5 UNUFNAWC
メイス・ベースを0900ちょうどに出発して、ワシントン州マッコード空軍基地到着が、太平洋岸標準時の午後八時半過ぎ。
フェリーはつつがなく終了し、瑞樹らは先行していた上田二佐率いるメンテナンス・グループの面々に機体を引き渡した。同じく先行していたアークライト中将にフェリー完了を報告する。
「機体に問題がなければ、明日早速出撃する。今夜は充分に休養してくれ。以上だ」
やや厳しい面持ちで、アークライト中将。
瑞樹ら四人は、先行したスーリィとミギョンの案内で、宿舎へと向かった。
「寒いわねえ。やっぱり」
瑞樹は顔をしかめた。もう三月に入ったが、夜なので気温は十度をはるかに下回っている。おそらく、五、六度しかないだろう。
「こうしてみると、あたしが一番南方系かなぁ」
ダリルが、言う。
「アリゾナじゃ‥‥暖かいでしょうね。冬があるの?」
スーリィが、訊く。
「一応あるよ。雪降んないけどね」
宿舎は狭くはなかったが、ツインルームだった。
「まあ、間借りだから、仕方ないか」
サンディが、肩をすくめる。
「部屋割り、どうする?」
スーリィが、訊く。
「わたしは、彼女以外なら誰でもいいわよ」
サンディが、背後にいるダリルを親指で指差す。
「‥‥シバイタロカ」
ダリルが、拙い日本語で言い返す。‥‥どこで覚えてくるのやら。
「まあ、くじ引きが一番無難ね。ダリル、カード持ってきたでしょ?」
アリサが、フレイル一のギャンブル好きに訊く。
「うん。あるけど‥‥」
ダリルが自分の荷物を探り、一組のカードを取り出した。受け取ったアリサが、見事な手さばきでカードを広げ、六枚を抜き出す。エースが三枚とクイーンが三枚だ。
「スペードとハートとダイヤ。スートが同じ者が同じ部屋よ。いいわね」
アリサが六枚のカードをざっと切り、相手に見せない状態で扇状に広げ持った。
「さあ、どうぞ」
ダリルに向け、突き出す。
逡巡しているダリルの横合いから、サンディがすっと手を伸ばして中ほどから一枚を抜き取った。
次いでスーリィも手を伸ばし、端の一枚を抜く。
負けじとダリルも抜いた。スーリィとは反対側の端の一枚だ。
「あなたたちも」
アリサが、瑞樹とミギョンに向けカードを突き出す。ミギョンが、真ん中のカードを引いた。瑞樹は、残る二枚から引こうとしたが、アリサがそれを押し止めた。
「引いても無意味よ」
微笑んで、カードを表返す。
二枚とも、ダイヤだった。
「スペードは誰だ?」
スペードのクイーンを振りながら、ダリルが言う。
「あたしよ」
スーリィが、スペードのエースを掲げる。
「じゃあ、わたしとミギョンが一緒ね」
サンディが、ハートのクイーンを見せびらかす。ミギョンが、無言でうなずいた。
初出撃。
ゾリアにサンディ。ヴァジェットにスーリィ。ネメシスにミギョン。そして、ベローナに瑞樹というメンバーだ。
初の任務は、BARCAPだった。戦線後方で、カピィ航空兵器の侵入を待ち受けるのだ。当然、全機がスイフトを多数搭載した空対空装備である。
フレイル・スコードロンは、コロラド上空を飛ぶ合衆国空軍AWACSの指示に厳密に従うよう強く申し渡されていた。なにしろ、試作機の上に従来の戦闘用機とはかなり異なる形状である。下手なところへのこのこ出て行っては、カピィの新兵器と誤認され、砲火を浴びせられるおそれが強い。
出番は意外に早く来た。レーストラック・パターンで飛び始めて二十分もしないうちに、AWACSから指示が下される。攻撃目標は不明だが、ファイアドッグ一個編隊三機に護衛されたフラットフィッシュ一個編隊三機が、戦線を突破したらしい。
「フレイル1より各機。方位0−9−3」
サンディが、管制官から指示された方角を繰り返す。
瑞樹はスーリィのヴァジェットを援護する位置に付きながら、東を目指した。
「フレイル1より各機。フォーメーションを変更する。2、3で先行しファイアドッグを叩け。4は1を援護。フラットフィッシュを叩く」
サンディが、告げる。
通常、1と3、2と4が組んで戦うのが、フレイルの基本である。しかし空対空任務に関しては、最も運動性に優れるヴァジェットがいささか鈍重な‥‥あくまで、ヴァジェットやネメシスと比較しての話だが‥‥ベローナとペアを組むのは具合が悪い。そこで、2と3のACM得意組と、1と4の不得意組にフォーメーションを組み替えて戦うパターンも存在した。もちろん、そのパターンであらかじめ数多く訓練も行っている。
瑞樹は訓練通り、針路と高度を維持した。スーリィのヴァジェットが加速しつつ離れて行き、代わりにサンディのゾリアが長機の位置に入る。
ファイアドッグが、三機編隊を組んだままスーリィのヴァジェットとミギョンのネメシスに向かってゆく。
ヴァジェットとネメシスが、編隊を解いた。
ファイアドッグも、編隊を解く。二機がネメシスに、一機がヴァジェットに向かう。
ヴァジェットの背後に、ファイアドッグが張り付いた。だが、レーザーで有効な射撃を行えるほど近くではない。
同様に、ネメシスも二機を引き連れて逃げる。レーザーが放たれるが、まともに当たる距離ではない。
ファイアドッグは、完全に罠に嵌っていた。
ネメシスが、逃げる。ファイアドッグ二機が、追う。
そのファイアドッグ二機の背後に、ぬっとヴァジェットが現れた。
ネメシスはただ単に逃げていたわけではない。ヴァジェットの前にファイドッグを誘導していたのだ。そしてもちろん、ヴァジェットも単に逃げていたわけではない。戦術的に有利な位置を占めるために、タイミングを計っていたのである。
スーリィが、スイフトを二発発射した。
罠に気づいた二機のファイアドッグが、ブレークしようとする。だが、あまりにも時間がなかった。スイフトが、それぞれ一発ずつ直撃する。弾頭威力は凄まじかった。一機は後部を砕かれ、青黒い煙の尾を引きながら急降下する。もう一機は、ロケットランチャーが誘爆を起こしたのか、空中で火球と化した。
スーリィを追っていたファイアドッグは、味方が二機とも失われたにもかかわらず、あくまでヴァジェットを撃墜しようと、懸命の努力を続けていた。ヴァジェットが在来型の戦闘機なら、それは可能だったろう。しかし、ヴァジェットはファイアドッグに追いつかれることもなく、悠々と逃げ回っている。
もちろん、それを見逃すミギョンではなかった。
ファイアドッグの下方から、ネメシスが急上昇してくる。パイロンから、スイフトが放たれた。弾頭が、直撃する。コントロールを失ったファイアドッグは、錐揉みしながら落ちていった。
