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18 Liberate

 ディスプレイの向こう側の二体を、ティクバは見つめた。

 儀礼的な挨拶が終わると、さっそくオブラクが口を開く。

「市民船の破壊と市民の全滅に関しての責任は、我ら三者にあると考える」

 ‥‥おや。

 ティクバは意外に思ったが、しぐさには表さなかった。てっきり先任として責任を追及されると思ったが、オブラクの選択した戦術は違うようだ。

「宇宙船指揮者オブラクに賛成します」

 サンが、賛意を示す。

「責任を追及し合うのは不毛です。早急に、今後の対策を検討せねばなりません」

「同意する」

 ティクバも調子を合わせた。

「問題は、今後の戦略方針ですな」

 オブラクが、そう主張する。

「市民階層が決議した戦略方針は、全滅したあとでも有効です。すなわち、最終的な目的は地球への移住。その手段としての危険の排除。そして、新たに付け加えられた地球人類との交渉‥‥」

「最終的に市民階層に対し人類との交渉を具申したのは宇宙船指揮者ティクバでしたな。具体案についてご説明願えますかな」

 サンが、訊いた。

「ご承知の通り、地球人類は自らの惑星を汚染する危険を冒してまで反応兵器の複数使用に踏み切っている。このままでは、双方共倒れになるか、地球環境が損なわれてしまう。また、巻き添えで多くの人類市民が傷つくだろう。そこで、その前に地球人類と妥協すべきだと考えたのだ」

 ティクバは手短に説明した。

「しかし、市民船攻撃でも判るとおり、地球人類の思考方法は我々とかなり異なるようだ。交渉が纏まりますかな?」

 オブラクが、訊いてくる。

「思考は異質でも、知的生命体だ。このまま我々と戦い続ければ、種族として滅ぶしかないということくらい理解できるはずだ」

「宇宙船指揮者ティクバは地球人類の思考方法にお詳しいようだ。やはり、捕らえた人類戦士を分析した結果ですかな?」

 サンが、喋る。

「それもある」

 ティクバは、正直に認めた。

「本職には、宇宙船指揮者ティクバを責めるつもりは毛頭ありません」

 オブラクが、喋る。

「たしかに、人類戦士を捕まえて調査したことは、戦略方針に反する行為です。譴責されても致し方ない。しかし、市民階層が全滅した今となっては、人類を分析理解する手段が限られているのもまた事実。宇宙船指揮者ティクバが収集したデータは貴重です」

「同意します。戦略方針からの逸脱は遺憾ですが、結果的には我々の利益となった」

 サンも同意した。

 ‥‥ここでも責めぬのか。

 ダリルの存在については、すでに人類側小型宇宙船に対し音声交信を試みたことによって完全に暴露されていた。当然、オブラクとサンはこの点について攻撃してくると思ったが‥‥これも責任を問わないという。

「いずれにしても、人類と何らかの交渉を行わねばならないでしょう」

 サンが、喋る。オブラクが、同意した。

 しばらくのあいだ、細々とした打ち合わせが続いた。もう増援は来ないし、生き残っている市民は故郷の星系の小惑星に自主的に残留した数百名だけだ。

 三隻の宇宙船と約六千の戦士だけで、運命を切り拓いていかねばならない。

「お二方、提案があります。戦略的指導者を選任してはいかがでしょうか」

 ほとんど議題が出尽くした頃、唐突にサンが提議した。

「‥‥戦略的指導者?」

 ティクバは訝しげにサンを見やり‥‥そしてオブラクとサンの意図を悟った。

 戦略的指導者は、戦士階層における暫定的地位のひとつである。

 戦士に市民より与えられた戦略方針が、何らかの理由により無効と化し、さらに何らかの理由により新たな戦略方針または修正した戦略方針が付与されない場合に限り、戦士はその中から戦略的指導者を選出し、暫定的な戦略方針を定めて自主的に行動することができる。もちろんこの地位もそれによって定められた戦略方針も暫定的なものであるから、正式な戦略方針が伝達された時点で戦略的指導者はその地位を失うし、臨時に定められた戦略方針もその効力を失う。

 いまだ惑星表面で同じ種族が戦争していた時代の制度である。電波を使用した通信手段が確立されて以降は、戦士が市民から切り離されることはなかったので、戦略的指導者が選任された例はないはずだ。

「異例ではあるが‥‥現状を考えれば現実的な提案ですな」

 オブラクが、喋る。

「しかし‥‥いまさらそのような大昔の制度を持ち出されても‥‥」

「たしかに、現状では市民階層が遺してくれた戦略方針だけで切り抜けられるでしょう。しかし、今後どのような新たな事態が現出するか予測はつきません。その場合、柔軟な対応ができるようにするためには、戦略的指導者を選任する以外にないと思われますが」

 サンが、力説する。

「賛成を表明せざるを得ない」

 オブラクが、喋る。

 ‥‥やられたな、これは。

 市民船の防衛失敗やダリルの件で譴責され、先任宇宙船指揮者としての立場を追われ、影響力を削がれることは覚悟していたが、よもやオブラクとサンが戦略的指導者などという古文書レベルの朽ちかけた肩書きを持ち出すとは、思っても見なかった。

 結局、サンの推薦でオブラクが戦略的指導者に選任される。当面のあいだ、既存の戦略方針に従うとの決定もなされたが、状況が変化次第、オブラクは新たな戦略方針を打ち出すことだろう。



 ロシア空軍がチャーターしたTu−204が、新田原の滑走路に着陸する。

「生きて帰ってきたね、とりあえず」

 サンディが、タラップを降りる。

「日本は暑いわねぇ」

 アリサが、まぶしい太陽を見上げた。

「梅雨、明けたみたいね」

 瑞樹もタラップを降りた。

「生きていられるだけで、幸せですわ」

 フィリーネが深呼吸して、湿気を帯びた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「お腹空いたねえ」

 微笑みながら、スーリィ。

「よぉ、エルサ。悪いが、月土産はないぞ」

 タラップの下まで迎えに来たエルサを見つけたヘザーが、笑う。

「みんな、お帰り!」

 エルサが、ひとりひとりに抱きつき、キスをする。

「行こう、みんな。司令がお待ちかねだよ」


「よくやってくれた、諸君」

 アークライト中将が、六人を労う。

「正直に言おう。オペレーション・オーヴァーヘッドのあいだは苦痛だった。君たちのために、指一本動かすことすらできない状態だったからな。だが、諸君らは無事に帰ってきてくれた。こんなに嬉しいことはない。‥‥褒美と言ってはなんだが、新たなNT兵器がランス・ベースより届く約十日後まで、君たちは休暇だ。自由にしたまえ」


