10 California
「昨日ふと気付いたのだが」
朝食の席で、ダリルがそう切り出す。
「なにを?」
スーリィが、訊く。
「わがフレイルには、いまだスコードロン・マークがない」
「そう言えば‥‥そうね」
瑞樹は箸を止め、小首をかしげた。
「まあ、急造の実験飛行隊だからねぇ」
定番の朝粥をすすりながら、スーリィ。ちなみに、サンディはまだ現れていない。
「そこでだ。僭越ながら、あたしがデザインしてみた」
ダリルが、胸ポケットから四つ折にした紙を取り出して、テーブルの上に広げる。
「あら、かっこいい」
図案化された横向きの女神‥‥おそらく戦女神なのだろう‥‥のバストアップ。水平よりもやや上向きに突き出された右腕は肘のところで折れ曲がって垂直に伸び、その指はフレイルの柄の部分をしっかりと握り締めている。殻物(フレイルの先端)の部分は、女神の頭の後ろで垂直に垂れ下がっている。金色をイメージしたのだろうか、全体の色合いはやや赤みがかった黄色で、輪郭線などは鮮やかな赤を使っている。
「うん、いいな、これ」
スーリィも、気に入ったようだ。
「おはよ〜。ん、なにしてんの?」
サンディが、例によってめちゃくちゃな取り合わせの食品を並べた盆を、乱暴にテーブルに置く。‥‥今日は乳製品ばかり載せてきたようだ。ミルクのかかったシリアル、チーズ、ヨーグルトのカップ。飲み物は、もちろんミルクだ。
ダリルが、自慢げにデザインを見せて、説明する。サンディが、鼻で笑った。
「機材の名称から戦女神を描き、スコードロン・ネームからフレイルを持たせる。発想が貧困ね」
「じゃあ、あんたならどんなデザインを選ぶんだ?」
いささかむっとした表情で、ダリルが訊き返す。
「‥‥って急に訊かれても、思いつくわけないわよ」
サンディが、言う。
「でも、本当にいいデザインだと思う」
瑞樹は、紙を手にとってしげしげと眺めた。
「なんか、1920年代のテキサスにあった中規模石油関連企業のロゴマークみたいだけれどね」
くすくすと笑いながら、サンディ。
「あ〜。判る判る。安物の石鹸とかにも浮き彫りになっていそうだね」
スーリィが、同調する。
「‥‥なんだよ。急に否定的意見が増えたな」
「否定はしてないわよ。ただ、工夫の余地あり、と思っているだけ」
スプーンを振り立てながら、サンディが言う。
「まあいい。あたしはこれで将軍に直訴する」
ダリルが、言い切る。
「面白い提案だな」
アークライト中将が、ダリルの説明にうなずく。
「いいデザインですな。‥‥ちょっとどこかで見たような気もしますが」
ダリルの私案が描かれた紙を手に、矢野准将が言う。
「しかしだ。スコードロン・マークと言えば、スコードロンの象徴でもあると同時に、その誇りでもある。わたしの一存では決められぬ。どうだろう、矢野准将。いい機会だから、基地内で公募を行っては」
アークライトが、言う。
「面白そうですな。やりましょう」
矢野が即座に賛同する。
「ええ〜。ってことは、あたしのデザインは没ですか?」
ダリルが、口を尖らす。
「いやいや。少佐は改めて公募に参加してくれれば良い。春彦、細かいことを頼めるかな?」
「任せてください」
フレイル・スコードロン部隊マークデザイン募集!
メイス・ベース唯一の戦闘飛行隊であり、当基地の誇りでもあるフレイル・スコードロンの部隊マークデザインを募集します。デザイン・コンセプトは自由。
応募資格 メイス・ベース勤務者
応募期間 五月末日まで
応募要項 紙に描画ないし印刷のこと デジタルイメージは不可
必ず彩色または色指定のこと
応募方法 総務部有賀中尉まで提出
選考方法 一次選考 メイス・ベース勤務者総員による投票で三案に絞り込み
二次選考 選定委員会(基地司令、副司令、フレイル・スコードロン・パイロット)以上八名による最終選考により決定
結果発表 六月三日予定
奮ってご応募下さい。お問い合わせは総務部まで。
メイス・ベースMSG業務隊総務部
「はい。たしかに受け付けました、少佐」
有賀中尉が、ダリルの差し出したデザイン画を受け取る。
「誰かほかに、応募した者はいるのか?」
「いいえ。少佐が最初です。でも、まだ五日ほどありますからね」
有賀が答える。
「うーん。まずいな」
「どうかされましたか?」
「いや。この基地には日本人が多い。デザインとか画とかいうとやたらと才能を発揮するのが日本人だからな。警戒せねば」
ダリルが腕を組んで唸る。有賀が、微笑んだ。
「そう‥‥かもしれませんね。でも、少佐のこのデザイン、素敵だと思いますけど」
有賀が、ダリルのデザインを改めて眺めた。
「そうか。有賀サンも気に入ってくれたか」
ダリルが、手放しで喜んだ。
「ええ。すっきりとしていて、無駄がなくて」
「いやー。アートを理解してくれる人と話すのは楽しいなぁ」
ダリルが無邪気に笑う。
その三日後。
「う〜」
「なに唸ってんの、ダリル」
サンディが、訊く。
「さっき総務に確認した。フレイル・スコードロン部隊マーク応募作品が、二十を超えたそうだ」
「まあ、こんなイベントそうそうないからね。みんな、お祭り気分で参加してるんじゃないのかなあ」
瑞樹は頬を掻いた。締め切りまで、あと二日である。
「瑞樹。お前は二次選考であたしのデザインを支持してくれるよな」
ダリルが、すがるような目つきで迫る。
「ま、まあ確かに素敵なデザインだったし、他にいいデザインがなければね」
「スーリィ。お前はどうだ?」
「あんなデザイン、結構好きだからね」
「ありがとう。それでこそ戦友だ」
ダリルが、瑞樹とスーリィをまとめてかき抱く。
「‥‥ちょっとダリル。そんな話は一次選考通ってからにしなさいよ」
サンディが、忠告する。
「そうだった。‥‥よし、ちょっと集票工作してくる」
ダリルが立ち上がり、そそくさとリビングを出て行った。
「集票工作?」
怪訝そうな表情で、スーリィが首をかしげる。
「大方、整備隊の連中にコークでも奢ってまわるんでしょう。買収よ、買収」
サンディが、辛辣に言う。
「でも、デザイン自体は悪くないのよね。サンディの作品」
瑞樹はそう言った。
「まあ、あの娘の才能は、認めるけどね」
サンディも、言う。
「ねえ。アリサは、ダリルのデザイン見た?」
スーリィが、隅で読書していたアリサに声を掛けた。
