15 POW
「腹減った‥‥」
ダリルは妙な銀色のテーブルに突っ伏していた。
カピィに捕まってから、すでに三日目に突入している。
二体のカピィによって、ティンダーの中に押し込まれたダリル。二十分ほど疾走したティンダーが停まると、彼女は手荒く外へと連れ出された。待っていたのは、フルバックの巨体。二体のカピィに引きずられるように機内へと連れ込まれたダリルは、妙に天井の低いテレフォンブースほどの部屋に押し込まれた。あとからサバイバルキットの袋も放り込まれる。ダリルは急いで中身をチェックしたが、飲食物以外のものはすべて無くなっていた。唯一残っていた道具はサイリウム(発光スティック)が一本だけ。‥‥どうやらカピィが人間の食べ物と勘違いしたらしい。
一応、殺される心配はないようだ。そう考えたダリルは、首をひねりつつカロリー・バーをパック入りの水で流し込んだ。カピィは捕虜を取らない、というのが定説である。ならば、今のダリルの立場はなんなのだろうか?
フルバックでの飛行は二時間ほどだった。小部屋から引っ張り出されたダリルは、大きな建物(なにしろあの馬鹿でかいフルバックが何機も駐機しているのだ)の中を歩かされた。空母のリフトほどの大きなエレベーター(たぶん)に乗せられた上に、おそらくカピィサイズなのだろう、天井まで2メートルもない幅広の通路を延々と連れまわされたあげく、一室へと押し込まれる。
それが、この部屋だった。大きさは、5メートル四方ほど。例によって天井は低く、立っていると妙な圧迫感がある。正面の壁には幅2メートルくらいの扉がある。入れられたときに観察したが、上方収納式のようだ。いろいろ試してみたが、押そうが叩こうが喚こうが一向に開く気配がない。
壁際には、縦2メートルちょっと、幅1メートルほど、高さ30センチ程度の台があり、天板部分はグレイの硬いゴムのような材質で覆われている。ベッドかと思って寝てみたが、いささか硬い。
部屋の中央にあるのは、1メートル×1.5メートルほどの、銀色の台だ。おそらくテーブルのようなものだとは思うが、高さは20センチほどしかない。
隅の方には、70センチ四方ほどの大きさのくぼみがあり、中央に直径30センチほどの穴が開いていた。たぶんトイレだろうと判断したダリルは、すでにそこで何度も用を足していた。間違っていたとしても‥‥構うものか。
ダリルは低い天井を見上げた。全体が、柔らかな白っぽい光を放っている。眠る時にはオフにしたいのだが、スイッチらしいものはどこを探しても見当たらない。
「なんか食べたい‥‥」
ダリルは呻いた。サバイバル・レーションはとっくに食べ尽くした。あとは、水のパックがひとつ残っているだけだ。
ダリルの脳裏を、様々な食物がよぎった。レッドロビンのロイヤルレッドロビンバーガー。スモークド・ターキーのサンドイッチ。フライドチキン。パルメザン・チーズたっぷりのシーザーサラダ。子牛のリブステーキ。鮪の握り。豚骨ラーメン。
「飢え死にさせる気かよ‥‥カピィの馬鹿野郎‥‥」
力なく毒づくと、ダリルは上体を起こそうとした。だが、気力不足で起きられない。仕方なく、右手の手のひらをテーブルにつけて、肘をあげて支えとし、起きようとする。
ぐにゅ。
右手の下で、テーブルの天板がわずかに沈んだ。
「ひっ」
気持ちの悪い感覚に、おもわずダリルは手を引っ込めた。上体を起こし、手のひらをまじまじと見る。次いで、天板に目をやった。見たところ、異常はない。
ダリルは、右手をついたところを指で触ってみた。
ぷにょ。
柔らかい。
両手を総動員して、天板を探ってみる。すると、天板の中央部直径70センチほどの円形部分が、柔らかいことが判明した。
‥‥うーん。
ダリルは唸った。なんの意味があるのだろうか?
意を決したダリルは、その柔らかい部分に指を押し当ててみた。わずかな抵抗を感じたのもつかの間、指先が天板を突き抜け‥‥ふいに、直径70センチの部分が透明になった。
「わお」
深さ20センチほどのくぼみに、淡いオレンジ色のボウルのようなものが並んで置かれているのが見えた。片方は透明な液体が八分目ほど入っている。もう一方には、1インチ角くらいの色とりどりのキューブが積み上げられていた。
ダリルは指先を引き抜いた。とたんに、透明部分が銀色に戻る。
「‥‥飯、かな?」
つぶやきながら、ダリルはふたたび指先をやわらかい部分に突き入れた。すぐに、透明な円が現れる。思い切って、手首まで入れてみる。液体の入ったボウルの縁に指先を触れたダリルは、慌てて指先を引っ込めた。
‥‥冷たい。
そういえば、突き入れた手も、冷えてきているようだ。
‥‥ははあ。こりゃ、冷蔵庫だな。
納得したダリルは、手を突っ込むとボウルの縁をつかんで持ち上げた。重みは感じたが、天板部分を抜けるときに、特に抵抗は感じなかった。ダリルはボウルを柔らかくない部分に置くと、キューブの盛られたボウルも取り出した。どんなテクノロジーを使っているか知らないが、カピィも食物を保存するのに低温を利用しているらしい。
さて。
ダリルは液体の入ったボウル(材質はプラスチックのように見えた)を持ち上げると、中身の匂いを嗅いだ。‥‥ほぼ、無臭だ。じっくりと見たが、完全に透明だし、ゴミや油紋が浮いたり、異物が底に沈んでいたりもしていない。
いったんテーブルに置き、人差し指の先を漬けてみる。‥‥異常なし。指がぴりぴりと痛みを感じたりすることはない。人差し指を引き上げ、その腹を親指でこすってみる。皮膚が溶けたりもしないようだ。もう一度指を突っ込み、付いたしずくを突き出した舌の先で舐めてみる。無味だ。へんな苦味や、辛味はない。
ダリルはボウルを持ち上げると、ひと口含んでみた。五秒ほど待って異常がないことを確認してから、飲み下す。
‥‥どうやら水に間違いないようだ。ダリルは、三分の一ほどを一気に飲み下した。
さて。
次は固形物である。さっきは色とりどりに見えたが、よく観察すると五種類しかなかった。ややクリーム色を帯びた白、濃い緑色、鮮やかなオレンジ色、レンガ色、淡いレモン色である。数は、五十個ほどか。ざっと見たところ白が三分の一くらいを占めるようだ。
ダリルは白のキューブを取り上げてみた。手にしてみると、思ったより小さい。一辺は2センチちょっとくらいだろうか。大きさのわりにしっかりとした重みがある。形は角がいくぶん丸まったサイコロのような正六面体で、表面はクッキーのようにややざらざらしている。面には多少引けが見られた。
キューブを鼻に近づけてみる。古びたパンのような匂いがした。少なくとも、不快な匂いではない。
舌を出し、ぺろりと舐めてみる。味らしい味はしなかった。
ダリルは思い切ってひと口かじってみた。しっとりとしたクッキーのような歯ざわりだ。味は‥‥パンそっくりだった。明らかに、小麦の味わいだ。
ダリルはそそくさと白いキューブを平らげた。やや塩気を感じるくらいで旨くはないが、さりとて不味くもない。とりあえず、空腹は満たせそうだ。
次いで、緑色のキューブを手にする。何味だろうか。見た目からすると、野菜のようだ。ホウレン草? ブロッコリー? クレソン? あるいは海草?
