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19 Sichuan

「ハイ、レーカ」

 ダリルはレーカが差し出した主触腕をきゅっと握った。

「大丈夫? いじめられてない?」

「しつこく色々なことを訊かれましたが、別に不快なことはされませんでした」

 翻訳機を通じて、レーカが喋った。ちなみに、翻訳機以外の装備もすべてベルトに付けたままである。ダリルが外交官の所持品は不可侵であるべきだと主張したおかげである。

「明日、移動だって」

「どこへ行くのですか?」

「カムチャツカ。ペトロパブロフスク・カムチャツキーってとこ」

「聞いたことがありませんね」

「最大大陸の北東の半島部。その南側に、こんな形の大きな半島があるでしょ」

 ダリルは、自分の左手の指を揃え、指先を下にしてレーカに見せた。理由は定かではないが、カピィも地図は北を上にして描く。

「ああ、見たことがあります」

「そこにある小さな都市よ」

「市民代表とも会えるのですか?」

「‥‥それは、たぶん無理だと思う。ごめんね」


「‥‥しっかし、驚いたねえ」

 スーリィが、言う。

 四人の旧フレイル・パイロットはサンディの部屋に集まっていた。情報部に口止めされているので、食堂やリビングでダリルについて話すわけには行かない。もっとも、勘のいいヘザーやフィリーネは、ダリルの生存が確認されたことに気付いているようだ。まあ、アラスカから帰って以来、四人が常ににやついているのだから、予想はつくだろうが。

「簡単に死ぬ娘じゃないと思ってたけどね」

 サンディが、くすくすと笑う。

「奇跡が起きたわね。いまだに信じられないわ」

 こう言うのは、アリサ。

「いつになったら、帰ってこれるのかなぁ」

 瑞樹は訊いた。

「当分無理でしょうね。情報部が搾り取れるだけの情報を吐き出して‥‥。そう、三ヶ月くらいかなぁ」

 スーリィが、言う。

「しかし‥‥なんでカピィが釈放してくれたんだろう?」

 瑞樹は当然の疑問を口にした。

「スミス大佐が本当のことを言っているのなら、脱走してきたわけじゃないよね。捕虜交換かしら?」

 サンディが、言う。

「メッセンジャーかもしれないわね。人類はすみやかに降伏せよ、なんて手紙を持たされて釈放された可能性もありそうよ」

 アリサが、推測を述べる。

「いずれにしても、貴重な体験をしたはずよね」

 瑞樹は頬を掻いた。カピィ着陸船内部を見たり、カピィのお偉いさんと会ったりしたのだろうか。

「土産話を聞きたいけど‥‥無理だろうなぁ」

 ベッドに腰掛けたスーリィが、天井を仰いだ。

「‥‥閃いた」

 アリサが、ぽんと両手を叩いた。

「わたし、ダリルのエージェントになるわ」

「エージェント?」

 瑞樹は首をかしげた。

「そう。ダリルがカピィに捕まっていたあいだのことを書いて出版すれば、ベストセラー間違いないわよ。出版エージェントになれば、ひと財産作れるわ」

「じゃあわたしはアドバイザーとして一枚噛ましてもらうわ」

 すかさず、サンディが名乗りを挙げる。

「映画化の権利は、わたしがもらったわよ」

 瑞樹はそう宣言した。‥‥なんだか、みんなダリルがもうこの場にいるかのようなノリと雰囲気だ。

「あら。あなたは儲け話に興味がないの?」

 アリサが、スーリィを見る。

「うん。本なら自分で書くから。タイトルは「カピィが最も恐れた女」かな」

 くすくすと笑いながら、スーリィが言う。

「‥‥そっちの方が儲かりそうね」

 サンディが言って、破顔した。



「朗報だ。ランス・ベースでついに、量産型NT兵器がロールアウトし、試験飛行に成功した」

 整列したフレイル・メンバーを前に、矢野准将が告げた。

「何機ですか!」

 エルサが、身を乗り出す。矢野が、にやりとした。

「ファースト・ロットは八機だ。君の分もあるぞ」

「やった!」

 エルサが、素早く矢野に抱きついてから、すぐにもとの位置に戻った。

「‥‥士官にあるまじき行為だが、気持ちよかったから許すとしよう」

 矢野が、苦笑する。

「当基地への搬入は明後日となる。当日中に組み立て。翌日からテストだ。頼むぞ、諸君」



「新たな戦略方針を伝える。連絡艇を、この地点に対し使用する」

 オブラクが、ディスプレイに映る地図上の一点を主触腕で指した。

 ゴウラの情報通り、最大大陸の東部だった。南東部内陸にある、盆地だ。

 ティクバは訝った。たしかに人口密集地だし、兵器生産拠点でもあるが、どう考えても優先目標とは思えなかった。むしろ沿岸部や東部列島の工業地帯の方が、効果的だろうに。

 オブラク、ティクバ、サンの三体は、カリフォルニアに着陸した軍用船二号に集まっていた。‥‥オブラクが、他の二体を呼びつけた形である。

「戦略指導者、なぜ市民を攻撃するのですか?」

 サンが、訊いた。

「これは市民に対する攻撃ではない。本職が得た情報によれば、ここに人類の新兵器‥‥あの強力な航空兵器を生産する拠点があることが判明したのだ」

 オブラクが、歯をむき出した。

 ‥‥そうだったのか。

 ティクバは納得した。あの新兵器に関しては、オブラクも相当危険視しているようだ。

「しかし、そこに連絡艇を使用すれば、億単位の人類市民が死亡しますぞ。戦士として、それを看過するわけにはいきません」

 サンが、そう述べた。

「いや、これには市民船に対する報復の意味合いもあるのだ」

 オブラクが、抗弁する。

「十三万の報復に、一億を殺すのですか?」

 ティクバも口を挟んだ。オブラクが、副触腕を立てる。

「数の問題ではない。いずれにしろ、人類の新兵器は危険な存在だ。これを排除しない限り、我々の早期の勝利はありえない。たとえ多数の人類市民が犠牲になったとしても、戦争が短期間で終わればそれは結局人類市民の利益になるだろう」

