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17 Kamikaze Mission

「発進」

 管制が告げる。

 瑞樹はベローナのスロットルを開いた。ストッパーは、最初から外してある。

 さすがのNT兵器も、これだけごてごてとブースターを付けたり水タンクを満載した状態ではVTOできない。すっかり醜くなったベローナは、ランス・ベースの滑走路をよたよたと進み始めた。

 さすがに重い。3000メートルほど滑走したところで、やっと機体が持ち上がる。

 瑞樹は管制の誘導に従い、ゆっくりと高度25kmまで機体を上昇させた。東に機首を向け、管制の合図を待つ。

「ナイル5、上昇準備」

 管制が告げる。瑞樹は自動制御に切り替えた。機首がぐっと持ち上がり、カウントダウンが開始される。

「こちらナイル5、加速開始します」

 NTが、水蒸気噴射を開始する。ベローナが、ぐんぐんと上昇を開始した。

 ブースターロケットが自動点火し、さらに加速が強まる。かなりのGがかかるが、ACMに慣れている瑞樹にとってはたいしたことはない。高度は50kmを超え、中間圏に入った。

 さらに高度が上がる。80km。燃焼を終えたブースターロケットが、切り離される。

 瑞樹にとっては未知の領域である。

 高度が、100kmを超える。事実上の、宇宙だ。

 さらに高度が上がる。空になったドロップタンクが、投棄された。

 高度200kmで、自動制御によりベローナは地球を周回する軌道に乗った。瑞樹は手早く機体をチェックした。‥‥異常はないようだ。推進剤の消費も、期待値内に収まっている。

 管制から、データが送られてきた。他のみんなも、無事に軌道に到達したようだ。

 ‥‥宇宙なんだよね、ここ。

 高度計は、ぴったり200kmを表示している。だが、金属の壁に囲まれている瑞樹は、宇宙にいるという実感が沸かなかった。周回軌道に乗っているのだから超低重力なのだろうが、圧力服着用の上ストラップで縛り付けられているので、よく判らない。

 管制から、作戦続行のゴーサインが出た。瑞樹は手動で爆発ボルトを起爆させて、いまや不要質量となった主翼と垂直尾翼、ランディング・ギア、その他の大気圏内用装備を投棄した。機載コンピューターが、予定通り加速開始の指令を出し、NTが水蒸気噴射を始める。ベローナは、月への飛行をスタートさせた。


「全機問題ありません。タイムスケジュール通りです」

 オペレーターが、告げた。

「中継衛星はどうなった?」

 デミン大将が、訊く。

「打ち上げまであと八十三分。こちらも順調です」

 ナイル・フライトとの円滑な通信を維持するために、日本の種子島からH2Aロケットでふたつの小型通信衛星が打ち上げられることになっている。

「結構」

 デミンが、満足げにうなずいた。

 エカテリンブルク郊外の地下に建設されたUNUF暫定司令部の一室。オペレーション・オーヴァーヘッドはここから指揮される。

 傍らには、オブザーバーとしてUNUF海軍司令官ポーター大将、同じく陸軍司令官ウェイ大将も詰めていた。

「最初の難しい段階は過ぎました。先は長いです。少し休みましょう」

 デミン大将は、ポーターとウェイを促すと、後事を副官に託し、作戦室を出た。


 瑞樹は3四の銀を4三に成り込ませた。

 機載コンピューターが十数秒考えて‥‥実際は一秒以内に計算を終えているはずだがそれでは勝負が面白くない‥‥、自陣に馬を引いた。

 ベローナはすでに加速を終えて、慣性飛行に入っている。戦術的見地からは加速を続けつつ短時間で月に接近し、急減速を行いながらスフィアに近接し攻撃すべきであるが、それでは推進剤を使い果たしてしまい、帰れなくなってしまう。結局、月までは約四十八時間の行程となった。この程度ならば、戦闘時にかなりの推進剤を消費しても、不要質量さえ現地で投棄してしまえば余裕を持って地球周回軌道まで戻ることができる。

 問題は‥‥道中の空いた時間をどうやって過ごすかであった。事実上すべてが自動化されているので、いざ戦闘が始まるまで瑞樹らにはやることがないのである。EMCON状態だからおしゃべりもできないし、暇つぶし用の余分な質量の持ち込みも禁じられている。唯一娯楽用に供されたのが、機載コンピューターの幾許かの空き容量であった。瑞樹はいくつかのゲームソフトと音楽を入れておいた。

 ブザーが鳴る。瑞樹は計器版の時計を確認した。運動と食事の時間である。

 瑞樹はシートベルトを外し、狭いコックピットの中でできうる限り身体を動かした。血栓ができにくくなる薬剤を服用してはいるが、やはり長時間同じ姿勢というのは危険である。運動が終わると、食事タイムだ。ロシア連邦宇宙局提供のビスケットとレモン味のついた水、それに五種類の錠剤という情けないメニューを、瑞樹は口に押し込んだ。どうせお腹は空いていないし、便の量を抑えるために量も少しだけである。

 ‥‥帰ったら、焼肉食べ放題の店に行ってやる。

 瑞樹はそう誓いながら、繊維質を抑えたビスケットをもそもそとかじった。


「どうだ?」

 作戦室に入ってきたアークライトが、訊く。

「ナイル・フライトは現在地球から14万2400km地点。順調に慣性飛行中です」

 当直のイングラム曹長が、淀みなく答える。

「スフィアの様子は?」

「依然反応ありません。地上のカピィ部隊にも、変わった動きは見られません」

「ふむ」

 アークライトが、空いているコンソールに座った。自分でデータを呼び出し、数値をチェックする。

「ずいぶんと遠くへ行ってしまわれましたね、みなさん」

 寂しげに、イングラム曹長がつぶやく。

「ああ。色々な意味で、遠くへ行ってしまったな」

 アークライトは、キーボードを叩く手を止めた。メイス・ベースは、今回の作戦に関しては完全に指揮系統から外されている。フレイル・スコードロンがどのような事態に遭遇しようとも、手を差し伸べてやることができない。助言どころか、激励の言葉ひとつ掛けることすら許されていないのだ。