ゾリアとベローナの接近に気づいたフラットフィッシュが、編隊を解いた。
「4、援護を」
サンディが、命ずる。
ゾリアが、フラットフィッシュの一機を追尾にかかる。瑞樹は、ゾリアを援護する位置に留まった。フラットフィッシュが激しい機動でゾリアを振り切ろうとする。だが、サンディは執拗に背後に食い下がった。
「FOX3!」
サンディが、スイフトを発射する。フラットフィッシュはそれを急機動で避けた。
しかし、その動きは瑞樹に撃墜のチャンスを与えただけだった。
フラットフィッシュが、ベローナの前に飛び出す。
「FOX3!」
瑞樹はすかさずスイフトを放った。フラットフィッシュが機体を立て直して逃げようとするが、間に合わない。
弾頭が炸裂し、尾部が吹き飛ぶ。バランスを崩した平べったい機体は、風に舞う木の葉のように複雑な動きをしながら落ちていった。
瑞樹はすぐにゾリアを援護する位置に戻った。フラットフィッシュはまだ二機いる。油断はできない。
サンディは、すでに一機に狙いを定めていた。距離を詰め、スイフトを放つ。
今度の敵機は、なぜか動きが鈍かった。スイフトが直撃し、四散する。
「こちら2、ファイアドッグは片付けた。フラットフィッシュ一機が東へ逃げる。どうする?」
珍しく興奮しているのか、普段よりも甲高い声で、スーリィ。
「無理しない方がいいわ。CAPに戻りましょう。全機、兵装を報告」
冷静な声音で、サンディが命ずる。
‥‥スイフト六発消費で、ファイアドッグ三機とフラットフィッシュ二機撃墜。損害なし。しかも、たった四機で。
各機とも、スイフトは最大限積み込んでいる。六発消費したが、まだ合計三十六発残っている計算だ。もちろん、NT兵器だから残燃料は無視できる。
そう言えば‥‥。
瑞樹は、自分が敵機を墜としたのはこれが初めてだということに思い至った。地上兵器は何両も破壊したし、シミュレーターなどでも多数の敵機を撃墜したが、実戦では初めてである。
‥‥でも、初めてな気がしない。これも、訓練の賜物だろうか。
瑞樹らは、そのあと二度にわたってカピィと交戦した。
二回目は、初回と同じような迎撃任務だった。今度の侵入者は、ファイアドッグ一個編隊三機。これは四機で一気に襲い掛かり、サンディ、スーリィ、ミギョンが一機ずつ叩き墜とした。
三回目は、ファイアドッグの三個編隊に襲われたF−15E飛行隊の救援任務だった。例によってスーリィとミギョンが先行し、二個編隊を引き付ける。残る一個編隊と、サンディと瑞樹が交戦しているあいだに、F−15Eは安全圏へと逃れた。さすがにこれだけ数が多いと、撃墜は難しかった。結局、スーリィが一機墜としただけで、ファイアドッグが退却していく。
まだスイフトは多数が残っていたが、瑞樹らの気力の方が尽きかけていた。マッコードに報告を入れたサンディが、帰投を命ずる。
「なにい! スーリィが四機も墜としたって!」
ダリルが、眼をむく。
フレイル・メンバーには、パイロット専用の娯楽室がひとつ与えられていた。カードテーブルやダーツボードまである本格的な部屋だが、いささか狭く、六人が集うとやや窮屈に感じる。
「ミギョンがサポートしてくれたからね」
疲れが顔に出てはいるが、笑顔でスーリィが応じる。
「ミギョンも二機撃墜か。さすがあたしのライバルだ」
ダリルが、握手を求める。‥‥ミギョンは、迷惑顔だが。
「サンディも瑞樹も戦果を上げたか。良くやった」
二人に向け、ダリルが両手の親指を突き上げる。
「今日はお祝いしなくちゃね」
アリサが言って、スーリィの肩をぽんと叩いた。
「初戦果のお祝いか。いいな」
ダリルが、はしゃいだ声を出す。
「違うわよ。UNUF初の、女性エースの誕生よ」
アリサが、言う。
「女性エース?」
ぽかんとした表情の、ダリル。
「‥‥そう言えば、そうだね」
スーリィが、恥ずかしそうに笑う。
「そうか」
瑞樹は、ぽんと手を叩いた。
「スーリィは、フレイル・スコードロンに入る前に、NAWCでファイアドッグ一機墜としてたんだっけ。合わせて五機よ。凄い凄い」
「うぬぬ。ならあたしは合衆国初の女性エースの座を目指す!」
ダリルが、ぐっと拳を握り締めて宣言する。
「ほっといて、いいの?」
アリサが、横目でサンディを見やる。
「やらせておけば? 撃墜スコアは無理に作るべきものじゃないわ。大事なのはチームとしての戦果よ。個人の戦果は二の次」
サンディが、大人の回答をする。
「欲がないのね」
「そう言う、アリサだって」
「まあわたしの場合は、偉大な先輩がいるからね。いまさら無理しても意味ないわ」
くすくすと笑いつつ、アリサ。ロシア空軍‥‥当時はソビエト社会主義共和国連邦空軍だが‥‥は、第二次世界大戦で女性エースを二人輩出しているのだ。
「なにしてるの?」
パンをちぎる手を止めて、瑞樹は尋ねた。
ダリルが、殻を剥いたゆで卵相手に、マスタードのチューブを手にしてなにやら細工を施している。サンディとスーリィも、ぽかんとした顔でダリルの手元を見つめている。
マッコード基地の士官食堂である。瑞樹ら四人は、いつものように同じテーブルで朝食を摂っていた。
「できた!」
ダリルが高らかに言って、マスタードのチューブを置いた。ゆで卵を手にし、三人に見せびらかす。
卵に、黄色い線で単純な顔が描かれていた。
「子供か、あんたは」
サンディが、突っ込む。
瑞樹も、笑った。
「小学校の給食で、やったことあるよ。マーガリンだったけど」
「笑うな。これは神聖なおまじないなのだ」
ダリルが、憤慨する。
「おまじないという時点で、神聖とは言えないと思うけど」
スーリィが、冷静な突込みを入れる。
「これは、シェルトン家に代々伝わる幸運のおまじないなのだ。ゆで卵にマスタードで顔を描いて、ひと口で食べる。途中で飲み物を飲んでは駄目だぞ」
まじめな顔で、ダリル。
「‥‥効果あるの、それ?」
半笑いで、サンディ。
「ある」
ダリルが、断言する。
「父は母にプロポーズする前にこれをやったのだ。あたしは初デートのときにやって、見事に成功させた。実績は、あるのだ」
「‥‥それって、恋のおまじないって言わないかなぁ」
瑞樹は小声で突っ込んだ。
「で、初出撃だから、おまじないをするわけ?」
スーリィが、訊く。
「そうだ。無事帰還と初戦果を祈って」
ダリルが、大口を開けるとゆで卵を押し込んだ。神妙な顔で、咀嚼する。三人は、半ば呆れた表情でそれを見守った。
ダリルが、口中の最後の一片を飲み下した。晴れやかな笑顔で、宣言する。
「今日はいい日になるぞ」
スコーピオン六基という対地装備で、ベローナは離陸した。
