11 Belgium
メイス・ベースへの核弾頭の搬入は、明け方に行われた。すでにその三時間ほど前、日本政府は非公式に国内への核兵器搬入を了承する閣議決定を行っていた。ただし、その事実は当面非公開とされ、閣議決定には日本の領土内での使用は禁止するという条件も付随していた。
フレイル・メンバーに対する一時間待機が解けたのは、午前六時だった。
「ご苦労だった、諸君。今から六時間の休息を与える。正午より、シミュレーター訓練を開始する。以上だ」
疲れた顔のアークライトが、告げた。
六人は重い足取りで待機室を出た。昨夜は交代で仮眠を取ったが、各自平均すると二時間半くらいしか寝ていない。
「司令も寝た方がいいよね、絶対」
瑞樹はそう言った。眼は血走っていたし、無精髭も伸びていた。どう見ても、徹夜したに違いない。
「‥‥って、どこ行くのよダリル」
ひとりだけ、地下一階まで階段を上がった所で通路に足を向けたダリルに、サンディが突っ込む。
「朝飯。当然だろ?」
なにを馬鹿なことを、と言わんばかりの表情で、ダリル。
「わたし、ご飯いらない」
瑞樹は、呻くように言った。残る四人が、同意する。
「じゃ、お前らは寝ろ。あたしは喰ってから、寝る」
そう言い置いて、ダリルが歩み去る。階段を登りかけていた一同は、唖然としてその姿を見送った。
「‥‥太らないのが不思議だな」
ぼそりと、ミギョン。
十一時前に、瑞樹はなんとか眼を覚ました。
身支度を済ませ、士官食堂へと向かう。朝食を抜いたので、かなり空腹だ。
士官食堂には、懐かしい顔があった。
「教授!」
瑞樹は、サンディと向かい合わせで食事していたひょろりとしたイギリス人に、思わず駆け寄った。フレイル・メンバーにNT兵器の手ほどきをした、あのマーク・フロスト教授である。
「おや、ミズ・サワモト。お元気でしたか」
フロストが、以前と変わらない人懐っこそうな笑みを浮かべる。
「急にいらっしゃるなんて‥‥」
「実は、スペシャルなスコーピオンと一緒に来たのですよ」
声を潜めて、フロスト。
「‥‥そうでしたか」
再会の喜びに満たされていた瑞樹の気持ちは、一気にしぼんだ。
「お昼取って来なさいな。瑞樹」
サンディが、促す。
「地球環境への核爆発の影響を最小限に留めるには、なるべく高高度でカピィ宇宙船を迎撃しなければならない。しかし言うまでもないことですが、大気圏上層は気圧が低い。大気そのものを推進剤に使う現状のNT兵器では、中間圏に到達するのがやっとです。一応、パイロン装着式のブースターも持ってきましたが、それを使用しても高度60から70kmに上昇するのがせいぜいです」
サンドイッチを食べる合間に、フロスト教授が説明した。
「すでに、NT兵器に推進剤タンクを増設する基礎研究は済んでいます。いずれはコンフォーマル化しなければならないでしょうが、現状ではハードポイントに水タンクを装着するしかないですね。機材と人員はランス・ベースから連れてきましたから、急げば明後日までには、全機が水蒸気噴射で飛べるようになるでしょう」
「教授は、核兵器を用いればカピィ宇宙船を阻止できるとお考えですか?」
サンディが、訊いた。
「わたしは戦術には疎いのですが‥‥護衛のフルバックさえ排除できれば、可能性は高いと見ています」
フロスト教授が、言った。
「でも、どうやって‥‥」
瑞樹は箸で稲荷寿司をつつきながら、訊いた。かなり空腹だったので、日替わりの麺類‥‥今日は関東風の揚げ玉の入ったたぬきうどんだった‥‥に稲荷寿司が二つ入った小皿を付けたのだが、一向に箸が進まない。
「残念ながら、超高高度を飛行するフルバックを排除する方法は、核の使用しかないでしょう」
フロストが、断言する。
「昨日のカリフォルニアの例を見る限り、フルバックはかなり低いところまで降りてきていたよね。そうなると、成層圏内でも核爆発を起こすことになる」
ホットドッグ三本とブラックコーヒーをトレイに載せてきたダリルが、話に加わる。
「そうなりますね。しかし、現状で他に方法があるとは思えない」
フロストが、うなずいた。
「もし三隻目のカピィ宇宙船がいるとしたら‥‥どこに着陸するとお考えですか?」
サンディが、訊いた。フロストが、肩をすくめる。
「ある程度の予測はつきますが‥‥どうでしょうかね。北米の制圧を最優先するならば、カナダ東部。中米カリブ地区を押さえるつもりならば、ユカタンあたり。人類の兵器生産能力に打撃を与えようとすれば、ヨーロッパかロシア西部、あるいは東アジア」
「まあ、繰り返しになるけどカピィの戦争目的がはっきりしない以上、戦略の推測も難しいよね」
ホットドッグにかぶりつきながら、ダリルが言う。
「本日当基地に核兵器が搬入された」
アークライトが、説明した。髭はきれいに剃ってあったが、血走った眼は相変わらずだ。
「諸君らも訓練でおなじみの、核弾頭搭載スコーピオンだ。核出力は、100キロトン。ロシアが廃棄したSLBM弾頭の再利用品だ。第三の宇宙船が出現した場合、フレイル・スコードロン各機はこれを搭載、大気圏上層で迎撃にあたる」
‥‥ついに来たか。
瑞樹は覚悟を決めた。核兵器など使いたくはないが、すでに人類は追い詰められた状況にある。これ以上カピィ宇宙船が出現したら、人類の歴史が終わりかねない。
「現在、各機は水蒸気噴射を可能にするために改造中だ。それが完了する前にカピィ宇宙船が現れた場合に備え、パイロン装着型のロケットブースターも用意されている。低出力だが、稼働時間が長いので、有効に使えるはずだ。今回のシミュレーター訓練では、このブースターを装着したモードでの訓練を行う。むろん、各種データはシミュレーターにインプット済みだ。では、開始する」
アークライトの合図を受け、チャン軍曹がスイッチを切り替えた。
ベローナで急上昇。
レーダーが必要ないほど、カピィ宇宙船の姿は光点としてはっきりと見えていた。
すでに絶対高度は15万フィートを超え、デジタル高度計はより感覚のつかみやすいキロメートル表示に切り替わっていた。数値が、50.0を超える。成層圏突破だ。
このあたりの気圧は、地表の千分の一ほど。さしものNTも、吸い込むものがなければ出力も弱くなる。すでに、ブースターには点火済みだ。パイロンに吊られた化学ロケットにより、推力を補いつつ上昇する。
成層圏の上にある中間圏で迎撃することが、当面の目標である。
瑞樹はウェポンベイに納められた二発のスコーピオンに思いを馳せた。100キロトンの核弾頭は、近接信管も備えているが、コックピットから設定できる時限信管もついており、状況によって使い分けることができる。弾頭部が強化されているから、カピィ宇宙船に近接してミサイルを発射、命中させてから退避、時限信管で起爆、といった芸当も可能だ。
