果たし合い★
本日は午前中に役員会があり、システムについては試験的に導入を始めることが可決されたらしい。参考人として出席した部長が言うには、先週の説明会を聞いて導入に肯定的な意見になった役員さんが増えたことと、社長の反省文のような文書が効いたことで、導入決定になったと言うことだ。ちなみに社長から、これからはこのシステムを使って情報を共有するからいきなりの入金で社内を混乱させることも少なくなる、という言葉が出た際には、出席者から歓喜の声が上がったらしい。
「何にせよ、よく頑張ったわね、早川」
社員が居なくなった営業部門の執務室に小型カメラとマイクを設置しながら、部長が優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。ただ、俺一人の力じゃなくて部長、と多分課長に、色々フォローしていただいたおかげですよ」
ノートPCにインストールした遠隔会議用のソフトに異常がないか確認する手を止めそう返すと、謙遜しないの、と部長に頭を小突かれた。先週までの頑張りが報われて、本当に良かった。後は、残作業を片付けるだけだ。
「早川さん!さっき日神課長から、今から社に戻る、と連絡がありました!」
執務室のドアが開き、吉田が社用のスマホ片手に、パタパタと走って来る。
「了解ー。じゃあ、俺と部長はあっちの執務室に行って、様子を見てるから頑張れよ!」
そう言ってボイスレコーダーを手渡すと、吉田は元気よく、かしこまりました、と返事をして受け取った。
「アイツからも、準備は万端なり★、と言う連絡がきたから、あとは日神を待つだけね。じゃあ、作戦開始と行きましょうか」
「かしこまりました!」
「尽力いたします!」
部長の号令に二人揃って返事をし、各々位置に着いた。
俺と部長は自分達の執務室に戻り、入口のドアの小窓に緞帳の端切れのような黒い布で目張りをしてから、必要最低限の灯りだけを残して、照明を消した。こっちの執務室には窓がないため、これで灯りが漏れることは無いだろう。そして、分配器で二人分のイヤホンを付けたノートPCの画面を覗き込む。側に課長が居たら、ドキドキしてるでしょ★、とからかわれそうだ。
「ふっふっふ、早川ちゃんドキドキしてるでしょ★」
急に課長の声がして、驚いてそちらの方を見ると、部長がいたずらっぽくニヤリと笑っている。
「どう?似てたかしら?」
「似てるもなにも、本人のものとしか思えなかったですよ」
声そのものに加えて、喋りかたの雰囲気も課長そのものだった。まさかとは思うが、一応確認しておこう。
「実は、部長ソックリの特殊メイクをした課長だったりしますか?」
「さすがに、それは無いから、安心なさい」
それは良かった。いや、別に課長が嫌だという訳ではないけど、あの人は集中して画面を見てると、絶対に脅かしてくるから潜伏する時に一緒なのは心もとない。
「まあ、流石にアイツでも、今日は心配している様なイタズラはしないと思うけどね」
日々の業務を見ていたせいで、俺の考えてることを何と無く察したらしい部長が、一応のフォローを入れた。
「流石に、そうですよね……しかし、部長にもモノマネの特技があったとは思いませんでした」
「にも、ってことは、三輪さんの特技も見たことあるみたいね」
部長の言葉に、彼女の特技を思い出した。
「はい。驚くほどの完成度でした……」
「何故か、この部門に来るのは、そういうことが得意なのが多いのよ。三輪さんは一点を極めるタイプで、私とアイツが広範囲に色々とするタイプね」
「やっぱり、課長もそういうの得意でしたか……」
しかし、こうも同じ部署で特技が被るのも珍しい。
感慨深く見つめていると、部長が冗談めかしながら答えた。
「まあ、今のご時世、管理部門でやって行くには狐狸変化の類の方がやりやすいのよ」
彼女についてはイメージが湧かなかったが、部長と課長については狐狸変化と言う例えが、実にしっくりきた。
「つまり、課長がタヌキ、部長がキツネってとこですね」
タヌキとキツネが、いつもの課長と部長のやり取りをしている思うと、なんだかとても気持ちが和む。
「まあ、冗談だけどね」
「まあ、ですよね……でも、部長と他愛が無い話が出来て、嬉しかったです」
少ししんみりしながらそう言うと、部長にまた頭を小突かれた。
