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12 Anhui

 カピィ宇宙船がまばゆく光り、太いレーザーが照射されるシーンが繰り返される。

「わずか二例しかありませんが、いずれの場合もカピィ宇宙船の最大直径部から放たれています」

 山名の操る矢印カーソルが、模式化されたカピィ宇宙船のもっとも太い部分を指した。

「二回の照射は、いずれも別な場所から行われていますが、照射間隔は約二十二秒間あります。まことにあやふやな推測ですが、エネルギーに制限があって連射が利かないか、あるいは発射器はひとつないし少数であって、適切な照射位置まで移動するのに時間を要するのではないでしょうか」

「うむ。あそこに発射器を設置するのは、射界の確保という点から見て合理的だ。君の推論は、うなずける」

 アークライトが、顎をなでる。

「ということは、上または下から攻撃すると、あの太いレーザーの死角になる、というわけ?」

 サンディが、訊く。

「完全に死角に入ることはないでしょうか、撃ちにくいことは確かでしょう。もっとも、カピィのことですからまだ何か切り札を持っているかも知れません」

 山名が、言う。

「上からってのは難しいけど、真下からなら行けるね」

 ダリルが、言う。

「まあ、やってみる価値はあるでしょうね」

 アリサが、微笑を浮かべた。

「司令。ソード・ベースから連絡です」

 近づいてきたチャン・リィリィが、プリントアウトを差し出した。アークライトが、素早く眼を通す。

「悪い知らせから言おう。ダガー・スコードロンの戦死者は二名。アレッシア・ペリーニ大尉と、ニーナ・マリコワ大尉だ」

 瑞樹は瞑目した。女優のようにきれいだったアレッシア。いつもにこやかだったニーナ。タルディ・クルガン基地での数日間が、鮮やかに蘇る。

「当然ながら、ダガーのゾリアとヴァジェットは失われた。ネメシスとベローナも損傷が激しく、修理が必要だ。これは、今後ランス・ベースで行われることになる。ソード・ベースは近日中に放棄される予定だ。あの位置では、カピィの攻撃を支えきれないからな」

 アークライトが、続けた。

「最後は朗報だ。カピィ宇宙船を攻撃して生還したベンソン少佐とシャハト中尉が、こちらへ向けブライズ・ノートンを飛び立ったそうだ。ETAは未定。役に立つ情報を得られるだろう」

 フィリーネが、来る!

 瑞樹はおもわず微笑を浮かべた。無事だった上に、すぐにも会えるのだ。


 ヘザーとフィリーネが到着したのは、日本時間で午前四時過ぎだった。

 フレイル・メンバーは、早起きしてブリーフィング・ルームでこれを出迎えた。

「ヘザー!」

「サンディ」

 ふたりが、がっちりと握手を交わす。

「瑞樹!」

 フィリーネが、瑞樹に駆け寄って抱きついた。

「良かった、無事で」

 瑞樹はフィリーネの金色の髪に鼻を埋めた。

「ニーナのことは、残念だった」

 ヘザーが、アリサを見やった。

「仕方ないわ」

 アリサが、短く応じた。

「疲れたでしょう。まあ、座ってよ」

 スーリィが、ヘザーに椅子を勧めた。

「ありがとう。でも、交代で操縦してきたから、それほど疲れてはいないよ。仮眠も取れたしね」

「どんなルートで来たの?」

 サンディが、訊く。

「北上してスカンジナビア経由でモスクワの西にあるアンドレアポルへ。次いでオムスク、ウランバートルと給油して、ここだ。連絡の不備でウランバートルで手間取ってね。予定では、もう少し早く着くつもりだったんだけど」

 ヘザーが、肩をすくめた。

「とりあえず、シャワーでも使ってちょうだい。着替えその他は、準備しておくから」

 サンディが、言う。

「ありがとう。そうさせてもらうよ。で、あのふたり、どうする?」

 ヘザーが、抱き合っている瑞樹とフィリーネを目顔で指す。

「まあ、変な趣味が芽生えない限りそっとしておいてあげましょう」

 サンディが、薄く笑った。


 サンドイッチを食べながら、ヘザーがカピィ宇宙船攻撃のあらましを物語る。

 まだ五時前だが、早番の勤務者のために、すでに朝食メニューは供されている。一同は士官食堂で早めの朝食を摂りながら、ヘザーの話に聞き入った。時折、フィリーネが補足説明を加える。事情が事情だけに、今回はアリサとミギョンも同じテーブルについている。

「だから、スコーピオンが誘導できれば、命中させることは不可能じゃないんだ。近くまでは行けるんだから」

 ヘザーが、強調する。

「改造には時間がかかるわね」

 アリサが、指摘する。

「それは置いといて‥‥宇宙船の下からの攻撃というアイデア、どう思う?」

 サンディが、訊いた。

「あたしたちもいわば下方から攻撃を掛けたんだけど、最後はほぼ水平での戦いになったからね。弾幕の量は、下でも横でも顕著な違いは見られなかったと思う。フィリーネは、どうだった?」

 ヘザーが、フィリーネに振った。

「そうですね。わたしもレーザー弾幕の量は変わらなかったと思います。でも、あの太いレーザーが放たれたのは、わたしたちが水平面での戦闘に移行してからだと言うのも事実です。フレイルの皆さんの推定は、当たっているのではないでしょうか」

 箸を止めて、フィリーネが答える。ちなみに、彼女が食べているのは和食である。メニューは瑞樹が取ったものを真似してトレイに並べただけだが、箸の使い方はダリルより上手だった。

「他に、手の打ちようもないわねぇ」

 アリサが物憂げに言って、ストローを乳酸菌飲料のパックにぷすりと突き刺した。

「ねえ。ヘザーとフィリーネに出撃してもらうって手は、駄目かな」

 ダリルが、言った。

「ミギョンと瑞樹には悪いけど、やっぱ経験者だし。色々とメリットがあると思うんだけど」

「たしかにメリットはある。でも、デメリットの方が大きいね」

 ヘザーが、きっぱりと言った。

「もしアレッシアとニーナが健在ならば、喜んで代わってもらうよ。でも、カピィ宇宙船攻撃には絶妙なチームワークが必要。音声交信なしでも、僚機の意向が読めるくらいのね。あたしとフィリーネが加わっても、フレイルの息の合った連携を崩すだけ。作戦はフレイルだけで行った方が、成功率は高いね」