高度60km。
「フレイル1より4へ。発射シークエンス開始」
シミュレーター1に乗るアリサから、指示が入る。
瑞樹は起爆コードをマニュアルで打ち込んだ。安全装置を解除し、通信を入れる。
「フレイル4。発射スタンバイ」
「発射」
アリサがすかさず命ずる。
瑞樹はウェポン・リリース・ボタンを叩いた。シミュレーターが揺れ、発射の衝撃を伝える。発射を確認した瑞樹は、機首を返した。ここから、長い降下が始まる。
「やはり無理ですな。上昇してミサイルを放つのがやっとだ。宇宙船から砲火を浴びせられたら、ひとたまりもない」
矢野准将が、ため息をつく。
「やはり、核の無制限に近い使用が必要ですかな」
アークライトが、傍らのフロスト教授を見やった。
「‥‥NT兵器が水蒸気噴射を駆使すれば、あるいはフルバックの群れを突破し、宇宙船に近接することも可能かもしれません。カリフォルニアの例で、宇宙船自体の防空能力が高いことも判っていますから、かなりのリスクを伴いますが」
フロストが答えた。
「准将、あとを頼む。わたしはNT兵器の改造状況を見てくる」
アークライトが言って、きびすを返した。
「承知しました、司令」
フロスト教授が連れてきたNT兵器改造部隊は、メンテナンス・グループと協力して改造作業を進めていた。
「どうかね?」
アークライトが、作業を監督する上田中佐に尋ねる。
「改造そのものは、二十四時間以内に済みそうです。そのあとのテストですな、問題は」
上田が作業帽を取って、乱れた頭を掻く。
「本来ならばテストに三日程度時間をいただきたいのですが‥‥無理でしょうなぁ」
「カピィがその余裕を与えてくれれば、いいのだがな」
いささか冷笑気味に、アークライトは応じた。
「しかし‥‥本物の核兵器を扱う羽目になるとは‥‥」
上田中佐が、完全武装の警務班によって厳重に守られている一棟の倉庫を見やった。中には、核弾頭型のスコーピオン二十発が収納されている。
「人類が生き延びられるかどうかの瀬戸際だからな」
アークライトは、作業員の動きを眺めながら、激しく眼をしばたたいた。午前中に三時間ほど睡眠を取ったが、そろそろ限界が近づいている。
「わたしの出身地は、長崎なんです」
ぽつりと、上田が言う。
「それは、知らなかった」
アークライトは、そう応じた。‥‥六十年以上前のこととは言え、この宮崎と同じ島にある港湾都市を核攻撃したのは、彼が所属する合衆国空軍の前身、合衆国陸軍航空隊である。
「日本は核武装をしないと確信していましたし、航空自衛隊にいる以上核兵器を眼にすることなど無いと思っていました。しかし今、すぐそばに核弾頭があり、命令があればそれを機体に装着せねばならない‥‥」
上田が、言葉を切った。
「核に対する嫌悪感かね?」
しばしの沈黙ののち、アークライトはそう訊いた。
「いえ、むしろ不思議な感覚ですな。妙に現実感がない」
「わたしも同じだよ。CDAから、悪い夢を見ているかのようだ。いや、できの悪い深夜映画でも見ている感覚かな」
「助力に感謝する、宇宙船指揮者ティクバ」
スクリーンの向こうのオブラク船長が、満足げに頭部を左右に振った。
オブラクの船は人類側の激しい抵抗を排除して、狙い通りの場所に着陸を果たした。すでに航空兵器と地上兵器の群れは、占領地区を広げようと活動中だ。
「では、本職は宇宙船指揮者サンの船を援護する準備にかかる」
ティクバはそう喋った。
「了解した。こちらは人類の注意をひきつけておく」
スクリーンから、オブラクの姿が消える。
「うむ。不可解だ」
ティクバは主触腕と副触腕の先端をこすり合わせた。
「宇宙船指揮者オブラクですか?」
ヴィド副長が、訊く。
「いや。人類の新兵器だ。なぜ出て来ない?」
「技術的な問題ではないでしょうか。活動も不定期のようですし」
ヴィドが、そう述べる。
「可能性はあるな」
「あるいは、わが軍用船に対しては無力なのを悟り、出撃を自粛したのかもしれません」
ヴィドが副触腕を鼻に近付けた。触腕を鼻に触れさせるのはカピィにとって侮蔑を表すサインであり、近付けるのはそれよりも軽い侮蔑を表現するものだ。副触腕を使うより主触腕を使ったほうが、侮蔑のニュアンスはより強くなる。もちろんこの場合、侮蔑の対象は人類の新兵器と、それを操る戦士である。
「まあ‥‥さしもの彼らでも軍用船には手出しできぬか」
ティクバは右前肢を振って同意を示した。
「駄目だよ、あんなんじゃあ‥‥」
ダリルが愚痴った。
「確かに駄目だね」
スーリィが同意する。
午後いっぱい、シミュレーター訓練は続けられた。全員が何発もの核弾頭スコーピオンを発射し、CGのカピィ宇宙船に命中させた。だが‥‥。
「本番ならば、あれに山ほど護衛のフルバックが付くのよね‥‥」
瑞樹はあくび交じりに言った。夕食を済ませたばかりだが、もう眠い。
「核兵器を乱射しながら突入するしかないのかな。昔のSRAMみたいに」
サンディが、言う。
「SLAMに核弾頭バージョンなんてあったっけ?」
瑞樹は首をかしげた。サンディが、笑う。
「S・L・A・MじゃなくてS・R・A・Mの方よ。W69核弾頭。B−52に二十発搭載して、侵攻途中にある敵性目標に片っ端から撃ち込む。レーダーサイト、SAMサイト、空軍基地、指揮統制結節点‥‥。最後に残った一発を、本当の目標に発射する。おそらくは、ICBM基地か大都市ね。冷戦時代の、産物よ」
サンディの視線が、ちらりとアリサに走った。
「各機一律に核弾頭二発というのも無理がある」
ミギョンが、発言した。
「むしろ、宇宙船に近接するのは一機だけでいいのではないか? 残りはフルバックの排除と、囮役に徹する方が、成功の確率は高まるだろう」
「もっともな意見ね。賛成だわ」
アリサが賛意を示す。
「‥‥一機だけじゃ、無理だよ。予備機がいないと」
瑞樹はそう言った。
「もちろん、代替手段は講じる。ペアを組む機が予備となればいい」
ミギョンが、言う。
「で、どの機が主役を張るの?」
ダリルが、訊いた。
「運動性が第一でしょうね。機体も小さくていい。搭載量も少なくて構わない。とすると、ゾリアしかないわね」
微笑みつつ、アリサ。
「‥‥わたしがやるの?」
当惑顔で、サンディ。
「代わってあげてもいいのよ」
「いや。やらせてもらうわ」
アリサの申し出を、サンディが即座に断る。
スーリィが、ポケットからメモ帳を取り出した。ボールペンで、ごそごそと書き始める。
「えーと、そうなるとゾリアがスコーピオン二発のみ搭載。ペアを組むのは‥‥やっぱりヴァジェットよね。これもスコーピオンは二発しか積めない、と」
