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14 Civilian

 アラスカ州ジュノー市。

 人口わずか三万程度の地方都市だが、いちおう合衆国で最も広い面積を有するアラスカ州の州都である。

 周囲は鬱蒼たる森林地帯で、アラスカというよりはカナダのイメージだ。七月だというのにかなり涼しい。東京あたりで言えば十一月くらいの感覚だろうか。

 ジュノー国際空港は軍事施設ではないので、軍人用のゲストハウスなどない。瑞樹ら六人は、空港から程近いモーテルを宿舎として与えられた。部屋は三部屋。部屋の中には、クイーンサイズのベッドが、ふたつ並んでいる。

「くじ引き‥‥はしないでもよさそうね」

 すでに瑞樹の手を引いて一室へと向かおうとしているフィリーネを見て、スーリィが苦笑する。

「行こう、ミュリエル」

 ヘザーが、親指で一室を指す。


 翌日からさっそく、新生フレイル・スコードロンは出撃を開始した。

 カリフォルニアを完全制圧したカピィは、すでにオレゴン州の南側三分の一も占領し、勢いに乗ってなお北上を続けていた。再編成を完了したNAWCは、随所でしぶとい抵抗を継続していたが、劣勢は否めなかった。

「フレイル1より各機。交戦開始」

 ヘザーが命じた。

「6、先行して」

「6了解」

 フィリーネが応え、前に出る。

 すでに瑞樹とフィリーネは、訓練を通じて効率的な戦闘方法をいくつか編み出していた。ACMの際は、フィリーネがリードを執るというのも、そのひとつだ。

 フレイルの接近を知ったフラットフィッシュ編隊が、遁走にかかる。護衛のファイアドッグ編隊が向かってきたが、スーリィとミュリエルのヴァジェットが押さえに入った。瑞樹とフィリーネは、まっしぐらにフラットフィッシュを目指す。

 二個編隊六機のフラットフィッシュが、速度を上げつつ南方へ逃げようとする。と、その編隊が乱れた。

 低空で待ち伏せていたヘザーとダリルのネメシスが、急上昇したのだ。

 たちまち二機が、スイフトの直撃を受けて撃墜される。

 フィリーネが、一機のフラットフィッシュに狙いを定めた。敵は急機動で逃れようとしたが、フィリーネのベローナは難なく背後を取り続けた。発射されたスイフトが、フラットフィッシュの尾部に吸い込まれる。

 ヘザーとダリルも、それぞれ狙ったフラットフィッシュを追い掛け回している。残る一機は、逃げおおせたようだ。

「6、3と4の援護に向かう」

「6、了解」

 瑞樹はベローナを反転させると、スーリィとミュリエルの方へと向かった。だが、すでにファイアドッグも二機が撃墜されていた。最後の一機も、ミュリエルに後ろを取られて逃げ回るばかりだ。スイフトを撃ち込まれ、あっさりと四散する。



「間違いなく、例の新兵器なのか?」

「間違いありません」

 ティクバの問いに、レーカが歯を見せて答える。

「ただし、数は増えています。六機で運用されているようです」

「ふむ。追加生産したのか、あるいはふたつの部隊を統合運用したのか」

 ティクバは鼻をうごめかせた。

「しかし場所が悪いですな。あのあたりは軍用船二号の担当範囲ですぞ」

 ヴィドが、喋った。

「なんとしても、あの新兵器の詳細を暴きたい。操縦している戦士も調べてみたい」

 ティクバは、鼻を鳴らしつつ考え込んだ。

「やはり、戦士を捕獲するのですね」

 レーカが、確認する。

「そうだ。戦略方針に反するのは重々承知の上だが‥‥あれほどの腕前を持つ、おそらくは人類で最も優れた戦士だからな。ぜひ会いたいものだ」

 ティクバは鼻を鳴らした。

「もう一度、お任せ願えますか。前回は、捕獲に失敗しましたが、人類側は今のところ余裕を失っているはずです」

 ヴィドが、提案する。

「よかろう。任せよう」



「ヘザー。ミュリエル。ご飯行くわよ」

 スーリィが、ドアをノックする。

「‥‥おはよう」

 ドアが開き、眠たげな顔のヘザーがのそりと現れる。二歩遅れて、半ば眼を閉じたミュリエルが続く。ふたりともすっぴんで、髪も寝乱れたままだ。

「部屋割り、失敗だったかもね」

 頬を掻きながら、瑞樹。

「しっかりしなさいよ、ミュリエル」

 ダリルが、ミュリエルの腕を取る。

 六人が宿泊しているモーテルには、一応朝食サービスがある。だが、そのメニューは呆れるくらい貧弱だ。飲み物はコーヒー、紅茶、ココア、コーク、各種フルーツジュース(もちろん香料だらけの偽物だが)と揃っているが、食べ物はシリアル、ドーナッツ、デニッシュ、それに安っぽいフルーツくらいしかない。初日だけはそこで済ませたが、翌日から六人は近所のカジュアル・ダイニングまで足を運ぶようになった。

 昼食を摂る余裕があるときは、ジュノー空港内の待機所でテイクアウトのファーストフードで済ませるのが常だ。夕食は、ジュノー市内のレストランをひとつずつ試している。昨日はパスタの店に挑戦したが、これは失敗だった。‥‥アメリカ人は、どうしてアルデンテというものを理解できないのだろうか。

 まだ朝早いが、店内はそこそこ客が入っていた。慌しく朝食を掻き込むビジネスマンや、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる年配の男性、夜勤明けらしい疲れた顔の一団などが、席を埋めている。

 この店にはサラダバーがあるのがありがたかった。スープバーのスープ類の味はいまひとつだったが、パンはおいしい。瑞樹はたっぷりの野菜とカットフルーツを、小さなプレーンオムレツと一緒に紅茶で流し込んだ。


「まずは、これを見てくれ」

 アークライト中将が、ディスプレイに一枚のスチールを映し出す。

 高空から撮影した偵察写真のようだった。小さな空港に、六機のフルバックと三十機ほどのファイアドッグおよびフラットフィッシュが駐機している。

「マニトバ州のブランドン飛行場だ。そしてこれが‥‥」

 アークライトが画像を切り替えた。だだっ広い淡い緑色の農地の中に、八両のタイクーンが見える。

「東へ2nmほどのところだ。双方とも、かなり無防備な状態にあるといえる」

「罠っぽい‥‥」

 ダリルが、顔をしかめる。

「わたしもそう思う。だが、NAWCはこれを好機と捉え、大規模な反攻に結び付けようと考えている」

「NAWCに余剰兵力があるとは思えませんが‥‥」

 懐疑的に、ヘザー。

「新兵器がある。これだ」

 ふたたび、ディスプレイの画像が切り替わった。平べったいサーフボードのようなミサイルが、表示される。

「ロシアが新開発したステルス巡航ミサイル、カークトゥスだ。ロシア陸軍が地上発射タイプを大量にカナダに持ち込んでいる。カピィ根拠地攻撃は、このミサイルで行う。諸君は、いわば囮だ」