 ‥‥詭弁だ。

 ティクバはそう思ったが、口には出さなかった。出したところで無意味である。ティクバとサンが組んで反対したとしても、戦略指導者には逆らえない。

 ‥‥レーカ。ダリル。期待しているぞ。

 ティクバは心中でつぶやいた。オブラクが暴走すれば、人類も必ず暴走するだろう。行き着くところは連絡艇と反応兵器のぶつけ合いだ。共倒れという未来しかありえない。



「やあみなさん。お久しぶりですね」

 ランス・ベースからNT兵器を運んできたAn−124の一機には、マーク・フロスト教授が便乗していた。

「約束通り、量産型を持ってきましたよ。さっそくですが、見てもらいましょうか」

 格納庫に引き込まれた八機には、すでに整備隊が取り付いて組立作業に入っている。

「量産型は、現在二機種です。まずは、制空タイプのドゥルガー。主翼が取り付けられていないので判りにくいですが、ヴァジェットの改良型なので、外見は前進翼でよく似ています。兵装も同じ。27ミリ機関砲一門、自衛用ASRAAM四発、スイフト用ハードポイント四基、パイロン四基。スイフトの最大搭載量は十発です。ただし、細部が改良されてより高機動となりました。無理やり数字で表せば、ACMの性能は1.2倍程度まで向上しています」

 フロストが、組み立て中の別の一機を指差す。

「もう一種類は、イシュタル。ネメシスとベローナの改良発展型です。外見はベローナに似ていますが、性格としてはネメシス型の戦闘攻撃機ですね。武装は27ミリ機関砲二門、自衛用にASRAAM四発。パイロンは二基に減らされ、スコーピオンなら二発、スイフトなら四発しか搭載できませんが、ウェポンベイが拡充されました。スコーピオン四発を搭載してなお、スイフト二発が積めます。スイフトだけなら、全部で十四発が搭載できます。機動性は、ネメシスと同等です」

「名称の女神シリーズは変わらないのですね」

 サンディが、微笑んだ。

「ええ。ウラル工場では、ゾリアをベースにした軽量型の製造が進んでいます。こちらは九月までには、完成するでしょう」


 翌日。

 明け方まで掛かって組み立てられた八機の新型NT兵器‥‥ドゥルガーとイシュタル各四機が、エプロンに勢揃いした。

「で、みなさんどちらの機を選ぶか、もう決められましたか?」

 フロスト教授が、訊く。

「ミズ・シァは当然ドゥルガーでしょうな」

「はい、教授」

 スーリィが、微笑む。

「ミズ・サワモトとミズ・シャハトはイシュタルですかな?」

「もちろんです!」

「イシュタルに乗りたいですわ」

「わたしは、ドゥルガーを選びます」

 サンディが、言う。

「あたしはイシュタルがいいね。ネメシス、気に入ってたし」

 ヘザーがそう言った。

「結構です。ミズ・コルシュノワとミズ・リンドマンはどうなさいますかな?」

「わたしは‥‥どちらでもいいわ」

 相変わらずの微笑を浮かべつつ、アリサが言う。

「あたし、ドゥルガーに乗りたいです」

 エルサが、勢い込んで言う。

「ねえ、みんな。あの娘はどっちに乗りたがると思う?」

 アリサが、訊く。

「あの娘? ダリルのこと?」

 エルサが、訊き返す。

「そう。まだ行方不明だけどね。死んだと決まったわけじゃないわ。せっかく一機余ってるんだから、奇跡が起こって帰ってきたときに、乗せてやりたいじゃないの」

 涼しい顔で、アリサが言う。瑞樹はこみ上がる笑いを抑えるのに苦労した。

「ネメシス乗りだったけど、気質は制空戦闘向きよね。やっぱり、ドゥルガーかなあ」

 サンディが、小首をかしげつつ言った。

「そう。じゃあ、わたしはとりあえずイシュタルに乗るわ。ドゥルガーはダリルのために残しておいてあげましょう」


「ということで。皆さん、よろしくね」

 瑞樹はにこやかに挨拶した。

 機付き長は、ベローナ時代と変わらず滝野中尉。整備班のメンバーも、ニュージーランド人の青年が加わったくらいで、ほとんど変わらない。

「で、どうかしら、この機体」

「整備内容はベローナとあまり変わりがないようですね。ただし、アヴィオニクスはまったくの別物ですから、慣れるまでは苦労させられるでしょう。幸い、補修部品は大量に送られてきましたから、ブラックボックスごと交換すれば当面は問題ありません。整備の立場から言うと、ベローナはまだ荒削りで扱いにくい面が多かったのですが、このイシュタルは細かいところまで良くできています。さすがは量産型ですね」

 滝野中尉が、にこやかに言う。

「そう。いろいろと苦労をかけると思うけど、頼むわね」

「任せてください。少佐」



 ペトロパブロフスク・カムチャツキー。

 カムチャツカ半島東岸南部、アバチャ湾の奥に位置するカムチャツカ州の州都である。人口は約20万。州人口の半数が、この都市に集中している。

 ロシア空軍のMiG−29編隊に護衛された‥‥もとい、護送されたAn−72が、エリゾヴォ空港に着陸する。

「なるほどね。ここならいいかも」

 ダリルは唸った。一応アメリカ海軍士官だから、この都市については知識がある。ロシア太平洋艦隊の基地のひとつであり、特に潜水艦基地としては重要だ。陸路で他の都市と繋がっていないので、空港と港さえ押さえてしまえば、人の出入りはできない。‥‥密かにカピィと交渉するには、打ってつけの都市である。

 フォークリフトが、An−72の後部ランプからコンテナを運び出した。中には、もちろんレーカが入っている。

 フォークリフトが、コンテナをGAZ・ウラルトラックに載せる。ダリルは、UNUF憲兵大尉に促されてUAZの四輪駆動車、ハンターに乗った。ロシア海軍歩兵第40独立沿岸防御旅団の兵士に守られて、一行は空港をあとにした。


 軍港に程近い海軍施設の一棟が、UNUFに貸与されていた。

 ダリルは憲兵大尉に案内され、一室へと入った。

「シェルトン中佐!」

 待ち受けていたのは、アークライト中将だった。

「司令。ご迷惑をお掛けしました」

 ダリルは笑顔で敬礼した。アークライトが歩み寄り、握手を求めた。

「よく無事でいてくれた。本当に」

「簡単には死にませんよ、あたしは」

 ダリルは笑った。

「すこし待っていてくださいますか。レーカを呼んで来ます」

「レーカ?」

「あ、まだご存じないんですね。あたしが連れてきた、カピィの外交官です」

「会えるのか?」

 アークライトが、半ばたじろぐように驚きの表情を見せる。

「会えるも何も。会いたがってるのは、向こうですから」


「ヴィンス・アークライト中将ですね。お噂は伺っております」

 レーカが、主触腕を差し出した。

「ええと、ミスター・レーカでよろしいですかな?」

 戸惑いつつ、アークライトがそっと主触腕を握る。

「そうですね。臨時宇宙船指揮者代理という肩書きは、いささか長すぎますからね」

 レーカが、空いている左の主触腕を耳の下にさっと入れた。

「じゃあレーカ。さっそくお願い」

 ダリルが依頼する。レーカが副触腕を装備ベルトに伸ばし、銀色の箱を撫でる。

「よろしいです、ダリル」

「ありがとう、レーカ。さあ、これで心置きなく話せます」

「‥‥何かしたのか?」

「盗聴防止装置です。どうせ、UNUF情報部がなにか仕掛けてるに決まってますからね」

 ダリルが、肩をすくめる。

「アークライト中将。残念ながら、我々は人類市民と公的に接触したことがありませんし、人類戦士との接触もきわめて限られています」

 レーカが、アークライトを見上げた。

「従って、信頼の置ける人類というのは事実上ひとりしかいません。この、ダリルがそうです。我々は彼女のことを十二分に信頼しています。そして、彼女が信頼している人物でもっとも高位にあるのが、貴殿です。ですから、一刻も早く貴殿と腹蔵のない交渉の場を持ちたかったのです」

