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君に★首ったけ!  作者: 田中 義男
4/12

痛い★

 月曜日の午前中というのは、中々気力が出ない。しかし幸か不幸か、午前中からそこそこの量の業務があったため、憂鬱になっている暇はなさそうだ。よし、これは良い事だ。

 などと現実逃避をしてみたが、書類受けに積まれた書類を眺めると思わず溜息が出てしまった。午前中に終わる量だとは思うが、全く問題ない書類ばかりでは無いと思うと、先が思いやられる。

 次々書類をチェックし、必要事項を一覧表に入力しているうちに、1枚の書類でミスらしき物を見つけた。申請者は前の部署の後輩だった。

「部長、ちょっと書類に不備があったんで、確認に行って来ます」

「はーい、気をつけてー」

 部長は画面を見つめたまま、そう言う。狭い廊下を挟んだ向かいの部屋に行くだけなのに、気をつけるも何も……とは思うが、部署を移動する際に一悶着あったから、あまり大げさというわけでも無いか。

 執務室を後にして、ものの数秒で目的地に着いた。

「吉田ー、居るー?」

「あ、早川さん!おはようございます!」

 俺の顔を見るなり、吉田は立ち上がり、大変元気の良いお辞儀をした。手入れの行き届いた坊主頭が光り輝いている。

「おはよう。とりあえず、頭を上げて、この見積書を確認……」

「誠に申し訳ありません!可及的速やかに作り直します!」

 再び、坊主頭が光輝く。

「いや、だから、頭を上げろって。あと、内容は大丈夫だけどちょっと不備が……」

「返す言葉もございません!早速作り直します!」

 三度坊主頭が光り輝いて輝いた。……流石に、少しイラっとしたかな。

「だ・か・ら・あ・た・ま・あ・げ・て・は・な・し・き・け」

 そう言いながら、言葉に合わせて坊主頭を突っついた。この位ならパワハラとかセクハラには、ならないと思いたい。

「すみません……失礼いたしました。どの辺りが、駄目でしたか?」

 吉田はようやく頭をあげたままになると、申し訳なさそうにそう聞いてきた。

「いや、書類の内容自体に間違いは無いけど、申請書に月見野部長のサインとか印鑑が無かったから貰っといで」

「申し訳ありませんでした!ただいま頂いてまいります!」

 そう言って書類を受け取ると、吉田はパタパタと足音を立て、月見野部長の席に向かった。そして、2人でペコペコと頭を下げあったあと、月見野部長が胸ポケットから万年筆を取り出して、申請書にサインをした。そして、2人でこちらに向かって来る。坊主頭の吉田と、スキンヘッドでガタイの良い月見野部長が並ぶと、親分と子分という形容がしっくり来る気がする。実際、上司と部下だが。

「悪いね、早川君。サインを忘れちゃってたみたいで」

 月見野部長は、そう言って書類を差し出した。

「いえいえ。内容は大丈夫でしたか?」

「ああ。もうバッチリだよ!吉田も、最初の頃は色々、誤字脱字やら前株と後株を間違えるやらをやらかしてくれていたが、立派になったもんだ」

「いやいや、私なんてまだまだですよ!皆さんのおかげで何とかやって行けてるだけです!」

 吉田がそう言いながら、勢いよく手を横に降る。

「そう謙遜するなって、実際俺から引き継いだお客様とも、上手く行ってるようだし」

 その言葉を聞いた吉田は、シュンとした顔をした。

「早川さん……もう、こっちには戻らないんですか?」

 そして、とても返答に困る質問を投げかけてくる。

「僕としても、本当は戻ってきて欲しいんだけどね」

 月見野部長も、苦笑しながら吉田に加勢をする。絶対に戻りたくない、と言えば嘘になる。

「えーと……お気持ちは本当にありがたいのですが、会社の決定ですし……」

 言葉をにごして、何とかこの話題をうち切ろうとした。

 その瞬間、執務室のドアがガチャッと開いた。そこから、よく磨かれたポインテッドシューズを履き、薄く縦縞の入った仕立ての良い紺色のスーツを着込み、臙脂色のネクタイを締めた人物が現れた。あまり、会いたくない奴に遭遇してしまったと思ったが、それは向こうも同じようだった。そいつは、年齢よりも若く見える整った薄い顔立ちに憎々しげな表情を一瞬だけ浮かべた後、にこやかな表情になり口を開いた。