「囮ですか‥‥」

 瑞樹は頬を掻いた。あまりやりたくない役柄である。

「もし罠であれば、大量のファイアドッグが待ち伏せているはずだ。作戦の概要はこうだ。ベローナがヴァジェットに護衛されて東進する。もちろん、双方ともに空対空装備だ。罠だと判明した時点で反転、敵を西へとおびき出す。合衆国、ロシア、中国、カナダの各空軍も、迎撃機を待機させる予定だ。ネメシスは空対空装備で空中待機、適宜戦闘に加わる。ファイアドッグがブランドンから離れたところで、巡航ミサイルの飽和攻撃を掛ける。どうかね?」

「罠の裏をかくというのは痛快ですけど‥‥不安ですね」

 ヘザーが、意見を述べる。

「でも、NAWCがその気なんだから、やるしかないよ」

 ダリルが、前向きに言った。


 スーリィとミュリエルのヴァジェットに護衛されて、瑞樹とフィリーネのベローナは東を目指した。

 囮が目的なので、レーダーは作動させたままだ。目視での索敵は他の三人に任せて、瑞樹はMFDにもっぱら気を配った。

 四機はサスカチュワン州上空を駆け抜けた。ブランドンまでの距離が、100nmを切る。だが、敵の迎撃機は上がってこない。

 さらに奥に誘い込もうとしているのか、それとも罠ではなかったのか。

 あと70nmほどのところで、レーダーに反応があった。

「こちら5。来たわよ。0−9−5にマス・トラック。距離36nm。‥‥接近中」

 瑞樹は告げた。

「慌てて逃げるふりしなきゃね」

 ほっとしたのか、ミュリエルが軽口を叩く。

「おっと。AWACSからデータ転送。西方にもマス・トラック出現。やっぱり罠ね。全機、反転するわよ」

 瑞樹の合図で、四機のNT兵器は反転し、西へと戻り始めた。

「なによこれ。多すぎる‥‥」

 瑞樹は絶句した。MFDに、続々と敵機の姿が沸いて出てくる。西はもちろん、北や南からも続々と接近してくる。

「‥‥全部で二百ってとこかな」

 いささか慌てたように、スーリィ。

「どうします、瑞樹?」

 フィリーネが、訊く。

「西進して突破するしかないわね」

 瑞樹はそう決断した。西へ向かえば、ダリルとヘザーに合流できるし、各国空軍の援護もある。それに、今回のフレイルの任務は囮である。


 瑞樹の放ったスイフトが、ファイアドッグの尾部を吹き飛ばす。

「FOX3!」

 フィリーネが、発射をコールした。瑞樹はフィリーネの位置を確認し、援護位置に戻ろうとしたが、ファイアドッグに後ろを取られそうになったので諦め、急上昇した。

 完全に乱戦になっていた。ファイアドックの数が、多すぎる。

「フレイル1と2! 早く来て!」

 ミュリエルが、わめいている。

「こっちも交戦中だよ!」

 ダリルの声。

 瑞樹は後方のファイアドッグを振り切ると、降下した。一編隊に追われているフィリーネを見つけ、呼びかける。

「6、そちらの4オクロック・ハイにいる。高度差800。来て!」

「6、了解」

 フィリーネが、針路を変えて上昇にかかる。ファイアドッグ編隊がそれに追随し、瑞樹の正面に飛び出し、無防備な腹を晒す。

「FOX3!」

 瑞樹は立て続けに三発のスイフトを放った。三発ともに命中し、ファイアドッグが排除される。

「お見事です、瑞樹!」

 フィリーネの、甲高い声。


「邪魔だよ!」

 ダリルは罵声とともに、スイフトを発射した。最後の一機が、火球となってサスカチュワン東部の春小麦の畑に散る。

「ヘザー?」

「こっちも片付いた。急ごう」

 ヘザーのネメシスが、近づいて翼を振る。


 墜としても墜としても、ファイアドッグは湧き出てくる。

「何機いるんだか‥‥」

 つぶやきつつ、スーリィは新たに出現したファイアドッグ編隊の背後に回り込んだ。慌てて散開する三機のうち一機にぴったりと張り付き、スイフトを発射する。命中。

 ‥‥残り三発。

 スーリィは唇を噛んだ。このままでは早晩、スイフトを撃ち尽くしてしまう。

「4、被弾した!」

 ミュリエルの声。

「どこ、ミュリエル?」

 スーリィは呼びかけた。右からレーザーを乱射しながら突っ込んできた一編隊を躱し、上昇に転ずる。

「囲まれた!」

 ミュリエルの、悲鳴交じりの叫び。

 ‥‥いた。

 煙を吐くヴァジェットに、数機のファイアドッグが群がっていた。レーザーの光条がきらめき、ヴァジェットの主翼を焼く。

「4が危ない。援護を!」

 助けを呼びつつ、スーリィは機体をダイブさせた。手近の一機に向け、スイフトを放つ。

「上昇できない。助けて、スーリィ!」

 ヴァジェットが逃げに掛かるが、数機のファイアドッグがぴったりと張り付いていて離れない。

 スーリィが放ったスイフトは、狙った一機を叩き墜とした。だが、ミュリエルに喰らい付いているファイアドッグは六機ほどいる。

 スーリィは、残る二発のスイフトも放った。直撃された二機が、煙を吐いて墜ちてゆく。

「だめ、コントロールできない!」

 ミュリエルが叫ぶ。レーザーが、無情にも傷ついたヴァジェットに注ぎ込まれる。右の主翼が折れ飛び、機体が緩やかなロールに入る。

 ‥‥だめだ。助けようがない。

「ミュリエル、射出して!」

 スーリィは叫びつつ、ASRAAMを発射した。

「ヘザー、助けて‥‥」

 レーザーが、ヴァジェットの尾部に照射される。次の瞬間、ミュリエルのヴァジェットが、爆発した。


「ミュリエルがやられた!」

 スーリィの声。

 ‥‥悪いけど、構ってられない。

 瑞樹は三発目のASRAAMを放った。

 スイフトはとっくに使い果たしていた。まだ十機近いファイアドッグに囲まれており、一向に離脱の機会に恵まれない。

「フィリーネ! 生きてる?」

 ASRAAMの命中を確認した瑞樹は、そう僚機に呼びかけた。

「大丈夫です、お姉さま!」

 慌てているのか、久しぶりにフィリーネが瑞樹のことをそう呼んだ。

 ‥‥くそ。

 瑞樹は心中で罵りながら最後のASRAAMを放った。先程ASRAAMを命中させたファイアドッグは、煙すら吐いていない。

 ASRAAMが命中する。今度は、煙が出た。だが、27ミリで止めを刺そうと接近したベローナの後ろに、新たなファイアドッグ編隊が出現する。瑞樹は眼前の獲物を諦めて、ダイブした。


