7 Dagger and Flail
四機のNT兵器が、広大な中華人民共和国を横断する。
フェリーのメンバーは、フレイル1がアリサ、2がスーリィ、3がダリル、4が瑞樹だった。アリサとスーリィの起用は、非常事態の際にフライトの中にロシア語と中国語が堪能な者が含まれているほうが安心、という配慮に基づくものである。
「2より各機。観光案内よ。眼下に見える線が、グレート・ウォール」
スーリィの声が流れる。
瑞樹は視線を下方に転じた。赤茶けた大地を横切って、白茶の帯がうねうねと伸びている。うっかりしていると、道と間違えそうだ。その上に時折見える四角い建物は、監視塔だろう。
「‥‥世界遺産に対してけちをつけるわけじゃないけど、上から見ると意外とつまんないわね」
ずけずけと、ダリルが言う。
「一根麺の老舗と同じだからね」
スーリィが、くすくすと笑う。
「‥‥なにそれ。意味わかんないよ」
瑞樹は首をひねった。
「一根麺っていうのは、シャンシーの伝統的な麺で、一人前の麺がながーい一本の麺になっているの。つまり‥‥」
「ははは。古くて長いのが自慢、っていうことだな」
ジョークの意味を理解したダリルがすかさず言って、笑う。
しばらく飛行すると、またスーリィの観光案内が入った。
「これがホワンホー。ワンリーよりは見ごたえあるかな」
川幅は、広いところでは軽く1kmを超えるだろう。その名前の通り、やや黄色がかった茶色い水が流れ下っている。
そこを過ぎると、眼下は砂漠に変わった。見事なまでに、荒れ果てた大地だ。
「はい、またグレート・ウォール」
しばらくして、またスーリィがアナウンスする。
「こんな何にもないところに、よく造ったな」
ダリルが、感心する。
たしかに、ひどく山の中だ。しかも、周囲にはろくに樹木も生えていない。水さえ得るのが困難であろう荒れた山地に、事実上人力しかない時代にこれだけの規模の建造物を構築する‥‥人間の防衛に関する執念には凄まじいものがある。
四機はゴビ砂漠の北をかすめて、西進を続けた。
「はい。見えないけど、ここの真南にあるアンシーって小さな都市が、あたしの故郷よ。まあ、実家は郊外なんだけど」
「たしかに、遠いわね」
アリサが、言う。
「大きいわねえ、中国って」
瑞樹はため息混じりに言った。すでに海岸から1200nmも飛行しているのに、西の国境にたどり着くためにはあと800nmほど飛ばねばならないのだ。
「ねえ。スーリィの親父さんの店に寄っていこうよ。おなか空いたし」
ダリルが、提案する。
「いいわね。スーリィ、お勧めのメニューはなに?」
アリサが、ダリルの冗談に付き合った。
「麺類が旨いよ。牛肉麺がいちばんお勧めだね。さっぱり味が好きなら鶏湯麺。辛いのが好きなら川菜の担担麺を注文するといい」
「チョワンツァイ?」
「ああ。スーチョワン料理のことだよ。豆板醤が効いていて、旨いよ」
「そんな話するから、ほんとにおなか空いてきちゃったじゃない」
瑞樹は仕方なく、コックピット備え付けの飲料チューブからスポーツドリンクを少し飲んだ。中身を何にするかはパイロットの自由裁量に任されているが、たいていが吸収の良いスポーツドリンクか、柑橘系のフルーツジュース、あるいは普通の水を入れている。カフェイン入りだと利尿効果があるし、ガスを保持する仕様ではないので炭酸飲料は不味くなってしまう。
‥‥ところで、みんな何入れてるんだろう?
瑞樹はふと疑問に思った。まさかとは思うが、アリサは例の乳酸菌飲料だろうか。となると、スーリィはさしずめ中国茶か。ダリルはブラックコーヒーか。いや、彼女のことだ、ビールかも知れない。
‥‥まてまて。酒豪三人衆だから、みんなアルコールかも知れない。
瑞樹はひとりでくすくすと笑った。アリサはウォッカ。スーリィが紹興酒。ダリルが‥‥バーボンか。みんな国民酒を飲みながら、飛行するのも面白いかもしれない。瑞樹が日本酒、ミギョンがマッコリか韓国焼酎。サンディは‥‥ノンアルコールビールで我慢してもらうとしよう。
中華人民共和国に別れを告げ、カザフスタン領空に入る。
険しい山岳地帯を、四機は飛行した。意外に、緑が多い。さらに西進すると、山間に農地が見え出した。川沿いに道路が走り、集落も多くなる。
タルディ・クルガン空軍基地は、案外せせこましいところにあった。両側を山地に挟まれた、幅数キロの谷間に南北方向に滑走路が伸びている。‥‥広い国なのだから、もっと空軍基地に相応しい土地はたくさんあると思うのだが。
四機はVLした。先乗りしていた上田二佐の部下が、早速四機を対爆ハンガーの中へと引き入れる。
「ご苦労だった、諸君」
二日前から現地入りしている矢野准将が、出迎えてくれる。
「こちらが、基地司令のダヴィドフ大佐だ」
矢野が紹介してくれた基地司令は、純粋なロシア系のようだった。ウェーブした黒髪で、背が高く細身だ。
「では早速、ダガー・スコードロンに挨拶してきたまえ」
矢野が、言う。
四人は先乗りしていたサンディとミギョンに合流した。
「思ったより寒くないわね」
瑞樹は言った。山岳地帯のイメージがあるから、もっと冷えると思っていたが、気温は宮崎より数度低い程度だ。
カザフ人の軍曹が案内してくれた一室には、誰もいなかった。アリサがロシア語で会話し、軍曹が一礼して去る。
「連れてくるそうよ。待っていてくれって」
瑞樹は装飾の少ない室内を眺めた。何の変哲もない会議室のような部屋だったが、なんとなくロシアや中国の雰囲気が漂っている。‥‥壁の下半分に塗られたモスグリーンのペンキのせいだろうか。あるいは、昔の病院を思わせるような古臭い窓のデザインゆえだろうか。
「やあ、フレイル・スコードロンの諸君」
快活に言って入って来たのは、UNUF少将の徽章をつけた男性だった。ヨーロッパ系だが背はあまり高くなく、浅黒い肌をしている。髪はウェーブしており、漆黒だ。
瑞樹らは立ち上がって敬礼した。
少将の後から、六人の若い女性がぞろぞろと入ってくる。いずれも、ヨーロッパ系だ。
「勝った」
ダリルがつぶやく。‥‥何に勝ったつもりなのだろうか。
「楽にしてくれ、諸君。わたしが、ソード・ベース副司令官のマティアス・オデールだ。よろしく頼む」
オデール少将が、フレイル・スコードロンの面々に握手を求める。‥‥ほんとに小柄な人だ。眼の位置は、瑞樹より2〜3センチ上に過ぎない。
「では、ダガー・スコードロンのメンバーを紹介しよう」
芝居がかったしぐさで、オデール少将が後ろに立つ六人を指し示した。
「ヘザー・ベンソン少佐。イギリス空軍。乗機は、ネメシス」
ひとり目が、自己紹介を始める。まっすぐなストレートボブの黒髪と、きりっとした目元が印象的な、いかにも気の強そうな女性だった。
「ニーナ・マリコワ大尉。ロシア空軍。乗機は、ヴァジェット」
緩くウェーブした豊かな茶色の髪と、大きな薄茶色の眼をした、かなりの美人だ。思わず釣り込まれて微笑んでしまいそうな、人の良さそうな笑顔を浮かべている。鼻梁を横切るそばかすが、チャームポイントのひとつか。