 正規のメンバー‥‥サンディ、スーリィ、ミギョン、瑞樹は、午前中にリマ訓練空域で高度70kmまで上昇する訓練を行った。午後はシミュレーター訓練に当てる。カピィ宇宙船が近日中に現れる可能性が高い以上、機体の酷使は禁物だ。整備班に任せて、入念に手入れしてもらう。

 夕食後、ヘザーとフィリーネを交えた八人で、再び戦術を検討する。

「もし仮に次のカピィ宇宙船が東アジアを狙ってきた場合、前回および前前回の例からして、カリフォルニアおよびベルギーから支援部隊を送り込んでくるでしょう」

 拡大コピーした東アジアの地図‥‥ちなみにモノクロ‥‥をテーブルに広げて、サンディが説明する。

「ユーラシア側の敵はロシアと中国が防いでくれそうだけど、太平洋側から来る連中が厄介だねえ」

 ダリルが、言った。

「今、ハワイ周辺にいる戦力はどのくらいなの?」

 瑞樹はそう訊いた。

「パールにはかなり海軍艦艇がいるけど、空母はステニスだけ。空軍はけっこういるんじゃないの? ホノルルに遷都しちゃったし、防衛の手は抜いていないはずだよ」

 ダリルが、言う。

「あとはアラスカの部隊だけか。北太平洋は、がら空きだね」

 ヘザーが、腕を組む。

「カムチャツカのロシア軍も、大部分配転されちゃったしねぇ」

 こう言うのは、アリサ。

「日本は?」

 スーリィが、訊く。

「海軍はほぼ無傷で残ってるけど、空軍は損耗したりNAWCに参加したりでかなり少なくなってる。まあ、あんまり当てにされても、困るわね」

 瑞樹は頬を掻いた。

「で、肝心のカピィ宇宙船に対する攻撃だけど‥‥四機とも下からの攻撃に投入するか、それとも二機が囮になるべきか」

 サンディが言って、ヘザーを見た。

「‥‥囮案に一票、かな。でもいずれにせよ、細かく戦術を打ち合わせて行っても無駄に終わると思う。敵の照準を避けるに精一杯だから。むしろそこは、チームワークのよさで臨機応変にやるしかないんじゃないかな」

 ヘザーが、答える。実際に死地を潜り抜けてきた者の言葉の重みを、フレイルの面々は感じ取った。

「フィリーネ。あなたの意見は?」

 サンディにそう問われて、フィリーネがまごついた。ちらりと瑞樹に視線を走らせてから、おずおずと語りだす。

「‥‥正直、判りません。でも、フレイルにはフレイルなりの流儀があると思います。皆さんのいつものやり方で戦うのが、一番いいと思いますわ」

「フレイルの流儀ねえ。そんなの、あったっけ?」

 スーリィが、苦笑する。

「ほら、あれだ。あんたたちが‥‥」

 ダリルが、サンディとスーリィとミギョンを順番に指差す。

「瑞樹をほっといて、ファイアドック狩りに精を出すっていうの」

「あー、確かに」

 棒読み口調で言って、サンディがぽんと手を打つ。

「‥‥あながち間違ってないわね、それ」

 瑞樹は苦笑した。


 矢野准将は、アークライト中将の私室の扉をノックした。

「どうぞ」

 返事を待ってから、ドアを開ける。

「失礼します、司令」

「なんだ。まだ起きていたのか」

 呆れたように、アークライト。

「なんだか眠くなりませんのでね。カピィ宇宙船出現時の核兵器使用に関するHQの通達です。ベルギー着陸のおかげで各国政府がだいぶ軟化したようですね。中間圏以上なら無制限、成層圏上層なら地上でもOKになりましたよ」

 矢野は、ファイルをサイドテーブルの上に置いた。

 アークライトはライトブラウンのスウェットスーツというくつろいだ姿だった。サイドテーブルには、バーボンの壜とグラス。バーボンのラベルは、ケンタッキー・プライドと読めた。

「眠れないのか。一杯どうだ?」

 アークライトが、言う。

「たまにはいいですな。水があれば、一杯だけ貰うとしましょうか」

 矢野は隅のキャビネットから、グラスを取り出した。冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出し、たっぷりと注いでから、アークライトの差し出す壜から琥珀色の液体を受ける。

 矢野は香りを楽しんでから、ひと口飲み下した。かすかにバニラのような香りがする。強いが、飲みやすいバーボンだ。

 アークライトが、ファイルを手にとって読み始めた。

「‥‥つまみ無しで飲んでいたのですか? 健康に、悪いですぞ」

 二口目を飲み下した矢野は、そう言った。

「面倒でな」

 あっさりと、アークライト。

「なあ、春彦」

 ファイルを閉じたアークライトが、自分のグラスを手にした。

「なんでしょう」

「明日の朝、来ると思うか?」

 アークライトの青緑の眼が、矢野を見据えた。

「わたしは、ヨーロッパに賭けますね。おそらくは、ウクライナでしょう」

「そうか」

 アークライトが、ひと口呷る。

「東アジアに来るとお考えですかな、ヴィンス?」

「わたしの勘は、そう言っている」

「では、いよいよ我らがフレイルの真価が問われるわけですな」

「ああ。おそらく、誰かが死ぬだろう。‥‥死なせたくないのだがな、わたしは」

 アークライトが、ため息混じりに言った。

「君だから打ち明けるが、実はわたしは部下の死に弱くてね。AFMC時代にも、二人のテストパイロットを失ったことがあるが‥‥何ヶ月ものあいだ、悔やみ続けた。彼らを死なせない方法があったはずだ、とね。実戦で、しかもあんないい娘たちを失うことなど、考えたくもない」

「やめてください、ヴィンス。実戦経験なんて、わたしもありませんよ。それどころか、部下を死なせた経験すらない」

 矢野は無理に笑顔を作った。

「だいたい、人類自体が異星の生物と戦うなんて前代未聞のことをやってるんですからね」

「言われてみれば、そうだな」

 アークライトが、微笑む。

「あの娘たちを信じましょう。なあに、今時の若い娘は、したたかですよ。簡単には、くたばりません」

 矢野は言い切った。


 ヘザーとフィリーネのために、別棟のゲストルームが準備された。

 瑞樹は案内役を買って出た。

「色々と、ありがとう」

 ヘザーが、瑞樹の手を握る。

「何かあったら、管理棟の二階まで来て。誰もいなかったら、総務の有賀中尉か、福西軍曹を探して。たいていのことは、解決してくれるから」

「じゃ、お休み、フィリーネ」

 ヘザーが言って、ドアを閉めた。

「フィリーネは、こっちね」

 瑞樹は隣の部屋のドアを開けた。

 ヘザーのところと寸分違わぬ部屋である。シングルベッド。壁面収納式のライティングデスク。椅子。旧式のテレビが一台。電話機。デジタル式の目覚まし時計。トイレと小さな洗面台。

