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20 Operation Sentry Box

「どうにも居心地が悪いわね」

 レベッカが、シートの上でお尻の位置を変えた。

「クッションでも当てたらどうですか?」

 ダリルはそう言った。

「違うわよ。あれよ、あれ」

 レベッカが、窓外を視線で指す。

 UNの標識を付けたB−767ERは、二個編隊六機のファイアドッグに護衛されていた。

「あなたは気にならないの? パイロットでしょ?」

「気にすることありませんよ。護衛ですから」

「‥‥カピィを信頼してるのね」

 レベッカが、皮肉めいた口調で言う。

「レベッカは市民だし、あたしはまだゲストの身分。大丈夫、カピィの戦士は市民を保護します。たとえそれが、別の惑星の生まれでも」

「スーチョワンの蛮行はどう判断すればいいの?」

「市民船破壊の報復でしょうね」

 ダリルは肩をすくめた。

「十三万の報復に八千万を殺したの?」

「数の問題じゃありません。それが、事実上カピィ市民のすべてだったんですよ? 年収五十万ドルの個人投資家が二万ドルの損失を出すのと、ホームレスが二十ドル札を無くすのと、どっちがショックでしょうか?」


 B−767は、インディアナポリス国際空港に着陸した。もちろん、民間機の離発着は行われていないから、数機の旅客機がエプロンに放置されているだけで、閑散としている。

 一個分隊ほどのカピィに護衛され、ダリル、レベッカ、それにレーカは待ち受けていたフルバックに乗り込んだ。翻訳機を着けたカピィが、ふたりの女性に人類用のシートに座るように促す。どこかの旅客機から取り外してきたもののようだ。

 わずか数分の飛行で、フルバックが着陸態勢に入った。翻訳機を着けたカピィが、到着を告げ、降りるように促す。

 すでに、フルバックは着陸船の内部にあった。ダリルにとっては二度目のオハイオのカピィ着陸船訪問である。


「お部屋はダリルの隣に用意しました。三十分後に宇宙船指揮者ティクバとの交渉の場を設けます。よろしいですか?」

 センナーと名乗った世話役のカピィが、問う。

「結構」

 レベッカが、短く答える。

 センナーが、開きっぱなしになっている戸口から部屋に入った。ダリルの部屋を参考にしたのだろう、一通り寝具や食品、娯楽用品などが備え付けてある。

 壁に付いている扉の開閉スイッチの使用方法を、センナーが説明した。閉まっているときに叩けば開き、開いている時に叩けば閉まるという単純なものだ。

「ダリルのお部屋はそのままになっています」

 センナーが、隣の部屋にダリルを導く。

「ただいま〜」

 おもわずそんな言葉が出てしまうくらい、馴染み深い眺めだった。

「では、三十分後に」

 センナーが、ぴょこんと一礼して出てゆく。ダリルは冷蔵庫に手を突っ込んだ。ルートビアを取り出し、クッションの上に足を折って座り、一休みする。

「いいかしら?」

 戸口から、声が掛かった。

「どうぞ」

 レベッカが、入ってくる。視線が、部屋中をなめまわした。

「ここが、監禁されていた部屋ね」

「ええ。快適でした。‥‥飲みます?」

 ダリルは、ルートビアを差し上げた。

「別なものがいいわ」

「冷えてるのは、他にビールしかないんですけど」

「じゃ、それでいいわ」

 ダリルは冷たいルートビアを、ひと缶レベッカに渡した。レベッカがぐいと飲んで、わずかに眉をしかめる。ダリルは気付かないふりをして、自分の缶を傾けた。


「国際代表委員会委員長、レベッカ・サムエルセンです。彼女はご存知ですね?」

 生真面目な表情で、レベッカ。

「ハイ、ティクバ。戻ってきちゃったよ」

 ダリルはにこやかに手を振った。

「本職が宇宙船指揮者ティクバだ。よろしく頼む、委員長レベッカ・サムエルセン」

 ティクバが、主触腕をレベッカに差し出した。レベッカが、それを握る。

 ダリルとレベッカは、人類用の椅子に並んで腰掛けた。前には小さな角テーブルがある。カピィ用の休息台三つが、その正面に設けられていた。通常のものよりやや高く、人類とカピィの視線が合うように工夫されている。台に登った三体のカピィは、右からレーカ、ティクバ、それに副長のヴィドだった。カピィの外見はみなそっくりだが、この三体だけは、ダリルにも区別がつく。

「まず、わたしの立場をご説明いたします」

 レベッカが、切り出した。本来ならば人類の外交代表はUNによって選任されるべきであるが、極秘交渉としたいというティクバの要望を全面的に受け入れたために、法的根拠が曖昧な国際代表委員会が作られたこと。しかしながら、当委員会は人類主要各国の首脳承認のもとに設立され、レベッカも同様に代表として認められた上で、派遣されていること。したがって、レベッカを人類代表と看做しても事実上問題がないこと‥‥。

「立場は似たようなものですな。本職も、宇宙船指揮者に過ぎず、我々の種族代表とは言えない。市民ですらありません」

 ティクバが、主触腕をさっと耳の下に入れ、すぐに出した。

「では、本題に入りましょう。人類側の最大の関心事は、連絡艇のさらなる使用を防ぐことにあります」

 レベッカが言う。ティクバが、鼻をうごめかした。

「本職も同じです。市民の大量虐殺は防がねばなりません。幸い、オブラクは使用準備を行ってはおりますが、実行計画は持っていないようです」

「‥‥良かった」

 ダリルは安堵した。

「ミスター・ティクバ。あなた方の目的は、地球への移住ですね」

「そうです。その目的さえ達成できるのならば、戦う意味がなくなります。戦争は終わり、オブラクの地位も宇宙船指揮者へと戻る。全員がおいしい果汁にありつけるのです」

「‥‥具体的に、どの程度の事項を人類に要求するおつもりですか?」

 レベッカが、訊いた。声音が、やや不安げだ。

「土地と海洋を提供していただきたい。我々の数は少ない。それほど多くは望みません。地球表面積の、数パーセントで結構です。当面必要な資材は持参していますし、エネルギーの自給もできる。食料も生産できます。人類には頼らず、地球環境も損なわず、自活できます」

「しかし‥‥地球表面積の数パーセントといえば、膨大な面積になります。すでに、地球上のほとんどの地域に人類は居住し、生活を営んでいます。あなたの提案をそのまま呑んだら、何億もの人々が家や街を捨て、移住しなければならなくなるでしょう」