「アレッシア・ペリーニ大尉。イタリア空軍。乗機は、ゾリア」
ニーナを上回る美人だった。サンディと、いい勝負だろう。肌はやや浅黒く、ウェーブした黒髪とやや細めの色っぽい焦げ茶の眼。背は170センチをわずかに超える程度。手足も長く、プロポーションも抜群だ。長身だったら、ミラノでファッションモデルが務まったに違いない。‥‥いや、胸が豊か過ぎて無理か。
「ミュリエル・ヴァロ中尉。フランス空軍。ヴァジェットとネメシスの予備パイロット」
ベリーショートにした薄茶色の髪と、同じ色合いの眼の持ち主だった。でも、何といっても目に付くのは、その巨乳振りだった。フレイルで一番の巨乳はダリルだが‥‥彼女でも敵うまい。
「エルサ・リンドマン中尉。スウェーデン空軍。ゾリアとベローナの予備パイロット」
背の高い女性だった。サンディよりも高く、180センチを超えているだろう。ウルフカットに調えたプラチナ・ブロンドの持ち主で、目立つことこの上ない。ただ、顔立ちがややきつく、男っぽい印象を与える。
「フィリーネ・シャハト中尉。ドイツ空軍。乗機は、ベローナ」
最後に自己紹介したのは、小柄で‥‥といっても、瑞樹より若干高いが‥‥子供っぽい顔立ちの女性だった。くせのない濃い金髪を、毛先が内側に丸まる感じのストレートボブにまとめている。きれいな青い眼の持ち主で、童顔のせいかちょっと内気そうな雰囲気を漂わせている。
フレイルの六人も、それぞれ自己紹介した。
「とりあえず、今日は正式な訓練はないが‥‥時間は限られている。今日のうちに、親睦を深めるためにも情報交換をしたまえ。お茶でも運ばせよう」
オデール少将が言って、部屋を出る。
「アリサ・イリーニチナ!」
「ニーナ・リュドミーロヴナ」
すぐに、二人のロシア人が声を掛け合った。走り寄って、ロシア式のキスを交わす。
「あらら。知り合いだったのね」
あきれた様に、ダリル。
「こんなところで会えるなんてね」
「女性パイロットの世界は、狭いからね」
一方で、サンディとヘザー・ベンソン少佐が、がっちりと握手を交わしている。
「お知り合い?」
瑞樹は訊いた。
「ああ。演習で、ネリスに行った時に意気投合したんだ。いい腕してるんだ、こいつが」
嬉しそうにヘザーが説明し、サンディの腰を抱いた。
アリサとニーナは、早口のロシア語で二人だけの世界に突入している。
「あの‥‥」
呼びかけられて、瑞樹は振り向いた。
フィリーネ・シャハト中尉だった。
「なんでしょうか?」
「わたし、ダガーのベローナ・パイロットです。よろしく」
フィリーネが、ぺこりとお辞儀する。
‥‥可愛い。
おもわず瑞樹は見惚れた。容姿が可愛いのはもちろんだが、動きに小動物的な愛らしさがある。
「あ、よろしく。‥‥失礼だけど、あなたおいくつ?」
「二十六ですが」
ちょっと小首をかしげて、フィリーネが答える。
「じゃあ、年下ね。わたし、二十八だから」
「じゃあ、お姉さまですね、サワモト大尉」
フィリーネが、微笑む。
「サワモト大尉はやめて。瑞樹でいいわよ」
「判りました。瑞樹お姉さま」
フィリーネが言って、瑞樹の手をぎゅっと握った。
運ばれてきたお茶を飲みながら、歓談する。
十二人は自然にいくつかのグループに分かれた。アリサとニーナは、相変わらずロシア語で喋りまくっている。‥‥フレイルのメンバーにとって、初めて見るおしゃべりなアリサである。
サンディは同じゾリア乗りのアレッシアと話し込んでいる。ダリル、スーリィ、ミギョン、ヘザー、ミュリエルの五人は、ひとつの輪になって議論を交わしている。手で機動を説明しあっているところを見ると、ACMに関して意見を述べ合っているようだ。
瑞樹は、同じベローナ乗りであるフィリーネと、ベローナの予備パイロットであるエルサと話し合った。
瑞樹がNAWCでの戦果を話すと、フィリーネとエルサの眼の色が変わった。
「タイクーンを四両も破壊したのですか! 凄いです、瑞樹」
フィリーネが、手放しで褒める。
「いやあ、NAWCは目標が豊富だったから。NAECは、それほどでもなかったんでしょ?」
「それもあるけど、運も悪くてね」
エルサが、肩をすくめた。
「なかなか敵にめぐり会えなくて。たまに戦闘になると、敵の数が多すぎて防戦一方になっちゃうし。苦労して目標にたどり着いたら、敵はティンダー三両だけ、なんてことも多くて」
「ふーん。エルサは、以前は何に乗ってたの?」
「もちろん、グリペンよ」
「フィリーネは?」
「タイフーンです」
「わたしも対地攻撃の腕は、フィリーネに負けないつもりなんだけどね。でも、この娘はACMの才能もあるから‥‥」
エルサが言って、フィリーネの肩をぽんぽんと叩いた。
「へえ。そうなんだ。何機か墜とした?」
「はい。三機ばかり。お姉さま‥‥いいえ、瑞樹は?」
「ふふ。四機」
瑞樹は含み笑いと共に、スコアを発表した。
「やっぱり凄いですわ」
フィリーネが、感激の面持ちで両手を組み合わせる。
「やるねえ。で、そのうちファイアドッグは何機だい?」
エルサが、訊いた。
「‥‥一機」
「フィリーネは三機ともファイアドッグだよ」
「うわ。凄いじゃない、フィリーネ」
瑞樹は、驚きの表情でフィリーネを褒めた。ベローナでファイアドッグを撃ち墜とす難しさは、世界中の誰よりも深く理解している瑞樹である。
「運が良かったんです」
フィリーネが、少し赤面した。
「いいなあ。わたしも一機くらい墜としたかったよ」
エルサが言い、冷めかけた紅茶をすすった。
タルディ・クルガン空軍基地の士官食堂。
十二人が一緒に座れるテーブルがなかったので、一同は六人ずつに分かれた。暗黙の了解で、戦闘機組と攻撃/偵察機組になる。もちろん、瑞樹は後者である。他のメンバーは、サンディ、アリサ、アレッシア、フィリーネ、それにエルサだ。
瑞樹は端の席を選んだ。隣はフィリーネ、向かいはアレッシアだ。
‥‥美人ばっかりじゃんか。
瑞樹は同席者を見回して少々劣等感に苛まされた。サンディは言うまでもなくフレイル一の美人だし、アリサもなかなかきれいだ。アレッシアはダガー一の美人だろうし、エルサは愛嬌には欠けるが長身でプラチナ・ブロンドである。フィリーネも、可愛い顔をしている。
ここのディナーはフリーメスではなく、ちゃんと兵士がウェイター役を務めてくれるタイプだった。イスラム圏だが、アルコールも置いてある。ただし、豚肉料理はないようだ。
モンゴル系の顔立ちをした女性兵士が、給仕してくれる。瑞樹は運ばれてきたザクースカを味わった。スモークサーモンと茹で野菜、胡瓜とカリフラワーのピクルス、それに灰色のキャビアがちょっとだけ載っている。おいしい。
「このあたりもロシア料理なのかしら?」
アレッシアが、フォークでサーモンを突き刺しつつ、アリサに訊いた。
「そうね、と言いたいけど、もともとロシア料理ってのが、曖昧だからね」
クヴァースの入ったグラスを置いて、アリサ。
「今ロシア料理と呼ばれているものの多くが、ウクライナやグルジアや中央アジアの料理なのよ。もともと、ロシアの農民が食べていたのは、ごくごく素朴な料理だったし。残念だけど、こと食に関して、ロシアはあまり文化的に貢献しているとは言えないわね」
