しょうもない★
例え休日の朝だとしても、寝て過ごすのは勿体無い。朝の内に溜まった洗濯と掃除を済ませてしまえば、それからは悠々自適に過ごせる。それに、掃除の最中にそこそこの量の抜け毛を見つけたとしても、散歩でもして帰ってくれば、流石に眠る頃には忘れてるだろうし……
そんなこんなで、二駅先の大きめなショッピングモールに来てみた。まだ開店直後ということもあって、酷い混雑ではないが、それでも家族連れや、学生の友だちグループや、海外からの観光客で賑わっている。特にこれといって見るものは決めていなかったが、部長から常々、少し業務についての勉強をしておくと良い、と言われているから本屋にでも行ってみよう。
本屋に着き、会計と労務に関する本を何冊か見繕いレジへ向かうと、雑誌コーナーが目に入った。そこには、ゴルフ関係の雑誌が所狭しと並んでいる。そう言えば、前は休日にゴルフに行くことも度々あったが、最近はクラブを手に取ることすらしていなかった。たまには、練習場にでも行ってみるかな。
必要な本も買い終わり、雑貨店をウロウロしていると、ふと彼女の言葉を思い出した。
「しいて言うなら、ヒヨコが好きだった気がします」
昨日は別れ際に寂しそうな顔をしていたし、何かヒヨコの雑貨でもプレゼントしてみようか。ただ、彼女にプレゼントをした場合、どうなるのだろう?
口にヒヨコのぬいぐるみを咥えた彼女を想像して、あまりのシュールさに脱力してしまった。プレゼントは、今のところ無しだな。そうなると、どうしたものか……
考えているうちに妙案を思いついて、パーティーグッズのコーナーへ向かうことにした。これで、きっと喜んでもらえるだろう。
夕方に自宅に戻り、簡単な食事を済ませた後、冷蔵庫の前でスマートフォンをいじりながら待機していたが、陽が落ちても一向に結露が発生する気配は無い。流石に、3日連続で現れることはないか……
諦めて風呂にでも入ろうとした瞬間、俄かに部屋の空気が湿気っぽくなった。冷蔵庫には、徐々に結露が発生してきている。急いで扉を開けると、彼女がやって来ていた。
「こんばんは」
「こんばんは……」
彼女は俺を見るなり、困惑した表情になった。
「……あの……その格好は一体?」
「ヒヨコちゃんです」
本日用意したヒヨコの被り物を着込んで、得意気な表情をしたところ……
「すみません、それ多分アヒルだと思います……」
「……本当ですか?」
「はい……残念ながら……」
図らずしも、昨夜と同じ様な会話になってしまった。
「何か、すみません」
「いえ、それは大丈夫なんですけど、何で急に被り物を?」
「急に冷蔵庫から生首の状態で出でくる人に、言われたくあーりーまーせーんー!」
「あー!そんな言い方しなくても良いじゃないですかー!」
ふざけて言い合いをしたところ、どちらとも無く吹き出した。
「いや、すみません。ヒヨコが好きだって聞いたから、楽しんでもらえるかなって思って」
いつの間にか、口調が砕けた調子になってきた。
「ありがとうございます。ちょっと違いましたけど、何だか元気になりました」
彼女もですます口調ではあるけれど、語気が柔らかくなった気がする。
「ところで、何か思い出してきた?昨日の話だと、君は生きてる可能性があるんだよね?」
昨日から、ずっと引っかかっていたことを聞いてみた。もしもどこかで生きているなら、会って話をしてみたい。ただ、話ができる状態なのかどうかは、分からないが。
「いえ、ヒヨコが大好きだったのは覚えているんですが……」
「生きているって思った根拠とか、理由みたいのは何かあるの?」
そう聞くと、彼女は少しの間考え込んでから答えた。
「はい……昼間に……凄くぼんやりと、自分の家をウロウロしている記憶があるんです。普通に生活はしていて、家族らしき人も話しかけてくれたりするんですが……言葉がうまく理解出来なくて、結局食事とかお風呂とか以外は、自分の部屋のベッドの上に横になって、そのまま眠って、という感じですね」
「意外だ……てっきり、寝たきりで意識不明とかかと……」
「……でも、きっと周りから見たら、同じようなことなのかもしれないですね……周りからの言葉に一切反応出来ていないし、私からなにか話しかけることも出来ないし……。ともかく、そんな感じで一昨日も、眠たくなったな、思って目を閉じていたんですが、急に辺りが明るくなって……早川さんに寒くないか聞かれました」
何かその時の心情とかが、色々と省略されている気もするが、まあ気にしないでおこう。
「大体の状況は分かったけど、一つ気になった事がある」
「はい、なんでしょうか?」
「なんで、自分の名前すら覚えてないのに、昼間にウロウロしている場所が、自分の家だと分かったの?」
「ヒヨコのグッズで溢れ返っていましたから」
うん、そうだろうとは思ってたが、そこまで自信と信念に満ち溢れた表情で言われるとは思わなかった。
「本当にヒヨコが好きなんだね」
「はい!そこだけは絶対忘れたくない信念ですから!」
「じゃあ、色々思い出したら、手土産にヒヨコグッズを持って挨拶に行くよ」
「あ、いえ、すみません、あまりお気になさらずに……あ」
ヒヨコ熱から少し冷静になった彼女が、急にハッとした表情になった。
「どうした?」
「ええと、何というか、特技……のような物を思い出しました」
「おお!?それはどんな!?」
「いえ、物凄く下らないんですが、もしも明日もここへ来られたら、披露しても良いですか?」
「分かった。楽しみにしてる。じゃあ、明日も来てくれるんだね?」
「はい、じゃあまた明日。今日はありがとうございました。アヒルさん、可愛かったです」
そう言われて、今まで終始アヒルの格好だったことを思い出し、少し恥ずかしくなったが、和んでもらえたなら良しとしよう。
「それなら良かった。じゃあ、お休みなさい」
「はい、お休みなさい」
誰かにお休みを言える生活も、悪くはないと思いながら、冷蔵庫のドアを閉じた。
昨日の約束では、今日は特技を披露してもらえるということなので、日曜日の夜だというのに、気分が少し晴れやかだった。早めに風呂を済ませてのんびりしていると、冷蔵庫が結露して来たので、ドアを開けた。
「こんばんは」
あれ?昨日までより声がガラガラしているよな……
「ボォク、ド」
言い終わる前に、慌ててドアを閉めた。思わずドアを閉めてしまったため、確認のためにもう一度ドアを開けてみると、そこには野菜ジュースが入っているだけだった。本当にしょうもない特技だったが、あの声でモノマネをするということは、年齢は20歳を超えている。
彼女について少し手がかりが掴めて良かった、ということにしておこう。