「狭くてごめんね」

 瑞樹は、にこやかに謝った。

「いえ、眠れれば充分です」

 フィリーネが言って、ベッドに腰を下ろした。

「‥‥顔色良くないね。疲れた?」

「いえ、大丈夫です」

「どうしたの? 心配事でもあるの? まあ、二人も仲間を失ったばっかりだものね」

「それもありますけど‥‥」

 フィリーネが、語尾を濁す。

「両親が‥‥」

「へっ?」

 瑞樹は小首をかしげ‥‥すぐに合点がいった。

「すっかり忘れてた‥‥」

 フィリーネの出身地は、ドイツのノルトラント・ヴェストファーレン州デュースブルク市。デュッセルドルフのすぐそば。‥‥カピィ宇宙船の着陸地点から100kmくらいしか離れていない場所である。

「ご両親と連絡を取ったの?」

「‥‥すぐにこちらへ向けて発ったから、まだ‥‥」

 顔色が悪いのも無理はない。瑞樹だって、濃尾平野にカピィ宇宙船が着陸したら、心配で夜も眠れないだろう。

「ご両親、探そうか?」

「え?」

 フィリーネが、怪訝な顔をする。


 幸い、美羽はまだ仕事中だった。

「とりあえず検索してみますけど、あんまり期待しないで下さいね」

 日本語でそう言いつつ、美羽がキーボードを叩く。

「頼りにしてるよ、美羽ちゃん」

 総務部が入っている大部屋は静まり返っていた。美羽の手元を照らすデスクライトが点いているだけのだだっ広い暗い部屋に、キーボードを叩くリズミカルな音が響いている。

「通常のメールサービスは全滅ですね。電話回線も全域にわたって不通。ラインが死んでいます」

 美羽が、言う。

「あ、デュースブルク市の罹災者名簿が出ました。緊急用の回線は確保されているようですね。警察、消防署。‥‥市役所。ここで訊いてみますか」

 瑞樹とフィリーネが息を詰めて見守る中、美羽がかちゃかちゃとキーボードを操作し、英文のメールを作成した。数分後、短い返信が返ってくる。

「反応はいいですね。さすがUNUFAFの公的な問い合わせだと名乗ったことはあります。‥‥フロイライン・シャハト。お父上のお名前は?」

 美羽が英語に切り替えて尋ねる。

「ニクラスですわ」

「綴りをどうぞ」

「N−I−K−L−A−S」

 フィリーネが、答える。

 美羽が、再度メールを送った。

 数分後、今度は長めの返信が返ってきた。

「あちゃ〜。ドイツ語ですよ。これは翻訳ソフト使わなきゃ」

「わたしに見せてください、美羽さん」

 フィリーネが、身を乗り出してディスプレイを見つめる。

「これ、どうやってメールを送るんですの?」

 返信を読み終わったフィリーネが、勢い込んで美羽に詰め寄った。

「あ〜。入力していただければ、わたしが送りますけど?」

「どいていただけます?」

 有無を言わさぬ迫力で、フィリーネが美羽に迫った。

「どうぞ、中尉」

 美羽が慌てて椅子を明け渡す。

 素早く腰を下ろしたフィリーネが、猛然とキーボードを叩き始めた。

「‥‥ねえ。ウムラウトとか、どうやって入力するんだろ?」

「わたしも知りません」

 瑞樹と美羽の呆けた会話も意に介さず、フィリーネはキーボードを叩き続けている。

「できました。美羽さん、送ってください」

 フィリーネに言われ、後ろからマウスに手を伸ばした美羽が、メールを送った。

 数分後、ドイツ語の返信が来る。

 読みながら、フィリーネが落涙した。

「まさか‥‥」

 瑞樹は、気まずい思いで頬を掻いた。

「薮蛇、って言葉がありますよね」

 同じくやや青ざめた美羽。

 メールを読み終わったフィリーネが、くるりと振り返った。涙に濡れた青い眼で、瑞樹と美羽をきっと睨む。

「あ、わたしまだ整理しなければならない資料が‥‥」

 美羽が逃げ出そうとしたが、フィリーネがさっと手を伸ばして美羽の袖をつかむ。

「あの〜。フィリーネ?」

 瑞樹は困り顔で立ちすくんだ。

 椅子から立ち上がったフィリーネが、無言のままいきなり瑞樹と美羽を掻き抱いた。ドイツ語で、なにやらわめきだす。

「な、なんでしょうか?」

 美羽が、慌てる。

「ダンケとか言ってるから、喜んでるみたいだけど‥‥」

 瑞樹は頬を掻いた。


「ごめんなさい、取り乱してしまって‥‥」

 フィリーネが、謝る。

「いいからいいから。で、ご両親は無事だったのね?」

 瑞樹は訊いた。

「はい。最初から避難は諦めて、被災者の救護に当たっていたそうです。じきにカピィの占領地域に入ってしまうけど、市会議員として街を見捨てるわけにはいかないし、母も父の手伝いをするそうです」

「立派なご両親ですね、中尉」

 美羽が、心底感心したように言う。

「ともかく、無事でよかった。これで、安心して眠れるね」

「はい。美羽さん、ありがとうございました」

 フィリーネが、ぺこりと頭を下げる。

「とんでもない。お役に立てて幸いです、中尉」

 美羽が、照れたように言って、両手を振った。


「遅かったわね。なにやってたの?」

 サンディが、じろりと瑞樹を見やった。

「ま、色々とね」

「やっぱりあのふたり、できてるよ」

「やーね。男に縁がないからって」

 ダリルとスーリィが、わざと聞こえる程度の声でひそひそ話をする。

「そこ! 聞こえてるよ!」

 瑞樹は苦笑しながら突っ込んだ。

「それはともかく。どうなの、あの娘? かなり精神的に追い込まれていたように見えたけど?」

 サンディが、訊いた。

 瑞樹はフィリーネの両親に関して物語った。

「なるほどね。で、今はすっきりしたわけだ」

 ダリルが、言う。

「おそらくね。もう、大丈夫でしょう」

「じゃ、あたしたちも寝ようか」

 スーリィが言って、伸びをした。

「そうね。いらっしゃい、スーリィ」

「はい。ダリルお姉さま」

 瑞樹は苦笑した。当分、同性愛ネタでからかわれそうだ。


 午前二時半。

 目覚ましが鳴る寸前に、矢野准将は目覚めた。

 浅い眠りだった。トイレを済ませると、手早く洗面と髭剃りを終わらせ、士官食堂へ寄って熱い煎茶を一杯飲んでから、作戦室へと赴く。

「異常ないか?」

「はい、准将」

 夜間当直のソムポン軍曹が、白い歯を見せて微笑む。

 アークライト将軍の勘が正しければ、今日の朝にカピィは東アジアに対し仕掛けてくるはずだ。そしてその前兆として、カリフォルニアとベルギーの宇宙船から支援航空部隊が発進するはずである。