「無力だな、わたしは‥‥」

 アークライトは、小声でつぶやいた。

 ミシェーラは上官のつぶやきを聞きつけたが、表立った反応は見せずに仕事を続けた。

 彼女もアークライトと同じ想いだった。見守ることしかできないのが、悔しかった。



「間違いないのか?」

 ティクバが、念押しする。

「はい。明らかに月を目指しています」

 技術員が、答える。

 ティクバは、隣に横たわるヴィドを見た。

「どう考える?」

「六機というのが気になります。単に連絡を取ろうとするならば、それだけの数は必要ありません」

 ヴィドが答えた。

「だが、攻撃はありえぬだろう。市民船はまったくの非武装で、無抵抗なのだからな。市民しか乗り組んでいないことは、明白だ」

「しかし、相手は人類です。自分たちの故郷の惑星大気圏内で反応兵器を使用し、同じ種族の市民さえ危険に晒すほど狂っているのであれば、あるいは‥‥」

 ヴィドが、耳を揺らしながら喋る。

 ティクバは熟考した。ヴィドの言うことももっともである。ここはやはり、最悪の事態を想定してその対策を行うべきだろう。

「市民船に警告しておくか。場合によっては、人類との交渉を行う必要がある」

 ティクバは技術員に市民船を呼び出すよう命じた。


「警告感謝します、ティクバ」

 市民代表ザムヤナが、喋った。

「しかし、いままで人類の都市を攻撃したことはないのでしょう?」

「はい、市民ザムヤナ。誤って人類の住居に被害を及ぼしたことはありますが、意図的に都市を攻撃したことも破壊したこともありません。人類市民の保護には、極力留意してきました」

 ティクバは断言した。

「ならば、人類がこの市民船を攻撃することはないでしょう。おそらく、交渉を持ちかけてくるのではないでしょうか」

 ザムヤナが、喋る。

「それでは、意図を探るために、こちらから呼びかけてはいかがでしょう?」

「それはできません。戦略方針は、いまだ交渉を認めていませんから。唯一受け入れられるのは、降伏の申し入れだけです」

「では、戦略方針の修正を具申いたします。地球人類の意図が降伏にあったとしても、相手側はおそらく何らかの条件をつけてくるものと推測されます。つまり形式的には降伏であっても、最終的には、人類と交渉をせざるを得なくなるでしょう」

 ティクバは歯を見せて喋った。ザムヤナが、しばし沈黙する。

「‥‥いいでしょう。具申内容は会議に諮るものとします」

 通信が切れると、ティクバはレーカを呼び寄せた。

「お呼びですか、宇宙船指揮者」

 ティクバは、レーカに状況を説明した。

「この件に関して、ダリルに意見を訊いてもらいたい」

「承知しました、宇宙船指揮者。データはすべてダリルに開示してよろしいですか?」

「一般的なデータであれば構わん」



 ‥‥眠れない。

 航行中のスケジュールは、分刻みで策定済みである。睡眠時間も決まっており、三人ずついっぺんに取ることになっている。が‥‥。

 頭は疲れた感じがしているし、身体も妙な倦怠感があるが、興奮しているのかまったく眠る気になれない。

 瑞樹は水を少し飲んでみたり、ちょっと身体を動かしてみたりしたが、まったく効き目はなかった。仕方なく、事前に渡された睡眠導入剤を口にする。

 ‥‥ひょっとすると、人生最後の睡眠かもしれないな。

 瑞樹はそんなことを思った。

 みんな、なにしてるのかな‥‥。

 フィリーネは、寝つきが悪い方だから、たぶん瑞樹と同じように悶々としているに違いない。アリサは、もう寝ついたろう。寝顔は、いつものように微笑を浮かべているのだろうか。

 ヘザーは、音楽でも聴いているに違いない。サンディは、どうしているのだろうか。祈っているのか、それともディスプレイを使って何か読んでいるのか。スーリィは、相変わらず落ち着いているだろう。たぶん、のんびりとゲームでもして暇を潰しているに違いない。

 留守番のエルサは、空を見上げて悶々としているのだろうか。

 アークライト中将は。矢野准将は。

 上田中佐は。滝野中尉は。‥‥有賀さん、美羽、山名君、フロスト教授、ダリル、ミギョン、ミュリエル、ニーナ、アレッシア‥‥。

 生者も死者も一緒くたになって、瑞樹の脳裏を駆け巡る。

 やがて、瑞樹は眠りに落ちた。



「なんだって?」

 ダリルは、レーカに詰め寄った。

「ですから、人類の小型宇宙船六隻が月近傍のわが市民船に向かって進行中なのです。そこで、人類側の意図について、ダリルの意見を伺いたいのです」

「どこから打ち上げられた宇宙船なの? どんな形? 通信は傍受した? いつごろ月に着くの?」

 ダリルは矢継ぎ早に質問を発した。レーカが、副触腕を立てる。軽い拒絶のサインだ。人類で言えば、閉口して顔をしかめる程度の意味合いだ。

 レーカが、詳しいことを説明してくれる。打ち上げ位置は不明だが、通常のロケットではないらしい。おそらく発進位置および時間は同一。地球周回軌道に到達の直後、月への加速を開始。現在は慣性航行中。電波、レーザーなどは一切発していない。詳細な形状は、不明。到着は、このまま行けば十六時間後。

 ロケットではないのに軌道に到達したとなれば、NTを使用したに違いない。

 ‥‥プロジェクト・ラムダが開発した宇宙船か? あるいは‥‥既存のNT兵器を改造したのか。

 いずれにしても、六機というのがポイントだ。無人であれ有人であれ、攻撃を意図しているものと考えた方がいいだろう。

「ねえ、市民船は本当に非武装なの?」

「もちろんです」

「自衛用の兵器もないの? 対空レーザーとか?」

「ありません。船内警備用の武器はありますが、当然非致死性です。船体装備の武装があれば、軍用船になってしまいます。市民が軍用船に乗り組んでいた場合は、市民としての保護を受ける権利を一時的に喪失したものと看做されますからね。当然市民船に武装はありません」

 ‥‥となれば、六機のNT兵器は確実に市民船を破壊するだろう。使用される兵器は、どう考えても核兵器だ。市民は全滅する。

 市民が全滅すれば、和平への道は閉ざされる。

 NT兵器を止めねばならない。

 しかし‥‥。

 ダリルはレーカを見つめた。もし、レーカが嘘をついていたとしたら? いや、レーカ自身も騙されているとしたら?

 市民船は市民の乗った船ではなく、単なる巨大な軍用船なのではないか?