「そうね。いいデザインだけど、あまりにも平凡すぎるわね」
本に丁寧に栞を挟んだアリサが、言う。
「平凡?」
「ダリルのデザインじゃ、複葉機の飛行隊でもおかしくないじゃない。もっと、ハイテクノロジー風味でなきゃ。わたしのデザインだと‥‥」
「アリサもデザインしたの?」
瑞樹は眼をむいた。
「ええ。もう提出済みよ」
「あちゃ〜。ダリルが知ったら落ち込むぞ」
くすくすと笑いながら、スーリィ。
六月一日。
フレイル・スコードロン部隊マーク選定第一次選考当日。
管理棟一階通路の壁に、寄せられた三十を超えるデザインが一斉に張り出された。公平を期すために、いったんすべてスキャナーでデジタル化されたのち、ほぼ同一スケールでプリントアウトされたものが、掲示されている。投票そのものは、総務部が管轄した。
昼食後、瑞樹ら四人は掲示を見に行った。ほぼ九十パーセントが、フレイルを手にした女神を描いたものだ。
「パクリだ! みんなあたしの真似してる!」
ダリルがわめく。
「ほう。やるじゃない、アリサ」
サンディが、言う。
アリサのデザインも、戦女神とフレイルをモチーフにしていたが、戦女神がほぼ全身を覆う西洋式甲冑を着込んでいるところがユニークだった。ヘルメットの後ろからは、はみ出した長い青紫の髪がたなびいている。顔はほとんどが隠れているが、目庇の下にある眼だけが見えており、その色は真紅だった。
「うわ。かっこいい」
瑞樹は思わずそう言った。後ろでダリルが渋い顔をする。
「あら〜」
スーリィが素っ頓狂な声をあげ、一枚の紙を指差した。
「なに?」
サンディが、指の先を見る。瑞樹もアリサの作品から眼を逸らすと、そちらを見た。
そのデザインも、戦女神とフレイルというモチーフだった。ただし、女神はかなり幼い感じに見える。手にしたフレイルも柄が短く、むしろ鞭のようにも見える。
ミギョンの作品だった。
「‥‥いつの間に」
ダリルが、絶句する。
「じゃあ、投票に行きましょうか」
サンディが言って、歩き出した。
「みんな、頼むぞ。仲間だろ!」
ダリルが、泣き落としにかかる。
「うんうん。アリサもミギョンも仲間だしね」
からかう口調で、スーリィ。
「瑞樹! あたしは信じてるよ!」
ダリルが、瑞樹の袖口をはっしと掴む。
「‥‥大丈夫だって」
瑞樹は頬を掻いた。
フレイル・スコードロン部隊マーク選定一次投票結果
有効投票数 二百十二票 無効 三票
第一位 業務隊総務部 クム・ジニ軍曹案 二十六票
第二位 MG整備隊 秋田 雅紀軍曹案 二十二票
第三位 フレイルSQ ダリル・シェルトン少佐案 十九票
第四位 MSG通信班 マウロ・エスカルパ伍長案 十五票
第五位 フレイルSQ アリサ・コルシュノワ中佐案 十二票
以下割愛
第一次投票の結果、上位三案(クム軍曹案、秋田軍曹案、シェルトン少佐案)が
二次選考の対象となることに決定しました。なお、公平を期すためシェルトン少佐は
二次選考には加わりません。
メイス・ベースMSG業務隊総務部
「見事に票がばらけたわね」
張り出された表示を見ながら、サンディ。
「十二票か。まだまだね」
アリサが、肩をすくめる。
「う〜む。三位とは意外だったな」
表示を睨みつつ、ダリルが唸る。
「集票工作が足りなかったんじゃないの?」
皮肉めいて、サンディ。
「‥‥おそらくそうだろう」
「認めたよ、この娘は‥‥」
「ともかく、二次選考には残ったわけだ。ということで」
ダリルが、残る五人を見て笑顔を見せる。
「‥‥なにか奢ろう」
「いきなり買収かよ」
サンディが、突っ込む。
「悪いけど、選考は厳正にやらせてもらうよ」
スーリィが、言う。
「そこをなんとか」
「あんたねえ‥‥」
「まあ、あたしたちは添え物みたいなものよ」
瑞樹は、そう言った。
「実際選ぶのは、司令と副司令なのよ」
「そうだな。トップだけで選ぶとあとあと文句言う奴が出てくる。我々は、いわば安全弁だ」
ミギョンが、言う。
「では、フレイル・スコードロン部隊マーク選定二次選考を開始します」
司会進行を任された有賀中尉が、宣言した。左隣には、書記役の美羽が、ちょこんと座っている。
長いテーブルには、アークライト中将、矢野准将、それにフレイル・スコードロンの五人が座っていた。もちろん、ダリルはオミットされている。
「あらかじめお配りしてある三枚が、一次選考を突破した三案です。ご覧下さい。段取りとしては、しばらく全員でデザインを評価していただいてから自由に議論していただき、その後各自一票ずつの投票を行い最終決定とさせていただきます。なお、議論の段階で一案に絞れた場合は、この限りではありません」
有賀が説明する。
瑞樹は三案をじっくりと見比べた。ダリルの案は、以前朝食の席で見せられたものと寸分違わない。いかにもすっきりとしたデザインだ。赤と黄色の組み合わせも、映える。
一次選考で一番人気だったクム軍曹案は、デザイン的にはダリルのものとよく似ていた。だが、戦女神の横顔はダリルの案より写実的だ。左手には丸盾を持っているし、右手のフレイルも頭の上で振り回しているように描かれている。全体の色調は、白をハイライトに多用した銀だ。
秋田軍曹案は、コミカル路線だった。三頭身くらいのアニメ顔の可愛い戦女神がフレイルを振り回しているところを、正面から描いている。‥‥なんだか、どこかのRPGのキャラクターみたいだ。
「迷うな。いっそ、二次選考も全体投票にしたほうが良かったんじゃないか?」
アークライトが、苦笑する。
「それも考慮したのですが、提案者の人気投票になっても困りますので」
生真面目に、有賀が答える。
「提案者名を伏せるわけにもいかんしな」
同じく苦笑して、矢野。
「ま、君たち若い人の忌憚のない意見を聞きたいな。将来的には、君らの機体に描かれるかも知れないのだから」
アークライトが、フレイルの五人に水を向ける。
「どうせロービジ(低視認性)でしょうがね」
矢野が、まぜっかえした。
議論は三十分ほど続いた。秋田軍曹案は、フレイル・メンバーには受けが悪く、早々に脱落した。残るシェルトン少佐案と、クム軍曹案とが詳細に検討される。
「うーん。どちらも好きなデザインなんだがな」
矢野准将が、唸る。
「どうやら、最終投票しかないようですね」
有賀中尉が割り込んだ。
「あの‥‥」
