名君の履歴
「しょ、処理だと? それはもう済んだのでは無いか?」
会議が活発化したことで、リンカル侯の口は随分滑らかになってしまったようだ。
ムラタの前では、あれほど萎縮していたのに、いつものように尊大に応じてしまう。
しかしそんなことで、つむじを曲げるようなムラタでは無い。
逆にリンカル侯を馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「当たり前です。後任をさっさと決めて、もう望みは無いのだと最後通牒を叩きつける――ここまでが“処理”なんですが……」
「そ、そうか」
すぐにムラタに圧倒されるリンカル侯。
一度決してしまった位付けを覆すには至らなかったようだ。
こうしてムラタ自身の言葉に迷いが見られても、そこを追求することもしない。
下手に噛みついたら、顎ごと引き抜かれるとでも思っているのだろう。
だが村田の関心は別な人物に向けられたようだ。
「ギンガレー伯。皆さんの意見をお伺いしたところ、このたびは諦めて貰いたい。俺が言いだしたことを撤回した形になることで心苦しいですが……」
眉をハの字に下げて、せいぜい残念そうな表情を作ってみせるムラタ。
「はっ、は……いや」
流石にギンガレー伯も即座に引くことも出来ない。
ここで引いてしまえば、自分の今までの熱弁が虚しく散ってしまうだけ。
それはギンガレー伯の敗北となり……この先、いささか不利になるからだ。
だが、ムラタはさらに言葉を重ねる。
「マドーラ。君はどうだ?」
ムラタにそう促され、マドーラは小首を傾げた。
矩形波の光を放つイヤリングが揺れる。
「……思うんですけど、典儀卿に必要だと考えられている事って、ギンガレー伯に頼らなければいけないことですか?」
「それは学識のことでは無いな?」
「はい。それがまったく意味が無かったことは……少なくとも同じ事が得意な人に仕事を頼みたいとは思えません」
辛辣とも受け取れる言葉だ。
だがマドーラの弁を強く否定する事は出来ない。
それに何より、次期国王の言葉でもある。
「では、しっかりした判断が出来る者に典儀卿を任せたい、となるわけだ。だが、条件がそれだけなら――」
「はい……それをギンガレー伯に急いで任せなくても良いと思うんです」
その言葉に救われたのは、まずギンガレー伯であったのだろう。
ムラタが却下したことによって、伯の典儀卿就任の可能性は無くなったと見るべきだ。
しかし、マドーラが言うような理由で就任が見送られたということならば、十分に伯の面目は保たれる。いや、むしろ伯の価値は上がる。
こう言った力学をマドーラは果たして理解しているのか?
それは判断出来るものでは無かったが、確実なことが一つある。
――マドーラはムラタに誘導されたのではなく、自分の判断で言葉を発した。
確かにムラタがマドーラの幼い言葉を翻訳したようではあったが、第一声は間違いなくマドーラの言葉である。
再び示された、王の資質。
この少女の前では、気を抜くことは出来ない。
「……というわけで、処理は曖昧に済ませるしか無いようですね。取りあえず現子爵には先ほどの判断を伝達に。領には新たな子爵に王宮への報告を――こんな段取りで良いですか?」
締めのようにムラタが告げるが、誰に向かっての言葉なのかがわからない。
だが今の子爵に引退させ、後継者となる者に子爵位を継がせる――そういうことになるなら、手続き的には、そういうことになるだろう。
出席者の数名が、思わず頷いてしまう。
途端にムラタは笑みを見せ、手を叩いた。
「はい。では会議の承認は果たされたということで」
ムラタが曖昧に言葉を発したのはこのためか、と内心臍を噛む者もいたが、時すでに遅し。
あっさりとムラタが会議を支配してしまっていた。
「ルシャートさん、トラブルが予測されます。通達する書記官に誰か護衛をつけて貰えますか?」
どうやら会議の終了を待たずして処理を実行するらしい。
ルシャートは、慌てた風も無くハミルトンに目配せした、
そのハミルトンも心得た者で、一礼すると会議室から退場してゆく。
やはり、ある程度は出来レースだったのか? と疑うに足る段取りの良さではあったが、それをいちいち指摘しても仕方ないだろう。
何しろ相手は、あのムラタだ。
「――では新しい子爵がやってきたら、それに付き合ってマドーラと共に子爵寮に向かうことにします」
皆がムラタの存在を諦めようとしていたとき、再び爆弾が落とされた。
「で、殿下を? 子爵領に?」
メオイネ公が流石に確認のための声を上げる。
「ええ。今のところ腹案だけですが。子爵領は海に面していますし、色々試したいこともあって、実に都合が良いです。それに加えて、マドーラには国内の様子を見せることが出来ますから」
「それは――必要な事であろうか?」
メオイネ公の立場としてはかなり思い切ったことを口にしたことになる。
かつてマドーラを祭り上げていた一翼であった公が、このタイミングでマドーラの出御に疑問を呈するのは、確かに危険ではある。
再び専横を目論むか、と言われても仕方のないところだ。
だが――
「メオイネ公のご懸念はよくわかります。実情を知ったことによってマドーラの判断力に翳りが現れるかも知れない、と」
ムラタは、メオイネ公の疑問に対して真摯に対応していた。
メオイネ公に疑いの目を向けることも無い。
それはメオイネ公への信頼か――あるいはメオイネ公を歯牙にも掛けていないか。
「そ、そうだな。儂もその点に危うさを感じておる」
――それは本当か?