「3。スーリィ。状況を知らせて。ミュリエルはどうなったの?」

 ヘザーは半ばわめくように訊いた。

「爆発した。脱出は確認できなかったよ。こっちもやばいよ」

 スーリィの声。

「1、2。こちら5。5も6もAAMを使い果たした」

 瑞樹の上擦った声。

「3、5、6。バグアウトして。あとは何とかするから。行くよ、ダリル」

 ヘザーは呼びかけた。

「了解!」

 元気よく、ダリルが応答する。


 ヘザーとダリルの発射したスイフトを受けて、数機のファイアドッグが撃墜される。

「6、行くよ!」

「了解です!」

 瑞樹は低空に降りると戦闘空域からの離脱を図った。フィリーネが、しっかりと後ろについてくる。27ミリ機関砲弾は残り一連射分しか残っていない。フィリーネに至っては、完全に撃ち尽したようだ。

「あたしも逃がしてもらうよ。ごめんね、1、2」

 スーリィの声も、聞こえる。


「2、無理しないで。適当なところで、退くよ」

 ファイアドッグのお尻に喰らい付きながら、ヘザーは告げた。

「判ってるって」

 ダリルが、軽く答える。

 ヘザーはスイフトを発射した。直撃を受けたファイアドッグが、オレンジ色の火球と化す。

 ‥‥ミュリエルの仇だ。

 ヘザーはそうつぶやくと、サイドスティックを倒し、新たな敵を探した。アレッシア、ニーナに続き、ミュリエルまで失うとは。

 ‥‥集中しなければ。

 ヘザーはミュリエルの面影を振り払うと、背後に付こうとしたファイアドッグから機を滑らせて逃げた。敵の数は多い。気を抜いたら、やられる。


 一編隊が、ぴったりと背後に張り付いている。

 ダリルは様々に機動を行って躱そうとしたが、敵はなかなか優秀だった。一機はなんとか脱落させたが、残る二機は執拗に喰らいつき、レーザーを放ってくる。まだ被弾はしていないが、早晩一発喰らうだろう。

 ‥‥最後の手段か。

 ダリルは相手のオーバーシュートを誘おうと、機首を上げて急減速した。そして機首をぱたんと下げ、重力をも利用して急降下しつつ加速離脱を図ろうとする。

 一機のファイアドッグが、ダリルの目論見どおりネメシスを追い越した。

 もう一機は‥‥なんとネメシスの後部に激突した。

 すさまじい衝撃が、ダリルを襲う。

 機体がコントロールを失った。キャノピーの外で、空と大地がくるくると回っている。

 ダリルは眼を閉じると、パニック・ボタンを叩いた。

 操縦が、機載コンピューターに全面的に委譲される。

 ほどなく、ネメシスは低空で水平飛行に戻った。

 ダリルは眼を開け、生きていることに驚きを感じながら状況をチェックした。

 絶望的。

 点灯しているコーション・ライトはざっと八つ。サイドスティックを動かしても反応が鈍いし、明らかに推力が落ちている。ぴよぴよと複数の電子音のアラームも鳴り響いている。おまけに、背後からファイアドッグにレーザーを撃ちまくられている。

 ‥‥射出か。いや、いくらなんでも機速が大きすぎる。

 ダリルは回避機動を続けつつ減速を始めた。だが、これは裏目に出た。後方につけたファイアドッグのレーザーが、複数命中する。

 ‥‥死ぬかもしれない。

 ダリルはふとそう思った。とたんに、ミギョンの面影が脳裏をよぎる。

 前方に、低い丘が見えた。ダリルは思い切って、ネメシスをVLモードに入れた。

 追って来たファイアドッグが、オーバーシュートする。

 ダリルはそのまま垂直降下した。機体のバランスが悪く、主脚が折れてしまったが、なんとかネメシスは放牧地の中に不時着した。黒や茶色の牛が、もうもうと喚きながら慌てて逃げてゆく。

 ダリルはハーネスを外し、キャノピーを開けた。サバイバルキットだけ引っつかんで、機外へと飛び出す。ネメシスから走って20メートルほど離れたダリルは、片膝を着いて周囲を見回し、遮蔽物を探した。200メートルほど東に、アスペンの林が見えた。ダリルはサバイバルキットを小脇に抱えると、小走りにそこへと向かった。


「ダリル!」

 ヘザーは呼びかけた。

 ダリルのネメシスが盛大に煙を吐きながらコントロール不能になって落ちてゆくところは目撃した。だが、そのあとはファイアドッグとの戦闘に悩殺されて見ていない。

「ダリル、返事をしろ! 離脱するよ!」


 アスペンの林の中に逃げ込んだダリルは、サバイバルキットの中に手を突っ込んでTACBE(戦術ビーコン)を取り出した。脱出したことをヘザーに伝えなければならない。

 轟音。

 ダリルは固まった。あまり聞いた事のない機械音が、いきなり周囲に満ちたのだ。

 ダリルは身を低くし、林の外をうかがった。

 ‥‥ぎえ。

 いつの間にか、不時着したネメシスの周囲に数両のシーフが群がっていた。

 ‥‥フライトスーツを脱ぐべきだろうか。

 ダリルはいつぞやのクルーズ中尉の講義を思い出した。カピィは市民には危害を加えない。たとえ、それが一分前まで兵士であった人間であっても。

 とりあえずサスカチュワン東部は競合区域である。無用な危険は避けるべきだ。

 ダリルはサバイバルキットから拳銃と予備弾倉を取り出すと、下生えの中に押し込んだ。次いで、フライトスーツのジップに手を掛ける。

 気配。

 ダリルはさっと振り向いた。

 一体のカピィが、こちらを見つめていた。その距離、わずかに3メートル。

 ダリルは、拳銃を押し込んだ下生えにちらりと視線を送った。五秒あれば、つかみ出してスライドを引き、発射できるだろう。見たところ、カピィの触腕には武器らしいものはない。