「あ、南極あげたらどう? ペンギンには悪いけど、あそこなら‥‥」

「残念だが、ダリル。それはできない」

 ティクバが、喋った。

「どうして?」

「農地が作れない」

「‥‥そうか。あんた方はベジタリアンだったね」

 ダリルはうなずいた。我ながら名案だと思ったのだが。となると、グリーンランドやシベリア北部、カナダ北部なども除外するしかない。

「まあ、人工的に農産物の生産を行うことは可能だろうが、それでは宇宙に住むのと同じだ。この触腕で土壌を耕し、種子や苗を植え、自然の光を浴びせて育てた作物を口にしなければ、移住の意味がないのだよ」

 ティクバが力説する。

「難しいですね。砂漠地帯はどうですか? あなた方のテクノロジーを持ってすれば、環境改造可能なのでは?」

 レベッカが、訊く。

「不可能ではありませんが‥‥かなりの環境破壊になりますぞ」

 ティクバが指摘する。

「それは構わないと思います。ご存知かも知れませんが、地球には大きな砂漠がいくつかあります。そのほとんどが利用されておらず、定住民の数も少ない。そこならば、提供することは可能だと思います」

 話し合いは続いた。土地提供の代償として、カピィのテクノロジーの全面的開示と、人類に対する技術指導がティクバより提案される。

「では、安全保障に関して話し合いましょう。和平成立後の戦争再開防止について、なにか案はおありですかな?」

 ティクバが、訊く。

「条約を結び、軍備制限を設けるだけでは不足ですか?」

 レベッカが、訊き返す。

「我々の数は、あなた方の百万分の一に過ぎません。もし居住地が一ヶ所であれば、反応兵器一発で全滅してしまう。残念ですが、我々はそこまで人類を信用する気にはなれません」

「もっともな話だね」

 ダリルは唸った。

「ミスター・ティクバ。あなたに案はあるのですか?」

「双方が兵器を全廃するというのはいかがでしょうか」

「何ですって?」

 レベッカが、わずかに腰を浮かせる。

「戦士を無くすのです。すべてが市民になれば、戦うこともできなくなる」

「それは無茶だよ、ティクバ」

 ダリルは口を挟んだ。

「人類の戦士と市民の境界は曖昧なんだ。あんた方みたいに、はっきり別れているわけじゃない。それを忘れてもらっちゃ困る」

「忘れてはいない。だが、戦士になろうとした市民を重く罰すればいいではないか。そのくらいのことならば、人類にもできるだろう」

 ティクバが反論する。レベッカが、ため息をひとつついてから口を開いた。

「ミスター・ティクバ。地球の恥を晒すようで申し上げにくいのですが、人類はあなた方のように一枚岩ではないのですよ。地球上には、二百を超える国家があり、さらに幾つもの政治勢力が国家を自称している。地球が侵略されているのに、国際社会にまったく協力せずに、傍観している恥知らずな国家さえ存在するのです。もし人類が非武装を選択したら、間違いなく戦争が発生します。人類同士での殺し合いが」