「まだまだ、今日の飲み会でも、他愛のない話をするわよ」
そう言った直後、部長が口元に人差し指をかざした。どうやら、日神が会社のエントランスに着いた様だ。俺と部長はイヤホンをつけ直し、画面覗きこんだ。
画面の中の執務室のドアが開く音が響き、日神が現れた。そして、顔を覆っている吉田の背後に立つ。
「それで、相談事ってのは何だ?」
背中越しに、日神が声をかける。カメラの位置のせいで表情は見えないが、口調は意外にも穏やかだった。
「……あの案件……返して下さい……」
泣き声混じりの吉田の声が、イヤホンから聞こえてきた。表情は見えないが、棒読みにはなっていないから、怪しまれはしないだろう。
「……お前には、まだ早い。それに、あの手の規模の客先は面倒だぞ?トップ近くに知り合いがいるうちは良いが、組織が変わったりすれば、すぐに掌を返す。ただ付き合いが無くなるだけならまだ良いが、接待だけさせて日々の不満の捌け口につまらない説教を長々とされて、挙句の果てに何もなしなんてこともざらにある。出来れば、君にはそんなことで嫌な思いをして欲しくは無い」
これも意外なことに、未熟だから云々で思いとどまらせるようなことを言うのかと思えば、吉田を心配する言葉が続いている。いや、まあ、本心かどうかは判断はつかないのだが。
「それでも……伝之助さんが繋いでくれた縁は、無駄にしたく無いんです……!」
吉田の言葉に熱がこもる。うん、多分演技ではなくて心のそこからの叫びだろう。
「……またそれか……」
日神が、言葉を吐き捨てる。そう言いたくなる気持ちは分からないでも無いが、日神にしてはヤケに苛立っている気がする。
「君はまたそうやって、こちらがどんなに目を掛けているかも知らず、訳のわからない生物のことで周りを見失うのか!?」
日神の声が荒くなる。しかし、吉田がでんでん虫関係を仕事に持ち込んだのは今回が初めてだった気がするのだが。強いて言えば、結婚の報告があった時、趣味の仲間だったという話を聞いたから、今思えば、でんでん虫関係の仲間だったんだろう。でも、それでも結婚式は休日だったし、長期で新婚旅行に行った訳でもないから、仕事に迷惑は掛けていない気がする。
悩む俺に向かって、部長が小声で、鈍いのね、と言った後画面に集中する様に促した。
「でんでん虫は、訳のわからない生物なんかじゃありません!観察しがいがある、愛らしい生き物です!」
画面のなかで、吉田が激昂して振り返った。画面に映った額には小さなポイントシールが貼られている。暫くの間を置いて、やや冷静になった日神が、手を伸ばしながら声を出した。
「……額に、何かついているぞ…………おい、その髪!?」
それとほぼ同時に、吉田の坊主頭の髪の毛が、伸び始めた。
吉田の髪型が五分刈り、ショートボブを経て肩より長い長さになると、段々と頭が盛り上がり、別人の顔が現れる。
「……っ!?」
日神が、その場に尻餅をついてヘタリ込み、小刻みに震えた。まあ、いきなり坊主頭から別人の頭が生えてきたらそうなるだろう。しかも、当の吉田は虚ろな表情をして手をダラリと伸ばしているのだから。
それでも、いつもの彼女なら、出てきた瞬間はビックリされるだろうが、ここまで怖がられないはずだ。ただ、今日は違う。
お腹を空かせた子供達に自分の顔の所々を、お食べ、と差し出したらこうなるだろうというような容貌になっている。課長の特殊メイクによるものだと分かってはいるけど、実に心臓に悪い。
「う……あ……」
画面の中で、日神が情けない声を漏らす。うん、俺も初対面がこの容貌だったら、泣き叫ぶか気絶するかしてただろう。
そんな状況の中で、彼女は容赦することなく、ニタァと嗤って声を出した。
「漸く……会えた……貴方のせいで……私は……」
非常にゆっくりとした口調でそう言い、その言葉に合わせて吉田がゆっくりとにじり寄る。
「……悪かった!命まで取るつもりはなかったんだ!ほとぼりが冷めるまで、忘れていてくれればそれで……!」
日神が、尻餅をついたまま後ずさりしてそう言う。追い討ちをかける様に、吉田と彼女が日神の顔を覗き込む。
「何を……忘れていれば……?」
「あの夜に、早川の机を探してたことだよ!」
パニックになっているためか、彼女の言葉に対して、意外に素直に自白をしてくれた。
「そんな……ことのために……私は……許せない……許せない」