 ‥‥もし軍用船だとすれば、非武装ということはありえないだろう。迎撃が行われ、人類側の攻撃は失敗する可能性が高い。成功したとしても、現在の戦況(まあ、ゲストになって以降の戦況は詳らかではなかったが)からしてカピィの優位は動かない。

 それに‥‥。

 NT兵器が有人であれば、乗っているのはフレイル・メンバーの可能性が高い。

 六機。おそらく、サンディ、スーリィ、瑞樹、アリサ、ヘザー‥‥それにフィリーネだろうか。

 死なせるわけにはいかない。仲間も、カピィ市民も。

「ティクバに会わせて」


「地球人類の意図が市民船破壊にある、と確信しているのだな」

 ティクバが、念を押した。

「ほぼ確実に」

 ダリルは歯を見せて断言した。‥‥最近、カピィのボディランゲージが伝染ってきたようだ。

「地球側は、市民船が非武装であることも知らないし、市民しか乗っていないことも知らないわ。おそらく、戦士と兵器を満載した後続部隊の船、とでも思ってるんでしょうね。早く手を打たないと、市民が全滅してしまうわよ」

「しかし、迎撃の手段がありませんな」

 ヴィドが、口を挟む。初めて見るカピィだったが、名前と肩書きは聞いたことがあるし、翻訳機を着けているので普通に会話することができる。

「逃げればいいじゃない」

 ダリルはそう提案した。

「NT兵器の推進剤は限られているわ。慣性飛行しているのがその証拠。月軌道を離れれば、追ってはこれないでしょう」

「時間がないのだよ」

 ティクバが、頭部をかすかに上下に振った。

「市民船は、軍用船とは異なる。今は疑似重力を発生させる軌道周回モードに入っているので、軌道遷移くらいしか出来ないのだ。航行モードに移行するには、何日もかかってしまう」

「なら、地球と接触するしかないわね。市民船が非武装であり、戦士が乗っていないことを言明するのよ。NT兵器の乗員を移乗させて、確認させてもいいわ」

 喋りながら、ダリルは興奮してきた。これは、人類とカピィの和平交渉を進める大きなチャンスだろう。市民と人類が直接交渉できれば、戦争が終わる日は案外近いかもしれない。

「とにかく、状況を市民船に伝えよう。ダリル、貴殿の協力に感謝する」

 ティクバが喋った。

「いや、あたしを市民に会わせてよ。通信回線越しで構わないから。その上で、地球側とも接触させて。そうすれば、ことは簡単に収まるよ」

「それはできない」

 ティクバが、主触腕を差し出して拒絶する。

「‥‥やっぱり、あたしの存在がばれるとまずいわけ?」

「そうだ」

「なら、仕方ないね。とにかく、あとは任せるよ」


「信じ難いですね。なぜ脅威ですらない市民船を攻撃しようとするのでしょう?」

 市民代表ザムヤナが、ディスプレイの向こう側で主触腕と副触腕を激しくこすり合わせた。

「人類から見れば、市民船は巨大であることに留意していただきたい」

 ティクバはそう喋った。

「小動物が、草食性の大きな動物と遭遇したようなものです。危害を加えられなくとも、脅威と感じ、攻撃する。動物の自衛本能です」

「しかし、人類は知的生命体です。愚かな小動物ではない」

 ザムヤナが、指摘する。

「知的ではありますが、そのテクノロジーは未熟です。市民船ほどの巨大な宇宙船を建造するのは不可能です。軍用船だと誤解しているのだと思われます」

 ティクバは言葉を継いだ。

「‥‥いずれにしても、最悪の事態を想定すべきです。先程の具申は検討していただけましたでしょうか、市民ザムヤナ」

「予備会議は済ませました。‥‥市民パザと市民ウシャイトから質問があるそうですが、よろしいですか?」

「もちろん結構です」

 脇のディスプレイに、二体の議長代理の姿が映し出される。

「宇宙船指揮者ティクバ。貴殿の報告の根拠はなにかな?」

 パザが尋ねる。

「本職はかなりの期間人類との戦いを指揮しております。その過程で、人類の思考方式にも通じました。様々な情報を総合的に判断すれば、現在そちらに向かっている地球の小型船舶が市民船攻撃を目的としている可能性が高いと推測されるのです」

「宇宙船指揮者オブラクと宇宙船指揮者サンの意見は?」

 ウシャイトが、尋ねる。

「まだ意見交換をしておりません。両名の戦士としての能力に疑いを差し挟むつもりはありませんが、人類との戦闘経験は本職の方が豊富です。本職の判断はその経験に裏打ちされたものだということに留意していただきたい」

 ティクバは歯を見せた。

「貴殿の推測が正しいとすると、より安全な回避方法は?」

 ウシャイトが、尋ねた。

「市民船が非武装であることを、人類に納得させる必要があるでしょう。映像を送信し、内部を見せることが最善かと」

「よく判りました、宇宙船指揮者ティクバ。本会議を開催し、貴殿の提案を検討しましょう」

 ザムヤナが、確約した。


 カピィ市民船で開催された本会議‥‥議長ザムヤナ、議長代理パザおよびウシャイト、一般の代表約二十数名によって行われる意見交換‥‥は長引いた。

 もともと、市民階層の決断は遅い。会議ともなれば、全員の意見がおおよそ一致を見るまでだらだらと続けられるのが常である。これは別に市民階層の知力が劣っているためではない。即断即決で拙速を厭わぬ戦士階層に対し、時間を掛けて充分に状況を検討し、確実にことを進める市民階層が存在するからこそ、種族としての知性のバランスが取れているのである。

 会議が終了したのは、地球の時制で開始から十二時間半経過した頃だった。人類ならばマラソン会議だが、カピィの市民階層にとっては平均的な長さである。

 議決された項目は、ふたつ。

 ひとつめは、新たな戦略方針として、地球側の降伏を前提とした交渉を行う余地を設けること。ふたつめは、前項に基づき現在月に向け進行中の人類側小型宇宙船と接触を図ること。以上であった。


「とりあえず、良かった」

 レーカから一連の推移を説明されたダリルは、そう言ってほっと息をついた。‥‥これで、最悪の事態はひとまずまぬがれそうだ。

「問題は、あんた方の主張を地球が信じるかどうかだね」

「信じなければ‥‥人類は市民船を反応兵器で攻撃するのですか?」

「たぶんね」

「どうすれば非武装であることを信じてもらえますか?」

 レーカが、訊く。

「見せてやるしかないね」

 ダリルは肩をすくめた。



 時間だ。

 瑞樹は兵装マスタースイッチをオンにした。レーダーもスタンバイ。ラジオも発信可能にする。

 衛星軌道上から送られてきたデータが、MFDに表示された。スフィアは依然、月軌道上にいるようだ。作戦中止の指令は出ていない。

「ナイル1より各機。現況チェック」

 アリサから通信が入る。

「ナイル2、チェック」

 相変わらずちょっとぶっきら棒な、ヘザーの声。

「ナイル3、チェック」

 こちらも普段どおりの、落ち着いたスーリィの声。

「ナイル4、チェック」

 やや緊張感の感じられる、サンディの声。

「ナイル5、チェック」

 瑞樹は答えた。自分では落ち着いた声音で言ったつもりだったが、みんなにはどう聞こえただろうか。

「ナイル6、チェック」

 フィリーネの声は、やけに小さかった。緊張か、怯えか。

 推進剤節約のために、全機いまだ慣性航行中だ。敵の出方が予測不能なので、ここから先の攻撃方法は、自由裁量に任されている。加速しつつ突っ込んでもいいし、減速するのも戦術的に有利であれば可能だ。もっとも、あまりに長時間加速を続けると、減速にそれだけ多くの推進剤を費やすことになり、地球へ戻ることができなくなる危険性がある。

