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13 Mixture

「おはよう、諸君」

 アークライト中将が、口を開いた。

 講堂に集まっているのは、五人に減ってしまったフレイル・スコードロンの面々と、ヘザーとフィリーネだ。

「まず最初に、ホ・ミギョン中尉の戦死が正式に認定されたことを伝えておきたい。戦死後二階級特進で、以後はホ少佐となる。ホ少佐の活躍に関しては、UNUFHQからも感謝の言葉が送られてきている。いずれ、UNから叙勲されるだろう。韓国政府からも、一等武功勲章を授与するとの発表がなされた。‥‥わたし個人としても、彼女には‥‥その‥‥」

 アークライトが、言葉に詰まった。

「‥‥良い言葉が見つからないが、感謝している。‥‥では次に、ソード・ベース関連について説明しよう。UNUFHQの決定で、ソード・ベースは正式に放棄されることとなった。機材、人員などは、ランス・ベースとメイス・ベースに振り分けられる。ダガー・スコードロンに関しては、当基地が受け入れることになった。以後、暫定ではあるがわたしの指揮下に入ってもらう。リンドマン中尉と、ヴァロ中尉もいずれ赴任するはずだ」

 ‥‥しばらく、フィリーネと一緒にいられるのか。

 瑞樹はぼんやりとそう考えた。

「NT兵器の現状だが‥‥ダガー・スコードロンのネメシスとベローナは、現在ランス・ベースに空輸中だ。フレイル・スコードロンのヴァジェットも同様。ゾリアの修理は終了したが、ベローナはあと半日はかかるようだ。当面、ゾリアは核装備で待機させる。カピィ宇宙船が再び現れた場合は頼むぞ、ローガン中尉」

「イエス・サー」

 サンディが、敬礼する。‥‥いまひとつ声に張りがない。

「ランス・ベースにはテストに使われていた非武装の機材が数機ある。いま、それらを戦闘用に改造しているところだ。完成次第、当基地へ搬入の予定だ。それまでは、諸君はシミュレーター訓練を行ってもらう。ローガン中尉以外は0900にシミュレーター室に集合すること。以上だ」

 アークライトが、講堂を出てゆく。

「サンディ」

 アリサが、声を掛けた。

「なに?」

「良かったら、代わるわよ?」

「‥‥いえ、大丈夫。ありがとう」

 力なくサンディが応えて、微笑んだ。

「大丈夫に見えないね。しっかりしなさい、サンディ」

 ヘザーが、サンディのお尻を叩いた。

「ごめん。でも、なんか、いろいろとショックで‥‥」

「眼の前で死なれちゃうと、尾を引くのよねぇ」

 アリサが、言う。

「あんたは強いね」

 ヘザーが、感心したように言う。

「‥‥一回地獄見たからね」

 アリサの凄みのある笑み。



「これで、市民船が到着するまでに地球人類を屈服させる可能性はなくなりましたな」

 ティクバ船長は、慎重にそう述べた。

「同意せざるを得ませんな」

 オブラク船長が、物憂げに右前肢を揺らす。

 船長三体による通信回線を使用した会談は、低いテンションで続いていた。

 空恐ろしい損害であった。軍用船四号から回収できた戦力は、三十一機の大型機だけ。しかも、その半数は損傷している。シラム船長以下二千名以上が戦死。わずか数時間の戦いで、それ以前にカピィが蒙った損害の約三倍に相当する戦力が、失われたのだ。

「いずれにせよ、当面は占領地域の拡大に努める以外に手はないと思われますが」

 オブラク船長が、喋る。

「同意する」

 ティクバは右前肢を振った。

「これは‥‥戦略方針の変更を具申すべき事態ではないでしょうか」

 サンが、わずかに耳を揺らしながらそう提案する。

「具体的には?」

 オブラクが、訊く。

「何らかの交渉を行えるように変更すべきでしょう。このまま人類を追い詰めたら、反応兵器を乱用し、地球と共に自滅しかねない」

「宇宙船指揮者サンの意見をどう判断されますか、宇宙船指揮者ティクバ。貴殿が一番経験が豊富だ」

 オブラクが、水を向ける。

「そこまで人類が愚かだとは思えない。状況によっては交渉すべきと考えるが、現状ではその必要はないと思うが」

 ティクバはそう返答した。たしかに人類は複数の反応兵器を使用したが、いずれも大気上層部での爆発であり、地球環境への影響は最小限に留めている。自滅覚悟であれば、着陸した軍用船に対しても反応兵器で攻撃してくるはずだ。それに、生粋の戦士気質であるティクバには、交渉によって勝利を得ることを潔しとしない思いもあった。やはり軍事力で得られる勝利こそ、戦士として名誉ある勝利であろう。



 五隻めのカピィ宇宙船は現れるのか‥‥。

 世界中が固唾を呑んで、月を見上げた。

 メイス・ベースではベローナの修理が完了し、ゾリアと二機体制で常時核弾頭スコーピオン搭載となった。ランス・ベース経由でエルサとミュリエルも到着し、パイロットの数は一気に九名と増えた。


「HQより通達があった。ダガーおよびフレイル・スコードロンのパイロット全員、本日付を持って昇進だ。おめでとう」

 アークライト中将が、告げた。

 喜びの声は、あがらなかった。

「少しは喜びたまえ、諸君。三人の仲間を失った痛手は判るが、そろそろ立ち直ってくれないと困るぞ」

「失礼ながら、サー」

 スーリィが、口を開いた。

「あたしたちはすでに立ち直っています。任務もこなせます。ただ、以前より暗くなっただけです」

「暗くなった、か。‥‥ひとこと言っておくと、若い女性の笑顔はかなりの破壊力を持った兵器だぞ」

 アークライトが、珍しく冗談を飛ばす。だが、効果はなかった。

「‥‥いいだろう。君たちを信用しよう。解散」


「暗いねえ‥‥」

 ぼそりと、ヘザー。

「まあ、一番の元気者が、あれだからねぇ」

 サンディが苦笑して、ダリルを見やる。

 ダリルはソファにひっくり返り、呆けたように天井を見つめている。

 夕食後のひと時である。スーリィとエルサとミュリエルは、カウンターテーブルでカードに興じ、アリサはひとり掛けソファで読書。ヘザー、サンディ、フィリーネ、それに瑞樹は、丸テーブルに肘をついて途切れがちな会話を交わしていた。六人の時は結構余裕があったリビングルームだが、九人が一時に集うといささか窮屈に感じる。

