6 Clinton Day
「まずは今後の予定を伝えておこう」
アークライト中将が、壁のカレンダーを指した。
「七日後に、カザフスタン共和国のタルディ・クルガン空軍基地へ進出する。期間は一週間だ。目的は、ダガー・スコードロンとの共同訓練と、戦訓の交換だ」
「‥‥いよいよライバルとご対面ね」
小声で、ダリル。
「すでに聞き及んでいるだろうが、ダガー・スコードロンも損害を出すことなくNAECへの派遣を乗り切った。挙げた戦果は、君たちの方が多い。これは、素直に誇っていいと思う」
にこやかに、アークライト。
「なお、この派遣指揮は矢野准将が執る。詳細は、追って通知する。それまでは、通常通り訓練を行う。それともうひとつ‥‥」
アークライトが、一転して渋い表情を見せる。
「ランス・ベースから通達があった。UNUFHQからの命令で、各機の運用可能兵器に今後はスペシャル・ウェポンが含まれることとなった」
「!」
全員が、息を呑む。
もちろん瑞樹も、軍人の端くれとしてスペシャル・ウェポンがなにを意味するか充分に承知していた。核兵器の婉曲表現である。
「司令。何を使うんですか?」
サンディが、やや硬い声で訊く。
「今のところ、スコーピオンの弾頭を、数十キロトン程度の戦術核に換装する構想があるようだ。技術的には、そう難しいことではない」
アークライトが、説明する。
「サー。質問よろしいですか?」
アリサが、すっと手を上げる。
「よろしい」
「現在のところ、数十キロトンの核兵器の目標となりうる敵は、ただひとつです。そこを攻撃するための兵器と考えて、よろしいのですか?」
アリサが、さらりと言う。
あの巨大なタイクーンや、さらに大きなフルバックであっても、核兵器で攻撃するのは無謀と言うものである。例えるならば、ゴキブリ退治に手榴弾を持ち出すようなものだ。たしかにゴキブリは死ぬが、家の方もたまったものではないし、下手をすれば使った方が怪我をしかねない。
現状で、核兵器の的になりうるカピィ兵器は、オハイオにあるカピィ宇宙船しかない。
「いや、そこまで想定してはいないだろう」
アークライトが、否定した。
「言うまでもなく、カピィ宇宙船の周囲には多数の市民がいまだ生活している。核兵器を使用すれば、数十万名の死者が出るだろう。絶対に、使用はできない」
「と、司令は言ってたけど、ねえ」
ダリルが、ため息をつく。
いつもの昼食の席である。面子は、いつも通りの四人。メニューも、いつも通りだ。サンドイッチに紅茶のサンディ。ベーグルとハンバーガー、ブラックコーヒーのダリル。中華スープとチャーハン、温野菜のスーリィ。そして、日替わり麺のきつねうどんをすする瑞樹。
アリサもいつもの席で孤食を楽しんでいるし、ミギョンの今日のお相手は気象班の眼鏡青年、キム・サンフンだ。
「核兵器か‥‥」
スーリィが、つぶやく。
「まあ、噂はあったけどね」
サンディが、言った。
「どんな?」
すかさず、ダリルが訊く。
「‥‥最近、いくつかの国家が合衆国に対し、核で片をつけるべきだと圧力を掛けているって話。どこの国とは、言わないけどね」
そう言いつつ、サンディがこれ見よがしに、スーリィに視線を送る。
「ほんと?」
やや驚いた顔で、スーリィ。
無言でうなずいたサンディが、ちらりとアリサのほうへも視線を走らせる。
「やだねえ、国際政治ってやつは」
ダリルが、ベーグルを噛み千切る。
「でも、どうして今頃‥‥」
瑞樹は、当然の疑問を口にした。
「ひとつは、死傷者の数よ。核兵器で宇宙船を攻撃すれば、おそらく数百万の死傷者が出る。だから、核は使えないというのが、反対派の主張だった。だけど、CD直後を別にしても通常兵器での戦闘ですでに数十万の死傷者が出ている。このまま行けば、その数は増えるばかり。核を使って、すべてを終わらせた方が、死人が少なくて済む、という論法ね」
サンディが、やや声をひそめて説明する。
「ふたつ目は、厭戦気運よ。長引く先の見えない戦いに、各国もその国民も疲れてきている。消耗戦に耐え切れなくなりつつあるのよ。そろそろ強引にでもけりをつけないと、まずいと考えている国が増えたのね」
「以前、合衆国は核攻撃を前提にした試験攻撃を行ったのよね、宇宙船に対して」
瑞樹はそう訊いた。サンディが、うなずく。
「LAタイムズがすっぱ抜いたネタね」
新聞報道を信ずるとすれば‥‥CD直後に合衆国空軍および海軍によって行われた一連の攻撃、すなわち通常弾頭装備の百数十発の巡航ミサイルによる飽和攻撃、B−2数機による夜間隠密攻撃、通常弾頭に積み替えて北大西洋から発射されたMIRV方式のSLBM攻撃などは、すべて核兵器の使用を前提とした試験攻撃だったと言う。しかしながらそれらの攻撃は、濃密な対空レーザー網やファイアドッグによる迎撃の前に失敗に終わり、サンディエゴに仮移転した国防総省は核攻撃は無理だと判断した、と言う話だ。
「そこにあたしたちが現れたと言うわけね」
スーリィが、ぼそぼそと言う。
NT兵器。高速かつ高機動のこの新兵器を持ってすれば、カピィの防空網を潜り抜けて、宇宙船の至近に迫れるかも知れない‥‥そう、スコーピオンの有効射程まで。
「じょーだんじゃないわよ、まったく」
ハンバーガーに喰いつきながら、ダリル。
「どうせ死ぬのはアメリカ人だけだから、なんて考えで提案してる国があるんでしょ」
サンディが、ため息をつく。
「でも、このまま人類が勝てないとしたら‥‥」
油揚げを箸の先でつつきながら、瑞樹はぼそっとつぶやいた。
すでに、各国は疲弊しつつある。ヨーロッパ諸国もアジア諸国も、戦時債の大量発行で戦費をひねり出している状況だ。増税で世界的に経済は停滞気味だし、民生品の供給も一部で滞りつつある。瑞樹がつついている油揚げも、アメリカ産大豆が供給不足となったせいで、ずいぶんと小さくなってしまった。
「まあ、核報復の可能性を考えると、おいそれと核は使えないと思うけどね」
スーリィが、言った。
‥‥カピィは核兵器を保有していないのか?