 ごそり。

 ダリルを見つめるカピィの左側に、別のカピィが現れた。

 それを合図にしたかのように、ダリルの周囲に続々とカピィが出現した。

 ダリルは冷や汗をかきながら後ずさりし、一本のアスペンの幹に背中を押し当てた。

 カピィは総勢十体はいるだろうか。黒い眼でダリルを見つめながら、じわじわと近づいてくる。頭部の下で、猫の尻尾のような触腕がぶらぶらと揺れている様が不気味だ。

「‥‥あ、ども。あたし、シビリアンです。はい」

 ダリルは無理に笑顔を作ると、そう呼びかけてみた。

 先頭を切って近づいてきたカピィが、ダリルから1メートル足らずのところで停まると、後ろを振り返り、左の主触腕を小さく振った。

 それに応えて、二体のカピィが進み出た。主触腕をダリルの腕に巻きつけるようにして、行動の自由を奪う。

「あの、ちょっと。あたし、シビリアンだから‥‥」

 二体のカピィが、ダリルをずるずると引きずってゆく。


「何はともあれ、大失敗だってことだけは確かだね」

 スーリィの、憮然たる声。

 四機のNT兵器は、高速でジュノー国際空港へ向かう回廊を飛行していた。

「どうします、瑞樹」

 編隊を組んでいるフィリーネが、訊く。

「決まってるでしょ。兵装を搭載次第、ダリルを探しにいくわ」

 瑞樹はきっぱりと言った。ミュリエルは絶望的だが、ダリルのネメシスは行方をくらましただけだ。無事である可能性は僅少だが、生きている確率は高い。

「どうしようもないドジだったね。罠だと判っていながら、それに嵌りにいってこの惨事だ」

 ヘザーが、毒づく。

「‥‥まあ、文句を垂れていても始まらないね。瑞樹、あたしも付き合うよ」

「ありがとう、ヘザー」

「わたしもお供します、瑞樹」

 フィリーネが、すかさず言う。

「フィリーネも、ありがとう」

「スーリィ。あんたはどうするんだい?」

 ヘザーが、訊いた。

「‥‥訊くだけ野暮でしょ」

 いささか棘のある声で、スーリィ。


「司令、お願いがあります!」

 瑞樹は、ジュノー国際空港の一角に設けられている臨時作戦室に飛び込むなり、そう叫んだ。

「許可する」

 あっさりと、アークライト。

「は?」

 瑞樹に続いて作戦室に飛び込んできたヘザーとスーリィの眼が、点になる。

「シェルトン中佐とヴァロ大尉を探しに行きたいのだろう? もちろん、許可する。作戦失敗の責任はわたしにあるからな。諸君を止める権利が、わたしにあるとは思えん。ただし、条件がある」

「なんでしょうか?」

「三十分待て。兵装の搭載と、空域調整に最低でもそれくらいは掛かる。それと、もうひとつ」

 アークライトが、憮然たる表情のまま腕時計に眼を落とした。

「なにか腹に入れたまえ。もう1300を過ぎた」


「ダリルはどこかに不時着したのかも知れない」

 コールド・チキンのサンドイッチを平らげながら、ヘザーが推測を述べる。

「なら、近くまで行けばコールしてくるよね」

 食欲はなかったが、瑞樹はむりやりハムとチーズのサンドイッチを口に押し込んだ。

「ダリルが、あたしたちより先に死ぬわけないもんね」

 スーリィが、言う。一応笑顔だが、かなり引き攣っているのが、傍目にも判る。

「こら、フィリーネ。ちゃんと食べないと、連れてってやんないぞ」

 ヘザーが、怒った振りをする。

 フィリーネの前にあるサンドイッチは、ラップが剥かれているものの、ちっとも減っていない。

「はい」

 大人しくフィリーネが言って、サンドイッチを手にし、ひと口かじった。もそもそと、咀嚼する。‥‥いかにも不味そうだ。かく言う瑞樹も、味などほとんど意識せずに食べているのだが。

「そろそろ時間だね」

 腕時計に眼をやったヘザーが、紙コップの紅茶を飲み干すと立ち上がった。

「フィリーネ。最低でもいま手にしているターキィ・サンド喰っちまわない限り、連れて行ってやらないからね。あたしは本気だよ。瑞樹、スーリィ。行こう」


「手短にブリーフィングする。往復ともいつもの回廊を使用してくれ。天候は、朝と変わりない。敵の状況だが、航空部隊はすべて引き上げた。地上部隊が若干残っているが、これも後退しつつある。カナダとアメリカのCSAR(戦闘捜索救難)部隊が展開中だが、シェルトン中佐とヴァロ大尉に関する情報は得られていない」

 アークライトが、早口で告げる。

「では、行かせていただきます」

 ヘザーが、代表して言う。

「ああ。頼む」

 スーリィのヴァジェットとヘザーのネメシス、それに瑞樹とフィリーネのベローナは、高速で東を目指した。

 ミュリエルの機体の残骸は、フレイルが到着する二十分ほど前にカナダ軍のCH−149が発見していた。半ば炭化した遺体は、すでに収容されていた。

 瑞樹は涙を堪えてダリルの行方を捜した。フィリーネと編隊を組み、地上をくまなく探す。だが、あの元気の塊のようなアメリカ人女性の行方は杳として知れなかった。

「トランスポンダーに反応なし。音声でのコールにも応答なし。ネメシスの残骸もない。本人もいない。どこ行っちゃったんだい?」

 ヘザーが、首をひねる。

「可能性は三つしかないわね。無線その他が故障した状態で、どこか離れた場所に着陸した。このあたりにたくさんある湖のどれかに突っ込んだ。‥‥空中で粉々に吹き飛んだ」

 瑞樹は搾り出すように言った。

「そんな‥‥」

 フィリーネが、言う。ひとつ目の可能性は、恐ろしく小さい。

「ありがとう、ヘザー、フィリーネ。もう引き上げよう」

 スーリィが、言う。

「でも‥‥」

「いいんだ、フィリーネ。これだけ探しても見つからない以上、ダリルはここにいないよ。生きているにしろ、死んでいるにしろね」

 スーリィが、やさしげな声で言う。

 ‥‥信じられない。

 瑞樹は眼を閉じた。一緒に朝食を食べたのが、つい数分前のことのように思える。猫舌なので、ふうふうと息を吹きかけながらミネストローネを食べていたミュリエル。例によって旺盛な食欲で山盛りのフレンチフライ添えのハンバーガーにかぶりついていたダリル。

「帰ろう。みんな」

 瑞樹は言った。もう涙すら出なかった。






「眠れないだろうな、ふたりとも‥‥」

 瑞樹はつぶやいた。

「ヘザーとスーリィのことですか?」

 フィリーネが、訊く。

「うん。だって、昨日まで同じ部屋で一緒に寝ていた仲間がいなくなっちゃったんだよ。寝れないよ‥‥」

 モーテルの部屋である。瑞樹もフィリーネも、もう寝る支度を調え、あとはベッドに入って明かりを消すだけである。時刻は、午後十一時を回った。

 結局、ダリルもその愛機であるネメシスも、発見できなかった。NAECやNASCにも問い合わせたが、該当する機体も人物も見当たらない。アークライト中将はUNUFHQを通じ、カナダ占領地区の抵抗組織にも問い合わせてくれたが、女性パイロット保護の情報はなかった。

 ‥‥やはり戦死だろうか。カピィが捕虜を取るのであれば、捕らえられた可能性もあるだろうが、現状では‥‥。

 いや、ダリルのことだ。彼女のしぶとさは、瑞樹もよく知っている。きっと、サスカチュワンの山中で、サバイバルキットのカロリー・バーでもかじりながら、ぶつぶつと文句を垂れているに違いない。