「しかし‥‥ダガーはよくあっさりと立ち直れたわね。ふたりも亡くなったのに」

 サンディが、訊く。

「そうでもないよ。ミュリエルは、結構引きずってる。アレッシアと、仲良かったからね」

 声を潜めて、ヘザー。

「まあ、あたしはこういう性格だし、エルサも楽天家だし、この娘も‥‥」

 ヘザーが言いながら、隣に座るフィリーネの頭を撫でた。

「芯は強いからね」

「‥‥フレイルは、駄目ね」

 サンディが、嘆息した。

「ダリルはあんな風だし。わたしはまだ吹っ切れない。アリサはクールだし、スーリィも折り合いをつけたようだけど‥‥」

 言葉を切ったサンディが、瑞樹を見た。

「あなたも最近元気ね。吹っ切れたの?」

「うん。前向きに考えたら、吹っ切れたよ」

 瑞樹は、微笑んだ。

「前向き‥‥。どういうこと?」

 サンディが、眉をひそめた。

「ミギョンが戦死したのは、運が悪かったわけでもないし、ドジを踏んだわけでもない。前向きに戦って、その結果死んじゃったんだ、ってことに気付いたの。だったら、わたしも彼女の死に対して前向きに立ち向かわなくちゃならない。後ろ向きに、あのときこうすればミギョンは死ななくて済んだとかくよくよ考えるのは意味がないわ」

「いかにも東洋的な考え方だね」

 ヘザーが、感想を述べる。

「そう‥‥ね。瑞樹の言う通りかもしれないね」

 サンディが、かすかにうなずいた。


 新田原の滑走路から、UNUFAFのファルコン900が離陸する。

 客席には、スーリィ、ダリル、瑞樹の姿があった。ランス・ベースへ戦闘用に改造した試験機を取りに行くのである。

「‥‥どうにかならないかねぇ」

 少し離れた座席で悄然としているダリルを見やって、スーリィがため息をつく。

「痩せたよね、確実に」

 瑞樹も嘆息した。フレイル一の健啖家だったダリルだが、明らかに日々の食事量は減っていた。

「まあ、なんだかんだで一番ミギョンとかかわりがあったからね」

 ネメシスの正規パイロットの座を巡っての争奪戦。シミュレーターでの勝負。一方的なライバル視‥‥。

「あいつが暗いままだと、どうも調子が出ないんだよね」

 スーリィが、嘆く。

 今のところ、任務‥‥といっても訓練だけだが‥‥に、支障は出ていない。シミュレーター訓練など見ても、ダリルの操縦の腕は鈍ったりしてはいないようだ。いや、口数が少ない分以前よりはるかにまじめに訓練に取り組んでいるようにすら見える。

 ‥‥しかし。

「ノリの悪いダリルなんて、ダリルじゃないよ」

 スーリィが、言う。

「同感ね」

 瑞樹はうなずいた。

「この仕事が終わったら、休暇でも貰おうか。ちょっと長めに。ダガーの連中がいるから、三日くらいは取れるんじゃないかな」

 スーリィが、そう提案する。

「いいわね。で、どうやってダリルを復活させるの?」

「里帰りさせれば、以前の調子を取り戻すかもしれない。ご両親は、メキシコからアルゼンチンへ避難したはずだよね」

「アルゼンチン‥‥。ここからじゃ、地球の裏側だよね」

 瑞樹は頬を掻いた。通常のエアラインを使うとすると、南アフリカ経由になるだろうか。いずれにしても、片道二日はかかるだろう。

「じゃあ、また東京でも行こうか。前回は、中途半端に終わっちゃったし、瑞樹に案内してもらうこともできなかったし」

 スーリィが、言う。

「なるほど。いいかもね」

 瑞樹は賛成した。


 瑞樹ら三人がフェリーしてきた三機‥‥ヴァジェット、ネメシス、ベローナが加わり、メイス・ベースの機材は五機態勢となった。

「休暇申請か。よかろう。実は、ダガーと交代で何日か連続で与えようと思っていたところだ」

 スーリィが口頭で申し出た申請に対し、アークライトが即答する。

「ありがとうございます、司令」

「ただし、条件がある」

 アークライトが、注文をつけた。

「現在、UNUFAFが月の裏側の偵察準備を行っている。ロシアから、プロトン・ロケットを使って月の衛星軌道へ探査機を打ち上げる予定なのだ。それまでは、月の裏側にカピィ宇宙船がいまだ潜んでいる可能性を捨て切れない。HQは、カピィ宇宙船が再び東アジアへの着陸を試みた場合、その核迎撃に実績のあるフレイルを起用せよと厳命している。したがって、月の裏側がクリアであることが確認されない限り、君たちをメイス・ベースから遠くへ行かせるわけにはいかない」

「‥‥基地に缶詰ですか?」

 スーリィが、問う。

「いや。外出は構わない。ただし、一時間以内にメイス・ベースへ戻れる場所に居てくれ。もちろん、常に連絡が取れる状況でなければならん。場合によっては、ベースからヘリコプターを迎えに出す」

「一時間ですか‥‥」

 瑞樹は頬を掻いた。宮崎市街中心部まで約20km。タクシーを使えば余裕で帰って来られる時間と距離だ。ヘリコプターでのお迎えならば、100kmくらい離れても大丈夫だろう。宮崎県内なら、ほぼ安全圏と言える。

「期間は‥‥明後日から三日間だ。どうだね?」

「ありがたくお受けします」


「‥‥というわけで、どうする?」

 リビングの丸テーブルで、四人は額をつき合わせていた。‥‥ダリルは例によって、ソファでひっくり返っている。

「三日間か。となると、旅行でもしたいところね。なにか面白いところはない?」

 サンディが、瑞樹に問う。

「宮崎といったら海だけど、季節的にちょっと早いよね。となると、温泉かなあ」

「オンセン?」

 ダリルが、むくりと起き上がった。

「瑞樹。いま、オンセンと言ったか?」

「‥‥うん」

「何の話をしているのだ? 四人揃って」

「ああ‥‥司令にお休みもらったでしょ。せっかくだから、みんなで温泉でも行こうかな、と‥‥」

「あたしを除け者にして、オンセンへ行くつもりだったのか!」

 素早い動きで立ち上がったダリルが、瑞樹に詰め寄る。

「みんなで、って言ったでしょ。もちろんダリルも入ってるわよ」

 瑞樹は頬を掻いた。

「‥‥そうか。そこはロテンブロもあるんだろうな」

「‥‥まだ、どこへ行くかすら決まってないんだけど」

「なら、ロテンブロのあるところを探せ。あ、コンヨクは不可だ。じゃ、支度してくる」

 そう言い置いて、すたすたとダリルがリビングを出てゆく。

「あ〜、びっくりした」

 瑞樹は肩の力を抜いた。久し振りに、アクティブなダリルを見た。

「なんだかよく判らないけど、ダリルが喰いついたね」

 嬉しそうに、スーリィ。

「いつものダリルに戻ったみたい」

 サンディも、驚きの表情だ。

「それで‥‥」

 ずっと黙っていたアリサが、瑞樹を見据え、あだっぽく小首をかしげた。

「オンセンって、なに?」


「はい。外国人が四人です。ええ。そうですか。良さそうですね。もうひとつだけ。そちらの近所に、ヘリコプターが離着陸できる場所がありますでしょうか?」

 受話器の向こう側が、一瞬沈黙する。

「‥‥ちょと事情がありまして‥‥ええ、車で行くつもりですが、緊急時にはヘリコプターが迎えに来ることになって‥‥。あ、UNUFの者でして。はい。あ、そうですか。では、三十分後くらいにまたお電話します。はい。失礼します」