「で、問題は」

 サンディが、ぎゅっと拳を握り締めて、言う。

「ダリルが生きているかどうかよ」

「んで、どうなの?」

 ヘザーが、山名軍曹に詰め寄る。

「あ、はい。UNUFHQの分析では、オハイオのカピィ宇宙船から発信された女性の声と、シェルトン中佐の声の特徴は一致しました。それは、確かです」

「やはり、生きていると考えた方が筋は通るわね」

 アリサが、腕を組んだ。

「何らかの形で捕虜ないしそれに似た境遇でカピィの宇宙船内に連れ込まれた。理由は判らないけど、わたしたちがスフィアを攻撃することを知った。それを阻止しようと、カピィがダリルを利用した‥‥」

「どうでもいいよ。あの娘が生きていてくれたんなら」

 笑顔のスーリィ。

「で、どうやったら助けられるの?」

 瑞樹は訊いた。

「‥‥捕虜交換、でしょうか」

 フィリーネが、小首をかしげる。

「とりあえず、スフィアに対する攻撃でカピィが人類と交渉するつもりだということが判ったんだ。あたしたちが宇宙にいたあいだに、なにか進展があったのかい?」

 ヘザーが、再び山名に詰め寄った。

「はい、UNUFHQが、地球上のカピィ宇宙船に対し交信を試みましたが、いずれも反応はありませんでした。現在もその努力は継続されているはずですが、交信成功の報せは入っていません」

「‥‥やっぱり、スフィアの交信は謀略だったのかねえ」

 スーリィが、言う。

「どうやら、そうらしいね」

 憮然として、ヘザー。

「じゃあ、ダリルを助けられないじゃない」

 瑞樹は口を尖らせた。

「‥‥仕方ないわね」

 サンディが、言う。

「まあ、あいつなら自力で逃げ出してくるかもしれないけどね」

 ヘザーが、笑った。



 ダリルは五枚目のカードを開いた。ハートの4だ。

「レイズ」

 すかさず、三枚のチップを放る。

 レーカが右の主触腕と副触腕の先端をゆっくりとこすり合わせている。左の主触手は、もちろん二枚のカードを持っていた。

 鼻がひくひくと動いている。耳もわずかだが揺れている。

「コール」

 レーカの左副触手が、三枚のチップをつかんだ。

 ‥‥ふ。

 ダリルは手札を晒した。ジャックのペアだ。

「‥‥そんな強い手なのに、なんで‥‥」

 レーカの副触腕が、だらりと下がる。主触腕が、カードを置いた。手札は、スペードの8とクラブの5だ。

「最初から強く出たら、すぐフォールドしちゃうじゃない、レーカは」

 チップを集めながら、ダリルは言った。

 カピィは嘘をつくのが苦手だ。

 観察対象はレーカだけだったが、ダリルはそのように結論付けていた。表情を読むのはさすがに無理だったが、カピィのボディランゲージは豊かであり、その感情ははっきりと読み取れた。翻訳機もなかなか精巧で、注意深く聞くと声調で感情を推測することも可能だった。ポーカーを教える前に、レーカに簡単な手品‥‥相手に一枚のカードを覚えさせ、数枚の中から言い当ててみせるという子供だましのやつ‥‥を試してみたが、一回も外すことはなかった。レーカにカードを読み上げさせると、一枚だけ明らかに声が変わるし、同時に副触腕が揺れたり鼻が動いたりするのだ。‥‥ポーカーのカモにするのは簡単だった。


「お久しぶりです、宇宙船指揮者ティクバ」

「うむ。本当に久しいな」

 ティクバは舌を見せた。

 研究員ゴウラ。かつてティクバの部下だった戦士である。ティクバが軍用船一号に乗り組む時以来の再会だから、地球の時制で言えば百八十年ぶりくらいになろうか。

「どうかね、あちらの様子は」

 休息台に収まると、ティクバは近況を訊いた。ゴウラは現在オブラク船長の幕僚の一人である。

「実は‥‥」

 ゴウラが、声を潜めた。


 軍用船二号が、連絡艇使用の準備を進めている‥‥。

 ゴウラは、そうティクバに告げた。

「間違いないのか?」

「はい。この眼で確認しました。まだテストを行ったのは一隻だけですが、近日中にあと二隻のテストも行うようです」

 ゴウラが歯を見せる。

「どこへ撃ち込もうというのだ?」

「それは不明ですが、宇宙船指揮者オブラクが地球に対し使うつもりであることは間違いありません」

「うむ」

 ティクバは黙考した。‥‥オブラクは、なにを狙っているのだ。

 単なる地球人に対する恫喝だろうか。大気圏外で暴走させて、降伏を促す。あるいは、報復攻撃の可能性を示唆して反応兵器の使用に対する抑止とする。

 または、地球側の人口密集地に撃ち込むのか。市民船攻撃に対する報復として。

 現状の戦略方針の範囲内ならば、地球大気圏内での連絡艇暴走はできない。暴走自体が、環境破壊により移住という終局の目的を阻害するからだ。だが、オブラクが戦略的指揮者に収まった以上、合法的に使用を強行することは不可能ではない。まして、サンはオブラクにべったりだ。使用に反対するとは思えない。

 ‥‥ダリルに相談してみるか。


「仮定の話をしたいのだが‥‥」

 ティクバはそう切り出した。

「ダリルは連絡艇について知っているな?」

「ああ。あの暴走させると千数百メガトン、ってやつね。レーカから、聞いたよ」

「もし我々がそれを地球側に対して使用したら‥‥どのような反応があるだろうか?」

「まあ、驚くだろうね、人類は」

 ダリルがそう答える。

「そのあとで、反応兵器の大量使用に踏み切るだろうね。あんた方が連絡艇を何回も使えば、人類は滅ぶ。その前に、軍用船を蒸発させるしか、生き延びる術はないと人類は考えるだろうね」

「やはりそうか」

 ティクバは、鼻をうごめかした。ほぼ予想通りの答えだ。強硬策には強硬策で応じるのが、人類流の思考方法である。

「で、なんで急にそんなことを訊くの?」

 ダリルの水色の眼が、ティクバを睨む。

「いや、あくまで仮定の話だ」

「まさか、連絡艇で人類を脅そう、とか考えてるんじゃないでしょうね」

「本職はそんなことは考えていない」

 ティクバはそう言った。嘘ではないので、触腕が揺らぐことはない。

「ふん。じゃ、まあ、いいけど」

 ダリルが視線を逸らす。ティクバの耳が、わずかに動いた。



 高鍋海水浴場。

 メイス・ベースから最も近い海水浴場である。車でわずか十五分。

 フレイル・メンバー七人は例によって美羽のランドクルーザーで遊びに来ていた。長い休暇を与えられたメンバーだったが、今回は帰省にUNUFが便宜を図ってくれなかったために、だれも家に帰ろうとせず、メイス・ベースでのんびりと過ごしていた。だが、世間は盛夏である。誰からともなく「泳ぎに行こう」という声が出て、今日は朝から海水浴に繰り出した次第である。

