護民でありながら拒否権は無い
「おっと、何かタイミングが悪かったようだな」
「いえ。貴方のせいではありませんよ」
「つまりタイミングは悪かったんだな」
戻ってきたハミルトンはムラタの言葉に苦笑しながら、会議室の中を進み上司の耳元で、何事か告げた。ルシャートは軽く頷き、ハミルトンも即座にその場を離れた。
マウリッツ子爵に一体何が為されたのか――為されてしようとしているのか気にする者は多かったが、ムラタが「もう終わった話だ」と言わんばかりに、2人に注意を払う事も無い。
そうこうしている間にハミルトンは先ほどの位置に。
ルシャートとは細巻きを取り出した。だが、そんな自分に注目が集まっている事に気付いたルシャートは柔らかく微笑みながら、笑顔で先を促した――もちろんペルニッツ子爵に向けて。
「あ、あ、わた、私か。つ、つまり……」
目一杯動揺し、そのついでに口髭も揺らしながら、ペルニッツ子爵はどうにか体勢を立て直そうとする。
つい先ほど、ムラタの言葉から自分が連想した事は――
「……つまり、ムラタ殿は貧民街から農村に住人を連れて行こうと」
「はい、その通りです」
必死になって言葉を紡ぎ出した子爵を労うように、ムラタが笑顔で応じた。
「……それは……大丈夫なのか?」
「はい。この部分は俺もかなり賭けの部分が大きいと考えて居ます――だが、ここをやり遂げたいと考えています。この俺にとっての“異世界”で」
その言葉は出席者にとって大袈裟すぎるように感じられた。
だが、それだけに全員が息を呑む。
その隙に、ムラタはさらに言葉を重ねた。
「少し長い話になりますが、聞いていただけますか?」
そう尋ねられて、あからさまに否と申し出る者も居ない。
ムラタは、そのまま説明を始めた。
元々ムラタが住んでいた世界――住んでいた国と限定しても良いが――において首都に集まっていた民衆を強引に、放り出す政策が実行された事がある。
おおよそ200年前のことだ。
実行された理由は、首都での犯罪抑制。
そして、収穫を見込んで荒廃していた田畑での農作業に従事させるため。
「……それは上手くいったのか?」
ムラタの説明に興味を惹かれたのか、メオイネ公がムラタに尋ねる。
困ったように眉をハの字に下げたムラタは、こう答えた。
「正確なところを言うと、よくわからないんですよ。この政策を主導していた実力者が早々に失脚してしまいましたから」
「そうか……」
「ですが、ただ帰れ働け、ではどうしようもありませんから、どちらにしろ頓挫したと思われます」
ムラタが肩を落としながら、そうまとめた。
しかし、この話によってムラタの目論見は、周知の事となった。
ムラタがやろうとしている事は、その失敗した政策を元にしたものである事は明らかだったからだ。
まず政策が実行された背景が似ている。
農村が荒廃している。
首都に溢れる民衆、そして犯罪の温床となっている貧民街の存在。
そしてその失敗の理由についてもムラタは明らかにした。
まず政策を主導する者の安定した立場――これには問題が生じるとも思えない。
……と言うより、生じさせる方法が思いつかない。
そして、ただ帰れ働け、とやるつもりがない事も間違いないだろう。
ムラタはきっと、そういう放り出す事はしない。
もっと入念にカタに嵌めて、身動きを取れなくするはずだ。
恐るべき事に、ムラタを恐れながらも、それでいて信頼が積み上がりつつあったのである。
ムラタは、そんな現象についてどう考えているのか?