美羽が、すっと挙手した。
「発言、よろしいでしょうか」
有賀中尉が、アークライトに視線を送る。かすかなうなずきが返ってきたのを確認してから、有賀が発言を許可した。
「どうぞ、福西軍曹」
「どうせなら、この二案を基にして、シェルトン少佐とクム軍曹に共同でデザインをお願いしてみてはいかがでしょうか?」
美羽が、真剣な表情で言う。
「‥‥なかなかとっぴな発想だな」
アークライトが、微笑む。
「でもそれでは、規定に反するかと‥‥」
サンディが、言う。
有賀中尉が、ファイルの中を探って、二枚の紙を抜き出した。
「‥‥一次選考 メイス・ベース勤務者総員による投票で三案に絞り込み。二次選考 選定委員会(基地司令、副司令、フレイル・スコードロン・パイロット)以上八名による最終選考により決定。‥‥第一次投票の結果、上位三案(クム軍曹案、秋田軍曹案、シェルトン少佐案)が 二次選考の対象となることに決定しました。と、なっていますね。上位三案から一案を選定する、とは明記してありませんから、拡大解釈すれば二案を融合させると決定したとしても問題は生じないでしょうね」
「う〜ん」
矢野准将が、唸る。
「問題は、ダリル‥‥いえ、シェルトン少佐とクム軍曹が承諾するかどうかでしょうね」
スーリィが、意見を述べる。
「そうだな。‥‥この共同制作案に積極的に反対のものはいるかね?」
アークライトが、訊いた。全員が、沈黙を守る。
「よし。では二人をここへ呼んで、共同制作の可能性を検討する。もしそれが不可能ならば、二案の決選投票。これでどうだね?」
全員が、賛意を示した。
「‥‥共同制作ですか?」
ダリルが、驚きの表情を浮かべ、横に立つ小柄なクム・ジニ軍曹をちらりと見やった。
「可能でしょうか?」
有賀中尉が、訊く。
「う〜ん。この娘しだいと思うんですけど」
ダリルが、唸りつつクム軍曹を見つめる。
「少佐がよろしければ、わたしは喜んで共同制作させていただきます」
子供っぽい声で、クム・ジニが言う。
「よろしい。では、有賀中尉。投票を」
「はい。それでは、シェルトン少佐とクム軍曹による部隊マーク共同制作案に賛成の方は、挙手を願います」
全員の手が、挙がった。
「結構。では改めて、君たちにフレイル・スコードロン部隊マークのデザインを依頼する」
アークライトが、ふたりに向き直った。
「条件としては、シェルトン少佐案およびクム軍曹案を基にして、このデザインから大きく逸脱しないこと。デザイン内容について、今後当委員会より指摘があればこれを修正すること。六月三日までに完成させること。以上だ。やってくれるね」
「イエス、サー」
「はい、頑張ります!」
「は〜」
ぐったりとした表情で、ダリルが夕食の席に現れた。
「お疲れ〜」
瑞樹は椅子を引いてやった。ダリルがトレイを置き、どしんと腰を下ろす。
「どう? うまく行ってる?」
すかさず、スーリィが訊く。
「終わったよ。‥‥仕事早いわ、あの娘」
ダリルが、コーヒーに口をつける。
「それで、最終的にどんなデザインになったの?」
サンディが、訊く。
「ほれ」
ダリルが、胸ポケットから四つ折の紙を出した。受け取ったサンディが、広げる。
「なんだ、ほとんどジニのデザインじゃない」
「これだから、芸術音痴は」
ダリルが、盛大にため息をつく。
「よく見なよ。色合いが銀を基調としたものに変わったから、ジニのデザインに見えるだけ。ベースは、あたしのデザインだ」
「あ、ほんとだ」
瑞樹は紙を見つめた。たしかに、女神の横顔を始めとしてほとんどがダリルのデザインと一致している。だが今度の図案では、女神が丸盾を持っているし、振り上げたフレイルの様子もジニのデザインから取られたものだろう。
「まさに合作ね」
スーリィが、言う。
「で、どう? 委員会としては、このデザインで納得する?」
ハンバーガーに取り掛かりながら、ダリルが訊く。
「いいんじゃない。かっこいいよ」
「あたしはこれでいいと思う」
「ま、合格ね」
フレイル・スコードロン部隊マーク決定の経緯
去る六月一日に開かれた選定委員会(委員長アークライト中将以下七名)において、一次選考で選ばれた三案(クム軍曹案、秋田軍曹案、シェルトン少佐案)を比較検討の結果、クム軍曹案とシェルトン少佐案の両案を融合させたものが部隊マークに相応しいとの決定が下されました。委員会はシェルトン少佐、クム軍曹に再デザインを依頼、完成した新デザインを全員一致でフレイル・スコードロン部隊マークとして選定しました。
新デザインは別紙に記載の通りです。
各員の協力に感謝します。
メイス・ベースMSG業務隊総務部
「え〜、せっかく決まったのに描けないんですか?」
ダリルが、むくれる。
「一応司令が上まで照会してくれたそうだがな」
上田中佐が、頭を掻いた。
「NT兵器に関しては、許可が下りなかったそうだ」
「ロービジでも、だめなんですか?」
サンディが、訊く。
「観測性の問題じゃないんだよ、中尉。秘匿のためなんだ」
上田が、そう応える。
いまだフレイル・スコードロンの存在は‥‥もうかなり世間一般に情報が流れているようだが‥‥機密事項である。NT兵器に部隊マークを描けば、当然部隊の存在確認や機体の特定に繋がる。
「まあ、いずれ機密解除になったら、部隊マークでもシャークマウスでもお好みのものを描いてやる。だから、今は我慢したまえ」
「ノーズアートもOKですか?」
上田中佐に、ダリルが訊く。
「上の許可が出ればね」
「ノーズアートって‥‥なに描いてもらうつもり?」
胡散臭そうに、サンディが訊く。
「‥‥なんかこう、日本的なものがいいな」
ダリルが、顎に手を当てて考え込む。
「また、サムライとかニンジャとか恥ずかしいものを描くんじゃないでしょうね」
サンディが、からかう。ダリルが、呆れたように肩をすくめた。
「これだから、芸術センスのないやつは困る。ノーズアートの定番といったら美女だろう。日本的だから、セーラースーツでキャットイアー付きの美少女とか‥‥」
「それじゃあ痛機だよ‥‥」
瑞樹は耳を塞いだ。
「回線、繋ぎます」
技術員が、喋った。
ティクバは無言で壁のディスプレイを見つめた。三つのディスプレイが一瞬瞬き、それぞれに三体のカピィが映る。
第二次船団軍用船三隻の各船長。オブラク、サン、シラムの三体である。
