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2 NT Weapon

 管理棟二階の一室が、講堂に当てられていた。

「いきなり座学から入るのね‥‥」

 ダリルがぼやく。

 四種類のNT兵器のコックピットは、細部を除けば共通化されているという。瑞樹らは、写真を見ながら機器の機能やスイッチ類の配置、MFDの表示などを覚え込んだ。いくつかのバックアップ用計器を除けば完全にグラスコックピット化されているし、近代的な戦闘機や攻撃機と基本的な配置は同じであり、覚えるのにそう困難は感じなかった。特にサイドスティックはF−2乗りであった瑞樹には馴染みのレイアウトである。

「では、主要兵装を説明しましょう」

 相変わらず講義口調で、フロスト教授。

「対地攻撃用主要兵装は、この二種になります。まずは短射程対装甲ミサイル、スコーピオン。これはもう、おなじみですね。実戦で使用した方もいるはずだ。そしてこれが‥‥」

 フロスト教授が、手元のキーボードを叩く。机上のディスプレイに、HARMとよく似たミサイルが映し出された。ただし、弾頭部がマルテ対艦ミサイルのようにぷくりと膨れている。

「これがMBDAが新たに開発した短射程対装甲ミサイル、フォコンです。スコーピオンよりも軽量ですが、ティンダーなら一撃で破壊できるだけの威力があります」

 ディスプレイが切り替わり、その中央に蹲った犀を連想させる形状のカピィ陸戦兵器、ティンダーが映った。雰囲気からして、どこかのテストレンジの映像だろう。次の瞬間、ティンダーの側面に閃光が走り、次いで灰色の煙が盛大に吹き上がった。

「タンデム対装甲弾頭。誘導方式はイメージングIR。射程は12km。マッハ2+。現在ヨーロッパとロシアで大量生産の準備中です」

 フロスト教授が、淡々とスペックを説明する。

「フォコンがユニークなのは空対空モードでも使用できることです」

 映像が切り替わった。ライトグレイのF−4が、のんびりと飛行している。当然、QF−4だろう。画面が光り、次の瞬間F−4がオレンジ色の火球と化す。

「機動性の高いファイアドッグやフラットフィッシュでは回避されてしまいますが、充分に接近すればフルバック相手には有効な兵器となるでしょう」

「これは使えそうね‥‥」

 スーリィが呟く。

「では空対空兵器に参りましょう。短射程AAMは、ほとんどの種類に対応できますが、当面はASRAAMを使用する予定です。各機とも、これを四発ずつ自衛用に機内ウェポンベイに装備できます。まあ、ファイアドッグ相手には力不足ですが、あくまで自衛用ですので。そしてこれが期待の新兵器、スイフトです」

 ディスプレイに、ずんぐりとしたミサイルが表示された。AGM−65によく似た形状だが、弾頭部が尖っている。

「MBDAとレイセオンが共同開発した短射程空対空ミサイル。推力変更ノズルによるテイルコントロール方式。弾頭重量は対艦ミサイルなみの120kgあるので、直撃できればファイアドッグを一発で撃墜できます。誘導方式は、アクティブレーダーホーミング。もちろんLOAL(発射後ロックオン)可能です。ただし大きく重いので、コンベンショナルな戦闘機ではこれを多数搭載してACMを行うのは困難です。したがって、NT兵器専用兵装と言えるかもしれません」


 午後はシミュレーター訓練に当てられた。

 シミュレーターは同型のものが二台。ロシア製のようだが、六軸動揺装置付きの本格的なもので、瑞樹が普段の訓練で使用しているものに比べ遜色ないように見受けられた。

「実を言えば、このシミュレーターはNT兵器開発段階で製作されたものなので、機体の機動をすべて再現できるわけではありません」

 フロスト教授が、言う。

「ですが、使用しているデータはランス・ベースより送られてきた最新のものを入力してあるので、効果的な訓練にはなるはずです。では、最初はゾリアのモードで飛んでもらいましょう。ミスター・ヤマナ」

 フロストが、コンソールに着いている日本人軍曹‥‥先ほど山名蓮と名乗った眼鏡の青年‥‥に合図した。山名がキーボードを慣れた手つきで操作する。

「それではまず、アメリカの方から乗ってもらいましょうか。ミズ・シェルトンが1、ミズ・ローガンが2に搭乗して下さい」

 フロストに促され、ダリルが嬉々として、サンディがちょっと緊張した面持ちで、箱型のシミュレーターにそれぞれ乗り込んだ。山名の同僚である中国人女性軍曹‥‥チャン・リィリィと名乗った小柄な若い女性が、ふたつのシミュレーターをロックし、後ろに下がった。

「準備はいいですか、ミズ・シェルトン?」

 管制用コンソールに座ったフロスト教授が、ブームマイクで尋ねる。

「いつでもどうぞ」

 スピーカーから、ダリルの声。いつもより明らかに高めだ。興奮しているのだろう。

「ミズ・ローガン?」

「よろしいです、教授」

 こちらは、サンディらしい落ち着いた声音だ。

「では、起動手順開始」

 フロストが告げ、トグルスイッチを倒した。

「ミズ・シァ。ミズ・サワモト。お二人とも座ってください。ミスター・ヤマナ。ディスプレイにコックピット内映像を」

 すぐに、瑞樹とスーリィの前のディスプレイにふたつのウィンドウが開かれ、シミュレーター1と2の内部映像‥‥シートの左肩あたりからメインの計器版を中心に眺める感じ‥‥が表示される。

 瑞樹はダリルとサンディの機器操作手順を見守った。これはいい復習になる。

 ダリルの手の動きは早かった。対するサンディの方は、やや遅かった。だが、動きに迷いはない。初回なので慎重に操作しているに過ぎないのだろう。

「では、NT起動。プリ・フライトチェックの後、ミスター・ヤマナの指示に従いアーミングエリアまで移動してください」

 ディスプレイに別のウィンドウが開かれた。こちらは、コックピット・ビューだ。CGで描かれたどこかの航空基地らしい。

 瑞樹とスーリィが見守るうちに、ダリルとサンディは滞りなく離陸準備を整え、滑走路端へと移動した。もちろん、スタンディング・テイクオフだ。

「1、2。離陸を許可します。離陸後は、5000まで緩上昇」


 三十分後、シミュレーターを降りたダリルが、開口一番こう言った。

「卑怯だよ、これ」

「同感」

 サンディが、同意する。

 瑞樹もうなずいた。ディスプレイを眺めていただけだが、ダリルの言いたいことはよく判った。

 もはや航空機と呼べるレベルではないのだ、NT兵器は。

 燃料の制限がないから、飛行中NTは常に全力噴射している。スロットルは、コンベンショナルなジェット機に乗り慣れているパイロットのために便宜上つけられているだけで、実際には単なる速度調整装置に過ぎない。スロットルを絞ると、機載コンピューターが適宜エアブレーキを開いたり機体各所に設けられている噴射口に空気を送り込んだりして機速を落とすだけなのだ。したがって、スロットルを開けば即座に全推力を得ることができる。ジェットエンジンに固有のレスポンスの遅さなどとは無縁である。

 操縦も卑怯である。噴射口から自在に空気を噴射することにより、舵面の動きでは決して得られることの出来ない無茶な機動が可能だ。もちろん失速しても問題ないので、自由度はさらに高まる。

 瑞樹はシミュレーターのコックピットに潜り込んだ。シートの調整、ハーネス、ヘルメット、マスク、通信コード。セイフティ・ピン。起動前の、もろもろの手続き。フロスト教授と山名軍曹の指示に従い、てきぱきと行う。

 離陸準備。そして、離陸。指定された通り、スロットルはアイドルよりもやや押し込んだ程度だ。それでも、滑走2000フィート程度で軽々と機体が浮く。

 3万フィートまで上昇後、山名の指示通り徐々にスロットルを開いてゆく。全開よりもかなり手前で、機速がマッハ3を越える。直線飛行でのスロットル全開は、禁止だ。理論上はマッハ4+まで加速可能らしいが、そこまで速く飛ぶと機体が熱変形してしまう。