「ふむ。となると、もうひとつの解決策が現実味を帯びますな」

 ティクバが、鼻をうごめかす。

「と、言いますと?」

「人類がすべて市民になり、我々戦士の庇護下に入るのです」


 しばらく沈黙が続いた。ダリルでさえ、呆れてしまうほどとっぴな提案だった。

「‥‥降伏せよ、と言われるのですか?」

 レベッカが、表情を硬くする。

「まさかそんな。戦争を終結させた上で、人類の戦士がみな市民となるのです。希望者があれば、我々の戦士に加わってもいい。人類市民は、我々戦士階層が守ります」

「それでは、移住という目的が果たせないでしょう」

 レベッカが指摘する。

「いずれ、戦士の中から市民を志す世代も現れるでしょう。問題ありません」

「ティクバの意図は判るけど、いささか無理だよ。人類は納得しないだろうなぁ」

 ダリルはそう言った。

「わたしも納得できません。それでは、人類があなた方に征服されたのと同じではないですか」

「違うよ、レベッカ。戦士は市民の命令に従う義務があるんだよ。むしろ、カピィが人類のいわば傭兵の地位に甘んじるんだ」

 ダリルは説明した。

「しかし‥‥もし彼らが戦争再開を意図したら‥‥」

「無理だって。市民には逆らえないんだから」

「では、中佐はミスター・ティクバの案を支持するつもりですか?」

「‥‥支持はしないよ。人類が納得するはずないからね。でも、非現実的な案じゃないことは、確かだよ」

 ダリルは言った。



「みんな! 司令が帰ってきたよ!」

 スーリィが、リビングに飛び込んでくる。

 六人の女性パイロットは、一団となって階段を駆け下りた。一階まで降りたところで、有賀中尉と並んで歩んでいたアークライトと出くわす。

「司令、お帰りなさい!」

「やあ、君たちか。長いあいだ留守にして済まなかったな」

 アークライトがひとりひとりの顔に目を留め、嬉しそうにうなずく。

「どこへ行っていらっしゃったのですか?」

「新型機、ご覧になりましたか?」

「あたしも自分の機が持てました、司令」

「心配してたんですよ、司令」

 口々に浴びせられる言葉を、アークライトが両手で遮る。

「悪いが、不在中の仕事が溜まってるんだ。今日は勘弁してくれ」

「そうでした。お邪魔して済みませんでした、司令」

 サンディが言って、軽く頭を下げる。

「司令」

 踊り場から、凛とした声が響く。

 皆が一斉に振り仰いだ。アリサだ。

「高いところから失礼します。あとで‥‥よろしいですわね」

 アークライトがアリサを見つめながら、かすかにうなずいた。視線を戻し、司令執務室の方へ早足で歩みだす。クリップボードを手にした有賀中尉が、慌てて追いすがった。

「‥‥なんなの、それ」

 エルサが、不思議そうにアリサを見上げる。

「アリサ。あんた、いつから司令の愛人になったんだい?」

 ヘザーが、笑う。

「あら。勘違いしないでね。わたしは若い子専門よ」

 アリサもからからと笑った。

「なんだかな〜」

 瑞樹は頬を掻いた。


「わたしにも言えない極秘任務ですか。まあ、いいでしょう」

 矢野が、苦笑する。

「済まんな。で、新型機の調子はどうだ?」

「順調です。フレイル・メンバーはすでに慣熟を終えました。整備の方も、上田中佐の言葉を借りれば、鼻歌交じりで仕事ができるほど慣れたようです」

「とりあえず順調か」

 アークライトは、矢野が淹れてくれた熱い緑茶をすすった。

「とりあえず、溜まっている書類を片付けてください。代理で決裁できるものはやっておきましたが‥‥」

 矢野が、書類がうず高く積まれたサイドデスクを指し示す。

 アークライトは唸った。

「なあ、春彦」

「なんですか?」

「司令職を譲ると言われたら、どうする?」

「即座にお断りします。できれば、二日以内に片付けてください。よろしいですね、ヴィンス」

 矢野がにやにやしながら言う。アークライトは渋面でうなずいた。


 リビングの、内線電話が鳴った。

 一番近くにいたサンディが、受話器を取る。

「二階リビングルーム、ローガン大尉です」

 全員の視線が、サンディに集まった。‥‥内線が掛かってくることなど、めったにない。

「はい、お待ち下さい、サー」

 サンディが丁寧に言って、アリサを手招いた。

「司令からよ」

 アリサが立ち上がり、歩み寄って受話器を受け取る。

「‥‥やっぱり愛人疑惑が」

 ヘザーが、にやにやと笑う。

「了解です」

 アリサが受話器を掛け、リビングに集っている一同に意味ありげな微笑を投げかけてから、部屋を出てゆく。

「気になるなぁ」

 エルサが、頭の後ろで手を組む。


「ご不在のあいだ、書簡が溜まっておりました」

 アリサ・コルシュノワ大佐が、三枚の封筒を差し出した。

「ご苦労」

 アークライトは労いの言葉をかけつつ、これを受け取った。

「ところで大佐。この書簡はどうやって受け取ったのかね? そうそう何度もモスクワに行けたとも思えんが」

つてがありますので」

 アリサが、にやりと笑う。

「詳しく聞かぬほうがいいようだな」

「ご配慮、感謝します」

 ‥‥日本にも、ロシアのエージェントがいるようだ。

「ありがとう、大佐。下がってくれ」

 アリサが去ると、アークライトはさっそく封筒を開いた。

 内容は、いつもと変わらなかった。ロシア軍上層部における反米派の動きを、詳細に記してある。アークライトはいつものようにコピーを取ると、原本を金庫に納めた。



 レベッカ・サムエルスンと宇宙船指揮者ティクバの和平交渉は、難航していた。

 最大の難所は、和平成立後の安全保障問題であった。数において圧倒的に劣るカピィと、テクノロジーにおいて劣る人類。軍事面でバランスをとるのは困難だった。

「野球のバットを持った百人に取り囲まれている拳銃を持ったひとり、ってとこですね」

 ダリルはそう評した。

「野球は良く知らないけれど‥‥なかなか適切な喩えね」

 ワイングラスを傾けながら、レベッカが言う。

 ふたりはダリルの部屋で寛いでいた。レーカも一緒で、休息台に横たわってビールを飲んでいる。ダリルの飲み物も、ビールだ。ちなみに三本目である。

「何かいい方法はないかしらね」

 レベッカが、つぶやく。

「ばかばかしいものでよければ、ひとつだけアイデアがあるんですけど‥‥」

 ダリルはそう言った。

「拝聴しましょう」

「カピィに攻撃される前、地球はそこそこ平和だったけど、軍事的緊張はあちこちで生じていました。でも、CDAではほとんどなくなってしまった。それはなぜか?」

「それは‥‥カピィが攻めてきたからでしょ?」

「そうです。共通の敵が生じたから。もし、どこかの異星人が地球を破壊しようと攻めてきたら‥‥人類とカピィは共闘できるんじゃありませんか?」

「‥‥たしかにそうね」

 レベッカが、くすくすと笑う。

「素晴らしい提案です、ダリル」

 レーカが、口を挟んだ。

「あら、悪辣な異星人に心当たりでもあるの?」

 ダリルは笑った。

「異星人に心当たりはありませんが、我々と人類主要国家の共通の敵となりそうな地球上の国家は、いくつかあるでしょう」

 レーカが指摘した。

「たとえば‥‥」

 レーカが、四つほど国名を並べる。‥‥いずれも国際社会では鼻つまみ者で通っている独裁国家だ。

「だめだよ、レーカ。敵としては弱すぎる。あんた方とUNUFが組んだら、三日で戦争が終わっちゃうよ。そしたら、また逆戻りだ」

「うまく行かないものですね」

 レーカが、ビールの缶を傾けた。黄色い液体が、大きな口の中に注ぎ込まれる。



「残念ですが、和平交渉は難航しているようです」

 ロシア大統領は、居並ぶ各国首脳に告げた。

「まあ、仕方あるまいな」

 中国首相が、ため息をつく。

「依然として、カリフォルニアおよびベルギーのカピィ着陸船を作戦基地とする敵は占領地域を拡大しつつあります。UNUFの戦力も、日増しに減少しつつある。このままでは、和平成立前に戦線崩壊する可能性すらあります。そろそろ、ベルギーの着陸船に対する核攻撃を行う潮時かと思いますが」

 ロシア大統領が、テーブルの左右を見た。

「無記名投票を提案する」

 インド首相が、発言した。

 口々に、賛成の声が挙がる。

「では、イエスかノーかで願います。ベルギーのカピィ着陸船に対し、計画通りすみやかに核攻撃を遂行することに賛成の方はイエス、反対ないし時期尚早とお考えの方は、ノーとご記入下さい」

 補佐官が、用紙を配布した。単語ひとつだけ書き込んだ紙を、別の補佐官が回収してゆく。

「投票結果を発表します。イエス、十七票。ノー、四票。白票、二票。‥‥核攻撃案は、賛成多数により承認されました。‥‥ただちに、UNUFHQにこの決定を伝達します」



「ヨーロッパですか?」

 スーリィが、面食らった顔で聞き返す。

「そうだ。フレイル全機、オーストリアに展開する。期間は二週間を予定している。すみやかに、派遣準備に取り掛かってもらいたい」

 アークライトが、解散を命じる。七人の新生フレイル・パイロットたちはぞろぞろとブリーフィングルームをあとにした。


「なんで、今回は北米じゃないんだろう?」

 瑞樹は当然の疑問を口にした。

「北米防衛を諦めたのかもね。東欧とロシアを守る方が、理にかなってるし」

 ヘザーが、言う。

「まあ今回は、機数も多いし、新型機だし、いい戦果が期待できそうだね」

 スーリィが、微笑んだ。

「欲張りねえ、スーリィは」

 アリサが、笑う。

「楽しみだなぁ。いよいよあたしも自分の機体で出撃できるんだ」

 エルサが、嬉しそうに言う。


 いつも通りに、派遣の準備が始まる。

 瑞樹ら新生フレイル・スコードロンのメンバーは、私物を整えると先乗りの輸送機に託した。

 フェリーも、今回は二段構えで行われることとなった。なにしろ、オーストリアまで約5000nm‥‥9000kmを超える長旅である。ほぼ中間点であるノボシビルスクで四時間の休憩を挟むというスケジュールが立てられた。