二日目の任務は、BAI(戦場航空阻止)である。無人機による偵察でタイクーン三両が発見された地点に侵入し、これを叩くのが目的だ。そのため、ネメシスにもスコーピオン二基、フォコン四基が搭載されている。ゾリアとヴァジェットは護衛で、スイフト満載である。
ネメシスには、もちろんダリルが搭乗していた。ゾリアも、今回はアリサの操縦だ。
カンザス州内の目標まで、2000kmを超える距離がある。四機は、東行用の回廊を超音速で飛行した。目標周辺に固定化された対空火器は報告されていないが、ファイアドッグによるCAPは複数あるものと見積もられている。
目標に接近した四機は、対地高度を500フィートまで下げた。農地の中に点在する家屋が、翼下を飛び去ってゆく。
「ボギーズ、11オクロック、ハイ!」
先頭を行くアリサが、告げる。
小型機が三機、上空をのんびりと飛んでいる。
「1、2で攻撃。3、4は針路維持」
アリサが命ずる。
空対空装備のゾリアとヴァジェットが編隊を解き、急上昇した。気づいた敵の小型機が、編隊を崩す。どうやら、ファイアドッグのようだ。
瑞樹は低空を維持しながら、忙しく周囲に眼を走らせた。レーダーはオフにしたままだ。
アリサとスーリィが、相次いでFOX3を告げる。
ほどなく、スーリィのヴァジェットが編隊に戻った。アリサのゾリアも、少し遅れて戻ってくる。どうやら、アリサが二機、スーリィが一機を屠ったらしい。
四機は、すでにカピィ占領地域に深く入り込んでいた。いったん南に転じ、さらに西へ変針する。西を向いているであろうタイクーンを、背後から攻撃するためである。
目標まで30nm。
「1、3。先行する」
そう宣言し、アリサのゾリアとダリルのネメシスがすっと前に出た。高速で突っ込み、目標を偵察しつつ余裕があれば攻撃。その偵察結果を受けてスーリィのヴァジェットの援護を受けつつ、瑞樹のベローナがタイクーンの背後ないしは側面を攻撃、というのが標準的な手順である。
「1、敵視認。タイクーン三両、いずれも背面!」
アリサの声。
「行ける! スコーピオン発射!」
これはダリル。
瑞樹はHUDに集中した。背後は、スーリィが護ってくれている。
小さな丘を越えると、視界が開けた。
いた。
巨大なタイクーンが、三両。いずれも、背中を見せている。一番右側の一両は、破口から黒っぽい煙を吐き出しつつある。‥‥ダリルの放ったスコーピオンが命中したのだ。
周囲には、数両のティンダーとシーフの姿も見える。
タイクーンの上部レーザー砲塔が、きらめきを発した。何両かのティンダーも、対空レーザーを撃ち出す。だが、狙いは不正確だ。
瑞樹は中央のタイクーンにピッパーを合わせ、スコーピオンを二発発射した。次いで左側のタイクーンを狙い、二発。
サイドスティックをやや引き気味にして右に倒す。損傷したタイクーンの対空火力は弱まっていると踏んでの、右方への回避である。
四発のスコーピオンが、たちまちマッハ2まで加速する。まぐれ当たりのレーザーが、一発を叩き落したが、残る三発は命中した。前面装甲は往時の戦艦並み、と評価されるタイクーンだが、側面装甲は巡洋戦艦並み、背面装甲に至っては、巡洋艦並みと言われている。もっとも、七十年前の巡洋艦の装甲板がどれほどの厚みを持っているのか、瑞樹は詳しくは知らないが。
タンデム弾頭が、あっさりと装甲を貫通する。内部で起こった爆発が、何枚もの装甲板を吹き飛ばし、いくつものレーザー砲塔が沈黙する。
「2、上空援護。3、4。タイクーンに東から二次攻撃。1は援護する」
アリサがてきぱきと命じる。
瑞樹は速度を上げ、先行して二次攻撃の準備に入っているダリルのネメシスに合流した。ちらりと後ろをみて、アリサのゾリアが援護位置にあることを確認する。
「3、あなたの攻撃した右端のタイクーンはまだ生きてるわ。止めを刺して。4は中央か左端の奴にもう一度攻撃を掛ける」
瑞樹はそう呼びかけた。
「3、了解」
楽しそうに、ダリル。
丘を越える。
今度はカピィも待ち構えていた。先ほどよりも正確な対空射撃が行われる。しかし、タイクーンのレーザー砲塔でこちらを向いているのは十基程度だったし、稼動しているのはその半数以下だった。ティンダーの対空レーザーは脅威だったが、こちらも六両程度だ。瑞樹はベローナの針路を変えて対空砲火を躱わしつつ、残る二発のスコーピオンの狙いを定めた。左端のタイクーンの方が、背面の破口が大きい。こちらなら、止めを刺せそうだ。
発射。
その直後、ベローナの計器板のコーション・ライトが点灯した。
レーザーを浴びたのだ。
瑞樹は慌ててサイドスティックを引き、スロットルを開けた。
「4、被弾した!」
高度を稼ぎ、目標から遠ざかりつつ計器をチェックする。
「4の援護にまわる」
スーリィの声。すぐに、援護位置にヴァジェットが滑り込んできた。
「4、状況を!」
ややかすれたアリサの声。
瑞樹は計器を精査したが‥‥とくに異常は見られなかった。
「こちら4。被弾はしたけど‥‥飛行および兵装に異常なし」
「そう。フレイル各機、帰投しましょう」
安堵感を声に滲ませながら、アリサが告げる。
「戦果は? あたしのフォコンは命中した?」
ダリルが訊く。
「確認したわ。フォコン四発命中。撃破確実。ちなみに4のスコーピオンも二発とも命中。詳しくは、デブリーフィングの時にね」
アリサが、言う。
四機は編隊を組み直し、西行用の回廊へと進入した。
「‥‥ACMもしたかった」
ぽつりと、ダリル。
「無駄話はやめなさい、と言いたいところだけど、どうやらダリルの願い通りになりそうね。AWACSからデータが転送されたわ。迎撃要請よ」
やや硬い声で、アリサが告げる。
瑞樹は自分のMFDに眼を落とした。北方に、小型機のマス・トラックが出現していた。中国空軍のCAP機が向かっているものの、その数はわずかに八機だ。
アリサが、要請に応じる旨を管制官に告げ、誘導指示を受け取った。
「2、3。組んで。4は1を援護して。レーダー・オン」
アリサが命ずる。
瑞樹はスタンバイ状態のレーダーをオンにした。カピィ小型機の群れは、ファイアドッグとフラットフィッシュの混成のようだ。その数、約二十。‥‥ということは、たぶん七個編隊だろう。
先行するスーリィとダリルが、突っ込んでゆく。ネメシスの方が、リードの位置だ。スーリィは、ダリルに手柄を譲るつもりなのだろう。
「4、フラットフィッシュを狙うわよ」
リードのアリサが告げる。
「4、了解」
