然れど進まず
ちなみに、これは間違いなく相談ですよ――
続けて発せられたムラタの台詞だったが、それで出席者がいきなり動き出せるはずも無い。
今まで完全にトップダウン状態だった会議が、いきなり“自由な発言”状態に移行するはずもないのだから。
だが、それでもある程度の順番という物はある。
即ち、
――次の典儀卿にギンガレー伯ではどうか?
という発言を肯定するか、否定するか。
まずは、その二択のどちらを選んでいくか? ということになるだろう。
「……これは難しいんじゃ無いでしょうか」
細巻きを指に挟んだルシャートが、ようやく言葉を発した。
立場としては否定になるらしい。
だが、それほど強い主張では無いように思える。
「難しいんですか? 理由をお伺いしても?」
ルシャートの発言を受けてムラタが丁寧に会議を進行させた。
ここだけ見れば、最初は助走が必要、と考えているようにも思える。
しかし、そもそもの問題としてムラタが本当に「活発な会議」を求めているとは、出席者のほとんどが思えなかったこともまた事実。
しばらくはルシャートととのやり取りを見守る。
これが妥当な判断と言えるだろう。
ある意味、当事者の1人であるはずのギンガレー伯も沈黙を守っている。
「さきほど言及されていましたが典儀卿のお役目として、まず深い学識が必要かと。現状では我々は伯の学識を知ってはいません。任命されるにしても、まずはその辺りを確認されるのが順当ではないでしょうか?」
なんとも説得力のある訴えではあった。
だが、ムラタは首をひねる。
「学識、必要ですか? 要は正しく罰の判断を下せればいいわけで、学識が必要であるという前提はいかなる根拠で?」
「そ、そうですぞ!」
不意にギンガレー伯がムラタの発言に乗っかってきた。
「学識となれば確かに、不安に思われる方もいるやも知れません。しかしながら良識という点では、ご信頼いただきたい。何しろ私は新参者故」
ただ乗っかるだけでは無く、嫌味を付け足してしまっている部分が積極的と見るべきか、発言とは逆に良識に不足があると判断すべきか。
マドーラの後ろに控える、アニカが露骨に顔をしかめた。
顔なじみの2人が会議室に現れたことで、もちろん最初は戸惑っていたギンガレー伯。
ムラタの突然の指名に対して反応できなかったのは、それも間違いなく一因だろう。
だが、ここに来て問題のムラタが、自分の典儀卿就任の後押しをしているように感じられたことで、ここは好機、とばかり前に出てきたようだ。
とりあえず、2人が現れたことは難しく考えない。
それに併せて自分の有利な点を躊躇無くアピールする。
この思い切りの良さはある意味で褒められる美点であるのかもしれない。
そして、さらにムラタがギンガレー伯を持ち上げた。
「そうですね。実務を担当する者がこの王宮にはいるわけですから、妥当な判断を下すことが出来れば……」
「儂からも良いか?」
たまらず、と言った風情でメオイネ公がムラタの言葉を遮った。
少なくとも、その行為によってムラタが怒り出す事は無い、と判断出来るほどにはムラタに慣れてきたメオイネ公だ。
何処かしら余裕のある表情まで浮かべている。
「もちろんですよ。会議らしくなってきましたね」
ムラタは、そんなメオイネ公の判断に保証を与えるように、にこやかに応じた。
逆にギンガレー伯にとっては、梯子を外された形になるが、特に焦った様子は無い。
ここでいきなり焦ってしまうような素振りを見せてしまえば、交渉も何も無いのだから当然と言えば当然だ。
だが、これを逆に考えると、メオイネ公の態度にもそういった駆け引きが含まれているということになる。
そのメオイネ公は、さらに余裕を見せつけるように、葉巻に手を伸ばした。
「やはり典儀卿には学識は必要だと考える。たしかに前任者には問題があったが、それは個人の資質に因るものであって、それとは別に学識は必要なのじゃ」
「理由もお願いします」
今のこの状況。
ムラタが良いように“異邦人”である事を利用しているように思えるが、いつものごとく、それを阻止する術は無い。
よって、メオイネ公も引き込まれたように話し続けてしまう。
本来なら、議論するまでも無い当たり前であったはずの部分にまで丁寧に。
「――学識とは即ち、数多くの前例を知るという事だ。つまり王宮としての判断にブレが無くなると言うこと。これが重要なんじゃ」