その口元には、ねじ曲がった唇だけがある。
そしてそんなムラタをジッと見つめるマドーラ。
「……もうおわかりの事と思いますが、俺は先に農村という“容れ物”を作っておこうと考えています。極端な事を言えば収穫直前ぐらいまで、手を掛けてもいい」
「モンスターは……どうされる?」
ギンガレー伯が口を挟んだ。
ムラタは、目を瞬かせた。
「……そうでした。その可能性はありますね。かと言って、地形を変えるまではしたくありませんので、居着いているようなら、それも俺が排除しますよ」
「近衛騎士団は、どうします? 我らの仕事になるはずですよね」
細巻きを片手にルシャートが尋ねると、ムラタはいきなり頭を下げた。
「申し訳ありませんが、今回は涙を呑んで下さい。俺は何の問題も無い農村を構築したいので。あの村に派遣される騎士が気を緩めてしまうほどに」
「それは酷な事を」
そんな言葉とは裏腹に、ルシャートが笑いながら応じた。
「本当に、ルシャートさんには謝ってばかりで」
「何時か返していただきましょう」
ムラタに対して優位な立場を示すルシャート。
集まる視線に含まれている感情は、羨望か嫉妬か。
「……しかしそれでは不公平に過ぎるのでは?」
「不公平で良いんですよ。この村にやって来る人達は、右も左もわからない計画に乗ってくれるんですから」
「うむ? どうも儂が考えているものとは違うようだな。貧民街から連れて行くのだろう?」
「その説明がまだでしたね――ギンガレー伯」
突如名前を呼ばれたギンガレー伯は、驚きに目を見張った。
ムラタの説明を理解しようとしている時に、いきなり自分が呼ばれたことで気持ちが追いつかないのだろう。
「やはり貴方に任せるしかなさそうです……そうですね新生活応援するわけですから……ああ、良い名称がありました」
ムラタは伯に構わず話し続ける。
「“護民卿”と名付けましょう」
「ゴ……ゴミン」
そんなギンガレー伯の反応に、ムラタは一瞬だけだが天を仰ぐ。
だが、すぐに伯へと向き直った。
「“民を護る”という意味です。ですが、それにこだわりませんので、それっぽい名称をご自由に。仕事の内容はハッキリしていますから」
「そ、そうですか。それで仕事というのは?」
ムラタの機嫌が傾き始めたのを敏感に察知したギンガレー伯が、ムラタを促す。
「……貧民街に赴いて、例の村に移住させる者たちを選択して下さい。一時金も用意させる手筈なので、希望者は必ず出てくるでしょう。ですから無理矢理集めることの無いように。何しろ護……ああ、そうだった」
何かを言いかけたムラタの言葉がそこで止まってしまう。
ギンガレー伯にとっても、そこで止まられては困るのだ。
先を促す。
「そ、それで?」
「すいません。要はギンガレー伯に、農村でやっていけるものを選んでいただきたいのです」
「私がですか?」
「はい。伯の経験が生きますから。それに……」
「それに?」
「近衛騎士団に送り込めそうな、冒険者志望と思われる活きの良い連中も選別して下さい」
とうとうギンガレー伯は絶句してしまった。
ゴミン卿なる役職の実情に気付き始めたからだ。
「伯は冒険者への接する事が多いと伺っています。つまり、この貧民街から人を選んでいくのに、伯ほど最適な人物はいないのです」
ギンガレー伯の葛藤を無視して、ムラタが宣言してしまった。
だが、ここまで言われればイヤでもわかる。
ムラタは貧民街での選抜を皮切りに、自分が進める変革の嚆矢とする腹づもりだ。
そして自分はその走狗として扱われる――ギンガレー伯はこう理解した。
「ペルニッツ子爵、先達として伯を手伝ってあげて下さい。王都の冒険者の扱いに関しては子爵の方が勝手もおわかりでしょうし」
これで間違いない。
ムラタは、この2人を生贄にするつもりだ。
耳に心地よい言葉だけで構成されていたが、その真意は冒険者排斥にあるのは間違いない。
となれば、冒険者たちの非難を最初に浴びるのは、間違いなく実行者たるギンガレー伯とペルニッツ子爵になる。
「これが進めば、貧民街も縮小されていくでしょう。となれば再開発が必要になってくるでしょうから、その辺りは業者の選定も任せて、お二人におまかせします」
そして同時に、何処をどう解釈しても“おいしい”仕事を提示する事も忘れない。
やはりムラタはきっちりカタに嵌めてくる。
断ろうにも、その糸口が無い上に、得があるようにも思えてしまう。
2人の口からは、
「え、ああ……」
「そ、それは……」
と曖昧な言葉が漏れ出すばかり。
「それではギンガレー伯にはこのお役目に就任していただくという事で。ペルニッツ子爵もそういうことですのでよろしく」
「うむ。問題ない」
「良かろう」
そしてムラタの宣言に、即座に、そして力強く肯定の言葉が返ってくる。
メオイネ公とリンカル侯だ。
この2人にとっては、従来の役職にギンガレー伯が座るよりも、こういった新規の役職に押し込めた方が、よほど抵抗が少ない。
と言うか願ったり叶ったりであった。
すっかりカタに嵌められた2人は、もはや言葉を発する事が出来ない。
「――ではまとめてこれも説明しておきましょうか。マウリッツ領へマドーラを向かわせる事についてです」
ムラタは、カタに嵌めた勢いもそのままに、話し続けた。
――もはや出席者の発言はまたないらしい。