 山名の指示に従い、緩やかな旋回で高度と速度を落とした後、瑞樹は機動性を試してみた。急加速と急減速。ループ。急旋回。ダイブ。調子に乗って、フォーポイント・ロール。

 F−2やT−4とは比べ物にならない。もはや別次元の乗り物、いや、兵器だった。


「で、どうかね?」

 アークライト中将が、尋ねる。

「四人に各機を模したシミュレーターに30分ずつ搭乗させてデータを取りました。まあ、予想通りですね」

 フロスト教授が、手にしたクリップボードに眼を落とす。

「戦闘機パイロットとしての素質は、ミズ・シァが抜きん出ています。J−10でファイアドッグを墜とした腕前は、伊達ではありませんな。制空タイプのヴァジェットは、彼女に任せるべきでしょう。ミズ・ローガンは得手不得手がないタイプです。ミズ・サワモトはACMがいささか苦手なようです。攻撃機での経験が豊富なのでベローナが適任でしょう。ミズ・シェルトンは操縦は荒いが才能はあります。特にSA(状況認識)は優れていますね。F/A−18E乗りでしたから戦闘攻撃機はなじみやすいでしょう。ネメシスに乗せたいですね。となると、残るゾリアにミズ・ローガンでいいと思います。まあ、最終的には実機が届いてからそれぞれ自由に選ばせるつもりですが」

「ふむ。どう思う、准将?」

 アークライト中将が、傍らに立つ矢野准将に振った。

「各人の特性データは事前に各国空軍から提出されたものと大差ありませんね。機種選択はフロスト教授にお任せして差し支えないでしょう」

 矢野の言葉に、アークライトがうなずく。

「同感だね。問題は、彼女らが実戦で通用するか否かだが‥‥」

「そのあたりは、閣下のお手並み拝見、といったところですな」

 フロスト教授が、いわくありげに微笑む。

「私は開発プロジェクトの一員として、彼女らを一人前のNT兵器操縦者に仕立て上げることは出来ますが、それ以上のことは無理です。優れた戦士として鍛え上げ、歯車の噛み合った戦闘チームとして機能させるのは、閣下のお仕事です」

「難儀な話だな」

 アークライトが、苦笑する。


 シミュレーターによる訓練は、三日にわたって続いた。

 瑞樹はベローナが気に入った。元々F−2乗りだけあって、対地攻撃は得意だ。その分、ACMは‥‥決して下手ではないが‥‥他の三人に比べると一歩劣る。

 スーリィはヴァジェットが好みのようだった。ダリルは、ヴァジェットとネメシスを交互に乗っている。機動性に勝るヴァジェットか、パワーがありミサイル搭載量の多いネメシスか、迷っているようだ。サンディは、どの機種も乗りこなせるようだった。

「お報せがふたつあります。明日、ランス・ベースより機体が届けられます。ゾリア、ヴァジェット、ネメシス、ベローナ各一機です」

 三日目の訓練が終わると、フロスト教授が告げた。

 ダリルが小さくサムアップをする。瑞樹の顔にも、自然と笑みが浮かんだ。ついに、実機に乗れるのだ。

「まあ、組み立てと調整に丸一日かかるはずですから、搭乗は明後日になるでしょう。もうひとつのお報せは‥‥明日、五人目のパイロットが赴任します。名前は、アリサ・コルシュノワ。ロシア空軍中佐」

 フロストが告げた。

「ちょっと待ってください、教授」

 ダリルが、声を上げる。

「何ですかな、ミズ・シェルトン」

「機体が四機で、パイロットが五名じゃ、一人あぶれるじゃないですか」

 指を立てて四と五という数字を強調しながら、ダリル。

「そういうことになりますね、ミズ・シェルトン。フレイル・スコードロンの機材定数は当面四機、パイロットは六名が所属することになります。ですから、二名は予備に回ることになりますね」

「ええーっ」

 ダリルが、子供っぽく口を尖らす。‥‥とても海軍少佐には見えない。

「まあ、テスト飛行隊なんだから、機材よりパイロットの方が多くても不思議はないけどね」

 サンディが、肩をすくめる。

 五人目はロシア人か‥‥。中佐というからには、経験豊富な人物だろう。

 瑞樹はそう思った。シミュレーターで乗っただけだが、ベローナのことはすっかり気に入っていた。スコーピオン四発を胴体下パイロンに搭載しても超音速で軽々と飛べるし、機内のウェポンベイにさらにスコーピオン二発を積める。パワーはF−2とは桁違いだし、運動性はF−15を軽くあしらえるほどだ。空中給油が苦手な瑞樹にとって、燃料切れの心配がないところもありがたい。まさに夢の攻撃機といっていい。絶対手放したくなかった。

 ‥‥とにかく、ベローナの操縦だけは誰にも負けないようにしよう。

スーリィ、サンディ、ダリルの横顔を見ながら、瑞樹はそう決めた。三人とも、とても優れたパイロットである。新しく来るロシア空軍中佐も、その後に来るであろう六人目も、同じように優秀だろう。レベルの高い六人の中で正規のパイロットに選ばれるためには、一機種でもいいから秀でるしかない。


 相次いで着陸したC−17とAn−124が、四つのパレットを吐き出す。

「早く乗りたいねえ」

 管理棟二階の窓から荷降ろしの様子を眺めながら、嬉しそうにダリルが言う。

 分解された四機のNT兵器が乗せられたパレットは、アップ・アーマード・ハンヴィーや軽装甲機動車に護られながらメイス・ベース内へ運び込まれ、それぞれ別のハンガーへと引かれていった。

「またなんか来たわよ」

 スーリィが、空の一点を指差す。

 アントノフのコーラー‥‥An−72か74だった。着陸態勢で、接近してくる。

「あれ、美羽でしょ?」

 メイス・ベース内から走り出し、ゲートでいったん停止したランドクルーザーを運転している女性を、サンディが指し示した。

「美羽のお出迎えってことは‥‥噂の五人目?」

「可能性は高いわね」

 着陸したコーラーが、エプロンへとまわる。後部ランプが下ろされ、近づいたフォークリフトがすぐに荷降ろしを開始した。美羽の運転するランドクルーザーが、少し離れたところで停まる。降りた美羽が後部ランプ付近へと歩んで行き、すぐに一人の人物を連れて戻ってきた。小柄な美羽と比べると、結構上背がある。

「どうやら、当たりみたいだね」

 スーリィが、ぼそりと言った。


「また美人が来た‥‥」

 ダリルがつぶやく。

 たしかに美人だった。身長は170センチを軽く越す。すこしウェーブがかかったくすんだ金髪は、パイロットとしては長めで、毛先は肩まで届いている。グレイの、切れ長の眼。雪白の肌。ただし、同じ美人でもサンディのような愛嬌には乏しい。いわゆる、クール・ビューティというタイプだろうか。

「アリサ・コルシュノワ。ロシア空軍中佐。よろしく」

 にこりと微笑んで‥‥少なくとも、笑顔には愛嬌がある‥‥アリサが手を差し伸べる。

 瑞樹らはそれぞれ名乗りながら握手を交わした。

「では中佐、司令のところへご案内します」

 アリサを連れてきた美羽が、言う。

「そうね。お願いするわ。‥‥それでは皆さん、また後ほど」

 優雅に一礼すると、アリサが歩み去る。

「どう思う?」

 アリサが消えると、ダリルが訊いた。

「腕は良さそうね。雰囲気だけど」

 サンディが、言う。

「わたしたちより年上かなあ?」

 瑞樹はそう言ってみた。

「そうね。落ち着いているせいかも知れないけど、年上に見えたわね」

 スーリィが同意する。

「しっかし美人よね。あの貫禄は、只者じゃないわね。ロシア貴族の血でも入ってるのかしら?」

 ダリルが首をかしげつつ言う。

「ありえない話じゃないわね」

 サンディが、消極的に同意する。

「まあ、問題は顔よりも腕よ、腕」

 そう主張するのは、スーリィ。

「‥‥戦時昇進だとしても、中佐ってのは、凄いよね。カピィ相手に、手柄でも立てたのかなぁ」

 瑞樹は頬を掻いた。

「まあ、明日訓練が始まれば判ることだけどね」

 ダリルが投げやりに言って、テーブルに両の手のひらをぺちんと打ちつけた。


 メイス・ベースにおいて、下士官兵と士官の食堂は別に設けられている。

 もっとも、別なのは部屋だけといっていい。メニューは同一だし、フリーメスなので給仕がいるわけでもない。異なるのは、テーブルクロス(といってもビニールだが)の有無と椅子の座り心地が多少いいこと。あと、長居しても給養員に睨まれないことくらいである。