「何、早川。またウチの部署の邪魔しに来たの?」

「いえいえ。ちょっと、申請書の確認をしにうかがっただけですよ、日神課長」

 こちらも即座に表情を変え、精一杯にこやかに応える。

「ごめんね、日神君。僕がサインを忘れてたみたいで」

 場の空気を取り繕うように、月見野部長が笑顔で、会話に割って入る。その言葉を受けて、日神は鼻で笑ってから口を開いた。

「部長も大変ですよね、誰かが起こした事のせいで余計な仕事を増やされて……がっ!?」

 思わず殴りかかりそうになったその時、執務室のドアが急に開きドアノブが日神の腰のあたりに直撃した。

「あら、ごめんなさい。怪我をしたなら労災の手続きをしますので、指定の病院を受診したのち、うちの部署に来て下さい」

 ドアの隙間から部長が顔を出し、腰をさする日神に冷たい視線を向けてそう言い放った。

「あ、すみません。大丈夫です」

 部長の顔を見た日神は、薄ら笑いをやめて多少怯えた表情になった。少しスッキリしたが、少し可哀想にもなる。この会社で、部長を全く恐れてないのは、社長と課長くらいだもんな。

「そうですか、それなら何よりです」

 部長はそう言うと、今度は盛大に眉間にシワを寄せてこちらを向いた。 

「それよりも早川、書類の処理が滞るから早く戻って来なさい!」

 部長はそう言って手招きをした。

「はい!すみません!いま行きマッス!」

 俺は月見野部長と吉田に一礼をしてから、自分の執務室に戻った。


「災難だったね、早川ちゃん」

 執務室に戻ると、課長がパタパタと扇子で顔を扇ぎながら、声をかけて来た。振り向いた際に、体の重みで、椅子がキィと鳴る。

 今日の課長は、体型よりやや小さめのスーツを着込み、薄くなった頭頂部を両サイドの髪の毛で何とか健気に隠そうとした努力の跡が垣間見える髪型をした小太りのオッサンの姿だ。

「……いや、災難は災難だったのですが、課長の今日の姿を見たら、色々どうでも良くなりました」

 今までも、急に年老いたり、急に若返ったり、急に太ったり、急に痩せたり、急に女性になったり、急に男性になったり、毎週見た目が激変して来た課長だが、今日の姿は予想外過ぎた。正直、声を聞かなければ課長と気づかなかっただろう。

「ふっふっふ。ザ・課長★って感じでしょ?」

「……特殊メイクで出社するのは、程々にしなさいって言ってるんだけど、社長が容認してるからね……」

 部長がわざとらしく、盛大に溜息を吐く。ただ、部長も完全に禁止する訳じゃなくて、程々にしなさい、で言い留めているあたりに付き合いの長さがにじみ出ている。

「まあまあ、変化に乏しい社会人の日常には、これくらいのサプライズは必要よん」

「……なんででしょうか、その見た目で、その口調だと鳩尾に一撃を入れたくなります」

「……同感ね」

「2人とも酷いのよん!もう知らないのねん!」

 課長はそう言うと、頬を膨らませてデスクトップの方に向き直った。そして、何やら高速にキーボードを叩き始めた。多分、書類の入力作業か何かだろう。俺も自分の作業に戻ろう。

 山積みになっていた書類の処理が終わり、承認が必要な書類を部長の席に持って行くと、ちょうど作業が一区切りついたところだったらしい。部長は、俺が声をかける前に、こちらに目をやり手を伸ばした。

「お疲れ様。じゃあ、最終確認して持って行くわね」

「はい。お願いします」

 書類を受け取ると部長は、それはもう凄い速度で、書類をチェックしては会社の印を押す作業を繰り返した。初めて見たときは、本当にチェックが出来ているのか疑問に思っていたが、こちらのチェックで見落としていた部分があると、間違いなく弾き出していた。単に入力ミスだけでなく、トラブルが発生しそうな案件の書類などもその過程で弾き出して、申請を出した部署の部門長に質問をしに行ったりしている。本人曰く、長年この仕事をしてると厄介なものは大体分かる、のだそうだ。

 今回は厄介な案件は無かったようで、自席で他の仕事をしていた俺のところに、渡した時と同じ量の書類の束を持った部長がやって来た。

「はい、これで全部終わったわよ」

「ありがとうございます。じゃあ、控えをとって返却して来ます」

 その時、課長インパクトのおかげで、先刻のお礼を言い忘れていたことに気付いた。

「それと、先程はありがとうございました」

「不慮の事故に、お礼を言われる筋合いは無いわね」

 部長は、そう言ってニヤリと笑う。美しいやら、恐ろしいやら。

「まあ、例の件が上手く行けば、ある程度は抑止力になるから……吉田さんに何かされる心配は、少なくなるでしょうね」

「是非、そうなって欲しいですね」

 部署が変わった際に、一番気掛かりだったのはその事だった。吉田は俺の後任ということで、日神から何かされないか不安ではあった。しかし吉田曰く、俺が受け持っていたメインの取引先を引き継いだのは日神の方だったためか、特段嫌がらせはされていない、とのことだった。