「ネメシスとベローナが先行して、フルバック狩りに任ずるわけだ」
ダリルが、うなずく。
「でも、ネメシスもスコーピオンは二発しか積めないんだよね。ベローナは、六発積めるけど」
メモ帳に書き込みながら、スーリィ。
「フルバック狩りはベローナの仕事になるわね。六発のスコーピオンでフルバックを殲滅させる。ネメシスはこれを援護。ヴァジェットにエスコートされたゾリアが、宇宙船目掛けて突入。ベローナとネメシスは囮。ゾリアが被弾したらヴァジェットが代わる。ヴァジェットも被弾したらネメシスが代わる。ネメシスも被弾したら‥‥作戦失敗」
アリサが、まとめた。
「うーん。乱暴だけどいい作戦だ」
ダリルが、感想を述べる。
「カリフォルニアの状況は?」
作戦室に戻るなり、アークライトは訊いた。
「サクラメントが陥落しました。ロサンゼルス防衛に関しては、いまだ混乱状態が続いています」
コンソールに張り付いているソムポン軍曹が、即座に答えた。
アークライトは唸った。カリフォルニアはNAWCの防衛担当区域だが、メキシコはNASCの領域である。カーン郡にカピィ宇宙船が着陸したことで、ロサンゼルス−サンディエゴ地区の防衛戦力は、NAWCの主力と分断されてしまっている。暫定措置として、それら部隊はNASCに組み込まれたが、指揮系統の寸断と兵站線の混乱は、深刻な戦力低下を招いていた。
アークライトはコンソールに歩み寄った。ソムポン・ブンタウィー軍曹は溌剌たる顔だが、隣に座る山名軍曹は完全に眼が据わっている。アークライトは、山名の肩に手を置いた。
「軍曹。少し休め」
「2000になれば、リィリィ‥‥いえ、チャン軍曹と交代です、サー。それまでは、頑張ります」
山名が無理やり声を張る。
「司令こそお休みになられたらいかがですか」
ディスプレイから顔を上げたソムポン軍曹が、気遣わしげに言った。
「今夜は寝かせてもらうつもりだ。2100になれば、副司令が起きてくるはずだからな」
世界は固唾を呑んでカピィの次の一手を待ち受けた。
アークライトから引継ぎを受けた矢野准将は、ランス・ベースからの勧告を受けて、現地時間午前零時をもってメイス・ベースの警戒態勢を解除した。NT兵器四機の改造作業は、徹夜で続いている。明け方近くになって、憔悴しきった顔の上田中佐が作戦室にふらりと入ってきた。
「おお、二佐。改造作業は?」
「終了しました。いま、作動テストを行っています」
矢野の問いに、上田が答える。
「ご苦労さん。あと一息、頑張ってくれ」
「メンテナンス・グループとランス・ベースからの増援部隊の尽力で、すべてのNT兵器が水蒸気噴射対応となった。すでに、ベンチテストは終えている。本日は、超高高度での飛行テストを行う」
晴れ晴れとした表情で、アークライト中将。
フレイル・メンバーも一様に安堵の表情を浮かべた。
「‥‥不細工だねえ」
ダリルが、そう評する。
たしかに、各機とも醜くなっていた。
ゾリアは第1と第4パイロンにドロップタンク、さらに巨大なオーバーウィングタンクを装着している。
ヴァジェットも第1と第4パイロンにドロップタンク、胴体上面にタンクふたつという形態だ。
ネメシスは第1、第3、第4、第6パイロンにドロップタンク。
ベローナは、オーヴァーウィングタンクと、胴体上面にタンクひとつ。
「ホークのランチャーみたい‥‥」
瑞樹は愛機の前で絶句した。
「見てくれは悪いですが、調子は万全です」
疲れた顔の滝野二尉が、保障する。
「お疲れ様。みんなも、お疲れ様」
瑞樹は、滝野とその部下をひとりひとり労って回った。
四機編隊を組んで、日向灘に出る。
ベローナの重量バランスおよび抗力はそうとう変化したはずだが、アヴィオニクスがほとんどを調節してくれているので、操縦感覚に大きな変化はない。パイロンには、もちろんスコーピオンの模擬弾が装着されている。
「フレイル1より3、4へ。上昇スタンバイ」
ゾリアに乗るサンディが、告げる。
瑞樹は受領通知を返すと、進路を一定に保った。リードを執るミギョンの合図を待つ。
「3、4。上昇開始」
瑞樹はスロットルを全開にすると‥‥ストッパーはすでに外してある‥‥サイドスティックを引いた。すぐさま機体が反応し、急上昇が始まる。あっという間に1万フィートを超え、1万5000、さらに2万に到達する。ほどなく対流圏を抜け、成層圏に達する。
高度デジタル表示が、キロメートルに切り替わる。さしものNTも、このあたりではパワーが落ちる。これくらいの高度の気圧は、地表面の百分の一以下なのだ。むろんそのせいで空気抵抗は少ないが。
「3、4。水蒸気噴射開始」
ミギョンが指示を出した。
瑞樹は新設されたパネルに手を伸ばし、スイッチを入れた。とたんに、機体が弾かれたように加速を開始した。
‥‥すごい。
落ちてきていた機速が、あっさりと回復する。高度計の数値も、激しく変わる。50.0を突破。中間圏に到達だ。
瑞樹は上昇を続けながら、スコーピオンの発射準備を整えた。起爆コードを打ち込み、適当な位置に狙いをつける。
「こちら4、スコーピオン発射スタンバイ」
「4、適宜発射せよ」
「こちら4、発射」
瑞樹は四発のスコーピオンを相次いで模擬発射し、退避行動に入った。ミサイルはフルバックのレーザーに捉えられる前に、時限信管で爆発させる。その電磁波と熱線で、立ちはだかるフルバックを叩き墜とそうと言う作戦である。
「こちら1。あとは任せて」
あとから上昇してきたゾリアとヴァジェットが、瑞樹とミギョンを追い抜いてゆく。
「3と4は機動試験に入る」
ミギョンが、通告した。
瑞樹は機体を立て直すと、水蒸気噴射を持続しつついろいろと機体を動かしてみた。超高空での機動性のテストと、推進剤の減り具合を確かめるためである。
機動自体は、普通に行えた。だが、高度を維持するためにはかなりのパワーで水蒸気噴射を続けなければならない。水自体はたっぷりと搭載していたが、超高空での戦闘が長引くとまずいかもしれない。
「こちら1。目標を模擬破壊」
ゾリアとヴァジェットが戻ってきた。
「どうかね?」
アークライト中将が、訊く。
「行けそうです。欲を言えば、推進剤の容量がもう少しあれば安心ですが」
サンディが、四人を代表する形で答えた。
「大変結構」
アークライトが、うなずく。
「もう少し時間を下さい。戦術を洗練させれば、もっと成功率は上がると思います」
スーリィが、訴える。
‥‥成功率じゃなくて生還率じゃないのかなぁ‥‥。
瑞樹は内心そう思ったが、士気が萎えるような突っ込みは自重した。