 何事もないとすると、今回ばかりは司令の勘も外れたか‥‥。

 矢野は指揮用コンソールに座ると、HQから送られてくる戦況概要をチェックした。相変わらず、人類側は押されている。オークランドおよびサンフランシスコ放棄決定。南はオーシャンサイドまで撤退。ヨーロッパでは、カピィ先鋒部隊がライン川に到達。パ・ド・カレー防衛を断念。フランス政府、ボルドーに首都機能移転開始。イングランド南部に激しい航空攻撃。オランダ空軍壊滅状態。

「副司令、カリフォルニアで動きがありました」

 ソムポンが、矢野を呼んだ。

「どうした?」

「大規模な航空部隊二群が、北西へ侵攻中。A群はフルバック二個編隊を含む約二百。B群はフルバック三個編隊を含む約百五十。詳細は、不明です」

「来たか。オペレーター呼集。わたしは、司令を起こす」

 矢野は内線電話を取り上げた。


 フレイル・メンバーは、午前五時まで起こされなかった。

「ETA予想0730だから、寝かしといてくれたんだろうけど‥‥」

 朝食を摂りながら、瑞樹はつぶやいた。

「ま、焦ってもしかたないわね」

 サンディが、言う。

「でも、もう少し訓練したかったね。シミュレーターでいいから」

 そう言うのは、スーリィ。

「あたしの出番は‥‥ないみたいね」

 ダリルが、珍しく寂しそうに言う。

「わたしたちが死なないように祈っててよ」

 冗談めかして、サンディ。

「縁起でもないこと言うな。あんたらが死んだりするものか」

 怒ったような強い口調で、ダリルが言い返す。

「でもまあ、運が悪けりゃ帰って来れないよね」

 明るい調子で、スーリィが言う。

「‥‥そうだね」

 瑞樹は苦笑して応じた。今度の相手は、ファイアドッグやフラットフィッシュとは比べ物にならぬ強敵だ。フルバックさえ、こいつに比べればたいした敵ではない。

 カピィ宇宙船。核兵器を用いなければならぬほどの化け物。

「大丈夫。あんたらなら、きっとやれる。そして帰ってくる。なにしろ、このあたしを押しのけて自分の機体を獲得した連中だからな」

 ダリルが、言った。だが、言葉にいつも通りの勢いが見られない。

「う〜ん」

 瑞樹は唸りながら鯖の味噌煮をつついた。今回ばかりは、やばいかもしれない。

 会話が途絶えた。あまり表面には出さないが、サンディもスーリィも重圧を感じているのだろう。伏し目がちだし、食も進んでいないようだ。かく言う瑞樹も、茶碗の中身がなかなか減らない。

 隣に座るダリルは、のろのろとゆで卵の殻を剥いている。

 ‥‥ゆで卵。

「そうだ、ダリル。ゆで卵のおまじない、やってよ」

 瑞樹に言われ、ダリルが顔を上げた。

「‥‥あれはシェルトン家のおまじないだ。他のものに効くかどうかは‥‥」

「いいね。やってもらうわ」

「じゃ、卵取ってくる」

「おい、スーリィ」

 ダリルが止める暇もなく、スーリィが立ち上がった。すぐに、カウンターからゆで卵三個を持って来て、瑞樹とサンディに配る。

「‥‥仕方ない。まずは、心を込めて丁寧に殻を剥け」

 諦めたダリルが、指示を出した。瑞樹らは、殻を剥き出した。

「で、マスタードで顔を描くんだよね」

 瑞樹はマスタードのチューブを手にした。

「ねえ、マヨネーズやトマトケチャップじゃだめなの? 辛いの、苦手なんだけどなぁ」

 サンディが、言う。

「駄目だ。マスタードでなきゃ、幸運はもたらされないぞ」

 厳しい顔で、ダリル。

 三人は、交代で卵に顔を描いた。

「よろしい。では、一気に食べろ。飲み下すまで、飲み物を飲んではいかんぞ」

 ダリルの指示で、瑞樹らはゆで卵を口に押し込んだ。辛さにむせそうになりながら、咀嚼する。‥‥サンディは、半ば涙目だ。

「‥‥終わった」

 瑞樹は緑茶で口の中を洗い流した。

「よくやった、みんな。これで幸運の女神は諸君らのことを守ってくれるだろう」

 ダリルが、親指を立てる。

「まあ、気休めにはなるわね」

 紅茶で喉を潤しながら、サンディ。


「HQよりデータ送信です。カピィ宇宙船はなおも高速接近中。着陸地点は東アジアの公算大」

 チャン軍曹が、報告した。

「ミシェーラ。太平洋方面はどうだ?」

 アークライトが、尋ねる。

「ハワイの防衛網は突破されました。A群はほぼ無傷、B群は半数程度が損耗の模様です。ハワイ防衛部隊の損害も大きい模様」

 イングラム曹長が、きびきびと答える。

「やはり東からの敵は防げそうにないですな」

 矢野准将が、嘆息交じりに言う。

「フレイルの現況は?」

「パイロットは準備中。出撃メンバーは、ローガン中尉、シァ大尉、ホ中尉、サワモト大尉。各員問題ありません。機体への兵装搭載は完了。現在最終点検中。こちらも今のところ問題ありません」

