異世界の中の異世界
ムラタはルシャートの言葉に嬉しそうに頷いた。
「それでは改めまして、まずは身近なところから始めましょう」
「身近?」
ムラタの言葉の選択に、不可解なものを感じてルシャートはオウム返しと共に首を傾げた。
「そうです。まずはマドーラの身辺警護です。実質的な意味合いもあるし儀礼的な意味合いもあります」
「ああ、そういう“身近”ですか」
納得してルシャートは頷いた。
そしてそのまま続ける。
「元より殿下の護衛は“近衛”が“近衛”たる誇りでもあります。言われるまでも無い、と言いたいところですが……」
ムラタ自身はそれで良いのか? という疑問がどうしてもついて回る。
それにマドーラだ。
随分とムラタになついているように見えたが、騎士団が護衛するとなれば当然マドーラの行動にも関わってくることになる。
今の状況が心地よいと感じているのならば、あるいはマドーラ自身がそれを拒否してくる可能性もある。
それにムラタの能力は確実にマドーラを守りきれるだろうし、実質的な意味でも近衛騎士が出張ってくる状態では無いようにルシャートには思えたのだ。
それに、このムラタにマドーラは意見できるという一点で儀礼的な部分を補ってあまりある効果もある。
ムラタはそういったルシャートの懸念を見越していたようだ。
「端的に言いまして、俺がマドーラの側から離れられる状態を作り出していただきたい」
突然に、一番肝要な部分を宣言する。
「は、離れる……んですか? 殿下を放って――」
そこまで口にしたところでルシャートは口を噤んでしまう。
ムラタは、放っては置けないから近衛騎士団による護衛を依頼してきている事にすぐ気付いたからだ。
だがそれでは……
思わずマドーラを見やるルシャート。
マドーラは、特に動じた様子も無く泰然と椅子に腰掛けたままだ。
さきほど耳栓をしていたときのように、キョロキョロしたりもせずルシャートを見据えている。
(……そうか)
ここでルシャートは理解した。
マドーラは耳栓をしていない。ムラタの要望もしっかりと聞いていた。
それでなお慌てる様子が無いと言うことは――この辺りは打ち合わせ済みなのだろう。
この面会までに時間が空いてしまったが、それをただ経過させたというわけでは無いようだ。
マドーラとムラタ。
何とも不思議な事ではあるが、おかしな形での連携が確立しているように見える。
「……もちろん、これから先、その全てについて護衛をお願いしたいというわけではありません」
狙い澄ましたようにムラタから言葉が添えられる。
ムラタの要望とは、王宮内での移動と様々な式典での位付けがメインで、実務的なことに関しては「ムラタが留守にしている間」が主な仕事になるようだ。
「……ルシャートさんも来てもらいますか?」
不意にマドーラがムラタに尋ねた。
ムラタは気にした風も無く、
「少し考えたんだが……その方が良いと思うか?」
「はい」
「あ、あの、何のお話でしょう?」
「マドーラ」
ルシャートの問いかけに答えるようにムラタがマドーラを促した。
2人が何について話しているのかわからないこともあって、ルシャートにはムラタの言い様が冷たく聞こえてしまう。
だがマドーラはムラタの言葉を受け、ギュッと握り拳を固めた。
「あ、あの、今私たちが生活している部屋があって――」
マドーラが話し始める。
そうとなればルシャートは、それを無視することもできない。
考えてみれば、このように主君から声を掛けて貰うことが、ルシャートにとっても本懐ではあるのだ。
ルシャートは熱心に頷きながら、マドーラの言葉を待った。
「そこに……騎士の方をお招きした方が良いと思います」
ムラタがマドーラとその専用の侍女を、よくわからない部屋――扉の構造がまずわからない――に“確保”しているという報告は受けている。
本来なら、人質を取っての籠城、ということになるはずだが、現実としてその構図はすでに崩壊している。
マドーラの様子は、どう考えても“人質”のそれではない。
となると、今さら騎士を部屋に招こうという意図を、ルシャートは掴みかねていた。
(なにか……家に招くというような親交を深める、という意味かしら)
ルシャートは、マドーラの言葉をそう解釈した。
そうであるなら、団長たる自分が招きにも応じるべきだろう。
マドーラの護衛については、そういった要望が為されることも想定の範囲内だ。
それに対するシフトの調整などはすでに進めてあった。
当然、そのシフトの中に「ルシャート」の名前は無い。
「団長」は騎士団全体の総括が役目だからだ。だがマドーラが望むなら……