「でも、ロシアの宮廷料理があるじゃない」
エルサが、指摘する。
「実は、ロシア宮廷の料理人はフランス人だったのよ。伝統的に、ロシアはフランス贔屓だったからね。そのフランス人が、各地の郷土料理を集めてアレンジし、作り上げたのがロシアの宮廷料理なの。まあ、あと二百年もすれば、中華料理やフランス料理なみに洗練され、世界に広まるかもしれないけどね」
皮肉めいて、アリサ。
続いて運ばれてきたのはサワークリーム添えのキャベツスープだった。シチーと呼ばれるロシアの伝統料理だ。ブリヌイという、厚いクレープみたいなパンケーキも出てくる。主菜は、焼いたマトンだった。揚げたジャガイモや、ドライフルーツが入ったピラフが添えられている。
さらにサラダが出てくる。デザートは、ラズベリーのジャムを添えたアイスクリームだった。最後に、熱い紅茶が出される。
「太っちゃうよ、これじゃ」
サンディが、ぼやく。
瑞樹もおなか一杯だった。ピラフは甘すぎて口に合わず、あえて残したくらいだ。フィリーネは小食らしく、ブリヌイには手をつけなかったし、ジャガイモやマトンすらも残したようだ。
「あんまり食べないんだね」
瑞樹は、フィリーネに微笑みかけた。
「おいしかったけど、夜はそれほど食べられないんです」
照れたように、フィリーネが言う。
「あーもう、何で勝手にミルクと砂糖入れるかな‥‥」
隣のテーブルで、ダリルがわめく。給仕の兵士に食後のコーヒーを頼んだようだが、彼女が持ってきたのは砂糖のたっぷり入ったミルクコーヒーだったらしい。
「文句言わず飲みなさいな、ダリル」
アリサが、声を掛ける。
「このあたりじゃ、ブラックコーヒーは飲まないのよ」
「‥‥わかったよ。ま、たまにはいいか」
ダリルがむくれつつ、カップを傾け‥‥またわめき出した。
「インスタントじゃん!」
「ついでに言っとくと、このあたりじゃ輸入物のインスタントコーヒーしか飲まないのよ」
あきれた表情で、アリサ。
「ドリップコーヒーが飲みたかったら、観光客用のホテルのカフェを探すのね」
残る十人から、笑いが巻き起こった。
翌日から、合同訓練が始まった。
すでに実戦経験済みの十二人である。訓練内容も、実戦さながらだった。タルディ・クルガン基地の北西にある荒地に置かれたターゲットをカピィの地上部隊集結地に見立てて、攻撃すると言うシナリオである。
八機のNT兵器が編隊を組んで飛ぶ姿は、壮観であった。空対空装備のゾリア二機‥‥サンディとアレッシアのペア‥‥が先導し、空対地装備のネメシス二機‥‥ミギョンとヘザー、同じくベローナ二機‥‥瑞樹とフィリーネがそれに続く。スーリィとニーナのヴァジェットは、やや高いところで攻撃隊の直衛についている。
「レイピア1より各機」
フライト・リーダーを務めるアレッシアが、呼びかけてくる。便宜上、ダガー/フレイル両スコードロンは、レイピア・フライトとして合同訓練のあいだだけ使用されるコール・サインを与えられていた。ゾリアから順に、ダガーが奇数、フレイルが偶数だ。フレイル4だった瑞樹は、レイピア8となる。
アレッシアが、分離を命じた。ネメシス二機が、ゾリア二機に援護されて北から。ベローナ二機が、ヴァジェット二機に援護されて南東から攻撃する作戦である。
先行するゾリアと、ネメシスが滑らかに離れてゆく。ダガーの面々も、その腕は確かだった。NT兵器を着実に使いこなしている。
ターゲットに迫る。発射準備を整えた瑞樹は、ペアのリードを執るフィリーネの合図を待った。
フィリーネが、発射をコールする。瑞樹もウェポン・リリース・ボタンを押し込んだ。
「おはよ〜」
瑞樹はダリルとスーリィに挨拶すると、トレイを手にした。
夕食はコース料理だが、朝と昼はフリーメスである。瑞樹は黒パンと白パンを一枚ずつ、ラズベリージャム、クリームチーズ、野菜スープ、野菜サラダ、スライスした果物の盛り合わせ、紅茶と取って、テーブルに着いた。
夕食は、初日と同様十二人全員が同じテーブル‥‥実際には、隣り合ったふたつのテーブルだが‥‥に着くのが習慣になったが、朝食と昼食はフリーメスのせいか、全員適当なテーブルで自由な時間に食べるようになっていた。メイス・ベースでテーブルを共にしている瑞樹、ダリル、スーリィ、サンディの四人は、いつも通り一緒に食べていたし、アリサもいつもの通りひとりで食べている。ミギョンは、もっぱら整備隊のイ少尉とテーブルを囲んでいる。
瑞樹は黒パンをちぎりつつ、大きなジャガイモや人参がごろごろ入っている野菜スープを飲んだ。黒パンは、酸味の強いいかにもロシア風、といったパンで、スープやチーズによく合う。
「なんでレタスが無いかなぁ‥‥」
ぶつくさ言いながら、ダリルは白パンを使って強引にサンドイッチ作りに取り掛かっている。具はチーズ、焼いたマトン、ゆで卵のスライス、胡瓜に玉葱にトマトといったところだ。
一方のスーリィは、バターを入れたカーシャとシチーという素朴なメニューだった。
サンディが、例によって遅れてやってきた。寝ぼけ眼のまま、テーブルにつく。相変わらず、トレイの上はめちゃくちゃだった。黒パンとナン、ブリヌイとカーシャ。‥‥炭水化物ばかりである。
「ねえ、聞いた?」
そう言いながら、ヘザーが現れた。
「何が?」
即席サンドイッチを頬張りながら、ダリルが訊き返す。
「今日、本部長が視察に来るらしいよ」
「本部長? ランス・ベースの?」
「そう」
「‥‥何ていったっけ。ロシアの人だったような‥‥」
瑞樹は頬を掻いた。完全に、名前を忘れている。
「オレグ・アドリアノビッチ・サヴィン教授」
ヘザーが、フルネームを口にする。
「急に来るとは‥‥何の用かねえ」
サンドイッチを置いたダリルが、コーラに手を伸ばす。
「なんか‥‥いやな予感がするわね」
スーリィが、言う。
その予感は的中した。
自己紹介したサヴィン教授が、十二人全員と握手を交わす。
サヴィン教授は、いかにも教授然とした風体だった。年齢はまだ五十代後半くらいだろうが、波打つ髪はすでに真っ白だ。黒縁眼鏡の奥にある灰色の眼は柔和ながら、知性のきらめきに溢れている。
瑞樹はちょっと驚いた。サヴィン教授が、全員の顔と名前、階級、それに乗機と北米での戦績の概要を知っていたからだ。階級は階級章を見れば一目瞭然だが、教授は一人ひとりの顔を見つめながら、にこやかに名前と階級その他を口にしたのだ。例えば、瑞樹の場合は、「サワモト・ミズキ大尉ですね。ベローナに乗って一番たくさんのタイクーンを仕留めた方ですな」と。
その教授の後ろに控えていたのが、これまた大物だった。
チェン・ガン大将。プロジェクト・デルタ軍事部門の長である。つまり、アークライトの上官だ。
それほど大柄な人物ではないが、貫禄は充分だった。年齢は、五十代半ばくらいだろう。丁寧に撫で付けられた黒髪。鋭い光を放つ、濃いブラウンの眼。身体も引き締まっており、UNの将官服をスマートに着こなしている。いかにも北京のエリート軍人、といった風情だ。