「おはよー」

 瑞樹は先に来ていたスーリィとダリルに声を掛けると、カウンターに歩み寄ってトレイを手にした。朝は和食というのが瑞樹の最近のこだわりである。サンドイッチやハンバーガー、シリアルには眼もくれず、焼き魚(今朝は塩鮭だった)、卵焼き、味噌汁(豆腐と若布)、漬物(はりはり漬けと茄子)、味付け海苔、ご飯、緑茶と取って、ダリルの隣に腰を下ろす。

 ダリルのトレイはいつもと変わらない。シリアルのボウルとベーグル、ハムエッグ、それに何も足さないコーヒーだった。スーリィのトレイは中華風の朝粥と春雨入りのスープ、野菜サラダ、温かい中国茶というヘルシーなメニューだ。メイス・ベースの人員でもっとも多いのが日本人、次いでアメリカ人、中国人となるので、食堂メニューもそのほとんどが和食と中華、それにアメリカンなファーストフード中心である。

「お」

 ベーグルを咀嚼していたダリルが、視線でカウンターの方を指す。

 アリサだった。トレイに、次々と料理を並べている。野菜スープ、パン、チーズ、ソーセージ添えの目玉焼き、野菜サラダ。飲み物は、パック入りの乳酸菌飲料をふたつ。

 アリサが、隅の空いているテーブルに腰を下ろした。

 瑞樹は、スーリィとダリルに眼で合図した。スーリィが微笑んで承認し、ダリルが激しくうなずく。

 箸を置いた瑞樹は、立ち上がった。数歩アリサのほうへ近づき、声を掛ける。

「ねえ、アリサ。よかったら、一緒に食べない?」

 パンにファットスプレッドを塗りつけていたアリサが手を止め、微笑んで瑞樹を見上げた。

「ありがとう、瑞樹。でも、食事はひとりで摂りたいの。ごめんね」

「そう。なら、邪魔しないけど‥‥」

 瑞樹は席に戻った。釈然としない気持ちのまま、箸を手にする。

「まあ、変わり者だとは思っていたけどね」

 小声で、ダリル。

「おはよ‥‥」

 消え入りそうな声が、瑞樹とダリルの背後から聞こえた。

 サンディだった。おぼつかない足取りでテーブルを回り込み、スーリィの隣に音を立てて乱暴にトレイを置く。

 朝が弱いのがサンディの弱点のひとつである。髪は乱れ放題だし、顔も緩みっぱなしだ。頭もよく働いていないらしく、トレイの上の食品にも統一性がない。サンドイッチと紅茶はいいが、なぜかゆで卵が三つも載っている。ふたつある小鉢の中身は、白菜キムチとザーサイだ。‥‥今はこんな状態でも、訓練開始前にはばっちりと髪を整え、しっかりとメイクして現れ、メイス・ベースの若い男の半分の視線を一手に集めてしまうのだから、侮れない。

「この姿、ビデオに撮って整備の若い連中に見せてやりたいねえ」

 あらかた朝食を平らげ、二杯目のコーヒーをちびちび飲みながら、ダリルが言う。


「本日は、お待ちかねの実機を使った訓練を行います」

 ブリーフィングルームで、フロスト教授が告げた。

「ミズ・コルシュノワは別メニューで、シミュレーター訓練を受けて下さい。よろしいですね」

「もちろんですわ、教授」

 鷹揚に、アリサが微笑む。

「で、どの機体に誰が乗るかですが‥‥みなさん、それぞれ得意とする機体を見出したようですね。特にミズ・シァとミズ・サワモトはヴァジェットとベローナを完全に自分の掌中に取り込んだようだ。で、残る二機種ですが‥‥」

「はい、教授! ネメシスを、あたしに下さい!」

 いきなり、ダリルが挙手する。

「おやおや。となると、ミズ・ローガンがゾリアということになりますが‥‥」

「構いませんわ、教授。わたしはゾリアを究めたいと思います」

 サンディが、肩をすくめながら言う。

「では、決定ですね。ゾリアにミズ・ローガン。ヴァジェットにミズ・シァ。ネメシスにミズ・シェルトン。そしてベローナにミズ・サワモト。以上の布陣で、本日の訓練を開始します」


 ハンガーの中に、それは鎮座していた。

 瑞樹はベローナに歩み寄った。機体サイズはF−15より一回り大きいはずだが、かなりコンパクトに見える。

「沢本一尉殿ですね」

 作業服姿の日本人女性が現れ、瑞樹に敬礼した。

「滝野二尉です。ベローナの、管理および整備担当責任者です。よろしくお願いします」

 メタルフレームの眼鏡をかけた、三十代半ばの女性だ。‥‥言葉に、関西の訛りがある。

「部下を紹介します」

 滝野二尉に呼ばれて、数名の整備作業員が姿を現した。とても名前は覚え切れなかったが、アフリカ系アメリカ人の女の子から金髪碧眼のロシア人のおじさんまで、国籍も性別も年齢もバラエティに富んでいる。

 瑞樹は各人に丁寧に挨拶した。パイロットは常に整備員に命を預けているようなものだ。疎かにはできない。

「で、どうかしら、この機体は?」

 一通り挨拶が終わり、整備班員が仕事に戻ると、瑞樹はそう滝野二尉に聞いてみた。

「まあ、昨日初めて実機を触ったわけですが、難しい機体ではないと思います」

 やや言いにくそうに、滝野が答える。

「エンジンが実質上メンテナンス・フリーというのは楽なのですが、なにしろ新機軸の機材ですから。当面は、手探り状態でやるしかありませんね」

「ともかく、お任せするしかないわね」

 瑞樹は滝野二尉と共に、機体各所の点検を行った。

 ベローナは、決して優美な機体ではなかった。胴体は無様と言えるくらい太い。その胴体前部から左右ふたつずつ張り出した四つの巨大なエアインテークは、そのまま後部まで同じ高さと幅を保ったまま続いており、それだけでかなりの揚力を生み出す内翼部を形成している。そこから張り出すクリップド・デルタ翼は、薄くかつ後退角がきつい。水平尾翼はなく、二枚の大きな垂直尾翼は外側に傾いている。

 胴体前部の左右、やや下面寄りに、自衛用AAMを二発ずつ収めるウェポンベイ。その後方、機体下面に左右に離れて27ミリ機関砲の砲口が覗いている。内翼部インテイク後方に左右一ヶ所、そのさらに後方外翼寄りに左右一ヶ所、パイロンが取り付けてある。容量はいずれも3000ポンドだ。胴体中央部には汎用ウェポンベイがある。

 瑞樹はラダーを登るとコックピットを覗き込んだ。内部は、シミュレーターとほとんど変わらない。射出座席はズベズダのK−36の最新型だった。


 エプロンに引き出された機体に、瑞樹は乗り込んだ。

 滝野二尉の合図を受け、起動手順にかかる。準備よし。

 瑞樹の手信号を受けて、滝野二尉が周囲をチェックした。レッドゾーンに障害なしを確認すると、起動よしの合図を送る。

「コントロール。こちらフレイル4。起動する」

 瑞樹はひとつ深呼吸すると、スロットルがアイドルにあることを確かめて、サイドコンソールの起動用ボタンを押し込んだ。

 即座に、NTが反応した。機体が、わずかに振動する。エンジン計器は、驚くほど少ない。

 不思議な気持ちだった。座っている瑞樹の後方数メートルでは、この機体をマッハ4+まで加速できるほどのエネルギーを即座に生み出せるNTが息づいているのに、ベローナはこうしてエプロンに座り込んだままなのである。瑞樹はエンジン関連の計器を注視した。回転計や燃料流入計はないが、代わりに流入空気量やNTの温度、NTの作動状態をグラフィックで示す液晶ディスプレイなどがある。