この疑問に、答えられた者はいない。正しい推定を行うには、あまりにも情報不足だった。
常識的に考えれば、核融合タービンを実用化したカピィが、はるかに原始的な原子力利用法である核分裂の連鎖反応を知らないとは思えない。しかし、CDでも、その後の戦闘でも、カピィは核兵器を‥‥ついでに言えば化学兵器も生物兵器も使用することなく、人類と戦い続けてきた。
カピィによるこの「非核政策」を巡っては、様々な憶測がなされていた。非戦闘員への被害を避けるため。地球環境の汚染を危惧して。人類側の核報復を恐れたため。保有する核兵器がいずれも莫大な破壊力を有するので、戦術的に使用できないため。核を越える威力の大量破壊兵器を有しているため。核アレルギー(例えば、以前に核戦争で種族が滅びかけた、など)のため。何らかの制約(銀河核拡散防止条約(笑)とか)のため‥‥。
いずれが正解かは、今のところ知る術がない。
「ふむ。東西同時に消えたか」
ティクバ船長は、鼻をうごめかした。‥‥思案を表すしぐさである。
「関連性は確実なものとなりましたな」
ヴィド副長が、断言する。
「四機一組で、各機すべて違う特徴を有していると言う点でも、一致します」
三体目のカピィが、報告する。名はレーカ。肩書きは「研究員」である。意訳すると、情報幕僚というところか。
すでにティクバの元には、敵の新兵器によって蒙った損害に関する詳しいデータが届けられていた。特に航空兵器の損耗は大きく、わずか十一日のあいだに、過去二ヶ月間に蒙った損害と同等の戦闘機と対地攻撃機を失っている。しかも、敵の新兵器は一機たりとも破壊できていない。
憂慮すべき脅威である。数において劣るこちらが、今まで優勢に戦いを進めて来られたのは、テクノロジーの優位があったからである。こちらの戦闘機と対等に戦えるあのような新兵器が大量使用されたら、戦局が逆転しかねない。
「よろしい。レーカ。貴殿は引き続きこの新兵器に関する情報の取りまとめと分析を行ってくれ。いずれ再び、戦場に現れるだろうからな」
ティクバはそう命じた。
「新兵器もそうですが、それを動かしている人類の戦士も気になりますな」
ヴィドが、喋る。
「まったくだ。このような兵器を操る戦士。さぞかし、優秀かつ尊敬すべき戦士に違いない」
ティクバは、右前肢をわずかに動かしつつ、鼻をうごめかした。
‥‥出来るものなら、一度会ってみたいものだ。
「では、本日の訓練の概要を説明する。フレイル1にコルシュノワ中佐。2にシァ大尉。3にシェルトン少佐。4にサワモト大尉が搭乗する。各機、自衛用スイフトとスコーピオン一基を搭載する。いずれも、模擬弾だ。なお、スコーピオンには五十キロトンの核弾頭を装備したと想定する」
アークライト中将が、説明した。
「‥‥やりたくないな」
ぼそりと、ダリル。
「‥‥わたしだってやりたくないよ、少佐」
ダリルのつぶやきを聞きつけたアークライトが、苦笑する。
「しかし、UNUFHQの命令だ。逆らうわけにはいかん。‥‥リードはフレイル1。北硫黄島を目標とし、模擬核攻撃を行う。ローガン中尉とホ中尉は、シミュレーター訓練だ。こちらも、核攻撃プロファイルを行う」
「はあ」
瑞樹はため息をついた。
太平洋上を、進む。
天候は、快晴。視程は最高だ。いつもなら、気持ちのいい遠出となるはずだが‥‥瑞樹の心は重かった。
ウェポンベイに収まっているスコーピオン。常用している模擬弾となんら変わりはないのだが、今日は特別な扱いを受けている。
核弾頭。
兵装班も、核の実弾と同様の扱いをしていたし、わざわざ保安要員として警務班からもセキュリティ・ポリスが派遣されてきていた。瑞樹もパイロットとして、安全装置の解除に立会いを求められた。
五十キロトンの核弾頭。たとえば、福岡くらいの都市ならば、一発で市街全域を壊滅させられるほどの破壊力だ。あくまでそのような想定の訓練とは言え、核弾頭を抱いて飛行している‥‥。気持ちがいいわけがない。
「すっきりしない気分だねえ」
瑞樹と同様の思いだったと見えて、ダリルが愚痴る。‥‥近距離用の秘話回線だから、メイス・ベースに聞かれるおそれはない。
「朝悪いもんでも食べたの?」
スーリィが、からかう。
「やりたくないよ、核攻撃なんて」
きっぱりと、ダリル。
「まだみんなはいいわよ」
瑞樹も口を挟んだ。
「どうして?」
アリサが訊く。
「だって、みんなが所属している軍は核兵器保有してるじゃない」
瑞樹は指摘した。ダリルのアメリカ合衆国海軍。アリサのロシア共和国空軍。スーリィの人民解放空軍。いずれも核兵器を装備している。
「‥‥そーいや、そうだね。日本は核兵器持ってないものね」
ダリルの声。すこし、当惑気味だ。
「日本人は核アレルギーだからね。判るわ」
アリサが、言う。
高度を落とし、北硫黄島に接近する。
瑞樹らは、対空砲火を想定して小刻みに針路を変えつつ、スコーピオンの射程まで近接した。パイロンから、あるいはウェポンベイから、スコーピオンを模擬発射する。信管は、時限信管を想定している。近接信管では、さしものNT兵器といえども五十キロトンの爆発から無傷で退避するわけにはいかない。
「攻撃成功。フレイル各機、帰投する」
アリサが告げた。
瑞樹は背後を振り仰いだ。背の低い三角錐のような北硫黄島は、何事もなかったように西太平洋の波に洗われている。もし五十キロトンの核弾頭四発が本物であれば‥‥。
瑞樹は首をわずかに振って妄想を消し去った。
「諸君。提案がある」
朝食の席で、ダリルが言った。
「拝聴しましょう」
瑞樹は、鯵の開きの骨を丁寧に取りながらそう応じた。
「言うまでもなく。今日は休養日だ」
「そうね」
レンゲで卵スープをかき回しながら、スーリィ。
「遊ぼう」
「やだ」
即座に、サンディが拒否する。いつもより時間が遅いせいか、今日は朝にしては頭がまともに働いているようだ。もっとも、トレイの上は相変わらずひどい。野菜サンドにほうれん草の味噌汁。野菜サラダと大根の梅酢漬け。飲み物はトマトジュース。どんだけ野菜好きなんだか‥‥。
「なんでだ! 休みの日くらい、羽根を伸ばそうじゃないか!」
ダリルが、サンディに詰め寄る。
「身体を休めるのが休養日の意義よ。遊ぶのが目的じゃないわ」
サンディが、反論する。
「たしかに」
賛同するのは、スーリィ。
「いや、ただ単に遊びたいわけじゃないぞ」
ダリルが、反撃に出る。
「日本に来てそろそろ三ヶ月になろうと言うのに、我々は日本のなにを知ったというのだ? 寿司としゃぶしゃぶを食べただけではないか! なにを見た? なにを学んだ? なにに感動した? え、言ってみろ」
