ルシャート、歩を進める
待つこと3分ほどであろうか。
「ゼラニウムの間」から外に出ていたムラタが満ち足りた表情で、部屋に戻ってきた。
その様子を半眼でジッと見据えるルシャート。
漂うのはタバコの香り。
「……何故わざわざ外に? それにお掛けになればよろしいのに」
国王を憚って、などという理由でないことは確実――などとはルシャートもわざわざ説明したりはしない。
それに対しムラタは、悲しげな表情で首を振りながら。
「子供の前でタバコふかすなんて出来ませんよ。成長に悪い」
と告げた。
確かに次期国王を憚ってはいないが、子供に対してはキチンと憚っているらしい。
タバコが成長に悪いという話は初耳だったが、そこは“異邦人”の言い出すこと。
まず間違いないのだろう。
「殿下。やはり、ムラタ殿は殿下の前では吸いませんか?」
「………吸ってないですね。そうキルシュが教えてくれました」
しっかりと思い起こしながら、マドーラがそう答えると、ルシャートはなんとも言えない表情を浮かべた。
“埒外”には違いないが“埒外”なりの分別があるらしい。
マドーラは敏感にそれを感じ取ったようだが……
「それでは要望の続きです」
「あ、はい」
不意を打たれた形になってルシャートが反射的に応じてしまった。
「マドーラは当然として、先ほどマドーラが名前を挙げたキルシュさんにも護衛をつけて貰いたいんです。もちろん彼女が休みの時です」
「すいません、キルシュという方は?」
「……マドーラ付きの侍女ですよ。どうも――」
そこで口元を抑えながら、ムラタの言葉が止まる。
マドーラの資質に触れたことで、自らを律し感情を抑えようとしていたルシャートが瞬時考え込む。
ムラタは何を言い淀んでいるのか?
まず思い当たるのは――
「――ご懸念については王宮というか、私も含めての“クセ”が原因です。意図的に無視しているのでは無く、関わらないように身についてしまっている。どなたの派閥にあるのか、わかりませんから。そして派閥という看板が無ければ――」
「逆説的に誰からも意識されない――そうでしたか。つまりはマドーラ付きであるという以外の“要素”が無かったから……」
言いながら、今度はマドーラを見つめるムラタ。
それに対して何の反応も示さないマドーラ。
口元を覆うムラタの手の指先が、タバコを燻らすように動く。
だが結局、ムラタはマドーラには何も言わず、ルシャートにこう告げた。
「……とにかくキルシュさんにも護衛は必要ですね。言うまでも無く、彼女はマドーラの最大の弱点なり得ます。マドーラ以上の護衛が必要なほどです」
「そうですね。そのための人員を用意しましょう」
あっさりとルシャートが応じる。
それと同時にマドーラの身体が緊張した。
それを黙って見つめる、ムラタとルシャート。
しかし、それでも何も話しかけたりはしない。
マドーラの以前までの状況で、完全な味方が側にいること自体が異常ではあったのだ。
それでも、キルシュを側に起き続けたことはマドーラの唯一のワガママ。
それを弱点として利用される――キルシュの身に危険が及ぶ可能性をマドーラは恐れて、あの様な状態になっていた。
ムラタはそれに加えて、マドーラにも譲れない点があることを読み取っていたし、ルシャートもこの僅かな時間でキルシュの重要さを理解した。
そしてそれはマドーラも同じだ。
今までとは立場が違う。
ただの傀儡予定から脱却し、今は圧倒的な武力を持つムラタと組んでいる。
その立場の変化は、マドーラだけでは無くキルシュの立場の変化を意味しているのだ。
その変化を強制したのはムラタではあるわけだが……
「ご面倒をお掛けしますが、近衛の方々にはよろしくお願いしたい」
「心得ました。ご安心下さい。しっかりと見せつけてみせます」
ルシャートが柔らかく微笑む。
だがそれだけに、その宣言には大らかに受け止めてくれるような安心感もあった。
それに誘われたわけでは無いだろうが、ムラタがさらに続けた。
いささかバツが悪そうに。
「実はですね……」
「キルシュさん以外の、侍女についてもですね?」
その言葉にマドーラが驚いたように身じろぎする。
そんなマドーラの様子に、ムラタは笑みを浮かべた。
「だから、休みが必要だって言っただろ? 団長たるルシャートさんはさすがにわかっている」