「‥‥それは光栄ですが‥‥すでに交渉のために代表委員会が設置されておりまして、交渉はそこで‥‥」

「どうせ大物は出てこないんでしょう、司令?」

 ダリルが、訊く。

「まあな。UNUFは‥‥ミスター・レーカを前にして言うべきことではないかも知れぬが、上の方は今回の交渉が罠であることを恐れている」

「罠? どのような罠ですか?」

 レーカが、尋ねた。

「いくつか説がある。ミスター・レーカがある種の生物兵器であるという説。何らかの誘導兵器の指示器であるという説。体内に爆弾を埋め込んであるという説‥‥」

「ないない。ありえませんよ、司令。UNの首脳を暗殺したくらいで人類が降伏しないことくらい、彼らは理解しています」

 ダリルは言った。

「わたしもそう考えている。だからこそ、ここにいる訳だ」

 アークライトは苦笑した。

「ともかく、委員会‥‥正式名称は国際代表委員会だが‥‥に会ってください。ミスター・レーカ」

「承知しました。アークライト将軍」

 レーカが応え、数回瞬きした。


「歓迎いたします、ミスター・レーカ」

 代表委員会委員長が、そう言ってレーカの主触腕を握った。

 残りの代表も、順次レーカと握手を交わす。ダリルも、握手をした。元ノルウェーの閣僚だというこの委員長‥‥赤毛のおばさん‥‥はまともそうな人物のようだったが、他の委員はどうにも胡散臭かった。いずれも肩書きは博士だの教授だのとご立派だったが。

 委員全員が、長いテーブルに座った。向かい合わせに、白いシーツを被せた急造の休息台が設けられていた。レーカが、そこに苦労して登る。ダリルは手を貸してやった。

 アークライトの席は、委員会の末席だった。ダリルは、レーカのそばに椅子を与えられた。‥‥なんだか、被告人と弁護人、といった風情だ。

「ではまず、ミスター・レーカにご発言いただきましょう。今回のご訪問の目的をお聞かせ願いたい」

 委員長が、訊いた。

 レーカが語り出した。戦士階層と市民階層。地球来訪の目的。人類の攻撃により市民が全滅したこと。カピィ内部の指揮系統。オブラクの思惑。ティクバの対応策。

 ダリルは黙って聞いていた。

「早急に対処すべきは、戦略指導者オブラクによる近日中の連絡艇の使用です」

「どうすれば防げるとお考えですかな?」

 トルコ人の大学教授が、訊く。

「唯一可能な方法は、大量破壊兵器による市民の殺傷に対しては、反応兵器による報復を行うとの声明を発表することでしょう。戦略指導者オブラクも、それを無視することはできないはずです」

「声明だけで防げるでしょうか?」

 ブラジル人の博士が、首をかしげた。

「確かに効果は一時的なものでしょう。しかし我々の優先事項は、人類市民の保護にあるはずです」

 ‥‥我々。すでにレーカは、自分と人類を同じ立場に置いている。ダリルは感銘を受けた。

「確かにそうですね」

 レーカの言葉に、委員長がうなずく。

「そのあとはどうなるのかね? あなた方と人類は、平和共存できるのかね」

 日本人の大学総長が、訊いた。

「我々の目的は、地球への移住です。しかるべき居住地を分けていただき、安全が保障されるのであれば、戦う理由はなくなります。いつでも戦いをやめられるでしょう」

 レーカが、主張する。

「それはあなたやミスター・ティクバのお考えでしょう? ミスター・オブラクは簡単に鉾を収めてはくれぬようだが‥‥」

 チリの元上院議長が、言った。

「ですから、人類代表が宇宙船指揮者ティクバとの交渉に臨んでいただきたいのです。たしかに現状では戦略指導者オブラクが上官ではありますし、人類との単独交渉は越権行為ですが、敵勢力圏内にあっても市民の保護は戦士たる者の務めです。人類が、宇宙船指揮者ティクバとのあいだで実効性のある共存協定を締結できれば、戦争は終結し、戦略指導者の地位も意味を失います。戦士たちも、戦いそのものを望んでいるわけではありません。宇宙船指揮者ティクバを全面的に支持するでしょう」


 ティーブレイク。

 人類には、本格的なロシアンティーが供された。ダリルはほとんど薄めずに飲み、苦味を楽しんだ。レーカには、持参した果汁粉末を冷水で戻したものが出された。

 アークライトが、手招きしている。委員長も、一緒だ。

「なんでしょうか?」

「中佐。宇宙船指揮者ティクバは、信頼の置ける‥‥その、人物なの?」

 レーカに聞こえない程度に声を潜めて、委員長が訊く。

「戦士としては、充分に信頼できると思います。‥‥ミズ・サムエルセン」

 ダリルは委員長の名前を思い出してそう付け加えた。

「レベッカで結構よ、中佐」

「では、ダリルと呼んで下さい、レベッカ」

 ダリルは微笑んだ。元大臣にしては、話せるおばさんのようだ。

「中佐。そのティクバが、自らの権力闘争に人類を利用しようとしている可能性はないのか?」

 アークライトが、訊く。

「ゼロではないでしょうね」

 ダリルは正直に答えた。

「しかし、ティクバの主張に基本的に嘘はないと思います。それに、和平交渉を進めてもこちらに不利益はないはずです」

「そうだな。むしろ、交渉が進めば進むほどカピィ上層部の分裂を促進させることになる」

 アークライトが、顎を撫でた。

「ところで、あたしが持ち込んだカピィに関する資料はどうなったかご存知ですか?」

 ダリルはレベッカにそう尋ねた。

「あの宝の山なら、別の部門で分類調査中よ。あれは本物?」

 レベッカが、訊く。

「たぶん。あれだけの量の偽資料を、しかも整合性を持たせてでっち上げるのは、凄まじい作業量になると思いますが」

 ダリルはそう指摘した。



「フレイル7、離陸します」

 瑞樹はスロットルを開いた。するすると、イシュタルが上昇してゆく。フィリーネのフレイル8が、続いた。

 操縦感覚は、ベローナと大差なかった。だが、模擬戦闘を行うと、ベローナとの違いがはっきりと感じられた。明らかに、動きがいい。ベローナでファイアドッグとACMを行った際には、運動性で劣っていることを幾度となく思い知らされたが、このイシュタルならば対等に戦えそうだ。スコーピオンを満載しても、なおスイフトを搭載する余裕があることも、嬉しい。