そのチェン大将が、控えていたオデール少将にうなずいた。オデールが、前に出る。
「本日の訓練は、サヴィン教授とチェン大将もご覧になります。では、訓練内容を説明しましょう。ダガーおよびフレイル・スコードロンは、ポイント・アルファに対し模擬核弾頭による襲撃訓練を行います‥‥」
ポイント・アルファとは、先日も対地攻撃訓練に使用した、荒地の中に置かれたターゲットである。
今回の核攻撃訓練は、かなりリアルだった。スコーピオンの模擬弾を搭載したのは、ベローナのみ。しかも、ウェポンベイ内に一発だけ。
残る三機種は、いずれも空対空装備だった。与えられた命令は、ベローナの護衛だけ。
「やりたくないなぁ」
瑞樹は、ぼやいた。
「わたしもいやですわ」
フィリーネが、同調する。
すでに、機体の点検は終わっていた。離陸予定時刻まで、あと十五分ほどだ。
「サヴィン教授とチェン大将が見てるってことは‥‥本気でクリントンをやる気かねぇ」
戦術の打ち合わせをしているかのように見せかけるために、手で飛行プロファイルを示しながら、ダリルが言う。
「‥‥二人の国籍を考えると‥‥ね」
つぶやくように言ったのは、アレッシア。
八機は相次いで離陸した。
ゾリアにアレッシアとアリサ。ヴァジェットにミュリエルとスーリィ。ネメシスにヘザーとダリル。ベローナにフィリーネと瑞樹という布陣である。
今日はチェイス機として、タルディ・クルガン基地に所属するSu−27UB二機が付いてきている。サヴィン教授らに、リアルタイム映像を提供するためである。ポイント・アルファ上空にもAn−30が待機、映像を送る手筈だ。
‥‥やりたくない。
そう思っていた瑞樹だったが、軍人である以上、上からの指示は絶対である。それに、パイロットとしての矜持もある。命令されたからには、全力を尽くすつもりだった。
「フレイル。転針準備」
リードのアレッシアが命じた。今回は、ダガーとフレイルにそれぞれ分かれて、核を搭載したベローナを護衛し、時間差をつけてターゲットに迫る作戦だ。先に北からダガーが攻撃し、その後東からフレイルが襲って止めを刺す。
「こちらレイピア2。4、6、8、針路2−6−0。スタンバイ。‥‥ナウ」
アリサが、針路変更を命ずる。フレイルの四機は、ダガー・スコードロンと分かれると、編隊を組み直した。アリサのゾリアが瑞樹のベローナを直援する位置に着き、スーリィのヴァジェットとダリルのネメシスが、少し前に出て露払いとなる。
ポイント・アルファが近づく。フレイルの四機は、高度を下げると北へ転針した。シナリオでは、この西に山地があり、ダガーが発射した一発目の核爆発の影響を防いでくれるという設定になっている。
瑞樹はスコーピオン発射に集中した。コードを入力してセイフティを解除し、弾頭のモードを時限式に切り替える。起爆は、発射二十秒後。
「レイピア7。発射。発射」
フィリーネの声が、核弾頭スコーピオン発射を告げた。瑞樹は心の中でカウントしながら、ヘルメットのヴァイザーを下ろした。後三秒というところで頭を下げ、MFDが描き出すCGを見ながら操縦を始める。地上の様子は少し前のフライトシミュレーターゲームレベルの表現だが、HUDと同じ情報がそっくりそのまま表示されるから、操縦に支障はない。
ゼロ。
「起爆。起爆」
繰り返すのは、アレッシアの声。
ポイント・アルファは、フレイルの現在位置の西方約50nmである。もちろんすべてのNT兵器は、万全のEMP(電磁パルス)対策を施してある。だが、起爆した核兵器が放射するのは電磁波だけではない。晒されずに済めば、それに越したことはない。
アリサが、高度上昇と西方への転針を命じた。フレイルの四機は架空の山地を飛び越え、高速でターゲットに迫った。距離8nmで、瑞樹はスコーピオンを模擬発射した。
「レイピア8。発射。発射」
四機は南へ向け離脱を開始した。瑞樹のHUDに表示された数字が、ひとつずつ減ってゆく。残り三秒で、瑞樹はヘッドダウンした。
数字が00を表示する。
「起爆。起爆」
瑞樹は、本番ならばやってくるであろう衝撃波に備えた。
「やっぱり上はやる気よ!」
珍しく声を荒げながら、サンディが部屋に飛び込んでくる。
「どうした?」
ロシア語の映画雑誌‥‥表紙の雰囲気からしてたぶん‥‥をぱらぱらとめくっていたダリルが、物憂げに顔をあげる。
タルディ・クルガン基地における瑞樹ら女性パイロットたちの待遇はなかなか良好だった。全員が狭いながらも個室を与えられたし、専用の遊戯室まで貸してくれたのである。もっとも、遊戯室とは名ばかりで、大きなテーブルふたつと、古臭いLGのテレビが置いてあるだけの陰気な部屋だったが。
「これ、見てよ」
サンディが、一枚の紙をテーブルに叩きつけるように置いた。瑞樹は覗き込んだ。どこかの地図のコピーのようだ。地形と、街を意味するらしい丸が描き込まれているが、地名や地図記号の類は記載がない。
その場にいたメンバーが、集まってくる。結構遅い時間なので、もう自室に引き上げた者も多く、その数は少なかった。熱心にチェス盤を囲んでいたアリサとニーナ‥‥さすがロシア人である‥‥、フランス語でなにやら話し込んでいたミュリエルとヘザー、それに瑞樹とダリルくらいである。
「この地形見て、ぴんと来ない?」
サンディが、皆の顔を見渡す。
瑞樹は地図を凝視した。南の方に、ほぼ西から東へ‥‥ひょっとすると、その逆かも知れないが‥‥一本の川が蛇行しながら流れている。東側半分の南から三分の二くらいは山地で、西側半分の南から三分の一くらいも山地だ。あとは平地か、緩やかな丘陵だろう。湖がいくつか見えるが、いずれも形状が不自然なほど複雑だ。氷河地形か、あるいはダム湖かも知れない。
「これが‥‥どうかしたの?」
いぶかしげに、ミュリエルが訊く。
「ぴんと来ないの? とくに、この辺」
サンディの指が、地図の東側にある山地を南北にうねりながら貫く峡谷のような地形をなぞった。
「サンディ。ひょっとして、これで‥‥」
ヘザーの指が、峡谷から西へと地図上を滑ってゆき、止まった。
「このくらいで、50nmとか」
「正解」
サンディが言った。
「どういうこと?」
ニーナが、首をかしげる。
瑞樹にもちんぷんかんぷんだった。ただのありふれた地図にしか見えない。
「はは〜ん。読めてきたわ。この西に見えてる大きな街が、シンシナティね。そしてここが、デイトン」
アリサが手を伸ばし、地図の上部西寄りにある大きな丸を指差す。
「その通り」
サンディが、もう一枚紙を広げた。
今度も地図だった。しかも描かれている地形は一枚目と同じだ。だが、今度は地名が印字されている。そして、中央より少し北西に寄った所に、手描きで赤いバツ印が描いてある。
瑞樹はその印の近くにある街の名を読んだ。
Wilmington。
ウィルミントン。
アメリカ合衆国オハイオ州クリントン郡ウィルミントン市。
カピィの宇宙船が降下した街だ。
瑞樹は卒然と理解した。今日の訓練。目標の東50nmにある、南北に細長い安全地帯。その西方の山地。