「殿下。名前も存じ上げなかった私が申し上げることではありませんが、キルシュさんを大事に思われるのなら、必ず休暇も必要です。キルシュさんの優しさに甘えてはいけません」
大人2人からの言葉に、マドーラは渋々頷いた。
どうやら、この件に関してはマドーラはしっかりとした態度を示していないか、あるいはその逆に曖昧な態度を続けていたのだろう。
もしくは、前言を翻す――そういうやり取りがムラタと繰り広げられたようだ。
そういう2人の姿を想像して、ルシャートの胸の内に自然と疑問が持ち上がった。
「……殿下はキルシュさんと?」
何とも不明瞭な問いかけだが、ムラタは肩をすくめて応じた。
「マドーラの生活面に関してはキルシュさんに頼り切ってますよ。というか、これって当たり前だと思うんですけど。メオイネ公にも聞かれましたが、どうして俺がマドーラの生活の世話していると思われるんでしょう?」
「そんなの当たり前です。貴方が“狼藉者”で、殿下が“人質”だからですよ」
間髪入れずに返ってくるルシャートの答えに、ムラタは憤慨したように眉を逆立てた。
「俺は手を組んだ相手として、しっかりマドーラのプライバシーは守っているつもりなんですよ」
ムラタの反論に、ルシャートは逆に柳眉を顰めた。
「ぷ、ぷ……何ですって?」
「ああ、これ翻訳されないのか。つまり……マドーラの個人的な活動には極力干渉しない、ということです」
ルシャートは首を傾げた。
今度は言葉の意味はわかるが、具体的にはイメージできなかったのだ。
それはムラタも察したのだろう。
視線を彷徨わせて、意を決したようにマドーラを見やり、最終的にこう告げた。
「これも当たり前ですが、一番わかりやすい例を挙げるとしっかりと施錠できる部屋でマドーラとキルシュさんには休んで貰っています」
「ああ……そういう」
と、一瞬は納得しかけたが、それでもやはり変だ。
いや、今まで漠然と感じていた疑問がこの時になって、ルシャートの胸中で具体的な形になったと言うべきだろうか。
ムラタは決してマドーラを人質に取っているわけはない。
その関係性は確かに、互いを協力者と認識しているように思えた。
(――で、あるなら)
ルシャートはついに思い当たる。
(ムラタの目的はなんだ?)
と。
「……ムラタ殿」
「はい。呼び捨てで構いませんよ。もっとも適当な名前ですが」
胡散臭いことこの上ない答えが返ってきたが、ルシャートは真っ直ぐにムラタを見つめ続けた。
考えれば、このようにずっと立ち続けているムラタの振る舞いも何とも不気味だ。
“埒外”
確かに、何か別の――想像もつかない目的があるように思えてきた。
ルシャートは、思わず唾を飲み込むと意を決して、こう告げた。
「貴方はこの国で、何を企んでいるのです?」
企む。
そう告げてから、後悔と納得が同時に押し寄せてきた。
マドーラの立場を変化させたのは確かにムラタだ。その点では恩人に等しい。
そんな人物に“企む”などとは、何とも無礼極まりない言い様では無いか――しかし、まさしく“企む”という言葉が、ムラタの印象に合致する。
そして、その印象に従うというならば忠義を誓うマドーラに害が及ぶ可能性すらある。
だから、この場ではしっかりと見定めなければならない。
ああ――だからこそ。
ムラタは、それを見越しているからこそ、この会合を非公式にしたのではないか?
そんな混乱に陥ったルシャートを弄ぶように、ムラタの告白が始まった。
その内容は以前、マドーラに語ったものと大差は無い。
だが、ルシャートは的確に言葉を添え、マドーラよりも多くの情報を引き出した。
古本屋で「ムラヤマ」とルシャートが会っていた事実も、その助けとなった。
そして3人の距離感は縮まり、結果としてルシャート――ひいては近衛騎士団の苦労も増大することになる。
いやムラタの欲求はすでに今の騎士団の規模では対応が難しい――完全にキャパオーバーだ。
それでもルシャートは何とか応えるべく覚悟を決め、そこにムラタがそっと囁く。
――我らとさらなる協力態勢を築かないか?
と。
そんな風に、何処かいかがわしさを感じさせる文言であったが、交わされたのは笑顔。
ルシャートは柔らかく。
ムラタは皮肉げに。
そして、マドーラは戸惑いながらも未来に思いを馳せながら――




