“王”はそこにいた
ムラタの言葉に、会議室が一瞬揺れた。
メオイネ公も言葉を失い、立ち尽くす。
だが、こういった反応はムラタの予想外だったのだろう。
しばらく宙を見つめ、自分の発言を確認し、ポンと手を打った。
「いやいや違います。この場にいない面子をクビにして入れ替えるというような話じゃ無いでよ。これは俺の言葉足らずでした。新規採用したいのはマドーラ付きの侍女です」
その言葉に一気に弛緩する会議室。
それを満足げに見やったムラタは、
「それはちゃんと為人を見てからでないといけませんからね」
と、あくまで軽く言葉を添えた。
完全に誘い込まれた形になったメオイネ公を始めとする面々は息を吐き出すことさえも出来ず、そのまま固まってしまう。
ムラタはそれに構うこと無く、話を先に進めた。
「さすがに侍女の手配は内務卿のお仕事では無いでしょう。統括されているのかも知れませんが、ここまで面倒を見ていたらメオイネ公が倒れてしまう」
その言葉を受けて、メオイネ公も体勢を立て直した。
「そ、そうだな。確かに我の職分では無いが女官長が責任者になる」
メオイネ公がそう答えると、ムラタも頷いた。
「では、女官長をこちらに呼んで下さい。この場にいれば簡単な話ですが……」
「それは無茶というものだ」
「となれば、こちらにお集まりの方々には関係の無い話――になりますがマドーラに必要な事です。しばらくお付き合い下さい」
先ほどダメ出しを食らっていた、侍従達が先を争うように会議室を出て行く。
ある程度の秩序が回復しつつあるらしい。
そこまで話が進んだところで、メオイネ公はその表情を曇らせる。
「今、殿下のお世話は……」
「キルシュさんが1人で頑張ってくれていますよ。他の方は敵か味方かわからなかったので、全員お暇願いました」
「……そうか。殿下とお主しかおらぬような報告を受けていたが、取りあえずは大丈夫そうだ」
「さすがに俺1人で女の子のお世話とか無茶ですからね。本当に助かってますよ」
女の子……と、メオイネ公は曖昧な顔でボソリと呟くがそれに対する反応はない。
代わりにと言うべきか、ムラタはマドーラと何事か話し込んでいた。
さほど大きな声では無いが、女官長とは誰なのかを尋ねているようだ。
それに対するマドーラの答えに、ムラタの顔が曇る。
メオイネ公が、何を聞いたのか確認しようとしたところで、侍従に連れられた女性が会議室に現れた。
現れた、というよりも無理矢理連れてこられた、という態ではあったが。
「……まさか本当に貴女だったとはね。いや次期王位継承者であるのだから、最高位の女性が側に仕えるのは当たり前と言えば当たり前――」
女性――昨日、ムラタ自身が追い払った女官長を見やりながら、ムラタは苦々しく呟いた。
そんなムラタを見て、誰よりもマドーラが驚いていた。
これほどハッキリとムラタが感情を見せたのは初めてだったからだ。
だが――マドーラにはムラタが何故不機嫌になったのかわからない。
「――メオイネ公」
マドーラの戸惑いに構わず、ムラタはメオイネ公に呼びかけた。
「な、何か?」
「どなたの席かわかりませんが、向かいの席に彼女を座らせますよ。俺とマドーラの前に跪かせるのも面倒です」
その席はリンカル侯の席であったが、メオイネ公としても無理にその席を大事にしようという趣味は持ち合わせていない。
「お主の好きにせい」
「では女官長でしたか? ――こちらにどうぞ」
ムラタの言葉を合図に、女官長はリンカル侯の席に座らされた。
ムラタは青い顔をした女官長をジッと見つめていたが、やがてため息をつく。
そしてマドーラに語りかけた。
「マドーラ、彼女は今まで側にいたんだよな? 仕事ぶりは?」
マドーラは問われて考え込んでしまった。
確かに、女官長は今まで側にいた。
だが、彼女はただジッと自分を見ていただけだった。
そして必要最低限の言葉でこちらに指示を出すだけで、つまり――
「――わ、わかりません」
こう答えるしか無い。
恐らくこれでムラタはますます不機嫌になってしまう。
そう予感できるが、マドーラには他に答える術は無かったのだ。
そして案の定と言うべきか、ますますムラタの表情が険しくなった。
「では貴女は何もせずマドーラを――」
「ムラタさん」
突如マドーラがムラタの言葉に被せるようにして、声を発した。
その行為に、その場の全員が目を剥いた。
何故ならマドーラもまた、ムラタの“おまけ”と目されていたからだ。