「絶対生きてますよ、ダリルは」

 瑞樹の思考を読み取ったかのように、フィリーネが言う。

「そうだよね。生きてるよね」

 瑞樹は微笑んだ。

「たぶん今頃、どこかの森の中にでもに隠れて、熱いコーヒーが飲みたいとか文句言ってるに違いありませんわ」

 生真面目な表情で、フィリーネが力説する。

 瑞樹は思わず吹き出した。‥‥ダリルの様子について想像した内容は、ふたりともほとんど同じだったようだ。

「生きてる。絶対」

「もちろんです」

 フィリーネが、瑞樹を強い視線で見据える。

「‥‥寝ようか」

「はい」

 フィリーネが、明かりを落とした。


「いいから飲め」

 ヘザーが、シーグラムVOのボトルを傾けた。琥珀色の液体が、スーリィのグラスに注がれる。

「うん。ありがと」

 スーリィは、ため息をカナディアン・ウィスキーとともに喉の奥に流し込んだ。

 ダリルが死んだ。

 死体が見つからないだけならば、生存の可能性はある。だが、ネメシスすら見当たらないとなると、射出や不時着の可能性はあまりにも低い。空中で四散したか、湖に落ちて沈んだか‥‥。いずれにせよ、生きてはいないだろう。

 フレイルで、もっとも死にそうにないキャラクターだったのに。

「‥‥どうするんだろう、司令」

「メイス・ベースへ帰還するしかないだろうね」

 かなり飲んでいるはずだが、しっかりとした口調で、ヘザー。

「いっぺんにふたり失ったんじゃ、打撃が大きすぎるよ。作戦行動を継続したら、絶対に次の戦死者が出る」

「‥‥そうだよね」

 スーリィは、グラスを呷った。

 ‥‥ニーナとアレッシア。ミギョン。そして今日、ミュリエルとダリル。十二人のうち、五人を失った。六人目は、誰だ?


「わたしは信じないわ」

 赤く泣き腫らした眼で、サンディが断言する。

「‥‥あたしも信じてないよ。ダリルは生きてるさ。でも、ご飯くらい食べないと」

 半開きのドアを手で押さえながら、エルサが呼びかける。

「食べたくないわ」

 サンディが、横を向く。

「もう‥‥」

 エルサが、肩をすくめた。

「まだごねてるの?」

 アリサが、通路を歩んできた。手に、食物の乗ったトレイをささげ持っている。

「うん。重症だね」

「お嬢様育ちだからねぇ」

 アリサが、微笑む。

「差し入れ?」

 エルサが、トレイを指した。蓋付きのどんぶり、蓋付きの汁碗、漬物の小皿、大きな湯呑みが載っている。

「そう。むりやりにでも食べさせようと思ってね」

 アリサがそう言いながら、エルサの顔を見上げた。

「あなたは強いわね」

「‥‥そうかな。まあ、ニーナとアレッシアのことを乗り越えたから、少し慣れたのかも知れないけど」

 エルサが、わずかに顔をしかめる。

「サンディ。入るわよ」

 アリサは大き目の声で呼びかけてから、半開きだったドアをお尻で押し開けた。サンディが、物憂げにアリサを見やる。

「はい、今回だけ特別サービスのデリバリーよ。卵入りのビーフ・ボウル」

 アリサはトレイをサイドテーブルに置いた。

「無理よ。食べられないわ」

「あら。ビーフ・ボウル嫌いだっけ?」

「そうじゃなくて‥‥」

「どうでもいいから食べなさい。人間空腹だと悲観的な事しか考えられないものよ」

 やさしい声音で、アリサが諭すように言う。

「‥‥アリサには、勝てないわね」

 サンディが、湯呑みを取って緑茶をひと口飲み下した。

「ねえ。アリサは、ダリルが生きていると思う?」

 割り箸を手にしたサンディが、訊いた。

「わたしは死んだと思っているわ」

「やっぱり‥‥」

 箸を握ったまま、サンディがうなだれる。

「勘違いしないで。確証があって死んだと思っているわけじゃないのよ。自分を守りたいから、そう思ってるだけ」

「守りたい?」

 サンディが、顔をあげて訝しげな視線をアリサに注ぐ。

「そう。わたしは実はかなり卑怯な人間なの。自分が傷つくのがいやなのね。だから、他人と深く交わろうとしない。親しく付き合っても、親友にさえならなければ、相手が死んだとしても自分が受ける傷は僅少で済む‥‥」

 アリサが言葉を切って、寂しげに微笑んだ。

「ダリルのことも、死んだと思ってる方がいい。生きていると信じていたのに、実は死んでいたとなれば、深い傷になるわ。死んだと思っていて、本当は生きていたなら、喜べるじゃない」

「‥‥そんな考え方もあるのね。でも、わたしには無理だわ」

 サンディがわずかに笑みを見せた。

「判ってる。サンディは育ちが良すぎるからね」

 アリサが、後ろからサンディの肩を抱いて、耳元でささやくように言う。

「それに‥‥ひょっとすると、奇跡が起こるかもしれないしね」



「作戦は成功しました。捕らえた戦士はすでに収容。捕獲した新兵器も、もうすぐ到着します。着き次第、解析作業を開始します」

 ヴィドが嬉しげに報告する。

「感謝する」

 ティクバは満足げに応じた。通信員の方へ、向き直る。

「市民船はどうなっている?」

「依然月に向け減速中。順調です」



 内線電話が、呼び出し音を響かせる。

 矢野准将は、眼を閉じたまま手探りで受話器を取った。適当に耳に当てる。

「矢野だ」

「お休みのところ申し訳ありません。AFHQが、月でカピィの活動を観測しました」

 夜勤のチャン・リィリィ軍曹の、子供っぽい声が告げる。

 矢野の脳が、いっぺんに目覚めた。悪寒が、背筋を走る。

「なんだと。詳しい内容は?」

「大型の宇宙船らしき物体を観測。月の周回衛星軌道に乗った模様。以上です」

 ‥‥新たな宇宙船。カピィはふたたび地球への着陸を企てようというのか。

「すぐ行く。オペレーター非常呼集」

「イエス・サー」


「続報は?」

 作戦室に駆け込むなり、矢野はチャン軍曹に呼びかけた。

「映像が入ってきました」

 チャン軍曹が、メインディスプレイの一枚を指差す。

 月の映像だった。地上からの望遠なので、粒子が粗い上に大気の擾乱で映像は小刻みに揺らいでいる。だが、明るい光点が月のそばに生じているのははっきりと見えた。金星よりも明るい光点。カピィ宇宙船だ。

 矢野は思案した。警戒態勢に移行すべきか?