「そ、そうだ。その通り」
ついにリンカル侯まで参戦してきた。
太り肉を振るわせながら。
元々、メオイネ公とリンカル侯はギンガレー伯の勢力拡大には反対の立場を取っていたのである。
ここに来て、話が数ヶ月前の状態に戻った感もあるが、その状態にとどめを刺したムラタは、リンカル侯の発言にも余裕で応じた。
「それでは、ギンガレー伯を典儀卿には……」
「反対だ!」
「待っていただきたい」
即座にギンガレー伯から声が上がる。
「その辺りは優秀な実務担当が居るのではありませんか? さもなければ王宮のあり方を歪めてしまうような人物がある状況で、運営されていたのだから」
「それは……一理ありますね」
灰皿に手を伸ばしながらルシャートが、ギンガレー伯の発言を肯定する。
典儀卿と近衛騎士団の職務には不可分とも言える部分があるため、積極的な言葉では無かったが、その言葉は重い。
「そうとなれば、新しい典儀卿には良識ある事こそが必要なのでは?」
「まさしくその通り」
意外と言うべき人物から賛同の声が上がった。
メオイネ公だ。
となれば、単純な賛同ではありうるはずも無く、公は続けてギンガレー伯が良識の持ち主であると、いかように保証するのか? と続けて反撃の糸口とした。
こうなると、議論の中心は移ろい始める。
次の典儀卿についてでは無く、個人に向けての誹謗中傷ギリギリの発言が飛び交うことになるからである。
この低レベルとも思える論戦こそが、メオイネ公の狙い。
このまま何も結論が出ないままであるならば、それはそれで公の望みは叶うのだから。
しかし、元よりこの論戦は1月前の状態では十分予期されていたことでもある。そうとなればギンガレー伯の準備も十分。
あれはこれやとメオイネ公、及びリンカル侯への攻撃を繰り出し始めた。
随員が許された事によって、さらに資料が飛び交い、タバコの煙は充ち満ちて、辛うじて怒号にはならない音量での、言葉のぶつけ合い。
まさしく――会議ではあった。
それは、いくら時間を費やしても有意義な結論が生み出されない、無為な時間。
――無為?
彼らは、見失っていた。
それをもっとも嫌う人物がすぐ側にいることを。
ムラタは表情に色を付けぬまま、マドーラが座る椅子を操作する……
□
果たして、いかほどの時間が経過したのか。
出席者の視野が狭窄し、ただ自分の言葉を紡ぎ出すことだけに躍起になっている。
そんな状態の中、またもやルシャートが口火を切った。
「――ムラタ殿。何をされているんでしょう?」
「ああ、ええ、実際に子爵領の住人を全滅させるためには、いかな手段を用いれば良いかと」
名前を呼ばれたムラタは、焦ったように答えを返した。
内容が果てしなく不穏当なものであった事も手伝い、議論に熱くなっていた面々の心胆を強制的に冷却する。
そのムラタが会議を放っておいて、何やら話込んでいるのは、ハミルトン、メイル、アニカであった。
真の被害者は、この3人であったかも知れないが――ハミルトンだけは単純に窺い知れるような表情では無かった。
彼自身も特殊なスキルの持ち主であったからかも知れない。
「お、お主、それはせぬ話になったのではないか!?」
リンカル侯が勢い込んでムラタに尋ねた。彼の息子がムラタ側に付いたようなところも、侯を落ち着かせぬ原因なのであろう。
ムラタはそんな侯に一つ頷いて、返答する。
「もちろん。実際には先ほどの言葉通りに」
「そ、そうか……」
「単純にハッタリだけと思われるのも業腹ですから」
落ち着きを取り戻した侯をもう一度揺さぶって、ムラタは会議室に目を向ける。
「皆さん、議論お疲れ様でした。まず皆さんのご様子はきっちり見届けさせて貰っています――次期国王がね」
今度こそ――今度こそ間違いなく、全員の肝が冷えた。
ほんの1月前までは、居ないかのように振る舞っていた女の子。
だが現在――決して無視してはいけない存在となっているのは間違いない。
神秘性が感じられる衣服に身を包み、ただ貴族たちを見つめていたマドーラ。
その身は“異邦人”の椅子に護られていても、彼女自身もまた侮るわけにはいかない王の資質を示している、
そんな女の子を前にして、一体何をしてきたのか――
ムラタは、そんな理解が浸透したことを確認して、こう告げた。
「では、マウリッツ子爵の処理を決めましょう」
その言葉に、一同は虚を突かれた。