「久しぶりですな、宇宙船指揮者ティクバ」
三体の中でももっとも先任のオブラクが、最初に口を開いた。
四人の船長は、しばらくのあいだ儀礼的な挨拶を続けた。タイムラグは、わずか数秒しかない。すでに地球にそれほど遠からぬ位置まで接近しているのだ。ただし各船とも常に月の陰に隠れるような軌道を取っているので、地球外に観測拠点を持たぬ人類に接近を悟られるおそれはない。
「頂いたデータを分析しましたが‥‥かなりご苦労されたご様子で」
慇懃な口調で、シラム。
ティクバは四体の中では最も先任である。したがって、第二次船団の船長たちいずれもが、ティクバに対し恭しい態度を見せている。だが、その裏側にある侮蔑の感情を隠し通すことはできなかった。‥‥要するに、彼らはティクバの任務が失敗したと考えているのだ。実際、失敗しているわけだが。
だが、それをあっさりと認めることはできない。
「たしかに当初計画通りには行っていない。当初計画における敵戦力の見積もりは、最大でも現状の数十分の一だからな。六十億の人口と、初歩的ながら宇宙航行技術を有する知的種族との全面戦争は、想定されていない」
ティクバはそう抗弁した。
「戦端を開く以外の選択肢はなかったのですか?」
サンが、尋ねる。
「戦略方針では知的種族との交渉は、相手が少数かつ弱体であった場合のみ許されていた。本職は、戦略方針からの逸脱の必要性を認めなかった。それだけだ」
ティクバはきっぱりと言い切った。市民によって決定された戦略方針を、戦士たるティクバが変更することは、よほど重大な不測の事態が招来しない限りありえない。
「たとえ戦略方針に積極的交渉が含まれていたとしても、データを分析した限りでは、人類相手の交渉は難しいと推定しますが」
シラム船長が、喋る。
「ですが、こちらの損耗を防ぐ意味でも、将来的には人類との交渉も視野に入れるべきだと愚考しますが」
サンが、喋る。
「宇宙船指揮者サンは、戦略方針の変更を具申されるおつもりですかな?」
ティクバは、訊いた。
「そこまでは‥‥。あくまで、将来的に交渉の可能性を否定しないということです」
サンが、鼻をうごめかす。
「まあ、そのことは後に回しましょう。それより、第二次船団の着陸計画を決定する方が先です」
オブラクが、そう提案する。他の二人も、右前肢を動かして賛成した。
「宇宙船指揮者ティクバ。貴殿が作成した第二次船団着陸プランですが‥‥場所の選定には、本職も賛成です」
オブラクが、喋る。
「ですが、三隻同時着陸はいかがなものでしょうか。それでは、貴殿の充分な援護を受けられません」
「確かにそうだが、奇襲効果と自前の大型機の援護で切り抜けられるだろう」
ティクバは指摘した。
「むしろある程度の間隔をあけて、順次着陸した方が確実ではありませんか。例えば、地球の一日くらいの間をとって。そうすれば、後続の船は充分な援護を受けられる」
シラムが、提案する。
「本職は反対する。間隔をあければ、人類側は何かしら新たな手を考えてくるだろう。奴らの創意を侮ってはいかん」
ティクバの脳裏には、人類の新兵器の姿がちらついていた。あれはおそらく、開戦後に開発されたものであろう。時間を与えれば、人類は必ず何らかの対応策を編み出してくる。これまでの戦闘の経緯から、ティクバはそう確信していた。
「本職は宇宙船指揮者シラムに賛成ですな。宇宙船指揮者ティクバの指揮下の戦力はかなり損耗しておられるようだ。やはりここは、慎重に地上戦力を増やしつつ、航空兵器で援護させるのが上策と思われます」
やや皮肉をこめた口調で、サン。
「しかし、奇襲効果が失われた場合、人類側も戦力を集中して攻撃してきますぞ」
ティクバは食い下がった。
「むしろ、いい機会ではないですか?」
オブラクが、喋る。
「人類の予備戦力を引きずり出して叩くことができれば、形勢は一気に我々に有利になる。そうすれば、市民が到着する前に地球を制圧することが可能になるやも知れぬ」
シラムとサンが、オブラクの提案に賛意を示す。ディスプレイに映ってはいないが、彼らの右前肢は振られていることだろう。
状況は、ティクバに不利であった。
‥‥ここは折れるしかあるまい。
「よろしい。第二次船団の着陸は、一日以上の間隔を開けて行うとしましょう。よろしいか」
「あんた、刑務所何回目?」
あきれた口調で、サンディ。
「六回目、かな」
ダリルが、大人しく刑務所に入る。
瑞樹はサイコロを振った。四と二。六マス進んでインディアナ通り。自分の地所である。
サンディが、サイコロを振った。六と五。十一マス進んで共同募金。治療費50ドル。
すでに夕食も終わり、あとは寝るばかりであるが、まだ少し早い。フレイルのメンバーはリビングでゆったりとした時間を過ごしていた。アリサはいつもの隅でロシア語の分厚い本を読みふけっている。ミギョンはコーヒーテーブルで手紙を書き綴っている。四人組は、モノポリーに興じていた。ちなみに、スーリィはサンディが建てたパーク・プレイスのホテルにあえなく撃沈され、すでに破産済みだ。
ダリルがサイコロを振ったが、ぞろ目は出なかった。瑞樹は、小さい数が出るように念じながらサイコロを投じた。‥‥五と三。サンディの家が三件建つパシフィック通りだ。
瑞樹から札を受け取ったサンディが、すかさずテネシー通りとパシフィック通りの家をホテルに建て替える。‥‥どうやら、この勝負はサンディの勝ちらしい。
と、いきなり壁のスピーカーがごとりと音を発した。
六人の眼が、一斉にそちらへと向く。
「フレイル・スコードロン・パイロットは、総員直ちに作戦室に出頭。繰り返します。フレイル・スコードロン・パイロットは、総員直ちに作戦室に出頭」
ミシェーラ・イングラム曹長の声だった。
「なんだろ?」
訝しげな表情で、サンディが立ち上がる。
「こんな時間に、呼び出しかよ?」
文句を垂れながらも、ダリルも立ち上がる。
「直ちに、って言ってたわね。まさか、カピィが攻撃してきたんじゃ‥‥」
スーリィが、言う。
「まさか。それなら、作戦室じゃなくてブリーフィングルームか待機室集合になるでしょう」
瑞樹はそう指摘した。
作戦室の対爆扉の前には、いつもと違って警備班員の姿があった。しかも、抗弾ベストを着込んでTMPサブマシンガンを吊るという物々しい姿だ。一応六人全員のIDをチェックしてから、テンキーパッドにロック解除の数字を打ち込む。
