朝の風景
今朝も王宮の“ねぐら”では3人揃った朝食の時間となっていた。
マドーラとキルシュの前には、トーストを中心とした洋食然としたトレイがランチョンマットの上に並べられている。
一方でムラタの前には、ご飯、味噌汁、卵焼き、そして今日は味付け海苔が並べられていた。
この味付け海苔を用意するのにムラタはかなり苦心したらしく、昨晩「出てきた」とかなりテンション高めであったのだ。
それであるのに、今朝朝食を準備し終えてから、
「しまった、TKGにすべきだった」
と、心底残念そうにマドーラにはよくわからない言葉を使って悔しがっていた。
マドーラにしてみれば毎日毎日、味噌汁が同じ具である事が気になっている。
味噌汁に興味を持ったマドーラのために、ムラタは様々なバリエーションを“作って”くれた。
これほど多彩なスープであることにも驚いたが、特にジャガイモが入っているものがマドーラのお気に入りだ。
「これはちょっと……牛乳入れると一体感が出る……んだ」
何故か途切れ途切れではあるが、ジャガイモの味噌汁が美味しいことに変わりは無い。
ムラタもそれがわかっているらしいのに、毎日毎日、豆腐、油揚げ、長ネギ――そういう具材である事も教えてもらった――が入った味噌汁を食べている。
(飽きないのかな?)
マドーラ達の朝食に関しては色々工夫してくれるし、リクエストも聞いてくれるし、他のメニューが用意できないわけでは決して無い。
何より自分の朝食に関してはご飯、味噌汁以外の物に関してはアレコレ工夫をしている。
今日の海苔についてなどは、良い例だろう。
(……おかしな人……なのかな?)
ようやくのことでマドーラの認識が、ムラタに相応しい評価に軟着陸しようとしているようだ。
そのマドーラにしてみても、ゆったりした造りのクリーム色ズボンに、寒色系のシャツを重ねて羽織り、到底、世界から浮き上がったような出で立ちではある。
キルシュは変わらず、臙脂色のドレス姿。
ムラタは……ダブルでは無く、むしろ今まで着ていたような“異世界”風である。
なんだかんだで、慣れてしまったのだろう。
「――あれから大丈夫でしたか」
「ええ。ちょっと“踏みつぶした”ら、あっという間に退散していきました。ちょうど乱暴が必要な時期でしたから、渡りに船です」
「……なんですか?」
キルシュの問いから始まったやり取りが、マドーラの質問を引き出した。
「昨晩、殿下がお休みになってから、こちらにお客さんが来られたんです」
「それを追い払っただけ――マドーラ、全然気付かなかったんだよな?」
「……はい……」
その返事を聞いて、ムラタは満足げに頷いた。
「うむ。そう調整したつもりだったが、上手く言ったようで何よりだ……マドーラはそれで良いんだぞ。子供は寝るべき時間だ」
しっかりと不安げなマドーラへのフォローも欠かせないムラタ。
例の変わらぬ味噌汁を啜るムラタはおかしくはあるが、気の利く人物でもあるようにマドーラは感じていた。
「……ですが良いんでしょうか? ギンガレー伯って噂になっていた方ですよね」
そう不安げにキルシュが漏らすと、マドーラは思わずムラタを窺ってしまった。
それとほとんど同時に、ムラタもマドーラに視線を向けたようで、期せずして目をあわせる格好になってしまう。
その様子を見て、キルシュが慌てて、
「す、すいません。私のような者が……」
と、言葉を翻そうとするが今度は逆にムラタが慌ててしまった。
「違います違います。今のは俺とマドーラとの間で『君、キルシュさんに言ってないの?』というだけの話です。ちゃんと説明しますよ」
「でも……」
「マドーラに関係している事柄なんですから、キルシュさんも知っておかねばならないことです」
そう断言して、ムラタの説明が始まった。
まず、ムラタが王宮に現れた理由の一つには、確かにギンガレー伯への対応という物があった。
しかしそれも、こんな風に次期国王と協力態勢が築かれつつある現状では、ほとんどその仕事は終わっている。
元々は、マドーラを傀儡にして王国での権威を握ろうという政争があったわけだが、そのマドーラが傀儡を止めてしまった。
となると、ギンガレー伯が意気揚々と王都に乗り込んできたところで、出来ることがない。
