2人はアリジゴク
「つ、使えるって……!」
マドーラは可哀想な女の子はずだ。
それをイチローが――ムラタが現れてその状況が変化したはずで……実際に会って、大人しくはあったけど普通の女の子だと。
少なくともメイルとアニカは、そう考えていた。
だから、突然放たれたマドーラの――普通の女の子からの、冷徹なその言葉を受け止めることが出来なかった。
「――俺は2人に引き取って貰おうと考えた。何しろ俺は危ないことは基本的に避ける主義だ」
慰めるつもりなのか、ムラタが2人向けて語りかける。
今までより、ずっと上機嫌に。
「実のところ、未だに君たちが何者かに脅されている可能性も捨てきれないし、他にも危険が考えられる。それに俺は、人との関わりは避けたいんだ――これは理解して貰えると思う」
「それは……そう、だね」
メイルがムラタの言葉に、渋々頷いた。
何しろ2人の申し出を全て断って、いつの間にかノウミーから消え失せた男である。
ムラタは笑みを浮かべる。
「そんなわけで、帰って貰おうと思ったが、それを待つように言ったのは彼女だよ」
「殿下が? ……ああ、それで。でも――」
アニカが反応するが、やはり未だに処理しきれないらしい。
ムラタはそれに構わず、マドーラに向き直った。
「……君の言葉の選択にも問題がある。実際に“使えるかどうか”は君の立場では重要なところだから、そう考えることは悪くない。だけど人を相手にするのに、何事も明け透けにする必要は無い。この場合は――そうだな」
ムラタは、指を一本立てた。
「“見込みがある”ぐらいかな」
その言葉にマドーラはこっくりと頷いた。
「ちょっと!」
たまらずメイルが声を上げる。
それは子供に何を教えているんだ! という義憤に似た感情の発露ではあったが、マドーラの生い立ちは、最初から“普通”の子供では無いし、今から“普通”に戻れるはずも無い。
――彼女が生き続ける限り。
その厳然たる事実は、メイルが持っている善良さを打ち砕く。
メイルもすぐに悟ったのだろう。
目の前の女の子の特殊性に。
「とにかくそんなわけで、2人はマドーラに見込まれたわけだ。マドーラ、自分で説明を」
再び、マドーラはこっくりと頷いた。
まるで、打ち合わせでもしていたように。
「お願いしたいのはギンガレー伯の……伯を調べることです」
だが言葉選びには苦戦しているようだ。
今、苦労しているのはムラタに言われたように、言い方を考える以前に、適した言葉がとっさに思いつかないからだろう。
簡単に言うと語彙が少ない。
逆に言うと、そういう状況でありながら、マドーラはきっちりとメイルとアニカの、持っていた可能性に思い至ったということになる。
「……調べるって、例えば?」
アニカが敬語をくっつけるのも忘れ、尋ね返してしまった。
相手が“普通”の女の子では無い、と無意識の内に理解してしまったのだろう。
マドーラは、アニカの問いかけに、えっと……、と口をモゴモゴさせてしまう。
そんな様子を見て、即座にムラタが口を挟んできた。
「すまないが、俺からの説明でも良いか? マドーラは俺がずれていたら、言ってくれ」
「う、うん、いいわよ。よく考えたら、これってあたしたちの愚痴に関係してる?」
「図らずも、だな。マドーラが2人を見込んだのは、別の理由からだ」
そこでムラタは、そもそも自分がギンガレー伯を調べることが出来なかった事を愚痴っていたことを告げた。
そして調べようにも、マドーラの側から長期間離れることも出来ない。
そんな状況で欲するものは、自由に動ける協力者だ。
じかし王宮で強引に地歩を獲得したばかりでは、そんな便利な存在にアテがあるはずもなく……
「……そんな時に現れたのが君たちというわけだ」
「何だか話がおかしなところがあるし、そもそも何故、伯を調べようとしてたの?」
「伯が潜在的な敵になると踏んでいるからだ」
アニカの性急な追求に、それに劣らぬ速度でムラタが告げる。
そのまま、マドーラが数日前までどういう状況だったのかを説明。
そのマドーラを巡り、貴族たちが対立していたこと。その状況に飛び込んできたのがギンガレー伯で、貴族たちの間に波風が立つはずだった事を告げた。
最終的に、今の小康状態になったわけだが……
「やっぱりイチローって強いんだね」
「恥ずかしながら、そういうことになっている」
メイルの率直すぎる感想に、ムラタがふて腐れたように応じた。
