1 CDA
「‥‥今日も首都LAは上天気だ。それでは早速昨日の戦果からご紹介しよう‥‥」
前方のマツ林から、かすかにラジオの音声が流れてくる。
ケリー大尉は足を止めて、双眼鏡を取り出した。焦点を北側のブナ林に合わせる。
戦車壕の中に、本来いるべきM−1MBTの姿はいまだなかった。遅れているのだ。
ケリーは舌打ちして双眼鏡を下ろした。
「‥‥まずはNAEC。昨日は大健闘だ。わが陸軍がタイクーン二両、ティンダー八両、シーフ多数の戦果を挙げた。空軍も五機を撃墜。イギリス人とフランス人も詳細不明ながらカピィどもに痛撃を与えた模様。やったね」
お気楽な調子のラジオパーソナリティの声に渋い表情を作りながら、ケリーはマツ林の中に足を踏み入れた。樹木のあいだに巧みに掘られた壕内でくつろいでいた兵が上官の接近に気づき、慌ててラジオに手を伸ばしたが、ケリーはそれを身振りで制した。
「‥‥NASCはついてない一日だったようだ。オースチン近郊でメキシコ軍が大損害。ペンサコラ沖でブラジル海軍もフリゲートを一隻失ったらしい。テクサカーナで包囲されている州兵部隊に関する進展はない」
ラジオが、芳しくないニュースを告げる。
「バーネットは?」
ラジオの持ち主に、ケリーは尋ねた。
「少尉なら、右手の壕におられます。南東へ三十メートルです」
うなずいて謝意を示すと、ケリーは歩み出した。
「NAWCは苦戦したようだ。ロシア空軍がファイアドッグ数機を撃墜。サウスダコダで中国陸軍が激戦。どうやらカピィはネブラスカ中部の制圧を狙っている様子だ‥‥」
「ずいぶんと正確な情報を掴んでるじゃないか‥‥」
ケリーはつぶやいた。
彼が率いるアメリカ陸軍歩兵一個中隊は、ネブラスカ州中部ハワード郡にある低い丘陵地帯に応急陣地を築いていた。先週オマハ市と州都リンカーンを陥落させたカピィの軍勢は、そこでいったん停止し、態勢を整えた上で昨日から進撃を再開していた。主力はリンカーンよりインターステート80沿いに西進、同時に大規模な助攻部隊がプラット川に沿うように前進中だ。対するアメリカ陸軍と州兵部隊はグランド・アイランドの手前に防御ラインを敷き、これを迎え撃つ構えだった。
これら主力とは別に、カピィの一部隊がコロンバスからループ川南岸を西進していた。おそらくは、北側側面の警戒部隊だろう。これを迎え撃つのが、ケリーらの部隊の任務だった。いや、正確に言えばケリーの中隊と増援に派遣される州軍機甲中隊の任務だ。だが、いまだ州軍の連中は現れない。中隊の重火器はジャベリンATMだけだ。シーフやティンダーならともかく、あの馬鹿でかいタイクーンが出てきたら、阻止するのは不可能である。
「おはようございます、大尉殿」
近づくケリーに気づき、壕からのっそりとバーネット少尉が出てきた。灰色熊を思わせる巨躯のアフリカ系で、先月戦死した小隊長の後任として小隊を任されるようになった、小隊軍曹上がりの男である。
「まずいことになった。州軍の連中と連絡がとれない」
バーネットが近づくのを待って、ケリーは小声で告げた。
「チョッパーを廻してくれるって話、どうなりました?」
「アパッチは全てグランド・アイランドに集められた。今、空軍さんが上と掛け合ってくれているから、それだけが頼りだな」
「贅沢は言いませんや。ANG(州兵空軍)のF−16二機でいいから来てくれれば、なんとかなるんですがね‥‥」
そう言いながら、バーネット少尉が東の方を見やる。あきれるくらい起伏に乏しい平原が広がっていた。正面に見えるのがパルマーの街で、その周囲と東側は整然と道路で区切られた小麦畑と、収穫の終わった大豆畑が風景の大部分を占めている。視界をさえぎるものは、ところどころにあるまばらな樹林だけだ。街とケリーらが篭る陣地のあいだには、ウシクサとインディアン・グラスに覆われた枯れ藁色のなだらかな丘が横たわっている。
「大尉殿!」
ケリーは振り向いた。通信兵のミッチェルが、大きく手を振っている。
「敵が動き出しました。指揮所にお戻りください!」