ひと口かじり、咀嚼する。残りを押し込み、噛む。
「おんなじ味じゃんか!」
ダリルはオレンジ色のキューブを口に放り込んだ。人参の味も、オレンジの味もしない。白いキューブと同様、パンの味だ。
「‥‥色関係ないのかよ‥‥」
ぼやきながら、ダリルは他の色のキューブも食べた。ピーナッツバターでもあればもう少しおいしく食べられるだろうが、仕方がない。時折水を飲み、喉を潤す。
ボウル半分ほど平らげたところで、とりあえず空腹は収まった。しばらく思案したダリルは、水の入ったボウルを飲み干すと、残ったキューブをテーブルの隅に積み上げた。空になったボウルを、冷蔵庫の中に戻す。五分待ってから、ダリルは冷蔵庫に指先を突っ込んでみた。
戻しておいたオレンジ色のボウルに、水とキューブが入っていた。
‥‥とりあえず、餓死はまぬがれそうだ。
「‥‥以上が、オペレーション・オーヴァーヘッドの全容だ。明日さっそく、NT兵器全機をランス・ベースへとフェリーする。フェリーのメンバーは、リンドマン大尉を除く六名。離陸は1000とする」
厳しい表情のまま、アークライト中将が説明を終えた。
‥‥スフィアに対する直接攻撃。
瑞樹は呆然としたままアークライトの説明を聞いていた。
月まで行く。このわたしが。
「なお、オペレーション・オーヴァーヘッドに参加するメンバーは、志願制としたい。攻撃そのものも危険だが、帰還手段に確実性がないのだ。UNUFAF、ロシア、合衆国が全力を尽くすと明言しているが、カピィの妨害がないという保証はない」
「で、どうするつもり?」
ヘザーが、食事のあいだは出なかった話題を、口にした。
むろん、オペレーション・オーヴァーヘッドのことである。
「志願するしかないでしょ」
スーリィが、あっさりと言う。
「いまさらヴァジェットを他の人に任せるわけにもいかないしね」
「あたしも志願する! みんなには悪いけど、これはチャンスだよ」
エルサが、力んだ。
「あんたは?」
ヘザーが、隅で微笑んでいるアリサに訊く。
「志願するわ。昔から、他の天体へは一度行ってみたいと思ってたの」
「お二人さんは、どう?」
ヘザーが、並んで座る瑞樹とフィリーネに訊いた。フィリーネが、視線をちらりと瑞樹に送る。
「‥‥正直、行きたくないわね」
瑞樹は言った。
「てゆーか、ほんとはカピィと戦うこともいやなんだよね」
瑞樹は頬を掻いた。
「でも、わたしが抜けるといろいろと困る人も多いわけで‥‥。駄目なのよねぇ。子供の頃から、断るのが苦手で」
「瑞樹‥‥」
フィリーネが、微笑みながら瑞樹の手をテーブルの下でそっと握った。
「サンディは、どうするの?」
「‥‥どうせこのまま戦い続けても、いつかは死んじゃうんでしょうね。それならば、ここで命を賭けた方が利口だわ」
サンディが、唇を噛む。
「だから、わたしも志願するわ」
「そうか。六名揃ったな。じゃ、あたしは留守番することに‥‥」
六人の冷たい視線が、ヘザーに突き刺さる。
「‥‥冗談だって。ここで引いたら、アレッシアとニーナとミュリエルに申し訳ないからね。月まで行って、スフィアに核弾頭ぶち込まなきゃ気が済まないよ」
ダリルは息を止めた。
慎重に、ゆっくりと腕を伸ばす。ほんの少しの油断が、すべてを崩壊させかねない。
接触。赤ん坊の頬に唇を寄せるように、ごくやさしく。
振動が始まる。
‥‥まずい。
ダリルは焦った。ここで失敗すれば、また一からやり直しである。それだけは、避けねばならない。
祈るような気持ちで、指先にわずかに力を込める。
振動が、弱まった。ダリルはやや力を抜いた。
振動が完全に収まるのを待ってから、ゆっくりと指を開く。腕を引く。
やった。成功だ。
ダリルは横を向くと、溜めていた息をそっと吐き出した。
十八段目。新記録である。
退屈のあまり、ダリルは新たな娯楽を案出していた。フードキューブを縦に積み上げるという遊びである。
キューブ自体はほぼ正六面体だが、それぞれ形や重量バランスが微妙に異なるので、十段以上積み上げるのはなかなか難しかった。
ダリルは新たなキューブを手にした。息を止め、ゆっくりと腕を伸ばし、十九段目を‥‥。
いきなり、部屋の外へと通じる扉が開いた。
驚きのあまり、ダリルの腕が激しく動いた。振動を与えられた十八段のキューブ・タワーが、あっさりと崩壊し、銀色のテーブルの上に散らばった。
扉の向こうに、一体のカピィが見えた。そいつが、のそのそと部屋に入ってくる。
ダリルは思わず後ずさりした。
扉が下りてきて、閉まる。
典型的な、カピィだった。垂れ耳と黒い鼻面。薄茶色の柔毛。知性を感じさせる黒い眼。四本の触腕。装備ベルトと、それに取り付けられた様々な道具や機器類。
「なにをしていたのです?」
突然、カピィが喋った。
「へ?」
ダリルは、あんぐりと口をあけた。
驚愕。
カピィが英語で喋ったことも、驚きだったが、それ以上に驚いたのは、その声だった。
少女。
幼くて、舌足らず。どう聞いても、十歳未満の女性の声だった。
「な、なに、その声?」
思わず、そんな言葉が口をついて出てしまう。
「わたしの言葉が、理解できませんか? 声が、どうかしましたか?」
カピィが、言葉を継ぐ。猫の尻尾を思わせる触腕が、揺れている。
ダリルは心を落ち着かせようと奮闘した。どうやら、カピィに敵意はないようだ。言葉も、口から直接出ているわけではない。装備ベルトに付いているいずれかの装置から発せられているらしい。おそらく、カピィの喋った言葉をその装置が翻訳し、人類にも聞こえる波長で出力しているのだろう。
「言葉はわかるよ、うん。でも、その声は‥‥幼い女の子の声だ」
ダリルは、そう返答した。
「わたしたちの言語と声調を、あなた方が理解できるレベルに変調させただけなのですが。不快ですか?」
「いや、不快じゃないけど‥‥」
「ならば、このままで構わないでしょう。わたしの名は、レーカ。あなたと情報交換を望みます」
カピィが、そう喋った。言葉は誠実そうに聞こえるが、翻訳機を通して喋っている以上、その声の調子は当てにならないだろう。
「情報交換か‥‥」
ダリルは思案した。一軍人として、めったなことを喋るわけにはいかない。しかし、カピィに関する情報をいろいろと収集できれば有益だろう。‥‥生きてここを出られたらの話だが。
「いいだろう。情報交換しよう」
「楽にしていいですか?」
レーカが、訊いた。
「‥‥べつにいいけど」
「では」
レーカが壁際の台にのそのそと歩み寄り、その上に横たわった。
ダリルはちょっと逡巡してから、銀色のテーブルに腰を下ろした。
ダリルが監禁されていたのは、やはりオハイオ州クリントン郡のカピィ宇宙船だった。
「はい。リーダーは、宇宙船指揮者ティクバです。指揮者代理は、ヴィド‥‥」
ダリルに問われるままに、レーカが軍事機密と思われる事柄をぺらぺらと喋ってゆく。
‥‥擬装情報を掴まされているのか?