 ツェルトベク。

 オーストリア中部、やや南寄りに位置する山間の小都市である。フレイル・スコードロンは、ここにある軍用飛行場に作戦基地を構えた。

「おかしいわね」

 サンディが、腕を組む。

「なにが?」

 エルサが、訊く。

「物資が少ないのよ。特に、ミサイルが。期間は二週間でしょ? NAWC派遣時と同等の兵器弾薬類が必要なのに、運び込まれた量は明らかに少ないわ」

 サンディが、そう指摘する。

「あとから来るんじゃないのか? 北米と違って、すぐ近くで生産しているだろうし」

 ヘザーが、推測を述べる。

「どうも引っ掛かるのよねぇ」

 サンディが、指を噛む。

 そのサンディの疑念は、翌日のブリーフィングで現実のものとなった。

「諸君。UNUFHQよりまことに残念な命令が下った」

 七人のフレイル・パイロットを前にして、アークライトが切り出す。

「今回の派遣におけるフレイルの任務は、ベルギーの着陸船に対する核攻撃だそうだ」

「やっぱり‥‥」

 サンディが、低くつぶやく。

 瑞樹は思わず頭を抱えた。

「核弾頭スコーピオン八発が、本日中に当飛行場に搬入される。作戦名は、セントリーボックス。天候に左右される作戦なので、作戦開始日時は未定だ。十二時間前には予告があるはずなので、それまでは待機となる。スコーピオンは、イシュタルに各二発搭載。ドゥルガーは、直衛に当たる」

 アークライトが言葉を切ると、消沈しているメンバーを眺め渡した。

「気乗りしない作戦だろうが、やるしかない。全ヨーロッパの空軍が、諸君らを支援するはずだ。すべてがうまく行けば、ヨーロッパは解放される」

 ブリーフィングは短かった。攻撃日時は未定だが、フレイルが安全に目標まで飛行できる回廊はすでに設定されていた。作戦当日にそこを飛行し、目標に核弾頭スコーピオンを叩き込むだけでいい。

「簡単にはいかないだろうけどねえ」

 ヘザーが、チャートを睨む。

 ブリーフィング後、七人は一室に集まって、戦術を検討していた。

 ベルギー北部は、その北側にあるオランダと同様、平坦である。超低空を安全に飛行できるというNT兵器の特性を生かし、地形を利用して接近するという方法は取れない。

「力押しで行くしかないみたいね」

 サンディが、言う。

「UNUFAFが出してくれる囮が、どれだけファイアドッグを引きつけてくれるかで、結果が左右されそうだね」

 瑞樹は腕を組んだ。予想される迎撃機の数は、ファイアドッグだけで五百と見積もられている。これにフラットフィッシュが加わったら、いくらNT兵器でも着陸船に近づくのは困難だ。陽動作戦の成功に期待するしかない。


 ‥‥UNUFHQは何を考えているのか。

 アークライトはコーヒー‥‥オーストリア風に生クリームを添えたもの‥‥を飲みながら思案した。

 非公式なものとはいえ、国際代表委員会とティクバとのあいだに和平交渉が行われている現状で、ベルギーのカピィ着陸船を核攻撃する意図がわからない。スーチョワンの報復かもしれないが、それにしても拙速すぎる。

 あるいは、和平交渉は決裂したのか?



 オペレーション・セントリーボックスの統括司令部は、ポーランド東部のヴィエスコポルスカ州の州都、ポズナニ市近郊にあるクシェシニ空軍基地に置かれていた。

「ついにここまで漕ぎ付けましたな」

 ゲンナディー・ルシコフ大将が、感慨深げに言う。

「まあ、わずかではあるが着実に前進したと評価できるでしょう」

 ヴィクラム・スィン大将が、そう応じる。

 ふたりは先日から統括司令部に詰めて、作戦の準備を行っていた。作戦指揮を行うのはUNUFAF司令官のヴィクトール・デミン大将だし、作戦主体も空軍なのだが、今回の作戦は西ヨーロッパ全域を一挙に奪還しようという大規模なものである。地上軍や海軍にも、やるべきことは多かった。

 ベルギーへの核攻撃が成功すれば、カリフォルニアやオハイオのカピィ着陸船に対する核攻撃もいずれ承認されるであろう。人類の勝利と合衆国の弱体化という二大目標を、纏めて達成できる。ユーラシア連邦を立ち上げるというふたりの‥‥いや、北京にいるヤン・チャンイーを含めた三人の夢に、また一歩近づくのだ。

「作戦成否の鍵を握っているのが、フレイル・スコードロンというのが気に入りませんがね」

 やや憮然たる表情で、ルシコフが言う。

「そうですな。あの小娘どもには、振り回されっぱなしだ」

 スィンはくすくすと笑った。アンホイでのカピィ着陸船核攻撃、スフィアの破壊、そしてカピィの「捕虜」になったフレイル・パイロットが連れてきた外交官を通じての非公式和平交渉。それに引き続いて行われている国際代表委員会の交渉。情勢が変わるたびに、UNUFの戦略やスィンら三人の計画は変更を強いられてきたのだ。

「まあ、今回ばかりは彼女らを応援してやりましょう。なあに、しょせん道具です。上手に使ってやりましょう。いずれ、北米でもフレイルに核を使ってもらうのですからね」

 スィンはそう言って、大きく息を吐いた。






 古来より、気象条件は戦略や戦術に大きな影響を与えてきた。厳冬、豪雪、雨季、乾季、酷暑などは、近代的な軍隊においてすら、軍事行動の妨げとなる。戦術面でも、降雨、降雪、地面の凍結や泥濘化、河川の凍結や水量の増減、雲高と雲量、日照、霧、煙霧、雷、気温、波浪などが、戦況を左右した例は枚挙に暇がない。

 そのような気象条件のひとつに、風がある。帆船時代は、風向きが海戦の勝敗を決定付けるケースが数多くみられたし、季節風の助けを借りなければ艦隊が長距離を移動するのは困難であった。また、強風やそれに伴う波浪によって壊滅した艦隊も多い。

 海だけではない。陸上での風もまた、重要なファクターだ。戦場における風はしばしば兵士の眼を痛め、時には巻き上がる埃や砂で視界を奪う。

 空もまた、風の影響を受けやすい戦場だ。黎明期の飛行兵器は、強風下での運用は不可能だったし、強い風はしばしば航空機の針路を捻じ曲げ、押し流し、燃料消費の増大を招いた。予想外の風によって損害を増大させた空挺作戦も、また多い。