 そのあいだにも、非常呼集を受けたオペレーターが続々と作戦室に入ってきた。イングラム曹長が、チャン軍曹に代わってメインオペレーターの席に着く。山名軍曹とソムポン軍曹も、いつもの席に着いた。通信班の女性伍長と、情報班の当直下士官も、コンソールに着く。

「これは‥‥」

 個人用ディスプレイを見つめるイングラム曹長が、喘いだ。

「どうした?」

「AFHQよりデータ送信です。光学およびレーダー観測の結果‥‥月近傍に出現した宇宙船と思われる物体の推定データ。直径約2800メートル。おおよそ球形。推定容積115億立方メートル。推定質量96億トン。‥‥カピィ宇宙船の約四十倍の大きさです」

「なんだと‥‥」

 矢野の手が、力なくコンソールの端を叩いた。


 カピィの超大型宇宙船出現の報はジュノー国際空港に展開するメイス・ベースNAWC派遣部隊にも伝わっていた。

 瑞樹らフレイル・パイロットはモーテルの部屋に掛かってきたチョープラー大尉からの電話で相次いで叩き起こされ、至急臨時作戦室に出頭するようにと伝えられた。瑞樹はベッドに上体を起こして座り眠い眼をこすっているフィリーネ(子供っぽくてむちゃくちゃ可愛かった)に早口で状況を説明すると、トイレに飛び込んだ。

 化粧は省略し、手早く身支度を整えた瑞樹とフィリーネは、朝食サービスのデニッシュと紙パックジュースを引っつかむと、迎えのフォード・エクスプローラーに乗り込んだ。スーリィはすでに車内にいたが、ヘザーの姿はない。

 瑞樹は甘ったるいデニッシュを食べながら待った。だが、食べ終わってもヘザーは出てこない。

「見てきますわ」

 フィリーネが言って、車を降りた。

「どうでもいいけど‥‥お酒臭いわよ、スーリィ」

「‥‥ごめん」

 フィリーネが、ヘザーの部屋をノックしている。すぐにドアが開き、ヘザーが出てきた。とりあえず、身支度は済んでいるようだ。

「ごめんごめん。ちょっと手間取っちゃってさ」

 謝りながら、ヘザーがエクスプローラーに乗り込む。‥‥こっちもそうとう酒臭い。


「以上が、現在までの状況だ」

 臨時作戦室で、アークライト中将が新たに出現したカピィ宇宙船について説明する。

「当然だが、今回の派遣は中断する。フレイル・スコードロンは速やかにメイス・ベースへ帰還。派遣部隊も、可及的速やかに撤収する。フレイルの離陸は現地時間1000を予定している。なにか質問は?」

 アークライトが、訊いた。質問は、出なかった。全員が、困惑した表情だ。

「よろしい。すぐに準備にかかりたまえ」


「かなり責任を感じてるわね、あの顔は」

 スーリィが、アークライトの様子をそう評する。

「そんなことより、あなたたち大丈夫なの?」

 瑞樹は、スーリィとヘザーを睨んだ。ふたりとも、どう見ても昨夜のお酒が抜け切っていないようだ。

「‥‥ちょっと二日酔い気味だけどね。まあ、飛べるよ。スーリィに、薬貰ったし」

 少しばかり照れくさそうに、ヘザー。

「しかしなんなんだろうね、あの馬鹿でかい宇宙船は‥‥」

 スーリィが、空を振り仰ぐ。

「旗艦のお出まし、かな。でも四十倍とは‥‥。今度の奴が航空母艦だとすると、今までのカピィ宇宙船はせいぜいフリゲートサイズだった、ってことになるね」

 ヘザーが、言う。

「96億トン。‥‥大きすぎて、理解できないよ」

 スーリィが、ため息をつく。

「‥‥球形の巨大宇宙船なんてどこかの映画みたいだな」

 ヘザーが、苦笑いする。

「ずいぶんと小さいけどね」

 瑞樹も微笑んだ。あの映画は瑞樹もテレビで見たが、それに出てきた巨大宇宙要塞は、直径100km以上あったはずだ。今回出現したカピィの巨大宇宙船の直径は、3kmにも満たない。あちらをバスケットボールとすれば、カピィの方はピンポン玉よりも小さいことになる。

「地球に着陸するのでしょうか?」

 フィリーネが、訊く。

「‥‥どうかな。いずれにしろ、降りてきたらあたしたちが叩くしかないけどね」

 厳しい表情で、ヘザー。


 生き延びた四人の新生フレイル・パイロットは、NT兵器を駆ってメイス・ベースへと帰還した。すぐに核弾頭スコーピオンの装着が行われる。

 巨大宇宙船に関するニュースは、あっというまに世界に広がった。その呼称に関しては、各言語で様々な名がつけられ‥‥中には当然デ○・ス○ーなどという不穏当なものもあった‥‥が、最終的には「スフィア」に落ち着いた。

 アークライト中将は、スフィアと呼ばれるようになったカピィの大型宇宙船対策を協議するために、暫定的にUNUFHQが置かれているエカテリンブルクへと向かった。


 UNUFは、エカテリンブルク市内のホテル数軒を借り上げていた。差し回しのラーダ・プリオラはそのうちのひとつ、アトリウム・パレスにアークライトを降ろした。

 すぐさま数名の公安関係者が駆け寄ってくる。見せられた身分証明書によれば、ロシア内務省に所属する公安部隊、OMON(OMOH)の隊員のようだ。アークライトは徹底的なチェックを受けた。ID、指紋照合、顔写真の照合、ボディチェック、手荷物の検査。解放されたアークライトは、UNUFの女性少尉の先導でエレベーターに乗り、一室へと案内された。シングルの狭い部屋だったが、調度は高級だ。だが、旅装を解く暇もなく、アークライトは再びエレベーターに乗せられた。降りたところで、今度はUNUF地上軍の憲兵隊に厳重なチェックを受ける。

 通過を許されたアークライトは、女性少尉に従って広い通路を歩んだ。どうやら、行き先はホテルに併設されているビジネスセンターのようだ。

 両開きの扉の前で、アークライトは三度目のチェックを受けた。今度の相手は、地味なビジネススーツ姿のロシア人たちだ。

「この人たちは?」

 ボディチェックを受けながら、アークライトは女性少尉に小声で訊いた。

「ロシア連邦警護庁の方々です」

 同じく小声で、女性少尉。

 ‥‥ロシア連邦警護庁。ロシア版シークレット・サービスとも言われる組織である。どうやら、扉の奥にはロシア共和国の要人がいるらしい。

「結構です。お入り下さい、サー」

 ビジネススーツの一人がきれいな英語で折り目正しく言って、一礼した。別の一人が扉を控えめにノックしてから、人ひとり通れるくらいに開けて、アークライトに向けうなずく。

 アークライトは中に入り‥‥驚愕した。


「やあ、将軍。久しぶりだな。掛けたまえ」

 年配のアメリカ人が気さくに言って、末席を指差した。

「ありがとうございます、サー」

 アークライトは内心の動揺と緊張を押し隠し、示された席に座った。

 さして広くもない会議室だった。椅子は柔らかな本皮の回転椅子。テーブルの上には、リーガルパッドと丁寧に尖らせた鉛筆二本、銀色のボールペン、ミネラルウォーターとオレンジジュースの瓶とグラスが用意されている。