 五分後、瑞樹はNTを停止させた。ベローナはいったんハンガーに戻され、点検を受けた。異常がないことを確認してから、再度エプロンに戻される。

 いよいよ飛行だ。

 先程と同様に、起動する。支障はない。瑞樹は遠くで見守る滝野二尉ら整備班に手を振ると、通信回線を開いた。

「タワー、こちらフレイル4。現在メイス・ベース。離陸許可を求める」

 メイス・ベースに独自の滑走路はないので、新田原基地のものを共用している。飛行場管制は、新田原のものである。NT航空兵器はVTO(垂直離陸)できるが、瑞樹らはまだその訓練を受けていないので、CTO(通常離陸)するしかない。

「フレイル4、スタンバイ。現在、フレイル1が離陸準備中」

 新田原の管制が告げる。

 フレイル1、つまりサンディが乗るゾリアが、離陸するところだった。小柄な‥‥といってもF−2と同じくらいあるのだが‥‥機体が、急角度で上昇してゆく。

 タワーの許可を得て、瑞樹も新田原基地の誘導路へと入った。離陸滑走許可を貰い、スロットルをやや開いて、滑走を開始する。

 機体が浮く。サイドスティックを引く。

 離陸。

 操縦感覚は、シミュレーターと寸分違わなかった。有視界飛行で、リマ訓練空域‥‥日向灘上空へと向かう。

 すでに訓練空域には、サンディの操るゾリアとダリルの操るネメシスの姿があった。ゾリアがリードする形で、緩く編隊を組んでいる。瑞樹は後を追い、編隊に合流した。ほどなく、スーリィの操縦するヴァジェットもやってきて、編隊に加わった。

 四機はサンディのリードで緩いフィンガーチップ編隊を組み、しばらく飛び続けた。初日ということで激しい機動は禁じられているが、訓練空域は独占使用状態なので、空域を逸脱しない限り自由な飛行を許されている。四機とも違う機種であるのに、編隊を組むのは恐ろしくたやすかった。

 サンディのゾリアが、翼を振った。編隊を解く合図だ。スーリィのヴァジェットから順に、緩やかに編隊から離れる。瑞樹も単独飛行に戻った。とにかくベローナに慣れる。それが、当面の目標だった。


「初日の首尾は?」

 アークライト中将が、尋ねる。

「シミュレーター訓練のおかげで、実機への移行はほぼ完璧にうまく行きました。明日はもう少し高度な機動に挑戦させますが‥‥操縦に関しては、まず問題ないでしょう。むしろ、次のステップであるVTOLモードへの順応がうまく行くかどうかが気がかりです。全員、VTOLにもヘリコプターにも縁がありませんから」

 フロスト教授が、答えた。

「コルシュノワ中佐はどうですかな?」

「‥‥正直、驚きました。シミュレーターで試した限りでは、どの機種も乗りこなせそうです。腕前も、ミズ・ローガンに匹敵します。ただし‥‥」

「ただし?」

「本人と話し合ってみましたが、無理にいずれかの機体に合わせて訓練するより、むしろどの機体でも乗りこなせるバックアップ要員を希望しているようです」

「‥‥戦闘意欲に欠けているのかね?」

「そうではないでしょう。実際、NAWCで戦果も上げていますから。むしろ、機材が足りていない以上先行する四人と張り合うつもりがないのでしょうね。わたしの構想としても、万能型の予備パイロットがひとり欲しかったところですから、ちょうどいいかと」

 フロスト教授が、言う。アークライトはうなずいた。

「そこは任せましょう。引き続き、訓練を進めてください」

「承知しました」

 フロスト教授が司令執務室を出ると、入れ違うようにアークライトの副官、ジャミール・チョープラー大尉が入ってきた。褐色の肌と鼻の下に蓄えたブラシのような黒い髭という、典型的な南部系インド人の青年である。

「司令、お茶でもいかがですか?」

「ああ、貰おうか」

 チョープラーが引っ込む。数分で戻ってきた大尉の手には、ステンレスの盆があった。上に載るのは、受け皿付きのティーカップと、陶器の小さなポットだ。

 チョープラーが、ティーカップに紅茶を注ぎ入れる。

「ん、ありがとう」

 受け皿ごと差し出されたティーカップを受け取ったアークライトは、ひと口すすった。ありふれたアッサムのブレンドだが、チョープラー大尉が淹れるとなぜかおいしい。

 元来アークライトはコーヒー党であった。しかし、メイス・ベースを任されるに当たってUNUFHQから副官として宛がわれたチョープラー大尉の影響で、すっかり紅茶好きになってしまった。もっとも、ミルクと砂糖は何度勧められても一度も入れたことはないが。


「こちらフレイル4。加速する」

 瑞樹はスロットルをストッパーに当たるまで押し込んだ。

 即座に、ベローナが加速を開始した。マッハ計があっさりと2を超える。

 NT兵器のスロットルには、プラスチックのストッパーが取り付けられていた。ベローナは理論上、全力噴射を行えばマッハ4以上の速度が出せる。だがそれでは、機体が摩擦による熱膨張‥‥いわゆる熱の壁に耐え切れない。そこでストッパーが設けられ、全力噴射が行えないようになっている。

 ほどなく、マッハ計が2.8に達した。この状態でも、NTはそのエネルギーの一部を単なる余剰熱排出に使用しているのである。空恐ろしいほどの、エネルギーだ。

 きっちり五分間その速度を保ったのち、瑞樹は減速に掛かった。計器、機体共に異常は見られない。

 ‥‥燃料計を気にしないでいいというのも、なんだか怖いな‥‥。

 緩く旋回しながら、瑞樹はふとそう思った。F−2Aで数分間フル・アフターバーナーなど使ったら、燃料は激減してしまう。基地から遠い訓練空域だったら、帰れるかどうか怪しいものだ。ベローナならもちろん燃料の心配はないが、この機体に慣れてしまってから通常の航空機に乗ったら、燃料計のチェックを怠り、気付いた時にはタンクが空っぽ、などというドジを踏みかねない。

 減速を終了した瑞樹は、緩やかな旋回で針路を変えると、高度を落とし始めた。今日のテストは、これで終わりである。あとは、メイス・ベースに着陸して機体を整備に引き渡すだけだ。

 フレイル・スコードロンの四機は、順調に飛行テストを消化していた。アリサもすでに実機への搭乗任務をこなしている。腕前は、かなりのものである。

 ‥‥六人目の娘、遅いな。

 操縦を続けながら、瑞樹はそんなことを考えていた。

 多国籍の飛行隊ながら、フレイルのチームワークは良かった。スーリィはおだやかな性格のいい娘だし、サンディも寝る前に必ず聖書を開くほどの善人である。ダリルも、口は悪いしややがさつだが根はいい娘だ。アリサも、プライベートでは瑞樹ら「仲良し四人組」からは一線を画しているものの、充分にコミュニケーションは取れている。

 ‥‥六人目の娘とも仲良くなれるといいな。

 そう願いつつ、瑞樹は高度を緩やかに落としていった。






「明日、六人目‥‥つまり最後のパイロットが赴任します。ホ・ミギョン中尉。韓国空軍です」

 訓練終了時に、フロスト教授が告げる。

「ずいぶん遅いねぇ」

 ダリルが、言う。フロスト教授が、肩をすくめた。

「実は‥‥NASCで戦っていたオーストラリア空軍の大尉が内定していたのですが、戦死してしまったのです。再選定で数名の候補者の名が上がりましたが、その中でもっとも優秀と認められたパイロットのうち二名が韓国空軍所属だったので、韓国側にどちらかを出向させるように要請したのですが‥‥いわば国内選考が難航したようです」