「誰から脱ぐ?」

 ヘザーが、問う。

「若い順でいいんじゃない?」

 エルサが、言う。

「じゃあ、わたしからね」

 アリサが言って、サマードレスを脱ぎかける。

「おいおいおい」

 ほぼ全員から、同時に突っ込みが入った。

「もう誰からでもいいよ。早く泳ごうよ」

 エルサが焦れて足踏みをする。

「なら、エルサから脱ぎなさいな」

 アリサが言う。

「うん、いいよ」

 そう応じたエルサが、ベアトップをさっと脱ぎ捨てた。

 白い肌をわずかに覆っているのは、ショッキングピンクのマイクロビキニだ。

「いいわねえ、若いって」

 眼を細めて、アリサが言う。

「次。サンディ、脱ぎなさい」

 エルサが指名した。

「‥‥なんか、脱ぎにくいわね」

 サンディが、サマーパーカーを脱ぐ。カーキグリーンの、シンプルなワンピースだ。ハイレグなので、ただでさえ長い脚がいっそう長く見える。

「腹が立つくらいスタイルいいわね」

 そう言いながら、ヘザーがオーバーサイズのTシャツをするりと脱いだ。チューブトップのビキニだ。色は、光沢のあるペイルグリーン。

「あはは。みんな、スタイルいいね」

 瑞樹は笑った。

「笑ってないで、あんたも脱ぎなさい」

 ヘザーが、瑞樹のショートパンツを脱がそうとする。

「だめだよ。これで泳ぐんだから」

 瑞樹の水着は、黒とグレイのモノトーンボーダーのタンキニとカーキのショートパンツだ。

「なによ、その露出度のなさは。若いくせに」

 アリサが、にやにやと笑う。

「アリサも脱ぎなさいな」

「はいはい」

 ヘザーに言われ、アリサがサマードレスを脱いだ。

 ホルターネックの黒ビキニ。ボトムのサイドには、大きなリボンがついている。ちょっと細めの白い太腿が、なんとも悩ましげだ。

「フィリーネもそれ取りなさい」

 エルサが、フィリーネのパレオを指す。

 フィリーネの水着は、白地に青系でトロピカルリーフをプリントしたワンピースだった。 やや恥ずかしげに、フィリーネがトロピカルリーフ柄のパレオを取る。

「次はスーリィね。さあ、脱ぎなさい」

 ヘザーが命じた。

「いや‥‥。あたしはいいよ」

 パイル地のフード付きワンピースを着たスーリィが、手を振って断る。

「なに言ってんのよ。恥ずかしがることないわ。スタイルいいんだし」

 エルサが、ワンピースの裾をめくり上げようとする。

「泳がないから、いいよ」

 スーリィが、海老のように後ずさりする。

「まさか、泳げないなんて言うんじゃないでしょうね?」

 アリサが、問うた。

「うん」

 スーリィが、うなずく。

 全員が、数秒間沈黙した。だがすぐに、ヘザーとエルサとアリサが、一斉にスーリィに襲い掛かる。

「‥‥泳げないことは言い訳にはならない! 脱ぎなさい!」

 ヘザーが、抱きつくようにしてスーリィを脱がしにかかる。

 三人がかりで、フード付きワンピースを剥ぎ取られたスーリィが、水着姿を晒した。シンプルな、白いワンピースだった。ただし、ベージュのスイムスカートを着けている。

「それも取りなさいよ」

 エルサが、言う。

「これは駄目!」

 スーリィが、抵抗する。‥‥眼がマジだ。

「ま、それくらいは許してあげようかね」

 ヘザーが、肩をすくめた。

「じゃあ、次は美羽ね」

 アリサが、ロングキャミソール姿の美羽の肩に手を掛けた。

「‥‥わたしは今回は皆さんのお目付け役を有賀中尉から仰せ付かってきただけで‥‥あ、ちょっと、やめてください大佐! ベンソン中佐も! 瑞樹さんまでなにするんですか!」