 そして今、宇宙までも戦場と化した戦いで、風が重要なファクターを占める作戦が、開始されようとしていた。


「ほぼ、理想的ですね」

 気象担当士官が、西ヨーロッパの天気図を指し示す。

「スカンジナビアに発達した高気圧。アルプスにも高気圧があります。前線を伴う低気圧がイングランドから西進していますが、スカンジナビアの高気圧に阻まれ、数日北海で停滞するでしょう。当該地域上空の風は、低気圧に吸い込まれるように南東から北西へ向かって吹いています。これは、低気圧の西進に従って、徐々に東寄りに変わるでしょう。天候も、前線の影響で雨に変わります。おそらく、明後日までかなりの降雨が見込まれます」

「では、明日か?」

 デミン大将が、訊いた。

「明日の午前中が、最適と思われます」


 スカンジナビア、ポーランド、イタリア、オーストリア、スペインの各基地を飛び立ったUNUFAF機が、一斉にベルギー北部のカピィ着陸船を目指す。シェトランド諸島沖に集結した米露海軍空母から発艦した艦載機群も、これに加わった。

 六百発を超える巡航ミサイルも、一斉に発射される。ポーランド東部に展開するロシア陸軍のカークトゥス、北海に展開するアメリカ海軍潜水艦からのトマホーク。

 カピィ着陸船より、慌しく迎撃のファイアドッグが出撃し、低く垂れ込めた雲の中へと消えてゆく。

 オランダ市民保護作戦も、開始される。民間人に擬装して事前潜入していた要員が、地元行政、警察、消防組織などと協力し、住民に対放射能防御態勢を取らせるための広報活動を開始、大量のヨウ化カリウムとシステインの錠剤も配布された。北ブラバンド州、ヘルダーラント州、南ホラント州、ユトレヒト州では、一部住民の避難も行われる。ベルギーのアントウェルペン州でも、住民避難が開始された。


 オーストリア南部の山中にあるツェルトベク空軍基地を離陸し、アルプス山脈の東端を飛び越え、バイエルンに入る。

「こちらフレイル1。カニャークからデータ送信。作戦は順調。タイムスケジュールに変更なし」

 サンディが告げる。カニャークは、ポーランドのポズナニ市南郊にあるクシェシニ空軍基地に置かれたオペレーション・セントリーボックス統括司令部のコールサインである。

「住民の避難が終わらないと、どうしようもないからねえ」

 ヘザーが、言う。

 瑞樹はウェポンベイに搭載されている核弾頭スコーピオンを意識した。中間圏や月近傍と違い、今回はすぐそばに街がある環境で核を使わねばならない。失敗すれば、何万もの人々を巻き添えにする可能性がある。



「ダリル、すぐ来てください」

 銀色の箱から、レーカのものと思われる甲高い声が聞こえた。

 ダリルは毛布を跳ね除けた。調光装置を撫でて、部屋の明るさを昼間と同じにする。

「どうしたの?」

「人類側が、軍用船三号に大規模な攻撃を開始しました。ご意見を伺いたい」

 ダリルは舌打ちした。ティクバの独断とはいえ、和平交渉が進んでいる現状で攻勢に出るとは‥‥UNUFHQは何を考えているのだろう。

「わかった、今行く」

 ダリルはトイレに寄ってから、通路に出た。すでに馴染んでしまったティクバの執務室に、ずかずかと入ってゆく。室内には、ティクバ、ヴィド、レーカの他に、四体のカピィがいた。

「どうなったの?」

「宇宙船指揮者サンからの報告では、数百におよぶ人類の航空兵器が、波状攻撃をかけているそうだ。地上部隊も接近中らしい。人類側の意図は、なんだ?」

 ティクバが質問を発する。

「そりゃ、終局の目標はヨーロッパ奪還でしょう。ベルギーの軍用船三号が策源地なんだから、攻撃されるのは当然だわ」

「しかし、和平交渉が進まぬ原因のひとつに、我々の人口の少なさがあることくらいUNUFも承知しているはずだ。ここで大攻勢を掛けて戦死者が増えれば、さらに交渉は難航してしまうだろう」

「あんた方は攻勢を控えているけど、オブラクやサンの軍勢は占領地拡大に励んでいるんだよ。人類も少しは反撃しないと」

 ダリルはそう指摘した。

「それはそうだが‥‥」

「宇宙船指揮者、妙な報告が入ってきました」

 ヴィドが喋った。翻訳機のスイッチが入っているので、ダリルにも言葉が判る。

「戦場付近で、人類市民が移動を開始しています。きわめて危険な行為です。やめさせることはできないものでしょうか」

「まったく。何を考えているのだ、人類は」

 ティクバが主触腕を振り、怒りを見せる。

「きっと、巻き添えを喰らいたくなくて、避難しているんでしょう」

「馬鹿げている。住居に被害が及ばないように最善の注意を払って戦えばいいことだ。屋外にいたら、市民と戦士の識別が事実上不可能ではないか」

「それはそうかも知れないけど‥‥」

 ダリルは視線を泳がせた。ふと、壁のディスプレイに眼をやる。ベネルクス地区の地図に、赤い小円がいくつも描かれていた。ベルギー北部と、オランダ南部と中部に集中している。小円の分布を全体として見ると、おおよそ鍵穴を逆さまにひっくり返したような形状に見えた。

「なに、あの赤い円は?」

「住民避難が観察された箇所ですね」

 レーカが、説明する。

 ダリルは眉をひそめた。ベルギー北部は理解できるが、戦場からかなり離れたオランダ中部の住民まで避難しているのは解せない。

 ダリルはディスプレイを睨んだ。軍用船三号の北側だけ、一切れのピザのような形で、住民が避難している‥‥。

 ‥‥まさか。

「レーカ。軍用船三号のあたりの、今現在の風向きはわかる?」

「風向きですか?」

「そう」

「少しだけ時間を下さい。‥‥ああ、南方から吹いていますね」

 核使用。

 おそらくそうだろう。UNUFは、軍用船三号に対し核攻撃を目論んでいるのだ。風下の住民を避難させている理由は、これしか考えられない。

 ‥‥これをティクバに話すべきか。話せば、ダリルの信用度は大幅にアップするだろう。しかし、それは人類に対する裏切り行為になる。作戦を成功させようとして、すでに多くの者が命を失っているだろう。作戦終了までに、さらに多くの戦死者が出るはずだ。ティクバにUNUFの意図を指摘すれば、彼らの犠牲を無にすることになる。