「まあ、腕が良ければ誰でもいいわ」

 そう言ったスーリィに、ダリルが噛み付く。

「あんたはいいよあんたは。本気で上手いんだから。あたしは自分のネメシス守るんで精一杯だよ」

「まあまあ」

 瑞樹はダリルをなだめた。‥‥その気持ちは、よく判る。

 実のところ、はっきりとアリサよりも腕が上と言えるのは、スーリィだけだった。残る三人は、アリサと同程度か‥‥厳しく見ればやや劣る腕前である。アリサがその気になれば、誰かが予備パイロットにまわされてしまうだろう。

 ‥‥そうならないためにも、瑞樹はベローナを究めようとしているのだが。


「ホ・ミギョン中尉。ROKAF」

 六人目のパイロットの挨拶はそっけなかった。

 上背は瑞樹よりも5センチほど高い程度だ。やや長めのショートボブの前髪は、眉の上できれいに切り揃えられている。色白の丸顔で、濃い茶色の眼はわずかだが目尻が上がっており、きつい印象を与える。全体として、ややボーイッシュな感じもする。

「なんか‥‥見るからにエリートパイロットっぽいわね」

 ミギョンが消えると、サンディがぼそりと言った。

「やばいよあの眼は。睨まれただけで負けそう」

 ダリルがソファの上で悶える。

「見た感じ、若そうね。東洋人の年齢は、よく判らないけど」

 ちょっと離れたコーヒーテーブルに座るアリサが、言った。

「そうね。二十四、五というところかしら」

 瑞樹はそう言った。

「とにかく、これで六人揃ったわけよね」

 スーリィが、にやにやしながら腕を組む。

「六分の四か。面白くなってきたわ」

「どこが面白いのよ、どこが!」

 ダリルが、激しい語調で突っ込む。


 人数が増えたために、訓練は基本的に二手に分かれて行われるようになった。主にVTOLモードを訓練するシミュレーター組と、戦技訓練を行う実機組である。午前と午後は組が入れ替わりとなり、翌日はまた新たに組み合わせが変わる。ミギョンはシミュレーター組に加わり、別メニューで基礎的な訓練を行っている。

 今日の午前の訓練では、瑞樹は実機組だった。ネメシスに乗るダリルと、ゾリアに乗るアリサと共に、訓練空域に進出する。操縦するのは、もちろんベローナだ。

 アリサの技量は、すでに先行する四人と遜色のないほどにまで向上していた。

「フレイル1から3、4へ。訓練を開始する。3、位置に着け」

 そのアリサが呼びかけてくる。いつの間にか、ゾリアに乗る者がフレイル1としてリードを執るという習慣が根付いていた。ヴァジェットがフレイル2、ネメシスが3、ベローナが4と呼ばれるというルールも、定着している。

「3」

 ダリルが短く答え、ネメシスが滑らかに編隊から離れる。ベローナを護衛するゾリア、それを襲うネメシス、というのが、最初の訓練のシナリオである。

「こちら3、位置に着いた」

 ほどなく、ダリルから通信が入った。この位置は、ダリルが任意に選んだもので、高度、距離、方位すべて自由である。極端な話、瑞樹らの直上方に占位してもOKだ。

「こちらフレイル1。開始」

 アリサが告げた。

 瑞樹は即座にスタンバイだったレーダーをオンにした。ゾリアが編隊を解き、周囲を捜索にかかる。

 ベローナのレーダーにネメシスのプリップは表示されなかった。RWRにも、反応はない。ダリルのことだから、おそらくコールド・ノーズ(レーダー未使用)のまま接近し、こちらの不意を衝いて来るだろう。

 通常の戦闘機ならば、上方か前方から攻撃してくるのが常道である。後方から中射程AAMを放てば射程が短くなるし、下方に位置すれば運動エネルギー的に不利となる。だが、加速力に優れたNT兵器ならば話は別だ。海面すれすれを低速で飛行していたとしても、わずかな時間で高度と速度を稼ぎつつ攻撃態勢に移行することができる。

「8オクロック、ロウ!」

 アリサの声。

 瑞樹はとっさにサイドスティックを倒し、左にねじりこみながら機首を下げた。

 いた。

 ネメシスが、低空から急上昇しつつあった。ベローナのRWRが反応する。

 と、ネメシスが急に背面に入った。そのまま降下して行く。

 ゾリアが瑞樹の視界に飛び込んできた。ネメシスを追って、降下する。

「1、援護する」

 瑞樹は機体を立て直すと、機首を逃げるネメシスの方へ向けた。レーダーが、ネメシスを捉える。

 ネメシスが、ゾリアを振り切ろうと機首を上げ、急減速した。普通の戦闘機ならば自殺行為だが、NT兵器ならではの裏技だ。一瞬対応の遅れたゾリアが、オーバーシュートしてしまう。

 機首をぱたんと倒したネメシスが、再加速を開始した。ゾリアが、機を横へ滑らせて逃げる。

 その頃には、加速した瑞樹のベローナが、ネメシスの後方に張り付いていた。距離は3nm以下だ。

 レーダーは、ネメシスをしっかりと捉えている。

「FOX3!」

 瑞樹はコールした。もちろん、模擬発射である。

 ネメシスが、猛然と急上昇を開始した。常識を超える加速で、ぐんぐんと高度を上げる。さしものスイフトAAMも、これでは追いつけないだろう。

 しかし、態勢を立て直したゾリアが、これを追っていた。腹を見せて上昇するネメシスに、アリサがFOX3をコールする。

 ネメシスがさらに機体をひねる。上昇に転じた瑞樹も、ふたたびFOX3をコールした。

「中止! 3は撃墜された」

 諦めたダリルが、降参した。

「2対1じゃ勝てっこないって」

 機体を水平に戻したダリルが、文句を垂れる。

「勝つのが目的じゃないでしょ」

 ゾリアをネメシスのそばに寄せながら、アリサが指摘する。

「まあね。でも、やる以上勝ちたいじゃんか」

 不満げに、ダリル。

 瑞樹もベローナを水平に戻し、ネメシスの右後方につけた。これだけ機動しても残燃料を気遣わなくてもいいというのはありがたい。

「フレイル1より各機。もう一度同様の訓練を行う。3、位置に着け」

「3、了解」

 いやそうにダリルが答え、ネメシスがすっと離れてゆく。


 シャワーを浴びてから、昼食。

 朝食をしっかりと食べるタイプなので、瑞樹の昼食はいつも軽めだ。たいてい日替わりの麺類、たまにサンドイッチのこともある。今日の日替わり麺は瑞樹の苦手な椎茸がたっぷり入った煮込みうどんだったので敬遠し、野菜卵サンドとハムサンドを取った。飲み物は、オレンジジュースのパックを選んだ。

 いつものメンバー‥‥ダリル、サンディ、スーリィの三人は、すでにいつもの場所に座っていた。アリサも、いつもの隅の席にひとりで座り、お気に入りの乳酸菌飲料をちうちうと吸っている。

「あら、珍しい」

 トレイを置きながら、瑞樹は言った。ダリルが、白いご飯を食べていたからだ。といっても和食と言える内容ではなく、おかずはコロッケと白身魚のフライ、ベイクトビーンズ、中華風の卵スープといったところだ。スーリィは相変わらず中華風メニュー。サンディは、瑞樹と同様サンドイッチだ。飲み物は、紅茶。

「ミギョンはまだ?」

 ジュースパックにストローを刺しながら、瑞樹は尋ねた。

「まだ来てないよ」

 箸で大豆と格闘しながら、ダリルが答えた。スーリィの特訓のおかげで、そこそこ使えるようになったが、まだ小さいものを摘むのは苦手なようだ。

 食事くらいミギョンと一緒に食べようと思い、瑞樹たちは彼女を誘うタイミングを計っていた。しかし昨日の夕食時にはミギョンは食堂に現れず、朝食の時は警備隊のアン少佐と差し向かいで食べていたので、声を掛けそびれてしまったのだ。