単なる核弾頭発射訓練ではなかった。荒削りではあるが、カピィの宇宙船に対する核攻撃の予行演習だったのだ。
「なんか、釈然としないものを感じたから、念のため調べて見たのよ」
腕を組んだサンディが、説明する。
「ネットで地図をダウンロードしてみたら、案の定ぴったりと一致したわ。このスシオト・ヴァレーを低空飛行すれば、50nm離れた目標で起こる核爆発の影響をほとんど受けないで済む」
「本気でやるつもりね‥‥」
ヘザーが、地図を睨む。
瑞樹は慄然とした。地図の中には、いくつもの丸がある。そのひとつひとつが、街である。カピィは、基本的に住民の移住を許してはいない。つまり、そこには多くの人々がいまだに居住しているのだ。そこへ核弾頭を発射すれば‥‥大量虐殺となる。
そして‥‥ベローナに乗る以上、核弾頭スコーピオン発射任務は瑞樹の仕事となるだろう。
「昨日の訓練は、あくまでチェン大将が提示したシナリオに沿って行ったまでだ。他意は無い」
オデール少将が、きっぱりと言う。
「しかし、サー‥‥」
ヘザーが何か言いかけるが、オデールがそれを手で制した。
「言うな。まあ、地形が某大陸某国某州の南部に似ていることは、わたしも矢野准将も気付いた。だが、何を言っても偶然の一致と答えられるだけだろう」
「ですが‥‥」
ヘザーが食い下がる。
「実際、HQも試作NT兵器八機だけで宇宙船を破壊できるとは思っていないよ。核兵器を使ったとしてもね。あくまで、その可能性を探るための研究、と考えるべきだ。そうですな、矢野准将?」
オデールが、斜め後方に立つ矢野准将を振り返った。
「わたしも同意見です、少将」
生真面目な表情で、矢野がうなずく。
オデールが視線を戻し、居並ぶ十二人の女性パイロットを見据える。
「ダガーおよびフレイル・スコードロンの任務を忘れたわけではあるまい? データ収集が、君たちの最重要任務なんだよ。昨日の件も、あくまでデータ収集だ。判るな」
「コントロールよりダガーおよびフレイルへ。開始する」
演習開始が、伝達された。
「フレイル1より各機。2、3は迎撃に専念。1は4を援護する。4、とにかく逃げて」
ゾリアに乗るサンディが、告げる。
「2」
「3」
「4」
今回の演習は、ダガー対フレイルの対戦形式だった。シナリオは、攻撃側が対地装備のスコーピオンを抱いたベローナを、他の三機によって護衛。防御側が、これを襲撃妨害するというものだった。攻撃側のベローナが発射ポイントまでたどり着ければ攻撃側の勝利。ベローナが撃墜されれば、防御側の勝利だ。
‥‥防御側のNT兵器をファイアドッグに見立てた、露骨に核攻撃を想定したシナリオである。
瑞樹は前方を警戒しながら、飛行を続けた。背後はサンディのゾリアが守ってくれているが、こちらの護衛機は総数三である。防御側は四。ヴァジェットのスーリィとネメシスのミギョンが一機ずつ阻止してくれたとしても、サンディと瑞樹には二機が襲い掛かってくることになる。ベローナが、ACMに巻き込まれる可能性は、高い。
RWRが、反応する。
「2、3。迎撃」
サンディが、命じる。
「2」
「3」
東から、レーダーを照射しつつ突っ込んでくる敵に対し、スーリィとミギョンが立ち向かう。むろん、これが囮である可能性も高い。瑞樹は事前の打ち合わせ通り、機首を東へと向けた。ヴァジェットとネメシスからなるべく離れないようにするのが、フレイル側の作戦である。
サンディが、レーダーを使い始めた。すぐに、別方向から迫りつつある二機を捉える。
「もう一機いた! 交戦する!」
スーリィの声。
ダガーが採用した作戦は、なかなか巧妙だった。東から一機が接近。囮となる。僚機は低空で待機、ぎりぎりまで探知されないようにする。残る二機は、北からベローナ目指して接近する。
フレイルが囮に喰いつき、一機のみ迎撃に送り出した場合は、待ち受けた二機でそれを仕留め、数的優勢を作り出してからベローナを襲う。二機が囮に喰いついた場合は、二機でそれを足留めし、残る二機がベローナを襲う。
囮に喰いつかなかった場合は、北からの二機が攻撃を掛け、護衛機をベローナから引き剥がし、東からの二機がベローナを襲う。
瑞樹はおもわず斜め後方を飛ぶゾリアを見やった。サンディは、この状況に対しどのような戦術判断を下すか。
「4。2、3に合流。1は迎撃する」
サンディの下した判断は、自らが盾となることによってベローナを逃がすことだった。
「4」
短く答えた瑞樹は、スロットルを押し込んだ。
結果は‥‥釈然としないものになった。
ダガー・スコードロンが囮に使ったのは、ゾリアとベローナだった。両機は逃げまくり、スーリィとミギョンをてこずらせる。
サンディはヴァジェットとネメシス相手に奮戦したが、数に押し切られて撃墜されてしまう。
数的劣勢に立ったフレイルだったが、瑞樹がスーリィ、ミギョンと合流したことにより、情勢は好転する。囮のゾリアとベローナが、いったん退避したのである。その隙に、残ったフレイルの三機はポイント・アルファを目指した。もちろん、ダガーは追撃に移る。
フレイル側は追いつかれる前に迎撃に転じた。スーリィとミギョンが、追撃機の前に立ちはだかる。瑞樹は、そのままポイント・アルファに向け突進し、スコーピオンの模擬発射を行った。
コントロールが、目標への命中を承認する。
しかしその前に、スーリィとミギョンは撃墜を宣告されていた。さしもの二人も、四機相手にするのは難しかったようだ。離脱しようとした瑞樹も、あっさりとヴァジェットとネメシスに捕捉される。瑞樹は逃げ回ったが、スーリィが操るヴァジェットさえ撃墜したニーナとヘザーのコンビに敵うわけはなかった。奮戦むなしく、撃墜が宣告される。
演習中断が指示され、フレイルの各機は再び集合した。
「こっちの勝ちだけど‥‥全滅とはね」
サンディが、苦々しげに言う。
「やっぱり、腕はいいよ、あいつら」
スーリィが、言う。
「まあ、目的は達したからな」
冷静に、ミギョン。
「次はこっちが防御側だね。どうする?」
瑞樹はそう訊いた。
「たぶん、正攻法では来ないだろうね」
そう言うのは、サンディ。
「奇襲されるのは、いやだな」
スーリィが、言う。
ゾリアとベローナが、高空で待機する。
演習再開と同時に、サンディがレーダーを使った。
すぐに、反応がある。
「なんと!」
瑞樹は驚いた。ターゲットが、東西南北から同時にポイント・アルファに迫りつつある。ダガーは、単機で突っ込もうという作戦なのだ。
「どうする? こっちも分散する? それともペアで何とかする?」
スーリィが、訊く。
「いや、ペアでは出し抜かれる公算が高い」
ミギョンが指摘する。
「同感だわ」
瑞樹も言った。今のところ、どの敵機がベローナであるか識別できない。もし最初に選んだ二機がベローナ以外ならば、スコーピオン発射を阻止するのは無理だ。これが実戦ならば、ポイント・アルファ付近で待ち受け、ミサイルの撃破に専念するという手段もあるが、演習では攻撃側が兵装発射地点までたどり着ければ攻撃側の勝利、というのが通常のルールである。この手は使えない。