 アークライトの問いに、山名軍曹が答えた。

「いよいよですな」

 矢野准将が、唇を舐める。

「ああ。いよいよだな」

 カピィ宇宙船が東アジアに着陸すれば、ランス・ベースもメイス・ベースも放棄せざるを得ないだろう。プロジェクト・デルタが蒙る被害は計り知れない。

 ‥‥頼むぞ、諸君。

 アークライトは心中でつぶやくと、任務の成功とパイロットの生還を神に祈った。






 0600。

「警戒態勢に移行」

 アークライト中将が命じた。

「全部署、警戒態勢に移行完了」

 三分後、イングラム曹長がそう報告する。うなずいたアークライトが、再び命じた。

「フレイル・スコードロンは0630に発進と通達しろ」

「イエス・サー」


「瑞樹‥‥」

「ちょっと上まで行って来る。お昼、一緒に食べようね」

 瑞樹はことさら明るい口調でフィリーネにそう告げると、にこりと微笑んだ。

「行ってらっしゃい」

 アリサが言って、ひらひらと手を振る。

「行って来るよ」

 スーリィが、手を振り返す。

「無茶するんじゃないぞ、ミギョン」

 ダリルが、ミギョンの眼を覗き込むようにして言う。

「‥‥心配するな」

 困惑した表情で、ミギョンが短く応える。

「‥‥これが、フレイルのスタイル?」

 ヘザーが、呆れたように言う。

「そうね。フレイルっぽいわね」

 サンディが微笑んだ。

 残る四人と、出撃する四人は、握手すら交わさずに別れた。待機室を出た四人は、それぞれの乗機へと向かった。

 ベローナの前には、滝野中尉以下機付き整備員が整列して待ち構えていた。

「‥‥そーゆー堅苦しいの苦手なんで、いつもどおり送り出してほしいんだけど」

 瑞樹は頬を掻いた。察した滝野中尉が、整備員に散るように促す。

 瑞樹はプリフライトチェックを開始した。

「一尉。ひとつだけ、よろしいですか」

 滝野が、瑞樹を呼んだ。

「ええ。なにかしら」

 滝野が、無言でキャノピー下に張られたマスキングシートを指差した。10センチ四方ほどの、小さなものだ。

「なに?」

「剥がしてみてください」

 瑞樹は言われるままに、マスキングシートを剥がした。

「わあ」

 現れたのは、フルカラーで描かれたフレイルの部隊マークだった。

「内緒で描いちゃいました。司令にばれたら、すぐ消しますけど‥‥今日は、お守り代わりに一緒に飛んであげてください」

「かっこいいわぁ。ありがとう、くるみさん」

 滝野が、さっと敬礼した。瑞樹は答礼し‥‥微笑んだ。


「フレイル・スコードロン。発進します」

 山名が告げた。

 すでに、カピィ宇宙船の着陸地点は中華人民共和国の華中地域と判明していた。離陸した四機は、西へと針路を取った。

 ダリル、アリサの居残り組と、ヘザー、フィリーネのふたりのゲストは、作戦室のパイプ椅子に腰掛けた。あと一時間足らずで、東アジアの‥‥いや、ひょっとすると、人類の運命が定まるかもしれない。

 それを変えられるのは、たった四人の女性だけだ。


「生きて帰って来いよ。機体はぼろぼろでも構わんからな。何晩徹夜してでも、直してやるからな‥‥」

 上田中佐は飛び立つ四機を敬礼で見送った。手隙の部下が、それぞれの部署でそれに倣う。


「あの娘たちが、行く‥‥」

 有賀中尉は、窓際に寄って飛び去るNT兵器を見送った。

「帰って来れますよね、みなさん」

 半ば泣き出しそうな表情で、美羽が問う。

「信じましょう。あの娘たちを」


「こちらフレイル1。各機、上昇開始」

 サンディが、命じた。

 瑞樹はスロットルを押し込むと、サイドスティックを引いた。

 高度計が、目まぐるしく変化する。15000。20000。

「フルバックが邪魔だね」

 スーリィの声。

 瑞樹はMFDを見つめた。二十機ほどのフルバックは、中国空軍とロシア空軍が繰り出した囮に釣られて低空へと舞い降りたが、上昇を続けるフレイルの前に立ちはだかるように、いまだ二群のフルバックが滞空している。高度50kmほどにいる二個編隊と、降下中のカピィ宇宙船下方に張り付いている四個編隊だ。

「突っ切れると思う?」

 サンディが、訊く。

「こちら3。成層圏で核は使いたくない」

 律儀に通信規則を守りつつ、ミギョン。

「4、3に賛成」

 瑞樹もそう言った。東シナ海で核爆発が起きれば、その東にある日本もただでは済まない。言うまでもなく、北半球において気流は主に西から東へと流れている。

 成層圏に達した四機は、水蒸気噴射を開始した。カピィ宇宙船目指して、空を駆け上がる。

 高度40km。待ち受けるフルバックが、レーザー射撃を開始する。

 すでに各機は、照準を避けるために回避運動を行っていた。放たれる光条の雨の中を、ゾリアが、ヴァジェットが、ネメシスが、ベローナが上昇する。

「あっ」

 ベローナに、衝撃が走った。コーションライトが数個、点灯する。

「4、被弾した」

 回避機動を続けながら、瑞樹は急いで損傷の状況を調べた。サイドスティックの感触は、いつもと変わりがない。

 ‥‥タンクか。

 どうやら、左主翼上面に取り付けた推進剤タンクにレーザーが命中したようだ。新設したパネルにある補助燃料計の数値が自動でリセットされている。

「こちら4。推進剤タンク1に被弾。損傷軽微。任務続行に支障なし」

 瑞樹は告げた。


「瑞樹‥‥」

 フィリーネは、祈るような気持ちでメインディスプレイを見つめていた。

 アークライト中将は、腕組みをしたまま仁王立ちの姿勢を崩さない。矢野准将は、手の中で安物のボールペンをひねくり回している。

 ヘザー、ダリル、アリサの三人も、じっとメインディスプレイに視線を注いでいる。腕組みしたヘザー。唇を舐め、落ち着きがないダリル。口元にわずかに笑みを浮かべ、人形のように微動だにしないアリサ。