 四人の女性が群がって、未成年の女の子を脱がしてゆく。‥‥サンディが、ため息をついて肩をすくめた。

 可愛い水着だった。ピンク系のカラフルボーダーのスカート付きビキニ。

「あら可愛い。もっと脱がせたくなるわね」

「‥‥アリサが言うと本気に聞こえるからなぁ」

 ヘザーが、苦笑する。


 全員で日焼け止めを塗り合う。

「美羽に塗るのはあたしの役目よ」

「何言ってるんだよエルサ。あたしに決まってるだろ」

「ふたりとも引っ込んでいなさい。わたしが塗ります」

「‥‥なんだかなぁ」

 フィリーネにローションを塗ってもらいながら、瑞樹はぼやいた。

 いろいろと諍いはあったものの、なんとか全員が日焼け止めを塗り終わった。

「わたしはシァ少佐と留守番してますから」

 そう言って、美羽が手を振る。

 六人の女性は熱い砂浜を駆け抜けて海へと入っていった。水は結構冷たく感じる。波は沖にある消波ブロックのおかげで穏やかだ。

「久しぶりだわ、海なんて」

 サンディが、はしゃぐ。

「とりあえず、競争だな」

 ヘザーが、提案した。

「いいわね。もう少し沖へ出てから、岸まで競争しましょう」

 アリサが言う。

 六人は、50メートルほど岸から離れたところに横一線に並んだ。ヘザーの合図で、一斉に泳ぎ出す。

 意外にも、一番速かったのはフィリーネだった。きれいなクロールで、あっさりと先頭に立つ。二番手は瑞樹。三番目に、バタフライで泳ぐアリサが続いた。

 手が砂に触れたところで、瑞樹は立ち上がった。先に着いていたフィリーネが、はじけるような笑顔を見せる。瑞樹は海から上がると、砂浜に座り込んだ。

 アリサが上がってくる。

「若い娘にはかなわないわねえ」

 そう言って、アリサが瑞樹の隣に腰を落とした。

 四位争いは熾烈だった。平泳ぎのサンディとヘザーが、ほぼ同じ位置をキープしている。

「エルサは‥‥溺れているわけじゃないですよね」

 フィリーネが、ぽつりと言った。

 平泳ぎのふたりの後方10メートルほどの位置に、エルサがいた。派手に水をはね散らかしているが、あまり前に進んでいるように見えない。

 サンディとヘザーが、ほぼ同時にゴールする。

「ど、どっちが勝った?」

 荒い息をつきながら、ヘザーが問う。

「同着ね」

 アリサが答えた。‥‥サンディは、咳き込みながら水を吐いている。

 エルサが、やっとゴールした。顔をしかめながら、波打ち際にへたり込む。

「‥‥プールなら速いんだよ、プールなら!」

 エルサが喚く。


 ヘザーが持ってきたビーチボールで、即席の水球大会が始まった。

 瑞樹は海から上がると、留守番のふたりに歩み寄った。

「美羽ちゃん、交代」

「いいんですよ、瑞樹さん」

「いや、ちょっと疲れたから、休憩。そのあいだ、代わりに遊んできて」

「そうですか。じゃあ、お言葉に甘えて」

 美羽が走り出した。気付いたアリサとヘザーとエルサが、手を振る。

「ねえ、スーリィ」

「なに?」

「そのスイムスカート、脱いだ方がいいと思うよ」

「いやよ。恥ずかしい」

「なら、その膝を抱えた座り方やめたほうがいいと思うよ」

 瑞樹はそう忠告した。水着とはいえスカートの中から白いものが覗いているというのは、見方によってはかなりエッチである。

 気付いたスーリィが、頬を染めながら脚をそろえて座りなおした。

 しばらくすると、アリサも上がってきた。

「はあ。若い娘は元気でいいわね」

 瑞樹の隣に、どさりと座り込む。

「スーリィ。なにか冷たいものくれない?」

「これでいい?」

 スーリィが、クーラーボックスからスポーツドリンクの缶を出した。

「それでいいわ。ありがとう」

 受け取ったアリサが、プルトップを開け、ごくごくと中身を飲み下した。

「なんか‥‥足りないよね」

 波打ち際ではしゃぐ五人を眺めながら、瑞樹はそう言った。

「なんか、じゃなくて、ひとり、でしょ」

 スーリィが、言う。

「そうね」

 瑞樹は微笑んだ。

 レジャーといったら、必ず喰い付いてきたあの娘の姿が、ない。

「生きているのか、死んでいるのか‥‥」

 アリサが言って、スポーツドリンクをひと口飲んだ。

「生きているよ。絶対」

 瑞樹はアリサを見据えて言った。

「‥‥スフィア攻撃の時点では生きていたかも知れないけど、そのあとはどうだか」

 アリサが、水平線あたりを眺めながらつぶやくように言う。

「そうなんだよね。生きていると信じたいけど‥‥」

 スーリィが、湿った砂をもてあそぶ。

「生きてるし、きっと近いうちに会えるよ!」

 瑞樹は言い切った。根拠などなかったが、諦めたら本当にダリルが死んでしまうような気がしていた。

「近いうちに、ねえ」

 スーリィが、ため息をつく。

「ダリルのことだから、なにか奢ると言えば帰ってくるかもね」

 アリサが微笑んだ。

「‥‥そうね。じゃあ、わたしお寿司奢ってあげるわ」

 瑞樹はそう言った。

「あたし、中国料理奢ってあげるよ」

 スーリィも言う。

「じゃあわたしは‥‥そうね、ロシア料理じゃつまらないからフレンチのコースを奢ってあげるわ」

 アリサが言う。

「‥‥聞こえればすっ飛んで帰ってくるはずだけどね」

 瑞樹は言って、肩をすくめた。

 太平洋の波は音を立てて砂浜に打ち寄せてくる。飽きることなく、何度も。


 ランチをにぎやかに平らげ、一休みする。

「しかし‥‥いい男がいないわね」

 エルサが周囲を眺め渡す。家族連れとカップル、女性数名のグループばかりである。たまに男性だけのグループを見つけても、子供だったり腹の出た中年男性だったりする。

「あそこはどう?」

 ヘザーが、指差す。

 若い男性の五人グループだった。

「‥‥どう見ても高校生よ。いろいろと、まずいわよ」

 瑞樹はくすくすと笑った。

「で、みなさん。午後の予定ですけど」

 アリサが、スーリィを指差した。

「スイミング・スクールなんていかがでしょうか?」

「あ、それいいね」

「賛成」

 エルサとヘザーが、即座に賛意を示す。

「‥‥最初はプールとかの方がいいんじゃないかな‥‥」

 瑞樹は頬を掻いた。

「アリサはともかく、あなたたちじゃ教えても無駄でしょう」

 サンディが、エルサとヘザーを見て正論を吐く。

「まあ、確かに」

 ヘザーが、へこんだ。

「‥‥どうする、スーリィ。やる気があるんなら、わたしとフィリーネで教えてあげてもいいけど」

 瑞樹はそう言った。スーリィが、期待のこもった視線を瑞樹に向ける。

「いいのかい、瑞樹」

「わたしは構わないよ。いいでしょ、フィリーネ?」

「はい、瑞樹。スーリィ」

 フィリーネが、大きくうなずく。


「とにかく、水に慣れることから始めないとね‥‥」

 瑞樹は頬を掻いた。

 なにしろ、最寄りの海まで1900kmはある土地で生まれ育ったひとである。海に入るのは、今日が生まれて初めてだというし‥‥。

 とりあえず、水を怖がっていないことは確かである。運動神経は優れているし、体格もそこそこいいし、体力もある。コツさえつかめば、泳ぐのは簡単なはずだ、と瑞樹は踏んだ。

 その通りだった。

 わずか十五分で、スーリィはやや自己流であるが平泳ぎをマスターしてしまう。

「水泳って、面白いんだね、瑞樹」

 眼を輝かせて、スーリィが言う。

「もうエルサより速そうですわね」

 フィリーネも、眼を細めた。

 しばらく自由に泳ぎまわらせてから、瑞樹はクロールの伝授に入った。基本の腕の動きと、息継ぎのタイミングさえ覚えれば、クロールも難しい泳法ではない。最初はぎこちない動きだったが、スーリィは短時間でクロールもマスターした。もともと体力も筋力もあるので、多少動きに無駄があってもパワーでカバーできるから、速い。

「‥‥ちょっと練習すれば、わたしより速いかも」

 瑞樹は頬を掻いた。

「どう? 進んでる?」

 ヘザーが、平泳ぎで近づいてきた。瑞樹は、クロールの練習を続けるスーリィを無言で指差した。

 ヘザーが、あんぐりと口をあける。

「あれ、スーリィ? 嘘でしょ、別人だよね?」

「‥‥いや、本人」






「ご命令どおり、ノイズを収録したものです」

 技術員が、記録メディアを差し出す。人類が見れば、ちびた鉛筆を連想するであろう短い六角柱である。

「感謝する」

 受け取ったティクバは、小さなディスプレイの付いた箱型の電子機器にそれを差し込んだ。「個人」モードに切り替えてから、再構成プログラムを走らせる。

 ゴウラとの連絡は、データ通信のノイズに紛れて送受されていた。仮に誰かがノイズの中に特定のパターンが現れることを察知したとしても、再構成することは困難であるから、安全性は高い。