「そ、そう言われると弱いわね」
サンディが、急に弱気になる。
「だろう? だから、遊びにいこうと言うのだ」
勝ち誇った口調で、ダリル。
「日本を学ぼうってわけ? どこに遊びにいくの? 博物館? 美術館?」
朝粥を平らげたスーリィが、訊く。
「そこは‥‥講師に任せよう」
ダリルが、箸を手にしたままの瑞樹の右手を、しっかと握る。
「頼むぞ、講師」
「‥‥って、言われても」
瑞樹は固まった。
「なにを見たり知ったりしたいのか、そこらへんが判らないと‥‥」
「日本の文化だな、うん」
腕組みをしたダリルが、言う。
「文化ねえ‥‥」
瑞樹は頬を掻いた。
外国人に受ける日本文化といえば、歴史的建造物やサムライ、ニンジャの類だと言うのが相場である。しかし、ここ宮崎には、そういった史跡は乏しい。戦国史に興味があれば、城址など見せれば喜ばれるかもしれないが、ちょっとインパクトが弱いだろう。と言って、古墳まで遡ると‥‥まず外国人には受けまい。
「えーと‥‥」
困った瑞樹はトレイに眼を落とした。食べかけの米飯、ほうれん草の味噌汁、鯵の干物、もやしと胡瓜と若布の酢の物、大根の梅酢漬け‥‥。
梅酢漬けのピンク色が、瑞樹の眼を捉えた。‥‥桜漬け、とも言ったっけ。
そう言えば、今は四月に入ったばかり。世間では、花見のシーズンだ。
「お花見、行こっか?」
「花見?」
「そうだ。桜の花を見ながらパーティをするという日本の春の文化的伝統行事だ。ミギョンは用事があるそうで断られたが、人数が多い方が楽しいはずだ」
アリサにダリルが説明する。
「ごめんね。今日は出かける先約があるのよ」
アリサが、やんわりと断る。
「さては、デートだな!」
ダリルが、断定する。
「残念。相手は女の子よ。総務のジリヤ・フォルトワって娘」
瑞樹も知っている娘だった。二十歳過ぎで、赤茶色の長く豊かな髪がきれいな、なかなか可愛い娘だ。
「な、なにぃ。アリサはそういう趣味だったの‥‥」
ダリルの後頭部に、サンディの手刀が炸裂する。
「失礼。じゃあ、今日は欠席と言うことね‥‥」
サンディが、後頭部を押さえてぶつぶつ言っているダリルを引き摺ってゆく。
「すまないわね、瑞樹」
アリサが、言う。
「いいのよ。デート‥‥じゃなかった、お出かけ楽しんできてね」
垂水公園。
「だるみず、って濁るんだ。知らなかった‥‥」
案内板の振り仮名を眼にして、瑞樹は頬を掻いた。
すでに、大半の桜は満開を過ぎ、散り始めていた。花びらが敷き詰められたピンクの地面を踏みしめつつ、四人は適当な場所を物色した。人手はかなり多く、あちこちで宴席が開かれている。
「あそこ、どう?」
スーリィが、指差す。
日当たりのいい一角だった。周囲の桜はいささか散りすぎていたが、ちょうど満開の樹の下が、ぽっかりと空いている。
「いいわね。あそこにしましょう」
瑞樹は持参したビニールシート‥‥業務隊兵站部の備品‥‥を樹の根元に敷いた。ダリルが、肩に掛けていたクーラーバッグを下ろす。中身は、ほとんどが缶ビールだった。‥‥いつの間に用意したんだか。
スーリィとサンディが、雑多な食品を並べ始める。全部、来る途中のコンビニで仕入れたものだ。いささか味気ないが、仕方あるまい。
スーリィが箸を配る。ダリルが、ビールを配る。サンディは、冷たい紅茶の缶を受け取った。
「さあ、花見を始めよう。まずは乾杯だ。‥‥桜花の美しさに、乾杯」
ダリルが、勝手に乾杯の音頭を取る。
瑞樹は、冷たいビールをひと口流し込んだ。見事な枝振りの桜花を見上げる。周りの樹から舞い落ちる薄紅色の花びらが、なんとも言えず美しい。
「きれいだねえ。日本人が桜好きなのが、よく判るよ」
しみじみと、ダリルが言う。
「どうせ、アニメで仕入れた知識でしょ」
出汁巻き玉子をつまみながら、サンディ。
「否定はできないね。日本のアニメで春といえば必ず花見だからな。桜の樹の下で、食べて飲んで、騒いで‥‥。一回やってみたかったんだ」
ダリルが、嬉しそうに言って、ビールを飲み干した。クーラーバッグに手を入れて、二缶目を取り出す。
「ねえ。中国人は、こんなことしないの?」
サンディが、花を見ながら缶ビールを傾けているスーリィに訊いた。
「中国人は、花を愛でることは日本人以上に好きだよ。桃、梨、菊、梅。最近は、桜も人気あるけど、これは日本の影響だろうね。でも、基本的に花の下で飲食はしない。目で楽しむだけだよ」
スーリィが、言う。
「へえ。そうなんだ。梅を愛でたりする習慣は、中国から伝わったと聞いたことあるけど」
ビールを飲みつつ‥‥屋外で飲むとやけに旨く感じる‥‥瑞樹は言った。
和やかに談笑しつつ、四人は桜を眺めた。ダリルが、ぷしゅっと音を立てて三缶目を開ける。
「そうだ。来週我々はダガー・スコードロンの連中と会うわけだが‥‥どんな奴らか誰か情報を持ってないか?」
ダリルが、訊く。
「わたしが聞いた噂では、メンバーはフレイルと同様六人。すべて、ヨーロッパ諸国の空軍出身だそうよ」
サンディが、言う。
「海軍はあたしだけか。寂しいな」
ダリルが、かなり上達した箸さばきで、鶏のから揚げをつまむ。
「ヨーロッパ諸国って言うと、ロシア、ドイツ、フランス、イタリア、それにRAFってとこかしら」
瑞樹は指を折った。
「スペインやオランダ。スウェーデンにも女性パイロットは居るんじゃないの?」
スーリィが、言う。
「ウクライナや東欧諸国は? あと、ベルギーやスイスあたりにも、居そうね」
サンディが、腕を組む。
「ところでさあ。誰か、カザフスタンに行ったことのある人、いる?」
瑞樹は訊いた。全員が、首を振る。
「アリサならあるんじゃないの?」
そう言うのは、ダリル。
「どうだか。でも、どんな国なんだろうね。なんか、乾燥してだだっ広いイメージがあるけど。まあ、ダリルにとっては故郷みたいなものかな」
サンディが、笑う。
「反論できんな」
ぶすりと、ダリル。
「行ったことはないけど、想像はつくね」
スーリィが、言う。
「どうして?」
「近いもの。あたしの故郷からだと、北京よりカザフスタン国境の方が近いくらいだからね」
「へえ。そうなんだ」
「近くにカザフ人の自治県もある。見た目は、漢民族よりもモンゴル人に近いね。日本人にも、ちょっと似てるかな。ムスリムが多いけど、それほど厳格に戒律を守っているわけじゃないらしい」
「‥‥あんまり楽しいところじゃなさそうだな」
ダリルが言う。
「観光旅行じゃないんだから」
すかさずサンディが突っ込む。