ダリルはそう疑ったが、真偽を確かめるすべはない。彼女は必死になって、レーカの語る情報の暗記に努めた。
「ではそろそろ、あなたのことも教えてください」
レーカが、水を向ける。
‥‥正直に話すか、それとも嘘話をでっち上げるか。
判断に迷うところだった。完璧に近い翻訳マシンを作れるほど人類に関して研究を行っているカピィなら、嘘を見破ることのできるテクノロジーくらい持っていてもおかしくない。
とりあえず、真実を話すしかないとダリルは覚悟を決めた。話したくないことは話さなければいいし、会話を続けているうちにどこまでごまかせるか見当がつくだろう。
「名前はダリル・シェルトン。合衆国海軍中佐。現在の所属は、UNUF」
「あなたはわたしたちの核融合タービンを流用した兵器を操縦していた戦士ですね?」
レーカが、訊く。‥‥心なしか、語調がきついようにも感じる。
「‥‥ああ。そうだよ」
「あなたはすでにわたしたちの飛行兵器を多数破壊していますね?」
一応質問の形を取ってはいるものの、これは確認であると思われた。
‥‥まずい。ある種の戦争犯罪人として裁かれるのかもしれない。
ダリルは返答をためらった。
「わたしたちは、以前からあなたがたに注目していたのです。戦果は把握しています。あなたが乗っていた兵器は回収し、分析を済ませました。答えてください」
レーカが、喋る。
まずい。言い逃れできそうにない。
いやな汗が、ダリルの背中を流れた。
「破壊しましたね?」
レーカの黒い眼が、ダリルを見据える。
「うん‥‥」
迫力に負けて、ダリルはうなずいた。
「今のは肯定ですね?」
レーカが、確認する。ダリルは覚悟を決めた。
「ああ。そうだ」
「やはりそうですか。では、次の質問です。そのように優れた技量と勇気を持ち合わせたあなたのような素晴らしい戦士が、なぜ敵の兵器から奪ったパワープラントを流用した兵器などという不名誉なものに乗っているのですか?」
「‥‥はあ?」
戦士階層と市民階層。
人類においては、いわゆる戦士たる軍人や兵士はあくまで職業の一種として、ソルジャーとなる。「生涯軍人」を標榜する人も中にはいるが、軍を退役すれば‥‥予備役や後備役制度があるにしても‥‥市民となる。
カピィは違う。戦士階層は世襲制である。市民階層は兵器や闘争とは無縁であり、戦争の場合には無条件に保護の対象となる。戦略方針は、市民階層によって決定され、戦士階層はそれに従う義務があるが、身分的に差があるわけではない。あくまで社会の主役が市民階層であって、戦士階層の使命がその保護にあるだけだ。
「ふーん」
ダリルはうなずいた。レーカの説明によれば、もともと戦士階層は世襲制ではなく、ある種の貴族階級に仕える傭兵集団だったらしい。それが専門化するにつれ世襲制となり、他の集団との分岐が進んだ。のちに貴族階級が廃止され、身分的な隔たりが解消されたのちも、市民階層と戦士階層は融合することなく、共存していったようだ。
‥‥シビリアン・コントロール下のサムライ集団、といったところか。
「じゃ、質問。なんであんたらは地球を攻撃したの?」
「そのような戦略方針だったからです」
レーカが、喋る。口調に悪びれた様子は、もちろんない。
「なぜ、そのような戦略方針だったの?」
「危険は排除されなければならないからです」
「人類が危険? ‥‥まあ、無碍に否定はできないわね」
ダリルは苦笑した。いつの間にか、会話に引き込まれた上に、くつろぎすら覚え始めていた。少なくとも、このカピィは悪い奴ではなさそうだ。
「宇宙船指揮者ティクバに市民から与えられた戦略方針は、次の三つでした。この星系を探索すること。この惑星を詳細に調査すること。そして、惑星上に危険な存在があれば、極力これを排除すること」
「‥‥その目的は、なんなの? そもそもどうしてあんたたちは、この星系に来たわけ?」
「移住です」
極端に陸地の少ない惑星であった。
海陸比は、実に70対1。地球に例えれば、惑星全体を覆う海洋にオーストラリア大陸だけがぽっかりと浮かんでいるような状態だ。
カピィは元来草食の陸棲動物である。当然、陸地を広げようとする。技術文明が発達すると、すぐに干拓や埋め立てが始まった。海洋開発技術も発展し、人工島、海中都市、海上浮遊都市などが建設される。
やがてカピィは宇宙開発にも乗り出した。だが、宇宙での暮らしはカピィの気質に合わなかった。近傍の小惑星に都市を建設したものの、それ以上の開発は中止される。その後の宇宙計画は、もっぱらロボット探査艇を星系外へと送り出すことだけに縮小された。
もっと陸地が欲しい。多くの作物を植えたい。人口を増やしたい。子育てのスペースが足りない。‥‥カピィたちの宿願を叶えるには、大規模な惑星改造しかなかった。人工的に地殻変動を起こし、浅い海洋を陸地に変えるのだ。技術力を蓄えたカピィたちはついにその計画に乗り出す。しかし、改造計画は無残な失敗に終わった。地殻への干渉は、全惑星規模の大変動を引き起こしてしまったのだ。カピィたちが居住する島嶼の多くが海没し、海中や海上の都市もほとんどが破壊されてしまう。カピィの人口は、激減した。
生き延びたカピィは小惑星の都市に集められた。市民階層が協議を重ね、ひとつの方針を打ち出す。
移住。
この星系を捨て、あらたな星系を故郷とするのだ。
すでに、ロボット探査艇が好適な惑星を発見していた。いささか遠いが、カピィには元来地球の生物の冬眠に似た長期間休眠の能力が備わっている。それを応用すれば、多少の医学的処置を施しただけで、航行の大部分を休眠状態で過ごすことが可能だ。
カピィたちは宇宙船の建造を開始した。市民階層の乗り組む超大型移民船一隻。それを護衛する戦士階層が乗り組む軍用武装船四隻。最初に完成した軍用船の指揮者に選ばれたのが、ティクバだった。戦略方針を与えられたティクバの船は、一足先に小惑星を離れ、新天地へと向かう長期航海に入った‥‥。
「‥‥あー、あるある。そういう話」
昔そんな話をアニメで見たような気がする。
「で、何年くらいかけて、地球に来たの?」
「こちらの時間尺度で、百八十年ほどですか」
「はあ‥‥。ずいぶんと長旅で。で、地球に来てみたら人類が居座っていて邪魔だったから、攻撃したわけ?」
「攻撃したのは総合的な判断です。ロボット探査艇から送られたデータの解析で、この惑星上に知的生命体が存在する可能性があると理解していましたから。むしろ、脅威と考えたのはあなた方の個体数ですね」
「個体数‥‥人口のことね。あんた方は、全部で何人くらいいるの?」
「戦士が約六千七百。市民が十三万八百ほどです」
「少なっ!」
ダリルは思わずそう言った。たしかに、五十億の人類を見たら、脅威に感ずるのも無理はないかもしれない。
「でも、なんでいきなり攻撃したりしたの? 移住目的なら、戦争する必要ないじゃない。人類より優れたテクノロジー持ってるんだから、それを売ってどこかの島を買い取るとかすれば良かったのに」
「戦略方針に、交渉という選択肢はなかったのです」
「戦士は戦略方針からの逸脱を許されていないの?」
ダリルはそう尋ねた。行き過ぎたシビリアン・コントロールは、時として悲劇を招くものだ。
「当然です。まあ、若干の例外は認められていますが」
「たとえば?」
「状況が激変したり、当初の情報評価が無価値になった場合ですね。今回の場合、地球に高度な技術力をもった知的種族が存在する可能性は予想の範囲内でしたし、軍事力でこれを制圧することは可能だと判断されたのです。それに、戦士階層は基本的に交渉ごとが苦手です。もし戦略方針に交渉が盛り込まれていれば、それを担当する市民階層が軍用船に乗り組んでいる必要があったでしょうね」