「各機、レーダーオン」

 アリサが命じた。

 瑞樹はスタンバイ状態だったレーダーをオンにした。索敵担当区域は、月の「下方」だ。

 反応なし。

 各機のレーダーサーチの結果が、瑞樹のMFDに表示される。‥‥スフィアと月以外、顕著な反応はない。‥‥奇襲に成功したのか。

「どうする、アリサ?」

 ヘザーが、訊く。

「地球へお伺いを立ててみましょうか」

 アリサが、得られたデータを地球周回軌道上の衛星へと送る。

 六機は、スフィアまであと三十分の位置に迫っていた。


「ナイルよりデータ送信です。全機問題なし。攻撃態勢に移行。スフィアは依然兵器展開を行っていません」

 早口で、山名が告げる。

 メイス・ベースの作戦室には多くの人の姿があった。むろん、ここに詰めていてもフレイル・メンバーに対し激励の言葉ひとつ掛けてやることすらできない。だが、皆が作戦の成功とフレイル・メンバーの無事を祈るために、ここに集っていた。本来であれば、作戦室運用にかかわりの無い人員は極力オミットするべきだが、今回ばかりはアークライトも大目に見るつもりだった。

「カピィの反応が鈍い。‥‥なぜでしょうな?」

 火の点いていない煙草を咥えた矢野が、訝る。

「火力に自信があるのか。あるいは、無人かそれに近い補給艦なのかもしれん」

 アークライトが、つぶやくように言う。


「ナイル1より各機。‥‥タイガはゴーサインしか送ってよこさないわね。このまま慣性飛行で突っ込みましょう。迎撃の具合を見て、各自の判断で加減速を行って。推進剤の残量に注意すること。いいわね」

 アリサが、落ち着いた声で告げる。

「火星まで行きたい奴は別だけどね。2了解」

「3」

「4、了解」

「5」

「6」

「じゃあ、行くわよ、みんな」

 アリサの声。

 瑞樹は深呼吸した。さあ、いよいよだ。スフィアまでの距離は、約2700km。

「‥‥当方に接近中の地球艦艇に告げる。当方に接近中の地球艦艇に告げる」

 不意に、ラジオから甲高い女の子の声が流れ出し‥‥瑞樹は肝を潰した。

「な、なんだぁ?」

 ヘザーが、叫ぶように言う。

「当方は非武装であり、攻撃の意図は持っていない。繰り返す、当方は非武装であり、攻撃の意図は持っていない。当方の乗員はすべて市民である‥‥」

 訛りのない、きれいなアメリカ英語だ。七歳か八歳くらいの、アメリカ人の女の子‥‥たぶん、北東部の、中流以上の家庭で育った子‥‥が喋っているように聞こえる。ただし、幼い子らしい舌足らずな感じがない。