 日向灘には、夏の眩い日差しが降り注いでいた。

「また、泳ぎに行きたいね」

 瑞樹はフィリーネにそう呼びかけた。

「お休み、いただけるでしょうか?」

「海だったら、半日もらえれば行けるよ」

「なにのんびりしてるの。訓練、始めるわよ」

 サンディの声が、交話に割り込んでくる。

「あ、はいはい。こちらフレイル7。8と共に位置に着いた。いつでもどうぞ」

「1、了解」

「2」

 今回の訓練はACMだ。瑞樹とフィリーネのペアに、ドゥルガーに乗るサンディとスーリィが襲い掛かるシナリオである。

 瑞樹とフィリーネは、ファイティング・ウィング編隊で待ち受けた。レーダーは使わず、目視でサンディらを探す。視程はかなりいいが、海面近くは陽炎で見通しが悪い。

 瑞樹はちらりと太陽を見上げた。セオリー通りなら、そこからドゥルガーが突っ込んでくるはずだ。

「8オクロック・ハイ! 太陽の中です!」

 フィリーネの甲高い声。

 瑞樹は上昇に転じた。機をひねり、敵機を探す。

「二機です!」

 フィリーネの声。

 いた。

 キャノピーに張り付くように、黒い影が見える。それが、ぐんぐんと大きくなってゆく。

 瑞樹は相手の進路を読み取ると、機首を向け、スイフトを模擬発射した。

「FOX3!」

 HUDに表示が出て、相手も模擬発射したことを知る。

「FOX3」

 声が聞こえる。スーリィだ。

 イシュタルとドゥルガーは、激しいACMに入った。だが‥‥。

 凄い。

 瑞樹は半ば呆れながらイシュタルを操り続けた。一方的に押されてはいるものの、イシュタルはドゥルガーの激しい攻撃をなんとか躱し続けている。相手は、UNUFAFの女性トップエース、いや、すでにレシプロ機時代を除外すればスコアの上では人類史上最高のエースとなったスーリィだというのに。

 瑞樹の腕が上がったわけではない。イシュタルの性能が、凄いのだ。もちろん、制空戦闘機としての能力は、ドゥルガーの方が上であることは間違いない。ベローナとヴァジェットとの機動性能差は歴然としていたが、イシュタルとドゥルガーのそれはかなり縮まっているようだ。

 ‥‥あれ。

 瑞樹は慌てた。不意に、ドゥルガーが消え失せたのだ。

 頭を巡らせて探す。いない。

 機をバンクさせる。見えない。後ろにも付かれていない。

 ‥‥しまった。

 スーリィは離脱するタイミングを計っていたに違いない。目当ては、フィリーネだ。サンディと二機で襲い掛かり、撃墜。そのあとで、サンディと共に瑞樹を料理しようという作戦だろう。

 瑞樹はレーダーをオンにした。

「8、どこ? スーリィがそっち行ったよ。注意して」

「7、ブルズアイの北西12nm。あ、スーリィが来た!」

「今行くよ、フィリーネ」

 瑞樹は機首を北へ向けた。逃げ回っているうちに、ずいぶんと南へと流されたようだ。いや、スーリィに巧みに誘導されたと言った方が正しいか。

 ラジオに、サンディとスーリィのスイフト発射コールが相次いで入る。

「こちら8。撃墜されちゃいました」

 フィリーネが、宣言する。



「妙なものですな。こうしてお茶をご一緒するというのも」

「左様」

 レーカが応え、カップに入った紅茶を口に流し込んだ。熱いものは飲めないので、あらかじめ充分に冷ましてある。

 アークライトも、自分のカップを傾けた。苦いのは苦手なので、かなり薄めてある。

 人類とカピィ間の交渉‥‥より正確に言えば、多国籍代表団とティクバが派遣した使節の交渉だが‥‥は、二日目に突入していた。お互いの腹の探りあいの時期は過ぎ、人類側はティクバとの本格的交渉を受け入れる意向を固めていた。ティクバは着陸船を長期にわたって留守にすることができないので、必然的に人類側が使節を派遣することになるだろう。

「わたしに具体的提案を行えるだけの権限があればいいのですが」

 レーカが、喋る。

 今回のレーカの立場は、あくまでティクバと人類市民のあいだで円滑に交渉が行われるようにするための準備を整える役目に過ぎない。移住に関する条件の提示や、その他の事柄を交渉する権限は付与されていなかった。

「まあ、詳しいことはいずれミスター・ティクバと交渉することになるでしょうな」

「同意します」

「停戦することができれば、交渉も速やかに進むのでしょうが」

 アークライトはため息混じりに言った。通常では、双方の不信感を払拭し、敵愾心を弱めるために、本格的和平交渉の前に停戦協定を結ぶ場合が多い。だが、今回はあくまで秘密交渉である。ティクバが停戦に踏み切れば、交渉がオブラクに発覚し、ティクバは失脚してしまう。

「それで‥‥」

 アークライトは声を潜めた。

「ミスター・ティクバとの和平交渉が進展し、そちらが充分に納得するだけの条件で戦争が終結した場合、オブラクとその支持者はどう出るとお考えですかな? さきほど委員長には問題ないとお答えしていたようですが、軍人‥‥いや、戦士としては納得できませんが」

「ご懸念はもっともです。ですが、戦士たるもの意味のない戦いは好みません。交渉によって戦争目的が達成されれば、戦う大義もなくなります。たとえオブラクが徹底抗戦を主張しても、他の戦士は同調しないでしょう」

 レーカが応える。

 ‥‥どうやら、このカピィは信用しても良さそうだな。

 やがて会話は取りとめのない雑談に変わった。いい機会だと感じたアークライトは、かねてからの疑問をぶつけてみた。

 ‥‥なぜ人類の場合女性しかNTを起動できないのか?