レーカの左の副触腕がひょいと鼻に近づき、すぐに離れた。
情報交換は一時間半ほど続いた。
「今回はこの程度にしておきましょうか。また十六時間ほどのちに参ります。では、これで」
レーカが、台を降りる。
「ちょっと待った」
ダリルは、出て行こうとするレーカを身振りで制した。
「どうかしましたか?」
「訊き忘れていたけど、あたしはなんで捕まったの? あんた方は、捕虜を取らないはずでしょ?」
「捕虜、とはなんですか?」
レーカが、訊く。‥‥捕虜を取らない以上、概念からして存在しないらしい。
「ええと、抵抗をやめて敵に降伏した戦士のことよ」
「降伏すれば、戦士ではなくなりますよ」
「あんた方はそうかも知れないけど、人類は違うのよ。降伏しても、戦士は戦士なの」
「‥‥そのような不名誉に直面したのちにも、誇り高き戦士として再び戦えるのですか?」
「人類の場合はね。無駄に死ぬよりは生き延びるべきだという考えよ」
「面白い考え方ですね」
レーカの副触腕が、鼻にぴたりとくっついた。
「あなたを捕らえたのは、宇宙船指揮者ティクバの指示です。理由は、人類が繰り出した新兵器を操る優秀な戦士の実態を知りたかったから、ですね。いわばあなたの立場は‥‥ある種のゲストになりますか。もちろん、戦士として遇するし、時が来れば解放するつもりです」
「時が来れば、ねえ。それはいつ頃?」
「充分な情報交換を終えたら、でしょうか」
レーカが、鼻をうごめかす。
「では、また明日」
レーカが去ろうとする。ダリルは、慌てて言った。
「それともうひとつ。待遇の改善を要求する」
「いいでしょう」
レーカの右前肢がわずかに上がり、小刻みに揺れた。
「まず‥‥」
ダリルは要求を並べ立てた。シャワーの設置。トイレの改善。寝具の搬入。室温の変更(もうすこし暖かいのがアリゾナ育ちのダリルの好みである)。水以外の飲料(特にコーヒー)の提供。食事の改善。照明調節の自由。娯楽用品の提供。着替え。筆記用具。カピィ宇宙船船内の見学。レーカ以外の‥‥できればより地位の高いカピィとの会見。
最後のふたつは却下されたが、残りは早急に対処するとレーカが確約し、部屋を出て行った。
上田中佐の合図で、火器班の面々が暗緑色のシートを剥がした。
「これが、グロームだ。今回は、一メガトンの核弾頭を搭載して使用される。これはもちろん、模擬弾頭だが」
太いミサイルだった。中央部に、ちょっと大き目の三角翼が二枚付いている。尾部には、三角のフィンが四枚。
「各機、これを二発搭載する。姿勢制御用のスラスターを装着したタイプを製作中なので、アクティブレーダーホーミングモードで発射できる。有効射程は‥‥宇宙だから事実上制限はないが、状況からして近接し、目視で発射するのが確実だろうな。起爆方法は近接信管、触発信管、時限信管の複合選択式だ」
「一メガトン‥‥。まあ、スフィアをぶっ飛ばすにはそのくらい必要ね」
ヘザーが、言う。
すでに、NT兵器全機が、ランス・ベースに移送され、改造作業に入っていた。「人類最後の賭け」とも言えるオペレーション・オーヴァーヘッドの準備は着々と進んでいる。
瑞樹ら七人の新生フレイル・パイロットたちは、もっぱらシミュレーターで技量の維持に努めた。新たに宇宙空間/低重力モードが加わったので、それを使って月近傍の空間を再現し、スフィア攻撃をシミュレートする。
「ちょっとやりすぎたかな‥‥」
コーヒーを飲みながら‥‥もちろん砂糖もミルクも入っていない‥‥ダリルはそうつぶやいた。
生活環境は劇的に改善された。マットレスと毛布で快適に眠れるし、便器と目隠しも設置してもらったのでトイレも楽だ。狭いが、シャワールームも設置してもらった。室温も心地よく、申し分ない。身に着けているのはジューシークチュールのスウェットスーツだ。例の不思議な冷蔵庫の中にはミラー・ライトの缶とコロナ・エキストラの瓶がぎっしりと詰まっている。コーヒーメーカーとコーヒーミルも、多種多様の焙煎済み豆とともに届けられた。
娯楽も進化した。壁にダーツボード。ひとり遊び用のカード。パナソニックの液晶テレビ(さすがにアンテナには繋いでもらえなかったが)とトーシバのDVDプレーヤー、それに雑多な映画のDVD約四十枚。プレイステーション3とソフト数本。
「しかし‥‥ねえ」
ダリルは一枚のDVDをもてあそんだ。普通入れないだろ、「インディペンデンス・デイ」なんて。
ダリルのカピィに関する知識は、すでに相当な量に達していた。思い出せる限りのすべてを書き込んだ詳細なメモを作ってあったが、これは外へ持ち出せるとは思えない。ダリルは一日一回はすべてのメモを読み返し、内容を脳裏に刻み付けた。念のために、縮小版もふたつ作って、ひとつは靴の中に、もうひとつは便器に隠してある。
だがこれらの努力も、閉じ込められたままでは何の意味もない。
「どうかね、人類の戦士は」
「待遇には満足しているようです。情報の交換も、順調です」
ティクバの問いに、レーカが答えた。
壁面ディスプレイには、ダリルの姿が映っていた。瓶ビールをちびちびと飲みながら、DVDの映画を鑑賞している。つまみは、ミックスナッツだ。
「見ている映像は何かね?」
「お待ち下さい」
レーカが、装備ベルトから主触腕で箱状の道具を外し、副触腕の先端で表面を操作した。すぐに、ディスプレイにカピィの文字が現れる。
「ジ・アフリカン・クイーンという名称の平面映像記録芝居です」
テレビの画面には、緑色の植物が繁茂する土地と流れる水が映っていた。場面が切り替わり、顔の三分の一ほどに茶色い毛を生やした人間が映る。
「面白いのだろうか?」
「記録媒体を与える前にいくつか抽出し、視聴してみましたが、たいへん興味深いものでした。詳しく分析すれば、人類に関しての知識は大いに深まるはずです」
「市民階層の仕事だな、それは」
ティクバは耳をわずかに揺らした。
「ところで‥‥擬装の方はどうなったかね?」
「はい。抜かりはありません。死体の処理は指示しました」
レーカがわずかに歯を見せる。
‥‥この船にダリルを捕らえておくのは、戦略方針に違反している。
市民から与えられた戦略方針には、地球の調査という項目もあるので、拡大解釈をすれば地球人の捕獲は正当化されるだろう。しかし、レーカに情報交換を命じたり、戦士だからといって客人扱いするのは明白に戦略方針に反している。もしこれが市民階層に知られたら、宇宙船指揮者の座を追われる可能性がある。
そこでティクバはレーカに偽装工作を命じてあった。ダリルの捕獲はあくまで地球人類の生物学的調査であるように見せかけた上に、監禁中に死亡したように装ったのだ。そのために、わざわざ体格と毛色が同じ死体を手に入れ、その処理を船内で目立つように行わせたのである。
「感謝する」
ティクバはレーカを労った。
「では、始めましょうか」
例によって台の上に収まったレーカが、喋る。声は相変わらず甲高い少女声だ。
「質問です。なぜ、あなた方は反応兵器を使用したのですか?」
「反応兵器‥‥って、核分裂や核融合を利用した兵器のこと?」
「そうです」
「あのね。通常兵器でこんなでかい宇宙船を簡単に壊せると思う?」
ダリルは、腕を大きく振って、宇宙船の大きさを表現した。
レーカが、とっさに身を起こし、ダリルを見つめた。耳が、揺れている。
‥‥あれ。
ダリルはレーカの見せた反応に戸惑った。すでに彼女は、レーカのボディランゲージを幾分かは理解できるようになっていた。耳が動くのは、悪い感情‥‥不安とか、怒りとかの表れである。
宇宙船を壊すなどという話になったので、怒らせてしまったのだろうか?
