに綺麗に終わったように思えるが、出席者はなんとも言えない感情に包まれていた。
なにしろ会議が始まった頃には、皆殺しにする、と言っていたマウリッツ領の領民に対して、まったく逆の対応振りを示しているのだから。
何処まで本気だったのか?
何処から計算しての発言だったのか?
――見えない。
改めてそれが、ムラタへの評価として説得力を持ち始めてきていた。
あるいは“埒外”こそが相応しいのかも知れない。
「そうだ。ちょっと気が早いですが、カルパニア伯が頼りになる事が判明しましたし、他の領の事もお伺いしましょうか。皆さんもどうぞご自由に。いかにも会議らしいでしょ?」
ムラタが笑みを見せる。
だが、本当に喜んでいるのか、あるいは詐術の一環か。
――見えない。