 アークライトは目玉だけ動かして、他の出席者の顔を確認した。ほぼ全員の顔に、見覚えがあった。‥‥半数以上は、テレビや新聞で見ただけだったが。

 恐ろしく豪勢な顔ぶれだった。フレッド・ローリンソン合衆国大統領に会うのはCD以来だが、かなり老けたようだ。その隣には、ロシア共和国大統領。中国、インド、日本、ドイツ、カナダ、オーストラリアの首相の顔も見える。メキシコ大統領の隣にいる浅黒い顔の初老の男性は、たぶんブラジルの大統領だろう。クーフィーヤ姿の男性は、たしか何かの大臣職に就いているサウード家の王子の一人のはずだ。

 UNUF地上軍司令官のウェイ大将。同じく海軍司令官のポーター大将。そして空軍司令官のデミン大将。

 アークライトの席に近いところには、プロジェクト・ラムダ開発本部長のサヴィン教授。副本部長のウッド博士。軍事部門司令官のチェン大将の姿もあった。

「では、始めてもらおうか。ヴィクトール、頼む」

 議長役らしいロシア大統領が、流暢な英語で言いつつデミン大将に向かってうなずいた。デミン大将が立ち上がり、咳払いをひとつしてから、説明を始める。

「それでは、オペレーション・オーヴァーヘッドについてご説明申し上げます。本作戦の目的は、スフィアとして知られるカピィ大型宇宙船を、月近傍で破壊することにあります」

 ‥‥スフィアを破壊。

 アークライトは、目をしばたたいた。

「現在、スフィアは月の周回衛星軌道に乗って月を巡り続けております。UNUFの弾道ミサイル戦力を以ってすれば、数十発におよぶ核弾頭をスフィアに向け撃ち込むことは可能ですが、過去におけるカピィ宇宙船に対する弾道および巡航ミサイル攻撃の模様から推定すれば、このような攻撃は無益でしょう。スフィアがその大きさに見合った防空能力を保有しているとすれば、これを破壊する方法はひとつしかありません。NT兵器の投入です」

 遅ればせながら、アークライトはなぜ自分がこのような席に呼ばれたのか合点がいった。

「現在、NT兵器は六機が稼働中で、経験を積んだパイロットも七名おり、日本にあるメイス・ベースで待機しています。すでに、プロジェクト・ラムダの責任者であるオレグ・サヴィン教授により、これらNT兵器を宇宙仕様に改造し、軌道上に打ち上げることは可能であるとの報告を受けています。では、詳細をご説明いたしましょう‥‥」

 デミン大将が、図を使った説明に入る。NT兵器の脚部の強化。コンフォーマルタンクの増設。不要質量の切除。フェアリング設置。ロケット・ブースター連結。‥‥これらの改造作業に、ほぼ三週間。

 ランス・ベースからの離陸と、加速上昇。軌道上で余剰質量の投棄。針路修正後、加速。月近傍で、核弾頭ミサイル発射。

 作戦完了後は、戦闘用の余剰質量を極力投棄してから帰還軌道に乗る。NT兵器は地球周回軌道上で放棄。パイロットのみ、バイコヌールから打ち上げる二基のソユーズで帰還する。

「三週間ものあいだ、スフィアが待っていてくれるのかね?」

 通訳を通じ、中国首相が質問を発する。

「それ以前に動かないことを祈るしかありません、サー」

 デミンが正直に答えた。

「よろしいのですか、軌道上にNT兵器を放棄してしまって?」

 オーストラリアの女性首相が、尋ねた。

「残念ながら、燃料節約のために軌道上で主翼やランディング・ギアなどを切り離す計画ですので、現状では放棄する以外に方法はありません。現在、新しいタイプのNT兵器を中華人民共和国内において製作中です。八月までには、数は限られていますが実戦部隊へ供給できるようになるでしょう。八月初旬になれば、ロシアの第二工場も稼動を開始します。そこではさらに量産に適したタイプが製作される予定ですし、パイロットの養成も始まっています。一ヶ月以上NT兵器が戦線に投入されない期間ができますが、これは致し方ないでしょう」

 デミンが、縷々説明する。

「わが国としては、UNUFの立案したこの作戦に全面協力を惜しまないつもりだ。皆さんは、どうお考えかな?」

 ロシア大統領が、居並ぶ各国首脳を見やる。

「もちろん、わたしは支持するよ、ペーチャ」

 ローリンソン大統領が、すかさず言った。

「第二、第三のスフィアが現れた場合はどうなるのです?」

 きれいなイギリス英語で、インド首相が訊く。

「そうなれば、残念ですが地球はおしまいですな」

 ロシア大統領が、口の端をゆがめる。

 日本の首相と、ドイツの首相が相次いで作戦に賛意を示した。他の国の首脳も、賛成する。

「ありがとうございます。問題は、作戦実行部隊ですが‥‥」

 デミン大将が、アークライトを見た。

「どうかね、アークライト将軍。君の部下はやってくれるだろうか?」

 ローリンソン大統領が、訊いた。

「命令であれば、もちろん遂行いたします。フレイル・スコードロンにはその実力もあります。しかし、この作戦は‥‥」

 アークライトは言い淀んだ。これほど大物が揃ったところで発言するのは、さしものアークライトも生まれて初めての経験である。

「さながらカミカゼ・ミッションです。正直、部下を送り出すには気が進みません」

「だろうな」

 ローリンソンが、嘆息した。

「しかし将軍。今われわれがこうしているあいだにも、北米やヨーロッパでは大勢の若者が命を落としているのだ」

 カナダ首相が言う。

「私見だが、スフィアを破壊しない限り地球に明日はないと思う。君の部下に命がけの仕事をやらせて欲しい」

「承知しました」

 アークライトはそう言った。一介の空軍中将が、主要各国の首脳の一致した意向を断れるはずもなかった。

「ひとつだけ問題がありますな。スフィアがカピィのものだという確証は、得られたのですかな?」

 ドイツ首相が、訛りの強い英語でデミン大将に問うた。

「確証は得られておりません。しかし、ふたつの理由からほぼ間違いなくカピィの宇宙船であると判断しております。ひとつ目は、電波その他で接触を試みているにもかかわらず、地球に対しなんら反応を示さないこと。二つ目は、スフィア出現に対して地球上のカピィがまったく反応していないことです」

 淀みなく、デミン大将が答える。

 ‥‥スフィアの正体は?