「来た来た‥‥けど、またお連れ様がいるわよ」

 声を潜めて、サンディ。

 瑞樹はそっと振り返った。トレイを手にしたミギョンが、笑顔で隣にいる女性と喋りながら、料理を選んでいる。

「連れは、誰?」

「業務隊兵站部の少尉ね。名前は‥‥パク・ヘヨンだかヒヨンだか、そんな感じだった」

 なにかと事情通のスーリィが、教えてくれる。

「‥‥同国人でつるむのがお好きのようね」

 サンディが、そう言ってサンドイッチをかじる。

「なんかよそよそしいわね、あの娘。英語が苦手なようにも見えないし」

 スーリィが、首をかしげる。

「そうよね。発音なんか、瑞樹よりずっときれいだし」

 サンディが言う。

「‥‥はは。ごめんね、下手で」

 瑞樹は頬を掻いた。

「まあ、連れがいるのなら誘っても意味ないね」

 慎重にウスターソースの瓶を傾けてコロッケに精密爆撃を敢行しつつ、ダリルが言う。


 懸念されていたVTOLモードでの飛行および離着陸も、瑞樹らは着実にこなした。

 離陸は拍子抜けするほど簡単だった。VTOモードにセットし、スロットルを慎重に開いてゆけば、機体は自然に上昇してゆく。前進への遷移も、充分に高度がある状態で行えば問題なかった。なにしろ機体のパワーは有り余っている。たとえバランスを崩して急降下したり、遷移に失敗して失速したりしても、姿勢を回復しさえすれば墜落することはない。やろうと思えば、NT兵器は背面でホバリングすることさえ可能なのだ。

 難しいと思われたVLも、姿勢制御は機載コンピューターに任せて、レーザー高度計を睨みながらスロットルを絞っていけばよかった。シミュレーターで三十回ほど、実機で数回離着陸を繰り返した後は、CTOLが面倒くさいと思えるほど、瑞樹たちはVTOLに馴染んだ。

 遅れていたミギョンの訓練も順調で、早くもVTOLモードでのシミュレーター訓練に入ろうとしていた。


 訓練は、より実戦に近いものとなった。

 シミュレーター訓練では、CGのファイアドッグやフラットフィッシュが現れるようになった。その運動性や機動の仕方は、実際の戦場で得られたデータを元にしたリアルなものだ。瑞樹らはその架空の敵を架空のミサイルで攻撃した。

 瑞樹は特に対地攻撃訓練を多くこなした。やはり、ベローナは基本的には攻撃機である。スコーピオンやフォコンを抱いて侵攻し、対地目標を叩くことが主任務だ。ファイアドッグの相手は、ヴァジェットやネメシスに任せればよい。

 やがて、シミュレーター訓練は二人一組で行われるようになった。仮想空間を共用し、二機がエレメントとなり協同してミッションを行うのだ。瑞樹はダリルの操るネメシスやスーリィの操るヴァジェット、あるいはサンディやアリサの操縦するゾリアに護衛されて飛び、各種のターゲットに対地ミサイルを叩き込み、そして時には協力してファイアドッグと戦った。

 兵装搭載訓練も行われた。通常は模擬弾、数回に一回は実弾を使い、整備隊火器班の面々が機体にミサイルを搭載し、機関砲弾を装填する。

 模擬弾を搭載しての飛行。実弾を搭載しての飛行。緊急発進の訓練。六名の女性は、着実に訓練をこなしていった。


「本日の実機組は、実弾射撃訓練を行います」

 厳かに、フロスト教授が告げる。

 あまりカピィとの戦いには役立ちそうにないが、各機には航空機関砲が搭載されている。ゾリア、ヴァジェット、ネメシスには各1門、ベローナには2門。いずれもBK27‥‥リボルビングブリーチ方式の27ミリ機関砲である。まあ、ミサイルを撃ちつくして丸腰になるより、気休めでも武装していた方がいいのは確かだが。

 訓練のやり方は、レシプロ戦闘機の時代からさして変わらぬ伝統的方法‥‥バンナーターゲットに対する射撃だった。曳航機が引っ張る吹流しを目掛け、射撃するのである。

「賭けよう!」

 搭乗前に、唐突にダリルが言い出す。今日の訓練組み合わせは、ダリル、瑞樹、それにスーリィだった。

「やだ。負けるもん」

 瑞樹は拒否した。F−2時代は射撃は得意だったが、ダリルに敵うとは思えない。

「乗った」

 スーリィが、応じる。

「よし、五十ユーロだ」

「結構」

 ダリルとスーリィが、がっちりと握手を交わす。


「で、どっちが勝ったの‥‥て、見れば判るか」

 いつもの昼食のテーブルで、サンディ。

 澄ました顔で箸を使っているスーリィの隣で、青い顔のダリルがもそもそとホットドッグをかじっている。

「‥‥落ち込んでいるところ悪いんだけど」

 フォークを置いたサンディが、改まった口調でダリルに話しかける。

「なに?」

「ミギョンがね、どうやら、ネメシスを狙ってるみたいなの」

「んぐ」

 ダリルが、妙な驚きの声を漏らす。

「ヴァジェットに乗りたがってたんじゃないの?」

 瑞樹は訊いた。シミュレーターでも、実機でも、ヴァジェットに乗った回数が一番多かったはずだ。

「それがどうも、スーリィは越せないと気づいたみたいね」

 サンディが、肩をすくめた。

「ゾリアに乗り換えようとすれば、わたしとアリサという二人のライバルを蹴落とさねばならない。CAS(近接航空支援)は得意かもしれないけれど洋上攻撃の訓練などほとんど受けていないはずだから、瑞樹ががっちりとくわえ込んでいるベローナに乗り換えるのも無理がある。というわけで、ネメシスにターゲットを絞ったみたいなの。今日の訓練では、すべての持ち時間をネメシスに費やしてたわ」

「‥‥負けない」

 ダリルが顔を上げた。ホットドッグを握ったままの右手が、ぎゅっと握り拳をつくる。パンからはみ出したケチャップとマスタードが飛び散り、スーリィが眉をひそめた。

「ネメシスはあたしのなんだからね!」


 太平洋上を、三機のNT兵器が駆けて行く。サンディのゾリア、ミギョンのネメシス、そして、瑞樹のベローナ。

 今日の実機訓練は、長距離進出と対地攻撃。模擬弾を搭載してメイス・ベースを離陸し、太平洋上を東進、その後北上、青森の天ヶ森射爆場でミサイル発射をシミュレートし、その後帰投、という手順だ。往復4000kmを超える遠出である。F−2なら二回は空中給油が必要な距離だ。だが、NT兵器なら空中給油なし。その上、洋上でマッハ2まで出す許可を得たから、射爆場まで一時間ちょっとで到着する。

 射爆場上空で、一機ずつ降下してミサイルを模擬発射する。他の二機は、そのあいだ上空で援護態勢だ。

「‥‥ミギョン、上手くなったわねえ」

 サンディのつぶやきが、ラジオから聞こえる。編隊内交話に使われる低出力チャンネルだから、無駄話をしても平気である。

「確かに」

 瑞樹は同意した。

 フォコン発射をシミュレートし終えたネメシスが、洋上に出て、次の発射に備えて左旋回する。

「ACMの能力は、おそらくダリルと互角だろうけど、対地攻撃はミギョンの方が上手いわね」

 サンディが、断定する。

「‥‥ん〜。そうかもね」

 積極的に同意するわけにもいかず、瑞樹は言葉を濁した。

各機四回ずつ模擬発射を終えると、三機は編隊を組み直して帰途に着いた。


「唐突ですが、わたしの担当する訓練は、今日で最後です」

 フロスト教授が、言った。

 六人全員が、当惑の表情を浮かべる。

「わたしはプロジェクト・ラムダの研究員に過ぎません。NT兵器に関しては知り尽くしていると自負していますが、実際の戦闘や戦術に関しては素人です。あなた方はもうNT兵器の扱いは十二分に習得された。わたしが教えられることは、もうありません。あとは、アークライト中将と共に、戦闘チームとしての技量を上げていってください」