「お、猫だ」
六本目のビールを飲みながら、ダリルが指差す。
三毛猫が、じっとこちらを見つめていた。
「おいで〜」
瑞樹は手招いた。それに応じたかのように、三毛猫が歩み寄ってくる。痩せてはいるが、首輪をしているし、毛艶もいいので、野良ではないだろう。あと2メートルほどのところで立ち止まり、すとんと腰を落とす。
「ほれ」
ダリルが、鶏のから揚げをひとつ放り投げた。三毛猫が驚いて飛び退く。
「だめだよ、そんな投げ方しちゃ。ちょっと離れたところに、そっと投げなきゃ」
瑞樹はダリルを嗜めた。
三毛猫が、地面に転がったから揚げに歩み寄った。慎重に臭いを嗅いでから、前足でつつき出す。
「遠慮せず、食べろ」
ダリルが声を掛けるが、三毛猫は食べようとしなかった。
「お腹空いてないのかしら」
サンディが、言う。
「違うよ。食べにくいんだよ」
瑞樹は靴を履くと、姿勢を低くして猫に近づいた。気付いた猫が警戒して、数歩離れる。
瑞樹はしゃがむと、手を伸ばしてから揚げを拾った。衣を剥き、中の鶏肉を五つくらいに千切り、芝草の上に置く。
瑞樹が離れると、すぐに三毛猫が鶏肉に寄ってきた。臭いを確かめてから、がつがつと食べ始める。
「へえ。扱いがうまいねぇ」
スーリィが、感心する。
「猫飼ってたからね」
紙ナプキンで手を拭いながら、瑞樹。
「おかわりを請求してるみたいよ」
サンディが、指差す。
鶏肉を平らげた三毛猫が、きちんとお座りして瑞樹をじっと見つめていた。餌を貰ったことで警戒心が薄れたのか、1メートルほどの距離まで近づいている。
「はいはい。待っててね」
瑞樹はもうひとつから揚げの衣を剥くと、中身を千切った。三つだけ取って、手の届くところに置く。
三毛猫が腰を上げ、近づいた。瑞樹はじっと動かずにいた。猫が停止し、瑞樹を見上げる。瑞樹は視線を合わせなかった。
安全だと判断したのか、三毛猫が鶏肉を食べ始めた。すぐに食べ終わり、座り込んで瑞樹を見上げる。瑞樹はゆっくりとした動作で右手指の腹に残った鶏肉を載せ、猫に差し出した。腰を上げた三毛猫が一歩近づいて、瑞樹の指先の匂いを嗅ぎ、一回瑞樹の顔を見上げてから、鶏肉に口を寄せた。ぺろりと平らげ、満足したのか顔を洗い始める。
「花見が猫見になってしまったな」
缶ビールを飲み干したダリルが、笑う。
瑞樹は、顔を洗い終えた三毛猫に向け指先を差し出した。猫が近づき、指先の臭いを嗅ぐ。しばらく嗅がせてから、瑞樹は指先をそっと三毛猫の顎下に差し入れ、毛に触れた。三毛猫は嫌がるそぶりを見せず、瑞樹を見上げている。
指先を小刻みに動かし、顎下を撫でてやる。三毛猫が眼を閉じ、首を傾けた。瑞樹はもう少し力を込めて、首筋を愛撫してやった。
花見は、ビールが切れたところでお開きとなった。携帯で美羽を呼び出し、迎えに来てもらう。
「いつも悪いわね、美羽ちゃん」
瑞樹は労った。
「皆さんのお世話もわたしの仕事ですから」
ランドクルーザーのハンドルを笑顔で握りつつ、美羽が応える。
「今度、埋め合わせするから。なにか、おいしいものでも食べに行きましょうよ」
「あ、いいですね。わたし、ラーメン好きなんです」
「‥‥どうせなら、もっと高いものを要求したら?」
サンディが、言う。
「じゃあ、海鮮ラーメン大盛りチャーシュー追加で」
「あはは。いいわよ。こんど奢ってあげる」
瑞樹は笑った。
「ふむ。どうせなら、一杯食べていくか」
ダリルが、唐突にそう提案する。
「え〜。あんまりお腹空いてないよ」
サンディが、反対する。
「あたしは腹が空いている。瑞樹、この辺りにラーメンを食べさせる店はないのか?」
ダリルが、訊く。
「知らない。たぶん、佐土原の駅前まで行けば、何軒かあると思うけど‥‥」
瑞樹は口ごもった。ランドクルーザーは県道44号線を北上し、佐土原町内に入ったところだ。
「高鍋の商店街においしい店がある、って噂は聞いたことあります。宮崎風のあっさり味の豚骨ラーメンだそうですけど」
ハンドルを握る美羽が、口を挟む。
「よし、美羽。そこへ向かうんだ。あたしが奢ってやるから」
ダリルが珍しくそんなことを言う。‥‥よほどラーメンが食べたいのだろう。
「高鍋じゃ、遠いよ」
瑞樹は言った。今走っている場所からだと、メイス・ベースを挟んだ反対側になる。
「ええ〜。本当に行くの?」
サンディが、なおも反対する。
「あたしは‥‥軽く一杯くらいなら、いいかな」
中華好きのスーリィが、賛成票を投じる。
「仕方ない。付き合おうか」
瑞樹も腹を決めた。
「では、どなたか有賀中尉に電話して許可を得て下さいませんか? 皆さんはお休みですが、わたしは勤務中なので‥‥」
美羽が言う。瑞樹はさっそく携帯を掛けた。すぐに、許可が下りる。
ランドクルーザーは一ツ瀬橋を渡り、新田新町の交差点で右折して東へと向かい、国道10号線に乗った。市街地に入り、国道を外れて、商店街に乗り入れる。目指す店はあっさりと見つかった。
「ここの豚骨は豚の臭みがないから、外国の方でも食べやすいはずだと聞いたことがあります」
美羽が、言う。
たしかに、出てきたラーメンは食べやすかった。スープの色はクリーム色で、どう見ても豚骨ラーメンなのだが、豚の臭みはまったくない。眼を閉じて食べると、濃厚なスープの醤油ラーメンと間違えてしまいそうなくらいだ。具はもやしとチャーシューだけで、シンプルだ。
「‥‥ビールのあとのラーメンって、何でこんなにおいしいんだろう」
瑞樹はつぶやいた。
「うん、旨かったぞ」
スープまできれいに飲み干したダリルが、満足そうに冷たい水を飲む。
お腹が空いていないと言っていたサンディも、さすがにスープは残したものの具と麺はきれいに平らげた。スーリィも納得させる味だったようだ。
「ご馳走様でした、シェルトン少佐」
美羽がぺこりと頭を下げる。
「いやいや。美羽にはさんざん世話になっているからな。このくらいは、当然だ」
鷹揚に、ダリル。
「じゃ、帰りましょうか」
勘定を済ませた五人は、ランドクルーザーに乗り込んだ。
「そう言えば‥‥今日はCD一周年ですな」
カレンダーを眼にした矢野准将が、言った。
「ああ。早いものだな」
コーヒーカップを傾けながら、アークライト。
二人は司令執務室で、コーヒーを飲みながらカザフスタン派遣に関する打ち合わせを行っていた。
「司令は、CD当日、なにをされてました?」
気さくな調子で、矢野が訊く。
アークライトが、カップを受け皿に置いた。
「そうだな。そろそろ誰かに話してもいい頃か」
「‥‥は?」
矢野が、当惑する。