 瑞樹は受話器を置いた。

「う〜ん」

 ボールペンの尻を軽く噛みながら、唸る。

「どう?」

 サンディが、訊く。

「良さそうな宿は数軒見つかったけど、ヘリコプターがネックね。救急搬送用とかの代替ヘリポートなら、あちこちにあるんだけど、それを使わせてもらうとなると事前に行政に掛け合わなくっちゃならないからね。あんまり、おおごとにしたくないし」

 瑞樹はメモを見ながら別の宿に電話した。

「もしもし。先程お電話した沢本という者ですが。はい。え、はいはい。‥‥たぶん、ヘリコプターを使うことはないでしょうが、一応着陸場所を確保しておかないと、上官の許可が下りないので‥‥。あ、法規上は問題ありません。防衛出動中になりますから、航空法の適用範囲外ですので。あ、そうですか。わざわざすみません。では、明後日から二泊、お願いします。ええ。あ、大丈夫です。むしろ純和風の方が、喜ぶと思います。はい‥‥」

 瑞樹は予約を済ませた。

「見つかったのか?」

 サンディが、訊く。

「うん。三百坪くらい‥‥ざっと1000平方メートルくらいの平坦な空き地がそばにあるって。地主さんに電話したら、OKが出たそうよ」

 瑞樹はさっそく、他に問い合わせた宿に片端から断りの電話を入れた。

「よし、完了。あとは、美羽のランクル借りるだけ。‥‥でも、往復運転するのはしんどいわね」

 瑞樹は愚痴った。

「あら。道を教えてくれれば、運転代わってあげるわよ」

 サンディが、言う。

「え。日本の免許持ってるの? それとも、在日アメリカ軍発行の免許?」

「まさか。AAAの国際免許よ。ダリルも持ってるはず」

「やった。じゃあ、交代で運転しましょう」


 雨。

「まあ、六月だものねえ」

 ハンドルを握りながら、瑞樹はことさら明るく言った。

「六月は、雨が多いの?」

 助手席のサンディが、訊く。

「うん。六月から七月の半ばくらいは、雨季なんだよ。これが終われば、日本は暑い夏に突入するんだよ」

 瑞樹は手短に説明した。

「‥‥広いな」

 ぼそり、とダリルが言う。

 どきり。

 運転席に瑞樹。助手席にサンディ。セカンドシートにダリルとスーリィ。サードシートにアリサ。

 たしかに‥‥広い。

 車内が一気に凍りついた。ワイパーの音が、やけに大きく聞こえる。

「あ、お菓子買って来たんだ。食べる?」

 スーリィが、慌ててバッグからチョコレート菓子など取り出して、配り始める。

 ほっ。

 ようやく、車内がにぎやかになった。スーリィが、ダリルをむりやり会話に引き込もうとする。アリサも、今日はいつもより口数が多い。

 メイス・ベースから程近い西都ICから東九州自動車道に入って南下。清武ジャンクションで宮崎自動車道に移り、西進。霧島パーキングエリアで休憩がてらサンディと運転を交代し、すぐ先の小林ICで高速を降りる。

 ランドクルーザーは、えびのスカイラインに入った。急なカーブと上り坂が続く。

「天気よければ、景色いいんだろうけどね」

 道路地図を睨みながら‥‥もちろんカーナビなど付いていない‥‥瑞樹は頬を掻いた。

「あ、正面の山が韓国岳。キューシュー・アイランドの南部では一番高い山よ」

「山容からすると、火山のようね」

 サードシートから身を乗り出して、アリサ。

「そうだね」

「ねえ、カラクニダケって、どういう意味?」

 無邪気に、サンディが訊く。

「え〜と‥‥。ダケっていうのは、ヤマと一緒で、マウントのこと。カラクニっていうのは‥‥コリア」

 仕方なく、瑞樹は正直に答えた。

 いなくなったひとりを思い出し、車内の空気が、急に重くなる。

 えびのスカイラインから外れたランドクルーザーは、瑞樹のナビゲーションで別荘地を抜け、細い山道へと入った。さらに枝分かれしたコンクリート舗装のくねくねと曲がる一車線道路を、ゆっくりとしたスピードで三分ほど走る。終点が、目的地の旅館だった。霧島温泉郷のひとつである。

「かなり山の中ね」

 車内常備のビニール傘を差して荷物を下ろしつつ、サンディ。

「着いたわよ、ダリル」

 スーリィが、ぼーっとシートに座り込んでいるダリルをつつく。

「ほら。温泉よ、温泉」

「温泉!」

 いきなり、ダリルのスイッチが入った。猛然と車外へと飛び出し、純和風の温泉旅館を見て歓声を上げる。

「おお、アニメで見たのとそっくりだ!」

「やっぱり‥‥」

 サンディが、額に手を当てる。


 チェックインを済ませて、部屋に荷物を置く。

「さっそくだが、露天風呂に行こう」

 すっかり元気になったダリルが、主張する。

「雨だよ」

「だいぶ小降りになったようだ。行くぞ」

「まあ、付き合うしかないわね」

 サンディが、肩をすくめる。

 五人はぞろぞろと露天風呂へと向かった。小さな旅館なので脱衣所は狭い。

「あああ。ダリル、そっち違う」

 さっさと服を脱ぎ、歩き出したダリルを、瑞樹は止めた。

「そっちは大浴場。屋内よ。露天風呂は、こっち」

 瑞樹は出入り口の上に張られた表示を指差した。

 五人は露天風呂に通じる短い板張りの通路を歩んだ。各人の裸体の隠し方に、お国柄や育ちが見て取れて面白い。スーリィは胸までバスタオルをきっちりと巻きつけている。サンディも同様だ。ダリルは、短いタオルを腰に巻いただけで、豊かなバストをむき出しにしている。瑞樹は、日本人らしくタオルを腰にあてがっただけだ。一番大胆なのがアリサで、股間すら隠そうとしていない。‥‥ロシアのサウナなどは同性の場合隠さないと聞くが、どうやら本当らしい。