 微笑みながら、フロスト。

「‥‥お別れですか?」

 悲しげな表情で、ダリルが問う。

「いえいえ。当面ランス・ベースへと引き上げますが、連絡員の肩書きはそのままですから、今後何度もメイス・ベースを訪れることになります。あなた方がランス・ベースにいらっしゃることもあるでしょう。いずれにせよ、わたしは量産型の開発に戻らねばなりません。あなた方は、そのために役立つデータを収集し続けてください。いつになるかお約束はできませんが、必ず現行のNT兵器を超える性能の量産型を作り上げて、みなさんのところへお届けします」

 フロストが言葉を切った。

「お世話になりました、教授」

 スーリィが、ぺこりと頭を下げた。残る五人が、相次いでそれに倣う。


「ご苦労様でした、教授」

 アークライトが、フロストを労った。

「できる限りのことはしたつもりです。あの娘たちをよろしくお願いします」

 フロストが、言った。

「任せてください、と言いたいところですが‥‥匙加減が難しいですな」

 アークライトが、皮肉めいた笑みを見せる。

「フレイル・スコードロンを大事に扱えば、量産型開発に必要なデータが得られない。データ取得を重視して無理をさせれば、戦死者を出しかねない」

「言うまでもないとは思いますが、人間というのは極めて優れたデータ収集および記録システムですぞ」

 フロストが、指摘する。

「判っていますよ、教授。あの娘たちを死なせるようなことは、しません」

 アークライトは確約した。


 六人全員が、ブリーフィングルームに集められる。

「君たちの初期訓練は終了した」

 アークライト中将が、言う。

「これ以後、フレイル・スコードロンは本格的な実戦部隊へと移行する。すでに、ランス・ベースにはIOC(初期作戦能力)を獲得したとの報告を上げておいた。近日中に、NAWCへの派遣命令が下るはずだ。その前に‥‥」

 言葉を切ったアークライトが、一枚の紙を手にする。

「君たちの搭乗機種を選定しなければならない。一応これまで乗ってきた機種を尊重し、総合的に判断した結果である。‥‥フレイル1、ゾリアはローガン中尉。予備パイロットにコルシュノワ中佐」

 瑞樹は視線を同僚に走らせた。サンディの相変わらずきれいな横顔はぴくりともしない。アリサは、わずかに微笑を浮かべている。

「フレイル2、ヴァジェットはシァ大尉。予備パイロットにシェルトン少佐」

 スーリィの表情も変わらない。ダリルが、わずかに顔をゆがめる。

「フレイル3、ネメシスにホ中尉。予備パイロットにシェルトン少佐」

 ミギョンが浮かべた表情は複雑だった。なぜか悲しげな面差しだ。一方のダリルは、傍目にもそれとわかるほどへこんでいる。

「フレイル4、ベローナにサワモト大尉。予備パイロットにコルシュノワ中佐」

 瑞樹は呑んでいた息をゆっくりと吐き出した。選ばれる自信はあったものの、キャリアはアリサのほうが上である。やはり安堵感は大きかった。

「以上の決定はあくまで仮のものである。以後の訓練結果、あるいは実戦での様相如何で、パイロットの交代や機種変更もありえる事を強調しておきたい。わたしからは以上だ。では、今後の訓練スケジュールについて、矢野准将から説明してもらおう‥‥」


「‥‥どうする?」

 コーヒーテーブルに突っ伏しているダリルを見やりながら、瑞樹は訊いた。

「と言われてもねえ」

 サンディが、肩をすくめる。

「放置でいいんじゃないの?」

 スーリィが、言う。

 予想された結果とは言え‥‥予備パイロットにまわされたダリルの落ち込みぶりは激しかった。夕食は数口食べただけ。ろくに口もきかないまま、こうしてリビングでじっと身動きしない。こんなに大人しいダリルは初めて見る。対するミギョンは、いつも通り友人と食事して、さっさと自室に引き上げてしまった。

「ミギョンが、凄い上達振りだったからねぇ」

 考え深げに、サンディ。

 元々、ネメシスの扱いはダリルのほうが上だったし、その他の機種の操縦もダリルのほうが上回っていた。遅れて訓練に参加したミギョンは、中盤から使用機種をネメシス一本に絞り、めきめき腕前を上げていったのだ。おそらく、他の三機種を扱わせればダリルの方がはるかに上手だろう。だが、ネメシスに限っては、ミギョンのほうが今は上手だ。

「ねえ、あなたは予備パイロットでいいわけ?」

 スーリィが、例によって隅の方で乳酸菌飲料をちうちうと吸っているアリサに声を掛ける。

「まあ、瑞樹やミギョンみたいにどれか一機種に絞れば、自分の機体が持てたかもしれないけどね」

 あいかわらずの微笑を浮かべながら、アリサ。

「でも、この部隊の構成を考えると、ひとりくらい何でも屋のバックアップ要員がいるべきよ。わたしは、その役を買って出ただけ」

「はぁ。オトナの意見ね」

 瑞樹は頬を掻いた。腕の悪いパイロットがそんなことを言ったなら、負け惜しみにしか聞こえないだろうが、アリサの腕の良さは全員が承知している。

「で、この人をどうしたらいいと思う?」

 スーリィが、ダリルを指差す。

 アリサが、ゆらりと立ち上がった。ダリルに近づき、その後頭部を眺めながらストローを吸う。

「ひらめいた」

 アリサが言って、瑞樹らのほうを向いた。

「ミギョンと勝負すればいいじゃない」

「勝負?」

「そう、勝負」

 アリサが、こくんとうなずく。

「ネメシス同士、シミュレーターで勝負するのよ。司令の許可を得てね。ダリルが勝てばそのデータを元に、ネメシスの正規乗員について再検討してもらう。負ければ、ダリルも納得するでしょう。わたしたちは‥‥面白いものを見ることができる。いいこと尽くめよ」

「あなた、ただ単にふたりの対決を見たいだけじゃないの?」

 サンディが、突っ込む。

「否定はできないわね」

 笑みで応じるアリサ。

「でも、ダリルとミギョンが納得するかなあ」

 瑞樹は疑問を呈した。

「やる!」

 いきなり、ダリルが復活した。勢い良く立ち上がり、言い放つ。

「ミギョンと勝負する! それで負けたら、それこそ実力差よ。仕方ないわ!」

 ダリルがコーヒーテーブルに片足を掛けて、右腕を突き上げる。

「‥‥中指立てるな」

 諦め顔で、サンディが突っ込む。

 はあ、とスーリィがため息をつく。

「そうは言っても、まだミギョンとアークライト将軍に話つけなきゃならないじゃない」

「ミギョンは乗るわよ。絶対」

 アリサが断言した。

「司令の方も‥‥わたしに任せなさい」

 そう言って、アリサがおどけたように敬礼した。


「では、こちらのマークで、訓練を開始します。スタンバイ」

 ブームマイクに、山名軍曹が告げた。

 アリサがどんな手を使ったのかは知らないが、アークライト中将の許可はあっさりと下りた。ミギョンも、実に簡単にダリルとの勝負を承諾した。

 すでに、シミュレーター1にミギョン、2にダリルが乗り込み、飛行中だ。シナリオは同高度、同速度、50nmの距離をおいてのヘッドオン状態から開始される。機体はもちろん両方ともネメシス。武装は、双方の戦術に応じて自由。事前に相手の兵装を知ることはできない。もっとも、常識的に考えればスイフトを積めるだけ積んでいくだろうが。