「仕事の時間ですな」
バーネットが肩をすくめると、部下に命令を怒鳴りながら壕へと身軽に飛び込んだ。
ケリー大尉は指揮所である壕に潜り込んだ。
「敵の詳細は?」
通信機に張り付いている伍長の肩を叩く。
「タイクーン一、護衛のシーフ三を確認」
伍長が、前進観測哨からの報告を簡潔に告げる。
ケリーは壕を出ると東の方角を眺めた。遠方に、灰色の半球状の物体が見える。双眼鏡を覗くと、細部がはっきりと見えた。テントウムシを思わせる半球状のボディに、いくつものターレットを装備した重量一千トンを超える巨大な〈動く要塞〉。カピィが誇る‥‥いや、誇っているかどうかは定かではないが‥‥超巨大重戦車、タイクーンだ。その周囲には、護衛に付いている小型戦車(といってもその総重量は人類のMBT並みなのだが)シーフが数両従っている。
とてもジャベリンでかなう相手ではない。このままでは全滅覚悟で抗戦するか、抗命を承知で早期にセント・ポールの街まで後退するか、ふたつにひとつだ。
壕に引っ込んだケリーは、奥で通信機に向かっているFAC‥‥空軍から派遣された前線航空統制士官の中尉に歩み寄った。ヘッドセットを着けた小柄な空軍中尉が、少し待つように手でケリーに合図する。メタルフレームの眼鏡のレンズに、通信機のランプが反射している。
「了解。ダア、ダア。スパシーバ。アウト」
中尉が下手なロシア語交じりの交話を終え、親指を立てた。
「北にいるロシアのAWACSと連絡が取れた。日本の空軍機を廻してくれるそうだ。四機だ」
中尉が言い終わると同時に、凄まじい爆発音と共に壕が揺さぶられた。カピィによる制圧射撃の始まりだった。
「こちらリンクス1、了解。針路1−1−0。CPでハーミット8とコンタクトする。ヴァローナ01、アウト」
沢本瑞樹一尉はいったんAWACSとの交信を終了すると、スイッチをフライト内交話に切り替えた。
「みんな聞いた? タイクーンを仕留めに行くわよ。針路1−1−0。ライトターン。スタンバイ‥‥ナウ」
サイドスティックを、緩やかに右へと倒す。F−2Aは、素直に反応して新しい針路に乗った。高度は1万5000フィート。だが、ロッキー山脈上空なので、対地高度はそれほど高くない。赤茶色の険しい山々の上を、青系海洋迷彩のF−2四機が駆け抜けてゆく。
瑞樹はMFDに目標周辺の地図を表示させると、戦術を検討した。西側の丘陵に味方が陣取っており、タイクーン一両を含むカピィが東から迫っているようだ。
‥‥障害物なしの開けた地形。敵に援護機なし。いちばん標準的な攻撃方法でかまわないだろう。瑞樹はそう判断した。
「リンクス1より各機。1、2は西から一発のみ発射。3、4は北から同時攻撃。二発斉射。事後は援護。1、2は北から再度攻撃」
瑞樹は攻撃方法を簡略に告げた。率いる三機から順に受領通知が返ってくる。
何十回も訓練で、そして数回実戦で行った戦法である。詳しく説明する必要もない。
四機のF−2は、左右の主翼下に一発ずつスコーピオン・ミサイルを抱えていた。レイセオン社が対艦ミサイルとして開発途上だったものを、急遽対装甲ミサイルとして改修し、完成させたものである。弾頭はタンデム弾頭で、重装甲のカピィ戦闘車両の外郭を貫いてから内部でメインの弾頭を炸裂させることのできる頼もしい兵器であり、今ではロシア、西ヨーロッパ諸国、日本などで大量にライセンス生産が行われ、UNUFAF(国連統合空軍)に所属する各国空軍機の標準的な対地攻撃兵装となっている。全長は4.6メートルと一般的な大型対艦ミサイルと大差なく、重量は750kgもあるので、さしものF−2でも四発を搭載するのは‥‥不可能ではないにしろ‥‥いささか無理があり、通常は二発搭載で運用される。小さな三角形のフィンが中央部と尾部に四枚ずつ付いており、その形状は肥え太ったAMRAAMといったところだ。イメージングIR誘導で、発射されると数秒でマッハ2+まで加速する。射程は短く20kmしかない(推進剤を削って弾頭威力を増大させた結果である)が、カピィの優秀な対空レーザーに対抗するために目標に近接して使用されるので、実用に支障はない。