 黙っているか。気付かなかったことにすれば、問題はなかろう。しかし、ここで軍用船三号が破壊され、そこに属する二千体以上のカピィが死ねば、和平交渉の進展は望めないだろう。サンは当初考えていたよりも穏健派のようだし、核攻撃はオブラクの立場を強化するだけのような気がする。

 ティクバとの和平交渉にいったん賭けたのだから、持てるチップはすべてそこにつぎ込むべきだ。

 ダリルは決断した。あとでベネディクト・アーノルド呼ばわりされるかもしれないが‥‥。

「ティクバ。UNUFは、軍用船三号に対して反応兵器を使うつもりだよ」

「なんだと」

 ダリルは自分の推測を説明した。

「ついに人類は市民の保護さえ放棄したのか」

 ティクバが主触腕を激しく振り回した。‥‥本気で怒っている。ダリルも初めて見る、ティクバの激怒だった。

 話してよかった。ダリルはそう確信した。ティクバは心底から人類市民を保護しようとしているのだ。

「いかがなさいますか、宇宙船指揮者」

 ヴィドが、訊く。

「阻止する。宇宙船指揮者サンに連絡しろ。軍用船三号を失うわけにはいかないし、人類市民に放射線を浴びせるわけにもいかぬ」


「‥‥どういうことですかな?」

 驚いたサンは、おもわず訊き返した。

「軍用船三号周辺の人類市民避難状況を分析する限り、そのような推測をせざるを得ないのだ。ミサイルも航空兵器も近づけさせてはならん。よいですかな、宇宙船指揮者サン」

「ご忠告感謝します、宇宙船指揮者ティクバ」

 通信を切ったサンは、人類側兵器を追撃していたファイアドッグ編隊を呼び戻すように部下に命じた。待機していたフラットフィッシュも出撃させ、防壁を作らせる。

 反応兵器は、使わせない。絶対に。すでに制圧した地域の市民の安全を護るのは、宇宙船指揮者として、そして戦士としての使命なのだから。


「‥‥どうやら、こちらの出方を読まれたようね」

 アリサが言った。

 瑞樹はMFDの模式化された表示を眺めた。赤い光点で表現されたカピィ航空兵器の群れが、カピィ着陸船を取り巻く三重の円を描いている。

 フレイル・スコードロンは目標まで約190nmほどの地点まで到達していた。眼下には、マイン川の流れとフランクフルト・アム・マインの市街地が見えている。

「カニャークより通信。‥‥作戦は予定通り。予備の部隊を投入し、強行突破するそうよ」

 サンディが、告げた。


 合衆国空軍F−22、フランス空軍ラファール、ロシア空軍Su−34、スウェーデン空軍グリペン、ドイツ空軍タイフーン‥‥。各国の虎の子飛行隊が、一点突破を目指してフラットフィッシュの壁にぶち当たる。

 ミサイルとレーザーが飛び交い、双方の機体が交錯する。たなびく煙の尾。曵光弾。飛び散る破片と火球。炎。雲を切り裂く翼。種の存亡を賭けた、殺し合い。緊張に震える手と触腕。恐怖で大きく見開かれた眼。呪詛の言葉と、断末魔の悲鳴。

「敵が混乱してる。このまま突っ込みます。2、3。前に出るわよ。アリサ、イシュタルの統制は任せたわ」

 サンディの声。

「5了解」

 アリサが短く応える。

 三機のドゥルガーに先導されて、四機のイシュタルは低空で突っ込んだ。

「6、7、8。セイフティ解除。時限信管確認」

 アリサが告げる。瑞樹は最終セイフティを解除した。時限信管は、あらかじめ120秒にセットしてある。


 発射したスイフト三発が、フラットフィッシュ三機を叩き墜とす。

 最高の気分だった。初めて持つことができた、愛機と呼べる自分だけのNT兵器。そして、それを駆っての初出撃。

 フラットフィッシュが、尾部を向けている。エルサはウェポン・リリース・ボタンを押しかけたが、自重した。逃げる奴は放っておいても大丈夫だ。今回の任務は、あくまでイシュタルの護衛にある。敵は多い。無駄に使えるミサイルは、一発もない。

「ファイアドッグが来た! 上だ!」

 スーリィの声。

 エルサは機首を上げた。視界に、三機のファイアドッグが入る。近い。

 レーザーが、機体を掠める。エルサは先頭機にスイフトを発射すると、機体をひねって敵の照準を外した。ハーフ・ロールを打って、低空へと逃げる。

 スイフトは見事にファイアドッグを撃ち墜とした。四機目。

 機首を上げて、高度を回復する。レーダーと目視で前方に立ちはだかるフラットフィッシュ編隊を見つけたエルサは、スイフト三発を発射した。フラットフィッシュは回避しようとせずに、レーザーを盛んに撃ってくる。エルサは回避機動を続けた。

 二発が命中する。これで六機。

 ‥‥ようやくあたしもエースだ。みんなと並んだ。

 喜びを噛み締めつつ、エルサはガンモードに切り替えた。スイフトをぎりぎりで躱した一機のフラットフィッシュが、レーザーを乱射してくる。

 エルサは27ミリをフラットフィッシュに叩き込んだ。偶然操縦系統でも破壊したのか、一連射しただけでフラットフィッシュの姿勢が崩れ、墜ちてゆく。

 七機目。

 いきなり、コーション・ライトが点灯した。

 レーザーを浴びている!

 エルサは本能的に機体をひねり、レーザー照射から逃れようとした。

 それが、裏目に出た。

 機首下面に浴びせられていたレーザーが、ドゥルガーが姿勢を変化させたことにより、コックピット右側面を烙き始める。一部が、キャノピーを貫き、エルサに襲い掛かった。

「!」

 ほんの一瞬だったが、フライトスーツを蒸発させ、その下の水分の多い肉体を焦がすくらいの威力は充分にあった。

 いきなり、右手の感覚が失われた。

 コーション・ライトが、さらに点灯する。コックピットの与圧も抜けた。低空だから問題ないが、激しい空気の流れが生じている。

 何があったのか理解できないまま、エルサは機体を操ろうとした。とっさに左手を伸ばし、サイドスティックを握る。一応、非常事態用にそのような訓練も受けているから、姿勢を保つくらいはできる。

 なにがあったの‥‥。

 エルサはちらりと右手に視線を走らせた。サイドコンソールに力なく投げ出されているが、見たところ異常はない。

 ‥‥くさい。

 エルサは臭いに気付いた。コックビット内で風が荒れ狂っているうえにマスクをしているので定かではないが、プラスチックが焼けたような不快な臭いが、かすかに鼻に届く。

 エルサは首をひねって、自分の右の二の腕を見た。

 肉が大きく抉られて、灰色に焼けた骨が見えていた。抉られた肉自体も、表面は黒々と炭化している。一部生焼け状態の赤い肉からは、黄色味を帯びた透明な液体が染み出していた。

