言葉とは必要があるからこそ
ムラタは悠然とタバコを燻らしている。
出席者のほとんどが顔を青くする中で、不自然さを感じるほど大胆に。
「……お、お主……ど、どういうつもりだ?」
怒りか――あるいは恐怖に押し出されたようにリンカル侯が発言する。
途端、ムラタは相好を崩して、こう告げた。
「その点はお気になさらずに。様々な改良を重ねた結果、マドーラの前で喫煙に及んでも影響が出ないように工夫しましたから」
「な、何を……いや、そうではなく」
リンカル侯が繰り出した穂先を明後日の方向に受け流すムラタ。
それを出席者の中でルシャートただ1人が頷いていたが、他の者は戸惑うばかりだ。
先ほどのムラタの発言の真意を確認したいところではあるが、それによって決定的な事態になってしまうことも恐ろしい。
ムラタはそういった出席者の心根を見透かしながらも、あえて委細構わず話し続けた。
さらに皆を混乱させる方向に。
「あ、そうそう。せっかくの会議ですからじっくりと行きましょう――お願いできますか?」
その言葉を合図に、侍従たちが一斉に動き出す。
そしてテーブルの上には灰皿と、それぞれの出席が好みの銘柄のタバコと細巻きが用意された。
いつの間に、こんな打ち合わせを……などと驚く者はいたが、それを喜びと共に受け入れた者は皆無と言っていいだろう。
ムラタはこの御前会議に関して十分やる気があることが窺えたし、であるならば欠席者は……
なんとも暗澹たる気分に陥ること間違いない。
「食事とは行きませんが、紅茶、珈琲などの飲み物もご存分に。お茶請けレベルの軽い菓子もありますよ。頭脳労働には甘い物は必須ですから」
ムラタの発言は続き、侍従たちはその声に応える。
もはや説明の必要は無いだろう。
――ムラタは王宮を支配した。
その事が否が応でも伝わってくる。
当の本人は、マドーラからの「自分もお茶ぐらいは欲しい」というクレームに対して、何やら焦り気味ではあったが。
「そ、それで、先ほどリンカル侯が言いかけた件だが……」
「ああ、処理の件ですね」
ムラタはタバコを燻らせながら応じる。
マドーラからの追求から逃れるのにちょうど良かったのだろう――そんな風に感じられるほど、その声は明るく軽い。
何とかしようと声を発したメオイネ公であったが成果は確認出来なかったようだ。
だが話の方向の修正には成功したらしい。
「まず先に確認しておきましょう。欠席者はマリウッツ子爵で間違いないですね?」
「あ、ああ」
「役職は典儀卿……これが俺の知識ではよくわかりませんでしたが、王宮で何か判断するときに前例から基準を定める――こういう理解で問題ないですか?」
「む……」
その確認にメオイネ公が押し黙る。
典儀卿は典儀卿。
そういう認識でいたのだから、その職能をとっさに言葉にするのが難しいのだ。
「それで間違いは無いかと。他にも仕事はありますが主な物はそこでしょう」
ルシャートが細巻きに手を出しながら発言する。
「単純な推測ですが罪人に適当な罰を与えるのは……」
「まさにそれです。近衛騎士団とは関わりが深くて」
言いながらルシャートは皮肉な笑みに細巻きを差し込んだ。
そのまま、パチンと指を鳴らして火を点ける。
「なるほど。やはり俺が知っている、ある仕事に似ている部分がありますね。ただ、この国ではなかなか難しいでしょうが……やはり博識であられる」
「そうですね。と言うよりもまず学識豊かで無いと務まらないお仕事ですから」
ムラタは確認するように、一同を見渡すと三々五々頷きを返すものがいる。
「そういう評価が無いと典儀卿にはなれないと……これはなんとも曲学阿世の最たるものだな」
「キョ……なんですって? そちらのお言葉ですか?」
ルシャートが続いてムラタの言葉に応じる。
ムラタは、そのルシャートの問いかけに驚いたような表情を浮かべた。
そして、
「これは翻訳できない……? お行儀の良い世界――いや元の世界が薄汚れているのか」
と、半ば独り言めいた言葉を続ける。
それに反応できる者は……1人だけいた。
マドーラだ。
「ムラタさん、後ほど教えて下さい」
「そうだな。君は知っておいた方が良い……と言うかこれからの処理で大体わかると思うが」
謎の言葉に興味を覚えたマドーラに、身も蓋もないことを告げるムラタ。
それに繰り返される“処理”という言葉。
出席者は生殺しのまま放置されてしまっているが、それもそろそろ限界だろう。
それを見越してのことか、ムラタはタバコを携帯灰皿に放り込みながら、こう告げた。
「――マリウッツ子爵には引退してもらいます。典儀卿なる役職からも当然退いて貰う」