そう言いながら、吉田と彼女がゆっくりと更に顔を近づける。それと同時に、日神は凄まじい悲鳴を上げながら二人を払いのけ、執務室の出入り口に走って行った。
「痛っ!」
「吉田さん!?大丈夫!?」
「あ、はい!軽い尻餅なので全く問題ないです!」
一方画面の中では、払いのけられた吉田が軽く尻餅を突き、頭に出現している彼女がそれを心配するという、なんとも微笑ましいような、シュールなような、光景が繰り広げられていた。
「じゃあ、私は次の場所に行って来るね」
「はい!お疲れ様です!」
頭を下げる吉田に若干振り回されながら、彼女はスルスルと吉田の頭に沈み込むように消えていった。
暫くして、今度はエレベーターホールから凄まじい笑い声が聞こえて来た。
「じゃあ、私達も行きましょうか」
「かしこまりました!」
部長の促され、笑い声が響いてきたエレベーターホールに向かうと、焦点の合わない笑顔のままヘタリ込む日神と、困った顔をした月見野部長の姿があった。
「あ、早川君。さっき管理課長さんにバッタリ会って、社に戻るならこのハガキを早川ちゃんに渡してね!、って言われたんだけど……エレベーターから降りて日神君に出くわしたら、何故かこんなことに……」
そう言う月見野部長の困り顔の上に、すっとぼける、と言う形容詞がぴったりの彼女の顔が生えていた。月見野部長は、全く気がついていない様子だ。
「……ちなみに月見野君、アイツから他に何か聞いてる?」
「いやー、このハガキを渡すように、としか聞いてないですよ」
途端に、彼女の顔もオロオロした顔になる。計画では、月見野部長には事前に説明することになっていたはず。
「あと、何故か顔の周りがザワザワするような……」
「ああ、きっと空調のせいですよ。それよりもハガキ、ありがとうございます」
そう言ってハガキを受け取りながら、アイコンタクトで早く戻る様に彼女に伝える。彼女もアワアワしながら戻ろうとしているが、うまくいかないようだ。課長め、なんで急に計画を変更するんだよ……
そんなことを考えていると、不意に隣のエレベーターの扉が開いた。
「だってー、つきみん絶対演技とか出来なそうなんだもん!」
「うわっ!?」
「きゃぁっ!?」
「うわぁ!?」
そこには、緩やかなウェーブのかかったショートボブにふんわりとした紺色のワンピースという、比較的見慣れた姿の課長が、白いワンピースに首から上に白いモヤがかかっている初めて会った彼女の本体を連れて現れた。そして、白いモヤが少しづつ消えて、徐々に彼女の顔が現れ始める。もちろん、特殊メイクはそのままで。
「うわぁぁぁ!?」
「きゃぁっ!?」
その顔を確認した、月見野部長が悲鳴を上げ、その悲鳴に彼女も驚いて悲鳴を上げた。エレベーターホールは実に訳のわからない事態になっている。
「ありゃ?やりすぎちゃったかな?」
課長が頭をコツンと叩き、舌をペロッと出す。
「……月見野君を盛大に驚かしてどうするのよ」
部長が頭を抑えて盛大に溜息を吐いた。
「あの、この事態には深い訳がありましてね……」
「皆さん!何か凄い悲鳴が立て続きましたが大丈夫ですか!?」
事態を説明しようとする、俺の言葉を、パタパタと駆けつけてきた吉田の声が遮る。
「わぁっ!?み、三輪先輩!?そそそそのお怪我、大丈夫なんですか!?」
「落ち着いて吉田さん!コレが昨日打ち合わせてた特殊メイクだから……大丈夫だよ!」
そして、特殊メイクの完成度の高さに驚愕して、計画をすっかり忘れている吉田を彼女が特技を使ってなだめている。何かもう、何が何なんだか……
そんな騒乱の中、いつの間にか日神はひっそりと気を失っていた。課長がそんな日神を一瞥し、悔しそうな顔をした。
「うーん。もうちょっとだけ、ウギャア、と言って欲しかったんだけどね。とりあえず、介抱しとくから、みんな先に飲みに行ってて★」
「じゃあ、諸々お願いするわね。さあ、行きましょうか」
課長の酷いのだか優しいのだか分からない言葉と、部長の平常心溢れる号令で全員が一先ず落ち着き、予約していた居酒屋に向かうことになった。
「アンタも、早めに来なさいよ」
「了解なりー!」
そんなやりとりをしてその場を後にした訳だが、彼女の特殊メイクを取り忘れていたおかげで、会社の前の通りが一時騒然となったのは言うまでもない。