だが、そういう言葉が出てきたと言うことは、ギンガレー伯に対してのムラタの説明が一段落ついたことも示していた。
アニカが、舌鋒緩めぬままにさらにムラタを追求する。
「……で、伯の情報はどうして?」
「知らないよりは知っていた方が良いのは当たり前だろ。何とか敵対しない方向に持って行けないか――そういう心づもりもある」
「敵対する可能性は?」
「そういうことになったとしても、やはり必要なのは情報だろ」
のらりくらりと交わすムラタ。
アニカは焦れたように、ムラタを睨みつけた。
ムラタはそんなアニカを見て、一つため息をつく。
「……言いたいことはわかるよ。さっきの“話におかしいところがある”についてもだ。だけどこれは、俺が勝手にマドーラをわかった気になっている可能性がある。ちょっと確認しても良いか?」
「そこの話がよくわからないんだけど」
「うん、まずはマドーラに確認するから」
メイルをいなしながら、ムラタはマドーラに確認する。
「君の判断は、最終的な部分でも彼女たちに“見込みがある”と考えてのことか?」
「そこまでは。だけど、こちらから……えっと、出来るかも知れないことを減らしてしまう事も無いと思ったので」
「ふむ……他に考えたことは?」
「2人はギンガレー伯と喧嘩? ……しているのでしょう?」
マドーラが不意に2人に確認した。
喧嘩という表現は直接的ではあるが、すでに愚痴が溢れてしまってしまっている。
――とにかくムカつく!
という心境である事は間違いない。
その確信がある限り、ここでマドーラの確認に対して首を横に振るわけにも行かなかった。
マドーラはそんな2人の様子を見て、ムラタへの説明を続ける。
「2人と伯が、仲良く……ではなく喧嘩しない? ……えっと、そうではなく喧嘩出来ないようにすることが出来るなら、2人はきっと協力してくれると思いました」
「一応確認するが、実際にそれをするのは――」
ムラタのその言葉に、マドーラが淡々と応じる。
「ムラタさんです」
「それに伴って予想される危険についても……」
「それもムラタさんです」
続けざまに言われて、ムラタは泣き笑いの表情を浮かべた。
だが、マドーラに声を上げることはしなかった。
ムラタであれば、マドーラの「2人を部屋に入れよう」という提案を受け入れた段階で、こういう役目が割り振られてしまうことを覚悟していても不思議は無い。
マドーラに確認――そういう名目で始まった質疑応答であったが、それはムラタのためでは無く、2人に改めてマドーラという少女が、どういう少女なのか見せつけるためなのであろう。
そして、それは効果的にメイルとアニカを揺さぶっていた。
いきなり現れることによってイチロー=ムラタを驚かせようという、悪戯心があったことは間違いない。
つまり、軽い思いつき、というのがこの場に乗り込んだ2人の本当のところだ。
だが――
ムラタとマドーラ。
1人ずつであるなら、躱せるかも知れない。
だけど、この2人が揃っていてはダメだ。
マドーラは瞬時に肝心な部分を見抜き、ムラタはそれを的確に形にしてしまう。
仕方のないこととはいえ――安易な覚悟で踏み込んではいけなかったのだ。
特にアニカは十分警戒していたはずだ。ノウミーでは賢者として扱われていた。それなのに、簡単にあしらわれてしまった。
子供に子供扱いされてしまったのだ。
これが多くの人が蠢く王都。そしてその頂点たる王族。
さらに、まったく得体の知れない“異邦人”――警戒を心がけるなら、彼女たちこそ近付いてはいけなかった。意趣返しなど、考えてはいけなかったのだ。
結果ギンガレー伯の情報を絞り出された。
そして、ギンガレー伯の掣肘を約束してくれたことが精一杯で……
気付けば、どうにも引き返すことが出来ない深みにはまっていた。
冒険者であるという、アイデンティティを失いかねない可能性。
だがそれをムラタは強要することは無い。
いつでも辞めて構わないと告げる。
だが、そうすれば――そうすれば……
「では、取りあえず協力して貰えると言うことで――お待たせしましたキルシュさん」
ムラタが、奥に控えていたキルシュを呼んだ。
「申し訳ありませんが連絡要員としても彼女たちは欠かせなくなり、つまりは採用です」
「では……」
「はい。彼女たちを鍛えるしか無いですね。侍女として、格好がつくぐらいはお願いします」
運命は決した――