ぎりぎりまで待機し、レーダーがベローナを識別してから対応するという手もあるが、迎撃に使える時間的余裕がなくなるおそれが強く、良策とは言えない。
「4はポイント、アルファで待機。敵ベローナ識別次第、迎撃開始。1、2、3は各自単機で迎撃開始」
サンディが決断した。
「どの機がベローナだ?」
ミギョンが、訊く。
「勘に頼りなさい!」
そう言ったサンディが、西へと変針した。
「北だ!」
スーリィが言って、ヴァジェットを北へと向ける。
ミギョンが無言のまま、東に向かう。
賭けであった。75%の確率で、ベローナを離れた位置で迎撃できる。もし突破されても、瑞樹が立ちはだかることになる。南から来る敵機がベローナでなければ、ポイント・アルファに到達されても、問題はない。もしみんなの勘が外れて、南から迫る敵機がベローナだったとしても、瑞樹がある程度余裕を持って迎撃できる。
‥‥さあ、どの機がベローナか。
瑞樹はレーストラック・パターンを維持しながら、MFDを注視した。三機の味方が、北と西と東から迫る敵機目掛けて突っ込んでゆく。
「こちら2。外した。こいつはネメシスだ!」
スーリィが、叫んだ。機載コンピューターが、レーダーの反射を解析し、機種を識別したのだ。
「こっちも外れ。1より各機。北から接近中の敵機はヴァジェット」
サンディが、報告する。
瑞樹は緊張した。となると、やはり南から来るのが、ベローナなのか‥‥。
「こちら3。ベローナを捉えた。交戦する」
ミギョンの声。
「こちら4。東へ向かう」
瑞樹はすぐさま機首を東へと向けた。レーダーを作動させ、詳細を掴もうとする。
「1、交戦中」
「こちら2、交戦開始!」
サンディとスーリィも、ACMに突入したようだ。
瑞樹はメインディスプレイを見た。ミギョンのネメシスと、フィリーネが操縦しているはずのベローナは、激しくもつれ合っている。
と、ベローナがその乱戦から離脱した。一直線に、西へと向かう。ネメシスが態勢を立て直し、追尾にかかる。
「こちら3! 逃げられた! 敵ベローナは針路2−7−0でポイント・アルファに向かっている!」
珍しく上擦った声で、ミギョン。
瑞樹は呆れ顔でスイフトの発射準備を整えた。ダリルから実力でネメシスを奪い取ったほどの腕の持ち主であるミギョンの手から、ベローナであっさりと逃れるとは‥‥。フィリーネのACMの才能は、明らかに瑞樹よりも上であろう。
敵ベローナが、射程に入る。
瑞樹はヘッドオン状態でスイフトの発射をコールした。ほぼ同時に、フィリーネの声も発射をコールする。
瑞樹はチャフを撒布しつつ回避行動に入った。演習管制が外れと判定するまで、激しい機動を続ける。
フィリーネも、瑞樹の放ったスイフトを回避したようだ。姿勢を立て直し、再び西を目指そうとする。
‥‥早い!
瑞樹は慌てた。ミサイル回避に要した時間も、機体の立て直しに掛かった時間も、フィリーネの方が若干早かったのだ。この若干の積み重ねが、ACMでは大きく物を言う。
先行するフィリーネを、瑞樹が追う展開となった。
ミギョンのネメシスは、まだ追いつけない。
瑞樹は二発目のスイフトを放った。何とかして足留めしなければならない。
フィリーネが機をひねりつつ、急上昇に入る。
瑞樹は無理に後を追わず、そのまま西へと向かった。ACMに持ち込むのは不利と判断したのだ。それならば、先行してフィリーネを待ち受け、スイフトを牽制発射しつつミギョンが追いつくのを待った方が賢明だ。
だが‥‥。
回避機動中のフィリーネが、機首が瑞樹の方を向いた一瞬のチャンスを掴んで、搭載しているASRAAMをすべて模擬発射した。
四発のASRAAMが、瑞樹のベローナの尾部を目指し突っ込んでくる。
瑞樹はすぐさま回避機動に入った。スイフトには効果がないが、ASRAAMには有効なフレアも放出する。しかし、相手は四発である。すべてから逃れたと判定した時には、すでにスイフトを回避したフィリーネはポイント・アルファを目指し飛行を再開していた。
‥‥追いつけるか。
瑞樹は機体を立て直し、フィリーネの後を追った。ミギョンもじわじわと近づいているが、まだスイフトの射程外だ。
フィリーネの機が、ポイント・アルファまであと20nmに迫る。
‥‥間に合え!
祈るような気持ちで、瑞樹は残っていたスイフトを全弾模擬発射した。十発のスイフトが、フィリーネのベローナに迫る。
フィリーネは回避行動を取らなかった。
あと15nm。
スコーピオンの最大有効射程は、11nm。そのラインを超えれば、ダガー・スコードロンの勝利となる。
スイフトは、まだフィリーネを捉えられない。
フィリーネのベローナが、11nmラインを切った。
その直後、模擬発射されたスイフトが、ベローナの位置を通過した。判定は、もちろん命中だった。
「一勝一敗だけど‥‥なんか、負けた気分よね」
ヘルメットを取りながら、スーリィが言う。
「同感だな」
ぼそりと、ミギョン。
一回目は全機被撃墜。二回目は全機生き残ったが、敗北。
結局、二回の演習を通じて撃墜されたダガー・スコードロンの機は、フィリーネのベローナだけだった。しかもこれは、目標攻撃後の被撃墜である。
「えへ。瑞樹に撃墜されちゃいました」
フィリーネが、なぜか嬉しそうに、瑞樹に言う。
ノックの音がした。
「どうぞ」
ベッドにひっくり返っていた瑞樹は、起き上がりもせずにそう応じた。ドアが開き、フィリーネが入ってくる。
「今日も来ちゃいました」
そう言って、ベッドの端に腰を下ろす。
数日前から、就寝前のひと時を二人で過ごすようになっていた。他愛のないおしゃべりをするだけだが、フィリーネにはそれがとても楽しいようだ。
瑞樹は起き上がると、ベッドの上で胡坐をかいた。フィリーネは、微笑みながらその様子を見つめている。すでに、沈黙が気まずくならないほどふたりの親密度は高くなっていた。
フィリーネが、小さなライティングデスクの上にある便箋に眼を留めた。
「手紙、書いてたんですか?」
「うん。妹宛に」
「見てもいいですか?」
「いいよ」
瑞樹はくすくす笑いながら許可した。読まれて困るようなことは書いていないし、もちろん、フィリーネに日本語が読めるわけもない。
フィリーネが立ち上がり、便箋を眺めた。
「面白いですわ。縦書きって」
「最近は横書きの手紙を書く人が多いけど‥‥わたしはやっぱり手書きの手紙は縦じゃないとしっくりこないのよね」
「大阪の大学にいる妹さんでしたよね。どんなこと、書いたんですか?」
「色々と。あ、フィリーネのことも書いたよ。金髪の可愛い女の子と、友達になったって」
瑞樹にそう言われ、フィリーネが恥ずかしそうに身をよじる。
「お茶でも、飲む?」
「はい、いただきますわ。あ、お湯もらってきます」
フィリーネが、早足で出て行った。瑞樹はそのあいだに、マグカップふたつに緑茶のティーバッグを入れた。小さなポットを持って戻ってきたフィリーネが、マグカップに熱い湯を注ぐ。