「判った。‥‥午後はコルシュノワ中佐とシェルトン少佐に飛んでもらう。君たちはシミュレーター訓練だ。開始は1300。以上だ」
アークライトが、四人を解放した。
「で、どうだった?」
ダリルが、勢い込んで訊く。
「‥‥すぐにあんたも飛ぶんでしょ? 聞いてどうするの?」
迷惑顔で、サンディ。
いつもの士官食堂で、いつもの四人組。食べているものも、いつもと変わらない。サンドイッチをかじるサンディ。ハンバーガーにかぶりついているダリル。日替わり麺の醤油ラーメンをすすっている瑞樹。スーリィだけは、瑞樹に付き合うように醤油ラーメンを食べている。
「でも‥‥結局、三隻目は来ないみたいね」
具のメンマを箸でつまみあげながら、瑞樹は言った。
「そうね。丸一日半たったし‥‥」
スーリィが、同意する。
「いやいや。敵の意表を衝くのが戦術の常道だ」
ダリルが、主張する。
「やなこと言わないでよ‥‥」
紅茶のカップを両手で持ったサンディが、顔をしかめる。
「考えたんだけどさぁ。ダガーのみんなと、共同できたら、成功率上がるよね」
瑞樹はそう言った。
「あ、それ、あたしも考えたよ」
スーリィが、手をぺちんと打ち合わせる。
「‥‥それくらい、あたしでも思いついて、アリサと戦術を検討したよ。ダガーが先行して、フルバック排除。フレイルが囮として接近し、防御火力をひきつけた上でダガーが中距離から核攻撃。止めにフレイルが近接して時限信管のミサイルを撃ち込む。あとは、安全圏に脱出してから起爆。どかーん、ってね」
物憂げに、ダリルが言う。
と、いきなり士官食堂にけたたましいブザーの音が鳴り響いた。
「なに?」
慌てた瑞樹の箸先から、かじりかけのチャーシューが落ち、スープに飛び込む。
「総員に告ぐ。警戒態勢に移行せよ。繰り返す。警戒態勢に移行せよ。フレイル・スコードロン・パイロットは速やかに作戦室へ出頭せよ」
ブザーが止むと、ミシェーラ・イングラム曹長の声が響き渡った。
「敵だね」
サンディが、立ち上がる。他のテーブルからも昼食を中断して立ち上がった士官たちが、一足先に小走りに出入り口へと向かっている。
「行こう!」
スーリィが、箸を投げ出した。
「皆さん、IDの提示を願います」
対爆扉の前に立つマレー系らしい小柄で浅黒い伍長が、そう告げた。
「‥‥それと‥‥シェルトン少佐、作戦室内への食物の持ち込みはご遠慮願います」
「え」
ダリルが、脇に下げていた右腕を上げた。‥‥指が、食べかけのハンバーガーを掴んでいる。
一瞬ためらったのち、ダリルはそれを無理やりに口へと押し込んだ。
「それと‥‥コルシュノワ中佐。作戦室内へ飲料の持ち込みもご遠慮願えますか」
「失礼」
赤面したアリサが、つかんでいた乳酸菌飲料のパックを、手近のゴミ箱へと投げ入れる。
IDチェックを受けた六人は、作戦室へと早足で入って行った。
「状況を説明する」
待ち受けていたアークライト中将が、振り返って言った。
「オハイオより三つのストライク・パッケージが発進し、東へと向かっている。いずれも、中核にフルバック一個編隊を含む強力なもので、総数は二百近いと思われる。すでに大西洋に入り、洋上のUN艦隊と交戦中だ。だが、連中の目的は艦隊攻撃にはないと思われる」
「ヨーロッパ、ですか?」
サンディが、訊く。
「そうだ。状況は、カリフォルニアの時と酷似している。時間的にも、ストライク・パッケージが大西洋を渡りきる頃に、西ヨーロッパは早朝となる」
アークライトが、説明する。
「やっぱり来やがったか‥‥」
ダリルが、唸る。
「諸君らは核装備で一時間待機。カピィ宇宙船出現の場合は、着陸時刻に合わせて空中待機してもらう。いいな」
「司令、ソード・ベースへの出動を命じて下さい」
瑞樹は、そう具申した。
「NT兵器ならば、三時間あれば行けます。あそこなら、兵站支援も受けられますし、カピィ宇宙船が降下してきた場合、ダガー・スコードロンと協力して効果的な迎撃が行えます」
「残念だが、許可できない」
アークライトが、即座に拒絶した。
「現状では、西ヨーロッパへカピィ宇宙船が降下するという絶対的な保障はない。それに、フレイル・スコードロンの当面の任務は重要な兵器生産地域であり、膨大な人口を抱える東アジア地区の防衛にある。加えて今では、ランス・ベースの防衛任務も副次的に負っているのだ‥‥」
アークライトが、コンソールに座った。指が、キーボードを叩く。
「もう君たちにも、ランス・ベースの位置を明かしてもいいだろう。中華人民共和国、スーチョワン省チョントゥー市西郊。ここだ」
ディスプレイに表示された中国の地図の中で、赤い光点が瞬く。
「すでにこの地下で、量産型NT兵器製作工場の建設が進められている。同規模のものがウラル某所で建設中だが、こちらの方が早く完成するはずだ。ここだけは、なにがあっても守らねばならん」
「判りました、サー」
瑞樹は引き下がった。
「頼む!」
ダリルが、両手を合わせてミギョンを東洋式に拝む。
「体調も悪くないし、午前中に飛行したとはいえ疲労もそれほど残っていない。代わる必要性を感じないが」
いつも通りポーカーフェイスで、ミギョン。
「‥‥なにやってるの、あのふたり?」
瑞樹は、訊いた。
「ダリルが、ネメシスに乗って出たいんだって」
スーリィが、教えてくれる。
「‥‥ミギョンが譲るとは思えないけどねぇ」
サンディが、言う。
「そう言えば、あなたは代わってくれとか言わないわね」
「ふふ。まあね」
サンディの問いに、アリサが謎めいた笑みで応じる。
「わたしはすべての機体のバックアップ要員だと思ってるから。ゾリアに関しては、あなたの方が上手いしね」
「ほんとか!」
いきなり、ダリルが叫んだ。迷惑そうな表情のミギョンの右手を両手でつかみ、激しく上下させる。
「ありがとう! 生涯恩に着るぞ!」
「あらあら。妥協が成立したみたいね」
あきれた様に、サンディ。
瑞樹らにちらりと視線を送ったミギョンが、待機室を出て行った。入れ替わるように、満面の笑みを湛えたダリルが、他の四人と強引に握手をする。
「今回のネメシスのパイロットはあたしだ。よろしくな!」
「幾らで買収したの?」
皮肉めいて、サンディ。
「千ユーロだ!」
「うそっ!」
「嘘だ」
急に真顔になって、ダリル。
「ミギョンみたいなまじめな奴が、買収されるわけないだろ。真摯に頼んだら、理解してくれただけだ。ま、今回だけの特別サービスだがな」
「まあ、今回は空振りに終わる可能性が高いしね」
アリサが、言う。
イングランド南部、オックスフォードシャー州。
大学都市として名高いオックスフォードの西20kmほどのところに、RAFブライズ・ノートン基地はある。