「おお、露天風呂だ。素晴らしい」

 ダリルが、手放しで喜ぶ。

 小ぢんまりとした、可愛らしい露天風呂だった。溶岩質らしい黒っぽい石を組み上げてあり、洗い場はない。掛け流しの湯が、石のあいだからどばどばと流れ込んでいる。正面はもやのかかった山並みが一望できる。右側は竹や笹などを植えたちょっとした日本庭園風の造りで、左側は目隠しの竹垣である。竹垣の一角にくぐり戸があり、そこから大浴場へ戻れるようだ。

「いいか、湯の中にタオルを入れてはいかんぞ」

 ダリルが、忠告する。

「それから、湯に入る前に身体を簡単に洗うのだ。見本を見せてやる‥‥」

 木桶を手にしたサンディが、講釈を始める。

 湯はやや熱めだったが、小雨がぱらつく肌寒い日和だったので、ちょうどいい。

 瑞樹は肩まで湯に浸かった。お湯は無色透明、さらさらした感じだ。硫黄の匂いも、薄めである。

「ひさしぶりだ〜温泉」

「どうだ。気持ちいいだろう」

 ダリルが、自慢げに言う。

「ちょっと恥ずかしいけどね」

 やや赤面しながら、サンディ。

「‥‥長い付き合いになるけど、一緒にお風呂入ったりするの、初めてだもんね」

 瑞樹は笑った。メイス・ベースに赴任したのが一月のこと。もう六月だから、かれこれ五ヶ月近く一緒にいることになる。

 ‥‥しかし。

 瑞樹は他の四人の裸体を眺めながら、ちょっと落ち込んだ。ダリルは巨乳だし、スーリィも胸は人並み以上にある。サンディのバストもなかなかきれいだし、アリサはやや小ぶりだが美乳だ。

 貧乳コンビの片割れであったミギョンがいなくなってしまったので、瑞樹の胸の貧弱さが際立っている。

 充分に温まってから、五人は大浴場へと移った。他の客がいないのをいいことに、大騒ぎしながら身体を洗う。

「‥‥修学旅行かよ」

 瑞樹は小声で突っ込んだ。むろん、誰も聞いていない。

 再び露天風呂に戻り、身体を温める。裸体を晒すことに慣れたのか、サンディもスーリィも恥じらいが消えている。

「白いねえ。アリサは」

 ダリルが、アリサの腕に自分の腕をくっつけて、比べた。ダリルの肌もむろん白いが、アリサの白さは際立っている。

「あれ」

 ダリルが言って、アリサの腕をつかみ、高く持ち上げた。

「アリサって、腋毛の処理しないの?」

「‥‥うん。自然のままよ」

 白い腋の下に、くすんだ金茶色の毛がちょぼちょぼと生えている。もともと体毛が薄いようだし、毛の色も黒くないから、気にならないのだろうか。

「瑞樹は?」

 ダリルがいきなり手を伸ばし、瑞樹の手首をつかんだ。抵抗する間もなく、持ち上げられてしまう。

「おう。きれいに処理してるな」

「一応ね」

 瑞樹は強張った笑みで応じた。以前は四月に入ると丁寧に処理したものだが、最近はノースリーブを着ることなどめったにないので、今年の初処理はわずか二週間前だったのだ。

「あたし、そのままだよ」

 スーリィが、言う。

「おお。中国では、そうなのか?」

「最近処理してる人も多いみたいだけどね。でも、昔はお仕事してる人くらいだよ。きちんと処理してたのは」

「お仕事?」

 サンディが、首をかしげ‥‥思い当たって、ちょっと赤面した。

「サンディも見せなさい」

 ダリルが、要求する。

「いやよ、恥ずかしい。ちゃんと処理してるけど」

 サンディが、拒否した。

「なんだかなぁ」

 瑞樹は日本語で言って、嘆息した。お風呂で女の子同士で腋毛話。楽しいのか、むなしいのか、判らなくなる。

「上がろうか、そろそろ」


「ではあたしが、正しい浴衣の着方を解説しよう」

 淡い水色のブラとショーツ姿のダリルが、偉そうに説明を始める。

「大丈夫よ。コートみたいに着てベルト締めればいいんでしょ」

 白い下着を着けたサンディが、糊の効いた浴衣に袖を通す。

「ふ、甘いな。浴衣も簡易なものとはいえ、着物の一種なのだ。日本の民族衣装をそんな軽い気持ちで着こなせると思うのか。あ、アリサ。その下着はまずいぞ。透けて見えるから」

 ダリルが、濃紺のブラとショーツのアリサに注意する。

 瑞樹は微笑みながら、浴衣を着た。全員が着終わったところで、ダリルのチェックが入る。

「サンディ。逆だ、逆」

 左前に着てしまったサンディの浴衣を、ダリルが強引に直す。

 浴衣姿の五人は、ぞろぞろと脱衣所を出た。

「あ、冷たい物でも買って行こうよ」

 ロビーの自動販売機で、瑞樹は足を止めた。

「財布、持ってこなかったわ」

 サンディが、言う。

「奢るよ。それくらい」

 瑞樹は千円札を自動販売機に入れ、各人の注文を取った。

「ダリルは? 部屋でビールの方がいい?」

「いや。冷たいコーヒーをくれ」

 瑞樹は、無糖ブラックの缶コーヒーを選んでボタンを押した。

「ありがとう」

 受け取ったダリルが言って、すたすたと歩みだす。

「‥‥露天風呂で調子が出たのに、お湯から上がったら醒めちゃったわね」

 オレンジジュースの缶‥‥乳酸菌飲料系は売っていなかった‥‥を握ったアリサが、小声で言う。

「そうね。いつものアリサなら絶対ビールを欲しがる状況だわ」

 コークを手に、サンディも同意する。


 前菜に和風山菜と海草のサラダ。刺身。小さな牛鍋。鰆の焼き物。海老と季節の野菜(空豆、えんどう豆、アスパラガス)の揚げ物。アオリイカと山菜の酢の物。茶碗蒸し。香の物と味噌汁。ご飯。デザートに冷たいフルーツのゼリー寄せ。

