“神”
さて、さっさと街を出るか、とバックパックを背負い直して騒動があった南側を避けて北側に向かう。
こちら側を目指したのは、南より圧倒的に“出やすい”と言うこともレナシーさんから聞いていたからだ。
「人は城、人は石垣、人は堀」では無いだろうが、冒険者の武力に頼りすぎな気がするな。
門以外の場所から、外に出られる……外から内に入りやすいよりは良いか。
取りあえず、俺が出現したと思われる丘を――
――と視線を上げていたのがまずかった。
何だか年代物の風格を備えた建物の前で、まだかなり早いはずなのにバケツを持ったおじさんと目があってしまったのだ。
おじさんは貫頭衣にも見えるあっさりとした濃紺の服。首から随分重そうなペンダント。
いや、これはペンダントでは無く……
「随分お早いですな! おやこれは、もしかすると“異邦人”様ではありますまいか?」
速攻でバレるし。
その対策の必要性を感じながら、建物をもう一度確認してみると、ひときわ高い部分に、何らかの意匠が込められた金属が掲げられていた。
これが十字架なら、一目瞭然だ。
ここは教会で、このおじさんは神父――いや牧師の方が良いかな。
とにかく無視だけは避けよう。
「おはようございます。こちらの方ですか?」
わかりきったことを尋ねてしまうが、それぐらいしか会話の入り口が無い。
黙って去って不審感を抱かせるよりは、適当に会話して日常の一コマに落とし込んだ方が、逆に印象に残らないものだ。
牧師さんもにこやかに話し続ける。
「左様です。これはもしかするとお見舞いでしょうか?」
お見舞い?
……
…………あ。
「――お、おわかりですか。昨日は冒険者ギルドがお祭り騒ぎで。ようやく機会を得ました」
「なるほど。賢明ですな」
「外でお目にかかるとは考えてませんでした。突然の訪問、お許し下さい」
「なになに。私には朝のお勤めがありますからな。ではこちらへ――」
――の、乗り切った!
重要なのは「お見舞い」という言葉。
これだけで詰めるのも乱暴な話だが、俺のスキルを見ようとして倒れたロランが運び込まれた場所。
これは「教会」に類した建物が妥当な判断だろう。神聖術という話もあったしな。
そして今さら隠しようも無い“異邦人”としての特徴。
治療にあたったなら、その辺りの事情も知っているに違いない、と判断しての賭けだったが、なんとかなったようだ。
俺を案内しながら、おじさんは「パウルスと申します」と自己紹介。俺も「イチローです」と偽名紹介。
そして、さほど大きくも無い建物の一番奥の部屋へと導かれた。
部屋の中は寝台一つだけの簡素に過ぎる部屋だ。
だが掃除は行き届いているらしく清潔感が感じられる。
寝台の上には、僅かに寝息を立てるロラン。
未だ頼りない光の中にあって、存在自体に儚さを見出してしまいそうだ。
「彼の容態はどうですか?」
「……今は落ち着いております。しかしながら――」
「難しいんですか……」
そこで俺に対する敵意や疑いを、パウルスさんから見られなかった事を遠回しに尋ねてみた。
パウルスさんは破顔一笑という言葉の通りに、笑い皺を一杯に浮かべ、
「これは他人の手によって引き起こされたものではありません。一番近い症状は魔法や術を使いすぎた場合の『精神疲労』――この言葉でわかりますか?」
「初めて聞く言葉ですが、理解は出来ます。すると彼はやはり……」
「ええ。自分のスキルによってこのような事態になったのでしょう」
「念のためお伺いしますが、やはり俺とは関係が……」
「ええ。聞けばイチロー様は手を触れても声を出してもいらっしゃらない。間違いなく原因は彼自身のスキルによるものです」
そうか……
彼を見舞ったのは完全に流れに乗っただけだ。
だが、あわよくば俺のスキルを知るための手掛かりを掴めれば、とも考えていたのだが、上手くいかないものらしい。
一応、少しばかり抵抗してみる。
「確かに俺に害意はありませんでしたが……俺のスキル自体に問題があるのでは?」
「イチロー様、そのように自分を責めるものではありません」
聞き馴染んだ、イヤな台詞が返ってきた。
「仮にそうであったとしても、イチロー様ご自身に何ら問題は無いご様子。やはりイチロー様がお心を痛めることはありますまい」
これ以上尋ねるのは無益か、もしくは危険だろう。
俺は頷くと、せいぜいそれっぽく見えるように寝台の横にひざまずく。
さて何秒ほど、こうしていようか。
「……しかし彼には災難な事でした。我々も何かしら治す手立てを考えておりますが、あるいは――
――何?