「ごめん。今、怒ってる?」
ダリルはそう訊いてみた。
「怒りの感情はありません。あなたこそ、なぜ怒ったのですか?」
レーカが、主触腕と副触腕の先端をすり合わせながら、聞き返してくる。
これは、迷いや戸惑いを表すボディランゲージである。
「え。あたし、ぜんぜん怒っていないけど‥‥?」
むしろ戸惑うのはダリルの方である。
「でも、腕を振り回したではないですか」
「腕?」
ダリルは、自分の腕を見下ろした。確かに、宇宙船の大きさを表現しようと振り回したが‥‥。
「じゃあ、こうすると‥‥」
そう言いながら、ダリルは腕を大きく振り回した。
「怒ってることになるわけ?」
「‥‥どうやら、人類は違うようですね」
レーカが鼻をうごめかしながら、台の上に寝そべる。
「判った。今度から気を付けるよ。だから、あたしが腕を振り回したとしても気にしないでくれ。怒ったわけじゃないんだから」
「承知しました。では、話を戻しましょうか。‥‥人類が、大気圏内で反応兵器を使用すれば惑星が放射性物質などで汚染されてしまうでしょう」
レーカが、指摘する。
「あんた方に占領されるよりはましでしょ。そうそう、あんた方は反応兵器とやらを持っているの?」
「いいえ。保有していません。もちろん、造るための理論や技術はありますが」
レーカが答えた。ダリルはその眼をじっと見つめた。
「ほんと?」
「はい。使えない兵器を持っていても仕方がありませんから」
触腕は微動だにしていないし、耳も動いていない。瞬きも、普通だ。嘘ではないらしい。少なくとも、理屈は通っている。しかし、使おうと思えばいつでも作成し、使用できるようだ。
「あ、もうひとつ質問。あんた方の究極の目的って、なに? 地球への移住に際して、人類をどうしようというわけ? 絶滅させるまで戦うの?」
「馬鹿な。人類の戦士はともかく、人類市民を傷つける意図は持っていません。わたしたちの目的は、以前にもお話した通りこの惑星への移住です。つまり、人類が現在および将来市民階層に対する脅威とならない状態になれば、わが戦士階層の任務は終了します」
「脅威とならない、ねえ‥‥」
ダリルは考え込んだ。
「それって、条約とか協定とか、そんなものを結べば何とかなるんじゃないの?」
「市民階層が望めば、可能かもしれませんね」
「じゃあ、最初から戦争する必要なかったじゃん!」
「その可能性は否定できませんね。しかし、わが戦士階層が与えられた任務はあくまで危険の排除でしたし、交渉する能力はありませんから」
「あんた方の辞書に、外交という文字はないの?」
「異なる種族との交渉を意味する言葉ですか? ありませんよ、当然。わたしたちが初めて接触した知的生命体が、あなた方ですから」
‥‥レーカが嘘を言っていないとすれば、市民階層とやらの戦略方針が変更されれば、この戦いを終わらせることができるかも知れない。それには、市民階層と直接接触するのが早道だろう。
「ねえ。市民はどこにいるの?」
「月近傍にいます」
「会わせてくれない?」
「それは無理です」
「なんで?」
「ゲストを迎えることは、戦略方針にないことだからです」
「‥‥あんたの上官が、独断でやったことだから、市民にばれるとやばいってこと?」
「ありていに言えば、そうですね」
レーカはどう見ても、戦士階層の中で高い地位にはいないようだ。もっと偉いやつと交渉する必要がある。
「じゃあ、あんたの上官に会わせてよ」
「いずれ会わせてさし上げます。今はまだ早いです。お互い理解し合えなければ、鼻を突き合わせても意味がありません」
レーカが、そう喋った。どうやら、これに関しては譲るつもりはないようだ。
ダリルは話題を変えた。
「ねえ。あんた方はいつもどんなもの食べてるの?」
前々から興味があった質問を、ぶつけてみる。
「明日、持ってきてあげます」
レーカが、約束した。
「あれま」
ダリルは苦笑した。
翌日レーカが持参したカピィの主食は、ダリルが何度も食べさせられたあのフードキューブと寸分違わないものだった。
「あれ、あんたたちの食べ物だったんだ」
「必須栄養素をすべて含んでいますから」
レーカが副触腕を使って、大きなボウルからキューブを五つほど立て続けに口の中に放り込んだ。
「おいしい?」
「はい。わたしは緑色が一番好きですね」
「味、違うんだ‥‥」
ダリルは苦笑した。カピィの舌は‥‥いや、舌で味覚を感じるかどうかは知らないが‥‥人類よりも繊細らしい。
「他に食べないの? お菓子とか、ないの?」
「緊急時の濃縮食料ならあります。戦闘行動中とかに摂取するようなタイプです。それは、おいしくありません」
レーカが、副触腕の先端を一瞬鼻に触れさせた。‥‥よほど不味いらしい。
「飲み物は? なんか他にも持ってきたみたいだけど」
ダリルはレーカが持ち込んだ大きな白いボウルを指差した。
「通常は、水を好みます。気分によっては、果汁を飲みます。もっとも、船内で飲めるのはほとんど合成果汁ですが」
レーカが、ボウルの縁を副触腕で撫でた。すると、ボウルの中に泡立つオレンジ色の液体が少量染み出てきた。
「どうぞ。人類にとって毒性のある物質は含まれていません」
レーカが、ボウルを差し出す。
「人参ジュースとかじゃ、ないよね‥‥」
ダリルはボウルを受け取ると、匂いを嗅いでみた。案外爽やかな香りだった。グレープフルーツを、甘ったるくしたような感じだ。
ひと口飲んでみる。
「あ、おいしいよ、これ」
うす甘い中に、適度に酸味が混じっている。ほんの少しだが、苺のような味もする。ダリルは残りを飲み干した。
「では、これを試してください。わたしの、好物です」
レーカが、再びボウルの縁を撫でる。今度染み出してきたのは、やや紫がかった灰色の液体だった。‥‥飲み物というより、工場廃液じみた色合いである。
「どうぞ」
レーカが、ボウルを差し出す。歯を見せているということは、自信を持って勧めているということか。
ダリルはボウルを受け取ると匂いを確かめた。‥‥胡瓜の匂いがする。
思い切って、ひと口飲んでみる。スイカジュースに似た味だ。ただし、甘味はほとんどない。飲めないことはないが、おいしくはない。
「‥‥まあ、人類とあんた方の味覚はかなり違うようだね」
「そうでしょうね。あなた方は動物質のものを好むようですが、わたしたちは植物質のものしか食べませんし」
レーカが主触手を伸ばし、置いてあったSPAM缶をもて遊ぶ。
ダリルは口直しにDad’sのルートビアを開けて、ごくごくと飲んだ。
「では、情報交換を始めましょうか」
レーカが、休息台に乗る。
「ええと、以前にあんた方は反応兵器は保有していないって言ってたよね」
ダリルは、そう尋ねた。
「はい。製作は可能ですが、保有していません」
「なら、反応兵器よりも強力な兵器は持ってないの?」
‥‥昨夜、とある古い映画のDVDを見ながらふと湧いた疑問だった。この宇宙船は、軍用船である。もし、宇宙で同じような軍用船に遭遇し、そしてその相手が敵意を持っていたとしたら‥‥。反応兵器なしで守れるのだろうか? ひょっとすると、映画の中の宇宙船のように、核兵器などおもちゃに思えるような凄まじい破壊力の兵器を隠し持っているのではないか?