 四機のNT兵器は、フルバック二個編隊の防御網を突破した。水蒸気噴射で中間層を駆け上がってゆく。

「予定迎撃高度は70km。フルバックが十二機張り付いてる。核を使いたいわね」

 サンディが、提案する。

「使いましょう」

 スーリィが、言う。

「反対の者は?」

 瑞樹は沈黙を守った。ミギョンも、何も言わない。

「では、各機発射スタンバイ。フルバックには、4のみ発射してもらうわ」

 サンディが指示を出す。瑞樹は手早く発射準備を整えた。

「1より4。近接信管セット。1の合図で発射。いいわね」

 護衛のフルバックと、カピィ宇宙船がレーザー照射を開始した。フレイルの四機は、カピィ宇宙船の下面を目掛けて上昇してゆく。例の太いレーザー照射は、ない。

 ‥‥予測どおり死角なのか。

 レーザー密度が濃くなる。

「2、被弾した!」

 スーリィの声。

「だめだ、機体が半分になっちまった」

「帰還して、スーリィ」

 サンディの声。

「ごめん、みんな」

 スーリィが、謝る。

 瑞樹は必死に回避機動を続けた。フルバックとの距離が、縮まってゆく。


「フレイル2、帰還中。損傷大。操縦系統に重大な障害があるようです」

 山名の声が、静まり返った作戦室に響いた。

「一番の腕利きが脱落か‥‥」

 ダリルがつぶやく。

「降下予想地点、アンホイ省東部と推定」

 かすかに震えを帯びた声で、チャン軍曹。


「4、五発発射! 上下左右と中央! 近接信管!」

 サンディが、叫ぶ。

「4了解!」

 瑞樹はスコーピオンの発射を開始した。狙いは適当だ。おおよその方向に機首が向いた時に、ウェポン・リリース・ボタンを叩く。

 時間差を置いて、五発の核弾頭スコーピオンが飛翔する。

 フルバックのレーザーが、接近するミサイルに集中する。ゾリアとネメシスが、上昇を続ける。瑞樹は、そのあとを追った。

 立て続けに、三発のミサイルがレーザーに烙かれ、消滅する。生き延びた二発が、フルバックの群れに突っ込んだ。

 爆発。

 大気の薄い中間圏では、地表での核爆発における衝撃波のようなものは、ほとんど生じない。核ミサイルを構成していた物質は瞬時に気化するが、そこで生じるガスはわずかであり、急速に拡散してしまう。

 むしろ他者に損害を与えるのは、そこで生じる放射線と電磁波の照射によって引き起こされる熱エネルギーの蓄積である。濃い大気が存在する場所であれば、その多くは大気に吸収され、膨張を引き起こし凄まじい破壊力を持った爆風となるが、中間圏に遮蔽物となる濃い大気はない。

 強力な放射線と電磁波を浴びたフルバックが、一瞬にして莫大な熱量を持った。

 立て続けに、数機のフルバックが爆発した。飛び散る破片が、無事だったフルバックにも降り注ぐ。

 直衛のフルバック隊が、混乱した。

「全機、目標カピィ宇宙船。一発発射。減速開始!」

 サンディが、叫ぶ。

 瑞樹は残った一発のスコーピオンを発射した。減速し、上昇を中止する。近寄り過ぎると、カピィ宇宙船のレーザーに喰われてしまう。

 核攻撃で破壊されたフルバックは数機だったが、残る機体も損傷したり状況がつかめず混乱したりして、ほとんどが沈黙している。三機のNT兵器はその隙を衝いて、カピィ宇宙船に対する攻撃を敢行した。

 三発のスコーピオンが、カピィ宇宙船の下面を襲う。

 一発が、レーザーの雨を潜り抜け、宇宙船の外板70メートルの位置で起爆した。

「やった!」

 瑞樹は叫んだ。


「成功だ!」

 矢野准将が、叫ぶ。

 作戦室の張り詰めた空気が、一瞬にして熱を帯びる。

 ダリルが思わず立ち上がる。


「瑞樹、囮になって! ミギョン、付いて来て。突っ込むよ!」

 サンディが、叫ぶ。

 瑞樹は受領通知を返すと、スロットルを押し込んだ。すでにベローナにミサイルは残っていない。今できることは、サンディとミギョンのために囮となるくらいだ。

 と、燃料パネルのライトが点滅した。

「やば」

 推進剤タンクが空に近かった。‥‥先程ひとつ失ったせいだ。

 瑞樹は残量を詳しくチェックした。‥‥数分間暴れるくらいなら、何とかなるだろう。


 レーザーの光条が、飛び交っている。

 サンディは半ば勘でゾリアを操り続けた。一回被弾したが、たいした影響はないようだ。

 衝撃。

 コーションライトが、点灯する。

「ちくしょう!」

 サンディは思わず罵り声をあげた。

 まぐれ当たりのレーザーが、ゾリアの右主翼パイロンをもぎ取っていた。‥‥そこに装備した核弾頭スコーピオンもろとも。

 ‥‥まだミギョンの盾にはなれる。

「1、スコーピオンを失った! 3、付いて来て!」


 瑞樹はレーザーを避け続けた。

 とりあえず囮としての役目は果たしているようだ。MFDに映し出されたゾリアとネメシスを示す光点は、カピィ宇宙船を表す真紅の光点とほぼ重なっている。


「ミギョン、発射して!」

 サンディは叫んだ。直後に再び被弾する。

「くっ」

 ゾリアの機体が、大きく揺らいだ。サイドスティックの反応が、極端に鈍くなる。


 ミギョンはスコーピオン発射のタイミングを計った。しかし、回避機動に忙しくなかなかチャンスをつかめない。

 カピィ宇宙船の巨体は眼前に迫っていた。核爆発で、直径300メートル近い円形の下面に、噴火口のような直径50メートルほどの大穴が開いている。

 ‥‥間に合わない。

 完全に発射のタイミングを失ったまま、ネメシスはカピィ宇宙船に急接近した。ミギョンはとっさに機体を反転させ、全力噴射した。

 機体に衝撃が走る。

 ネメシスは、カピィ宇宙船に開いた穴にお尻から突っ込んでいた。

 ‥‥参ったな。

 ミギョンは素早く機体をチェックした。損傷は、軽微だ。完全にレーザーの死角に入ったらしく、攻撃もされていない。

 ふと視線を感じたミギョンは、頭上を振り仰いだ。

 カピィだった。損害応急の要員だろうか、光沢のある白い圧力服を纏った二体のカピィが、30メートルと離れていないところにいる。フェイスプレートの奥の顔は見えなかったが、驚愕していることは間違いないだろう。ミギョンはおもわず頬を緩めた。

 ミギョンは最後のスコーピオンを30秒の時限信管にセットすると、機体を浮かせて反転させ、穴の奥に撃ち込んだ。すぐに機首を穴の外へと向けると、全力噴射に切り替え、離脱する。

 待ち構えていたカピィ宇宙船のレーザーが、一斉に放たれた。


「ミギョン!」

 サンディが、叫ぶ。

 数十条の光芒が、ネメシスを包んだ。

 その光景は、瑞樹の眼に焼きついた。


「フレイル3、反応消えました!」

 イングラム曹長が、叫ぶ。

 ダリルが、しゃがみこんで顔を覆った。


 核弾頭が、起爆した。

 カピィ宇宙船の下半分が、文字通り裂けた。

 縦に入った何本もの亀裂から眩い光を放ちながら、カピィ宇宙船が横倒しになってゆく。

 だがその金属の蛸を思わせる形状は長続きしなかった。小規模な爆発が‥‥あくまで船体に比べて規模が小さいのであり、その爆発自体は2000ポンド爆弾を上回る‥‥あちこちで発生し、船体の分解が始まった。