その隣に併設されているのが、メイス・ベースの姉妹基地、ソード・ベースである。
地下にある作戦室のたたずまいは、メイス・ベースのそれと大差なかった。しかし、その内部の緊張感には数倍の開きがあった。
多数のカピィ航空兵器が、大西洋を横断して西ヨーロッパへと接近しつつあるのだ。
すでに洋上哨戒中だった合衆国海軍空母二隻が撃沈されている。NAECに所属するイギリス、フランス、スペイン、ノルウェー、オランダなどの海軍艦艇にも、大きな被害が出ているようだ。
「司令!」
コンソールに着いていた浅黒い肌のスペイン人軍曹が、声を張り上げた。
「HQよりデータ入りました。月周辺で、動きあり。カピィ宇宙船と思われる。以上です」
「やはり来たか‥‥」
小柄な副司令、マティアス・オデール少将が呻いた。
「ロクサーナ。ダガー各機の現況を」
ソード・ベース司令官のロルフ・ドレスラー中将は、オペレーターのポーランド人女性軍曹に命じた。
「現在、四機とも所定の武装で待機中。問題ありません」
即座に、ロクサーナが答えた。
「さて、奴がどう動くかだが‥‥」
ドレスラーは腕を組んだ。緊張に満ちた数分が、流れる。
「カピィ宇宙船、地球に向け移動開始を確認。‥‥カリフォルニアの時とほぼ同一の動きであることが観測されました」
スペイン人軍曹が、報告する。ドレスラーは、渋面でうなずいた。
「セルジ。ETAが出たら、教えてくれ」
「イエス・サー」
オデール少将が、壁の時計を見上げた。
「大気圏突入は三時間後くらいですな。ちょうど早朝だ。CDといいカリフォルニアといい、朝が好きですなぁ、カピィは」
「やつら、早起きなんだろう」
ドレスラーは、苦笑した。
「マティアス、あとを頼む」
「承知しました」
ドレスラーは作戦室を出ると、ダガー・スコードロンの待機室へと向かった。すでに、ダガーの面々は三十分待機の態勢にある。
「おはよう、諸君」
待機室へと入ったドレスラーは、そう挨拶した。現地時間は午前二時半。基地では恒常的にGMTを使用しているので、0330前後である。
「現在、第三のカピィ宇宙船は、月軌道を離れて地球へと接近中だ。着陸予想地点はいまだ不明だが、現状では西ヨーロッパの公算が高い。目標が予想通り当基地近傍に出現した場合、ダガー・スコードロンは、各機核弾頭スコーピオン二発を搭載してこれを迎撃する。‥‥迎撃高度だが、HQと協議した結果、海上であれば成層圏内での核使用に対し許可が下りた。言うまでもないが、可能な限り高高度での使用を心がけてくれ。出撃メンバーは、ゾリアにペリーニ大尉。ヴァジェットにマリコワ大尉。ネメシスにベンソン少佐。ベローナにシャハト中尉とする。出撃は0500とする。以上だ。‥‥神のご加護を」
ドレスラーが、そう締めくくった。
「また留守番なのね」
エルサ・リンドマン中尉が愚痴る。
「ちょっと寝る」
ニーナ・マリコワ大尉がそう言って、待機室のソファに寝転がった。
「豪胆だねぇ」
ヘザー・ベンソン少佐が、呆れる。
「しかし、参ったわね」
ニーナに遠慮して、アレッシア・ペリーニ大尉が小声で言う。
「もう少し訓練期間があれば、もっと戦術を練れたんだけど」
「まあ、やるだけやるしかないね」
ヘザーが、腕組みして唸る。
「フィリーネ、顔色悪いよ。調子悪かったら、代わろうか?」
ミュリエル・ヴァロ中尉が、フィリーネ・シャハト中尉の顔を覗き込んだ。
「‥‥大丈夫です」
フィリーネが、答える。
「どう見ても大丈夫そうに見えないね。すこし部屋で休んできたら? 間に合うように起こしに行ってあげるから」
ヘザーが、やさしく言った。
「はい。そうします」
力なく言って、フィリーネが待機室をあとにした。
「‥‥まずいんじゃないの?」
ミュリエルが、ヘザーを見やる。
「良くないね。よほど核兵器アレルギーが強いんだろうね」
「気持ちは判るよ。あたしだって、核を使うなんて、やだもの」
エルサが、言う。
「ほんとに大丈夫かしら?」
アレッシアが、眉根を寄せる。
「なあに、あの娘は本番に強いから。それに、ミュリエルより腕は確かだし」
ヘザーが言って、ミュリエルの腰を親しみを込めて叩いた。
「ヴェルナ。回線を切ってくれ」
ドレスラー中将が命じた。
「イエス・サー」
豊かなプラチナ・ブロンドのフィンランド人女性軍曹が、通信回線を切る。
「‥‥打てる手はすべて打ったと思うが‥‥なにか見落としはあるかね?」
ドレスラーは、傍らに立つオデール少将を見やった。
「ありませんな。あとは、あの娘たちに期待するだけです」
オデールが、きっぱりと言う。
「司令」
口髭を蓄えた男性が、作戦室に入ってくる。
「何かね、中佐」
「基地防衛配置、完了しました。イギリス軍の増援部隊も、適切な箇所に配置し、指揮統制も確立しました」
ジャック・パルマー中佐が言って、敬礼する。
「ご苦労、中佐。‥‥今度ばかりは当基地が直接攻撃される可能性が高い。頼んだぞ」
「お任せ下さい、司令」
「一応、配置状況を確認させてもらおう。レオーン。防衛配置状況をメインディスプレイに出してくれ」
「イエス・サー」
黒髪のロシア人軍曹がキーボードを操作した。すぐに、メインディスプレイの一枚に、ソード・ベースの地図に現在の防衛態勢を重ね合わせたものが表示される。固有の防空および警備戦力、エアフォース・レジメントからの増援、陸軍のスターストリークSAM中隊、ブライズ・ノートン基地の防衛隊‥‥。
「結構だ。完璧だな。引き続き、指揮を頼む」
「はっ」
パルマー中佐が敬礼し、作戦室を出てゆく。
「さすがに実戦経験豊富なだけはありますな」
オデールが、言った。
「それは言いっこなしだろ、マティアス」
小声で、ドレスラーが言う。
「そうでしたな」
オデールが苦笑する。司令と副司令に収まって大きな顔をしているが、実は二人の実戦経験は乏しい。ドレスラーはボスニア紛争で空軍の兵站責任者を短期間務めただけだし、オデールも湾岸戦争で数回哨戒飛行をしただけである。イギリス陸軍パラシュート連隊を皮切りに、SASでおおっぴらに話せない任務を複数回こなしたこともあるパルマー中佐に比べれば、ひよっ子も同然である。
「司令。HQよりデータ送信です。作戦計画案です」
スペイン人軍曹が、告げた。
「よし。セルジ、メインディスプレイにまわせ」
「イエス・サー」
メインディスプレイに、いくつかの図と文字列が表示された。今回のカピィ宇宙船および西から接近中のカピィ航空部隊に対する、急造の迎撃計画である。
「まあ‥‥現状では最善の計画でしょうな」
一通り眼を通し終わったオデールが、言った。