瑞樹は気を引き締めた。敵の数が多い。その上、今日のベローナの空対空装備は、ASRAAMと27ミリだけである。対地装備でも、常に機内ウェポンベイにスイフト六基を装備しているネメシスとは違う。おまけに、表面上は異常がないとは言え被弾している。
ほどなく、状況は乱戦となった。四機のNT兵器、八機の中国空軍J−10、合わせて二十機ほどのファイアドッグとフラットフィッシュが入り乱れる。ダリルの放ったスイフトを食らったファイアドッグが炎を吐きながら墜ちてゆき、次いでレーザーを浴びた二機のJ−10が同じ運命を辿った。
「FOX3」
アリサが、フラットフィッシュの尾部にスイフトを叩き込んだ。すぐに、もう一機のフラットフィッシュに追いすがる。
そのゾリアの背後に、ファイアドッグがぬっと現れた。
「FOX2!」
援護していた瑞樹は、即座にウェポン・リリース・ボタンを叩いてASRAAMを発射した。
命中。
しかし、ファイアドッグは墜ちない。まったくの無傷ではないだろうが、しつこくゾリアを追いかけている。
「この!」
瑞樹は二発目のASRAAMを放った。さらに距離をつめ、ガンモードに切り替える。
ASRAAMが命中する。しかし、ファイアドッグはこれも耐えた。なおもゾリアに追いすがり、レーザーを撃ち始める。
瑞樹はトリガーを引いた。長い連射を、ファイアドッグに叩き込む。
二門の27ミリ機関砲から放たれた曳光弾が、ずぶずぶとファイアドッグに突き刺さる。使用弾薬はDM13APHE(装甲貫通高爆発力弾)。通常はAFV(装甲戦闘車両)などへの対地攻撃に使用されるものである。
ようやく、ファイアドッグがゾリアの追尾を諦めた。急降下し、ベローナの追尾を逃れる。
その直後、アリサが放ったスイフトが、前方のフラットフィッシュを火球に変えた。
戦いはすっきりしないまま終わった。カピィ側は損害の多さに嫌気が差したのか、東へと戻っていった。人類側も、J−10四機が失われた。フレイル・スコードロンの戦果は、スーリィがファイアドッグとフラットフィッシュを一機ずつ撃墜。ダリルがファイアドッグを三機撃墜。アリサがフラットフィッシュを二機撃墜。瑞樹がフラットフィッシュを一機撃破に止まった。
着陸するとすぐに、瑞樹は機体の損傷をチェックした。
右主翼下面に、レーザーを浴びた痕があった。外板が熱変形し、一部は黒く焼け焦げている。
「やられましたね。内部構造をチェックします」
滝野二尉が、部下に指示を下す。
「どうかしら?」
「システムチェックと、内部のダメージを調べなければなんとも言えませんが」
難しい顔で、滝野二尉。
「これはこれは。やられたね」
上田二佐も現れ、損傷したパネルを外そうとする滝野の部下を見守った。
「さすがC/Cコンポジット構造だな。単なるチタンのセミモノコック構造やCFRP(炭素繊維強化プラスチック)のモノコックなら、確実に穴が空いていたはずだ」
感慨深げに、上田が言う。
「まあ、撃墜されることはなくても、煙を吐きながら緊急着陸という事態になっただろうね。大尉、飛行中にシステムの異常は?」
「ありませんでした」
「機体に変動は? 操縦感覚の変化、反応の鈍さなど感じなかったかね?」
「いいえ。まったく感じませんでした」
瑞樹は手の感覚を思い出しながら答えた。
「おそらく、内部に問題はあるまい。外板さえ交換すれば、OKだ。今日の夕飯前には、直しとくよ」
上田が笑って、瑞樹の肩をぽんと叩いた。
「三機落とした! 三機も!」
デブリーフィングの後で、ダリルが自慢する。
「タイクーンも一両破壊! あたしって凄い。やっぱり、おまじないが効いた!」
「はいはい」
サンディが、気のない合いの手を入れる。
「しかし、初被弾が瑞樹とはねえ」
アリサが、微笑む。
「気をつけなよ、瑞樹。脅すわけじゃないけど、こういうのって、続くことが多いから」
スーリィが言って、瑞樹の肩にそっと手を置いた。
「うん。ありがとう」
三日目は、初日と同様CAP任務だった。メンバーも、初日と同じだ。
この日の午前中は、フレイル・スコードロンのメンバーにとっては不幸なことに‥‥ほとんどのNAWCの兵士にとっては幸いだったが‥‥カピィの軍事行動は低調で、昼まで航空攻撃は皆無であり、瑞樹らは一回も交戦することなく二時間半のCAPを終えて十二時過ぎに帰投した。
太平洋標準時二時過ぎに、同じメンバーが再度CAP任務につく。午後も平穏無事に過ぎるかと思われたが、CAP開始二時間後にカピィのストライク・パッケージがコロラドスプリングズに大規模な航空攻撃を仕掛けてきた。フレイル・スコードロンは合衆国空軍と共同で防戦に努め、これを撃退することに成功した。戦果は、スーリィがファイアドッグ二機、フラットフィッシュ一機。ミギョンがファイアドッグ二機。サンディがフラットフィッシュ二機。瑞樹がフラットフィッシュ一機であった。
「うーむ」
アークライト中将は唸った。
フレイル・スコードロンが戦果を挙げることは確信していたが、これほど活躍するとは予想外であった。
ソーティ数が多かったとは言え、たったの三日で、撃墜二十六、撃破一。タイクーン二両完全撃破。一両損傷。
この三日間で、NAWCが報じた撃墜数は対空火器によるものも含めて三十三機。ひとつの飛行隊、それもたった四機、しかも全員女の子‥‥まあ、三十代も混ざってはいるが、アークライトから見れば自分の娘よりも若い女性は常に女の子である‥‥が、NAWCの撃墜戦果の80%近くを上げているのである。しかも、事実上損害はゼロ。
「どうかね、機体の状況は?」
アークライトは、上田中佐に訊いた。
「今のところ異常は見られませんが、念のため明日の集中整備は予定通り行いたいと思います」
上田が、手にしたクリップボードに眼を落としつつ、言う。
「よろしく頼む。それと、メンテナンス・グループからの提言取りまとめの件は、どうなったかな?」
「もう少し時間をいただけますか」
「うむ。派遣期間終了までにまとめてくれればいい」
開発を急いだ試作兵器ゆえに、現行のNT兵器はまだ軍用兵器としては不完全なものである。特に、整備補給に関しては、扱いにくい箇所が多く‥‥例えば、アクセスパネルの位置や形状が適切でない、等々‥‥、それらは量産型の設計終了までにはすべて洗い出しておく必要があった。
上田中佐を送り出したアークライトは、デブリーフィングの報告書を精読し直した。この大戦果の要因は、単に人類製NT兵器の性能だけに起因するものではない。フレイル・スコードロンは、アークライトが予想していた以上に息の合った戦闘チームとして機能しているようだ。
全員が女性だからか?