 降下速度が、速まる。

 ひときわ大きな爆発が、最大直径部で起こった。破片と共に、収納してあった数百のファイアドッグとフラットフィッシュが、きらめきを発しながら撒き散らされる。


「やった。みんながやってくれたよ。‥‥アレッシア。‥‥ニーナ」

 拳を握り締めて、ヘザーが言う。その眼からは、涙がとめどなく流れている。

 フィリーネも泣いていた。だが、その眼はしっかりとメインディスプレイの一角に示されているベローナのステイタスに注がれていた。‥‥瑞樹は生きている。


 コントロールを失ったカピィ宇宙船の本体は、チャンスー省ホワイアン市の西郊田園地帯に落下した。落下に伴う振動と衝撃波で同市は壊滅的な打撃を蒙った。さらにチャンスー省一帯には大小さまざまな破片が落下し、大損害をもたらした。

 直接的な死者は二十万人を超え、負傷者は六十万に達したが、東アジアの人々はUNUFAFの活躍に惜しみない拍手を送った。



「ありえない。地球人類はやはり異常だ。反応兵器を使ったら、惑星が汚染されてしまうぞ」

 ティクバは驚きのあまり休息台から転げ降りた。

「惑星挙げての自殺攻撃かもしれません」

 ヴィドが、耳を揺らす。

「馬鹿な。五十億を超える市民がいるのだぞ」

 ティクバは左前肢を踏み鳴らした。

「宇宙船指揮者サンと宇宙船指揮者オブラクから通信です」

 通信員が、告げる。

 壁面のディスプレイに、二体の船長の姿が映った。

「宇宙船指揮者ティクバ」

 オブラクが、呼びかける。

「どうやら本職は、人類を誤解していたようだ。自衛のためなら自らの惑星の汚染すら辞さない種族だとは思わなかった。同じ種族の市民の安全すら省みないような野蛮な戦士といままで戦ってこられた貴殿を尊敬する」

「本職も同様です。宇宙船指揮者ティクバ」

 サンも、賛同した。

「感謝する」

 ティクバはわずかに頭部を左右に振った。だが、すぐに上下に大きく振る。

「だが今は、戦闘に集中しよう。支援部隊は引き上げさせた方がいい」

「命令は出しました。宇宙船指揮者シラム指揮下の生き残った大型機は、そちらの軍用船に収容していただきたいのですが、ご賛同いただけますかな?」

 オブラクが、尋ねる。ティクバは同意した。



 ゾリアとベローナは、編隊を組んでメイス・ベースを目指した。

 すでに、損傷したヴァジェットは中国空軍ハンチョウ基地に緊急着陸していた。スーリィに怪我はないらしい。

 宇宙船破壊の報が伝わったのか、ベルギーとカリフォルニアから出撃したカピィ航空兵器の群れも、撤退を開始したようだ。

 お互い一切会話を交わすことのないまま、ゾリアとベローナはメイス・ベースにVLした。放射線防護服に身を固めた整備員が駆け寄ってきて、残留放射能をチェックする。安全のハンドサインを確認してから、瑞樹はキャノピーを開いた。

 立ち上がれなかった。

 眼を閉じると、眩い光の中で消失したネメシスの姿が浮かぶ。

「降りなさい、瑞樹」

 瑞樹は閉じていた眼を開けた。‥‥ラダーに足を掛けたアリサが、コックピットを覗き込んでいる。

「あなたが乗っていたら、修理ができないわよ。まだ、終わったわけじゃないんだから」

 アリサが言い、手を差し伸べた。

「‥‥うん、そうだね」

 力なく言った瑞樹は、アリサの手を借りてベローナを下りた。

「瑞樹!」

 フィリーネが駆け寄ってくる。

「ん、ただいま」

 瑞樹はフィリーネを抱きしめた。

 ヘザーに抱えられるようにして、サンディが歩んでくる。‥‥顔が、やつれていた。

「瑞樹‥‥」

「サンディ」

 お互い脱力したまま、眼だけを合わせて気持ちを伝え合う。

「‥‥アリサ。ダリルは?」

「倒れてる」

 簡潔に、アリサが答える。

「どうしよう、これから‥‥」

 サンディが、呆けたようにつぶやく。

「まずはデブリーフィングね。行きましょう」

 アリサが、瑞樹の腕を取った。

「‥‥とてもじゃないけど、そんな気になれないよ」

「ヘザーを見習うのね。ふたりも仲間を失ったのに、真っ先にしたことはフレイルに自分の経験を伝えることだった。これ以上、仲間を失いたくなかったから。戦死者がひとりで済んだのは、ヘザーとフィリーネのおかげよ」

 強い口調で、アリサ。

 ‥‥そうだった。ヘザーとフィリーネは、アレッシアとニーナの弔いさえ後回しにして、はるばる日本まで飛んできてくれたのだ。

 フレイルに助言を与えるために。

 仲間を死なせないために。

「ミギョンの弔いはあとでもできる。今できることを、今やらなければならないことを、やろうよ」

 ヘザーが、言う。

 瑞樹はうなずいた。

「うん。やろう」


「ご苦労だった、ふたりとも」

 アークライト中将が、瑞樹とサンディの手を代わる代わる握った。

「ホ中尉は、残念だった。しかし、彼女のおかげでカピィ宇宙船を破壊することに成功した」

 アークライトが言葉を切り、しばし眼を閉じた。

「‥‥シァ大尉は、今日中にメイス・ベースに戻る予定だ。ヴァジェットは損傷が激しいため、ランス・ベースに運ばれて修理される予定になっている。では、デブリーフィングを始めよう‥‥」