「はい、持っていません」
きっぱりと、レーカ。ダリルはボディランゲージを観察したが、触腕も耳も動いていない。
「じゃあ、もし同じくらいの大きさの宇宙船が反応兵器で攻撃してきたらどうするの?」
「もちろん、戦います」
「どうやって? 反応兵器を急いで作るの?」
「そんな時のために、連絡艇があります。それを敵の宇宙船に近づけて、攻撃します」
「連絡艇?」
ダリルは首をひねった。初めて聞く単語である。
「はい。連絡艇の核融合炉を暴走させれば、通常の反応兵器より大きなエネルギーを放出します。宇宙船など蒸発させられます」
歯を見せながら、レーカ。
‥‥おいおい。
「そんな兵器を隠してたの?」
「連絡艇は兵器ではありません」
「まあ、確かにそうだけど‥‥。それ、どれくらい威力があるの?」
「そうですね。あなた方がわが方の軍用船攻撃に使用した反応兵器のざっと二千数百倍程度でしょうか」
「二千数百倍‥‥」
カピィ宇宙船迎撃に使用された核弾頭は、ロシアSLBMからの流用品で核出力100キロトン。その二千数百倍は‥‥二百数十メガトン。
1961年に当時のソビエト連邦が実験に成功した空前絶後の超巨大水素爆弾「ツァーリ・ボンバ」の核出力が約58メガトンといわれているから、ざっとその四から五倍の威力。
「あはははは」
乾いた笑いを響かせたダリルだったが、すぐに表情を引き締めた。これは重要な情報である。なんとしても、詳細に聞き出さねばならない。
「それで、その連絡艇とやらはいくつあるの?」
「各軍用船に、十四隻ずつあります」
「‥‥ってことは、三隻で」
「四十二隻ですね」
‥‥その五分の一でも使われたら、人類は滅亡しかねない。
「核融合炉を暴走させるって言ったけど、じゃあNTを暴走せせれば、強力な兵器になるわけ?」
「いいえ。通常の出力の弱い核融合炉‥‥我々の兵器の動力源として使用されているものは、きわめて安全性が高く、暴走の危険性は皆無です。しかし、軍用船や連絡艇に使用される高出力の大型核融合炉は、意図的に暴走させることが可能です。さらに、連絡艇の場合は威力を高めるために反応物質を追加してあります。だから、あなた方の反応兵器よりも大きな威力を得られるのです」
暴走のエネルギーにより、反応物質‥‥つまり核物質が核融合反応や核分裂反応を同時に起こすのだろう。‥‥空恐ろしい兵器である。
「それって、簡単に使えるの? 例えば、あなたの上官が命じれば、人類に対して使用できるの?」
「まさか。あれはあくまで緊急時に自衛用に使われる手段です。まして、大気圏内でそれを使ったりすれば、環境を大規模に汚染してしまいます。まあ、市民階層から使用の指示が出されれば別ですが」
「シャトー‥‥モートン・ロスチャイルド? ええぃ、フランス語は判らん」
ダリルはラベルを読むのを諦めると、コルク抜きを手にした。栓を抜き、ワイングラスに赤紫の液体をとくとくと注ぐ。香りを楽しむこともなく、口に含む。
「旨っ」
ダリルの好みからするとやや渋みが強いが、旨いワインだ。
「ねえ、あんたがたはお酒飲まないの?」
ダリルは、台の上に横たわるレーカに尋ねた。
「人類と同様、エタノールを摂取すれば神経系に影響が出ます。しかし、恒常的に摂取する習慣はありません。昔は娯楽として神経系に作用する薬品を常用していたこともありますが、近年では廃れた習慣です」
「毒性があったりするわけじゃないんだ」
「エタノールは毒物ですよ、ダリル」
レーカが指摘する。
「少しなら、構わないでしょう」
ダリルは空のグラスにワインを注ぐと、レーカに差し出した。
「飲ませるおつもりですか?」
「いいじゃない」
レーカが、主触腕で器用にワイングラスのステムを掴んだ。鼻先に近づける。
「複雑な臭いがしますね」
「さあ、遠慮せずにどうぞ」
カピィの口は、人類のそれほど器用ではない。文明発達以前に水を飲む場合は、地球上の四足歩行哺乳類と同様水の中に入って直接飲むか、頭を下げて水面につけて飲んでいたし、文明発達以後は大きなボウル状の容器を主触腕で支えて飲むのが普通である。ワイングラスのような小さな容器から少しずつ飲むのは、難しかった。
レーカが頭部を上向けて、口を大きく開けると、ワイングラスを傾けて少量を流し込んだ。
「どう?」
「率直に申し上げれば、不味いです。余計なものが入りすぎている」
レーカが、そう喋った。
「やっぱり、味覚は相当違うわね」
ダリルは自分のグラスを呷った。
「で、今日は何の話をするの?」
レーカがワイングラスを置いた。
「あなたのお仲間の戦士についてお聞きしたいのです」
‥‥ついに来たか。
ダリルもワイングラスを置いた。
軍事に関する質問は、今までにも数多くなされていた。だが、大半は新聞やテレビニュース、UNUFのプレスリリース、さらには軍事雑誌のバックナンバーやインターネットなどを漁れば容易に知ることができるレベルのものだったので、ダリルは素直にレーカに説明してやっていた。
だが、フレイル・スコードロンに関しては、少なくともダリルがカピィに捕まるまでは一応秘匿事項だった。ここでおいそれと喋るわけにはいかない。喋ったら、仲間を裏切ることになる。
話さないと怒るだろうか? その結果、どうなる? 殺されるか? 拷問? 薬物注射? 洗脳?