目標まで100nm(ノーティカル・マイル/海里)を切ったあたりで、瑞樹は自機の高度を下げていった。眼下に鮮やかな緑が増えてゆく。
「こちらリンクス1。ハーミット8、応答せよ」
指定されたCPであるダム湖上空に達した瑞樹は、AWACSに告げられた周波数にラジオを切り替えると、呼びかけた。すぐに、反応がある。
「こちらハーミット8。感明度良好。歓迎する、リンクス1」
「目標指示を」
「主目標はタイクーン。味方陣地はスモークでマークする。オレンジだ。マークの西側は攻撃不可。繰り返す、西側は攻撃不可だ」
「了解した、ハーミット8」
「現在こちらはカピィの制圧射撃を受けている。急いでくれ、リンクス1」
ハーミット8が、補足説明を入れる。
「了解した、ハーミット8。ETAは‥‥約四分」
3と4が、編隊から離れていった。
瑞樹はIPとして選定したセント・ポール市街上空で、緩い左旋回を行って3と4が配置に付く時間を稼いだ。そのあいだに、FCSマスターモードをNAVからA/Gに切り替えておく。3から位置についたとの連絡を受けてから、機首を東へと向ける。
前方の丘に、オレンジ色のカラー・スモークが立ち昇っているのが見えた。
「リンクス1。タリー・マーク」
その向こう、平原でうごめく銀色の半球。ちらちらときらめく光は、カノンのマズルフラッシュか。
「リンクス・フライト。イン・ホット!」
瑞樹は攻撃開始を通告した。
「こちらハーミット8。クリアード・ホット」
FACが攻撃開始を承認する。
「バーネット少尉!」
呼びかけに、応答はなかった。
ケリー大尉は送受話器を放り出すと、壕の縁に登った。カピィの機甲部隊はパルマーの街を迂回し、中隊の至近に迫りつつあった。タイクーンの高初速カノンが相次いで火を吐き、丘陵地帯の黒土を抉ってゆく。
「西低空に航空機!」
見張りの兵士が叫ぶ。
ケリーは振り仰いだ。
F−16のようなシルエットが二機、低空で西から迫りつつあった。その翼下から、白い棒状の物体が放たれた。薄い白煙を引きながら、タイクーンめがけて加速しつつ突っ込んでゆく。
「下手糞! あんな遠くで撃ちやがって」
誰かが罵る。
「あれは囮だ!」
ケリーは叫び返した。タイクーンの正面装甲は往時の戦艦の主砲塔並みである。まともなパイロットなら、真正面からの攻撃が無駄であることは承知しているはずだ。
タイクーンのターレットのいくつかが発光した。青白いレーザービームが、前方に弾幕を張る。
戦闘機が放った二発のミサイルが、弾幕に捕まって相次いで四散した。
「北から来ます!」
また誰かが叫ぶ。
いつの間にか、別の戦闘機が二機、タイクーンの右側面至近に迫っていた。一斉にミサイルを二発ずつ放ち、西へとブレークする。
タイクーンのターレットがぐるりと回り、レーザーが放たれる。
遅かった。
四発のミサイルがほぼ同時に着弾した。爆発が、タイクーンの外郭装甲を抉る。突入した二段目の弾頭が爆発し、冷たく乾いた大気を振るわせた。
タイクーンの動きが止まった。
「やった!」
ケリーの傍らで、見張りの兵士が拳を突き上げた。
先ほど放り出した送受話器を、ケリーは慌てて引っつかんだ。
「各小隊、シーフの掃討に集中しろ。勝てるぞ!」
タイクーンの火力支援を受けられなくなり、シーフの動きも混乱していた。ジャベリンが相次いで放たれ、瞬く間に二両のシーフが擱座する。
「また来たぞ。止めを刺すつもりだ」
ケリーは空の一点を指した。
二機が再び北から迫りつつあった。タイクーンのレーザーは沈黙したままだ。
タイクーンの銀色の巨体が、HUD上でぐんぐんと大きく膨らんでゆく。右側面に開いた破口に、瑞樹はピッパーを合わせた。1nm以下で発射する腹積もりだった。スコーピオンの誘導装置はすでに作動し、タイクーンの巨体をIR領域で識別捕捉しているが、それに頼ることなくロケット弾のようにスコーピオンを撃ち込むのだ。その方が、正確な攻撃となる。