「来たか。入りたまえ」
矢野准将と額をつき合わせてなにやら話していたアークライト中将が振り返り、六人を手招きする。
作戦室は慌しかった。コンソールのほとんどに、誰かしら座っている。ソン大佐や、チョープラー大尉、クルーズ中尉の姿も見えた。ディスプレイは一枚残らず点いている。
「説明しよう」
アークライトが、空いている隅のコンソールに腰を下ろし、六人に周囲に寄るように手振りで示した。キーボードを操作し、ディスプレイに画像を呼び出す。
「GMT1042、つまり今からざっと三十分前に、中国とインドの天文台が相次いで月に異変を認めた」
ディスプレイに、月の姿が映った。あまり鮮明な画像ではないが、影になっている部分に顕著な光点が認められる。
「さっそく、UNUFAFが調査した。光学およびレーダー観測の結果、この光点はある種の人工物‥‥おそらくは宇宙船と判明した。現在、当該目標は高速で地球へと接近中だ。このまま行けば、三時間以内に大気圏外縁に達するだろう」
静かな声で、アークライトが告げる。
「‥‥敵‥‥なのですか?」
サンディが、喘ぐように問いを発する。
「正確には、まだ正体は不明だ。HQでは各種電磁波による接触を試みたが、いまだ応答はない。だが、レーダー観測の結果、その形状および想定質量がクリントンのカピィ宇宙船とほぼ等しいことが確認された。おそらくは同型、少なくとも同級の宇宙船と見て間違いなかろう」
「やっぱカピィの連中かよ!」
吐き捨てるように、ダリル。
「カピィの後続部隊。恐れていたことが、現実になったわけね」
達観したのか、アリサが他人ごとのように言う。
「でも、司令。本当に敵なのでしょうか」
自信なさげに、スーリィが訊く。
「ひょっとすると、あたしたちを助けに来てくれた別の異星人かもしれない」
「んな都合のいい話があるわけないでしょ。ハリウッド映画じゃあるまいし」
ダリルが、即座に否定する。
「シァ大尉の気持ちは判るが、接近しつつある宇宙船のスペックが、クリントンのものと類似しているのだ。第二波の占領部隊と見るほうが、自然だな」
「しかし‥‥宇宙船自体は規格品で、乗っている生命体は別な可能性もあります。それに、もしかすると、カピィにも善人がいるかもしれない‥‥」
スーリィが、言う。
「だとしたら、ありがたいが。しかし現状では、接近しつつある宇宙船は敵であると言う前提で対応するしかない」
アークライトが、腕を組む。
「着陸を狙っているのでしょうか?」
瑞樹は、そう訊いた。
「おそらくな」
「では、どこに‥‥」
「わからん。だが、予測は可能だ」
アークライトの指が、キーボードを叩いた。ディスプレイに新たなウィンドウが開き、世界図が表示される。カピィ占領地区が赤く塗られた、おなじみのやつだ。クリントンに、小さな白い五芒星が光っている。
「矢野准将の意見では、ヨーロッパに着陸する可能性が高い。おそらくは、北ドイツ平原西部」
カーソルが、ドイツとポーランドの国境付近で瞬く。
「北米では、おおよそ半径700ないし800nmの範囲を、カピィは制圧ないし影響下に置いている。これを、ヨーロッパに当てはめると‥‥」
ヨーロッパに、半透明の赤い円が描かれた。イギリスとフランスの主要部、イタリア北部、スカンジナビア南部。ベネルクスやドイツ、ポーランド、スイス、オーストリアなどは完全に円内だ。東欧諸国の三分の二も、そこに含まれる。東端は、モスクワに届いていた。
「壊滅だな」
ミギョンが、ぼそりと言う。
ヨーロッパ主要国で無傷で残るのは、スペインくらいしかない。
「アジアが狙われることはないのでしょうか?」
サンディが、硬い声で訊く。
「あり得る。まあ、その時は君たちの出番だが」
「‥‥司令。北米に着陸する可能性はないのでしょうか?」
アリサが、口を挟んだ。
「オハイオという中途半端な着陸位置が、前々から気になっていたのですが」
「君もそう思うか。実は、わたしもだ。今回の奴は北米に着陸すると、わたしは睨んでいる」
アークライトが、言う。
「どういうことですか?」
眉根を寄せて、サンディ。
「地図を見れば判るとおり、クリントンという着陸地点は、北米制圧を狙うには決して好適な位置とはいえない」
アークライトが、説明した。
「アイオワやミズーリなら判る。北米の中央だからな。なぜオハイオなんだ? 確かに、北東部と中西部、それにワシントンを早期に押さえたいのであれば、理解できる選択だ。だが、合衆国の政治経済を麻痺させただけでは、地球制圧は不可能だ。なぜ? そう考えると‥‥」
カーソルがつつーっと動いて、アリゾナ北部あたりで点滅した。
「オハイオの対称点。おそらく、このあたりに着陸すれば、北米完全制圧は可能だろう」
「あちゃ〜」
アリゾナ生まれのダリルが、頭を抱える。
「もっとも、カピィの戦争目的が判然としない現状では、わたしの推測も当てにはならんがな」
自嘲気味に、アークライトが言う。
「しかし少なくとも、その戦略目的は占領地域の拡大にあることは明白だ。よって、北米の完全制圧が当面の目標であるとの推測は、それほど外れていないだろう」
「では、フレイルの北米緊急派遣を要請してはいかがでしょう」
サンディが、具申した。
「いや。支援体制が整っていない現状で派遣しても、戦力にはならんよ。それに、HQからは基地の防衛に最大限努力すべしとの命令が届いている。‥‥では、命令を伝達する。諸君らは、フォコンを含む空対空装備で2200に離陸。空中待機せよ。優先任務は、当基地の防衛。迎撃可能範囲に敵宇宙船が出現した場合は、状況によりこれを迎撃する任務を与える場合がある。出撃メンバーの人選は、君たちに任せる。以上だ」
アークライトが、身振りで解散を命じた。
「えらいことになったわね‥‥」
待機室でフライトスーツに着替えながら、スーリィがつぶやくように言う。
「たった一隻であんなに苦労してるのに、二隻目が現れるなんてねぇ」
ため息混じりに、瑞樹は応じた。
「いや。三隻目、四隻目が現れてもおかしくない」
例によってポーカーフェイスのまま、ミギョンが恐ろしいことを口にする。
「‥‥そんなことになったら、それこそ人類おしまいじゃない」
サンディが、あきれたように言う。