とりあえず、カピィ流の理由をつければ、レーカが怒るようなことはないだろう。
「‥‥それについては、話すわけにはいかないのよ。ほら、あたしも一応戦士だし、仲間の戦士の情報をあんた方に教えたら、まずいでしょ?」
「たしかにそうですね」
レーカが、あっさりと納得する。
「しかし、軍事に関係ないことは話せるはずです。例えば、当初あなたは他の三人の仲間と一緒に戦っていましたよね。他の三人は、どんな戦士だったのですか?」
レーカに問われ、ダリルの脳裏に旧フレイル・メンバーの顔が次々と浮かんだ。眉を逆立てて突っ込みを入れているサンディ。照れ笑いしているスーリィ。心配顔の瑞樹。超然とした笑みを浮かべているアリサ。‥‥そして、ポーカーフェイスのミギョン。
「‥‥いや、仲間は五人だった」
‥‥そのくらい喋っても構わないだろう。
「詳しく聞かせてください」
ダリルは喋った。監禁生活が長引いて、寂しかったのかもしれない。仲間のことをレーカに話すのは楽しかった。もちろん、NT兵器の性能やUNUFの機密事項に関する事柄は省いた。喋ったのは、もっぱら五人の仲間との個人的な付き合いに関してだった。
生真面目で育ちが良くて、美人で、でも田舎者で、ダリルの冗談にすかさず突っ込んでくれるサンディ。
優れた戦士でありながら控えめかつ穏やかで、気配りが利くスーリィ。
ちょっと抜けたところがあるけれど、親切で小さくて可愛い瑞樹。
いつも上品で近寄りがたい雰囲気を漂わせていながら、みんなを暖かく見守っていてくれたアリサ。
努力家でありながら、それを誇ることも人前に出すこともなく、懸命に生きて‥‥そして死んでしまった、ミギョン。
「‥‥帰りたい」
一通り話し終えたダリルは、ため息をついてワインを呷った。
「では、あなたの上官はどんな人ですか?」
レーカが、訊く。
「ヴィンス・アークライト中将。いい人だよ。結構自由にやらせてくれるし、部下想いだし。あたしは、信頼してる。‥‥そういうあんたは、上官をどう思ってるのさ」
ダリルは訊き返した。
「宇宙船指揮者ティクバのことですか?」
「そう。そのティクバだよ」
「もちろん素晴らしい戦士です。部下であることを誇りに思っています」
レーカが、歯を見せる。
「ほ〜。一度会ってみたいもんだね、その素晴らしい戦士に」
ダリルはそう言った。
「いいでしょう。そろそろ宇宙船指揮者にお会いしてもらおうと考えていたところですから」
レーカが、そう喋った。ダリルは、眼を見開いた。
「いいの? 会わせてくれるの?」
「もちろんです。明日同じ時間に、宇宙船指揮者をお連れします」
レーカが確約する。
「ゲストとの会見、そろそろよろしいかと愚考します」
レーカが、歯を見せて喋る。
「ご苦労だった。立ち会ってくれるな」
ティクバは鼻をうごめかした。
「もちろんです、宇宙船指揮者」
ティクバが客人と会うのを先延ばしにしていたのには、当然訳がある。
やはり相手は異星人である。翻訳機があるとはいえ、簡単に意思の疎通が図れるとは思えなかったし、ティクバ自身が根っからの戦士であるゆえに、交渉事は苦手だ。まずはレーカのような、市民階層のような思考方法の訓練も受けている研究員と接し、充分にコミュニケートの方法を確立してから会った方が、誤解が少なくて済むはずである。
レーカが、扉脇のパッドに副触腕を当て、複雑な叩き方をする。扉が、すっと上部に収納された。
「ダリル、入りますよ」
レーカが中に声を掛けた。翻訳機を通じ、地球の言葉の一種も発せられる。もっとも、半分程度はティクバの可聴範囲にはなく、聞き取れなかったが。
レーカに続き、ティクバも部屋に入った。背後で、扉が閉まる。
なんとも雑然とした部屋だった。隅の方に、動物質や植物質、あるいは化学的に合成された繊維で構成された人類用の寝具や衣服がまとめて置いてある。その隣に突っ立っている数本のガラス質の容器は、人類が好む飲料だろう。用途のわからない器具や道具の数々。ある種の可動式ディスプレイと、ケーブルで繋がっている箱状の機械。黒っぽい液体が入った機械からは、妙な臭気が漂っている。
「ダリル、こちらが宇宙船指揮者、ティクバです」
レーカが、ティクバをダリルに紹介した。
「本職がティクバだ」
ティクバは名乗りながら、じっくりとダリルを観察した。頭蓋部分を覆う金色の毛。肌の色は薄く、最大大陸西部や第三大陸に多いタイプだ。身体つきは衣服に隠されてよく判らないが、地球人類の雌体の中では逞しい方だろう。手に飲み物の入った陶製の容器を持って、こちらを見つめている。
ダリルが容器を置いて、立ち上がった。
「ダリル・シェルトン中佐。合衆国海軍」
「よろしく、ダリル」
ティクバはレーカに教わった通りに、右の主触腕をダリルに差し出した。ダリルが、自分の右手を伸ばし、指で主触腕の先端を包み込む。‥‥人類式の挨拶である。
「貴殿の活躍ぶりは、以前から注目していた」
休息台に落ち着くと、ティクバはそう切り出した。
「敵ながら素晴らしい腕前だ。尊敬に値する」
「あー、あたしも会えて嬉しいよ、宇宙船指揮者。正直言って、あんたの部下には、さんざん苦しめられたよ」
ダリルが言う。ティクバは気を良くした。戦士たるもの、敵の優秀な戦士に賞賛されることが最大の名誉となる。
「さっそくだけど‥‥宇宙船指揮者」
ダリルが、堅苦しく呼びかける。
「いや、ティクバと呼んでくれて構わぬぞ」
ティクバはそう許可した。お互いを認め合った戦士同士であれば、肩書き抜きで呼び合うことは珍しくない。
「じゃあ、ティクバ。あんた、この戦いを終わらせたくない?」
ダリルが語った。人類は、決して好戦的ではないこと。十数万程度のカピィなら、受け入れる余地が地球にはあること。カピィの高度な技術力と交換なら、かなり広い面積の土地を手に入れることが可能だということ。
ティクバは副触腕を小さく振って、レーカに翻訳機をいったん切るように指示した。
「この戦士の主張に現実味はあるのか?」
「遺憾ながら、情報不足により判断がつきません。しかし、荒唐無稽な主張ではないと思われます」
レーカは、ティクバに対し「冷戦構造」を説明した。わずか二十年ほど前には、人類同士が事実上二派に分かれて、お互い多数の反応兵器を向け合いつつ共存していたこと。いざという時には相手を殲滅する準備に莫大な労力と資源と科学技術を注ぎ込みながらも、一方では食料を始めとする物資の輸出入を大規模に行っていたこと。
「同じような歴史は、我々にもあったな」
「はい。市民が相手の殲滅を望まない場合、敵味方の戦士が妥協して戦端を開かず、対立状況の維持に努めた事例は数多あります。ダリルは、我々と人類のあいだでも同じような状況を作り出せると考えているようです」
「しかし、ダリルは戦士であって、市民ではない」
「地球人類の戦士と市民の区別は、我々ほど厳密ではないことに留意してください。彼らは戦士であっても、市民のような思考方法に慣れています」
「そうだったな」
ティクバは、翻訳機のスイッチを入れた。
「興味深い提案だ。質問がある。貴殿らの市民も、同様に考えていると貴殿は推定するのか?」
「市民は戦争を望んではいないよ。正直、戦況は押されてるしね」