「わかりません」

 レーカが、副触腕と主触腕をこすり合わせる。

「以前にも、ダリルに質問されましたが、原因は不明です。もしその原因を突き止めて、それを応用して人類がNTを起動できないようにしたら、あなた方は困るでしょうね。もちろん、そんなことをするつもりはありませんが」

「‥‥それはありがたい」

 アークライトはうなずいた。






「射出準備」

 オブラクは命じた。

 下部連絡艇管制室に詰めている技術員が、一斉に作業を開始した。

「戦略指揮者オブラク。制御コード入力を願います」

 技術員がコンソールを明け渡す。

 コンソールに着いたオブラクは、素早く制御コードを打ち込んだ。ディスプレイに、射出承認の表示が出る。

「起爆安全装置解除を確認。射出準備、順調です」

 技術員が、告げる。

 オブラクはコンソールから離れると、少し焦れながら射出を待ち受けた。元来兵器ではない上に、威力が絶大なので複数の安全装置を解除する必要があり、連絡艇を武器として使用するにはかなり時間を要してしまう。

「射出準備、完了。ご指示願います、戦略指導者」

「射出」

 オブラクは即座に命じた。

 軍用船二号下部にある連絡艇収納庫から、一隻の連絡艇が飛び出した。魚雷を思わせる細長い形状だ。尾部から水蒸気を噴出しつつ、急角度で上昇する。

 太平洋標準時午前七時前のことであった。



「‥‥茶でも淹れるか」

 矢野准将は立ち上がると、腰をとんとんと叩きながらキャビネットに歩み寄った。

 デスクの上には書類が山と積まれている。アークライト中将が不在なので、本来ならばふたりで分担できる書類仕事がすべて矢野のところに持ち込まれているのだ。

 急須から大きな湯呑みに濃い目の緑茶をたっぷりと注いだ矢野は、立ったままそれを味わった。いささか行儀が悪いが、ずっと座りっぱなしで書類に取り組んでいたあとなので、この方が気持ちがいい。

「どこにいるんだか、ヴィンスも‥‥」

 矢野はお茶をすすりながら愚痴った。UNUFHQからは、「某所で極秘の任務に就いている」との通達があっただけで、司令の所在は杳として知れない。矢野もできる範囲であちこちに問い合わせてみたが、成果はなかった。

 幸い、今のところ北米への派遣予定はないし、フレイル・スコードロンも新型機の慣熟訓練を行っているだけなので、司令代行としての仕事はそれほど多くはなく、矢野は助かっていた。だが、このまま司令不在が長引いて、カピィが活動を激化させたら‥‥。

 内線電話が鳴った。矢野は湯呑みを置くと、受話器を取った。

「矢野だ」

「至急作戦室へおいで下さい。カリフォルニアのカピィ宇宙船が、弾道弾と思われる発射体を西へ向け打ち上げました。ミサイルであれば、目標はユーラシア東部と思われます」

 ソムポン軍曹が、早口で告げる。

「警戒態勢へ移行」

「イエス・サー」


 矢野は作戦室へ駆け込んだ。

「弾道弾は一発のみ。弾速は現在秒速8.3km。なお加速中。すでに熱圏に到達しました。大きさは、全長50mほどと推定されます」

 ソムポンが、叫ぶように言う。

「第二宇宙速度以下か。宇宙船ではないのだな」

「よく判りません。推定ですが、20分以内にユーラシア東部のどこかに着弾します」

 ‥‥やはりミサイルか。

「フレイル全機、空対空装備で緊急発進準備だ」

「イエス・サー」


 瑞樹は待機室へと駆け込んだ。

「え」

 思わず絶句する。‥‥まだ誰も来ていない。

 着替えているうちに、続々と他のメンバーがやってきた。真っ先に着替え終わった瑞樹は、ヘルメットを引っつかむと待機室を飛び出した。フラッドライトに煌々と照らされたエプロンには、すでに七機のドゥルガーとイシュタルが引き出されている。瑞樹は真新しい愛機に駆け寄った。滝野中尉が、整備記録のクリップボードを手にして走ってくる。