結局、出撃のメンバーはいつもの四人になった。まあ、これがフレイルの実質上のベストメンバーだから、当然だが。
「雨の様子は、どう?」
瑞樹は、サポート要員として待機しているアリサに訊いた。
「このまま夜半まで降り続くそうよ。雲量は多いし雲高も低いけど、飛行に支障がでるほどじゃないわ」
手にしたクリップボードに眼を落としもせずに、アリサが答える。
「まずいよまずいよ」
わめきながら、ダリルが待機室に闖入してくる。
「なによ?」
「北米西部全域で、カピィが急に攻勢を強め始めてる。どうみても、牽制行動だ」
ダリルが、早口で告げる。
「‥‥ってことは、司令の勘が当たったってこと?」
サンディが、訊く。
「たぶんね」
瑞樹も同意した。
日本時間2200。四機のNT兵器は、フォコンとスイフトを満載して離陸した。
指定された待機空域は、東シナ海だった。もし宇宙船が東アジアを目標としたら、その着陸地点は日本ではなく中国のどこかになる可能性が高いと判断されたためである。
すでに、多くの各国空軍機が空中待機を始めていた。海軍艦艇も、港を出て洋上で待機しているはずだ。地対空ミサイル部隊を始めとする地上部隊も、同様である。
「‥‥カピィとの戦いの前に、眠気と戦う必要があるわね」
瑞樹はつぶやいた。早寝早起きが習慣付いているので、このくらいの時間になると自然に眠気が襲ってくる。午前零時くらいまでは自信があるが、それ以降となるといささか心もとない。一応、特効薬として無糖ブラックの缶コーヒーを一本忍ばせてきたが、はたしてどうなることやら‥‥。
「しかし‥‥どうやったら、フォコンで二億トンの化け物を倒せるのよ」
フライト内交話で、サンディが愚痴る。
「これは‥‥本気で核に頼らないと駄目かもしれないな」
相変わらず冷静に、ミギョン。
「でも、そんなことしたら、汚染が‥‥」
「いや。大気圏上層で迎撃すれば、その被害は僅少だろう」
ミギョンが、瑞樹の言葉を遮って言う。
暗い気持ちのまま、四機は待機飛行を続けた。2228時に、メイス・ベースより指令が来る。
「フレイル・フライトは速やかに基地に帰投せよ」
ベローナをVLさせて、キャノピーを開ける。
「状況は?」
駆け寄ってきた滝野中尉に、瑞樹は尋ねた。
「目標の降下先は北米と判定されました。フレイル・フライトは一時間待機。パイロットは全員作戦室へ出頭とのことです」
早口で、滝野が答える。彼女の部下は、早速機体に取り付いて点検にかかっている。
「了解」
瑞樹は降機準備を済ませると、ヘルメットを取った。
「司令!」
NT兵器を降りた四人は、作戦室に駆け込んだ。
「目標は合衆国南西部に降下中だ。座りたまえ。もはや見守るしかすべはない。‥‥いや、祈るすべしかないと言った方がいいかな」
アークライトが乾いた声で言い、隅のパイプ椅子を顎で指した。
そこにはすでに、ダリルとアリサが座っていた。瑞樹ら四人は、大人しくそこに腰を下ろし、明滅するディスプレイを見上げた。
メインディスプレイの一枚には、北米の地図が映っていた。赤い楕円が、ユタ州からアリゾナ州、ネヴァダ州の東部、北部を除くカリフォルニア州、カリフォルニア半島などを覆っている。
「司令の予想が的中したわ」
アリサが、小声で説明する。
「ダリル、あなた家族が‥‥」
サンディが、ダリルを見た。
「ここだけの話だが‥‥」
ダリルが、声を潜めた。
「さっき、こっそりメール送っといた。実は、いざと言う時の隠語を決めてあったんだ。今頃、メキシコ目指してフリーウェイをひた走ってるよ」
「そう。よかった」
サンディが安堵の表情を見せる。
作戦室は、大勢が詰めているわりに静かだった。イングラム曹長率いるオペレーター陣は、断片的に入ってくる情報をまとめたり画像化したりするのに忙しく、キーボードを叩きまくっているが、その他の人々は無言でメインディスプレイやコンソールのディスプレイを見つめ続けている。‥‥もはや、メイス・ベースに打つ手はないのだ。
瑞樹は慄きを感じながら室内を眺めた。アークライト将軍は、メインディスプレイに視線を据えたまま、微動だにしていない。矢野准将は、火の点いていない紙巻煙草をくわえたまま、後ろ手を組んでうろうろと歩き回っている。ソン大佐は、隅のパイプ椅子に座って瞑目している。クルーズ中尉は、ハンカチでしきりに額や首筋を拭っている。壁際に立っているチョープラー大尉も、緊張した面持ちだ。
「司令。ランス・ベースより通信です。ガン大将が、回線4に出ておられます」
コンソールに着いていたソムポン軍曹が、アークライトに告げた。中将が空いているコンソールに歩み寄り、腰を下ろす。
手すきの者の視線が、アークライトに集中した。
「はい。了解しました。ただちに受け入れ準備を開始します」
通話は短かった。アークライトが、回線を切って立ち上がった。皆の視線が集中していることに気付き、顔を上げる。‥‥表情に、わずかだが狼狽の色があった。
「ああ、諸君。UNUFHQが、NAWCおよびNASCに核兵器の使用を許可した」
「核兵器!」
何人かが、叫ぶ。
「いや、全面的使用ではない。大気圏上層部に限っての限定的使用だ。当該目標以外のカピィ宇宙船降下に備えて、当基地へも核兵器が搬入される。二時間以内に、ランス・ベースから輸送機が飛び立つはずだ。‥‥ソン大佐。ただちに事前計画に従い、核兵器受け入れ態勢に移行してくれ」
「イエス・サー」
弾かれたようにソン大佐が立ち上がり、さっと敬礼すると大股に作戦室を出て行く。
「山名軍曹。上田中佐を至急よこしてくれ」
「かしこまりました、サー」
「やっぱり、最後は核頼みか‥‥」
ダリルが、つぶやくように言う。
モンタナ州カスケード郡グレートフォールズ。
マルムストローム空軍基地から発射されたミニットマンIII ICBMは、総数四十八発。そのすべてに、300キロトンの核弾頭三発が収められている。
大気圏上層に達したカピィ宇宙船は、その船内から四十機近いフルバックを出撃させていた。十数機が、着陸地点掃討の任務を帯び、一足早く大気圏を突破する。残余の機体は、直衛として宇宙船の周囲を囲む。
ICBMが、降下するカピィ宇宙船目掛けて突っ込んでゆく。フルバックが、レーザー弾幕を張る。‥‥大気が薄いので、レーザーの減衰は少ない。