 スーリィとアリサがダリルの両脇に陣取り、盛んにビールを勧める。料理はそこそこおいしく、場は結構盛り上がった。



「なにぼんやりしてるの、フィリーネ」

 エルサが、フィリーネの肩をぽんと叩いた。

「あ、いえ。なんでもないです」

「どうせまた、瑞樹のことでも考えてるんでしょ」

 微笑みながら、ミュリエル。

「そんな‥‥ちがいますよ」

 赤面しながら、フィリーネは否定した。

「すぐに顔にでるからねぇ、フィリーネは」

 エルサも、微笑んだ。

「ほんとに瑞樹が好きだな、お前は」

 ヘザーが、赤くなったフィリーネの顔をまじまじと覗き込む。

「まあ、判らないでもないけどね。あの娘、不思議な魅力を持ってるし」

 組んだ手に顎を載せるようにして、ミュリエルが言う。

「あ〜、判る判る。なんか、そばにいると落ち着くよね」

 エルサが、同意する。

「確かに、ちっこいけど度量は大きい娘だね。‥‥ダガーには、いないタイプだ」

 ヘザーが、腕を組む。

「ですよね。いいひとです」

 顔を上げたフィリーネが、にっこりと微笑んだ。

「あ〜。やっぱり瑞樹のこと考えてたんだ」

 ミュリエルが、フィリーネを指差し、にやりとする。

「あの、えーと」

 詰まったフィリーネが、さらに赤面する。

「まあ、いいさ。誰が誰を好きになろうが、構いはしないよ」

 ヘザーが鷹揚に言った。






 旅行二日目は、きれいに晴れた。

 朝食を済ませた五人は、部屋でくつろいだ。アリサが隅の方に置いてあった将棋盤を引っ張り出し、瑞樹に指し方を教えろとせがむ。

 瑞樹は駒を並べて見せた。幼い頃に父親に教わったので、ルールはもちろん知っているし、そこそこの棋力もある。松島基地にいた頃は、同僚とよく盤を囲んだものだ。

「ふうん。クイーンはないのね。で、ナイトは前にしか進めない、と」

 アリサが、興味深げにうなずく。

「シャンチーと似てるね。でも、キングがどこへでもいけるんだ」

 スーリィが、言う。

「シャンチーってなに?」

 サンディが、問う。

「チャイニーズ・チェスだよ。キングに相当する駒と、その護衛に当たる駒は動ける場所が制限されているんだ」

 スーリィが、説明した。

「日本の将棋がユニークなのは、取った相手の駒をゲームから排除せずに、自分の駒として利用できることなの。自分の手番が来たら、盤上の駒を動かす代わりに、手持ちの駒を好きなところに置くことができるの」

 瑞樹は盤の一角に適当に終盤の局面を再現してから、敵陣内に飛車を打ち込んだ。

「おお。まるで空挺部隊だな」

 ダリルが、驚く。

「‥‥そんなルールで、よく混乱しないわね。攻める方が、有利すぎない?」

 アリサが、不思議がる。

「大丈夫だよ。守る方も、打てるんだから」

 瑞樹は、金底に歩を打って飛車の利きを封じた。

「こんなこともできるんだよ」

 瑞樹は序盤風に駒を並べ替えると、角頭の歩に対し歩を打った。

「どうする?」

 駒の動きを理解したらしいアリサに、訊く。

「取るしかないわね」

 アリサが、瑞樹の歩を取り、自分の歩を進めた。

「で、こうする」

 瑞樹がすかさず、角頭に歩を打った。‥‥味方の駒に阻まれ、角は逃げようがない。

「‥‥なるほど。取ってはいけないのね」

 瑞樹は駒をもどすと、ふたたび角頭の歩の前に歩を打った。アリサが、銀を上げて角頭を守りにかかる。瑞樹はアリサの歩を取って、成り込んだ。アリサがと金を銀で取る。瑞樹は銀の頭に歩を打った。数秒考え込んだアリサが、銀を左上に逃がす。

「さすがアリサ。簡単には引っかからないわね」

 瑞樹は褒めた。

「うん。取った相手の駒を使えるというのも、なかなか面白いルールね。引き分けが少なくなると思うけど」

「少ないというより、特殊な例を除けばほとんど無くなるわね。引き分けをなくすために、このルールを採用したという説が有力なくらいだから」


 ダリルの運転で、昼食を食べに行く。名物だという黒豚を賞味した五人は、土産物屋で買い物したり、近くの展望台で景色を眺めたり、ソフトクリームを舐めたりしてのんびりとした時間を過ごした。早々に宿へと戻り、露天風呂に赴く。

「持って帰りたいわね。このお風呂」

 満足げな吐息を漏らしながら、サンディ。

「メイス・ベースにも造りましょうか」

 アリサが、乗った。

「掘っても、あのへん温泉は出ないんじゃないかなぁ」

 頬を掻きながら、瑞樹。

「問題は、誰に造らせるかだよね。お金、ないし」

 サンディが、言う。

「そこは業務隊建設班の出番でしょう」

 くすくすと笑いながら、スーリィ。

「覗き放題にすれば、メンテナンス・グループの連中が大喜びで造ってくれるでしょうね」

 微笑みながら、アリサ。

「それは、入りたくないよ‥‥」

 瑞樹は苦笑した。

「お湯はどうするの?」

 サンディが、訊く。

「湯はNTで沸かせばいい。水を入れればOKだよ」

 スーリィが、言う。

「‥‥微妙にやだぞ、それ」

 ぼそりと、ダリル。


「さて」

 夕食が終わると、アリサが土産物の袋をあさって、薄青い瓶を取り出した。‥‥芋焼酎だ。

「飲むわよ、ダリル」

「うん、付き合うよ」

 ダリルが、うなずいた。

「‥‥飛びつかないわね」

 小声で、サンディ。

「まだ本調子じゃないんだよ」

 頬を掻きつつ、瑞樹。

 スーリィが、買って来た真空パックの地鶏の燻製や瓶入りの黒豚味噌などを続々と取り出し、座卓の上に並べる。アリサが、芋焼酎の壜を傾けて、四つのグラスに中身をたっぷりと注いだ。

 四つ。

「おいおいおい」

 瑞樹は遅ればせながらに突っ込んだ。

「一杯だけ付き合いなさい」

 有無を言わさず、アリサがグラスを瑞樹の手に押し付ける。

「乙類は苦手なんだけど‥‥」

 瑞樹はグラスを鼻先に近づけた。‥‥思ったより、芋の匂いが薄い。ちょっと舐めてみる。

 うわ。

「強いよ。水、ないの?」

「はい」

 スーリィが、ミネラルウォーターのボトルを差し出してくれる。瑞樹はグラスの縁いっぱいまで水を注ぎ足してから、ひと口飲んだ。‥‥これなら、飲めそうだ。

 アリサとスーリィが、盛んにダリルに話しかけながら酒やつまみを勧める。ダリルの表情も、明るかった。酒はそれほど進んでいないようだが、楽しそうだ。

「ま、楽しい旅行になってよかった。ありがとう、瑞樹」

 三人の様子を眺めながら、サンディがそっと言った。

「どういたしまして。機会があったら、またしたいわね」

「五人揃ってるうちにね」

「‥‥また、縁起でもないことを」

「冗談よ、冗談」

 サンディが、微笑む。


 瑞樹は目覚めた。

 慌てて布団を跳ね上げ、明かりのスイッチを手探りする。

 ‥‥カピィ宇宙船出現か?