「同感だ。あとは‥‥神に祈るだけだな」
GMT0500。四機のNT兵器は、ソード・ベースを離陸した。
各機とも核弾頭スコーピオン二発を搭載している。その任務は、もちろん降下中のカピィ宇宙船の撃破だ。
当然ながら、ダガー・スコードロンの四機は、フレイル・スコードロンの四機と同様に、水蒸気噴射への対応を済ませていた。パイロンや主翼上面、あるいは胴体上面に大きなタンクをむりやり取り付けた、スマートとは言いかねる姿だ。
四機はイースト・アングリア沖合の待機空域で編隊を組み、レーストラック・パターンを描いて飛行し、次の指示を待った。
0522。UNUFAFHQによるレーダー観測により、カピィ宇宙船の着陸予想地点が、割り出された。
ドイツ北西部、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランス北東部。
「出番だよ、みんな」
ヘザーの声が、編隊内回線から聞こえた。
フィリーネは、腹を括った。着陸予想地点の内側には、彼女の故郷の都市があり、家があった。両親は、そこに住んでいる。カピィを阻止しなければならない。意地でも。
すでに、イングランド西部に到達したカピィの渡洋部隊は、イギリス陸軍および空軍と交戦状態に入っていた。一方、カピィ宇宙船に対する牽制攻撃を命じられたロシアを始めとするヨーロッパ各国軍は、攻撃開始命令を待ってじっと鳴りを潜めている。
0538。ダガー・スコードロンに命令が下る。
攻撃開始。
瑞樹はベローナをVLさせた。
機体を滝野中尉とその部下に任せ、他の三人と合流すると作戦室へと急ぐ。
入室すると、アークライトが目顔で隅の椅子を指した。すでに、アリサとミギョンが座っている。瑞樹ら四人は、無言のまま腰を下ろした。
「カピィ宇宙船は、ヨーロッパ北西部へ向け降下中よ。おそらくは、オランダかベルギーね」
アリサが小声で、状況を解説してくれる。
イングラム曹長となにやら打ち合わせていたアークライトが、自分で立ったままキーボードを叩き始めた。手持ち無沙汰だった矢野准将が、フレイル・メンバーに歩み寄る。
「ダガー・スコードロンが、カピィ宇宙船攻撃を命じられた。今、ソード・ベースに送られている生データをこちらでもモニターできないか工夫しているところだ。君たちにも大いに参考になるはずだからな」
「来ました!」
山名軍曹が、メインディスプレイを見上げた。
映し出されたのは、疑似3D映像だった。いくつものオレンジ色の光点と、その上に光る真紅の光点。下の方に群がる水色の光点と、その上方で徐々に動いている青い光点。
オレンジ色がフルバック。真紅が宇宙船。水色がUNの飛行隊。青が、ダガー・スコードロンだろう。
‥‥フィリーネも、出撃したのだろうか。
瑞樹は青い光点を見つめた。ダガー・スコードロン。四機のNT兵器。四人の‥‥仲間たち。
サンディが、なにやらつぶやきながら十字を切った。
四機のNT兵器は、上昇を続けた。
降下するカピィ宇宙船を護衛するフルバックの群れは、ヨーロッパ・ロシアから打ち上げられた囮の弾道ミサイル群に釣られて東方へと移動していた。残った数機が、ダガー・スコードロンに対しレーザーを撃って来たが、水蒸気噴射で超高空での機動力を確保した四機は、これを難なく躱して上昇を続けた。
高度は65kmを超えた。カピィ宇宙船は、すでに視認している。
「ダガー1より各機。発射スタンバイ。30秒にセット。近接して撃ち込むわよ」
ゾリアに乗るアレッシアが、指示を出す。
フィリーネは手早く起爆コードを打ち込み、時限信管のモードを30秒に切り替えた。
すでに、気持ちは落ち着いていた。慣れない水蒸気噴射モードだが、ベローナを意のままに操る自信はある。
降下してくるカピィ宇宙船との相対距離が、見る間に縮まる。
と、敵がレーザーを撃ち始めた。数百に上る光条が、空間を満たす。
本能的に、フィリーネは回避行動に入った。カピィの狙いは、不正確だった。だが、数があまりにも多い。弾幕に突っ込んでしまえば、お終いだ。
「2、4。右から行って! わたしたちは左から試みる!」
アレッシアの声が、聞こえる。
「2、了解」
ヴァジェットに乗るニーナの声。
フィリーネは応答しなかった。そんな余裕はなかった。
いつしか、四機はカピィ宇宙船の至近に迫っていた。近くで見るカピィ宇宙船は、禍々しいほどに巨大だった。幸運なことに、まだ誰も被弾していない。
「各機、チャンスがあり次第自由に撃って!」
アレッシアが、命ずる。
フィリーネは、ウェポン・リリース・ボタンに指を掛けた。だが、発射には至らない。回避行動に忙しく、カピィ宇宙船に機首を向けることさえままならないのだ。スコーピオンは誘導ミサイルだが、翼面操舵である。中間圏では、無誘導ロケットとほとんど変わりない。
いきなり、カピィ宇宙船が爆発した。
フィリーネには、そう見えた。ヘザーかアレッシアが、核弾頭を命中させたのだ。
やった。
だが、一瞬のちにフィリーネは自分の観察が間違いであったことに気付いた。眼にしたのは、爆発の閃光ではなかった。宇宙船の一部から放たれた、とてつもなく明るいレーザーだったのだ。
‥‥すごい。
それはレーザーというより、さながら光る長大な槍のようであった。
ヘザーの眼に、明るい光に飲み込まれて火球と化すゾリアの姿が焼きついた。
「アレッシア!」
ネメシスにも、衝撃が走る。コーションライトが一斉点灯し、機体の制御ができなくなる。
「くそっ」
口汚く罵りながら、ヘザーは機体を立て直そうとした。もはや攻撃どころではない。コントロールを失えば、いずれレーザーに焼かれる。
「3、被弾した!」
ヘザーの叫び。
「ダガー1、消えました!」
フィンランド人女性軍曹が、上擦った声で叫ぶ。
ドレスラー中将は、思わず十字を切った。傍らではオデール少将が、メルドだなんだとつぶやいている。
「フィリーネ、突っ込むよ! 付いて来て!」
ニーナが、叫んでいる。
フィリーネはなんとか機首をカピィ宇宙船に向けた。その途端、一条のレーザーがベローナの主翼を掠めた。
「あうっ」
翼端の水蒸気噴射ノズルが損傷したのか、ベローナがバランスを崩す。
「発射! 発射!」
ニーナの声。
ニーナが発射した二発のスコーピオンは、カピィ宇宙船の巨体目掛けて突進した。すぐに、レーザー弾幕が張られる。
フィリーネは機のバランスを取り戻すと、再び機首を宇宙船に向けた。
チャンスだ。
レーザーのほとんどは、ニーナの放ったミサイルに集中している。
と、再び宇宙船が明るく光った。‥‥レーザーの槍だ。
太い光条が、一瞬にして二発のミサイルを蒸発させた。その後方にいたニーナのヴァジェットも、同じ運命を辿る。