「カピィの謀略?」

 サンディの声。

「発信源特定中‥‥」

 さしものアリサの声も、かなり上擦り気味だ。

「出たわ。‥‥発信源はスフィア。間違いないわ」

「‥‥当方に接近中の地球艦艇に告げる。当方は非武装であり、攻撃の意図は‥‥」


「これは‥‥予想外だ」

 チョープラー大尉が、へなへなと崩れ折れるようにパイプ椅子に腰を下ろす。その隣では、クルーズ中尉が流れる汗を拭くことすら忘れ、呆然と突っ立っている。

「信じられん‥‥」

 矢野准将が、天井を仰いだ。

「HQより送信。発信源はスフィアと確認しました」

 ソムポン軍曹が、告げた。

「チャン軍曹。音を絞ってくれ」

 アークライトは命じた。スフィアから送られてくる甲高い幼声は、先程から同じフレーズを繰り返しているだけだ。

「イエス・サー」

 チャン軍曹がキーボードを叩き、音量を下げた。この幼女声の前では、チャン軍曹の舌足らずの声も大人びて聞こえる。

「真実か、カピィの苦し紛れの謀略か‥‥」

 アークライトにも、判断はつかなかった。


 スフィアまでの距離は、2000kmを切った。

「まだタイガから何も言ってこないの?」

 サンディが、訊く。

「ええ。ゴーサインだけ」

 アリサが答える。

 スフィアに依然動きはかった。なんとかのひとつ覚えのように、非武装だなんだと喚いているだけだ。

「ねえ、こっちから呼びかけてみるわけにはいかないの?」

 瑞樹はそう訊いた。

「交話を提案したけど、タイガの許可が下りていないのよ」

 アリサが言う。

「ほんとに非武装船舶だとしたら、まずいよ。戦争犯罪になっちゃう」

 スーリィが、言う。

「謀略だよ。なんで非武装宇宙船がこんなところにいるんだ? なぜ逃げない? なぜ今頃通告する? おかしいじゃないか」

 ヘザーが、指摘する。

「確かにね」

 瑞樹は同意した。


「謀略です。他に考えられない」

 デミン大将は力説した。

「確かめる術はあるだろう。こちらから呼びかけてみてはどうかね?」

 ポーター大将が、言った。

「賛成です。呼びかけるだけなら、害はないでしょう」

 ウェイ大将が、賛意を示す。

「だとしても、我々にカピィと交渉する権限はありませんぞ。越権行為と受け取られるならまだしも、場合によっては利敵行為と取られるおそれもある」

 デミン大将は、そう指摘した。

「UNの許可を得ている時間は無いな」

 ポーター大将が、言った。

「もちろんです。それに、仮に交渉を開始したとしても、のんびり会話していたら、ナイル・フライトがミサイルの射程圏外へ出てしまいますぞ」

 デミン大将は続けて指摘した。

「カピィとの交渉でなければ、問題ないでしょう」

 ウェイ大将が、指を立てた。

「どういうことです?」

「これは閣下の方がお詳しいと思いますが、軍艦が公海上で不審船舶を臨検する事例に当てはめればよろしいのではないですかな?」

 ウェイ大将が、ポーター大将に向けて言った。

「ほう。臨検ですか。‥‥当該船舶は非武装を主張している。当方は臨検の権利がある。その過程で、当該船舶と通信する必要がある。なるほど」

 ポーターがうなずく。

「いい案です。それで行きましょう。コルシュノワ大佐に任せるのですな」

 デミンが言って、作戦室に詰めている部下に指示を出す。






 ナイル・フライトは、スフィアまであと1600kmの地点まで接近していた。

 タイガとの交信を終えたアリサが、ロシア語でひとしきり喚いた。フーイとかマーチなんとかとか聞こえたから、たぶん罵っていたのだろう。

「タイガがこちらに全部押し付けてきたわ。臨検のつもりで通信しろって」

 アリサが説明する。

「なんだかよく判らないけど、急いだ方がいいわね」

 瑞樹はそう言った。あと十二分ほどで、スフィアに近接する。

「こちらUNUFナイル・フライト。月の衛星軌道上の宇宙船、応答せよ」

 アリサが呼びかけを三回ほど繰り返すと、やっと非武装云々のリフレインが止んだ。

「こちら市民船。当方の意図を理解されたか?」

「市民船?」

 スーリィの声。

「そちらの非武装船との主張を確認したい」

 アリサが訊く。カピィ側が、沈黙した。

「どうなってるんだよ‥‥」

 ヘザーがぼやく。

「市民船って、どういうこと?」

 瑞樹は訊いた。

「文字通りじゃないの? 市民が乗ってるんだよ」

 スーリィが、言う。

「なんで市民が戦場にでしゃばってくるんだ?」

 ヘザーが、言う。

「まさかとは思うけど、地球に住むつもりなのかな?」

 瑞樹は元寇の際の軍船が、農具や種子類を積み込んでいた例を思い出した。

「‥‥地球を乗っ取る気ですの?」

 フィリーネの声。

「ナイル・フライト。当方を信用されたい。当方は非武装。攻撃の意図は持っていない」

「証明を要求する。ナイル・フライトのうち何機かを着艦させていただきたい」

「おいおい」

 瑞樹は突っ込んだ。

「何を考えてるの、アリサ?」

 ヘザーが、訊く。

「他に方法はないでしょ? 四機がある程度離れたところで漂泊して待機。二機がスフィアの中に入って臨検。もし罠であれば、内部でグロームを起爆させる。船内で1メガトン爆発させれば、さしものスフィアもただじゃすまないでしょう」

 あっさりと、アリサ。

「自殺行為だ」

 ヘザーが、言う。

「中に入るのは、わたしと‥‥瑞樹でどう?」

「なんでわたしなの?」

「いや、なんとなく」

「瑞樹が行くなら、わたしも行きますわ」

 フィリーネが、甲高い声で言う。

「いや、それじゃまずいよ。スフィアのそばで漂泊したら、いい的だ。行くなら全機内部に入ったほうがいい」

 スーリィが、そう提案する。

「そうね。その方が現実的だわ。何回も加減速すれば、地球へ帰るだけの推進剤が残らないもの」

 サンディが、賛成した。

 ‥‥なんかやばい話になってるし‥‥。

 瑞樹の手が頬に伸びたが、指先がフェイスプレートに当たってしまう。

「ナイル・フライト。船内に入れることはできない」

 しばしの沈黙ののち、甲高い声がそう答える。

「なぜ? そちらには非武装を証明する義務がある」

「当方の乗員は市民のみ。交戦中の敵の戦士を乗船させるわけにはいかない」

 幼女声が言う。

「距離1000を切ったよ、みんな」

 瑞樹は注意を喚起した。

「月の衛星軌道周回中の宇宙船。こちらナイル・フライト。非武装の証明がない限り、貴船は戦闘艦艇と看做さざるを得ない。重ねて通告する。着艦を許可せよ。全機の着艦と、船内の捜索を要求する」

 アリサがきつい口調で通告する。

「そろそろ、タイガの最終判断を仰がないとまずいよ、アリサ」

 ヘザーが言った。

「そうね」

 予定しているグロームの発射ポイントに入るまで、あと六分ほど。それまでに、攻撃するか否かをタイガに指示してもらわねばならない。


「コルシュノワ大佐の提案は無茶だ」

 ウェイ大将が、言う。

「いえ、現実的です。少なくとも、あの状況では」

 デミン大将はそう応じた。

「いずれにしても、ここは手堅く行くべきだろう。非武装である確証が速やかに得られなければ、攻撃させよう」

 ポーター大将が、主張する。

「すぐにでも攻撃させるべきだ。もし仮に非武装だったとしても、無辜の市民が乗っているわけではない。奴らの主張通りだとしても、地球を乗っ取ろうと企む移民どもだろう。西ローマ帝国の将軍が北イタリアでフン族のキャラバンを発見したらどうするね?」

 ウェイ大将が、言った。

「ご意見は承りました」

 デミン大将は、オペレーターに向き直った。

「音声回線を繋げ」

「どうぞ」

「こちらタイガ。ナイル・フライトはミサイル発射ポイントに到達次第、スフィアを攻撃せよ。繰り返す、スフィアを攻撃せよ」


「地球人類は馬鹿なのか。市民しか乗ってない船に敵の戦士を受け入れるなどありえない」

 ヴィドが、喋る。

 ティクバらは先程から市民船と人類側宇宙船のやり取りを傍受していた。正確に言えば、市民船が傍受、翻訳したものが、転送されてきているのだが。

 ‥‥どうやら、人類はこちらの主張をまったく信用していないらしい。

「なぜ信じようとしないのだ? 市民が戦士に嘘をついて何の利益があるというのだ?」

 ティクバは耳を揺らしながら喋った。

 不意に、ディスプレイに映像が入った。市民パザが、映る。

「宇宙船指揮者ティクバ。貴殿の提案どおり、市民船内の映像撮影を開始した。これを見せてやれば、市民船が非武装であることを人類も信じるだろう」

 隣のディスプレイに、船内映像が入った。大勢の市民たちや、船内農場の様子が見える。

「そちらで人類が傍受できるように加工して、発信してもらいたい」

「すぐに取り掛かります」

 映像送信は音声のみよりも複雑なので、人類の技術に不案内な市民船の手には余るようだ。ティクバは、控えていた技術員を見た。

「可能だな?」

「少し時間が掛かりますが、可能です。地球でもっとも一般的な映像電波発信方式で行います」

「頼む」

 ティクバは主触腕と副触腕をすり合わせた。市民船内部を見せても、人類が納得しなければ、市民船は攻撃されてしまう。

 ‥‥こうなれば、仕方がない。最後の手段だ。

「レーカとダリルを呼べ」

 ティクバは別の技術員に命じた。ダリルなら、いい知恵があるかもしれない。


「タイガの攻撃命令を確認したわ」

 アリサが告げた。

 距離は500km。スフィアに変化はない。幼女声は、着艦拒否を繰り返すだけだ。

「本当に非武装船かもしれません」

 フィリーネが、言う。

「言葉が判るんなら、いままで何でこちらの呼びかけに反応しなかったんだろう?」

 瑞樹は疑問を口にした。すでに人類は一年以上にわたって、カピィに対し話し合いを呼びかけてきているのだ。なぜこんな土壇場で、急に交渉する気になったのか?