 スイッチが、なかなか見つからない。

 そこでやっと瑞樹は、自分が寝ていたのはメイス・ベースの宿舎でないことに気付いた。

 ‥‥そうだ。みんなで霧島の温泉宿に来てるんだっけ。でも、なんで急に眼が覚めたんだろうか。なんか、サイレンみたいな音を聞いたような気もするが。

 部屋の天井灯が、瞬きながら点いた。

 サンディが、壁際のスイッチに手を掛けている。全員が、眼を覚ましていた。ダリルは、寝乱れた浴衣姿で、布団の上に突っ立っている。

 そのダリルが、ぼそっと言った。

「ミギョンが、いた」

 スーリィが、ひっと息を呑んだ。

「‥‥まさか、幽霊?」

 瑞樹は頬を掻いた。ダリルが、首を振る。

「いや。夢だったようだ」

「なんだ。脅かさないでよ、ダリル」

 サンディが、ほっと息をつく。

 瑞樹は枕もとの腕時計を取り上げた。まだ午前四時前だ。

「風呂、行って来る」

 ダリルがタオルを肩に引っ掛けると、襖を開けた。

「ちょっと、待ちなさいよ」

 サンディが、慌てて追う。

「あ、わたしも行くぅ」

 アリサが立ち上がろうとしたが、瑞樹はそれを力ずくで制した。

「寝てなさい。あれだけ芋焼酎飲んだんだから」

 瑞樹はタオル類を数本抱えると、部屋の明かりを落とし、ダリルとサンディのあとを追った。


 満月に近い明るい月が、露天風呂からよく見えた。

「あの裏側に、まだいるのかねぇ、連中」

 湯に浸かりながら、ダリルがぼそりと言う。

「そんなことよりも。どんな夢見てたのよ。あんな変な声出して」

 サンディが、訊く。

「ごめん。ミギョンが消えたんで、それを止めようとしたんだと思う」

 恥ずかしげに、ダリルが言う。

「なんか、いろいろあったけど、踏ん切りがついたよ。心配掛けたかも知れないけど、もう大丈夫だ。立ち直ったよ、あたしは」

 サンディと瑞樹に向き直ったダリルが、言う。暗かったが、その表情が晴れやかなのは見て取れた。

「ずっと、考えてたんだ。もしあの場にあたしがいたら、ミギョンは死なずに済んだんじゃないか、とか。ネメシスに乗っていたのがあたしだったら、どうなっていたのか、とか。でも、もう悩まないことにしたよ」

「ふうん。夢でミギョンに説教でもされたの?」

 サンディが、問う。

「いや。ひとこと言われただけだ」

「なんて?」

 瑞樹は身を乗り出した。

「楽しかった。それだけ言って、ミギョンは消えたんだ」

「楽しかった‥‥」

 鸚鵡返しに、サンディ。

「そう。あいつはあいつなりに、あたしたちとの関わりを楽しんでたんだよ。そりゃ、死んじまったことは悔しいだろうけど、その直前まで彼女は楽しんでたんだ。あたしだって、いつミギョンと同じ目にあうかもしれない。だから、今を楽しまないのは馬鹿げてる。ミギョンのことは絶対に忘れないけど、死を悼むのはもう終わりにするよ。せっかく日本の温泉に来たんだから、堪能しなきゃ」

 ダリルがそう言って、ウィンクする。

「そうね。今を楽しみましょう」

 瑞樹はそう言って、黄色っぽい光を放つ月を眺めた。

「まあ、あんたが本調子取り戻してくれてよかったわ」

 サンディが、石に寄りかかった楽な姿勢を取る。

「日本酒が欲しいところだな。湯にトレイを浮かべて、一杯やりたい。アニメで、よく見たぞ」

 ダリルが、言う。

「ははは。実際にやってる人、見たことないけどね」

 瑞樹は頬を掻いた。

「あと、アニメだと同行の男性が女湯を覗くのがお約束だがな。今回は誰も来ていないから、安心だが」

 ダリルが、にやにやと笑う。

「誰が覗くのよ。まさか、司令?」

 サンディも、くすくすと笑った。

「いや。司令は覗きキャラじゃないな。副司令なら、やりかねんが」

 ダリルが、言う。

「ひっどーい」

 瑞樹もけらけらと笑った。



「通信、繋ぎます」

 技術員が、喋る。

 ティクバは緊張を覚え、瞬きした。

 壁面ディスプレイに、すっと映像が入る。三体のカピィが、休息台に寝そべっている。

「宇宙船指揮者ティクバ。任務感謝します」

 真ん中のカピィが、喋った。

「ありがとうございます、市民代表ザムヤナ」

 ティクバは応えた。タイムラグがあるために、返答が届くにはしばらく時間がかかる。

「そちらから送られたデータは充分に検討しました。予想外の事態でしたね。多くの戦士の勇敢なる死を悼みます」

「恐れ入ります」

 しばらく続いた儀礼的なやり取りののち、ザムヤナが本題に入った。

「戦略方針に問題はありませんか?」

 問われたティクバは、ほんの少しだけ逡巡した。

 サン船長が主張した人類との交渉案。

 たしかに、軍用船四号の喪失は大きな痛手であった。だが、今のところ人類側が新たな反応兵器による攻撃を仕掛けてくるそぶりはない。戦況は、いまだこちらに有利である。例の新兵器も、姿を現していない。‥‥交渉など必要ないと思える。

 それに、市民船が通信圏内まで近づいた以上、いつでも戦略方針の変更について意見具申することができる。まあ、変更自体は長時間の会議を経なければ決議されないので、速やかに対応できるものではないが。それに、一度決定した戦略方針を再変更することは難しい。現場に交渉の意図がない以上、安易な具申は慎むべきである。

「現状では、問題ありません。しかし、将来的に変更をお願いする可能性は、あります」

 ティクバはそう述べるに留めた。



 ロシア中部、スヴェルドロフスク州エカテリンブルク市。

 ウラル山脈の東側に位置し、ソビエト連邦時代はスヴェルドロフスク市と呼ばれていたこの都市に、ブリュッセルを追われたUNUFHQは移転していた。

「久しぶりですな」

 UN海軍参謀長ヴィクラム・スィン大将が、中国共産党中央政治局常務委員ヤン・チャンイーと握手を交わす。

「しかし‥‥思っても見なかった展開になりましたな」

 ソファに座ったヤンが、嘆息した。

「そうですな」

 スィン大将が、同意する。

 北米で核兵器を使用し、カピィを葬り去ると同時にアメリカ合衆国に大打撃を与える。その後、合衆国が国力を回復する前にロシア、中国、インド間の〈ユーラシア同盟〉を結成する‥‥。