 ただ最近、吉田の方も新規の取引先を開拓したりして頭角を現して来たため、目をつけられるのも時間の問題なのかもしれない。

「ところで、吉田ちゃんって、なんで坊主頭なの?」

 自分の作業が一区切りしたらしく、課長が椅子を回して声をかけて来た。

「ああ、あれは、坊主頭の女子だと取引先に顔を覚えてもらいやすいから、だそうです。実際に、効果はバツグンらしいですよ」

「ふーん。吉田ちゃんも、中々変わってるね」

「……吉田さんも、アンタにだけは言われたく無いでしょうね」

「……同感です」

「2人とも酷いのねん!」

 とりあえず、頬を膨らませる課長をなだめて、各々自分の業務に戻った。

 今日は朝に若干不快な思いをしたが、その後は特にこれといった事件もなく、定時で退勤することができた。そのため、ちょっと自炊でもしようと思い、調子に乗って瓶入りのちょっと良い醤油を購入して、冷蔵庫の中段に入れておいた訳なのだが……

「……なんか、ゴメンね」

「いえ……私の方こそ、いつも急に出てきてしまっているので……」

 運悪く、出現した彼女に向かって醤油が倒れ掛かったらしい。いつものように冷蔵庫に結露が発生したと思うと、ゴスッ、という鈍い音が聞こえ、扉を開けたら涙目の彼女の顔と、倒れた醤油瓶があった。

「昨日はとても下らないことをしてしまったので、その報いかと……」

「いやいやいや、そんなに重大に考えないで!とりあえず、醤油はペットボトル入れの方に、入れておくから」

 慌ててそう言うと、彼女は少し考えてから、いたずらっぽい笑顔を見せた。 

「……間違えて、飲んだりしませんか?」

「しーまーせーんー!俺を何だと思ってるの!?」

 小学生のようなやり取りをすると、またどちらともなく吹き出した。

「あはは、すみません。大丈夫ですよね……そう言えば、早川さんは何をされてる方なんですか?」

 言われてみると、名前くらいしか紹介してなかったことに気付いた。

「今は、経理とか人事の仕事をしてるかな」

「あー、それだと月末とか月初とか5がつく日と10がつく日の前後は、激務ですよね。あと、締ギリギリで経費の請求書だけが届いたりすると」

「そうなんだよ!実はその辺の負担を減らすことも兼ねて、管理システムの導入なんかもやってるから、先週まで物凄い勤務時間に!」

 共感を得られて、ついノリノリで話してしまったが、少し引っかかる。

「……やけに詳しいね?」

 その質問に、彼女の顔がハッとする。

「そう……ですよね……」

「多分、君の特技から考えて、働いている年齢でもおかしくないから、どこかで今の俺と、同じ様な仕事をしてたのかもね」

「そうですね。早川さんのおかげで、色々分かってきました。ありがとうございます」

 彼女はそう言うと、お辞儀のつもりなのか、軽く下を向いた。

「いえいえ、ただ今のところ分かっていることと言えば、ヒヨコ好き、特技のクオリティがやけに高い、20歳以上、経理とか人事の仕事をしてた、ってことぐらいか」

 前半2つは、割とどうでも良い気もするが、言ったら怒られそうなので、やめておこう。

「割と、どこにでも居そうな感じですよね」

 前言撤回、自分の名前よりヒヨコに対する情熱を優先して覚えてる程のヒヨコ好きにしてあのクォリティのモノマネが出来る奴は中々居ない。まあ、黙っておこう。

「ちなみに、昼間の生活はどう?」

「それも、早川さんのおかげで、少しだけ進展がありました」

「おお!?本当!?」

「はい、昨日は急に帰されてしまったので、今日はちょっと落ち込んでいたのですが、その様子を見た母に、どうしたの、って聞かれたのが理解できました」

「それはすごい進展だ!」

「なので特技を使って、大丈夫だよ、って返したら、複雑な顔をされて黙り込まれてしまいました……」

 彼女はそう言って、悲しげに目を伏せた。もう、この子ってば折角のチャンスを……ただ、後悔を煽ってしまっても仕方ない。

「まあ、でも少しずつ意思の疎通は出来るようになったと、前向きに捉えようか!」

 大体のことは前向きに考えれば、どうにかなるもんだ。

「そうですね!じゃあ、今日はこの辺で」

「うん。じゃあ、お休みなさい」

「お休みなさい」

 おやすみを言いあい、いつもの様に冷蔵庫のドアを閉めた。確認のために開けてみると、野菜ジュースと醤油が転がっていたので、醤油をペットボトル入れにしまい直して、再び冷蔵庫を閉めた。

 風呂上がりに、間違えて醤油を飲みかけて、盛大に吐き出したのは、彼女には秘密にしておこう。

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