「やっぱり、苦し紛れの謀略なのかしら」

 サンディが、言う。

「いずれにせよ、もう遅いわ。全機、時限信管モード。120秒。わたしのマークでスタート。逃げ遅れたら、死ぬことになるからね。気を引き締めてちょうだい」

 アリサが、いささか硬い声で告げる。


 扉が開いた。

「一緒に来てください、ダリル」

 通路から、レーカが呼びかける。

「どうなったの?」

「話はあとで。急いでください」

 ダリルは、レーカのあとについて通路を走った。ふと、脱走のチャンスだという考えが浮かんだが、とりあえず今はそれどころではない。レーカの慌てぶりからすると、市民船に対する攻撃阻止はうまく行っていないらしい。

「ここです」

 レーカが、開けっ放しの扉の前で止まった。

 ダリルは中に飛び込んだ。

 部屋の中には、六体のカピィがいた。休息台に乗った二体と、壁際の四体。奥の休息台に乗っているカピィは、ティクバだ。もう一体も、見覚えがあった。指揮者代理のヴィドだ。

「ティクバ、状況は?」

 ティクバが副触手を伸ばし、翻訳機の表面を撫でた。スイッチを入れたのだと解釈したダリルは、質問を繰り返した。

「難航している。地球側が、市民船が非武装だという事実を信じようとしないのだ」

 ティクバが喋る。

「音声交信したの?」

「そうだ。地球人類の宇宙船と直接交信している」

「音、聞ける?」

 ティクバが、壁際のカピィに副触腕でなにか合図を送った。

 部屋に幼女の声が溢れる。

「‥‥は許可できない。当方は非武装である。乗船しているのは市民だけだ‥‥」

「こちらナイル・フライト。これが最後通告になる。速やかに着艦を許可せよ。さもなくば戦闘艦艇と看做し、攻撃する」

 ‥‥アリサ!

 この凛とした声。高飛車な喋り方。間違いなく、アリサだ。

 ダリルはティクバに迫った。

「あたしに喋らせて! これはあたしの仲間の声だよ! あたしなら、止められる!」

「いや、それは許可できない」

「なんで!」

「貴殿の存在は極秘だ。声を電波に乗せるわけにはいかない」

「あんた、戦士でしょ! 戦士の任務は市民の保護じゃなかったの? 放っておけば、市民船に反応兵器が使われるのよ! あんたは市民の命よりも自分の地位が大切なの? 戦士としての誇りはどこ行ったのよ!」

 ダリルはまくし立てた。

 ティクバの隣で寝そべるヴィドが、何事か喋る。着けている翻訳機のスイッチが入っていなかったので、何と言ったのかは判らなかった。

「‥‥地球人に説教されてしまったな。確かに、貴殿の言うことが正論だ」

 ティクバが、そう喋った。レーカに副触腕で合図する。

 レーカが自分のPDA兼テレビのリモコンをちょっと操作してから、ダリルに差し出した。

「さあ、思う存分喋りたまえ」

 ティクバが、促す。


「‥‥聞いてる、アリサ。あたしだ。ダリルだよ。あんたたちが攻撃しようとしているカピィの宇宙船は、どうやら非武装らしい。攻撃しちゃ駄目だ。サンディも、スーリィも、瑞樹もいるんだろ? あれに乗ってるのは、市民だけだ。戦士じゃない。だから、攻撃しても意味ないよ。聞いてるかい‥‥」

「なんだ、これは?」

 デミン大将が、怒鳴る。

「発信源は、オハイオのカピィ宇宙船です」

 オペレーターの一人が、叫ぶ。

「新手の謀略か。妨害しろ!」

「イエス・サー」


「‥‥なんだったの、今のは?」

 呆けたような、アリサの声。

「ダリルの声だったような‥‥」

 サンディの語尾が、自信なさげに消える。

「なんか、名前呼ばれたような気がした‥‥」

 瑞樹もそう言った。

「幽霊じゃ、ないよね」

 スーリィの声。

「ほんとにダリルの声だったの?」

 ヘザーが、問う。

「よく似てたけど‥‥これも謀略?」

 サンディが、言う。

「謀略だとすれば、どこで音声データを手に入れたの? なぜわたしたちに使えば効果的だと判ったの? なんで今頃‥‥」

「みなさん、発射ポイントに近付きましたよ! あと90秒で、接触です!」

 アリサの言葉を、フィリーネが遮る。

「任務に集中しよう、みんな」

 ヘザーが言った。

 瑞樹はサイドスティックを握りなおすとMFDを凝視した。だが、そこにダリルの顔が浮かんできてしまう。あの声。喋り方。かなり歪んで聞こえたが、ダリルそっくりだった。生きていたのか、それともカピィの技術力で合成された単なるデジタルデータだったのか。


「電波妨害ですね。同一波長に被せるように、より強力な出力でノイズが発振されています」

 レーカが、説明した。

「じゃあ、他の波長を試してよ! 何とかして止めないと!」

 ダリルはわめいた。

 ティクバの合図で、壁際のカピィがなにやら触腕で操作する。

「よし、続けろ」

 ティクバが、副触腕でダリルの手にある機器を指した。ダリルは大きく息を吸い込むと、呼びかけを再開した。

「アリサ。攻撃を中止してくれ。あのカピィ宇宙船は、本当に非武装みたいだ。冷静なあんたなら、判るだろ。あたしも確信は無いけど、信頼できるカピィがそう言明している。みんな、聞こえてるだろ‥‥」