ファイルを閉じたアークライトは、しばし熟考した。歴史を紐解けば、女性だけで編成された戦闘部隊は数多ある。だが、ほとんどが筋力や体格、体力の劣位、加うるに女性に対する偏見により大きな活躍をすることもなく、戦塵の中に埋もれていった。
NT兵器の操縦に筋力や体格は関係ない。体力は必要だが、フレイルのメンバーはみな戦闘機パイロットとして充分な体力の持ち主だ。二十一世紀の今、性差による偏見は皆無に近い。それどころか、精神的に女性の方がパイロットに向いているという説もあるくらいだ。
「史上初の、成功した女性だけの戦闘集団」
アークライトはつぶやいた。
‥‥可能性は、ある。少なくとも、あの娘たちなら。
「ご苦労だった、諸君。明日は予定通り出撃を行わず、機体のチェックと整備の日となる。充分に休養を取ってくれ、と言いたいが‥‥」
アークライト中将が言葉を切り、いたずらっぽく微笑んだ。
「ひとつだけ宿題を出しておこう。この三日間の戦闘を通じて学んだことを踏まえ、要望、提言、意見などをまとめてほしい」
「宿題‥‥苦手な響きですね」
ダリルが、つぶやく。
「堅苦しく考えなくていい。全員でコーヒーでも飲みながら、意見を出し合いたまえ」
「と、言うことで休養日にも関わらず全員集まったわけだけど‥‥」
サンディが、眠そうな声で言う。
小さな会議室に、六人は集っていた。全員、飲み物持参だ。ダリルとミギョンは紙カップ入りのコーヒー。サンディは同様の紅茶。スーリィは缶入りコーク。アリサは、わざわざメイス・ベースからケース単位で持ち込んだお気に入りの乳酸菌飲料。瑞樹は、セブンアップを買ってきた。
「提案!」
いきなり、ダリルが挙手する。
「なによ?」
サンディが、すかさず反応する。
「議長と書記を決めよう! やるなら本格的にやるべきだ!」
「じゃあ、ダリルが議長ね」
「何でそうなる!」
サンディの即決に、ダリルが抗議する。
「普通、言い出したものが責任ある役職に就くべきでしょう」
サンディが、道理を説く。
「いーや。ここは民主的に、やはり投票がいい!」
ダリルが食い下がる。
「めんどくさい。くじ引きがいいよくじ引きが」
スーリィが言って、コークのプルトップを開けた。
「でも、カードないし‥‥」
「使ってくれ」
ミギョンが、黄色いリーガルパッドとボールペンを差し出す。
「さすがミギョン。用意周到ね。ありがたく使わせてもらうよ」
受け取ったダリルが、はたと首をひねる。
「さあ、どうしようか?」
「アミダでも作る?」
瑞樹は、言った。
「で、こうやって、横棒を引いて‥‥」
瑞樹は阿弥陀籤作りを実践してみせた。
「アニメで見たことがある!」
ダリルが、はしゃぐ。サンディ、スーリィ、アリサは初見のようだ。ミギョンによると、韓国にはあるらしい。
「で、みんなに見えないように当たりを描き入れて‥‥」
瑞樹は紙の下部を折ると、適当に「C」と「S」を書いた。
「これで一応完成。不正防止のために、みんな一本ずつ横棒を描き加えるのが、スタンダードなやり方よ」
「重複することは、ないの?」
疑わしげに横棒を描き加えながら、サンディ。
「うん。数学的に証明できるんだよ。わたしには無理だけど」
頬を掻きつつ、瑞樹。
「じゃあ、好きな縦棒を選んで、その上部に名前を書いて」
スーリィが、左から三番目を選んだ。サンディが、その右隣を選ぶ。
「はは。アニメではたいてい端が当たりなんだ」
そう言って、ダリルが右端に名前を書き入れる。
「あんた、当たりたいの?」
サンディが突っ込む。
「‥‥目的を忘れてた」
硬直したダリルが、ボールペンをぽとりと落とす。
瑞樹は最後に残った右から二番目に名前を書いた。
「じゃあ、始めるわよ」
折ってあった下部を開陳する。左から二番目に「C」、右端に「S」が書いてある。
「じゃあ、左から行きましょうか」
瑞樹は、アリサの手にボールペンを押し付けた。
「ルールはさっきも言ったとおり、縦棒は下がるだけ。横棒にぶつかったら、横棒をたどる。縦棒にたどり着いたら、下がる。この繰り返しよ」
「わかったわ」
アリサが、ボールペンで線をなぞってゆく。‥‥はずれ。
「次、ミギョン」
ミギョンもはずれだった。
スーリィが、「S」を引き当てる。
続いて、サンディが、「C」
「決まっちゃったけど、重複しないことを証明するために、続けるね」
瑞樹は線をたどった。はずれ。
ダリルもたどる。ちゃんと、誰もたどり着かなかった縦棒の下に行き着く。
「なかなか面白いわね」
激戦のあと(?)をしげしげと眺めながら、アリサ。
「これも一種の数学パズルね。日本人って、暇なの?」
サンディが訊いてくる。瑞樹は苦笑しながら頬を掻いた。
「では、始めましょう。なにか、意見のある人?」
サンディ議長が、改まって訊く。
早速、ダリルが挙手する。
「はい、ダリル」
「議長、失礼ながらそのような設問では漠然としすぎていて実のある意見は出にくいと思われます」
生真面目な表情で、ダリル。
「‥‥じゃあ、当面の議題をファイアドッグ対策に絞りましょう。‥‥スーリィ。トップエースとして、意見をどうぞ」
サンディが、傍らでせっせとメモを取っているスーリィに振る。
「意見ねえ‥‥」
スーリィが、ボールペンの尻をおでこに当てて考え込む。
「難しく考えることはないわよ」
サンディが、促す。
「そうね。やっぱり、四機じゃ足りないわね。‥‥言ってもどうにもならないでしょうけど。たいていの場合、相手の方が数が多いから、無茶できない。ヴァジェットが八機くらい同時に運用できたら、もっと戦果が上がると思うけど」
「通常の戦闘機との混用に関しては、どう?」
サンディが、訊く。
「難しいわね。二日目の中国空軍J−10との時も、三日目の合衆国空軍F−15の時も、彼らがいてくれたおかげでファイアドッグへの牽制にはなったけど、何機も撃墜されちゃったし」
「むしろ、彼らはわたしたちの盾になってしまった、といった印象だったわね」
アリサも口を挟む。
「いずれにしても、航続性能その他に差がありすぎて、在来型戦闘機との混用は無理でしょう」
瑞樹はそう指摘した。
「だよね。むしろ、混用ならば対地攻撃だよ。二日目の攻撃だって、あとF−15EかF−18Eが一個飛行隊いれば、タイクーンもティンダーも全滅させられたはずだ」
ダリルが、言う。
「私見だが‥‥」
ミギョンが、口を挟んだ。
「NT兵器の有効利用法は、その長大な航続距離を活かしたCAPと護衛任務、それにピンポイントのSEAD任務にあると思う」
「同感ね。通常の迎撃任務や阻止攻撃なら、在来の戦闘機や攻撃機でも可能だわ」