直撃されたICBMが、次々と進路を外れてゆく。それでも、数発はフルバックの防衛網を突破し、宇宙船に迫り、弾頭を放出した。
宇宙船自体の防御システムが、稼動した。強力なレーザーが、多数放たれる。直進するだけの核弾頭は、次々と破壊された。
「弾道弾攻撃、失敗の模様」
モニターしていたチャン・リィリィ軍曹の声が、静まり返った作戦室に響く。
「第二波、接近中」
山名軍曹の声。
カリフォルニアおよびネヴァダの基地から飛び立ったB−1爆撃機の群れが、高度を上げる。搭載するのは、AGM−86を固体燃料ロケット化し、さらにブースターをつけたAGM−86Fである。
「ファイアドッグ編隊多数が、接近中」
オハイオから出撃した百機を越えるファイアドッグが、損害を省みず西方へと進出し、ネヴァダ南部へと進入していた。アメリカ空海軍機を中心とする迎撃部隊が、爆撃機を護る為に激しい戦闘を繰り広げる。
「無理だ‥‥」
スーリィが、つぶやく。
上昇を続けるB−1の前に、フルバックが立ちはだかった。直衛のF−22が攻撃するが、歯が立たない。
メインディスプレイ上の北米地図に表示されていた赤い楕円が、一気に縮んだ。カリフォルニア中部、やや南寄りに小さく表示される。
「フレスノとベーカーズフィールドのあいだね。思ったより、海岸寄りだわ」
サンディが、言う。
「合衆国は、終わったな」
ぼそりと、ミギョン。
カリフォルニアにカピィの拠点ができれば、西海岸はすぐにも制圧されるだろう。合衆国領土は、ハワイを始めとする太平洋の島々とアラスカ、それにプエルトリコくらいしか残らない。
「軍用船二号、現在のところ被害僅少。順調に降下中です」
技術員が、報告する。
「人類側航空兵器、ほぼ壊滅。しかしながら、わが方の戦闘機の被害も甚大です」
もう一体のカピィ技術員が、告げる。
「いたし方ありませんな」
ヴィドが喋って、同意を求めるかのようにティクバを見た。
「ああ。仕方あるまい」
ティクバは右前肢を振って同意した。
今までのところ、作戦は順調に推移していた。地球人類の抵抗は激しかったが、それは想定の範囲内だ。第三大陸に第二の拠点を築ければ、その完全制圧は時間の問題だろう。
「カピィ宇宙船、高度1万を切りました。減速中です」
イングラム曹長の声。
メインディスプレイには、着陸するカピィ宇宙船のライブ映像が入っていた。衛星ではなく、海底ケーブルで送られてくるものだ。地上から望遠で撮っているらしく、やや不鮮明だが映像にぶれはない。
尾部から盛大に白い水蒸気を噴射しながら、静々とカピィ宇宙船が下りてくる。日本人が見るとサトイモを連想するその形状。鈍く輝くグレイの船体。‥‥まさに、クリントンに鎮座しているカピィ宇宙船と瓜二つだ。
「高度5000!」
イングラム曹長が、告げる。
瑞樹は素早く作戦室内を見渡した。アークライト中将は、やや据わり気味の眼で着陸するカピィ宇宙船を見つめている。矢野准将は歩き回るのをやめ、しきりに薄い頭を掻いている。チャン・リィリィは顔を両手で覆ったままだ。クルーズ中尉の顎から、汗が一滴きらめきながら落ちた。
瑞樹はフレイル・メンバーに眼を移した。サンディは、唇を噛んでメインディスプレを見上げている。ダリルはあきらかにいらついた表情で、落ち着きがない。腕組みをしたアリサは、眼を細めてディスプレイを凝視。相変わらずポーカーフェイスのミギョンだが、いつもより瞬きが激しい。スーリィは俯いている。‥‥ひょっとして、居眠りか?
「高度1000!」
推定質量二億トンを超える巨体が、今まさに地球に突き刺さろうとしている。柔肌に喰い込む鋭いナイフのように。いや、むしろその形状は、原始人が使うハンドアックスに近いか。
「高度ゼロ。着地します!」
吹き上がる白煙に、巻き上げられた表土が混じる。一瞬ののち、映像が激しくぶれ、砂の嵐に切り替わった。
作戦室が静まり返る。聞こえるのは、山名とミシェーラがキーボードを叩く音のみ。
「目標着陸位置、特定しました。北緯35度48分。西経119度15分。カリフォルニア州カーン郡デラノ市北部です」
山名が、告げる。
すぐに、メインディスプレイにカリフォルニア州南部の地図が現れた。ロサンゼルスの北北西200kmくらいに赤い光点が明滅している。
「カピィの〈チェック〉という声が聞こえてきそうね」
隣に座る瑞樹にかすかに聞こえるほどの小声で、アリサが言う。
「ミシェーラ。総員に下命。戦闘態勢を解き、警戒態勢に移行」
厳しい表情のまま、アークライトが命じた。
「フレイル・スコードロンは、しばらく一時間待機のままだ。交代で仮眠を取りたまえ」
「‥‥寝れないよ、絶対」
ダリルが、つぶやく。
「おなじく」
瑞樹もそう応じて、リビングの椅子に重い腰を下ろした。疲労感はあるが、神経が高ぶっているのか眠気にはつながらない。
「悪いが、先に寝かせてもらう。いつでも起こしてもらってかまわない」
そう言い置いて、ミギョンがリビングを出て行った。
「羨ましい性格ねぇ」
サンディが、その後姿を見送る。
「‥‥ごめん、もう持たない。あたしも、寝る」
そう言って、スーリィがソファに寝そべった。
「自分の部屋で寝なさいな」
サンディが、スーリィを抱き起こす。
「ほら、ダリル。手貸しなさい」
「世話焼けるねえ」
文句を垂れながら、ダリルがもうすでに半分寝入っているスーリィの腕をつかむ。
「アリサ。あなたは大丈夫?」
二人がかりで引き摺られてゆくスーリィを見送りながら、瑞樹はそう訊いた。
「今日は飛んでないからね。まだ、平気よ」
口元に笑みを湛えながら、アリサが答える。
「‥‥えらいことになっちゃったわねえ」
瑞樹は嘆息した。
「まあ、北米の防衛戦略は完全に破綻したわね。南はメキシコ全域。北はアラスカ付近まで、完全にカピィの影響下に置かれるでしょう。合衆国は、デンマークみたいな国になってしまう」
「‥‥なるほどね」
小さいが豊かな本国と、広大な極寒の地の組み合わせである。
「腹減った。夜食に行こう」
戻ってきたダリルが、誘う。
「この状況でよく食欲が湧くわね」
サンディが、あきれる。
「‥‥あたしも、小腹空いてるかな」
照れ笑いしながら、瑞樹は立ち上がった。
「付き合いましょう」
アリサも立ち上がる。