「ニーナ!」
ヘザーの声。
フィリーネは猛然と宇宙船へと突っ込んでいった。対空レーザーが、ベローナに集中し始める。
「無理だ‥‥」
ヘザーは唇を噛んだ。
なんとか機体を立て直したものの、ネメシスの操縦系統はかなりのダメージを受けていた。推進剤タンクはふたつとも損傷し、もはや水蒸気噴射は不可能だ。カピィ宇宙船はどんどん離れてゆくが、それを追う力は残されていなかった。
アレッシアのゾリアも、ニーナのヴァジェットも撃墜された。残るはフィリーネのベローナのみ。
「フィリーネ、無茶するな!」
「シャイセ!」
フィリーネの口から、似合わぬ罵り言葉が漏れる。
レーザーが、相次いでベローナに命中していた。一発目は、右主翼上面の推進剤タンクを破壊し、二発目は左垂直尾翼を消滅させた。三発目は最悪だった。ウェポンベイを扉の上から焼いたのだ。開閉機構が損傷し、スコーピオンの発射は不可能となった。
‥‥機体ごと、突っ込もうか。エルベ特別隊のように。
一瞬、そんな考えがフィリーネの頭をよぎった。
だが、核兵器のセイフティがそれを許さなかった。時限信管を作動させるには、ミサイルを発射するしかない。近接信管も同様で、事故を防ぐためにミサイル発射後でなければ作動しない。そして、ミサイルはウェポンベイ内部ではモーターに点火できない構造になっている。フィリーネがカミカゼを行っても、外壁に核物質による放射能汚染を引き起こすくらいが関の山である。もちろん、宇宙を航行して大量の放射線を浴びてきたカピィ宇宙船にとっては、痛くもかゆくもないだろう。
フィリーネは歯軋りしながら傷ついたベローナを離脱させた。
「詳細入りました。ダガー1および2、消失。3および4、損傷大。帰還中」
ソムポン軍曹が、報告する。
「失敗か」
矢野准将が言って、コンソールの端を拳で叩いた。アークライトは、一声唸っただけだった。
「消失って‥‥」
サンディが、絶句する。
「ゾリアとヴァジェット。アレッシアかニーナかエルサかミュリエルか‥‥」
アリサが、戦死した可能性のあるダガー・メンバーを列挙する。
‥‥よかった。フィリーネは、生きている。
瑞樹は安堵し‥‥同時に安堵した自分を激しく嫌悪した。二人の仲間はほぼ確実に戦死しているのだ。
「カピィ宇宙船、成層圏降下中。現在高度40km」
「UNUFAF各部隊、迎撃に入ります」
山名とイングラムの声が、交錯した。
メインディスプレイの水色の光点が、オレンジ色の光点と交じり合っている。真紅の光点は、ゆっくりと降下しつつあった。
「セルジ。ダガー3と4の状況は?」
ドレスラーは、スペイン人軍曹に尋ねた。
「3は帰還中。操縦系統に損傷あり。水蒸気噴射が不可能な模様です。4も帰還中。こちらもかなりの損傷を受けています」
「ヴェルナ。1と2は? 完全に消失したのか?」
「トランスポンダー、応答ありません。データ回線も反応なし。音声によるコールにも、応答しません」
フィンランド人女性軍曹が、答える。
「司令! 敵航空兵器が、基地上空に進入中です!」
ポーランド人女性軍曹が、叫んだ。
「反撃させろ!」
ドレスラーは、怒鳴った。
UNUFAFの各部隊が、フルバックと交戦する。
人類側は奮戦した。CDに攻撃されたとはいえ、大方のヨーロッパ人にとって、カピィの侵略は大西洋の向こう側の戦争であった。もちろん、人類対カピィの戦争であることは承知していたが、直接戦っているという実感は希薄だったのだ。第一次世界大戦や第二次世界大戦中のアメリカ本土市民の感覚に似ていると言えようか。
今まさに、ヨーロッパが直接侵略されようとしている。各国軍は、総力を挙げて抗戦した。イギリスの防衛網を突破したオハイオからのファイアドッグ編隊も、戦いに加わり、状況はさらに混沌と化した。
そんな中、カピィ宇宙船は時折行われる人類側の攻撃を難なく排除しながら、静々と高度を落としていった。
「着陸予想地点はベルギーとオランダの国境付近と思われます」
山名が、告げる。
メインディスプレイの一枚には、ライブ映像が映っていた。時折大きくぶれるところを見ると、ヘリコプターからの望遠映像のようだ。水蒸気を噴射しながら降りてくるカピィ宇宙船から、時折思い出したようにレーザーが放たれる。
「予想より西ですな」
矢野准将が、苦々しげに言う。
「四隻目のヨーロッパ着陸があるかも知れんな」
アークライトが、唸った。
「ヨーロッパまでやられちゃったら、どうなるの?」
小声で、ダリル。
「まあ、クイーンに続いてルークひとつ失った、ってところね」
サンディが、チェスに例えて答える。
ヨーロッパ各国軍の必死の妨害にも関わらず、やがてカピィ宇宙船はヨーロッパの大地にその巨体を接地させた。
「着陸地点はベルギー。北緯51度20分。東経4度56分。アントウェルペン州トゥルンハウト市北部」
山名が報告した。
「こりゃ、ソード・ベースはおしまいですね」
矢野が、頭を掻いた。
「ミシェーラ。メインディスプレイにヨーロッパ地図を。着陸地点を中心に、半径500nmの円を描いてくれ」
アークライトが、命ずる。
「イエス・サー」
イングラム曹長が、キーボードとマウスを操作する。すぐに、メインディスプレイの一枚にアークライトの注文どおりの地図が表示された。
作戦室のあちこちから、ため息が漏れる。
瑞樹も地図を見上げた。
鮮血のように赤く太い線で描かれた円は、西ヨーロッパ主要部のほとんどをカバーしていた。ブリテン島の大部分と、アイルランドの三分の二。北はオスロ近郊まで。東はポーランド西部。チェコとオーストリアのほとんど。北イタリア。フランス本土の大部分。もちろん、ドイツ、オランダ、ベルギー、スイス、デンマークなどは、そのすべてが円内に含まれている。
「入ってないのはスペインくらいね」
スーリィが、言う。
「ミシェーラ。警戒態勢解除を」
「イエス・サー」
作戦室の緊張が、わずかではあるがほぐれた。
瑞樹はこわばっていた背中を猫のように伸ばした。
「どうする?」
ダリルが、訊く。
「どうするって言われても。四隻目が来るかも知れないんだから、対策を練るしかないでしょ」
サンディが、言う。
「ダガーが敗れたのは残念だが、貴重なデータが得られたはずだ。それをわたしたちが役立てるしかあるまい」
ミギョンが、静かに言った。
「諸君」
アークライトが、フレイルのメンバーを手招きした。
「見ての通りだ。君らの姉妹飛行隊は、カピィ宇宙船に挑んだものの敗れた。いずれ、戦闘詳報がHQから送られてくるだろう。諸君はそれを検討し、有効な戦術を探ってもらいたい」
「司令。よろしいですか」