和食の禁断症状を緩和しようと持ってきた緑茶ティーバッグだが、今ではふたりだけのお茶会にもっぱら使われている。フィリーネはそれなりに和食好きらしく、緑茶を飲んだ経験も豊富だという。
「あ、羊羹食べる?」
「お菓子なら持って来ましたけど‥‥緑茶には合いませんね」
苦笑いしながら、フィリーネが胸ポケットから「リッター・スポーツ」のパックをふたつ出した。
「うーん。緑茶とチョコレートか。試したことないな」
瑞樹は一枚を受け取ると、パッケージを折った。ひと口かじってから、緑茶を飲む。
「‥‥冷たい緑茶なら何とかなるかも知れないけど、こりゃ駄目だわ」
瑞樹は笑った。やはり緑茶は香りが命である。カカオの香りとの相性は、最悪だった。
演習と合同訓練は、その後も続けられた。同機種同士、または異機種でのACM。ダガーとフレイルのメンバーを入れ替えての模擬戦。実弾射撃訓練。
瑞樹はフィリーネから、ベローナによるACMのコツを伝授された。お返しに瑞樹は、洋上攻撃やCASのテクニックをフィリーネに教えた。
派遣期間はあっという間に過ぎた。
タルディクルガンの街は、基地の南10kmほどのところに広がる地方都市である。
十二人は、カザフスタン空軍兵士が運転するUAZのバン二台に分乗して、アリサが電話予約した店に向かった。
飛行訓練最終日の夕方である。明日は機体の集中整備が行われるので、終日座学と訓練の総括が行われるだけだ。明後日は、それぞれの基地に戻ることになる。いわば、お別れパーティだ。
バンが幹線道路を外れ、市街地へと入る。緑が多く、行きかう車も結構多い。
「‥‥おいおい」
サンディが、おもわずアリサに突っ込んだ。
バンから降ろされた瑞樹らの前にある店は‥‥テントだった。
いや、店の本体は、白壁の小さな建物‥‥どう見ても民家である‥‥にあるのだが、客席はすべて数張りのテントの下に設けられている。それも、パリやローマにあるカフェで見られるようなおしゃれなテントではない。軍用と見間違わんばかりの、無骨で大きなものだ。いや、実際軍の払い下げかもしれない。防水布は元々は白かったらしいが、長年の風雨に晒されて、濃淡様々な灰色の迷彩柄に変色している。‥‥これだけ雨の少ない地でここまで汚れるのに、いったい何年掛かったのだろうか。
椅子は安っぽいリゾート地でよく見かける白いプラスチック製で、お揃いのテーブルにはこれまた安っぽい格子柄のビニールクロスが掛かっている。床は打ちっぱなしのコンクリートで、稲妻のように何本もクラックが入っている。
「難民キャンプの給食所みたいだな」
小声で、ダリル。
「これが、この街一番の店なの?」
ヘザーが、アリサに訊く。
「わたしの聞き込み調査では、ここを挙げた人が一番多かったけどね。味と予算との兼ね合いでは、最良の選択じゃないかしら。先に言っておくけど、カザフスタンの物価は中央アジアではトップクラスの高さなのよ」
涼しい顔で、アリサ。
これでがらがらに空いていたら帰りたくなるところだが、テーブルは七割がた埋まっていた。いずれも、地元の人らしい身なりと顔立ちだ。突然現れたUN作業服の女性集団が珍しいのだろう、食事や酒を中断して、こちらをじろじろと見る人が多い。
アリサが、ウェイターの青年‥‥といっても、盆を持っているだけでその風体は客と同じだ‥‥を捕まえ、ロシア語で喋った。青年がこちらをちらりと見てうなずき、奥のテーブルに案内してくれる。椅子はテーブルひとつに付き四つだった。
瑞樹は手近な椅子に掛けた。すかさず、フィリーネが横に座る。
「料理は適当に注文するわよ。何か食べたいものがあったら、言って」
アリサが、告げる。
「ロシア料理と羊肉以外なら、なんでもいいよ」
投げやりに、ミュリエルが言う。‥‥たしかに、ボルシチとマトンは食べ飽きた。
「ベーコン・エッ‥‥」
ダリルの発言を、すかさずサンディが後頭部への打撃で止める。
「お酒はウォッカとビールとワインしかないわ。でも、ワインはやめといた方がいいわね。地物はあんまりおいしくないし、輸入物は高いから」
瑞樹はビールを所望した。フィリーネは飲めないそうなので、カシスジュースを頼む。
「ビールを飲まないドイツ人を初めて見た」
同席のミギョンが、ぼそりと言う。
料理が運ばれてきた。おなじみのシャシュリク、馬肉のソーセージ、ピロシキ、ブリヌイ、ピクルスの盛り合わせ、チーズ、スモークサーモン、イクラ、キャビアなどなど。
瑞樹はビール‥‥オランダ系のアムステルの現地生産品‥‥を飲みつつ、ブリヌイにキャビアを載せて食べた。日本では、まずできない贅沢だ。
「キャビア、嫌いなの?」
瑞樹はキャビアを盛ったブリヌイを、フィリーネに差し出した。
「あ、ありがとうございます、瑞樹」
フィリーネがぱっと顔を輝かして、ブリヌイを受け取った。だが、笑顔がすぐに消える。
「どうしたの? 気分でも、悪いの?」
瑞樹は身を乗り出すと、じっとフィリーネの顔を見つめた。フィリーネが、ほんのりと顔を赤らめる。
「いいえ。身体はどこも悪くありません。でも‥‥」
「でも?」
「明後日でお別れなんですよね、わたしたち」
ぽつりと、フィリーネ。
「その通りだ。だから、その前に楽しもうとこうやって飲み食いしているのではないか?」
ちびちびとビールを飲みつつ、ミギョン。
「大丈夫だよ、フィリーネ。またみんな会えるさ」
向かいに座ったミュリエルが、手を伸ばしてフィリーネの手の甲に触れる。
「みんなまた、会えますよね?」
フィリーネが、ささやくように訊いた。
「もちろん!」
嘘と知りつつ、瑞樹は笑顔で答えた。
‥‥確かに、NT兵器の能力とダガー&フレイル・スコードロンのメンバーの力量を持ってすれば、やすやすとカピィに喰われることはないだろう。しかし、やっていることは戦争である。マーフィの法則に従って、遅かれ早かれ誰かが死ぬだろう。それは瑞樹かもしれない。フィリーネかもしれない。あるいは、他の誰かかもしれない。
生き延びられる確証など、誰にもありはしない。
「‥‥とりあえず、今を楽しむことだな」
ミギョンが、スプーンで掬い取ったイクラをスモークサーモンのスライスでくるくると巻くと、口に放り込んだ。
テーブルのメンバーが入れ替わった。
一番端のテーブルが、酒豪専用と化した。アリサ、ニーナ、ダリル、ヘザーが陣取り、大いに盛り上がっている。ロシア人コンビとダリルはショットグラスでウォッカを呷り、ヘザーはビールの合間にウォッカを流し込んでいるようだ。
ふたつ目のテーブルが、まあまあの酒好き席になった。スーリィ、アレッシア、エルサ、ミュリエルの四人が、盛んにビールを空けている。
三つ目のテーブルに座るのは、飲めないサンディ、フィリーネの二人と、二本目のビールに取り掛かった瑞樹と、いまだ一本目をちびちびと舐めているミギョン。
瑞樹は二本目のビールをグラスに注ぎ入れた。今度のビールは、ティエンシャンという中国系のビールらしい。アムステルより軽い感じで、瑞樹には飲みやすかった。
「どうなるんだろう、わたしたち」
ぽつりと、瑞樹は言った。
「どうなるって?」