 エルサはマスクの中に嘔吐した。


「こちら1。3が脱落。重傷らしい」

 サンディの声が、告げた。

「ちっ!」

 ヘザーは舌打ちすると、スイフトを放った。狙ったフラットフィッシュが、火球と化す。

 すでに着陸船がはっきりと視認できる位置まで、四機のイシュタルは接近していた。

 先行するドゥルガーが敵を引き付けてくれるが、それでもかなりの数がイシュタルに襲い掛かって来つつあった。アリサとヘザーのペアはそれらをなぎ倒しながら進んでいたが、そろそろスイフトが切れつつあった。

「5、6。7と8が先行する!」

 瑞樹の声。

「頼むわ」

 アリサの声。


 あと10nm。

 もう、カピィ着陸船は目の前だった。

 着陸船から、対空レーザーが放たれる。瑞樹は落ち着けと自分に言い聞かせながら、回避機動を続けた。

「ぎりぎりまで近づくわよ!」

 アリサの声。耳障りなほど、甲高い。

「太い奴が来るかもしれない。注意しろ!」

 ヘザーは落ち着いているようだ。

 ‥‥羨ましい。彼女の豪胆さの半分でもわたしにあれば‥‥。


 いきなり、アリサの目の前が真っ白になった。

 衝撃。

 視力が徐々に戻る。警報音の合唱。

 オレンジ色の、コーション・ライトの列。

 アリサは眼をしばたたいた。どうやら、レーザーの直撃を受けたようだ。右の主翼が下がっている。

 アリサは本能的に機を立て直そうとした。‥‥おかしい。手に力が入らない。

 妙にふわふわした感触のサイドスティックを左へ傾け、機体の姿勢を修正する。どうやら、負傷したようだ。

「ごふっ」

 アリサは咳き込んだ。舌に、血の味が感じられる。

 腹部に違和感がある。

 左手を動かして、腹の辺りを探る。グローブ越しでも、濡れた感触とぬめりは感じられた。

 ‥‥まだ死ねない。

 アリサのマスクの端から、一筋の赤黒い液体が糸を引いて垂れた。

 目標までの距離、5nm。

 アリサはウェポンベイを開いた。核弾頭スコーピオンを、着陸船に向け二発とも発射する。針路を修正し、高度を上げ、雲の中に突っ込んで飛び続ける。

 ‥‥運がよければ、生き延びられるだろう。運がよければ‥‥。


「頼むから、東風に変わるなよ‥‥」

 つぶやきながら、ヘザーはウェポンベイを開いた。東の風になると、イングランド南部が放射性降下物を浴びることになる。ロンドンの下町育ちとしては、それだけは絶対に願い下げだった。

「くたばれ!」

 ヘザーは核弾頭スコーピオンを一発放った。すぐに、回避機動に戻る。

 無駄だった。

 着陸船が、超巨大レーザーを放つ。

 その太い光条は、放った核弾頭スコーピオンごと、ドゥルガーを烙いた。

 ‥‥アレッシアとニーナと、同じ奴に、同じように殺されるのか。

 仲がいいにもほどがある。

 それが、蒸発する前にヘザーの脳裏に浮かんだ最後の思考だった。


「7発射!」

 瑞樹はウェポン・リリース・ボタンを叩いた。

 核弾頭スコーピオンが、ウェポンベイから飛び出す。

「フィリーネ、逃げるよ!」

 もうめちゃくちゃだった。あまりの混戦に、戦況の把握などできはしない。もしかすると、フィリーネももう喰われてしまったのかもしれない。いや、フレイルで無事なのは、瑞樹だけかもしれない。

「8、発射しました!」

 フィリーネの声が。ラジオに入る。

 ‥‥とりあえず、あの娘は生きているようだ。

 やるだけのことはやった。あとは、生き延びることと‥‥作戦の成功と仲間の無事を祈るしかない。


 サンディは、すべてを見ていた。

 エルサのドゥルガーが、煙を吐きながら辛うじて戦場を離脱したことも。

 スーリィが、鬼神のごとき勢いで敵を多数叩き落したことも。

 アリサのイシュタルが、東方へとふらふらと飛んでいったことも。

 ヘザーがレーザービームの中に飲み込まれて散ったことも。

 瑞樹の発射したスコーピオンが、着陸船の外板を貫いて船内に突入したことも。

 フィリーネの発射したスコーピオンも、瑞樹のもの同様に見事に命中したことも。

 去り時だった。イシュタルの護衛という任務は果たした。もうすでにミサイルも撃ち尽くしている。核爆発まで、あと百秒程度。それまでに、安全圏に去らねばならない。

「2、逃げるわよ」

 サンディはサイドスティックを倒した。

 とたんに、機体に衝撃が走った。

 ‥‥しまった。

 付近に敵機はいなかったから、まぐれ当たりのレーザーだろう。コーション・ライトが点灯したが、たいした被害ではないようだ。

 カピィ着陸船が、光った。

 超巨大レーザーだ。

 再び、ドゥルガーに衝撃が走る。

 コーション・ライトが一斉に点灯する。直撃ではなかったが、それに近い打撃を受けたようだ。高度が、ぐんぐんと下がる。サイドスティックの反応が、極端に鈍い。このままでは、地面に激突する。