「オハイオから異なる周波数で発信中。妨害開始しました!」

 オペレーターが、叫んだ。

「なんのつもりだ、カピィども」

 ウェイ大将が、毒づく。


「宇宙船指揮者、映像の発信を開始しました」

 技術員が、報告した。

「感謝する」

 ティクバは承認の合図を送った。

 ダリルはその隣で呼びかけを続けている。


「オハイオより新たな発信です。ブロードバンド・デジタル変調方式のようです!」

 オペレーターが叫ぶ。

「妨害しろ! 最大出力だ! いや、面倒だ。バラージ・ジャミングに切り替えろ!」

 デミン大将は怒鳴った。


 距離50km。

 依然スフィアからは音声で呼びかけてくる。音量を絞っているので良く聞き取れないが、映像をなんとかとか言っているようだ。

 ‥‥本当に非武装かも知れない。

 瑞樹はそう感じていた。これだけ近づいたのに、レーザー一発たりとも撃ってこないのだ。もちろん大気がないから撃ったとしてもその光条は視認できないが、IR領域での顕著な放射は確認されていない。

 しかし、いまさら後戻りはできない。攻撃のチャンスは一度しかないのだ。

 すでに時限信管は作動している。101、100、99、98‥‥。

 機体の速度は時速8000kmほど。分速に直すと130kmを超える。

 アリサが、タイガに攻撃の最終承認を求めた。すぐに、ゴーサインが返って来る。

 距離30kmを切る。

 アリサが発射をコールした。直後に、サンディが発射をコールする。

 26km。ヘザーがコール。瑞樹もコールした。一秒の間をおいて、フィリーネもコールする。

 20kmを切るまで粘って、スーリィが発射した。

 瑞樹はMFDの一枚を前方カメラに切り替えた。漆黒の闇の中を、六発のミサイルが明るい光をきらめかせながら突き進んでゆく。太陽に照らされているので、当然星々は見えない。

 六発すべてが、巨体に突き刺さった。

 六機のNT兵器はスフィアの脇を駆け抜けた。巨大な球形宇宙船から、反撃は一切ない。ただし、一部では活発な活動があるようで、なにやら光がきらめいているのが見える。

 MFDの隅で、カウントダウンが進行する。58、57、56‥‥。

 アリサが、攻撃と命中を音声でタイガに報告している。

 カウントダウンが30秒を切る。

 瑞樹は後方カメラのスイッチを入れた。遮光フィルターが掛かっているので、ほぼ黒一色の映像がMFDに映る。

 誰かが祈っている声が、かすかに聞こえる。おそらく、サンディだろう。

 10秒前。MFDの真ん中で、かすかに光が見えた。それが不意に動き、見えなくなる。

 5、4、3、2、1、ゼロ。

 一瞬だけ、眩い光の中に黒い円盤が浮かび上がった。だが、次の瞬間円盤は数え切れないほどの小片に引き裂かれた。光が広がり、その小片すら呑み尽くす。

「こちらナイル1。各機、スプリンターに備えよ」

 アリサが告げる。

 備えよと言われても、することは祈ることくらいしかない。高速で遠ざかりつつあるから、爆発によって生じた破片が衝突してもその被害は大きくはないだろう。しかし、推進剤が十数パーセント漏れ出しただけで地球へ帰還できなくなる可能性がある。

 ‥‥絶対に六人一緒に地球へ帰ってやる。

 瑞樹は誓った。


「スフィア付近で核爆発を確認」

 イングラム曹長が告げた。

 作戦室に、控えめな歓声が上がった。

 アークライトは、渋い表情を崩さなかった。矢野も同様だ。

 緊張した数分が流れる。

「ナイル1より報告。スフィアの破壊を確認しました!」

 イングラム曹長の語尾が、歓喜で裏返る。

 拍手と歓声が、作戦室に溢れた。

「やってくれたか‥‥」

 矢野准将が、眼を閉じて下を向き、大きく息をついた。

 アークライトは、ディスプレイを見上げながら、心中で神に感謝した。

 ‥‥できうるものなら、神よ。あの六人の勇敢な女の子たちを無事に帰したまえ。

「ヴィンス」

 矢野に呼びかけられ、アークライトは頭を巡らせた。差し出された手を、しっかりと握り返す。

「AFHQも光学観測でスフィアの消滅を確認しました」

 山名軍曹が、告げる。

「ナイル各機の現況は?」

 アークライトは尋ねた。

「データリンク異常なし。現在、慣性航行中です」


 全機が、スプリンターの雨を無事に潜り抜けていた。

 アリサが、不要質量の投棄と減速を命じる。NT兵器全機が、今は不要となった空の水タンク、装甲兼タンク外板などを投棄し、身軽になると急減速を開始した。慣性の法則に従い、投棄された雑多な品々がNT兵器を追い越し、宇宙の闇の中へと消えてゆく。

「なんか、急にお腹空いちゃった」

 瑞樹ははしゃいだ声で言って、フェイスプレートを上げ、ビスケットのパックを剥いた。

「あたしも空いた」

 スーリィの声。

「ねえ、さっきのダリルの声なんだけど‥‥」

 サンディが、言う。

「録音してあるから、聞いてみる?」

 アリサが言った。数秒後、ラジオにダリルと思しき人物の声が流れる。

「‥‥どう聞いても、ダリルにしか聞こえないね」

 スーリィが、言う。

「生きているのかねえ?」

 ヘザーが訊く。

「整理しましょう。なぜあそこでダリルの声が聞こえたか。ただ単にわたしたちを混乱させるのが目的だったとしたら、別にダリルでなくても良かったはずよ。ニーナやアレッシア、ミュリエル、ミギョンでも良かったはず。あるいは、アークライト中将みたいな人物でも目的は達成できたはずよ。なぜわざわざダリルを使ったか?」

 アリサが、分析する。

「そうよね。謀略なら、もっと言葉に信頼の置ける声を使ったほうがいいもの」

 サンディが言う。‥‥瑞樹はおもわずうんうんとうなずいてしまった。

「ダリルの音声データが手元にあったか、ダリルがいたか‥‥どちらかだろうね」

 ヘザーが言う。

「じゃあ、サスカチュワンでダリルはカピィの手に落ちたんだ」

 瑞樹は言った。

「そう考えるのが順当ね。理由は不明だけど、カピィはダリルを捕まえた。そして音声データを取得したか、あるいはダリルを監禁した。そして、二十分ほど前に、わたしたちに声を聞かせた‥‥」