サンディが、いぶかしげに瑞樹を見る。
「訓練続けて、また北米に派遣されて、データ集めて。その後は? どうなるの?」
「量産型が完成すれば、それに乗せられるのだろう」
うっすらと頬を染めたミギョンが、言う。
「その後は?」
「さあな。しょせんわたしたちは兵士だ。戦争が続く限り、戦わされるのだろう」
ミギョンが言い、ビールをすすった。
「‥‥パイロットになろうと決めた時は、戦争をやらされるなんて考えもしなかった」
瑞樹はそう漏らした。瑞樹が父親と同じ職業に就きたいと考えたのは、中学二年生の時だった。たいしたきっかけが、あったわけではない。小さい頃から反射神経は人一倍鋭かったので、ただ何となく、父親と同じようにパイロットになれるのではないか、と夢想しただけだった。
「‥‥そんな甘い考えで軍用機パイロットの道を目指したの?」
笑みを浮かべて、サンディが問う。
「建国以来戦い続けてきたあなたの国とは違うからね」
冗談だと判る程度にふざけた口調で、瑞樹は返した。
「‥‥無駄なことをしていたな。我々は。人類同士で戦争していたのだから」
ぼそりと、ミギョンが言う。
「まったくですわ」
フィリーネが、同調した。
「しかし‥‥そう考えると‥‥」
サンディが、グラスを手に他のテーブルを眺めた。
「みんな最低一回は合衆国の敵になった国ばっかりだものね。スウェーデンと韓国くらいかしら。戦ったことないのは」
「確かに韓国と合衆国は戦っていないが‥‥ある意味敵国だろう。建国前は、遺憾ながら日本の一部として第二次世界大戦を戦ったからな」
憮然として、ミギョン。
「わたしの家系は軍人が多い家系でな。曽祖父は‥‥日本の士官学校を卒業した。アメリカ人を敵に回して戦ったこともある」
ミギョンの濃い茶色の瞳が、サンディを見つめる。
「あら。そんなことがあったの。東洋史は、詳しくないんだけど‥‥」
サンディが、語尾を濁す。
「まあ、昔の話だ」
ミギョンが言って、グラスにわずかに残っていたビールを飲み干した。
「宇宙船指揮者。通信部門が、データ送信を捉えました。後続艦隊の模様です」
入室したヴィド副長が、喋った。
「やっと来たか。距離は?」
ティクバ船長はそう尋ねた。
ヴィドが、空いている台に身を横たえた。
「到着まで、五十日前後でしょう」
「データ解析の様子はどうかね?」
「順調です。送られてきた量にもよりますが、それほど時間はかからないでしょう」
「そうか」
ティクバの鼻が、ぴくぴくと動く。
当初の予定であれば、後続艦隊到着前にティクバとその部下がすでに地球全土を制圧していなければならない。予想外に高い技術文明と遭遇したとは言え、計画に齟齬をきたしたことは、失策と看做されるだろう。
後続艦隊の船長たちは、いずれもティクバより格下だったが‥‥だからこそ最も困難な任務である先遣艦の船長にティクバが選ばれたわけだが‥‥ひと悶着起こることは避けられまい。最悪の場合、更迭という事態もありえる。
‥‥遺憾ながら、保身に走るしかあるまいな。
BD−700「グローバル・エクスプレス」が、新田原の滑走路に着陸する。
エプロンに駐機したグローバル・エキスプレスから、チョープラー大尉を従えたアークライト中将が降り立つ。
「ジャミール。すまんがお茶を頼む」
司令執務室に入るなり、アークライトは副官に茶を所望した。
「イエス・サー」
チョープラー大尉が、急いでお茶の支度を始める。
‥‥雰囲気が変わった。完全に。
ランス・ベースでの会議。本来は、北米におけるダガーおよびフレイル・スコードロンの活動によって得られた戦訓を報告し、今後の方針を協議するだけの場だったはずだ。
出席者は、サヴィン教授を始めとする開発部門の主要メンバー。チェン・ガン大将とそのスタッフ。ソード・ベース司令のドレスラー中将。メイス・ベース司令のアークライト。それに、オブザーバーとしてUNUFAF司令官のデミン大将と、そのスタッフ。
当初は、しごくまともな会議であった。ドレスラーとアークライトが、北米派遣部隊の戦闘概要を報告し、ランス・ベースの研究員が、詳細な分析結果を述べ、戦訓のフィードバックについて説明する。
後半になり、突如デミン大将が会議の主導権を握った。オブザーバーにも係わらず。
議題は、NT兵器による核兵器運用の問題点に絞られた。核兵器運用の是非ではない。運用を前提とした議論だった。
以前は、UNUFには核兵器は使用すべきでないとの暗黙の了解があった。ここ数週間で、それが劇的に変化したようだ。
「どうぞ」
チョープラー大尉が、カップを差し出した。
「ありがとう」
礼を言って受け取ったアークライトは、ふと思いついて副官に尋ねた。
「ジャミール。君はヴィベーク大将を知っていたかね?」
「お目にかかったことはありますが、仕えた事はありません」
いささか怪訝そうな表情で、チョープラーが答える。
「そうか。急な退役について、なにか聞き及んでいるかね?」
「健康上の理由と聞いておりますが‥‥」
「判った。ありがとう」
アークライトは、手を振って副官を下がらせた。香り高い紅茶をひと口飲み、思案する。
親米派で知られるインド陸軍の重鎮、ヴィベーク大将が「健康上の理由」で退役したのが約一ヵ月半前。同じ頃、北京でも親米派とされる若手の中央政治局常務委員、ヤオ・ジョンリンが失脚した。噂では、同時期にロシアでも何人かの軍人と官僚が権力を失ったらしい。
核兵器使用への地ならしが、徐々に進みつつある‥‥。
アークライト自身は、核兵器の使用に関して絶対的な反対論者ではない。核による報復の可能性が少なく、かつ一般市民への被害が局限されるならば、核の使用は止むを得ないと考えている。
しかし現状でオハイオのカピィ宇宙船に対し核攻撃を敢行すれば、周辺住民も全滅する。もちろん、合衆国は国内での核兵器使用には断固反対している。だが、CDAにおける合衆国の国際政治力の低下は著しい。経済力は約三分の一‥‥日本とほぼ同等‥‥に低下したと推定されているし、軍事力の損耗も激しい。もはや合衆国の力の源泉はほぼ無傷のSSBN(弾道核ミサイル原潜)群だけだ、とさえ言われているくらいである。いや、それですらまともな基地はハワイだけだから、イギリス、イタリア、日本、オーストラリアなどUSNに便宜を図ってくれている国々が離反すれば、その価値は半減するだろう。
核兵器以外に、事態を打開する方法はないのだろうか?
アークライトはカップを覗き込んだが、そこに答えはなかった。
第七話簡易用語集/ザクースカ ロシア料理の前菜。/クヴァース ロシアの伝統的発酵飲料。/カーシャ ロシアのお粥。ソバの実、小麦、米などが使われる。/フレア Flare 赤外線誘導ミサイルを回避するために使用される使い捨ての囮。航空機の場合、機内あるいは機体外部に取り付けられた装置からパッケージを火薬で打ち出すと、主成分であるマグネシウムなどに着火して、強い赤外線を放射する。/シャシュリク 羊肉の串焼き。いわゆるケバブの一種。/USN United States Navy アメリカ合衆国海軍。