「弾道弾ではありませんね。外気圏で水平飛行に入りました。速度は‥‥マッハ30を超えています」

 呆れたように、山名が言う。

「まずいな‥‥」

 矢野は舌打ちした。弾道軌道を取らないとなると、着弾地点が予測不能になる。

「イングラム曹長、どう思う? カピィの新兵器だろうか」

「無人偵察機にしては高度がありすぎますし‥‥やはり大型ミサイルと考えた方がよろしいかと‥‥」

 ミシェーラが、自信なさそうに答える。


「フレイル7、離陸します」

 瑞樹はVTOすると、海上の待機空域へと向かった。他のイシュタルとドゥルガーも順次離陸し、編隊を組む。

「ミサイルだって?」

 まだ状況がよく飲み込めていないらしいヘザーが、訊く。

「全長50mの大型ミサイル。スイフト二発もぶち込めば、叩き落せるんじゃないかな」

 スーリィが、言う。


「目標降下開始しました。速度、変わりません」

 山名が告げた。

「場所は?」

「中国南部の内陸部を目指しているようです。着弾まで、五分ほどです」

「‥‥間に合わんな。フレイルを、呼び戻せ」

 矢野はそう指示を出した。さしものNT兵器でも、五分で中国まで行くのは無理だ。

「中国空軍、迎撃準備順調のようです」

 チャン軍曹が、相変わらずの可愛らしい声で告げる。

「着弾範囲、出ました。スーチョワン盆地西部です」

 やや硬い声で、イングラム曹長。

「まさか、ランス・ベースか?」

「可能性は高いです」

 イングラム曹長が、答える。

「山名。ランスとのデータ回線は?」

「繋がっています」

「こちらで捉えたデータは送られているな?」

「はい。オンラインです」

「テレビ回線は繋げるか?」

「切り替えます」

 メインディスプレイに、映像が入った。ランス・ベースの作戦室が、映る。

「こちら、メイス・ベース。副司令の矢野です。ランス・ベース、聞こえますか?」

 矢野は呼びかけた。数秒して、映像に横合いから顔が現れた。チェン大将だ。

「おお、矢野准将か」

「状況はどうです、サー?」

「いま、そちらから送られたデータも加味して、迎撃ミサイルを発射した。どうやら、ピンポイントでこの基地を攻撃してくるようだ」

「幸運を祈ります、サー」

「ありがとう」

 チェン大将が、視線を逸らした。手近のディスプレイを見ているようだ。

「着弾まで120秒。目標地点は、北緯30度42分、東経103度52分。チョントゥー市西郊と推定されます」

 山名が告げた。

 ‥‥完全に、ランス・ベースが目標だ。

「単なるミサイルじゃないな。レーザーで、こちらの迎撃ミサイルを撃ち墜とし始めた」

 視線をカメラから離したまま、チェン大将が言った。

「‥‥よし、命中した。念のため、多数発射しておいて正解だったな。命中は三発。撃破はできなかったが、進路は逸れたようだ。西へ逸れてゆく‥‥」

 矢野は肩の力を抜いた。今ランス・ベースが破壊されたら、製作中の数十機のドゥルガーとイシュタルまで失ってしまうところだった。

 ‥‥カピィがそれに気付いて先制攻撃を掛けてきたのだろうか。だとすれば、フレイルをランス・ベースに移動させて守らせるべきかもしれない。

 矢野は思案した。量産型NT兵器は、UNUFによる反攻作戦の要となる戦力である。その生産拠点は、メイス・ベースよりも明らかに戦略的価値が上だ。

「20nmほど西に着弾するようだ。あの辺りには街があるが‥‥いたし方あるまい。矢野准将、そちらから送られたデータが役立ったよ、ありがとう」

 チェン大将が、カメラに視線を戻して言った。

「お役に立てて何よりです、サー」

「ミサイル、着弾します」

 山名が、告げた。

「ところで、矢野准将。アークライト司令の‥‥」

 いきなり、ディスプレイがブラックアウトした。

「どうした?」

「有線回線が切断されました。‥‥データ回線も不通です」

 山名が訝しげに告げる。

「自動で予備回線に切り替わるはずだろう」

「切り替わっていますが、不通です」

「マイクロウェーブも不通となっています」

 チャン軍曹が、告げた。

「まさか、ランス・ベースが‥‥」

 イングラム曹長が、息を呑む。

「いや、20nm離れていたのだ。核兵器でも、破壊できはしない。ランドラインもEMP(核パルス)対策済みのはずだ」

 矢野はそう言った。‥‥あるいは、あのミサイルはカピィのハイパーテクノロジーを使った電子機器破壊用の特殊なものだったのか?

「HQより至急報。中国陸軍および空軍が、スーチョワン盆地における核爆発と推定されるエネルギーの放出を確認。核出力は不明」

 上擦った声で、山名が告げる。

「カピィが核を‥‥」

 チャン軍曹が、絶句した。

「イングラム曹長! フレイルの現状は?」

「全機着陸態勢です」

「着陸後、空対空装備のまま五分待機」

「了解」

 ‥‥こんな時に、ヴィンスはどこで何をしているのか?



「‥‥間に合わなかったか」

 ティクバは頭部を上下に振った。

「このような攻撃は、人類の捨て身の報復攻撃を受けるだけだというのに。これ以上、我々の個体数が減ったら、種族としての遺伝的多様性を保てませんぞ!」

 ヴィドが、激しく主触腕を振り回す。

「オブラクがさらに連絡艇を使用するならば、別の手を考えねばならんな」

 ティクバは鼻をひくつかせた。

「別の手、ですか」

「そうだ」

 ティクバは、漠然としたプランをヴィドに説明した。ヴィドの副触腕が、床に触れんばかりに垂れ下がる。

「‥‥上官に対してこの言葉は失礼とは思いますが‥‥正気ですか?」

「正気だ」

 ティクバは歯を見せつけた。



「一億の人命が失われたのですぞ! 断固報復攻撃すべきだ」

 中国首相が、力説する。

「報復には賛成ですが、カピィが核兵器を、しかもあのような強力なものを保有しているとなると‥‥」

 ロシア大統領が、言う。

「シェルトン中佐と彼女が連れてきたカピィの主張は、本当だったようだな」

 ローリンソン大統領が、言った。

「そうですな」

 インド首相が、同意する。

「喫緊の課題は、カピィの更なる攻撃をいかに防ぐかです。奴らは都市攻撃を厭わなくなったのですぞ。次に狙われるのが東京やモスクワや北京でない保証は、どこにもないのです」

 通訳を通じ、日本の首相が吠える。

 エカテリンブルクでの首脳会談は長引いた。二発目のミサイル発射を断固阻止すべきであるという共通認識はすぐにできあがったが、その方法については意見が纏まらなかったのである。

 具体的な阻止の方法は、三つあった。

 レーカとの交渉を本格的な和平交渉に格上げし、ティクバとのあいだにチャンネルを開き、カピィ側から発射を抑制させる。

 カピィ着陸船に対し全面核攻撃を敢行し、物理的にミサイル発射を阻止する。

 限定的核攻撃などでカピィに対し核恫喝を行い、以後のミサイル発射を抑止する。

 全面核攻撃案は、北米および西ヨーロッパ諸国の猛反対にあった。カピィとの交渉格上げは、ほとんどの首脳が賛成したが、その確実性の薄さと遅効性が問題視される。

 限定核攻撃案は、中国首相が強硬に主張した。

「スーチョワンのあだ討ちをしなければ、わたしは国民に八つ裂きにされます」

 中国首相は、そう主張した。‥‥決して大げさな表現ではなかった。

 会議の趨勢は、和平交渉が早急に進展しない場合、限定核攻撃やむなしという方向に傾いていった。

 問題は、どこを攻撃するかであった。オハイオは対象外とされた。そこには、交渉相手のティクバが居る。殺すわけにはいかない。

 西ヨーロッパ諸国は、当然カリフォルニア攻撃を支持した。ミサイルがそこから発射されたのだから、あだ討ちならばそこを攻撃しなければ意味がない。アメリカ、カナダ、メキシコは当然反発した。自国内やその近傍で核兵器が使用されるのを好む国はない。北米諸国は、ベルギー攻撃を支持する。両者は激しくやりあった。

 結局、最後までカリフォルニアとベルギーどちらのカピィ着陸船を攻撃するかは決まらなかった。UNUFAFに攻撃案を作成させた上で、後日総合的に判断するという妥協案が採択され、長い会議はやっとお開きとなった。


「読んで」

 ヘザーが、瑞樹の手に日本の日刊紙を押し付けた。

「‥‥ええと、南東の風のち南西の風。晴れ時々曇り。降水確率は零時から六時10パーセント、六時から十二時が0パーセント‥‥」

「どこ読んでるのよ‥‥」

 物憂げに、サンディが突っ込む。

「‥‥読みたくないよ、人が大勢死んだ記事なんて」

 瑞樹は新聞をテーブルに置いた。

 馬鹿でかい見出しが、嫌でも目に飛び込んでくる。

 推定死者八千万人。四川省壊滅。CDA最大の被害。

 失われたのは、多くの市民の命だけではない。ランス・ベース。NT兵器製造ライン。製作中だった第二ロットのドゥルガーとイシュタル、三十数機。備蓄してあった多数のNT。プロジェクト・デルタの中核メンバー。本部長のオレグ・サヴィン教授、副本部長のサイラス・ウッド博士、軍事部門司令官チェン・ガン大将なども亡くなった。元ソード・ベース勤務者で、ランス・ベースに配属になった人々も、犠牲となった。デルタの研究員で生き残ったのは、ドゥルガーとイシュタルをメイス・ベースへ届けたあとも、メンテナンス・グループへの技術指導で居残っていたフロスト教授だけだ。