「あたしのせいだよ‥‥卵のおまじない、ミギョンにもやってあげてたら‥‥」

 ダリルが、泣く。

「ミギョン‥‥」

 瑞樹はリビングのコーヒーテーブルを見やった。いつもそこにいた無口でクールな女性の姿は、ない。

「とにかく、出撃メンバーは身体と頭を休めるべきだね。自室に引き取った方がいい」

 ヘザーが言って、フィリーネに目配せしつつ、サンディの背中を押した。察したフィリーネが、瑞樹の腕を取る。

「瑞樹も休んだ方がいいですわ」

「でも‥‥」

 瑞樹は泣き伏すダリルを見た。アリサが、自分に任せろという身振りをする。

 後ろ髪を引かれながら、瑞樹はフィリーネに導かれるままにリビングをあとにした。自室にフィリーネと共に入り、ベッドに腰を下ろす。

「一緒にいましょうか?」

「‥‥うん。ひとりになりたくないよ」

 瑞樹の返事に応じ、フィリーネが隣に腰を下ろした。

「信じられない。あの娘が死んだなんて」

 つぶやくように、瑞樹は言った。

「わたしも、いまだにニーナとアレッシアが死んでしまったとは思えないくらいですから。眼の前で、死なれたのに」

 遠慮がちに瑞樹の肩に手を回したフィリーネが、言う。

 瑞樹はため息をつきつつ眼を閉じた。とたんに、白い光に包まれたネメシスの姿が浮かび上がってしまう。放たれた数十条のレーザー。眩い光と共に消え失せたネメシス。ミギョンのか細い悲鳴さえも、聞こえてくるような気がする。

「だめだ」

 瑞樹は手で顔を強くこすった。

「瑞樹、シャワーでも浴びたらどうですか? 少しは、すっきりするかも」

「‥‥そうだね、そうさせてもらうよ」

 瑞樹は自室を出ると、着替えを手にシャワールームへと向かった。熱い湯を浴びると、いくらか気分は良くなった。だが、頭を洗おうと眼を閉じると、またあの光景がまぶたに浮かんでしまう。消え失せるネメシスの姿が。

 自室に戻ると、フィリーネがお茶の支度を調えて待っていた。急須から、ふたつの湯呑みに緑茶を注ぎ入れる。

「はい、どうぞ。落ち着きますよ」

「ありがとう」

 瑞樹は緑茶をすすった。ほっとする、味と香り。

 不意に、瑞樹は自分が恥ずかしくなった。フィリーネは年下で、階級も一応瑞樹より下だし、飛行時間も自分より短い。失った仲間の数も、ふたりだ。そのうえ、ホームベースであったソード・ベースも事実上失っている。おまけに、両親はカピィ占領地区に取り残されているのだ。

 それなのに、一生懸命に自分を慰め、元気付けようとしている。普通は反対ではないのか? 瑞樹が、気落ちしているフィリーネを励ましてやらねばならぬ立場ではないのか。

 ‥‥落ち込んでいる場合じゃない。

 瑞樹は無理に笑顔を作ると、湯飲みを置いて、フィリーネの手を取った。

「ありがとう、フィリーネ。気分が良くなったよ。もう大丈夫」

「ほんとに、大丈夫ですか?」

「うん。フィリーネのおかげで、乗り切れそうだよ。‥‥ちょっと寝たいんだ。悪いけど‥‥」

「わかりました。おやすみなさい」

 フィリーネが立ち上がり、お茶のセットを持って部屋を出る。

 瑞樹はベッドに転がった。眠くはないが、何もやる気が起きない。眼を閉じる。

 消滅するネメシスの姿。

 瑞樹は眼を開けた。‥‥しばらくのあいだ、悪夢に悩まされそうだ。



「フレイルから戦死者が出たことは残念ですが、宇宙船の降下を阻止できることが証明されたわけです。そのことは、素直に慶祝すべきでしょうね」

 フロスト教授が、言った。

「‥‥しかし、核使用の前例を作ってしまったことにもなるな」

 忌々しげに、アークライトが応じる。

「五隻目が現れなければいいのですが」

 憮然として、矢野准将。

「‥‥えい、忌々しい。春彦、指揮を頼む。いいかな?」

 アークライトが、立ち上がった。

「構いませんが」

「教授。来てください」

 アークライトが、足早に執務室を出てゆく。フロスト教授が、続いた。

「やれやれ。そうとう参ってるな、あれは」

 矢野准将は頭を掻くと、内線電話を取り上げた。

「ソムポンか? 矢野だ。以後数時間、司令より指揮を任された。当直スケジュールを変更する‥‥」


「付き合ってもらいますぞ、教授」

 自室に入ったアークライトが、グラスを二個取り出す。

「まだ日は高いですが‥‥お付き合いしましょう」

「こちらの方があなたはお好きでしょう」

 アークライトが、いつものバーボンではなく、十七年もののバランタインを取り出す。

「氷は?」

「そのままでお願いします」

 フロストが、そう答える。アークライトは、グラスに三分の一ほど生のままのスコッチを注ぐと、フロストに手渡した。

「久しぶりです、部下を死なせたのは」

 フロストに座るように促しながら、アークライトがベッドに腰を下ろした。

 椅子に掛けたフロストが、グラスの中身を味わう。

「わたしも悲しいです。ミズ・ホは優秀なパイロットでした」

「そうですな。フレイルに最後に加わったメンバーですが、急速に腕を上げた」

 アークライトは、グラスを大きく呷った。

 グラスを手の中で転がしながら、フロストが口を開く。

「‥‥亡くなったのだから、話してもいいでしょう。実は、彼女の急速な成長には、わたしも一役買っていたのです」

「初耳ですな、それは」

「ミズ・ホから口止めされていましたのでね。各NT兵器の実験データを見せてくれと頼まれたので、見せてやったのです。部外秘のデータでしたが、拡大解釈すれば彼女もテスト要員ですからね。‥‥生のデータなのでパイロットにはあまり参考にならないはずですが、彼女はそこから様々なことを学び取ったようです。たいしたものですな。膨大な量の数学的データを自己流に解析するだけでも、かなりの時間と労力を費やしたはずです」

「そんなことがあったのですか」

 アークライトはグラスを置くと、スコッチを注いだ。フロストのグラスにも、注ぎ足す。

「機体の癖を知り、それを徹底的に利用したのでしょうな。そして、正規パイロットに選ばれた。‥‥たいした女性です」

 フロストが、スコッチをすする。

「そんなことがあったのですか。ホ中尉らしいといえば、らしいですが」

「悪く言えば、見栄っ張りだったのでしょうね。自分が努力していることを、他人には知られたくない。気持ちは、判らないでもなかったので、口止めに同意したのですが」

「故人の意思を尊重して、この話はここだけの秘密にしておきましょう」

 アークライトは、考え深げにスコッチをすすった。


第十二話簡易用語集/十七年もののバランタイン 飲みたい(笑) 作者はお金がないのでファイネストしか買えないのである(涙)

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