真夜中近いにも関わらず、士官食堂にはかなり多くの人がいた。通常ならば、夜勤の者のために夜食が用意されているだけだが、今日は緊急事態ということで、厨房も明かりが点き、二人ばかり給養員が働いている。
夜食だから、メニューも少ないしほとんどが冷たい作り置きの料理である。暖かいのは、ご飯と味噌汁、それに一種類しかないスープくらいだ。もちろん電子レンジがあるから、暖めて食べるのは自由だが。
瑞樹は野菜サンドとスープを取ると、トレイに載せた。ダリルはハンバーガー二個にゆで卵、マッシュポテト添えのソーセージを載せている。飲み物は、例によってブラックコーヒーだ。アリサは瑞樹と同様サンドイッチとスープを選んだが、サンディが取ったのは熱い紅茶だけだった。
「で、問題はだ」
マッシュポテトにトマトケチャップをどぼどぼとぶちまけながら、ダリルが問題提議する。
「三隻目の宇宙船が来るかどうかだ」
「‥‥来ないで欲しいんだけど」
瑞樹は頬を掻いた。
「まあ、どう見てもあの二隻は同型艦よね。三隻目がどこかにいることは、確かだわ」
紅茶を飲みつつ、サンディ。
「なぜ二隻目が一年と二ヶ月ちょっとあとに出現したか、この謎を解くほうが先じゃないかしら」
チーズとハムのサンドイッチを上品にかじりながら、アリサが言う。
「そうね。そこが判れば、カピィの意図も推し量れるかも」
サンディが、賛意を示す。
「‥‥そうか。なぜ同時に現れなかったんだろう。技術的理由? 作戦?」
ダリルが、フォークを持つ手を止める。
「カピィの本星が、地球のような普通の惑星だったと仮定すると‥‥あのような巨大な宇宙船は、軌道上で建造されたと考えるのが自然よね。わざわざ地表で建造して、膨大なエネルギーを無駄遣いして宇宙に打ち上げるなんて、狂気の沙汰だわ。となると、あえて間隔を開けて出航した技術的な理由を思いつかない」
アリサが、分析する。
「初期加速になにか使ったのかも。レーザー反動推進とか」
サンディが、そう言った。
「なんだ、それ?」
ゆで卵の殻を剥きながら、ダリル。
「強力なレーザーを照射して、その反動で宇宙船を加速させるシステムよ。宇宙船自体の推進剤を消費せずに加速できるから、効率的なの。NASAでも研究してたくらいよ。それなら、レーザー照射設備が限られていれば一度に一隻ずつしか加速できないから、二隻目が遅れてきた理由になるかな、と思って」
サンディが、ざっくりと説明した。
「二隻目が何らかのトラブルを起こした可能性は?」
瑞樹は言ってみた。
「推進器の故障とか。航法の失敗とか」
「でも、それならば一隻目が減速するなりして地球到達のタイミングを合わせればいいのではなくて?」
チーズとハムのサンドイッチを食べ終わり、卵サンドに取り掛かったアリサが、そう反駁する。
「その手の可能性を考え出したら、きりがないわ。二隻の宇宙船による同時攻撃は、銀河ハーグ宙戦条約に違反する、とかありえるもの」
サンディが、苦笑交じりに言う。
「二隻の外形が同じに見えるだけで、中身は別の船であることも考えられるぞ」
ダリルが指摘した。
「クリントンのやつは航空巡洋艦。カリフォルニアのやつは揚陸艦、とか」
「海軍らしい発想ね」
サンディが、評す。ダリルが、わずかにむくれた。
「じゃあ、空軍らしい発想をしてみろよ」
「‥‥空軍らしくはないけど、一隻目が威力偵察だった可能性はあると思う」
食べかけのサンドイッチを置き、飲み物に手を伸ばしながら、アリサが言った。
「威力偵察って‥‥。むちゃくちゃ強すぎるんですけど」
瑞樹は頬を掻いた。威力偵察というのは、敵の意図や編成、部隊の配置、火力その他の情報を得るために、強行的に行われる偵察を主目的とした攻勢のことである。あくまで偵察活動なので、その規模は相対的にそれほど大きくはないのが常である。
「まあ、繰り返しになるけど連中の意図がはっきりしない以上、どれほど議論を重ねても無駄な気がするけどね」
サンディが立ち上がり、カウンターに向かった。‥‥紅茶のお代わりをする気らしい。
「地球占領でしょ。カピィの目的は」
ぶすりと、ダリル。
「占領して、どうするんだろう?」
野菜サンドを食べ終えた瑞樹は、スープをすすりながら訊いた。数種類の野菜スライスが入ったコンソメスープだが、今日はいつもより塩気がきついような気がする。
「不動産だから、利用か転売が目的でしょうね」
皮肉めいた笑みを浮かべて、アリサ。
「利用ねえ。工場でも建てるのかい?」
ダリルが、フォークでマッシュポテトをすくう。
「コンドミニアムでも建てるんじゃないの?」
紅茶のカップを手に戻ってきたサンディが、言う。
「リゾート開発? きれいな惑星なら、探せば他にもあると思うんだけどなあ」
瑞樹は頬を掻いた。そういえば昔、宇宙の地上げ屋みたいな連中が出てくる漫画を読んだことがあるような気がする。
「セカンド・ハウス用に地球が欲しいのよ、きっと」
半ば笑いながら、アリサ。
「地球にダーチャを建てようっていうわけ?」
くすくす笑いながら、サンディ。
「迷惑な話だな、おい」
呆れたように、ダリル。
第十話簡易用語集/MSG Mission Support Group 作戦支援群。基地の業務全般を統括する部署。本作では作戦支援隊、業務隊、サービス隊などを傘下に収めている。通信班、気象班、総務部、給食班、メディカル班などもMSGである。/MG Maintenance Group 整備群。補給隊も傘下なので補給整備群とでも訳すべきか。/ロービジ Low Visibility 低視認性。要するに、派手な色彩を使わないということ。/シャークマウス Shark Mouth 鮫の口。軍用機の場合、機首部を鮫の顔に見立て、歯をむき出しにした口や眼を描き入れたものを指す。/ノーズアート Nose Art 軍用機の機首部分側面に描かれる絵や装飾的な文字のこと。/痛機 痛車の飛行機版。/TMP オーストリアのシュタイア社製のサブマシンガン。使用弾薬9ミリルガー。/ICBM Intercontinental Ballistic Missile 大陸間弾道ミサイル。/AGM−86F 架空兵器。実在するAGM−86(アメリカ空軍の空中発射巡航ミサイル)のターボファンエンジンを、カピィ着陸船迎撃用にロケットに換装したという設定。/銀河ハーグ宙戦条約 もちろんハーグ陸戦条約のパロディである。