 ティクバは再生を開始した。ディスプレイに、カピィ文字が流れ出す。

 やはり、オブラクは連絡艇を使用するようだ。目標は‥‥いまだ不明ながら、最大大陸の東部が有力。

 ティクバは地球の地図を呼び出して検討した。最大大陸の東部は、地球でも有数の人口密集地帯であり、兵器生産の拠点も多い。特に、中部沿岸地帯やその北東の列島などは、有力な目標だろう。

 どこを狙っているのか。そして、オブラクの狙いは何だろうか。

 ‥‥すこし揺さぶりをかけてみるか。


「何の御用ですかな、宇宙船指揮者ティクバ」

 やや尊大な調子で、オブラクが喋る。

「提案があるのだ、戦略指導者オブラク」

 ティクバは喋った。

「いずれ、人類に対する交渉を本格的に持ちかけることになると思う。その前に、人類に対しこちらの力を見せ付けるある種の示威行為を行ってはどうか」

「興味深いご提案ですな。で、具体的にどうすべきとお考えですかな?」

「連絡艇を大気圏外で暴走させてはどうだろう?」

「本職には効果的な手段とは思えませんがね、宇宙船指揮者ティクバ」

 慇懃に、オブラク。

「人類の戦士に対しては効果はないだろう。しかし、人類の市民に対する脅しとしては、充分に効果的だと信ずる」

「宇宙船指揮者ティクバは人類の思考には通じていらっしゃる。ご提案は検討しましょう。良い機会ですから、逆にお尋ねしたい。地球の人口密集地帯で連絡艇を暴走させた場合、人類側はどう出ますかな?」

「即座に反応兵器による報復に踏み切るでしょうな」

 ティクバはわずかに歯を見せた。

「しかし、先程貴殿は連絡艇の暴走は示威行為として充分に効果的と言明したではないですか」

「脅しと攻撃は異なります。脅せば人類は妥協するかもしれない。しかし攻撃すれば反撃に転ずるでしょう。それに、市民への攻撃は戦士として不名誉なことですぞ」

 ティクバは指摘した。

「地球人類はすでに我々の市民船を攻撃したのですぞ」

 オブラクが反論する。

「我々を人類の戦士と同じレベルに貶めるおつもりか?」

 ティクバはそう返した。

 ティクバとオブラクは、ディスプレイを挟んで瞬時にらみ合った。

 先に緊張を解いたのは、ティクバだった。オブラクが戦略指導者である以上、逆らっても無意味だ。

「貴重な時間を割いていただき、感謝する。戦略指導者オブラク」

「いや、貴殿の見識は当てにしております、宇宙船指揮者ティクバ」

 通信が切れると、ティクバの耳が激しく揺れだした。

 ‥‥間違いなくオブラクは本気らしい。これを阻止する手立てはいくつか考えられるが、さしあたってもっとも効果的な手段は‥‥。


「頼みがある」

 ティクバが喋った。

「なんだい?」

「まずは、説明させてくれ」

 ティクバが、ゴウラから受け取った情報をダリルに説明する。

「‥‥そのオブラクって奴は、本当に連絡艇を暴走させようと考えてるんだね?」

「そう確信している」

「場所は? 地球のどこに撃ち込もうというんだい?」

「それはまだ不明だ。だが、最大大陸の東部らしい」

 カピィが最大大陸と呼ぶのはユーラシア大陸のことである。その東部といえば、東アジアだ。中国か、日本か、東南アジア。あるいは極東ロシアか。

「それで、頼みというのは?」

「いや、もうひとつ説明させてくれ」

 ティクバが、戦略的指導者について説明する。

「なるほど。オブラクは強硬派で、連絡艇使用を企んでいて、市民が全滅してしまったいまでは最高権力者であると。で、サンっていうのは、穏健派なんだね?」

「とりあえず、人類との交渉を望んでいる。しかし、オブラクの支持派でもある」

「‥‥あんたは孤立しているんだ。で、あんたは穏健派なの?」

「中間派だな。少なくとも、人類市民に対する大量虐殺を許すわけにはいかない。それに、オブラクは人類を過小評価している。奴に任せておいては、いずれ我々も人類も滅ぶだろう。本職は、それを避けたいのだ」

「で、あたしにどうしろというわけ?」

「本職が人類の市民と秘密裏に直接交渉できるようにしてもらいたい」


「またずいぶんと難しい頼み事だねえ‥‥」

 ダリルは頭を掻きつつ、脚を組み替えた。

「貴殿は解放する。その前に、広範な資料提供も行う。船内見学も許可する。他の者との話し合いの場も設ける。人類市民代表に情報を与え、本職と交渉するように説得してくれ。さもないと、人類は滅びかねない」

「いや、協力したいのは山々だけど‥‥。あたしは一介の海軍士官だよ。人類の市民代表なんて、簡単には会えないよ」

「アークライトという信頼している上官を介しても、接触できないのか?」

「う〜ん。それなら、可能性がないとは言えないけど‥‥」

 ダリルは、自分が解放されたところを思い描いた。まず間違いなく、UNUFの情報部に拘束され、調査名目の厳しい尋問に晒されるに違いない。合衆国大統領やUNUF首脳に会わせろとか主張したら、拘禁されかねない。

「おおっぴらにできるんなら、手はあると思うけどね」

 ダリルは言った。人類の市民は戦争に倦んでいるし、劣勢なのは判っているから、戦争が穏便に解決できる方法があるのならば、飛びつくだろう。世論の意向であれば、UNUFも従わざるを得ない。

「いや、あくまで秘密裏に頼む。独自に人類と交渉を持ったことがオブラクに知られたら、本職は確実にこの地位を追われる。そうなれば、オブラクを止めるものはいなくなるぞ」

 ティクバが、喋る。

「そこが問題だよね」

 ダリルは腕を組んだ。

 ‥‥UNUFの首脳部を信用していいものだろうか?

 カピィ内部に内紛を起こさせるために、わざと情報を漏らす可能性はないだろうか?

