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君に★首ったけ!  作者: 田中 義男
2/12

話し合い★

 珍しく、目覚まし時計の鳴る前に目を覚ますことができた。昨夜の一件のせいなのか、今日の打合せに対しての緊張感のせいなのか、やけに体が重い気がする。加齢によるものでは断じてない、と信じたい。ともかく、少し早いが、出社の準備をしよう。

 キッチンの向かいにある洗面所で髭剃りをしていると、鏡に映った冷蔵庫が気になった。あの後、何度かドアを開け閉めしてみたが、彼女が現れることはなかった。今まで、どんなに疲れていても、幻覚や白昼夢の類いは見たことなかったんだけどな……やっぱり、加齢の影響なんだろうか……

 気を取り直して髭を剃り終え、念のため冷蔵庫を再び開けてみた。が、そこには飲まずにおいたままの野菜ジュースのパックが、虚しく転がっているだけだ。よし、昨夜のことは見間違いということにしよう。

 吊革に必死に掴まって揺られながら、窓の外を眺めていた。大きな川を二本通り過ぎると、電車は地下に入っていく。この辺りになると、いつも仕事のスイッチが入る。差し当たって、今日の課題はいかに午後の打合せを成功させるかだ。あくまでも社内の打ち合わせだが、それだけに面倒なことも多い。

 色々と考えているうちに、電車は会社の最寄駅に着いた。やるだけやって、後は運を天に任せよう。

 執務室に入ると、部長の他には、まだ誰も出社していなかった。部長は昨夜と同じ様にパソコンの画面を凝視しているが、ほつれのあった髪の毛はキッチリとまとめ上げられフレームの細い眼鏡を掛けている。

「おはようございます」

「はい、おはようございます」

 部長は画面を見つめたまま、素っ気なく挨拶を返した。

「早川、出勤の打刻をしたら、ちょっとこっちに来てくれる?」

「部長のご依頼なら、今すぐ向かいまっす!」

 鞄をデスクに投げ置いて歩きだそうとすると、部長が画面から顔を上げた。

「仕事は出勤の打刻をしてから!いいわ、私がそっちに行くから、それまでに準備をしておきなさい」

 部長はそう言うと、机の上をガサガサと漁り始めた。多分、昨日の資料のことについてだろう。

 出勤の打刻をするや否や、部長が付箋のついた書類を手に、席の側にやって来た。いつもはスカートのスーツ姿で低めのヒールのパンプスを履いていることが多いが、今日はサイズがピッタリと合った紺色のパンツスーツに、襟元がV字になった白いカットソー、足にはよく磨かれたヒールの高い靴を履いている。スタイルの良さと背の高さが際立って、なんとも迫力がある。

「昨日の資料のことで、ちょっと良い?」

 部長はそう言うと手にしたプリントをめくり、赤いインクで囲いをつけた部分を指差して言葉を続けた。

「流石に早川が作っただけあって、誤字脱字も無かったし、非常に分かりやすかったわ。ただこの箇所……」

「ああ、そこですか。俺も載せるかどうか、迷いはしたんですけどね」

「去年の一件について、まだ貴方のことを良く思って居ない役員さんも居るみたいだから、あまり蒸し返すような書き方をするのは……」

 一瞬だけ、部長が悲しげな表情になる。

「いえ、大丈夫ですよ。何か嫌味を言われたとしても、気にしないですから。そんなことよりも、あんな事がまた起こらないようにするのが、今回の俺たちの役目でーすよね?」

 おどけた口調で言ってみると、部長は少し困った顔をしてから微笑んだ。

「そうね。じゃあ、このまま行きましょう。午後はよろしくね」

「はい!全力を尽くします!」


 2時間の打ち合わせが終わり、ヘロヘロになりながらも部長と共に会議室から戻って来た。2人とも倒れこむように自分の席に座る。

「あらあら、部長も早川ちゃんもお疲れ様。はい、コレあげる」

 憔悴しきった俺たちのもとに、ペタペタと足音を立てて、のど飴の袋を持った課長が現れた。

「ありがとう」

「ありがとうございます」

 何気なく選んだのがレモン味だったらしく、酸味が喋り通した喉にしみる。

「それで、首尾はどうだったの?」

 課長は小首を傾げながら、俺たちに聞いてきた。今日の課長はふわふわした服装に、緩やかに一つ結んだウェーブのかかった髪に、黒目がちなあどけない顔をしている。一見可愛らしいお姉さんだが、実は年齢性別共に不詳の人物だ。

「大体は、予想通りでしたね。今まで通りでも問題ないだろとか、書類を作るだけならワープロで十分だろとか、会計のことはよく分からないけどそんなに大変なことじゃないだろ、とか」

「全く、部門の長を名乗る方々なら、会社の仕組みくらいは分かって欲しいものだわ」

 部長は溜息まじりにそう言うと、のど飴を口に放り込んでガリガリと噛み砕いた。

「じゃあ今回の打ち合わせは失敗?」

「いえ、社長だけは、ちょっと前向きに考えてくれたみたいです」

「……早川が、去年の一件を例にあげて、このプロジェクトの必要性を訴え掛けてくれたらね、一瞬だけ右の眉毛が上がった後、検討してみよう、って」

「あー、社長が何かを始めたりする時って、結構その癖が出るよねー」

 課長がのど飴の袋をガサガサと漁りながら、のんびりとした口調で相槌をうつ。

「まあ、最終的な判断は一週間後の役員会でするみたいなんで、それまでに気が変わってしまわれなければ、って具合です」

「じゃあ、それまでこの話題はあんまり進めない方がいいねー。社長けっこうへそ曲がりさんだから、決めようとしてる所にしつこく何か言ったりすると、絶対言われたことの反対のことするし……オレンジ味、もうない……」