「ねえ。嫌な噂があるんだけど‥‥」

 リビングにぶらりと入ってきたエルサが、丸テーブルでぐだぐだしている一同を眺めながら、言う。

「なに?」

「司令が、ランス・ベースに居たって噂」

「‥‥ありえない話じゃないね」

 ヘザーが、言う。

「そんな‥‥」

 フィリーネが、泣きそうな顔になる。

「あ〜、フィリーネ。たぶん、そんなことはないから。安心して」

 瑞樹は作り笑顔でそう言った。おそらく、アークライトの長期不在の理由は、ダリル関係だろう。その推測が当たっていれば、中将がランス・ベースに滞在していた可能性は恐ろしく低い。たぶん今頃、アラスカかそれに類似した辺境の基地で、ダリルと一緒に居るはずだ。

「ずいぶん自信ありげね」

 ヘザーが、問う。

「まあね」

 瑞樹は頬を掻いた。いくら仲間でも、ダリルのことを話すわけにはいかない。

「それより、どうするんだろう、副司令は」

 サンディが、訊いた。

「どうしようもないわね。今回ばかりは、NT兵器でも手の打ちようがないわ」

 例によってひとり掛けソファに座っているアリサが言う。

「なんで? ドゥルガーとイシュタルなら、あの50メートルのミサイルを阻止できるかもしれないじゃない?」

 立ったままのエルサが、言う。

「ミサイルが狙ったのはランス・ベースかもしれないけど、巻き添えで八千万人死んでいるのよ。間接的にしろ、カピィが都市を攻撃したのは、これが初めて」

 アリサが指摘した。

「明らかに、敵の戦略方針が変化したわ。こうなると、次に狙われるのがどこか見当もつかない。ブエノスアイレスか、メルボルンか、カサブランカか、それともダマスカスか。守りきれないわ、絶対に」

「こっちも核で脅すしか、手はないのかねぇ」

 ヘザーが、呻くように言う。

「それが一番現実的ね。でも、わたしは誰かさんがもっといい解決策を持ってきてくれたような気がするの」

 アリサが言って、にやりと笑う。

「誰かさんって、どなたですの?」

 フィリーネが、不思議そうに訊く。

「‥‥あの馬鹿に期待しない方がいいと思うけど」

 サンディがつぶやくように言って、ため息をついた。



 国際連合事務局法務部と政治局の合同秘密会議は、紛糾していた。

 現在レーカと交渉を行っている国際代表委員会は、UNUFHQが主要各国の要請を受けて急造した専門家の寄せ集めに過ぎない。国連代表委員会ではないのだ。

 かようないい加減な組織が、地球代表としてカピィと外交折衝を行うことが、国際連合憲章および国際慣習法に照らして正当であるのか?

 答えはどう考えてもNOであった。なにしろ、国際連合自体が、地球外の政治勢力の存在を想定していないのだ。だが、この件を国連総会などに諮れば、情報の漏洩は防ぎようがない。

 UNUF設立に関しては、実に簡明であった。カピィの攻撃を「国際連合加盟国に対する武力攻撃」と看做し、国際連合安全保障理事会を招集。「国際の平和および安全を維持しまたは回復するため」国連憲章第42条に基づき、多国籍軍を編成、これをUNUFと命名し、合同司令部を設ける。敵が国家でなくても‥‥異星人だろうがゴジラだろうが世界征服を企むマッドサイエンティストだろうが、合法的に戦うことはできる。

 だが、外交交渉となると問題ははるかに複雑となる。カピィをどのように定義するか? 交戦団体であることは明白だが、当てはまるのはどれか? 政治団体? テロ集団? 海賊もどきの武装船舶? あるいは、国家?

 カピィの戦士は? 正規軍と認めるべきか? 民兵? ゲリラ? テロリスト?

 議論は果てしなく続いた。


「やはりベルギーか」

 読み終わったデミン大将は、レポートを会議テーブルの上に置いた。

 核攻撃の際に生じる放射性降下物の被害予測に対し重要視しなければならない気象条件は、風(風向と風力)と、降雨である。

 前者は汚染地域の広がりとその濃度を決定し、後者はウェザリング(気象による放射能汚染の除去作用)の最重要ファクターとなる。爆心地からの風向きが人の居住しない地域に向いており、直後に豪雨が数日続けば、放射性降下物による死傷者は局限される。その反対に、爆心地の風下が大都市のような人口密集地であり、長期間に渡って降雨がなければ、その被害は甚大なものとなる。

 カリフォルニア州デラノ市の東ないし北西は山岳地帯および一部砂漠を含む乾燥地帯であり、人口はまばらである。だが、アメリカ西海岸南部の夏季の卓越風は北西から南東に向かって吹く。デラノ市を含むカーン郡の南東には、ロサンゼルス、サンディエゴを含む大都市がひしめいている。その人口は、実に二千五百万に近い。

 その上、夏のカリフォルニアは乾季の真っ只中である。降雨はほとんど期待できない。

 ベルギー北部およびオランダ南部の夏の風向は、一定していない。周囲の気圧配置により、常に変化する。雨はほぼ平年通じて、平均的に降る。乾季も雨季もない。

「しかし、理想的な風が吹いたとしても、数百万人が放射性降下物に晒されることになる」

 ウェイ大将が、レポートを閉じた。推測値だが、風下200kmほどのところですら、最初の一時間で0.5から1グレイ、積算で2から3グレイ程度の吸収線量が想定されている。もちろんこれには、事後の吸入および経口による体内からの被爆は含まれていない。ちなみに、3グレイの被爆では70%近くが主に造血障害で死亡すると言われている。

「一部は避難させるしかないでしょうな。あとは、被爆対策を施して、神に祈るしかない」

 ポーター大将が、言った。

「いずれにせよ、カリフォルニアよりはましです。ご異議がなければ、核攻撃目標はベルギーの着陸船で決定します」

 デミン大将は、海軍司令官と陸軍司令官を見た。

「異議はない」

「止むを得ない」



 Tu−204が、シベリア上空を駆け抜ける。

「そろそろどこへ行くのか教えてくれてもいいんじゃないですか、司令」

 ダリルは、隣に座るアークライトに尋ねた。

「ああ。目的地はエカテリンブルクだ。そこで、お偉方と「謁見」する」

「謁見して、何をするんですか?」

「激励だろうな。どうやら上の方は、ティクバと本気で和平交渉を進めたいようだ。メッセージを持たせて、君とミスター・レーカ、それにおそらくはミズ・サムエルセンを付けて送り返す腹積もりのようだ」