「‥‥あり得るから困っちゃうんだよね」

 ティクバの失脚は、もちろんダリルの望むところではない。

「‥‥とりあえず、船内見学させてもらおうか。そのうち、いいアイデアが浮かぶかもしれない」

 ダリルは言った。どう転ぶにしろ、カピィ軍用船に関する情報は細大漏らさず収集しておきたい。


 レーカを案内役に連れ、カピィ宇宙船内を巡る。

 何本ものエレベーター(いずれも空母のリフトサイズだった)と、物資運搬用の自走パレットみたいな車両以外、船内に交通機関はなかった。カピィはかなりの健脚のようだ。

 ファイアドッグやフラットフィッシュの格納庫。整備区域。修理工場。

 食堂は壮観だった。休息台に寝そべった何十体ものカピィが、主触腕で水の入ったボウルを支えながら、副触腕で山盛りのフードキューブを次々と口へと放り込んでゆくのだ。

 居住区も見せてもらったが、これはティクバがいつもいる部屋とたいして変わらなかった。ただし、若干狭い。

 船倉の数々。冷凍された、大豆によく似た穀物。霜をまとった、色とりどりの果実類。フードキューブの元になる粉末。金属やガラス、合成樹脂類の素材。なんだかよく理解できないが、カピィにとっては大事なものらしい材木の倉庫。

 現在は封鎖区域になっている航宙関連の施設も、見せてもらえた。エンジンルーム。天測ドーム。巨大宇宙船にしてはあきれるほど狭いブリッジ、などなど‥‥。


「‥‥疲れた」

 ダリルはちびちびとビールを飲みながら、ふくらはぎをマッサージした。ゲスト生活が長く続いたせいか、脚力が落ちているようだ。

 丸一日かけて船内のあちこちを見てまわったが、まだ全体の十分の一程度しか眼にしていない。

 扉が開いた。

「入りますよ、ダリル」

 レーカが声を掛け、入ってきた。主触腕に、大きな箱を抱えている。

「差し入れ?」

 ダリルは缶ビールを置いた。レーカがこんな時間に顔を出すときは、決まって食料や飲料の差し入れである。

「資料を作ってきました」

 レーカが言って、箱を床に置き、休息台に寝そべった。

 ダリルは箱を覗き込んだ。分厚い紙束がいくつかと、透明プラスチックのケースに入ったディスクが何十枚も見える。ダリルはディスクの一枚を手に取った。‥‥CDかDVDのホワイトディスクに見える。

「船内の記録を、人類が使用している仕様で纏めました。再生に、問題ないはずです。試してみてください」

 レーカが、言う。

「DVDなの?」

「はい」

 ダリルは、ディスクをDVDプレーヤーに突っ込んだ。

 再生が、始まる。テレビに、カピィが映った。何か喋っている。

「かなり以前の記録ですね。これは、小惑星に残った市民ラサガの弁明の様子です」

「弁明?」

「はい。市民ラサガは優秀な工学技術者で、惑星改造プロジェクトの最高責任者でした。失敗の責めを負い、部下の科学員と共に市民としての権利を制限されたのですが、これはその時の弁明ですね。戦士ならば、当然自害させられるところですが、市民なので、甘い処分に止まりました。ちなみに、軍用船や市民船の建造にも携わっています。元々、自動機械関連の専門家でしたから」

「はあ。他に、どんな記録が?」

「宇宙船建造の資料。航行の記録。惑星の歴史。生物学的な資料。技術資料も、できるだけそろえました。これだけあれば、人類の市民も我々を理解してくれるでしょう」

「理解ねえ‥‥」

 ダリルは首をひねった。たしかにこれだけ土産があれば、UNUFHQのお偉方を説得し、UNに働きかけて主要各国政府になにかアクションを起こさせることが可能かも知れない。しかし‥‥。

「インパクトが弱いよねぇ」

 ダリルは箱の中に手を突っ込み、紙束を取り出した。こちらは、英語の活字がぎっしりと印刷されている。拾い読みしたが、内容はまったく理解できなかった。なにかの学術論文の翻訳のようだ。

「なんか、こう、もっと凄い手土産ないの? 人類の市民代表がこぞってあたしに会いに来たくなるような?」

「‥‥そう言われましても」

 レーカの副触腕が、だらりと下がる。

 ‥‥レーカ。

「そうか」

 ダリルは、ぽんと手を叩いた。回答は、目の前にあったのだ。

「ティクバに会わせて」


「レーカを連れて行きたいだと?」

 ティクバの耳が、ぷるぷると震えた。

「そう。まあ、レーカでなくてもいいけど、誰か一緒に行ってくれれば、話が早いと思うのよ。人類って、しきたりとかそういうものに弱いから。レーカが〈全権大使〉みたいな肩書きで顔を見せれば、人類側もそれなりのプロトコールで相対しなきゃならないわ」

「さすがにそのような肩書きは与えられぬな。詐称もいいところだ」

「じゃあ、〈宇宙船指揮者代理補佐〉くらいで」

「まあ、妥当だな」

 ティクバの主触腕が、耳の下に入った。

「レーカ。貴殿は、ダリルのこのアイデアをどう評価する?」

「たいへん効果的であると判断します。ただし、問題がふたつあります」

「述べたまえ」

「まず、わたしの身の安全が保証されないことです」

「宇宙にウィーン条約ないからね」

 ダリルは苦笑した。

「貴殿は保障できないのか?」

 ティクバが、ダリルに訊く。

「保障してあげたいけど、無理だよ。戻ってしまえは、あたしは一介の士官に過ぎない。まあ、レーカの身に何かあれば、報復攻撃されるとUNUFに警告するくらいだね」

「ふむ。それならば効果的だろうな」

 ティクバが納得する。

「もうひとつは、わたしの身分です。敵に捕らえられるとすれば、戦士としての身分を剥奪されてしまいます」

 レーカが、主触腕と副触腕をこすり合わせる。

「そこはなんとかならないものなの? 別に投降するわけじゃないんだから、名誉は保たれるんじゃないの?」

「難しいところだな。古来戦士が敵と何らかの交渉をする場合、対等な立場の者を交換し、それぞれを客人として迎えることにして、お互いの名誉を守ったものだ。ダリル、人類はレーカを客人として迎えてくれるだろうか?」

「外交使節を名乗れば可能だろうね、たぶん」

 ダリルはそう言った。

 ティクバが黙考に入る。ダリルは黙って待った。

「よかろう。レーカ、貴殿に〈臨時宇宙船指揮者代理〉の肩書きを与え、人類との交渉を任せよう。成すべき事は、判っているな」

「はい、宇宙船指揮者」

 レーカが、歯を見せた。

「ダリル、レーカを頼むぞ。くれぐれも、内密にな。オブラクに知れたら、すべてぶち壊しだ」

「判ってるよ。当面、信頼できる人物だけに接触するつもりだ」

「本職は戦士だ。市民を犠牲にしたくはない。たとえそれが、人類の市民であってもな。頼むぞ」

 ティクバが、右の主触腕を差し出す。ダリルはそれをしっかりと握った。


 ティクバが用意してくれた航空機は、ボンバルディア・チャレンジャー300だった。

「久しぶりだねえ、ふつーの飛行機飛ばすの‥‥」

 ダリルは慎重に操縦した。レーカは、客席を外して作ったスペースにゴムマットのようなものを持ち込んで、その上に寝そべっている。

 ダリルは低空を維持したまま、北へと向かった。カリフォルニアに居座る軍用船二号に見つかるわけにはいかない。

 ハドソン湾上空で、針路を東へと向ける。とりあえずの目標は、イエローナイフ空港だ。

「そろそろやばいかな‥‥」

 ダリルはレーダーのスイッチを入れた。すぐに、反応がある。50nmほど先に、何機かいて、こちらへ向かってくるようだ。速度からすると、人類の迎撃機だろう。

 民間機だからいきなりBVRミサイルを撃ち込まれるようなことはないだろうが、用心に越したことはない。ダリルは通信機のスイッチを入れた。周波数は、GUARDチャンネルにプリセットしてある。