アリサが、賛成する。
六人による会議は、昼食を挟んでなおも続いていた。
「では、議題を自分の乗っている機種に関する提言に切り替えます。まずはゾリアね。アリサ?」
サンディが、指名する。
「言うまでもないわね。兵装の不足。スイフト六基じゃ足りないわ。対地装備にすると、スイフト積めないし」
アリサが即座にそう述べる。
「サンディはどうなの?」
ダリルが訊く。サンディが、腕を組んだ。
「うーん。たしかに兵装不足は否めないわね。でも、元々が偵察兼軽攻撃用の機体だからね」
「そもそも、NT兵器に偵察機が必要か、という議論になるな」
ミギョンが言う。
「現状で優先すべきは、航空優勢の確保でしょう。もしできるものならば、ヴァジェットを量産すべきね」
アリサが、言う。
「できるものなら、スーリィも量産したいわね」
瑞樹も口を挟んだ。スーリィが、照れ笑いを浮かべる。
「話がずれてる。ゾリアの不満は、そんなところかしら。じゃあ、スーリィ。ヴァジェットに関して、意見はある?」
サンディが、訊く。
「そうね。バランスの取れたいい機体だと思うけど‥‥欲を言えば、対地装備は必要ないと思う。まあ、パイロンにはスイフトも積めるけど、思い切ってすべてのハードポイントをスイフト用に切り替えたら、あと二発くらい余計に搭載できるんじゃないかなぁ」
スーリィが、そう言う。
「確かに、ヴァジェットで対地攻撃する機会はなかったものね」
サンディが、うなずいた。
「ネメシスに関する提言は‥‥」
訊かれていないのに、ダリルが述べ始める。
「戦闘機としてはいいけど、攻撃機として使う時はミサイル搭載量が少ないことだね。スコーピオン二発、フォコン四発じゃ物足りないよ。ウェポンベイを大きくして、フォコンを積める様にしてもらいたいな」
「ミギョン?」
サンディが、もうひとりのネメシス乗りに水を向ける。
「ネメシスは汎用性を追及して生まれた機体だと思う。だから、中途半端なのは仕方がない。むしろウェポンベイを廃止し、自衛用スイフトのハードポイントを設け、浮いたスペースにパイロンを設置するか、フォコン用のパイロンの懸吊能力を増大させてスコーピオンの運用を可能にした方が汎用性が増すと思う」
「‥‥意見が分かれたわね」
面白そうに、アリサ。
「でも、対地攻撃の際の火力増強に関しては一致してるじゃない」
瑞樹はそう口を挟んだ。
「じゃ、両論併記ということで。最後、瑞樹」
サンディが、瑞樹を指名する。
「ベローナの不満なところは‥‥やっぱり、機動性かな。もう少し、良く動いてくれると助かる。それと、スイフト二発でいいから専用ハードポイントが欲しいな。めいっぱいスコーピオン積んだ時、自衛用AAMがASRAAMだけじゃ心細いよ」
「四人だ!」
サンディが、主張する。
「いいや、六人が平等だ!」
ダリルが反論する。
「えーと‥‥」
瑞樹はリーガルパッドを前に、頬を掻いた。
一通り話し合いが終わり、意見がまとまったところで、新たな問題が生じた。
誰に清書を任せるか、である。
書記役のスーリィが書き取った内容は、あくまで話し合いの要約であり、これをそのままアークライト中将への報告に使うわけにはいかない。結構多様な意見が述べられ、充実した話し合いだったので報告すべき点が多く、口頭で簡単に済ませるわけにはいかない。
略式だが、きちんとしたレポートにまとめるべきだ、との点で、六人は意見の一致を見た。
手書きにしろ、PCを使うにしろ、用語や文体の統一を考えれば、清書は一人が行うしかない。作業時間は、短めに見積もっても二時間はかかるだろう。‥‥完全休養日の二時間は、かなり貴重である。
瑞樹はふたたび阿弥陀籤を提案し、その意見は全員一致で採用された。だが、阿弥陀参加者の人数をめぐり、事態は紛糾した。サンディとスーリィは、すでに議長と書記を務めたのだから、清書役は他の四人から選ばれるべきだと主張したのである。残る四人は‥‥特にダリルはこれに反発した。
「四人!」
「六人全員だ!」
サンディとダリルが額を一インチほどにまで近づけて、にらみ合う。
「提案。ハンディキャップつけたらどうかしら」
アリサが、小さく挙手する。
「どうやって?」
瑞樹は尋ねた。当たる確率が平等なのが、阿弥陀籤の特徴である。
「こうするのよ」
アリサがボールペンを取り、縦に十本の線を引いた。
「サンディとスーリィは、一ヶ所にだけ名前を書く。他の四人は、二ヶ所。当たりはひとつだから、二人が当たる確率は10%ずつ。残りの四人は20%ずつ。どう?」
「‥‥それなら、いいかも」
サンディが、同意する。
「10%なら、納得だ」
スーリィも、言う。
「異論が出ないなら、アリサの案を採用するわよ」
瑞樹は、横棒を引き始めた‥‥。
「‥‥自分で提案して、自分で当たっちゃったか‥‥」
アリサがリーガルパッドを手に、すごすごと会議室を出てゆく。
「どうするの?」
サンディが、訊く。
「PC借りるわ」
廊下から、アリサの声。
「わたしも失礼する」
ミギョンが立って、出て行った。
「わたしたちもお休みを楽しみますか」
瑞樹も立って、伸びをした。
「しかし、カピィも驚いてるだろうねえ」
ダリルが、にやにやしながらスーリィの肩をぽんぽんと叩く。
「あたしたちのせいで、ファイアドッグやフラットフィッシュが山ほど叩き墜とされたんだから」
「ここ三日で、急に航空兵器の損害が増えてるものね。カピィの司令官は、今頃作戦会議開いて部下を怒鳴ってる最中かも」
サンディが言って、くすくすと笑う。
「司令官は左遷されてるんじゃないの? それとも、粛清されちゃったかな」
笑いながら、スーリィ。
「カピィの指揮系統か。どんなんだろうね?」
瑞樹は小首をかしげた。
アメリカ合衆国オハイオ州クリントン郡ウィルミントン市北部。
ここに、カピィと人類に呼称される知的生命体の巨大宇宙船が鎮座している。
その内部を知る人類は、誰もいない。
「わずか三日で、それだけの数が失われたのか」
カピィの一体が、喋る。そのほとんどが、人類には聞こえない高い音域である。
「わが方の航空兵器と同等、あるいはそれ以上の性能との報告が入っています」
向かい合うカピィが、喋った。
二体のカピィは、座卓ほどの高さをもつ2.5メートル×1.5メートルほどの大きさの台の上に、それぞれ寝そべっていた。表面の材質はゴムタイヤ程度のほど良い硬さを有している。これが、カピィのくつろぎの状態である。その昔、草原地帯で土に浅い穴を掘り、そこで休息を取っていたころの名残だ。