と、思わずツッコミを入れたくなる様相であったが、この場では流すしか無い。
当の本人ムラタが、感慨深げに頷いているのだから。
「確かに王宮に座したままであっても王として、それも名君たり得る王は出現するでしょう。だが俺は素人ですからね。やはり地道な方法を採るべきかと」
――素人?
再び、ツッコミポイントが現れたが今回もスルー。
スルーするしか無い。
「じ、地道、というのは?」
慌てた風であったがメオイネ公は尋ねるべき部分を間違わなかった。
最初に危険な問いかけを行ったことで、良い意味で緊張感が持続しているらしい。
「俺の……つまりは“向こうの世界”での歴史を見る限り、市井の機微を知っていた方がまともな王になりやすい。例えばこんな王がいます」
ムラタは語り始める。
当時、王には修めるべき学問が存在していた。
基本的にその学問とは「古きに倣え」が基本理念であり、王を教えるべき学者たちも口を揃えて、その学問を説いた。
この段階で、典儀卿に必要なものは学識と主張していた者たちの胃が痛くなる。
ムラタの話の流れは、確実にそれが前振りに過ぎないことが明らかだったからだ。
そして、その予想通りに話は進む。
その王は登極するまでに市井での苦労を重ねており、その学問を馬鹿にしていた。
しかし学者たちは、口を酸っぱくして学問の大切さを説き続ける。
それに辟易した王は、ある時こう告げた。
「古きに倣う事が大切か?」
即座にそれを肯定する学者たち。
すると王は鼻で笑いながらこう告げた。
「ならば、ナイフやフォークなど捨ててしまって、手づかみで物を食べるのがその学問の真理だな」
学者たちは、一言も返せなくなったという。
「……もちろん、これは寓話じみていますから、そのまま受け取るわけにはいかないでしょうが、今の状況に通じるものがあると思われませんか?」
そしてムラタがそう締めくくる。
言葉を発するものは――
「し、してその王は?」
「もちろん後世に残る名君として名を残しましたよ。だからこそ素人の俺が参考にしようとしたわけで」
あっけらかんとムラタは答えるが、貴族たちにとっては何とも反応が難しいところだ。
強力な王の出現は喜ばしい事であると同時に、貴族たちにとっては厄介な事でもあるのだから。
だが、流石に王の育成ともなれば、安易にムラタの思うがままに事が運ぶとも考えにくい。
つまり名君の出現と同じように、ムラタの腹案に対して貴族たちは態度を決めかねているのだ。
「……では、とりあえず子爵領に出向くことが次の会議の議題、というわけか」
マドーラの行く末については曖昧なままメオイネ公が、強引にそう確認した。
それにムラタは「腹案」と確かに言っていた。
そうとなれば次の議題になるというメオイネ公の考え方には説得力がある。
一同も、新たな議題の出現に表情を引き締め直すが――
「実はその前に、やりたいことがありましてね……」
ムラタは出席者の思惑を裏切りつつ、タバコを咥えた。
――そしてシッポが鳴いて、火が灯る。
会議で偽名が口にしていた君主と、そのエピソードについてはモデルがあります。
あんまり本編関係ないので、その辺りは活動報告「ボッチ131話」にて説明してます。
興味を持たれたら、そちらをどうぞ。