「こちら、北緯62度に沿って東進中のチャレンジャー。前方47nmで西進中のインターセプト・フライト。聞こえるか‥‥」


「みなさん、急いで作戦室までお願いします」

 リビングに顔を出した美羽が、告げる。

「何があった?」

 ヘザーが、立ち上がる。

「あ、すみません。中佐は結構です。コルシュノワ大佐、沢本少佐、シァ少佐、ローガン大尉。作戦室までどうぞ。司令がお待ちです」

「また留守番かよ」

 エルサが、愚痴る。

「旧フレイル・メンバーだけ? なにかしらね」

 アリサが、すたすたと歩みだす。

「ちょっと行ってくるね」

 瑞樹はフィリーネに手を振ると、アリサのあとを追った。スーリィとサンディも、続く。

「なんでしょうか?」

 フィリーネが、首をかしげる。


「急で悪いが、休暇は一時取り消す。全員、アラスカへ向かってくれ」

 アークライト中将が、告げた。

「カピィですか?」

 スーリィが、逸り立つ。

「いや、出撃ではない」

 アークライトが、首を振る。

「わたしたちだけなのですか?」

 サンディが、問う。

「そうだ。旧フレイル・メンバーだけだ」

「どのような事情なのか、ご説明願えませんでしょうか」

 アリサが、訊く。

「説明してやりたいが、わたしにも判らん。UNUFHQからの至急令だ。それどころか、わたしも同時に呼び出しを喰らった。行き先は、エカテリンブルクだが」

 四人は顔を見合わせた。


 エルメンドルフ空軍基地。

 到着した瑞樹、サンディ、スーリィ、アリサの四人は、UNUFAFの空軍憲兵に地下へと案内された。そこで出迎えたのは、UNUF憲兵隊の大佐だった。

「今から皆さんに、トゥー・ウェイ・ミラー越しにある人物をお見せします。じっくりと観察してから、ご意見を伺いたい。よろしいですな」

 スミス、と名乗った白髪頭の大佐‥‥思いっきり偽名臭い‥‥が、厳かな口調で言う。

 スミス大佐が、控えていた空軍憲兵に合図した。憲兵が、壁のカーテンを引く。

 トゥー・ウェイ・ミラーの向こう側は、殺風景な部屋だった。調度は、中央にある灰色のテーブルだけだ。向かい合うように、ふたりの人物が座っている。壁際には、ふたりの女性空軍憲兵が立っている。

 向かって右側に座るのは、スーツ姿の男性だった。年齢は、中年に差し掛かったばかりだろう。黒い髪と白い肌。喋りながら、盛んにメモを取っている。

 左側に座っているのは、若い女性だった。薄い色合いの短い金色の髪。水色の眼。その横顔は、四人にとってあまりにも見慣れたものだった。

「ダリル!」

 四人は一斉に叫んだ。

「よく観察して下さい。本当に、ダリル・シェルトン中佐ですか?」

 スミス大佐が、訊く。

「どういうことですか?」

 サンディが、訝しげな視線をスミス大佐に投げる。

「本人かどうか、親しかったあなた方に確認していただきたい」

「確認って‥‥どう見てもダリルですよ、大佐」

 スーリィが、言う。

「100%の自信を持って言えるのかね、少佐」

 スミス大佐が、スーリィを見据えた。

「え、でも‥‥」

 スーリィが口ごもる。

「偽物の可能性があるんですの?」

 アリサが、訊いた。

「あるから、こうしてご足労願ったのですよ、大佐」

 スミスが言う。

 瑞樹はガラス越しにダリル‥‥たぶん‥‥を見つめた。少なくとも、外見はダリルにそっくりだ。

「声は、聞けませんか?」

 サンディが、言った。スミス大佐が、控えていた憲兵に合図する。

 すぐに、壁のスピーカーから音声が流れ出した。

「‥‥知らないよカーディナルズの選手なんて。フットボールは見ないんだ。‥‥あんたねえ、どーでもいいけどコーヒーくらい出しなさいよコーヒーくらい。あたしは、こう見えても‥‥」

 ‥‥ダリルの声だ。ダリルの口調だ。喋ってる内容まで、ダリルそのものだ。

「ダリルだわ。間違いない」

 サンディが、言う。

「裁判で証言できるくらいの確度で言えるわね。あの部屋で座っている金髪の若い女性は、合衆国海軍中佐、ダリル・シェルトンよ」

 アリサが、断言する。

「やっぱり生きてたんだね、ダリル」

 瑞樹は涙ぐみながら、スミス大佐を見上げた。

「間違いありません。あれは、ダリルです」

「正真正銘、ダリル・シェルトン中佐です、サー」

 サンディが、真剣な面差しで言う。

「やはりそうですか」

 スミス大佐が、うなずいた。空軍憲兵が、スピーカーのスイッチを切り、カーテンを閉める。

「では、状況を説明しよう」

 大佐が、ダリルが捕らえられた経緯を簡便に説明する。レーカについては、言及しなかった。

「現在のところ、指紋と血液型は一致している。ジーン・マッピングの結果はまだだが、おそらく一致するだろう」

「なら、確実にダリルじゃないですか!」

 スーリィが、言う。

「生物学的には、一致した。だが、本人であるとは限らない」

 スミス大佐が、言う。

「まさか‥‥クローニングとか」

 サンディが、息を呑む。

「カピィの生物学的テクノロジーについては、よく判っていないからな。用心のためだ。そこで、諸君らにシェルトン中佐に対し質問してもらいたい。確実に、中佐でしか知りえない細かい事柄を訊くのだ。答えの内容もそうだが、答え方や反応も細かく観察して欲しい。いいね」