「実は、CD当日わたしはある人物と一緒だったのだよ」
「ある人物、ですか」
「そう。ある人物だ」
アークライトが、視線を窓外へと泳がせた。
C−32は左翼のエンジンから長い煙の尾を引いていた。
ボーイング757を改造した、合衆国空軍のVIP機である。その上空に、二機のF−15Cが付き従っている。
「無事に着陸できなかったら、どうなりますかな」
ノリス大佐が、ぼそりと言った。
「笑えない冗談はやめてくれ、マシュー」
アークライト少将は、小声で返した。
着陸態勢に入ったC−32が、順調に高度を下げてゆく。主脚が、接地した。白い煙が上がる。
緊急車両が、走り出した。M−16を携えた空軍憲兵を乗せた数台のハンヴィーが、続く。
「行きますか」
ノリス大佐が、シボレー・サバーバンの後席ドアを開ける。アークライトも、反対側のドアを開け、乗り込んだ。
「やってくれ」
ノリスが、運転席の軍曹に素っ気なく命ずる。
滑走を終えたC−32が、誘導路に入って停止した。
「エアフォース・ツー」は無事チャイナレイク空軍基地に着陸した。
「AFMCのヴィンス・アークライト少将であります」
アークライトは敬礼した。
「チャイナレイク基地司令のマシュー・ノリス大佐であります。ご無事でなによりです、サー」
ノリスも敬礼する。
「ありがとう。危ないところだったよ。馬鹿でかい奴が、追い抜きざまレーザーみたいなものを浴びせてきた。まるで、ドライブバイ・シューティングだ」
副大統領が、苦々しげに言う。
「それで、指示した通りの準備はできてるかね?」
「地下の作戦室をお使い下さい。通信回線は確保しましたが、繋がらない場所が多いようです。衛星回線はほとんど不通となっております」
早口で、ノリスが説明する。
副大統領が、ちらりと空を見上げた。
「やつら、衛星を落としたのか」
「可能性は高いです」
ノリスが、答える。
「一応、C−21Aを準備させました。ご要望があれば、移動できますが‥‥」
アークライトはそう口を挟んだ。
「いや。ネリスもヴァンデンバークも攻撃されたのだろう? 飛ぶのは危険すぎる。通信手段が確保できるならば、地上にいたほうがいい。突っ立っていても始まらん。少将、大佐。作戦室に案内してくれ。テリー、後を頼む。ロイ、メンデス。行こう」
副大統領が、首席補佐官と主任警護官に声を掛けた。
地下作戦室で作業を続けていた男女の動きが、副大統領の入室でぴたりと止まる。
「諸君、作業を続けたまえ。今は戦時だ」
副大統領が、演説向きのよく通る美声を響かせる。
チャイナレイク基地の地下作戦室は、いわば冷戦時代の遺物である。並んでいるディスプレイはいずれも古臭いCRTで、時代遅れの太いケーブルが背面から何本も伸びている。ほとんどのPCが、フロッピーディスクドライブ付きだ。長いあいだ使われていなかった空調設備から流れ出す空気は、わずかに不快な金属臭を含んでいた。
ノリス大佐が、副大統領とその一行を隅のテーブルへと案内した。上座に座った副大統領が、アークライトに隣に座るよう促す。反対側には、主席補佐官が座った。
「済まないが‥‥将軍。わたしの安全保障問題担当補佐官はワシントンにいるのでな。しばらく代理を頼む」
「承知しました、サー」
アークライトは緊張しながらそう答えた。
「それで、大佐。大統領との連絡はとれたかね?」
「お待ち下さい。ヨーク!」
ノリスが情報参謀を呼んだ。
「パリは出たか?」
「残念ながら、ヨーロッパとの通信はいまだ途絶状態です」
情報参謀が、恐縮しつつ答えた。
「間の悪いときにヨーロッパへ出掛けたものだな、ポールは」
副大統領が、嘆息した。
「まあ、嘆いても仕方がない。現在の状況をブリーフィングしてくれ」
「イエス・サー」
ノリス大佐が、別の士官を呼んだ。クリップボードを手にした女性少佐が、一同に対し判明した情報を説明する。
大気圏外より侵入し、突如攻撃をかけて来た航空兵器の総数は不明。攻撃を受けた国家は、現在判明している限りでは、合衆国、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギー、ロシア、ウクライナの十カ国。いずれも空軍基地、ロケット発射場、航空宇宙産業施設などが主であり、政治中枢は叩かれていない。
「なぜ北米とヨーロッパだけなのだ? 航空宇宙産業ならば、中国や日本にもあるだろう?」
首席補佐官が、疑問を呈する。
「推測ですが、敵の兵力が充分ではない可能性が高いと思われます。先制攻撃の場合、いたずらに兵力を分散するよりは、集中させて主要な目標を確実に破壊する方が得策です。アジア諸国は、二次攻撃の目標なのかもしれません」
アークライトはそう答えた。
「まあ、狙われた場所を見る限り、闇雲に攻撃しているわけではないことは明瞭だな。で、敵の正体はいったいなんなんだ?」
副大統領が、身を乗り出す。
「NORADおよびNASAの観測では、敵は地球大気圏外から侵入したことが判明しています。異星人ないし異星のロボット、と考えざるを得ないと思われます」
女性少佐が、きっぱりと言う。
「‥‥我々は悪い夢でも見ているのですかな、フレッド?」
首席補佐官が、ため息をついた。
「残念だが、これはスピルバーグの新作でもロボテックの再放送でもないんだ、ロイ。‥‥確実に、大気圏外からの攻撃なのだろうな?」
副大統領が、女性少佐に念を押す。
「入ってきている情報によれば、そうなります、サー」
気圧されることもなく、女性少佐がそう答える。
「将軍、君の意見は? これが中国あたりの陰謀でないことに確信があるか?」
副大統領が、アークライトを見た。
「イエス・サー。わが国とその同盟国を攻撃中の航空兵器は、とても中国に作り出せるレベルのものではありません。もし彼らが何らかの方法でこれら航空兵器を完成させたとしても、大気圏外からの侵入を擬装するには、軌道上に事前に多数のダミーを打ち上げる必要があります。そのような動きは、一切ありませんでした。やはり、異星の兵器と見なすことが妥当と思われます」
「ふむ。ロシア人や日本人にも無理かね?」
「無理でしょう」
アークライトは断言した。
副大統領が、黙り込んだ。女性少佐が、居心地悪そうに身じろぎする。
「では、諸君。対策は? どうすれば、この異星人ども‥‥あるいはロボットかもしれんが‥‥を撃退できる?」
「少佐。現状でのわが方の反撃状況を説明したまえ」
ノリスが命じた。女性少佐が安堵の表情を見せて、説明を再開する。
