メオイネ公の憂鬱
(つ、ついに来てしまった……!)
ヨーヒリア国内務卿、メオイネ公ヨアヒムは開きつつある会議室の扉を凝視していた。
メオイネ公の残り少ない頭髪が、頭頂部で心細そそうに震えている。
齢50半ば。
偉丈夫と呼んで良いほどに体格は立派であったが、メオイネ公、それほど心は頑丈では無い。
臣下の中では筆頭位置に座してはいるが、出来ればさっさと人に譲って、領地に引っ込みたいと考えていた。
だが、ほんの数日前にはリンカル侯と競い合い、権勢欲しいまま、といえば言いすぎであろうが、調子に乗っていたわけだから、同情には値しない。
単純に逃げ遅れた、ぐらいが妥当であろう。
メオイネ公の腰掛ける椅子は背もたれの高い見栄えの良いもであるが、いつものように、それに身体を預けふんぞり返る事も出来ずにいた。
会議用の大きく長いテーブルに手を突いており、その指先がメオイネ公の心理を表すようにせわしなく動いている。
この部屋への、余人の出入り禁ずると反射的に命じてしまっていたが、その命令を出したことも後悔していたが、それを取り消すことも出来ないでいた。
相手がマドーラを握っている以上、そんな命令など意味がない事などわかっているのに、もしかするとこの“死地”を脱出できるかも知れない――そういう希望に縋ってしまっていた。
このテーブルに腰掛けているのはわずか5人。
その出席者の中に、リンカル侯はいない。
政治力学的に、この状況で姿を見せないなどという選択はあり得ない。
リンカル侯も“狼藉者”の報には当然接しているのだろう。そして現在、マドーラを抱え込んでいることも。
そうとなれば、きっちり対決姿勢を取らなければ、派閥の他の貴族に舐められてしまう事は自明の理。
――だがリンカル侯は、姿を見せない。
メオイネ公はそれをリンカル侯の怠慢では無く“狼藉者”についての洒落にならない情報を、侯だけが入手していると判断した。
おかしな話であるが、それぐらいには政敵をメオイネ公は“信頼”していた。
だからこそ、まるで“死地”に飛び込んでしまったような錯覚を覚えてしまうのだ。
扉は片方だけが開けられ――あっさりと“狼藉者”と思われる男が姿を現した。
黒髪黒目。
確かに“異邦人”の特徴を有してはいるようだが、ごくごく平凡そうに見える。
――いや。
こういう場所に入ってきたにもかかわらず、男はあまりにも“普通”過ぎた。
自分も含め、貴族を前にして平静を装える平民はまずいない。
だが男は、まったくこちらに気を配っているようが無い。
それをメオイネ公は「不遜であると」感じたが、すぐにそれを思い直した。
その“異邦人”の振る舞いが、この場に姿を見せないリンカル侯がこの場にいない事に対する推測を、確かなものであると証明したかのように思えたからだ。
(と、とにかく、相手の狙いがわかるまで静観するしか無い)
つまり何ら根拠もなく、逃避の一手であるが、そんなメオイネ公にさらなる衝撃が襲いかかってきた。
マドーラである。
随分久しぶりに姿を見た――というだけではもちろん無い。
こちらを見て何か怯えたような様子には納得できるが、問題はその出で立ちだ。
王家に連なるものとして、それに相応しい装いというものがあるだろうに、何とも……何とも……あまりに奇異な服装で、それが相応しいの出で立ちなのかどうか、メオイネ公はすでに判断力を失ってしまった。
マドーラは男に導かれるままに部屋の中へと歩を進め男を追い越し――
「そうだ」
不意に男が声を上げた。
マドーラは振り向き、メオイネ公も血走った目で男を見つめる。
「やはり、こういう感じで行こう――マドーラ、この扉随分立派だろう? 何故立派にする必要があると思う?」
よ、呼び捨てだと……!!
メオイネ公の血が沸騰しそうになった。
この男は尊き存在に対する敬意も持ち合わせていないのか!?
「……人が感心する……からですか?」
そ、そ、そんな男になんだその丁寧な言葉遣いは!?