ついに“処理”の内実が明かされる。
思ったよりも大人しめに感じるが、貴族を――それも役職付きの相手を――問答無用で退かせるのだ。
十分に無茶であろう。
「そ、それは、いかなる理由で? この場に出席していないからか?」
リンカル侯が決死の表情でムラタに尋ねる。
侯にしてみれば、ムラタの判断基準を知りたいところなのだろう。
以前、自分自身が招集された会議を欠席している身としては、気になるのも仕方がない。
だが、それを今更確認したとろでどうにもならない事柄でもあるので――これは、よく言って気休めというところだろう。
「それだけで十分、首を刎ね飛ばしたいところです」
そんな気休めなど無に帰するかのように、あっさりとムラタは答える。
しかもムラタの言葉はそれで終わりでは無かった。
「俺に対して、たかだか貴族風情で身の程を弁えないにも程があります。一体何様のつもりなのか。それに加えて、職務を聞いてみて、さらに許せなくなりました」
あまりに傲岸不遜な物言いだったが、それに対する反論は出てこなかった。
ここまでムラタが怒りをあらわにしている姿を初めて見たことも理由になるだろう。
そして、先日見せつけられたムラタの武力。
もはや、何をどうしてもこの男を掣肘する術がない――これが共通認識となっているのだ。
「……許せない理由を伺っても?」
沈黙の帳が降りた会議室の中、1人ルシャートだけがムラタに尋ねる。
ムラタは新しいタバコを咥えながら、口を開く。
「典儀卿は学識も豊かである、と言うことは、まず指摘しなければならない」
「何をでしょうか?」
「決まっています。これまでのマドーラの扱い、及び、近衛騎士団の排斥。これに賛同した者にこそ罰を与えねばならない。王家を蔑ろにする王国が正しいとでも?」
ムラタの問いかけに答える者はいない。
いや答えられる者がいない、と言った方が正しいのだろう。
「それに加えて、そのような振る舞いに対して特殊な前例を持ち出し好きなように解釈して、自分の好きなように作り替えてしまう――豊かな学識で以てだ」
ムラタの咥えるタバコが赤く発光する。
「あまりにも不明。職務に対する能力の不足のみならず悪辣な濫用――本来なら子爵領の領民全員殺し尽くすべきだ」
怒りの声と共にムラタは虐殺を宣言する。
皆が声を失う中、さらにムラタの言葉は続いていた。
「何故そうなるのか? 話は簡単、実際に子爵を誅してしまえば収まらない者もいるでしょう。詰まるところは戦になる。となれば敵だ。そして俺は敵に容赦など絶対にしない。領民はわけもわからぬまま戦に駆り出されることになる――確かに彼らにとっては不条理であろうが、この国のシステムがそもそもこういう風に出来ているのです」
ムラタは会議の出席者を見下ろす。
「貴方たち領を持つ貴族には、それ相応の覚悟が要求されているのです。貴方たちがバカをやらかせば、多くの人命が消費される。それをわかって貰うためにも、子爵領には犠牲となって貰おうかと思っていましたが……マドーラがそれを止める」
全員がハッとなって、次期国王の存在に気付いた。
どうやらマリウッツ子爵の運命は、この会議に出席していたとしても決していたらしいことに、全員が気付いた。
ムラタとマドーラの間で、すでに結論は出ているらしい。
「俺は、これを許したら王国が立ちゆかないと反論したんですが、全員殺してしまっては、その後の“処理”がとんでもないことになるのでは? と言われてしまいまして」
マドーラは変わらず冷徹に、ムラタに反論したらしい。
民を思いやって、では全く無かったが――そもそも子爵領の住人とマドーラの間の関係性は難しいところだ――結果として、ムラタの虐殺を止めさせることに成功したらしい。
「そんなわけで殺さないとなった以上、その方向で“処理”することとなりました」
その方向とは即ち、引退と退職だ。
ムラタは最初からそう言っている。
あまりに過激なことを言い出すので、皆忘れてしまっていたが、マリウッツ子爵にはこのような温情が与えられていたのだ。
――いやこれは温情だろうか?
何やらムラタの言葉に良いように操られている気もするが……それを指摘する者はいない。
嵐は無事に頭上を通過したのだ。
いや無事であったのだと、信じたいのだ。
そんな祈りの中、再び携帯灰皿にタバコを放り込みながらムラタが発言する。
「――で、そういうわけですので典儀卿の席が空きました。なかなか重要な職ですが、後任はどうしましょう? あ、ギンガレー伯いかがです?」
「は?」
その言葉はあまりに呆気なく告げられた。
告げられたギンガレー伯も、呆然となるばかり。
――会議は第二幕へと移行した。