 これが、ヤン常務委員、スィン大将、それにルシコフ大将の野望であった。

 しかし、カリフォルニア、ベルギー、アンホイと立て続けに起こったカピィ宇宙船との戦いで、この野望は潰えた。核兵器使用に対する障害が少なくなったのは大きな前進だが、このまま核兵器を大量使用すればユーラシア諸国も無事では済まない。さらに、アンホイの事例からしても、カピィが更なる攻撃をロシアやインドに加えてくる可能性も高い。

「で、今日は何の用件ですかな?」

「引き合わせたい人物がいるのですよ」

 ヤンの問いに、スィンが応える。

 ほどなくして、もうひとりの同志、ルシコフ大将が小太りの男性を伴って入ってきた。

「フィリップ・ヴォルコンスキー博士。秘匿名称ヴァロータ、すなわちNT兵器エカテリンブルク工場の責任者だ」

 ルシコフ大将が、そう紹介する。ヤンは立ち上がって握手すると、名乗った。

「博士も我々と同意見でね。カピィを倒すには核兵器しかないと考えているし、合衆国の存在も疎ましく思っている」

 スィン大将が、言う。

「あなたの工場でNT兵器の大量生産が始まっても、核兵器抜きでは戦局の好転は無理ですかな?」

 ヤンは訊いた。

「無理ですな。たとえ月産百機の態勢が取れたとしても‥‥もちろんNTの供給が不安定である以上ありえない数字ですが‥‥勝ち目はありませんよ」

 ヴォルコンスキー博士が、断言する。

「しかし‥‥ずいぶんとNT兵器に関する機密区分が緩和されたようですな」

 ヤンはルシコフ大将の方を向いてそう訊いた。以前はUNUFAF上層部の極秘プロジェクトであり、ルシコフやスィンのようなUNUFHQの高官でも詳細を知ることは難しかったのだが。

「エカテリンブルク周辺のUN施設の防衛および警備を、わたしが統括することになったのですよ」

 ルシコフが、答えた。

「NT兵器開発および生産計画‥‥秘匿名称プロジェクト・デルタに関する情報も、ヴォルコンスキー博士のおかげで手に入れることができた。近い将来まとまった数のNT兵器が実戦配備されれば、ごく弱い核出力の戦術核だけでカピィ宇宙船を殲滅させることができるかもしれない」

「ダガー・スコードロンが壊滅した現状で、残っているNT兵器の部隊はフレイル・スコードロンのみなのですな?」

 ヤンが、煙草に火を点けながら問う。

「そうです」

 ルシコフが、うなずく。

「カピィ着陸船が増えた以上、それに対する核攻撃は早急に実施せねばなりません。ヨーロッパが占領されるのは、時間の問題です。フレイル・スコードロンを使って、カリフォルニアかベルギーを核攻撃するべきです」

 火の点いた煙草を振りながら、ヤンが力説する。

「同感ですな。アンホイでの手際から見て、フレイルの能力は高い。やらせるべきです」

 スィンが、同調する。



「ジャック・パルマー中佐であります」

「楽にしてくれ」

 アークライトは、パルマーに椅子を勧めた。

「紅茶を飲むかね? インド風のミルクティーだが」

「いただきます」

 チョープラー大尉が、軽くうなずいてお茶の支度を始める。

「で、なぜ君ほどの人物がメイス・ベース勤務を志願したのかね?」

 アークライトは単刀直入にそう尋ねた。ソード・ベース放棄で任地を失ったパルマー中佐だが、彼ほどの実績がある軍人ならば、もっと好ましい部署への配属を願い出ることも可能だったはずだ。

「わたしは、NT兵器こそが人類の希望だと思っています。ダガー・スコードロンが解散した現状では、フレイル・スコードロンこそが重要。NT兵器とそのパイロットを護る仕事がしたいのです」

「ふむ。気持ちは充分に理解できるな」

「それに、この基地にはソード・ベースの同僚も多数配属されましたし」

「君が来てくれるのは嬉しいが‥‥ここではソン大佐の指揮下に入ることになる。構わんかね?」

「もちろん構いません」

「では、正式に君を迎えることにしよう。メイス・ベースへようこそ、中佐」



「ただいま〜」

 ダリルが、先頭を切ってリビングへと入ってゆく。

 丸テーブルでカードに興じていたダガーの四人が、ゲームを中断した。

「どうだった? 楽しめたか?」

 ヘザーが、問う。

「いい湯だったぞ。食べ物もおいしかったしな。‥‥ほれ、土産だ」

 ダリルが、芋焼酎の一升瓶をでんと丸テーブルに置いた。

「酒か。あんたらしいな」

 ヘザーが、くすくすと笑う。

「甘いものが好きな人は、こっちね」

 サンディが、紙袋から箱を取り出した。

「えーと、なんて言うんだっけ、瑞樹」

「鉾餅」

「そう、ホコモチ」

「お菓子?」

 エルサが、さっそく開けにかかる。

「シナモン風味のお菓子よ。甘い豆のペーストが中に入ってるの」

 ダガーの面々が、鉾餅の品評会を始める。瑞樹は、自室へと引き上げた。荷物を整理し、きれいに包装された小さな箱を取り除けておく。

 リビングへ戻ると、すでに鉾餅品評会は終わっていた。芋焼酎の壜と、酒好きのメンバーの姿もない。サンディがくつろいだ姿勢でソファに座り、丸テーブルでフィリーネが暇そうにカードをいじくっているだけだ。

 瑞樹はフィリーネを手招いた。無言のまま、自室へと引き入れる。

「なんですの?」

「はい、お土産」

 瑞樹は、箱を進呈した。

「まあ」

 フィリーネの顔が、ぱっと輝く。

「開けてよろしいですか?」

「どうぞどうぞ」

 フィリーネが、日本人的な感覚から言えば乱暴とも言える手つきで包装紙をむしり取る。

「わあ」

 箱の中から現れたのは、茶褐色の無骨なマグカップだった。黒薩摩を模した焼物である。

「素敵。日本の陶磁器ですね」

 フィリーネが。眼を輝かせて手の中のカップをじっくりと眺める。

「安物だけど、なかなかいい感じだったから。良かったら、使って」

「はい。愛用しますわ」

 フィリーネが言って、カップを指に掛けたまま瑞樹に抱きついた。



 ランス・ベースでの修理が終わったヴァジェットとネメシス、それにベローナが相次いでフェリーされる。これで、メイス・ベースの保有するNT兵器は八機となった。内訳は、ゾリア一機、ヴァジェット二機、ネメシス二機、ベローナ三機である。

 訓練は相変わらず続いていた。内容のほぼ三分の一が、宇宙船への核攻撃訓練。三分の二が、従来通りの制空戦闘や対地攻撃訓練に当てられた。ダガーとフレイルの両スコードロンは、統合再編成された。そちらの方が縁起がいい、ということで名称はフレイルを継承することになる。