最初に喋ったカピィの名は、ティクバ。今のところ、カピィ側の軍事全般を指揮している、いわば最高司令官である。正式な肩書きは、「宇宙船指揮者」だが、ここでは意訳して「船長」と呼称するとしよう。
向かい合っているカピィの名はヴィド。ティクバに次ぐ地位にあり、その肩書きは「宇宙船指揮者代理」となる。こちらも意訳して、「副長」と呼称することにする。
二体がいるのは、20メートル四方程度の部屋だった。天井は低く、2メートルほどしかない。三方の壁はある種のディスプレイとなっており、そこには淡いオレンジ色の草原のような光景が映し出されている。残るひとつの壁には、約2メートル四方の出入り口が設けられている。ちなみに、その出入り口には上方収納式のシャッターのような扉が取り付けてあるが、それが使用されるのは緊急時だけである。
「同じ日に、第三大陸の東西で同じような新兵器が現れ、いずれもわが方におびただしい損害を与えた。当然、関連性はあるだろう」
ティクバ船長が、再び喋る。ちなみに、カピィはすでに地球の一日という概念を、自分たちの時間測定体系に組み込んでしまっている。
「ですが、新兵器だとすると不自然なことが多い」
ヴィド副長が指摘する。
「まず、その性能です。従来の人類側兵器に比べ、あまりにも高性能です。次に、その数の少なさ。新兵器は、敵に対応策を見出されぬ前に大量投入してこそ、その真価を発揮するものです。戦術的に、間違っている」
「しょせん異星人だからな。地球人類の脳の働きは、いまひとつ理解できぬ」
ティクバが喋り、その長い垂れ耳をぴくぴくと上下させた。
‥‥地球人類の脳が理解できない。
地球人類の知能が高いことに間違いはない。初歩的とは言え宇宙航行技術を有し、巨大な都市を建設し、膨大な人口を支えるだけの産業構造を維持していることからも、それは明白である。
しかし‥‥人類は、やはり馬鹿なのではないか。そう思わされた事例は、数え切れぬほど多かった。
まずは市民の行動である。戦時には、市民は戦士と誤認されることを避けるためにその住居に極力留まるのが正しい選択である。やむを得ず社会活動や生命維持のために住居外を移動する場合、戦士と誤認されぬように留意することも、当然である。はるかに下等な生物ですら、他の生物の自衛行動を招かないように自らが危険な存在でないことを常に明白にして行動している。
だが、人類が見せるのは不可解な行動ばかりだ。侵攻当初は、明らかに戦士でない市民が武装して抵抗するケースが数多く報告された。もちろん〈武装市民〉には市民としての権利も戦士としての権利も認められないから、即座に攻撃対象として殲滅させたが、これら武装市民と一般の市民との識別が容易ではなく、巻き添えを喰らって多数の人類市民が死亡した。むろん、その責任は〈武装市民〉のような反社会的分子を放置していた人類側にある。しかしながら、市民はどのような立場のものであれ無条件で保護しなければならないのが戦士の掟である。誇り高き戦士であるティクバとしては、不可抗力とはいえ多数の市民を死亡させたことに関しては至極残念に思っていた。
利敵行為が厳罰に値することすら、人類の市民はよく理解していないようだ。すでにわが方の土地に居住する市民である‥‥つまり人類の戦士の庇護下になく、わが方の戦士の庇護下にあるにも関わらず、自分の住居を捨て、人類の戦士のもとへと走る市民はいまだに存在する。〈逃亡市民〉は当然市民としての権利を制限される‥‥市民の掟である〈戦術的中立性〉を放棄したのだから、〈武装市民〉に準ずる扱いとなる‥‥ので、攻撃対象になりうる。最近は減ってきているようだが、占領地域が順調に増加中なので、新たな保護区域における〈逃亡市民〉は後を絶たない。
もっと下等な生物でさえ、戦士に対し敵対行動を取れば、市民としての保護を受けられなくなることを知っていると言うのに‥‥やはり、地球人類は馬鹿なのかもしれない。
「いずれにせよ、その新兵器に関する情報が必要だな。全軍に、情報収集に努めるよう通達を出したまえ」
ティクバ船長が、命じた。
「避けろぉ! 逃げるんだぁ!」
ダリルの、必死の叫び。
「外れろ! 外れてくれっ!」
だが、ダリルの必死の願いもむなしく、無常にもミサイルは機体を直撃した。弾頭が炸裂し、引き裂かれた機体が火を噴きながら落ちてゆく。パイロットは、機と運命を共にしたようだ。
ダリルの眼に、涙が滲んだ。
「嘘だ。そんな馬鹿なことがあってたまるか‥‥」
「なーにぶつぶつ言ってんの。ほら、帰るよ」
スーリィのヴァジェットが、援護位置にすっと滑り込んでくる。
瑞樹もサンディが操るゾリアの援護位置に着いた。フラットフィッシュはすべて撃墜した。そろそろ引き上げ時だ。
「なんでサンディが最後の一機撃ち墜しちゃうんだよ! あたしだって、あと一機だったんだぞ!」
編隊内通信で、ダリルがわめく。
「あ、そうだ。ACMに集中してて、忘れてた」
あっけらかんと、サンディ。
「五機目か。おめでとう、サンディ」
瑞樹は賞賛の言葉を贈った。合衆国初の女性エースの誕生を、目の当たりにしたのだ。
「ちくしょう‥‥」
なおもダリルが愚痴る。
「まあまあ。合衆国海軍初の女性エースを目指してよ」
瑞樹はフォローを入れた。
「合衆国初と海軍初では、格が違うからなぁ」
ダリルが、ため息をつく。
フレイル・スコードロンの活躍は続いた。
ヴァジェットを駆るスーリィは、スコアをさらに伸ばした。ミギョンとダリルがその後を追ったが、ソーティ数が少ないためかなり水を開けられる。サンディとアリサも順調に戦果を挙げた。
瑞樹も対地攻撃を中心に活躍し、ファイアドッグ撃墜にも成功した。
十五日間の派遣期間は、あきれるほど短く感じられた。
「結果発表!」
例によってハイテンションで、メモを手にしたダリルが叫ぶ。
「撃墜数トップは、やっぱりスーリィ! ファイアドッグ十二機、フラットフィッシュ七機、合計十九機! 加えてフラットフィッシュ一機撃破。あんたは天才だよ」
「いい機体使わせてもらったからね」
ちょっと嬉しそうな表情で、スーリィが応じる。
「謙遜するところがまた、スーリィらしいわね」
サンディが、そう評す。
実際、スーリィはスコアを伸ばそうと思えばもっと伸ばせたはずである。しかし、彼女はあえて自分の撃墜数を増やそうとせず、ペアを組むミギョンやダリルのサポートにまわったり、瑞樹の護衛役に甘んじたりしていたのだ。
「第二位! ミギョン! ファイアドッグ十機にフラットフィッシュ二機、合計十二機! それにタイクーン一両破壊」
ミギョンは相変わらずポーカーフェイスだ。
「第三位! あたし! ファイアドッグ七機、フラットフィッシュ四機、合計十一機! その上タイクーン一両破壊、一両撃破! 凄い!」