 マスコミはすでに多数の仮説を生み出していた。もちろん多数派を占めたのは、カピィの宇宙船であるという説である。宇宙戦艦説、揚陸艦説、揚陸指揮艦説、補給艦説、病院船説などなど。民間船舶説も唱えられており、移民船説や移動農場説があった。カピィ以外の知的生命体の宇宙船説はバラエティに富んでおり、観戦武官用船舶説、GNN(銀河ニュースネットワーク(笑))の中継船説、UP(惑星連合)のPKO部隊説、カピィに徴用された貨物船説、海賊船説などがあった。

 だが、当初希望的観測を持って語られた「スフィアはカピィの敵‥‥すなわち地球の味方ではないか」との見解は、否定されつつあった。もし味方であれば、地球側の呼びかけを無視するのは不自然だったし、カピィもそれなりに警戒するはずである。最低でも、スフィアは中立勢力。常識的に考えれば、カピィの後続部隊と見るのが正解だろう。

 脇の扉が静かに開き、ロシア空軍の大佐が入ってきた。つかつかとデミン大将に歩み寄り、一枚のメモを手渡す。‥‥くすんだ金髪の、どこかで見たことがあるような優男だったが、アークライトは思い出せなかった。

「みなさん、スフィアに動きがありました」

 メモを読んだデミン大将が、告げた。

「三発の大型ミサイルを同時発射したのです。目標は、地球と見られます」

 首脳陣が一斉にざわめいた。ウェイ大将が、中国語で悪態をつく。

「やはり敵だったのか」

 ロシア大統領が、喘ぐように言った。

「いえ、まだ判りません。ミサイルがカピィ宇宙船を目指している可能性もあります。三発という数に、ご留意いただきたい」

 デミン大将が、指摘する。

「しかし‥‥もしそれがカピィ宇宙船を破壊できるほどの強力なものであれば、地球はただでは済まんぞ」

 ローリンソン大統領が、言った。

「着弾は、いつですか?」

 インド首相が、訊いた。

「いまだミサイルは加速を続けていますので、不明ですが、おそらくは十数時間後になるでしょう」

 ‥‥敵か味方か。

「地球攻撃用としては、三発は少なすぎると思わんかね?」

 ドイツ首相が疑問を呈する。

「限定的な攻撃なのかも知れません。例えば、工業地帯や人口密集地を叩くような」

 デミン大将が、答えた。

「しかし、カピィは都市攻撃を控えていたはずだ」

 通訳を通じ、日本の首相が指摘する。

「判りません。スフィアにはより上の戦略方針を決定する上級司令部のようなものがある可能性も指摘されています。あるいは、彼らの戦略に変更があったかもしれません」

 苦しい表情で、デミン。

「阻止できるかね?」

 ロシア大統領が、訊く。

「大気上層での核迎撃ならば」

 デミンが、確約した。


「今度はミサイルかよ‥‥」

 ヘザーがぼやく。

 スフィアが発射した大型ミサイルは、地球に接近した時点で減速を開始していた。そのせいで、着弾予測は一時的に不可能になっている。メイス・ベースのフレイル・パイロットたちは、十五分待機に置かれていた。

「なんのつもりかねえ」

 スーリィが、夜空を見上げてぼやく。

「軌道上への衛星の設置とか」

 瑞樹は適当なことを言ってみた。

「そもそも、ミサイルじゃないんじゃないの?」

 アリサが、言う。

「じゃ、なに?」

 ヘザーが問う。

「そうねえ‥‥」

 小首をかしげたアリサが、ぽんと手を打つ。

「わかった。荷物を届けに来たのよ。よく見るとスフィアにDHLとか描いてないかしら」

「‥‥黄色くないですわ」

 珍しくフィリーネが突っ込む。

「でも、スフィアから着陸した宇宙船へなにか貨物を運んでいる可能性はあるわね」

 サンディが、言う。


 スフィアが発射したミサイルは、地球大気圏外で減速したのち、大気圏への突入を開始した。一発が北米東部、もう一発が同じく西部、残る一発がヨーロッパ西部を目指す。

 目標がカピィ宇宙船であることは明白だった。

 UNUFは、ミサイルの迎撃を行わなかった。スフィアがカピィの敵であるわずかな可能性に賭けたのだ。

 ミサイルはさらに減速しながら、カピィ宇宙船内に収容された。

 爆発を含む異常なエネルギーの放出は観測されなかった。



「贈り物は届きましたか?」

 ディスプレイの向こうで、市民代表ザムヤナが喋る。

「感謝します、市民ザムヤナ」

 ティクバは頭部を大きく左右に振った。

 市民船から送られてきた貨物ポッド‥‥いわば使い捨ての超短距離宇宙船である‥‥には、新鮮な食物が満載されていた。市民船内部の農場で収穫されたものだ。

 通常、軍用船内の食事は出航前に乾燥冷却させ、保存してあったものに水を加え、加熱処理して再加工した品が供給される。果汁などはほとんどが船内で合成されたものであり、天然物を凍結乾燥させた品ですら貴重品である。

 ティクバは散々礼の言葉を述べてから、通信を切った。通路で控えていたヴィドが、主触腕にひとつずつボウルを持って入ってくる。

「絞りたてですぞ」

 ヴィドが、ボウルのひとつをティクバに差し出す。ティクバはちらりと舌を見せて受け取った。ボウルの中は、人類が見たら溶き卵を連想するであろうわずかに赤みがかった濃い黄色の不透明な液体で満たされていた。

 二体はボウルに口をつけ、中身を一気に飲み干した。

「久しぶりの味ですな」

 ヴィドが、満足げに喋る。

「これを飲んだら、合成物など不味くて飲めなくなりそうだ」

 ティクバは、主触腕を耳の下に入れた。

「一日も早く、この地に我々の作物を植え付けてもらいたいものですな」

 ヴィドが、喋る。

「同意する」

 ティクバは右前肢をわずかに動かした。地球の気候は場所によってかなり異なるから、探せばどの作物にも好適な土地が見つかるだろう。土壌は合わなくとも、成分調整することは可能だ。なにより、この惑星には恒星からの光と、遊離酸素と、海水以外の水と、陸地がふんだんにある。

 戦士階層は基本的に農業には従事しないが、食用植物を育てることを趣味にしている者は多い。ティクバも昔は土地を借りて、小さな果樹を数本育てていた。そのささやかな果樹園も、すでに海没し、今では遠い彼方にある。

 ‥‥この触腕で瑞々しい果実をもげる時がくるのは、いつだろうか?


第十四話をお届けします。ようやく第三部「死闘編」に突入いたしました。まだ先は長いですがよろしくお付き合いください。 第十四話簡易用語集/ステルス巡航ミサイル カークトゥス 架空兵器。カークトゥスは、ロシア語でサボテンの意味。/回廊 Corridor 軍事航空においてコリドーとは、行動空域に設けられた三次元の空間を指す。軍事作戦においては、戦闘空域に進出、または帰還する際に通過する安全が確保された(味方による誤射などがない)航空路を主に意味する。/空域調整 Airspace Coordination 軍事行動に先立って、他の空軍部隊や陸軍、海軍など味方の部隊との間で行われる連絡調整のこと。これを怠ると味方の戦闘機に追っかけられたりSAMをぶっ放されたり、間違って味方の艦艇や陸軍部隊を爆撃したりとひどい眼にあうことになる。/CSAR Combat Search and Rescue 戦闘捜索救難。撃墜されるなどして地上に降りた味方航空機搭乗員を捜索、救出するのがSAR(Search and Rescue) これを戦闘行為が予期されるような競合地域や敵領域内で強行的に行うのがCSAR。当然危険な任務である。/CH−149 カナダ軍が採用したSAR用のEH−101ヘリコプター。/DHL 国際宅配運送会社。イメージカラーは黄色である。

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