「マドーラ。理由を言った方が良い」
ルシャートとの思考を打ち破るように、ムラタがマドーラに忠告する。
マドーラは、一瞬その理由を探すように視線を彷徨わせるが、結局思いつかなかったようだ。
そのせいかオドオドしながら、こう答える。
「……護衛がお仕事なら“仕事”する場所がどんな物か知った方が良いと思って……」
「基本は扉の確認だな?」
「はい。あの部屋の扉の仕組みが、私にもよくわからないものですから」
「そうだな」
ムラタが納得したように頷いている。
一方でルシャート。
ある意味で、彼女もまた納得はしていた。
だがそれは、自分の思惑通りの展開が目の前に出現したからでは無い。
ムラタとマドーラの関係性――その報告で今ひとつ実感出来なかった部分が、マドーラの発言とムラタの言葉を耳にすることで、腑に落ちた、という表現が正しくはあるだろう。
そんな中、2人の会話はさらに続く。
「……それに……」
「そこも気付いていたか。構わないから、言ってしまった方が良い。ルシャートさんは“団長”であって、普通の騎士とは立場が違う」
ルシャートは身構えた。
いや――身構えざるを得ない。
この2人が次に、何を繰り出してくるのかまったく予想できなかったからだ。
「メオイネ公にを部屋に来た時に随分驚いていました。それは当たり前だと思うんですけど、それだけに……」
「そうだ。君は俺という存在の使い方をやはり心得ている」
「――少し確認よろしいかしら?」
たまらずにルシャートが割り込んできた。
それに対して2人は同時に頷いた。
「殿下のお部屋……というか、ムラタ殿のお部屋ですか? 今はどんな状態なんですか?」
あの部屋に関する情報は、まったく上がってこなかった。
メオイネ公が変化したという間接的な情報があるにはあるが、今この場では、素直に尋ねた方が話が早そうだとルシャートは判断したのだ。
「一言で言うと――」
ムラタが心も視線を上へと彷徨わせながら、こう答える。
「“向こう側の世界”――つまり俺の部屋そのものです」
その答えに、ルシャートは理解せざるを得なかった。
ムラタが“埒外”であるなら、あの部屋も“埒外”に違いない。
そういった部屋に入ってしまうことは、全身で“埒外”を感じてしまうことになる。
それだけならば、まだ良い。
だが問題はそこから先だ。
マドーラが――あのマドーラが、冷徹と思える思惑でその部屋を騎士を招き入れようとしているのだ。
(あの可哀想な女の子が……!)
同情とは、即ち相手を下に見る考え方だと理解している。
……しているがしかし、マドーラに対して、思わず憐れみの感情を抱いてしまうのも当然と言えば当然だ。
それは当たり前の感情だとルシャートは、心の内で言い訳を続ける。
そう。
言い訳を続けなければここに為政者としての天稟を示す女の子相手に、心を落ち着かせることが出来ない。
思わずマドーラから視線を外すルシャートだが、それと同時に自分に向けられた強力な視線を感じる。
考えるまでもないムラタだ。
間違いなく、自分は計られている。
先ほどの問答など、まったくのお為ごかし。
いやそれ以前に、この部屋に入ってから起きたことはどこから何処までが、ムラタの手の内であったのか。
だが――
ルシャートに臣下としてマドーラに真摯に仕えたいという希望がある以上、何ら恐れることは無い。
むしろマドーラが、これほど仕え甲斐のある主君だと判明したことが嬉しくもある。
自分の目が同情で曇っていた――この件に関して、問題があるとするなら自分自身のこの後悔だけだろう。
ルシャートは、柔らかく――意図して柔らかく微笑んだ。
マドーラにはただ真摯に、そして厳しく接すれば良い。
ルシャートは正しく“王”を得た充実感に満たされていた。
「……では、護衛の件は?」
「すぐに」
ムラタの言葉に即座に反応するルシャート。
ムラタは王では無いが間違いなく恩人でも有り――今は王と手を組んでいることも間違いは無い。
だが――いや、これは想定しておくだけで十分だろう。
自分は近衛騎士団団長。
優先順位を決して間違うことはない。
そんなルシャートの灰色の瞳を見て、ムラタは肩をすくめた。
「……やれやれ。では取りあえず少しの間お願いします」
「は? い、今ですか?」
突然に申し出に、決意を固めたはずのルシャートが早速戸惑ってしまった。
ムラタは、それに真面目くさって深く頷いた。
「そうです」
「それは何故?」
ムラタは懐に手を突っ込んだ。
そして――
「タバコを吸いに行きます」
――と、真剣な表情で宣言した。