「――むしろ、何故謁見を申し込んできたのか……」
首をひねりながらムラタの説明は終わった。
キルシュも口の挟みようもなく、とにかくギンガレー伯に心を砕かなくても良さそうということだけは理解できた。
そして、それ以上に考えることでもない。
マドーラとムラタが何やら話込んでいるが、そういうやり取りが自分の知らぬうちに繰り広げられたのだろう。
「――やっぱり見栄?」
「自分の配下に格好をつけるため」
などと、おおよそ子供相手の会話とも思えぬ言葉が飛び交っているが、キルシュは気にしないことにした。
ムラタはマドーラの意志を無視して、勝手に何事も決めていくような貴族達とは、やはり違う。
そう言えば先日訪れた、メオイネ公の様子は随分と面白かった。
やはりムラタは――
「――そんなわけですからギンガレー伯については当面心配せずとも大丈夫です。これでご納得いただけましたか?」
不意にムラタの言葉がキルシュに向けられた。
すでに悟りきっていたキルシュは、こっくりと鷹揚に頷いた。
それに過ぎたことよりも確認すべき事柄があった。
むしろ、こんな風に朝食が終わりそうになる前に済ませておきたい事でもある。
「それで今日の予定は?」
「はい、そうですね――マドーラも確認な」
今日の予定で一番肝心なところは、近衛騎士団団長チェルシー・ルシャートとの面会になる。
昨日、謁見の間から退室したと同時にムラタとマドーラに報せがもたらされたのだ。
その瞬間、なんとも微妙な表情を浮かべたムラタをマドーラは観察している。
推理をはたかせるまでもなく、間が悪い、とでも感じていたのだろう。
先に団長との面会が叶っていれば、ギンガレー伯に対して有効に使える手が増えていたかも知れない――恐らくはそんなことも含めて。
「キルシュさんは、このルシャートさんと会ったことは?」
「……有りますね――ムラタさんは驚かれたりはしなかったのですか?」
「何についてです?」
「その……女の方が団長というのは……」
「ああ、やっぱり珍しいんですね」
躊躇うキルシュを前に、ムラタはあっけらかんと答える。
目をパチクリさせるキルシュに、ムラタは説明を続けた。
「俺の世界では、そういう風に男性だ女性だ、という部分で先入観を働かせるのはあまり歓迎されなかったんですよ。ですから俺も、その影響があります。あまりその辺りは考えないんですね」
「そうなんですか? やっぱり……でも戦いになる騎士様の……それも団長に……」
「いえ。その辺りの感覚は俺の世界でもあります。ただ、そういう価値観の中でこの方が団長となると――」
「なると?」
「――この世界を少し見直しました」
キルシュはさらに混乱する。
どうにも、ムラタの話が繋がって行かない。
「そういう風潮がある中で、女性が団長である。よほど特殊なスキルをお持ちなのだろうと思いましたが、そんなこともない。魔法が特別に使えるわけでもなく、剣は達者であられるようだが団内随一ということもない――となると彼女はその指導力、人望で団長職を勤めている……と思われますから」
「あ……」
「俺の世界では一部の愚か者が戦闘力なる謎の単位の大きい少ないで、物を考える癖がありましてね。ああいうのに比べれば、ずっと――社会として成熟していますよ」
そう聞いて、何だか誇らしくなったキルシュだったが、この会話の入り口を思い出すと眉を潜めてしまう。
「ムラタさん、十分に団長閣下のことをご存じのようですが……」
「こんなもの」
即座に答えながらムラタは肩をすくめる。
「――こんなもの、表面的な情報に過ぎません。俺が知りたいのは“人間”としてのルシャートさんの為人です」
「それは……」
キルシュは考え込む。
名乗り有って、正面から対峙したわけでは無い。
マドーラの世話をしている間に、何度かその姿を盗み見たぐらいで……
「……何だか、その……悲しそう、でした」
それが正解かどうかはわからないが、キルシュとしてはそう答えるしか無かった。
ムラタはそれに対して、指を一本立てた。
「マドーラ」
「はい」
「君と同じ意見だな」
ムラタの言葉に、ハッとなったキルシュが顔を上げる。
そのムラタは、表情を変えずにこう呟いた。
「……方針は決まったな」