 どうも課長の目下の関心は、今回のプロジェクトの成否よりも、のど飴の味に向かっているようだ。この世の終わりのような表情で落ち込んでいる。

「……あんたが、オレンジ味ばっかり食べてるからでしょ。じゃあそう言う事で、このプロジェクトについては役員会の決定を待つことにして、各自通常の業務に戻ること!」

「かしこまりました!」

「了解なりー」

 そんなこんなで、俺たちは通常の業務に戻ったわけだが、課長がこのプロジェクトにどのように関わっていたかは謎だ……


 しばらくの間今日の打ち合わせ関係で、課長も含め、残業時間が色々とおかしいことになっていたから、当面は定時くらいで帰れという部長命令が出された。金曜日のオフィス街の道は、飲み会に向かう集団でいつもよりガヤガヤしている。

 試しに、2人を飲みに誘ってみたが、部長は前々からの大事な約束がある、課長はパートナーとの約束がある、と言うことで、結局役員会の後くらいにしようということになった。特にこれといった趣味が無いと、こういう時に何をして良いか全く分からないのが辛い所だ。

 ひとまずビールと簡単なツマミを買って自宅に戻ると、昨夜のように部屋が異様に湿気っぽく、冷蔵庫が結露している。

 恐る恐る扉を開けてみると、やはり彼女が、首だけでそこに居た。

「お疲れ様です」

「あ、はい。お疲れ様です……」

 彼女は相変わらず、オドオドとしながら、か細い声で答えた。どうせすることも無いから、少し彼女と話でもしてみようか。

「自己紹介が遅れてすみません。俺は早川と申しますが、あなたは?」

 彼女はキョトンとした後、少し考え込んでから答えた。

「すみません……思い出せません」

「どちらから、いらしたんですか?」

「すみません……それも分からないです」

「じゃあ、何をしにいらしたかも?」

「はい……全く分からないです……」

「そうですか……」

 ひとまず、お互いこの状況について、全く訳が分かっていないということは分かった。

「ちなみに、大変失礼な質問なんですが、あなたは生きているんですか?」

 いや、よく考えたら、明らかに心霊現象の類だろう……

「え?あ、はい……多分そうなんだと思いますが、何か変な所ありますか?」

 予想外の反応に、初めて遭遇した時とは、別の方向性で驚いた。変も何も……

「誠に申しあげ難いのですが……あなた今、生首の状態で、俺の家の冷蔵庫の中段に発生してますね……」

「ええ!?それ、本当ですか!?」

 彼女も驚いたようで、思わず大きな声を出してしまっている。

「はい……残念ながら……」

「それは……ご迷惑をお掛けしました……」

 彼女はそう言うと、心底申し訳なさそうに、伏し目がちに黙り込んでしまった。何かとても、悪い事をしてしまった気分だ。

「いえいえ、別に大した物も入っていないので、大丈夫です。それよりも、何か別の話でもしましょう。趣味とかは、何かありますか?」

 急にナンパのようになってしまったが、彼女は特に気にする様子もなく、趣味ですか、と小さく呟いてから少し考え込んだ。

「趣味……とは、違うかもしれませんが、しいて言うなら、ヒヨコが好きだった気がします」

 予想だにしなかった回答が返ってきた。

「……頭からバリバリ食べるんですか?」

「ちーがーいーまーすー!なんて事言うんですか!?」

 彼女は声を荒げながらも、何処か戯けた口調でそう言った。その様子がどこか可笑しくて思わず笑い出すと、彼女もつられて笑い出した。

「ははははは、すみません、冗談です。可愛いですよね、ヒヨコ」

「あはははは、此方こそすみません。はい、気づくと日用品がヒヨコだらけになってしまうんですよ」

 よくよく考えると、笑顔の生首なんて恐ろしいかぎりだが、彼女の笑顔は普通に可愛いと思った。

 その後、しばらくヒヨコの可愛らしさについて2人で語り合い、ヒヨコの話題も尽きてきた頃に彼女が不意に気まずそうな表情になった。

「……すみません。何だか話しすぎてしまったみたいで……」

「いえいえ、寂しい一人暮らしにとっては、楽しい時間でしたよ」

「あ、ありがとう、ございます」

「こちらこそ」

「早川さんと、話が出来て本当に良かったです」

 彼女の顔が、急に暗くなる。ひょっとしたら、もう出て来ないつもりなのかもしれない。怪奇現象が起こらなくなるのは良い事だとは思うが、このままお別れというのも物悲しい気がする。

「じゃあ、また今度」

 目を円くする彼女の返答を聞かずに、冷蔵庫を閉じた。再び扉を開けると、そこには野菜ジュースのパックが転がっているだけだった。

 そのままそっと扉を閉じ、足元に目をやると、レジ袋が床に置きっ放しだった。

 ビール……冷やすのをすっかり忘れていた……

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