 ‥‥射出。

 浮かんだ選択肢を、サンディは一笑に付した。こんなに着陸船に近いところでパラシュート降下など、狂気の沙汰だ。核爆発に巻き込まれて、確実に死ぬ。

 これしかないか‥‥。

 サンディは、機体をVLモードに入れ、自動に切り替えた。機載コンピューターが操縦を引き継ぎ、ドゥルガーは小麦畑の中にどすんと着陸した。

 着陸船まで、わずか400メートルほどの位置だ。全高1800メートルの巨体が、眼前に威圧感を伴ってでんと突っ立っている。

 サンディはざっとシステムチェックを行った。NTは動いている。だが、操縦系統はかなりダメージが大きかった。手動モードに切り替え、VTOしようとしたが、反応がない。

 核爆発まで、あと一分ちょっとしかない。

「サンディ、どうした?」

 スーリィの声が、呼びかける。

「不時着した。動けないみたい」

 サンディは、自動VTOモードを試してみた。‥‥反応なし。

「どこにいる? 助けに行くよ」

「駄目。無理しないで」

 サンディは、滑走を試みようとした。充分に速度が上がれば、離陸できるはずだ。だが、ドゥルガーはおびえたアヒルのように座り込んだまま動こうとしない。

 操縦系統が、完全にいかれてしまったのか。

 最後の手段だ。ダリルは少しばかり震え出した手でパニック・ボタンを叩いた。これも、反応がない。

 ‥‥だめか。

 万事休すだ。あと、四十秒。

「サンディ、確認したわ。今行くから、待ってて」

 スーリィの声。

「馬鹿言わないで。間に合いっこないわ」

 サンディは視線をキャノピーの外へと転じた。のどかな田園風景が、あちこちから立ち昇る煙の柱で台無しになっている。

「サンディ、どこかに隠れるのよ。地下室とか探して!」

 瑞樹の声が、ラジオに入る。

「間に合わないわ。もう覚悟はできたから。みんな、さよなら。‥‥悪いけど、最後はお祈りしたいの。ごめんね」

 サンディはラジオのスイッチをオフにした。マスクを外し、ヘルメットも脱ぐ。押さえつけられていた黒髪に無意識のうちに手櫛を走らせながら、サンディはぼんやりと考えた。

 ‥‥やっぱり、最後は聖体拝領前の祈りが、ふさわしいのかなぁ。


 百キロトンの爆発が、着陸船を引き裂いた。さらにもう一発、百キロトンが起爆し、着陸船を完全に破壊する。

 トゥルンハウト市とその郊外は、壊滅した。


「サンディ! 返事して! サンディ!」

 スーリィのドゥルガーが、着陸船の残骸の上を旋回する。

「アリサ! 瑞樹! ヘザー! フィリーネ! エルサ! みんな返事して! あたしを置いてかないで‥‥」

「スーリィ、落ち着いて。わたしとフィリーネは無事だよ」

 瑞樹の声だ。

「瑞樹、生きてるんだね!」

「うん、わたしとフィリーネは無事。まだファイアドッグが飛び回ってるから、早く離脱して、スーリィ。‥‥あなたまで、失いたくない」

「‥‥判った。逃げるよ」

 スーリィは、機首を東へと向けた。

「瑞樹、他のみんなは?」

「カニャークに確認した。エルサは怪我してるけど、まだ飛んでる。アリサはドイツ国内に不時着したみたい」

「ヘザーは?」

「応答なし。喰われちゃったのかなぁ」

「ヘザーは‥‥墜ちました」

 フィリーネの声が、割り込んだ。

「見たの、フィリーネ?」

「‥‥はい。レーザーに、呑み込まれました。戦死です」

 素人芝居の端役のようなほとんど感情のこもっていない声で、フィリーネが言う。

 スーリィは眼を閉じた。ヘザーまでも死ぬとは。

「スーリィ、サンディはどうなったの?」

「‥‥消えた」


「うそ‥‥」

 瑞樹の眼に、涙が溢れた。

 ‥‥あんなに美人で性格のよい娘が、死ぬわけない。

 思えば、フレイル・メンバーで最初に言葉を交わしたのがサンディだった。素敵な笑顔。羨ましいくらいのスタイル。お酒も飲まず、慎ましく、たまに聖書すら繙いていた娘なのに。

 死んだ。

「‥‥ダリルになんて言ったらいいんだろう‥‥」


「フレイル3はインゴルシュタット・マンチングに着陸しました。リンドマン大尉は重傷のようです」

 山名が硬い声で告げる。

「コルシュノワ大佐は?」

「地元抵抗組織が保護に向かっているようですが、続報は入ってきていません」

「そうか」

 アークライトは、臨時作戦室の椅子に腰を下ろした。

 たしかに作戦目的は達成した。着陸船は完全に破壊した。市民の避難および放射能防護計画は、多少の齟齬はあったものの、比較的順調に行われた。おそらく、数千名の死者は出るだろうが、ぎりぎり許容範囲内だろう。

 各国空軍航空機の損害も大きかったが、これも許容範囲に留まっているだろう。西ヨーロッパ奪還のためには、致し方ない犠牲である。

 ‥‥だが。

 アークライトは、こめかみを揉んだ。手塩にかけて育て上げたフレイル・スコードロンは、壊滅的な打撃を蒙った。ダガー・スコードロンのリーダー格であった、ベンソン中佐が戦死。旧フレイル・スコードロンの一番機を務め、今回の作戦でも一番機に搭乗したローガン大尉も戦死。もっとも経験豊富なコルシュノワ大佐が行方不明。リンドマン大尉も、重傷を負った。

 シェルトン中佐は、まだ復帰できないようだし、残るはわずかに三人。シァ少佐、サワモト少佐、シャハト大尉だけだ。シァ少佐はトップエースだし、サワモト少佐もシャハト大尉もいいパイロットだが‥‥三人では話にならない。

 さしものフレイル・スコードロンもこれまでか。



「‥‥核爆発を防げなかったか。残念だ」

 ティクバが、喋る。

「あたしも残念だよ」

 ダリルはため息混じりに言った。これで、和平交渉が相当やりにくくなる。

「ダリル。わたしは貴殿を尊敬する。味方の戦士にとって不利になる情報を我々に伝えて、市民を救おうとした。簡単にできることではない」

「そう言ってもらえると、嬉しいよ、ティクバ。‥‥なんだか人類を裏切ったような気になってるからね」

 ダリルは頭を掻いた。今回のこの行為、はっきり言って利敵行為である。ばれたら銃殺ものかもしれない。



 予測通り、オランダとベルギーに雨が降り注いだ。暖かな雨粒が、空気中の放射能を帯びた塵を一掃し、地面や植物、建造物に付着した放射性降下物を洗い流してゆく。

 放射能を帯びた水は小川や用水路に流れ込み、それらはさらに大きな川や運河によって北海まで運ばれ、膨大な量の海水と交じり合い、その濃度を薄めていった。

 核爆発とその後の放射能汚染で死亡した市民の数は、七万名に留まった。

 莫大な犠牲を払ったものの、ヨーロッパは解放されたのである。


第二十話をお届けします。これで第三部は終了となります。次話からは最後のパートとなる第四部に突入です。 第二十話簡易用語集/ヨウ化カリウム カリウムとヨウ素からなる化合物。服用すると、甲状腺の内部被爆防止に効果がある。/システイン Cysteine アミノ酸の一種。被爆前服用はそれなりに効果があるといわれている。/ベネディクト・アーノルド Benedict Arnold アメリカ独立戦争時のアメリカ人将軍。数々の武功を重ねたが、後にイギリス軍に通じ、最終的にはイギリス軍の将軍として活動した。いまのところ合衆国史上もっとも大物の「裏切り者」である。

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