この場の最高権力者は実質的にはムラタ。
そのムラタに逆らうこと自体が危険なのだ――たとえ王位継承者であっても。
そもそもムラタ自身が“埒外”と宣言したでは無いか。
だが、マドーラは怯んだ様子も無くさらに続ける。
「どうして、そんなに怒っているんですか?」
と。
それはマドーラを粗略に扱ったから――メオイネ公を始めとする面々が、そんな“正解”を心の中で叫んでいた。
だからマドーラのその問いかけは、恩を仇で返すようなもの。
ムラタで無くとも、怒り出すには十分な理由だ。
だが――
それではおかしい、とマドーラは考える。
ムラタは自分を利用するとハッキリと宣言した。
それならば相手が自分絡みでミスをしたこの状況は歓迎こそすれ、怒り出す理由にはならない。
自分のために怒った、という理由にももちろん思い至るが――それも変だ。
マドーラにも、どう変なのかがよくわからなかったが、とにかくおかしいと感じてしまったのだ。
あるいは“怒ったふり”ということも思いついたが、それも納得できない。
ムラタの怒りは本物だ。
自分の前に現れた大人達を、マドーラはジッと観察し続けていたのだ。その観察の経験が、ムラタの怒りを感じ取っているのだ。
そうとなれば疑問だけが残る。
そして、そうなった時にムラタは質問されることを嫌がらないとマドーラは感じていた。
それはムラタが優しいからでは無い。
“そうするべきだ”という信念をムラタは持っている。
他人のためでは無く、自分のために必ず質問に答える。
ムラタはそういう人間だという確信があるから――やはり自分のために怒る、というムラタには疑問を感じるのだ。
そのムラタは、マドーラの問いかけに動きを止める。
その表情からは険しさが抜け落ちていた。
やがて右腕を振り上げ――おもむろに自分の頭をかき始める。
「……そうだな。怒るのは変だな」
マドーラが殴られると身構えていた周囲は、そのムラタの言葉にホッと息をついた。
そのマドーラは手を上げられても、まったく怯んだ様子も無く、ジッとムラタを見詰め続けている。
その構図はマドーラがムラタの傀儡である、という認識を思い直させるに十分だった。
単純にムラタの顔色を窺ってばかりでは、こんな光景は生み出すことは出来ない。
これはそう――叱責だ。
マドーラが“埒外”たるムラタに一矢報いた……という言い方はおかしいが、心情的にはそれで納得できる。
ムラタが何に対して怒っていたのかがよくわからないままだったが、それを指摘されて、ムラタはさらに怒り出すのでは無く、マドーラの指摘に頷いて見せた。
ムラタが暴君になってもおかしくない状況で、マドーラはそれを抑えることが出来る――可能性がある。
途端に、この“女の子”の重要性が増したのだ。
「となると……彼女にはお帰りいただくか。わざわざ来てもらったが俺も女官長が誰がわからなかったし、ご容赦願おう」
そのマドーラに止められた形となったムラタは、改めて女官長にクビを宣告する。
その言葉はまたも周囲を騒然とさせた。
先ほど、マドーラがそれを留めていたのでは無いのか?
ムラタの言葉に一貫性が感じられない。
だがマドーラは――こっくりと1つ頷いた。
「で、殿下」
メオイネ公は思わずマドーラに呼びかけていた。
マドーラは自分が話しかけられることに驚いているようで、おかしな椅子の中で目を見開いていた。
そして救いを求めるようにムラタを見るが、そのムラタはこう告げた。
「マドーラ。メオイネ公は恐らく質問があるんだ。わかることなら時間がかかっても良い。しっかり答えろ――ですよねメオイネ公?」
「う、うむ……確かにその通りじゃが……」
「とにかくご質問をどうぞ」
そう促されたメオイネ公は、しばらく時間を空け慎重にマドーラにこう質問した。
「――殿下。ムラタの女官長の指示に問題はございませんかな?」
他にも確認したいことがある。
だが今、もっとも緊急性が高く重要性が高いのはこれだ。
マドーラは相変わらず怯えたようであったが、ムラタに促される形でおずおずと口を開いた。
「……あ、ありません」
「理由をお伺いしても?」
「……さ、さきほどムラタは為人を知ってからと言いました。で、ですから私は女官長の為人はわかりますすから――」
――必要無いと判断した。
そこまでハッキリと告げたわけでは無いが、その非情とも思える判断をこの“女の子”は為した。
メオイネ公は胸の内で呻き声を上げた。
(――これが王家の血か)
王の資質か、あるいは……