合衆国四軍は、各所で果敢に反撃を行っており、断片的にではあるがそれに関する情報がチャイナレイクにも入ってきていた。挙げた戦果は‥‥ゼロ。
「一機も墜とせないのか」
副大統領が、眼を剥く。
「莫大な予算を使っておきながら、空軍はこの状況をどう説明する?」
首席補佐官が、アークライトを睨む。
「やめたまえ、ロイ。想定外の敵なのだ。セントラル・パークでライオンに襲われても、管理委員会が責任を問われることはないよ」
副大統領が、苦笑しつつ、アークライトを見た。
「で、どうする?」
「敵の正体がはっきりしない以上、確かなことは申し上げられません」
アークライトは、先に逃げ道を作っておいてから、言葉を継いだ。
「敵が異星人だと仮定すれば、その故郷が太陽系内にないことは明白です。まあ、何百年か前に太陽系に飛来した異星人が、小惑星帯あたりに基地を建設し、地球攻撃の機会をうかがっていたという仮説は成り立ちますが」
アークライトはいったん言葉を切り、息を整えた。
「仮定に仮定を重ねることになりますが、敵が異星人であり、その策源地が太陽系外にあるとすれば、今現在わが国とその同盟国を攻撃している敵航空兵器は、単なる戦術的な兵器であると思われます。いわば、海軍の空母艦載機のような」
「どういうことかね?」
副大統領が、訊く。
「実物をご覧になった閣下はご存知でしょうが、この航空兵器には主翼があります。全体的な形状も、既知の航空力学から見て妥当なものです。明らかにこれは大気圏内での使用を前提に開発された兵器です。宇宙船としては、形状が不自然すぎます。それに、宇宙船とするとあまりにも小さい。何光年、いえ、何十光年先かは判りませんが、異星人が故郷からこれに乗ってやってきたとは考えにくいのです」
「ふむ。連中が何らかの‥‥その、映画に出てくるような超光速推進みたいなものを持っているとしたら、どうだね?」
首席補佐官が、訊く。
「そうでしたら、即刻降伏すべきでしょうね。技術レベルが違いすぎます」
あっさりと、アークライト。
「ということは、将軍はどこかに異星の航空母艦がいると考えているわけだね」
副大統領が、訊いた。
「はい。どれほどテクノロジーが進歩しても、兵器がまったく補給やメンテナンスなしに長期間戦闘行動を行えるとは思えません。何らかの移動根拠地が‥‥それがどのようなものかは判りませんが、存在するはずです。それを叩き潰さない限り、地球の勝利はありえないでしょう」
アークライトは言い切った。副大統領と首席補佐官が、顔を見合わせる。
「貴重な意見をありがとう。将軍。ところで、パリはまだ呼び出せないのかね?」
副大統領が、訊く。
「まだのようです。申し訳ありません、サー」
ノリスが、答えた。
ひとりの軍曹が、身振りでノリスを呼ぶ。ノリスが、断りを言って立ち上がり、軍曹のもとへと歩み寄った。
「しかし‥‥ポールと連絡が取れぬのではどうしようもないな」
副大統領が、つぶやくように言う。
「サー、緊急事態です」
メモを手にしたノリスが、血相を変えて戻ってきた。
「NORADの観測では、地球に大型の宇宙船が接近中とのことです。現在、加速を継続しながら進行中。このまま行けば、一時間以内に地球近傍に到着するものと思われます」
「なんだと」
副大統領が、腰を浮かす。
「大型とは? 具体的なデータは入っていないのか?」
首席補佐官が、鋭く訊いた。
「一応、光学観測の結果は入っていますが‥‥」
ノリスが、メモに眼を落とす。
「どのくらいの大きさなのだ?」
副大統領が、訊く。
「はあ。全長1マイルを超えると推定されます」
「1マイル‥‥」
首席補佐官が、絶句した。
「これが、君が予測した母艦なのか?」
驚愕の表情で、副大統領。
「大きさからして、まず間違いないと思われます」
いささか狼狽しながら、アークライトは答えた。自分の推理にはある程度自信があったが、こんなにも早くそれが証明されるとは、思っても見なかったのだ。
「核兵器でしか破壊できんだろう」
首席補佐官が、つぶやくように言う。
「どうなんだ、将軍、大佐。このモンスターを、通常兵器で破壊できるのかね?」
首席補佐官が、訊いた。
アークライトとノリスは顔を見合わせた。
「‥‥実物を見ないことにはなんとも申し上げられません。たしかに全長1マイルの巨大な構造物であれば、通常兵器での破壊は困難でしょう。しかし、案外もろいかも知れません」
アークライトは慎重に答えた。
「どういう意味だね?」
「宇宙船は、加速と減速に耐えられるだけの構造強度があればよろしいのです。惑星のような重力源に着陸したり、そこから離昇したりするのでなければ、単純かつ軽量に造ることが出来ます。しかし、今回の場合軍用として使用されているようですから、それなりの強度と武装を備えている可能性も高いです」
「その‥‥母艦の目的はなんだろう?」
「艦載機の回収。あるいは、母艦自体の兵器による地球攻撃。あるいは‥‥」
アークライトは言葉を切った。いやな汗が、背中を流れ落ちる。
「あるいは‥‥なんだ?」
副大統領が、訊く。
「あるいは、あれは単なる母艦ではなく、強襲揚陸艦なのかもしれません」
テーブルが、静まり返った。
「まだ大統領と連絡がつかんのか?」
副大統領が、いらだたしげにテーブルを叩く。
「で、将軍。君はあの母艦に対する核攻撃に賛成なのかね?」
「母艦攻撃は賛成ですが、核の使用は政治的問題です」
アークライトは、慎重に逃げた。
「敵が核武装していないという保障はありません。核、あるいはそれを越える大量破壊兵器による報復の可能性があります。少なくとも、現状では敵が核を越える兵器を使用したとの報告は入っておりませんが」
「だが、母艦さえ潰せばこの戦いは勝てるだろう」
「敵は一隻だけとは限りませんよ、フレッド」
首席補佐官が、やんわりと指摘する。
「あんな敵が艦隊を組んでやってきたら、敵うはずがない。一隻だけだと仮定し、対策を施すべきだ」
副大統領が、そう決断する。
女性少佐が、ノリス大佐にプリントアウトを差し出した。無言で受け取った大佐の顔が、青ざめる。
「どうした、大佐」
副大統領が、訊いた。
「‥‥例の宇宙船が、減速を開始しました。おそらくは、地球の周回軌道に載るか、あるいは着陸のためと思われます。それともうひとつ。飛行兵器が、集結をはじめたようです。ヨーロッパを襲った各機は、いずれも大西洋方面へと離脱中。北米を攻撃した機は、東ないし北に向かっているようです」
「艦載機を回収するつもりなのか?」
「あるいは、着陸を援護するためかもしれません」