 アリサが、纏める。

「じゃあ、やっぱりダリルは生きている‥‥」

「可能性は、少なくないわね」

 サンディの言葉を、スーリィが引き取る。

「‥‥簡単には死なない娘だと思ってたけど、ねえ」

 瑞樹は芽生え始めた希望をビスケットと共に噛み締めた。


「諸君、ご苦労だった」

 アークライトは、作戦室に集った全員を労った。

 ほとんどの者が、晴れやかな笑みを浮かべている。

「だが、フレイルの六人はいまだ月近傍にいる。これから減速、地球に向けての加速、減速、ソユーズへの移乗、大気圏突入が待っている。カピィの妨害も予想される。祝杯は、六人全員がここメイス・ベースへ戻ってきたからにしよう。いいな」

 賛同の声が、一斉に上がる。



 ダリルは床にへたり込んでいた。

 ディスプレイには、月が映っていた。昨日まで見えていた市民船の光は、見えない。

「貴殿には礼を言わねばならない」

 ティクバが、ダリルに主触腕を差し出した。

「どういうことだい?」

 ティクバが、ダリルの手首を握って引っ張る。ダリルは、立ち上がった。

「貴殿はわが市民を救おうと尽力してくれた。感謝する」

「でも、失敗しちまったよ。十三万だかのあんた方の市民を、誰一人救えなかった」

「人類は、失敗したからといって、努力を意味のないものとするのか? 成功しなかった攻撃に参加して死んだ戦士の命は、無駄なのか? そんなことはない。方向性が間違っていない以上、すべての努力と犠牲は尊いのだよ。ダリル、あなたは真の勇者だ。素晴らしい戦士だ」

 ティクバが、頭部を左右に大きく振りながら舌を出した。

「うん、ありがとう」

 ダリルはわずかに微笑んだ。

「レーカ。ダリルには休んでもらえ」

 ティクバが命じる。

 ダリルは、レーカのあとについてとぼとぼと天井の低い通路を歩んだ。部屋に入ると、帰ろうとするレーカの主触腕をつかんで、引き止める。

「一杯付き合いなさい」

 例の冷蔵庫から、ミラー・ライトの缶を出して、ひとつをレーカに放る。レーカが、器用に缶を空中でキャッチした。

 ダリルは床に腰を下ろすと、ミラー・ライトを開けた。よく冷えたビールを、喉に流し込む。

 レーカも缶を主触腕に持ったまま、休息台に寝そべった。副触腕でプルトップを開け、缶を傾けて中身を口中に注ぎ入れる。

「これは、どのような意味合いの飲酒ですか?」

 レーカが、訊く。

「自棄酒、というやつね。人類は、厭なことがあったり失敗をした後などにも、飲酒する習慣があるのよ」

「気持ちは判りますね。わたしも悪い気分を直すために、取って置きの天然果汁を飲んだりしますから」

 レーカが言って、ふた口目を流し込んだ。

「で、これからどうするの、あんた方」

 ダリルは訊いた。

「‥‥守るべき市民がいなくなっちゃったじゃない」

「戦略方針に従うのみです」

「‥‥移住?」

「そうです。戦士階層だけでも、社会は築けます」

「結局戦争は続くんだね。そして、それを止められる市民はいなくなってしまった」

 ダリルはビールを飲み干した。

「‥‥絶望的じゃない」

 ダリルの手が、アルミ缶を握り潰す。


「どうなさいますが、これから」

 ヴィドが、訊く。

「戦士だけで移住するしかないな。幸い、市民船が失われる事態も想定し、軍用船にも文明を再建できるだけの必要最小限の資材は積み込んである」

 ティクバはそう答えた。

「しかし‥‥戦士階層だけで安定した社会を維持するのは難しいでしょう」

 ヴィドが、指摘する。

「いや、そうでもないぞ。わたしは農地を作れと言われればやりこなせる自信はある。貴殿も、子供が好きだと常々口にしているではないか。教育官にでもなりたまえ」

「ですが‥‥」

「戦士も市民も文化的に異なるだけだ。時間さえかければ、安定した社会を生み出せるはずだ。問題は、数だよ」

「そうですね。市民船の十三万ですら、少ないと言われていたのに、我々の数は一気に六千数百まで減ってしまいました」

 ヴィドが鼻をうごめかしながら、右前肢を上下させる。

「これ以上命は無駄にできない。戦争は、そろそろ終わらせるべきだろう」

 ティクバはきっぱりと喋った。

「どうやって‥‥」

「軍事的に勝利を得ることが難しいのであれば、人類と交渉するしか方法は無いな。ともかく、戦略方針は変更され、限定的ながら交渉できるようになったのだ。これを利用しない手はない。もっとも、この大失態のあとで本職が生き延びることができればだが」

「そんな。市民船の喪失は不可抗力です。宇宙船指揮者ティクバに責任はありませんよ」

 ヴィドがそう喋る。

「そんなことはない。責任はある。むしろ、失態の責任を取って名誉の自殺を遂げたいくらいだ。だが、今ここで本職が死んでも事態は好転しない」

「他の宇宙船指揮者から突き上げを喰らうおそれもありますな」

「それに関しては、本職も楽観している。オブラクやサンが本職を責めれば、自らの眼を突くようなものだからな。むしろダリルの存在だよ、厄介なのは。戦略方針無視と言われても仕方がない」

 ティクバはわずかに頭を上下に振った。


「‥‥で、あたしはどうなるんだろうね?」

 ダリルは訊いた。ビールは早くも七缶目だ。

「どうにもなりませんよ。あの放送で、存在は他の軍用船にも発覚してしまいましたからね。いまさらダリルの事を隠しても、手遅れというものです」

 三本目を飲みながら、レーカが喋る。‥‥麦系の味は、口に合うようだ。

「もう少し頑張れば、戦争を終わらせることができるかとも思ってたけど‥‥」

 ダリルはため息をついた。どうやら、考えが相当甘かったようだ。

「戦争は終わらせます。このまま続けたら、我々も人類も滅亡してしまいますよ」

「同感だね」

 ダリルは右手でテーブルをばしばしと叩いた。

第十七話簡易用語集/事実上の宇宙 国際航空連盟(FAI)の規定では高度100km以上の空間を宇宙としており、各国の宇宙機関もそれに準じている。ただし、アメリカ空軍だけは高度50nm(約92.6km)以遠を宇宙と定義している。ちなみに、そのくらいの高度ならば高高度航空機でも到達可能なので、アメリカ空軍には「宇宙船に乗ったことのない宇宙飛行士」が存在する。/バラージ・ジャミング Barrage Jamming 相手が使用する波長すべてに対し妨害電波を発信する方法。/スプリンター Splinter 破片。軍事用語の場合、主に爆弾や砲弾などの爆発物によって生じる弾殻の破片を意味する。

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