「はあ。そうなんですか」

 ダリルはにこやかに応じた。

「‥‥楽しそうだな、中佐」

 訝しげに、アークライトが問う。

「監禁されていた部屋が、快適でしたからね。情報部より、カピィの方がよほど扱いが上でしたよ」

 ダリルは笑った。

「ほう」

「なにしろお酒が飲み放題ですからね。食事は缶詰が多くて飽きましたけど」

「羨ましい環境だな」

「それに、ティクバに会えるのも楽しみです」

「君はずいぶんとティクバを買っているようだな」

 アークライトが言う。

「ええ。いかにも戦士らしいカピィです」

 ‥‥なんとなく、司令に似てますよ、というセリフは、思慮深く口にしなかった。


「いいか。気後れするなよ」

 アークライトが、忠告する。

「大丈夫ですよ」

 ダリルは請合った。

 ロシア連邦警護庁の職員が、扉を開ける。

 レベッカ、アークライトに続き、ダリルも戸口をくぐった。

 なんだか偉そうな軍人と民間人が、さして広くない会議室にぎっしりと詰まっていた。ふたりだけ、見覚えのある顔があった。海軍のポーター大将と、合衆国のローリンソン大統領だ。

「レベッカ・サムエルセンです。国際代表員会委員長を務めています。アークライト中将はご存知ですね。こちらが、合衆国海軍のダリル・シェルトン中佐です」

 ダリルはぴしりと敬礼した。

「どうぞお座り下さい、ミズ・サムエルセン、中将、中佐」

 なんとなく見たことがあるような気がする貫禄ある禿が、言った。ダリルは礼儀正しく最後に腰を下ろした。

「手短に話そう。我々は、全員一致でミスター・ティクバとの和平交渉を進めることに賛成した。もちろん、国連事務局が我々にカピィとの外交交渉を行う権限がないなどと主張していることは充分承知だ」

 禿が、言う。

「ここに集っている国家元首が代表しているのは、地球人口の約半数に過ぎない。しかし、UNUFに関して言えば、兵力の実に75%を供出しているのだ。地球代表を名乗る資格はあると思う」

「わたしの属する国の代表が見当たりませんが、閣下のお言葉に賛同します」

 レベッカが、わずかに皮肉を交えて言う。

 禿が苦笑した。

「そこでだ、ミズ・サムエルセン。あなたに地球代表としてオハイオのカピィ着陸船へと赴き、ティクバとの交渉役を務めていただきたい。すでにミスター・レーカも、地球側代表を受け入れることには賛同している。いかがかな?」

「謹んで、承ります」

 レベッカが、きっぱりと言った。

「ありがとう、ミズ・サムエルセン。シェルトン中佐、君にはミズ・サムエルセンの補佐を頼みたい。ミスター・ティクバと面識のある君なら、和平交渉の補佐役として適任だろう」

 ‥‥やはりそう来たか。

「光栄であります、サー」

 ダリルはそう答えた。禿がどこの誰だか知らないが、とりあえずこう言っておけば怒られはしないだろう。

「よろしいですかな、みなさん」

 禿が、左右を見渡す。同意のつぶやきは起こったが、異議は出なかった。


「シェルトン中佐」

 呼び止められて、ダリルは振り向いた。

 ポーター大将だった。ダリルは慌てて敬礼した。

「楽にしたまえ。色々と、大変だったな」

「幸運に恵まれました、サー」

 ダリルの応えに、ポーターが微笑んだ。

「豪胆だな。ともかく、これを付けたまえ」

 ポーターが、リボン付きのメダルを差し出す。

 ダリルは眼を剥いた。プリズナー・オブ・ウォー・メダルだ。

「光栄であります、サー」

 ポーターが手を伸ばし、ダリルの胸にPOWメダルを付けた。

「対カピィ戦で初めての授与だな。本来なら、君の功績はネイヴィ・クロスに相当すると思うが、事情が事情だからな。当面、これで我慢してくれ」


「ミズ・サムエルセンに、核攻撃案について説明しなかったのは、まずいのでは?」

 オーストラリア首相が、問う。

「そうは思わんね、メイベル」

 ロシア大統領が、答えた。

「核攻撃は保険のようなものだ。それに、ミズ・サムエルスンに嘘をつかせるわけにはいかない」

「ペーチャの言うとおりだよ。泥は我々が被らねばならん。ミズ・サムエルスンには真っ白のままでいてもらわなければならない」

 ローリンソンが、言う。


「お。POWメダルか」

 帰りの機内で、アークライトが目敏くダリルの胸の略綬を見つける。

「POWにしては、ずいぶんと厚遇されましたが」

 ダリルは微笑んだ。

「ところで司令。あの会議室でべらべら喋っていた禿げた男性は、誰だったのですか?」

「‥‥中佐。わたしはその手の冗談は好まないのだが」

「‥‥別に冗談を言っているつもりはないのですが」

「本当に彼を知らないのか? ロシア大統領だぞ?」

「ああ、あの人がロシアの大統領ですが。‥‥なんとなく、見覚えがあるような気がしていたんですけど」

「大物だな、君は」

 アークライトが、苦笑する。


第十九話簡易用語集/ファイティング・ウィング編隊 Fighting Wing 二機編隊の一種。僚機が長機の斜め後方に付く。僚機の高度は長機と同高度でなくてもよく、戦術に応じて高空ないし低空を飛ぶ。ただし、角度にして七十度以内に留まること。もっとも一般的な二機編隊といえる。/ブルズアイ Bulls-eye 直訳すれば雄牛の眼。この場合は、空域に任意に設定された参照ポイントのこと。また、標的などに正確に投射兵装を命中させた状態のことも、ブルズアイと表現することがある。/EMP Electromagnetic Pulse 電磁パルス。/グレイ Gray 吸収線量の単位。1グレイは、1kgの物質に1ジュールの放射エネルギーが吸収された場合の吸収線量。/POWメダル Prisoner of War Medal 帰還した戦時捕虜に授与される勲章。最前線で命がけで戦っていたからこそ捕虜になるのである。勲章の授与くらいは当然といえる。 それに比べて捕虜になるくらいなら自決しろなどと教育していたどこかの帝国の軍隊ときたら‥‥。/ネイヴィ・クロス Navy Cross 海軍十字章。アメリカ海軍および海兵隊員に授与される勲章の一種。議会名誉勲章の下。

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