アークライトは、女性少佐に生データを持ってくるように命じた。
「もし着陸だとすると‥‥場所はどこだ?」
「可能性はふたつ。まず、地球側の反撃を受けにくい僻地です。例えば、グリーンランド、南極、シベリア東部、アフリカなど。しかしこれらの地では、核のような大量破壊兵器を使用されるリスクが増大します。二つ目は、戦略目標に近い場所。すでに先制攻撃をかけた国々が、狙われるでしょう。すなわち、北米かヨーロッパ諸国です」
「では、ヨーロッパから敵の航空兵器が引き上げたということは‥‥」
首席補佐官が、言う。
「わが国か」
喘ぐように、副大統領。
「戦略としては、常道でしょう。地球上でもっとも手強い国家ですから」
女性少佐が、プリントアウトをアークライトに手渡した。
「西海岸の敵は東へ。南部諸州を襲った敵は北へ。中西部と北東部を攻撃した敵は、現地に留まっているようです」
アークライトは、顔をあげた。
「ほぼ間違いありませんね。敵の狙いは、合衆国です」
「なんとしても大統領を呼び出せ!」
副大統領が、怒鳴った。
「宇宙船を破壊しなければならん!」
「結局、カピィ宇宙船着陸までに大統領に連絡はつかなかった」
アークライトが、続けた。
「その後、大統領の死亡が確認されたのは、周知の通りだ。副大統領が、LAで連邦判事に対し大統領就任宣誓を行ったのは、翌日になった」
「はあ。凄い体験をしましたな、それは」
矢野は嘆息しつつ、すっかり冷めてしまったコーヒーをひと口含んだ。
「あの時、もし仮に副大統領が権限を逸脱して核兵器の使用に踏み切っていたとしても‥‥おそらくは、カピィ宇宙船の破壊は難しかっただろう。だが、多少歴史は変わっていたかもしれないな」
アークライトが、苦笑した。
「そうか、もう一年経ったんだ‥‥」
頬杖をつくダリルが、誰かが持ち込んだ卓上カレンダー‥‥子犬のカレンダーで、四月は白茶のキャバリアが芝生で寝転んでいる‥‥を眺めながらつぶやく。
夕食後のひと時であった。
「ねえ、スーリィは、CDの時どこにいたの?」
ダリルが、訊く。
「実家にいたわ。実は、朝起きるまで、知らなかったのよ」
スーリィが、恥ずかしげに答える。
「‥‥田舎にもほどがあるわね。テレビくらいあるでしょうに」
サンディが、言う。
「でも、真夜中だったし。はは‥‥」
スーリィが、笑ってごまかす。
「じゃあ、ミギョンは?」
ダリルが、訊いた。
「ソサン基地にいた。非常呼集が掛けられて、十五分待機だった。徹夜で、テレビにかじりついていた」
相変わらずのポーカーフェイスで、ミギョンが答える。
「あ、わたしと同じだ。松島基地で、徹夜でテレビ見てたよ」
瑞樹はそう言った。
「サンディは何してた?」
「ラングレーに帰ろうと必死だったわよ」
憮然とした表情で、サンディが答える。
「たまたまその時はネリスにいたからね。まあ、ラングレーにいたら、出撃して死んでたかも知れないけど」
「ネリスから出撃しなかったの?」
スーリィが、訊く。
「機体がなかったもの。ハンガー・クイーンでさえ飛び立ったからね。あそこも少しだけど攻撃されたし、よそ者の中尉風情が飛べるわけないでしょ」
サンディが、肩をすくめる。
「まあ確かに、F−15であんたが飛んだらフルバックに叩き墜とされるのがオチだね」
ダリルが、笑う。
「そういうあんたはどうしてたのよ?」
「ブリスベーンの沖にいた。だから、どうしようもなかったんだ」
ダリルが、言う。
「もちろん戦闘配備のうえ、何機かはCAPに上がったし、あたしもカタパルト待機してたけどね。結局、出番のないままパールに帰ったんだ」
「あら。じゃあ、CDにカピィと戦ったのは、わたしだけなのね」
アリサが、微笑む。
「なにぃ! 初耳だぞ、それは」
すかさず、ダリルが喰いつく。
「そうだったんだ。話、聞きたいな」
瑞樹も興味を抱いた。アリサの方に、身を乗り出す。
「‥‥自慢するような話じゃないからね」
アリサが、そう言って視線を逸らせた。
「そりゃそうでしょう。CDにまともな戦果を挙げたところなんて、ひとつもないんだから」
サンディが、肩をすくめる。
「わたしも聞きたいな」
立ち上がったミギョンが、アリサの向かい側に座った。
「‥‥みんな聞きたそうね。でも、いい話じゃないのよ‥‥」
アリサが諦め顔でそう言った。
ロシア連邦モスクワ州。
モスクワ市街地の西にあるクビンカ空軍基地から、空対空装備の四機のSu−27が飛び立っていった。
すでに、ロシアの空は大混乱に陥っていた。経空攻撃の報を受け、各地の基地から多くの空軍機が夜明け前の空に飛び立っていたが、上級司令部も各所の要撃管制当直者も、敵の正体やその意図、規模などについて把握しておらず、適切な指示を下すことは困難であった。だが、ふたつのことは、すべての者が承知していた。
祖国が攻撃されていること。そして、敵はどう考えても人類以外の連中だ、ということ。
「大佐、どうされるおつもりです?」
三番機に乗るアリサ・コルシュノワ少佐は、一番機を駆る上官に呼びかけた。
「わからん。とにかく、自力で敵を見つけるしかない」
大佐が答える。憮然とした声音だ。
「‥‥こちらモルニヤ65。モスクワ周辺の空軍機、誰でもいい、応答してくれ」
いきなり、ラジオに音声が入った。
「こちらヴァルイーフ22。クビンカのSu−27フライトだ。そちらは?」
大佐が、応答する。
「モルニヤ65はクルスクの第14戦闘機連隊所属機だ」
MiG−29の部隊だ。
「ヴァルイーフ22、第14はオリョールの南で敵大型機三機と交戦し、ほぼ全滅した。敵は北上している。迎撃を頼む」
モルニヤ65が、告げる。
‥‥ほぼ全滅。
アリサは慄然とした。戦闘機連隊一個をわずか三機で殲滅した敵。
「モルニヤ65。敵の詳細を教えてくれ」
大佐が、依頼する。
「敵機は超大型だ。ルスラーンの三倍はある。レーザー発生器のような兵器で武装している。撃墜は困難だ」
「間違いないのか?」
「俺はこの目で見たんだ!」
モルニヤ65の口調が、急に荒くなった。
「ユーリーもミーチャもレーザーで落とされた。アントンが一発ぶち込んだが、すぐに撃ち墜とされた‥‥。あいつらは、モスクワに向かってる。頼む、なんとかして止めてくれ」
「了解した、モルニヤ65。以上。‥‥ディエーヴァ、こちらヴァルイーフ22」
モルニヤ65との通信を終えた大佐が、クビンカのコントロールを呼び出し始める。
‥‥ルスラーンの三倍の大型機。対空レーザー。いったい何者だろうか? やはり、地球外の侵略者なのか?