「今日は諸君の意見を聞きたい。率直に答えて欲しい」

 アークライトが、重々しく口を開いた。

「HQからは、NAWCに部隊を派遣し、さらなる実戦データを取得しろと言って来ている。そこで問いたい。君たち、つまり新生フレイル・スコードロンは、戦闘任務をこなすに足るだけの練度を具えたかどうか」

 アークライトが、居並ぶひとりひとりの顔を順繰りに見てゆく。

「シァ少佐。どうだ?」

「充分に具えたと思います、司令」

 スーリィが、即答する。

「うむ。コルシュノワ大佐?」

「まだ発展する余地はあると思いますが、戦闘任務には充分かと」

 わずかに笑みを湛えつつ、アリサ。

「ベンソン中佐。君は、どう思う?」

「問題ありません、サー」

 ヘザーも、自信ありげに答えた。

「よろしい。では、NAWCへの派遣を決定しよう。予定としては、アラスカ南部のジュノー国際空港を拠点に活動したい。一応、HQからはランス・ベース防衛のために若干の戦力を残すように要請されているので、派遣は六機、パイロットは六名に抑えることとする。ヴァジェット二機、ネメシス二機、それにベローナが二機だ。‥‥シァ少佐とヴァロ大尉。ヴァジェットを頼む」

 スーリィとミュリエルが、ぴしりと敬礼する。

「ベンソン中佐とシェルトン中佐は、ネメシスだ」

 ヘザーとダリルが、敬礼。

「サワモト少佐、シャハト大尉はベローナを頼む」

 瑞樹は勢いよく敬礼した。‥‥フィリーネと一緒に戦場を飛べるのは、嬉しい反面少々怖い気もする。

「コルシュノワ大佐とローガン大尉、それにリンドマン大尉は、ゾリアとベローナでメイス・ベースにおいて待機してもらう。なにか質問は?」

 誰も口を開かなかったが‥‥エルサだけは不満顔だ。

「では、解散」


「また外された‥‥」

 エルサが、愚痴る。

「フレイルから三人。ダガーから三人。まあ、妥当な人選ね」

 アリサが言って、ストローをくわえる。

「ダリルをよろしく頼むわね」

 サンディが、ヘザーに言う。

「放置すると、周囲に悪影響を与えるから」

「あたしは放射性廃棄物か」

 ダリルが、むくれる。

「マッコードは使えないんだ。あそこ、気に入ってたのになぁ」

 スーリィが、言う。

「もうカリフォルニア全域が占領されちゃったからね。あのへんは全部脚の短い機の専用基地になっちゃったから」

 ミュリエルが、解説してくれる。

「よろしく頼むわね、フィリーネ」

 瑞樹は、フィリーネに握手を求めた。

「こちらこそ、お願いします、瑞樹」

 フィリーネが、瑞樹の手をしっかりと握る。


 慌しい派遣準備が、進められる。

 今回は以前よりも大所帯である。派遣要員は、総勢百名を超えた。指揮を執るのは、もちろんアークライト中将だ。約三分の一の人員が、ランス・ベースからの移籍組で占められた。

 新生フレイル・スコードロンの面々は、それぞれの決意を胸に秘めながら派遣当日を待ち受けた。


「じゃあ、行って来るよ」

 ダリルが、サンディの手をしっかりと握った。

「無理しないでね、ダリル」

「判ってるって」

 ダリルが照れたように笑う。

「わたしも行きたかったなぁ」

 諦めきれないエルサが、ぶちぶちと文句を垂れる。

「ま、そのうち量産型が出来たら、あなたも機体が持てるわよ」

 ミュリエルが、笑う。

「じゃあね、アリサ」

 瑞樹は、手を差し出した。アリサがそれを無視して、瑞樹をロシア式に抱擁する。唇が、頬にそっと触れた。

「よしなよ。フィリーネが、羨ましがるだろ」

 スーリィが、笑って突っ込みを入れる。

「時間だよ。行くよ」

 ヘザーが、呼びかける。

 六人のパイロットは、それぞれの機体に散った。瑞樹は居残り組みに大きく手を振ってから、ベローナに乗り込んだ。

 ヴァジェット二機が、VTOする。スーリィとミュリエルのペアだ。

 続いてネメシス二機。ダリルと、ヘザーのペア。

「フレイル5、6。離陸します」

 瑞樹はコントロールにそう告げると、スロットルを開いた。ベローナが、すうっと上昇する。フィリーネの機体も、遅れずに上昇を開始した。

「6、編隊に合流せよ」

「6」

 瑞樹の呼びかけに、フィリーネが応答する。

 水平飛行モードに移行した二機のベローナは、編隊を組んで先行する四機に追いつこうと速度を上げた。


「行っちゃった」

 寂しげに、エルサ。

「全員無事に帰ってこれるといいんだけど‥‥」

 ぽつりと、アリサが漏らす。

「縁起でもないこと言わないでよ」

 サンディが、笑いながら言う。だが、その笑顔は強張っていた。

「やっぱり、あなたもいやな予感はしてるのね?」

 アリサが、サンディの顔を覗き込んだ。

「‥‥正直言うと、そうね」

 ため息をついて、サンディ。

「どういうこと?」

 エルサが、サンディとアリサの顔を交互に見る。

「アンホイに降下した宇宙船を撃破したのがフレイルだってことは、おそらくカピィも承知してるはず。戦場にフレイルが現れたら‥‥どのような反応を示すか見当もつかないわ」

 アリサが、淡々と言った。

「前回の派遣の、カンザスでの罠が気になるわ。同じようなことを、また仕掛けてくるかもしれない」

 サンディが、言った。

「同感ね。まあ、司令のことだから対策は講じてくれると思うけどね」

 アリサがそう応じる。


第十三話をお届けします。本作では数少ない「読者サービス」が含まれる回であります(笑) これで第二部「激闘編」は終了し、次回より第二十話までの「死闘編」に突入いたします。‥‥では、折り返し地点到達記念に、裏話をひとつ。本作の主役キャラ、沢本瑞樹は、実は沢井瑞樹という名前でありました。投稿開始直前に、念のためにぐぐってみたところ‥‥ヒットしたのがAV女優さん(笑)‥‥こ、これはやはりまずいだろ‥‥ということで、沢本に変更となった次第です。 第十三話簡易用語集/一等武功勲章 韓国の軍人に贈られる最上級の勲章‥‥らしい。作者はハングルが読めないので、ひょっとすると間違っているかもしれない(汗)/プロトン・ロケット ロシアの衛星打ち上げ用ロケット。ペイロードは低軌道で20トンとかなりパワフル。/航空法 飛行場以外での航空機の離発着は原則禁止されている。/美羽のランクル 私物のように言っているが、もちろんメイス・ベースの備品である。/AAA American Automobile Association 全米自動車協会。どうでもいいが、軍用機パイロットには嫌われそうな略称である。

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