所詮は道理をわきまえぬ、田舎娘が。
それに何だ! そのわけのわからぬ答えは……
「うん。相変わらず方向性は良い。つまり感心させた先に、どういう目的があるかなんだ」
そんな中、男がしたり顔でマドーラの答えを肯定する。
メオイネ公は目を剥いた。
「目的……ですか?」
「そう。ただ単に人や物を出入りさせるだけなら、別に飾り立てなくても良いはずだ――もっとも、これはこの扉に限った話じゃないがな」
男は頭をかきながら、こう続けた。
「つまり王宮全体について飾り立てる意味は何か? ということになる」
「感心させるは、近いんですね?」
「そう」
マドーラはしばらく考え込む。
それにつられたようにメオイネ公も考えてみたが、そんなわかりきった答えなど、考え込むまでも無い。
王宮とはそういうものなのだ。
それが正しいからこそ、こうしてここに“ある”。
正しいからこそ我が屋敷も、王宮に負けず劣らず、いやそれ上回るほどの造りだ。
それは貴族としての義務でもある。
「……わかりません」
それみたことか。
やはり田舎娘は肝心なことがわかっていない。
「――良いだろう。王宮とはそういうものだ、みたいな答えよりはずっと良い」
メオイネ公の考えを見透かしたように男が肩をすくめる。
一層、メオイネ公の目が血走るがそもそも男は公を視界に入れていない。
「王宮がこういう造りなのは、ある意味経費節約なんだ」
そのまま男は、ある意味メオイネ公の考えの真逆を口にした。
「節約……ですか?」
「そう。君は人を感心させると言っただろう。感心の先に何があると思う? つまりそこには自然と、こういう建造物を作り管理する“人間”に敬意を抱かせる。これをただキチンと装飾しただけで獲得することが出来るんだ。これほど……効率の良い方法は無い」
マドーラはすぐに頷くことはせず、首を傾げながら考え込んでいた。
男はさらに続ける。
「これは素直な人達相手だな。もう少し疑い深い――つまり俺みたいな奴だな――相手はこう考えるかも知れない」
男はそこで居住まいを正す。
「“無駄にしか思えぬ装飾にこれだけ資金をつぎ込める余裕があるのか。下手に逆らうのはどうも面白く無さそうだな。仲良くしておこう”――とな」
「なるほど」
今度は即座に頷くマドーラ。
それを見て、男は笑った。
「こっちの方がわかりやすかったか。まぁ、とにかくそんなわけで王宮という国の威信を賭けた建造物を飾り立てるのは大きな意味があるわけだ。もちろん、ただ綺麗に飾り立てるだけでじゃ無く、しっかり運営されてこそ何だが、それがどうも上手く無いようだな」
「上手く……先ほど通せんぼされたことですか?」
「それもあるが、この国の最高位者が入室するというのにまったく敬意が感じられない。入室の時に扉ぐらい開けるように侍従達が動くべきだ。それが行われていないと言うことは最高位者が軽んじられている。つまり秩序が乱れている。つまり――乱の予兆だ」
そこで初めて男はテーブルに付く貴族達を“見下ろした”。
マドーラに向ける笑みと違い、酷薄そうな笑みと共に。
何ら貴族を敬うことの無い、不遜極まる態度についにメオイネ公の額に血管が浮かび上がった。
――一番に秩序を乱しているのは、お前だ!
そう叫び出したいところをメオイネ公は何とかこらえた。
あまりにも――そうあまりにも男は得体が知れない。
そもそも王宮に現れたときの不可思議な力のこともある。
安易に激情に身を任せることは――これまでの公の経験が許さなかった。
「……責任の所在は、この後で良いだろう。マドーラ行くぞ」
「はい」
秩序を口にした男がさらに秩序を無視して、マドーラを誘う。
マドーラもまた、それに素直に頷き――長らく空席であった王の席に躊躇うことなく腰を下ろした。
一段高くなっているためマドーラの背でも十分に、テーブルに着く貴族達を睥睨することが出来る。
そして男は、そのマドーラの横に立つ。
「――俺の名はムラタ。サンデー・ムラタです。ですが好きに呼んでくれて結構」
突如、男――ムラタは気さくに話し始める。
しばらくそのまま会議室を見渡していたが、やがてため息をついた。
「……どうやら国を代表出来そうな貴族はいないご様子ですね。伝言だけお願いできますか?」
そのムラタの言葉にメオイネ公は立ち上がった。
もう――限界だった。