「はいはい。褒めてあげるわよ」
気のない声で、サンディ。
「続いて第四位! ファイアドッグ、フラットフィッシュ五機ずつのアリサ! もちろん合計は十機。あやうく並ばれるところだった」
「まあ、給料分は働いたわね」
アリサが、微笑む。
「‥‥第五位、サンディ。ファイアドッグ五機。フラットフィッシュ四機。合計九機。あと、ファイアドッグ一機撃破」
「ちょっと待った。なんでわたしの時だけテンション低いんだ」
サンディがクレームをつける。
「気にするな。第六位、瑞樹! ファイアドッグ一機、フラットフィッシュ三機、それにファイアドッグ一機撃破! 残念ながらエースには届かず! だがタイクーン四両破壊、二両撃破で対地攻撃はトップの戦果だ!」
「はは」
瑞樹は頬を掻いた。
「総合的に見れば、やはりビリはサンディだな。なんか奢れ」
ダリルが、サンディに詰め寄る。
「‥‥なんか、以前にもこんな展開あったわね」
「奢りはともかく、お祝いはしましょうよ」
瑞樹はそう提案した。
「とにもかくにも、全員無事派遣期間を乗り切ったんだし」
「そうね。賛成だわ」
アリサが賛意を示す。
十五日間の派遣期間は、実はまだ二日残っている。しかし最終日は当然メイス・ベースへの帰還日だし、その前日は機体の最終整備に当てられるので、パイロットは暇である。アークライト中将からは最終報告書の準備を命じられてはいるが、一応明日は休養日になっている。
「半日くらいなら、外出許可も出るでしょう」
サンディが、言った。
マッコード基地のミニバン‥‥クライスラー・ヴォイジャーを借り出す。
「大丈夫でしょうね?」
ハンドルを握るダリルに、後ろからサンディが声を掛ける。
「安心しろ。シアトルは前に来たことがある。それに、フリーウェイに乗れば一本道だ」
緑が多い市街地を見ながら、ミニバンは軽快に走った。交通量は、かなり多い。
「ほら、もうシアトルだ。下りるぞ」
二十分ほど走ったところで、ダリルがフリーウェイを下りた。
「さあ、どこへ行く?」
「まずはご飯でしょ」
スーリィが、言う。
「ねえ、シアトルの名物って、なあに?」
アリサが、訊く。
「クラムチャウダーだな」
ダリルが答える。
「それなら基地の食堂で何度も食べたよ‥‥おいしかったけど」
瑞樹はそう言った。大きなアサリがごろごろ入っていて、日本で食べるものよりかなりスパイスを効かせてあるので、パンに良く合う。
「まあ、シアトルと言えばシーフードだな。生牡蠣でも食べに行くか?」
「絶対だめだ」
断固として、サンディ。
「はは。冗談だ。とりあえずシーフードでいいか?」
異議は出なかった。
「じゃあ。ダウンタウンに向かうぞ。パイク・プレイス・マーケットあたりで旨そうな店を探そうや」
ダリルが、ハンドルを切った。
駐車場に車を止め、歩く。
「ここが、パイク・プレイス・マーケットだ」
ダリルが、周りを指し示す。
雰囲気は、アメ横だろうか。さほど広くない通りの両側に、魚や果物、野菜や花を商う店がひしめいている。そこそこの人出で賑わっているが、半分くらいは買い物客と言うより観光客のようだ。
「いや、以前より活気がなくなったねえ」
ダリルが嘆息しつつ、なぜか魚屋の前に置いてある豚の像を撫でる。
「ここ、地下も二階もあるから。もうちょっと歩くと食事させるところもあるし、もっと高級なもの食べたければ周りにシーフードレストランが何軒もあるし。あ、そうそう。少し行った路地にスターバックスの最初の店があるよ。話の種に、寄ってく?」
ダリルの案内で、一同はぶらぶらと歩いた。喧騒や漂ってくる食べ物の匂い。親に手を引かれている幼い子供たちの姿。眼に鮮やかな果物や野菜の色彩。店先に並んでいる溢れんばかりの花々。戦闘任務から開放されたあとだけに、何もかもが心地よい。
六人はダリルが適当に選んだシーフードレストランに入った。
「あ〜白ワインがおいしそうだな」
メニューを見ながら、ダリルが棒読み口調で言う。
「わかったわかった。帰りはわたしが運転するから、飲みなさい」
察したサンディが、言う。
ほどなく、ダリルがまとめて注文した料理が運ばれてきた。ムール貝のワイン蒸しとロースト。蟹と海老のディップ。烏賊と牡蠣のフライ。鱈とサーモンの燻製。牡蠣とサーモンのグリル。
「おいしい!」
瑞樹は牡蠣のグリルをカリフォルニア・ワインで流し込んだ。日本の小粒な牡蠣と比べるとやや大味だが、旨みは充分にある。
一同はシーフードを堪能した。瑞樹はムール貝のおいしさに眼を見張った。ムール貝は、かつてイタリア料理店で何回か食べたことがあるが、かすかに臭みがあってあまりおいしいものだとは思わなかった。しかしここで出されたワイン蒸しとローストはまるで臭みがなく、身に旨みが詰まっている感じだ。鮮度の違いだろうか。
ダリルとアリサが、さっそく二本目のボトルを注文した。にこやかに談笑しつつ、六人の女性は派遣任務の成功を祝いあった。
太平洋標準時午前十時。最初のB−747Fが、マッコードを離陸した。その三時間後、ダリルが指揮するフレイル・スコードロンの四機が、離陸する。
午後三時過ぎ、最後の人員と機材を載せたU−4が、マッコード基地を飛び立った。フレイル・スコードロンの第一回NAWC派遣は、ひとりの犠牲者も出すことなく成功裏に終わった。
第五話簡易用語集/BARCAP Barrier Combat Air Patrol 阻止戦闘空中哨戒。平たく言えば、「この線から先へは入らせないぜ」的なCAP。/レーストラック・パターン Racetrack Pattern 競技用トラックのような形で周回する空中待機の方法。/ゆで卵のおまじない アリゾナ州南部で広く知られているおまじない‥‥というのは真っ赤な嘘で作者オリジナルのでっちあげおまじない。危険なので良い子は真似をしないように(笑)/BAI Battlefield Air Interdiction 戦場航空阻止。敵戦線後方、比較的近距離の目標に対する対地攻撃。/ボギーズ Bogey’s ボギーは正体不明機を示す。ボギーズは当然その複数形。/コーション・ライト Caution Light 警告灯。航空機の場合計器盤やサイドコンソールにまとめて設置されており、色は通常赤やオレンジである。/C/Cコンポジット構造 カーボン・カーボン複合材に同じ。炭素繊維を炭素で固めた複合材。/ストライク・パッケージ Strike Package 攻撃を主任務とする大規模な航空機の編隊、あるいは航空作戦におけるまとまった単位。/ソーティ Sortie 出撃回数。