アリサが、発言の許可を求めた。
「何かね、コルシュノワ中佐」
「もはや核兵器の集中使用以外に、方法は残されていないと思いますが」
「‥‥かもしれんな。その方法も含めて、戦術を検討して欲しい。核兵器の使用に関しては、条件を緩和するようにランス・ベースを通じて上に掛け合ってみる」
アークライトが、請合った。
「やはり新兵器が出てきたか」
ティクバは唸った。
「さしもの敵の新兵器も、軍用船の前には脆いものですな」
ヴィドが、喋る。
「うむ。しかし、至近まで迫られたし、二機は取り逃がしている。油断はできんぞ。おそらく、軍用船四号にも攻撃を仕掛けてくるだろう。警告しておこう」
ティクバは、通信回線を開き、シラム船長を呼び出した。
「ご忠告には感謝します、宇宙船指揮者ティクバ」
シラムが、丁寧に喋る。
「大型機は常に船を守るように命じますし、宇宙船指揮者サンと宇宙船指揮者オブラクにも、充分な牽制を依頼してあります。作戦は成功させますよ」
「若いですな」
通信が切れると、ヴィドがそう感想を述べた。
「若さゆえの自信か? かもしれんな」
ティクバの副触腕が、鼻のすぐそばまで伸びた。
フィリーネは、傷ついたベローナをVLさせた。
すぐに、機付き長が駆け寄ってくる。
「シャハト中尉! ご無事でしたか!」
フィリーネはキャノピーを開けると、ヘルメットを取った。
「ヘル・グローマン。他のみんなは?」
「‥‥ペリーニ大尉とマリコワ大尉は、未帰還です。ベンソン少佐は、帰還中です」
ドイツ人機付き長が、ためらいがちに答える。
「そう」
フィリーネはベローナを降りた。妙に脚に力が入らない。
「フィリーネ!」
エルサとミュリエルが、駆け寄ってくる。
「フィリーネ。アレッシアとニーナが、帰ってこないよ」
エルサが、フィリーネを抱きしめた。‥‥身長差は15センチ以上ある。
ミュリエルは泣いていた。フィリーネも泣きたい気分だったが、不思議と涙は流れなかった。妙に現実感が乏しかった。感情の一部を、中間圏に置き忘れてきたかのようだ。
「ベンソン少佐機です」
整備員の一人が、ブライズ・ノートン基地の滑走路を指差す。
ネメシスが、着陸進入態勢にあった。操縦系統が故障して、VLできないのであろう。
「行こう」
エルサが、促す。気を利かせた整備班の女性下士官が、レンジローヴァーを回してくれた。三人はそれに乗って、ブライズ・ノートン基地との境界まで急いだ。
無事着陸滑走を終えたネメシスに、駆けつけたソード・ベースの整備班が群がっている。境界のゲートを抜けたレンジローヴァーは、そのそばに乗りつけた。
「ヘザー!」
真っ先に飛び降りたエルサが、走り出す。ミュリエルとフィリーネも、続いた。
「‥‥生きてるよ」
人垣の中から、ヘルメット片手にヘザーが歩んできた。エルサが、抱きつく。
「ヘザー。ニーナが、アレッシアが‥‥」
「ああ。知ってる。二人の最後を見届けたからね」
いつもより低い声で、ヘザー。
フィリーネは、呆然と突っ立っていた。何度数えても、三人しかいなかった。フィリーネを加えても、四人。いつも、六人だったのに。一緒に食事して、一緒に遊んで、一緒に笑って、一緒に苦労したのに。
ふたり、足りない。
アレッシア。
ニーナ。
不意に、フィリーネに感情が戻ってきた。みるみるうちに、涙が溢れ出す。
ヘザーが、抱きついていたエルサをやさしく振りほどいた。泣いているミュリエルの腰を慰めるように二回ほど叩く。彼女はレンジローヴァーに歩み寄ると、立ったままもらい泣きしているアフリカ系の女性伍長の手から、キーをそっと抜き取った。ヘルメットを助手席に放り、運転席に座って、エンジンを始動させる。
「フィリーネ。乗りな」
「え?」
えぐえぐと泣いていたフィリーネは、涙に濡れた顔をあげた。
「泣いている暇はないよ。乗るんだ」
食いしばった歯のあいだから搾り出すように、ヘザーが言う。
「どこ行くの?」
エルサが、訊く。
「決まってるだろ。メイス・ベースだ。カピィの宇宙船はまた来る。それも、近いうちに」
ヘザーが、断言した。
「あたしとフィリーネは、あの化け物と戦ったんだ。その経験を、フレイルの連中に伝えなきゃならない。もうこれ以上、死人は出したくないからね。ほら、早くしろ」
フィリーネは、慌ててレンジローヴァーの後席に乗った。フィリーネがドアを閉める前に、ヘザーがアクセルを踏み込む。呆然と見送るエルサとミュリエルを置いてきぼりにして、レンジローヴァーは猛然と走り出した。
「フィリーネ。あんたはサンテール中佐に言ってミラージュの準備をさせて。あれが一番速いだろう」
「うん」
ソード・ベースには、NT兵器のチェイス用に何機か航空機が配備されている。ミラージュ2000Bも、その一機である。
「あたしは司令に掛け合って、許可を貰い、フライトプランを策定する。いいね」
「わかった」
フィリーネは力強くうなずいた。涙はすでに止まっていた。
‥‥戦いはまだ続くのだ。それに、メイス・ベースにはあのひとがいる。
死なせたくないあのひとが。
第十一話簡易用語集/コンフォーマル Conformal 適応させる、などの意。軍用機の場合、過剰な空気抵抗などを生み出さないように機体外板に密着するように装着した装備を指す。/SAMサイト Surface-to-Air Missile Sites 地対空ミサイル発射施設。/オーバーウィングタンク Over Wing Tank 主翼上面に取り付けられたタンク。余談だが作者はライトニングが結構好きである(笑)/ホークのランチャー Hawk アメリカ製の地対空ミサイル。MIM−23。通常、三発のミサイルが装備されている。/アヴィオニクス Avionics 航空電子機器。/エアフォース・レジメント Air force Regiment イギリス空軍の基地防衛を任務とする空軍の地上戦力。/スターストリーク Starstreak イギリス陸軍装備の地対空ミサイル。レーザービームライディング誘導。/SAS Special Air Service イギリス陸軍特殊部隊。断じて空軍の部隊ではない。ついでに言えば特殊空挺部隊と訳すのも間違いである。たしかにSASは全員空挺章持ちだがその運用および行動内容は空挺部隊のそれとは明らかに異なる。/エルベ特別隊 第二次世界大戦末期にドイツ空軍が臨時編成した体当たり専門の部隊。目標は連合軍の四発重爆である。損害が大きい割りに戦果が少なかったので、たった一回の出撃で中止となった。/トランスポンダー Transponder 問い合わせ電波に対し所定の信号を送り返す装置。航空機の場合主に航空管制に使用される。