俺は思わず立ち上がっていた。
その後、まるで機械人形のような、何処か重心のずれた動きでパウルスさんへと向き直る。
そして肩を掴んでその目をじっと見つめた。
「――失礼。今なんと仰いましたか?」
「え、ああ、ああそうですね。“異邦人”には馴染みの無い言葉でしたか。影向と申しました」
確かに馴染みの無い言葉だ。
しかし意味は知っている。
だが、スキルか何かの暴走の可能性はある。
まともに言葉を訳していないのでは?
「パウルスさん。その言葉の意味を、教えていただけないでしょうか?」
慎重を期すためにも、ここで手抜きは出来ない。
「も、もちろんです。影向とは神が御身を人と変え、その姿を我々の前にお示し下さることです」
「それは光と共に現れて、何かしら奇跡を起こすと行ったような……いや、それでは人に変わるとは言いませんね」
「ええ。人と変わらぬ、お姿となり我らをお導き下さる。それが影向です」
「……これは俺が“異邦人”だからと言うことで、ご容赦いただきたいのですが」
俺の内に“ハッキリした違和感”というような矛盾した何かが渦巻いているのを感じる。
いや、ハッキリさせるとマズい。
そんな焦りにも似た、それでいて渇望に似た感情が――
「まるで……“神”が実在しているかのような」
そんな感情を投げ出すように、俺は乾いた声で尋ねていた。
パウルスさんは、俺の言葉に困ったような笑みを浮かべ、
――神はおわします。
――たびたび現れては、人間を導いて下さるのです。
そう言うのだ。
確信にたどり着いた声音で。
俺の常識では狂信のそれとまったく変わらない内容を、おだやかに。
「……神がいる」
俺は、自分で口に出して、それを確認した。
神はいるんだ。
「ええ。ですからロランさんにも必ず救いの手が差し伸べられることでしょう」
パウルスさんは、あの笑い皺一杯の顔で精一杯頷く。
恐らくそれは、俺がロランのことで俺が気に病んでいる、と考えてくれてのことだろう。
だが俺は……
俺は……
……
…………なるほど。
俺の知ってる“常識”では神なんぞ、どこにもいない。
だからこそ諦めも付いた。
だが、そんな不条理に人格があるのなら。
神という名で、実在しているというのなら。
俺は笑みを浮かべた。自分が笑っていることが嬉しくて、さらに大きく笑った。
「そうですよ、イチロー様。何も不安になることはありません」
「……ありがとうございます。“異邦人”である俺には実感が今ひとつでしたが、今わかりましたよ――神がいる――この世界の素晴らしさが」
その言葉がどのような意味を持っているのか。
パウルスさんは気付くまい――気付かなくて良い。
しかし、俺はついにこの世界でするべき事をハッキリと理解することが出来た。
そうだ。
八つ当たりだとわかっていても――
――神に落とし前を付けさせる。
それに、いきなりこの世界に放り込むという暴挙は、八つ当たりでも何でも無く神の罪だ。
おそらく神の罪であろう、スキルの不具合も利用してやる。
決意を固めたその時、眼を刺すような朝の光が飛び込んで来た。
強烈な光が、俺の影をこの世界に刻みつける。
ああ俺は――
――こうして俺は今度こそノウミーの街をあとにした。
ここで一区切りです。
続きもよろしくお願いします。
“イチロー”とはここでお別れになります。