ダリルが言う。
「あんた方から戦争をやめたいと申し出れば、飛びついてくるはずだ。問題は、そのあとどうやって効果的な安全保障体制を構築するかだね」
「ふむ。案があるのかね?」
「怒らないで聞いて欲しいんだけど、一番効果的なのはあんた方が武装解除する方法だろうね」
「それでは、我々の生存保障は人類の市民の意向次第ではないか」
ティクバは副触腕を鼻に押し付けた。
「そうでもないさ。あんた方は素晴らしいテクノロジーを持ってる。うまく立ち回れば、人類があんた方に経済的、技術的、文化的に依存せざるを得ない状況を作り出すことができるはずだ。そうなれば、安泰だよ」
「そこまで人類を信用する気にはなれんな」
「そうだよねえ」
ダリルが言って、肩をすくめた。
「諦観を表すしぐさです」
レーカが、小声でダリルの動きを解説してくれる。
「他に方法があるとすれば、MADだね」
ダリルが、言った。
「説明してくれ」
「双方が、強力に武装するんだ。お互いを簡単に滅ぼせるようなほどね。そうすれば、戦いを始めれば双方滅んでしまうから、戦えない、という仕組みだよ」
「ふむ。それならば現実的だな」
「その場合、攻撃的な兵器の強化は構わないが、防御手段は抑制しなければならない。相手の攻撃を凌げる手段を得たら、先制攻撃の誘惑に駆られるからね」
「当然だな」
ティクバは、右前肢を上下させた。
「有意義な会見だった。レーカ、礼を言うぞ」
「恐縮です、宇宙船指揮者」
レーカが、激しく頭部を左右に振った。
「しかし‥‥良い匂いがしたな、あの人類は」
ティクバは鼻をうごめかした。
「宇宙船指揮者も気付かれましたか。たしかに、健康的な良い匂いがします」
「人類特有の匂いなのか?」
「他の個体も調べねば判りませんが‥‥」
レーカが、語尾を濁した。
「これは個人的な質問だが‥‥」
ティクバは声を潜めた。
「ダリルの提案をどう考える? 地球人類との共存は、可能だろうか?」
「それを判断するのは、市民階層の役目だと思われますが‥‥」
「だから、個人的な質問なのだよ。貴殿は研究員だ。戦士の中でも、比較的市民に近い思考を必要とされる役職だ。だから問う。可能だろうか?」
ティクバは迫った。レーカの耳が、わずかに動く。
「わたしは‥‥可能だと考えます。特に、ダリルの言うMADのやり方であれば。連絡艇を使えば、人類を滅ぼすのは簡単です。同様に人類も、保有する反応兵器を使えば我々を殲滅することが可能です。もちろん、この惑星の生態系も道連れですが」
「忌憚のない意見、感謝する」
ティクバは舌を見せた。
「もうひとつ、訊いておきたい。これは、上官としての質問だ」
「はい、宇宙船指揮者」
「ダリルは、信用できるか?」
「もちろんです」
レーカが、歯を見せた。
「生体反応は常にモニターしていましたし、わたしも詳細に観察しましたが、彼女は基本的に虚偽を述べたことはありませんでした。伝えられない情報があった場合はその旨を明言しましたし、わたしを誤誘導することもありませんでした。ダリルは、信頼できます」
「よかろう。本職もダリルを信用するとしよう」
「で、なんなの、これ」
ダリルは、レーカの装備ベルトに付いている銀色の箱に触れた。
ふたりとも‥‥いや、ひとりと一体と言うべきか‥‥くつろいだ姿勢だった。レーカは例によって休息台に寝そべっている。ダリルは、レーカのわき腹に背中をもたれ掛けて座っていた。ちょっと硬いが、カウチのようで実に居心地がいい。毛の感触も、長毛種の猫のようで撫でると気持ちがいい。
「ある種の汎用リモートコントロール装置ですね」
レーカが主触腕で箱をつかみ、ダリルに渡してくれる。説明してくれたところによると、PDAとテレビのリモコンを合わせて進化させたもののようだ。
ダリルは次々と機器について説明を求めた。赤いラインの入った薄い箱は携帯電話兼ポータブル汎用センサー。短い円筒状のものはある種の救急箱。長い円筒は水筒兼浄水器兼水蒸気凝集装置。円環は懐中電灯兼光通信器。煙草の箱とほぼ同じ大きさのものが翻訳機。
「これは?」
ダリルは直径半インチ、長さ七インチほどの棒を指差した。
「武器です」
そう言いながら、レーカが主触腕でその棒をひょいと引き抜き、ダリルに渡す。
「‥‥武器って。これで殴るの?」
「まさか」
「スイッチ入れると、光るブレードが出てくるとか」
「違います。ある種の銃ですね」
「‥‥そんなもの、あたしに渡していいの?」
ダリルは棒をしげしげと眺めた。全体は鈍い銀色だが、中央部に二箇所だけ、白っぽい色の突起がある。
「問題ありません。わたしたちの個人携行武器は、すべて非致死性ですから。これは水溶性の小さな針を撃ち出す仕組みです。針の成分は麻痺性の薬剤で、数秒で行動の自由を奪うだけです。薬剤は数時間で代謝されますし、後遺症も残りません」
「へえ、そうなんだ」
ダリルはしばらく「銃」をもてあそんでからレーカに返した。
「もっと強力な携行武器はないの? 爆発物を投射するとか。レーザーが撃てるとか」
「個人携行でレーザーなんて無理ですよ。敵を倒す前に、放射器が加熱して壊れてしまいます」
レーカが、主触腕を耳の下に入れた。
「昔はあったんじゃないの? 同族同士で、戦争していたんでしょ?」
「歴史を遡ればありましたよ。最初は、前肢に着けるタイプの補助武器が盛んに作られました。打撃力を増すためのもの。鋭い刃で切り裂くもの。尖っていて、相手に刺さるもの。次いで、触腕で支える力学的投射器や、慣性を利用した投石器が開発され、距離を置いて戦うことが主流になりました。その後、科学が発達すると、化学反応を応用した武器が生み出されました。小質量を高速で射出する武器。焼夷物質を撒き散らす武器。機械文明が発達してからは、それらは廃れました。装甲を施したヴィークルで戦うことが主流となったからです。その後、飛行兵器が発明されると、個人携行武器は非致死性のものに変わりました。必要ありませんから」
「‥‥きれいな戦争なんだ」
ダリルは納得した。LIW(低烈度紛争)などという単語はカピィにはないのだろう。誇り高き戦士同士が、戦闘機械を操って戦う。兵器がその機能を失い、抵抗の術を失った時点で戦士は降伏し、市民となる。ある意味ゲーム化された戦争でもある。さながら、中世ヨーロッパの君主同士の戦いのような。
第十五話簡易用語集/POW Prisoner of War 戦時捕虜。/グローム 架空兵器。グロームはロシア語で雷の意味。/ジ・アフリカン・クイーン The African Queen 1951年、米英合作の映画。監督はジョン・ヒューストン。主演はハンフリー・ボガート、キャサリン・ヘップバーン。アフリカン・クイーンというのは映画の中でボギー演ずるチャーリーが船長を務めるボロ船の船名である。ちなみに本作でボギーはアカデミー賞主演男優賞を受賞している。/MAD Mutual Assured Destruction 相互確証破壊。/LIW Low Intensity Warfare 低烈度紛争。小規模あるいはローテク武装集団との各種交戦状態が継続するような紛争。近年のパレスチナの紛争のような状態を指す。