 シミュレーションルームは、見学者でいっぱいだった。アークライト中将はいなかったが、矢野准将はコンソールのひとつに座り、熱心にディスプレイを見つめている。瑞樹ら四人は、当事者と言うことで見学席の最前列を与えられていた。

「距離51」

 山名軍曹の隣で、チャン軍曹が可愛い声でカウントする。

「1、2。スタンバイ。マーク!」

 山名の宣言で勝負‥‥建前上、訓練と呼称されている‥‥が開始された。

 先に動いたのは、ダリルだった。急降下を開始する。正攻法では、不利だと悟っているのか。

 対するミギョンは、直進したままレーダーをオンにした。

 主兵装のスイフトAAMの射程は、ヘッドオンで25nm‥‥約45km。いずれにせよ、距離を詰めなければ勝負にならない。

 ダリルの高度がぐんぐんと下がる。もう、対地高度は500フィートを切った。グラウンドクラッターに紛れようというのか。

 ミギョンも高度を落としたが、それでも5000フィート程度を保っている。相変わらずの直進だ。まるで、ダリルを誘っているかのようだ。

 相対距離が、25nmを切る。ダリルの機がさらに高度を落とし、やや右へ針路を変えた。

 さらに距離が縮まる。ダリルの機は、ミギョンの左斜め下方に占位している。急上昇で、勝負を掛けるつもりか‥‥。

 不意に、ミギョンの機が動いた。左へほぼ90度旋回する。

「誘ってる」

 スーリィが、つぶやく。

 ダリルの位置と意図を承知の上で、わざと弱点を晒しているのか。

「耐えなさい、ダリル。まだ仕掛けちゃだめ」

 サンディが、助言する。むろん、ダリルには届かないが。

 ダリルはレーダーを切っているが、この距離ならばIRST(赤外線探索追尾装置)でミギョンの姿は捉えているはずだ。ここは最初に仕掛けるチャンスと見るのか、それとも慎重に様子を見るのか。

 ダリルは耐えた。超低空を保ったまま、ミギョンの真下に潜り込もうとする。

 いきなり、ミギョンが仕掛けた。機体を裏返してダイブする。

 ダリルの反応も早かった。機首を持ち上げ、レーダーオン。

 ダリルの機をレーダーに捉えたミギョンが、そちらへ機首を向けるのと、ダリルの機のレーダーがミギョンを捉えたのは、ほぼ同時だった。相対距離は、5nmもない。

 AAM発射は、ミギョンの方が早かった。一度に八発‥‥ハードポイントに装着したスイフトのすべて‥‥を放つ。ダリルは最初に一発、続いて二発のスイフトを発射した。

 ミギョンが逃げる。機首を水平に戻し、速度を上げる。

 ダリルも逃げた。ループを打ちながら針路を変え、低空に舞い戻る。

 八発のスイフトが、ダリルのネメシスに追いすがった。チャフが連続射出されるが、一発も惑わされない。ダリルが無茶な機動でスイフトから逃れようとする。二発が外れたが、三発目が右主翼に激突した。

 見学者がどよめく。

 ダリルが射出を宣言した。だが、その前に四発目と五発目が命中する。

「即死ね」

 アリサが言って、にやりと微笑む。

 一方のミギョンも、危機に陥っていた。一発目のスイフトは躱したものの、二発目が尾部を直撃する。

「1、射出確認」

 チャン軍曹が告げた直後、ミギョンのネメシスに三発目のスイフトが命中した。


「まあ、公平に見れば引き分けだったけどね」

 アリサが、そう評す。

「いーや、あれはあたしの負け」

 すっきりとした表情で、ダリルが力説する。

「死んだしね」

 ぼそりと、サンディが突っ込む。

「でも、あのパフォーマンスは何だったの?」

 瑞樹は訊いた。

 決着が‥‥両者相打ちという曖昧なものであったが‥‥ついたあと、シミュレーターから出てきた二人。すたすたとミギョンに歩み寄ったダリルは、自分の負けを認めたのち、大勢の見学者が見守る中で、いきなりミギョンをひしと抱きしめたのである。

「ミギョン。困ってたっけ」

 頬を掻きつつ、瑞樹。ミギョンは突然のことに抵抗できず、色白の顔を朱に染めて硬直していた。

「あれは‥‥ほら、実力者同士が死力を尽くした戦いのあとに芽生える友情の発露だ」

 澄ました顔で、ダリル。

「‥‥コミックスの読み過ぎ」

 サンディの突っ込み。

「格闘ゲームのやり過ぎかも」

 瑞樹も、おもわず小声で突っ込む。

「とにかく、ダリルは調子を取り戻したし、ミギョンも納得していたようだし‥‥あなたの作戦は大成功ね、アリサ。ありがとう」

 スーリィが、アリサに礼を言う。

「礼には及ばないわ。面白いもの、見せてもらったし」

 アリサが言って、くすくすと笑った。


第二話簡易用語集/グラスコックピット Glass Cockpit アナログ計器を極力廃し、ディスプレイに置き換えたコックピットのこと。/HARM High speed Anti-Radiation Missile アメリカ製のARM(対レーダーミサイル)/マルテ対艦ミサイル イタリア製の対艦ミサイル。土筆にフィンを付けたような形状。/フォコン・ミサイル Faucon missile 架空兵器。対装甲短射程中型ミサイル。フォコンはフランス語で隼の意味。/QF−4 F−4戦闘機を無人標的機に改造したもの。往年の名機の最後のご奉公である。/ASRAAM Advanced Short Range Air-to-Air Missile MBDA(後述)開発の短射程空対空ミサイル。/スイフト・ミサイル Swift missile 架空兵器。対装甲空対空ミサイル。スイフトは英語でアマツバメの意味。/AGM−65 アメリカ製の対地ミサイル。対戦車や対艦を含む各種のタイプがある。/MBDA イギリス、フランス、ドイツ、イタリアのミサイルメーカーが合併してできた欧州最大級の軍需メーカー。/アクティブレーダーホーミング Active Rader Homing ミサイル自体がレーダーを照射し、その反射を辿って目標に向かう誘導方法。/ACM Air Combat Maneuvering 空戦機動。いわゆる「空中戦」ではなく、もっと広い概念の、航空戦闘における機動全般を表す用語である。/ズベズダのK−36 ズベズダはロシアの射出座席メーカー。/レッドゾーン Red Zone 航空機の場合、エンジンを起動することによって異物吸入や、排気による人員や機材への損害が予想される範囲内のことを言う。通常、この中に異常がないことを確認してからエンジンスタートとなる。/ROKAF Republic of Korea Air Force 大韓民国空軍。/RWR Radar Warning Receiver レーダー警戒受信機。自機に向けられたレーダー波を受信し、警告を発する装置。/8オクロック、ロウ いわゆるクロック・コード。自機が巨大なアナログ時計の文字盤の中央にいると仮定し、文字盤に描かれた数字で方向を表現するやり方。3時ならば右、6時ならば真後ろとなる。8オクロックは「左やや後方」 航空機の場合、相手が自機よりも上にいれば「ハイ」 下ならば「ロウ」 同高度ならば「レベル」と付け加える。/オーバーシュート Overshoot ACMにおけるオーバーシュートは、追尾している機がなんらかの事情(たいていは被追尾機の機動だが)によって、被追尾機を追い越してしまうこと。/BK27 ドイツのマウザー(モーゼル)が開発した航空機関砲。口径27ミリ。トーネード、タイフーン、グリペンなどにも搭載されている。/リボルビングブリーチ Revolving Breech 薬室部分が回転する方式。この方式を使った機関砲がいわゆるリボルバーカノンである。/五十ユーロ 合衆国があの有様なので、基軸通貨はユーロになっているという設定。/IOC Initial Operation Capability 初期作戦能力。実戦に投入できるレベルの準備(錬度だけではなく運用面においても)が整った状態。これを獲得するといわゆる実戦配備となる。/ヘッドオン Head-on 航空機の場合、機首を向け合った状態。/グラウンドクラッター Ground Clutter 地表で反射されたレーダー波によるノイズ。

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