「よし。ヴァルイーフ22より各機へ。針路1−6−0。敵を迎撃する」
クビンカ基地との通信を終えた大佐が、命ずる。
四機のSu−27は、機首を南方に向けると、レーダーを使って敵を探した。すぐに、反応はあった。距離65kmほどで、大型目標三を探知する。
「‥‥速い」
アリサはおもわずつぶやいた。こちらは亜音速なのに、距離の縮まりかたが尋常ではない。敵の機速はどうみてもマッハ2を越えている。
大佐が、各機に目標を割り当てた。距離50kmで、それぞれがR−27を二発放つ。
八発すべてが、目標到達までにレーダーから消えた。
「レーザーか」
大佐が、つぶやく。
さらに近づく敵に対し、大佐は再度R−27発射を命じた。八発のミサイルが、突っ込んでゆく。しかし、またもやすべてが叩き墜とされる。
その頃にはもう、敵の姿がアリサらの眼にも捉えられていた。まだ薄暗い空に禍々しく浮かぶ巨大な双胴の高翼機。機体の各所から、青白いレーザーが放たれる。
アリサらはR−73を発射すると、二手に分かれていったん退避した。大佐と二番機のマクシムのペアと、アリサと四番機のセルゲイのペアだ。
R−73もあっさりとレーザーで叩き落した三機の巨大双胴高翼機は、悠々とモスクワへと進んで行く。
「ヴァルイーフ22より各機へ。近接してラケータを撃ち込む。ついて来い」
大佐が命ずる。
二機ずつペアに分かれた四機のSu−27は、アフターバーナーを焚いて敵機に追いすがった。
敵機の後部から、レーザーが放たれる。
まず、マクシムがやられた。レーザーがコックピットを直撃する。
次いで、アリサの機も被弾した。機体に衝撃が走り、コックピット内に警報音が鳴り響く。あちこちで、コーション・ライトが点灯する。
アリサは射出ハンドルを引いた。‥‥機速が速すぎるが、止むを得ない。
ズベズダの射出座席は優秀であり、世界最高の性能を誇っている。今回もそれは正確に作動し、アリサは機外に放り出された。誘導傘が主傘を引き出し、彼女はカルーガ州北部の森林地帯上空を漂い始めた。
アリサの眼に、飛行を続ける敵機の姿が飛び込んできた。一機のSu−27が、その尾部に迫っている。直感的に、大佐の機だと知れた。レーザーが盛んに放たれているが、Su−27は奇跡的に躱し続けている。
大佐が、ミサイルを発射した。R−73だろう。二本の筋が、敵機へと延びてゆく。距離は、1kmちょっとというところか。
二発とも、右胴体の尾部に命中した。しかし、敵機は悠然と飛び続けている。
レーザーが、追尾を続けるSu−27に命中した。右翼端が、吹き飛ぶ。
Su−27が、アフターバーナーのきらめくオレンジ色を見せつけながら、なおも敵機に追いすがる。
両機の距離は、すでに数百メートルの単位に縮まっている。アリサは、大佐の意図を察した。
‥‥大佐。
相対距離が縮まる。敵機のレーザーが飛び交っているが、不思議にSu−27を捉える事ができない。照準不能な距離まで近づいたのか。
もはや黒い点となったSu−27の姿が、異星の巨大飛行兵器と重なる。
アリサはおもわず眼を瞑った。
眼を開けた時には、すでにSu−27の姿はどこにもなかった。発光するいくつかの破片が、あるものは木の葉のようにひらひらと、また別なものは隕石のように高速で、またあるものは旧式なロケット弾のように白煙を引きながら、大地へ向け落ちてゆくのが見えるだけだった。
敵大型機の左側胴体の尾部から、一筋の煙が尾を引いている。‥‥少なくとも、命と引き換えに損傷を与えることには成功したのだ、大佐は。
アリサが見守るうちに、どこかの部隊の戦闘機が現れ、攻撃を開始した。レーザーがきらめき、遠すぎて機種を識別できない戦闘機が一機、また一機と落ちてゆく。
その頃にはもう、アリサの高度も地表まで百メートルを切っていた。幸い、真下は川沿いの農地のようだ。緑色の筋が、何十本も平行に走っているのが見える。ちょっと離れたところに見えるのは、農家か納屋か、はたまた家畜小屋か。
アリサは着地に備えた。膝を若干曲げ、あごを引く。
着地。
期待した通りに、地面は柔らかだった。アリサは素早くパラシュートを外した。座り込んだまま、体の各所を点検する。‥‥特に痛むところはない。どうやら、無傷のようだ。
「大丈夫かい、あんた!」
人が走り寄ってくる。七十過ぎくらいの、小柄な老婆だ。いかにも農婦、と言った感じの、たくましい体つきと顔つきをしている。
アリサはヘルメットを取った。とたんに、農婦が驚きの表情を見せる。
「あら、まあ。お嬢さんかね、この兵隊さんは!」
「畑を台無しにしてごめんなさい」
アリサは謝った。葉っぱからすると、テンサイ畑のようだ。
「いいんだよ、そんなこと。怪我はないかね?」
「大丈夫です。あの、電話を貸していただけませんか?」
アリサは立ち上がりつつ、頼んだ。
「いいとも。家に来なさい」
即座に老婆が言って、アリサの手をとって引っ張った。
「で、あの敵はどこの国だい? アメリカ人かい? 中国人かい?」
「いいえ。アメリカでも中国でもありません」
老婆についていきながら、アリサは答えた。
「じゃあ、またドイツ人が攻めてきたのかい?」
アリサは老婆の皺だらけの顔をまじまじと見た。この年齢ならば、大祖国戦争の時には、もう物心ついていたことだろう。ドイツとの戦争は、しっかりと記憶しているはずだ。モスクワまであと一歩のところまで迫った、恐ろしい敵のことを。
アリサは首を振った。
「いいえ。今度の敵は、ドイツ人よりはるかに厄介な相手です」
「はあ」
瑞樹はおもわずため息をついた。
「運が良かったわね、アリサ」
サンディが言って、労わるようにアリサの肩にそっと手を置いた。
「セルゲイってパイロットは無事だったの?」
スーリィが、訊く。アリサが、首を振った。
「未帰還よ。あとで、機体の残骸がオブニンスクの近郊で見つかったわ」
第六話簡易用語集/MIRV方式のSLBM Multiple Independently-targetable Reentry Vehicle/Submarine Launched Ballistic Missile 要するに個別の目標を攻撃できる複数の核弾頭を備えた潜水艦発射弾道ミサイル。/ノリス大佐 Colonel Norris 子孫がサハリン家に仕えるかどうかは‥‥定かでない。/エアフォース・ツー Air Force Two 合衆国副大統領が空軍機に搭乗した場合に名乗れるコールサイン。エアフォース・ワンの副大統領版。誤解されやすいが、機材そのものの名称ではない。/NORAD North American Aerospace Defense Command 北米航空宇宙防衛司令部。合衆国とカナダが共同運用する軍事組織。北米空域および大気圏外の警戒を主任務とする。/1マイル この場合はnmではなく、アメリカで普通に使われているいわゆる国際マイル。約1609メートル。/ハンガー・クイーン Hangar Queen 格納庫の女王。他の機体よりも整備に手がかかる、あるいは故障しやすいなどの理由で飛行時間が短く、常に格納庫の奥で鎮座しているような機体を揶揄した呼称。/パール Pearl パールハーバー(真珠湾) すなわちオアフ島のアメリカ海軍基地のこと。/ルスラーン Ruslan An−124輸送機のこと。全長69.1メートル。全幅73.3メートル。とにかくでかい。