 憲兵が、扉を開ける。

 ダリルが振り返り、満面の笑みで立ち上がった。四人に駆け寄ろうとしたが、女性憲兵が身振りでこれを制する。

「スーリィ! 瑞樹! アリサ! 会いたかったよ!」

「‥‥おい」

 サンディが、突っ込む。

「えーと、誰だっけ?」

 ダリルが、首をかしげる。

「本気で殴るよ、本気で」

 サンディが、拳を握る。

 ‥‥間違いない、本人だ。

 瑞樹は確信した。

「ダリル。質問していい?」

 アリサが、訊いた。

「ん、いいよ。どうせ、憲兵どもに頼まれたんだろ。あたしが偽物かどうか調べてくれって」

「そう。今年の二月十二日のこと、覚えてる?」

「‥‥覚えてるわけないじゃん。そんな昔のこと」

 あっさりと、ダリルが答える。

「ねえ、ダリル。あなたが行方不明になった前日の夕食、どこでなに食べたか覚えてる?」

 サンディが、訊く。

「場所は忘れたけど、ステーキだったな。値段の割には、肉はいまひとつだったね。むしろ、エルサが一本分けてくれたチキンが旨かったな」

 淀みなく、ダリル。

「ダリル。わたしと初めて顔を合わせたとき、あなたは何をしていたか覚えてる?」

 瑞樹は訊いた。

「‥‥覚えてない。いや、瑞樹と会ったことは覚えてるよ。はっきりと。でも、自分が何してたかは‥‥」

 ダリルが苦笑しながら、視線を天井に泳がせた。

「‥‥待った。サンディやスーリィもいた気がする。アリサはまだいなかったよね。遊んでたような‥‥思い出した、カードで遊んでたんだ。たぶん、ポーカーだろうね。あの頃は、暇つぶしにそればっかりやってたから」

「ダリル。あなた、あたしに幾ら借金してる?」

 スーリィが訊く。

「‥‥え。借金あったっけ?」

「どうやら本人みたいね‥‥」

 げんなりした顔で、スーリィ。

「じゃあ、またね、ダリル」

 アリサが、手を振る。

「もう帰るのか。今度来るときは、差し入れのひとつも持ってきてくれよ」

 ダリルが、にこやかに手を振り返す。

 ‥‥ダリルだ。間違いない。正真正銘、ダリル・シェルトンだ。



 情報部の准将が、説明を終え、部屋を出て行った。

「とまあ、そのような顛末だ」

 デミン大将が苦笑しつつ、アークライトを見る。

「カピィを手土産に戻ってくるとは‥‥たいした女性だな」

 アメリカ海軍所属のポーター大将も、苦笑する。

「はあ」

 アークライトは冷や汗をかいたまま呆然と座っていた。行方不明になっていたシェルトン中佐が生きていたのはむろん喜ばしいが、カピィと独自に交渉した上に外交官を連れて戻ってくるとは‥‥。

「で、どうなのかね。このシェルトン中佐は、信頼できるのかね?」

 ウェイ大将が、尋ねる。

「優秀なパイロットです。ただし、士官としての指揮能力には疑問符がつきます。その、優秀なパイロットにはありがちな、勝気な性格でして‥‥」

 アークライトは正直に答えた。

「精神面はどうかね?」

「‥‥やや不安定です。感情の起伏も激しい。もともと陽気なタイプですが、以前同僚のパイロットが戦死したときは、長期にわたって持ちまえの陽気さを失っていました。行方不明になる前に回復しましたが」

「ふむ。情報部での検査結果はどうだったのかね、ジャバリ中将?」

 デミン大将が、UNUFHQ情報部の将軍に、訊く。

「精神面に異常は見られませんでした。肉体も至って健康。薬物の影響はなし。‥‥アルコールは恒常的に摂取していたようですが、これはカピィの待遇が良好だったことの証でしょう」

「洗脳の可能性はないのだね?」

 ポーター大将が、訊く。

「今のところ、その証拠はなにひとつ見出されていません。しかし、同行したカピィに対する態度などから判断するに、カピィに対するシンパシィが顕著に見受けられます」

「ストックホルム症候群か?」

 デミン大将の問いに、ジャバリ中将がうなずいた。

「可能性は高いでしょう」

「中将」

 デミン大将が、アークライトを見据えた。

「シェルトン中佐は、自分が連れてきたカピィは正式な外交使節だと主張し、UN上層部や各国指導者と話し合いの機会を設けるように求めている。だが、UNUFとしては、慎重に対処せざるを得ない。彼女の供述に不審な点が見受けられるのだ」

「不審な点ですか」

「中将。説明してやりたまえ」

 デミン大将が、ジャバリ中将に命じた。

 ジャバリが、説明を始める。ダリルが交渉を極秘裏に行うように強く求めていること。カピィ内部での権力闘争について。名指しでアークライトに会わせろと主張していること。

「まあ、君に会わせろという要求はうなずけるがね」

 ポーター大将が、苦笑する。

「すべてがカピィの罠である可能性もある。シェルトン中佐が騙されている可能性も否定できない。当面は、慎重にことを運ばねばならん。現在、カムチャツカに専門家を集結させている。シェルトン中佐とカピィもそこへ移送する予定だ。君も現地へ行き、中佐と接触したまえ」

 デミン大将が、命ずる。

「イエス・サー。‥‥ですが、どのような指針に基づき行動したらよろしいのでしょうか」

「UNUFとしては、カピィとの交渉はやぶさかではない。しかし、それはあくまで対等な立場で、かつ人類の利益となる事項のみについて言えることだ。カピィによる降伏勧告など、聞きたくはない。理解したかな?」

「よく理解しました、サー」



「言うまでもないが、ここで見聞したことは最高機密に属する。シェルトン中佐の生存情報も、漏らしてはならぬ。いいかな」

 スミス大佐が、念押しする。

「承知しております、大佐」

 四人を代表する形で、アリサが応えた。

「ひとつだけお伺いしてよろしいですか」

 瑞樹はそう言った。スミス大佐が、うなずく。

「ダリルは‥‥シェルトン中佐はこのあとどうなるのですか?」

「それは話せないね、少佐」

 スミスがきっぱりと言う。

「ただし、中佐が罪に問われるようなことは無いから、安心してくれ。それだけは、約束できる」


第十八話簡易用語集/「プールなら速いんだよ、プールなら!」 スウェーデン人はあまり海で泳がないらしい。/ウィーン条約 1961年採決の「外交関係に関するウィーン条約」のこと。外交官の身分の保証などの条項も含まれる。/GUARD 軍用機に搭載されている非常用通信回線。/トゥー・ウェイ・ミラー Two-way Mirror 日本で言うマジックミラーのこと。/ジーン・マッピング Gene Mapping 遺伝子解析の一種。/シンパシィ Sympathy 同情。共感。/ストックホルム症候群 Stockholm Syndrome 監禁事件など、犯人と被害者との接触が長時間かつ密接であった場合に、被害者が犯人に対し精神的に依存してしまい、過度な好意や共感を覚えてしまう精神状態。

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