あと2nm。1.5‥‥。
瑞樹の指が、ウェポン・リリース・ボタンを叩いた。パイロンからスコーピオンが離脱し、機体の重量バランスと空気抵抗が急変してF−2が揺れる。
瑞樹はすぐに左へブレークした。
日本の戦闘機が低空で突っ込んでゆくのを、ケリー大尉は見守った。
二機が相次いでミサイルを発射した。爆発で大きく損なわれたタイクーンの側面に、ミサイルが吸い込まれる。数秒後、くぐもった爆発音が聞こえた。一拍置いて、タイクーンのターレットの幾つかが爆音と共に吹き飛んだ。各所の開口部や装甲の継ぎ目からも火炎や黒煙が勢いよく吹き出す。
「やりやがった」
ケリー大尉は壕内に駆け込んだ。空軍中尉からヘッドセットをむしり取るようにして借りる。
「上空の日本空軍フライト。こちらは地上部隊指揮官だ。タイクーンの破壊を確認した。感謝する。わが部隊は救われた」
「こちらリンクス1。さらなる援護は必要か?」
聞こえてきたのは意外にも可愛らしい女性の声だった。
「いや、シーフなら片付けられる。ありがとう。あんたは救いの女神だ」
「あまりおだてないで、ミスター・地上部隊指揮官」
「俺はケリー。トッド・ケリー大尉だ。命の恩人の名を知りたい」
ヘッドセットの向こう側が沈黙した。FAC用の回線で自分の名を名乗りあうなど通信規則には反する。しかし、全滅覚悟で臨んだ戦いを勝利に導いてくれた相手の名前くらい、覚えておきたかった。
「わたしの名は‥‥沢本瑞樹。大尉」
ためらいがちに、リンクス1が名乗った。
「ありがとう、ミズキ大尉。君の名と声は生涯忘れない」
「終わったか‥‥」
バーネット少尉は、のっそりとその巨躯を起こした。
タイクーンは激しく炎上していた。ラグビーボールをふたつ割りにしたような形状のシーフは、三両ともジャベリンの餌食となり、いずれも無残な姿をさらしている。
「勝った」
傍らの兵士がぼそりと言って、へなへなと崩れ折れた。先週配属されたばかりの新兵だった。アドレナリン切れで虚脱したのだろう。
勝利したとは言え、損害も大きかった。バーネットは壕内に横たわる通信兵の死体を見やった。シーフが放った対地ロケットの破片を浴びたのだ。
「よーし、総員負傷者の救護にかかれ! ウィルソン! お前は中隊本部へ伝令だ。敵全滅を確認。負傷者多数につき救援要請。行け!」
バーネットは部下に手早く命令を与えた。弛緩している暇はない。重傷者がごろごろいるのだ。早急にセント・ポールまで運ばねば、さらに死者が増える。
「少尉殿!」
一人の兵士が叫んで、慌ててM−16を構えた。
タイクーンの側面にあるアクセスパネルのような部分が、ゆっくりと下向きに開いてゆく。地面から10フィートほどの高さだ。
「注意しろ!」
バーネットは叫んで、自分のM−16を構えた。周囲の部下も、それぞれの武器を構える。
パネルは90度ほど開いたところで、動きを止めた。ほどなく、開口部から薄茶色の柔毛と、黒い鼻面が現れた。
カピィだ。
「全員発砲を控えろ」
バーネットは命じた。
のそりと、カピィが姿を見せる。パネル部分を足場にして、地面に降り立つつもりだろうか。
体長は5から6フィート(約150センチから180センチ)ほど。ずんぐりとした胴体と、短く太い四本の脚。全身を覆う薄茶色の柔毛。黒いつぶらな瞳。黒い鼻面。
太い首の付け根にある半球状の筋肉から生えている猫の尻尾のような四本の触腕。それにビーグルかバセットハウンドのそれに似た大きな垂れ耳を除けば、地球にいる齧歯類の一種、カピバラに雰囲気がよく似ている。
のそのそと、カピィがパネルの上に身を乗り出す。負傷しているのだろうか、話に聞いていたほど動作は俊敏ではない。胴体の前寄りにベルト状のものを締めており、そこには様々な箱や棒、円筒などがくっついている。
ずる。
カピィがバランスを崩した。立ち枯れたウシクサの密生する地面へと、背中から落下する。
「捕虜にできるかも知れん。フォスター、ワトキンス。ついて来い。ガルシア軍曹。援護を頼む」
バーネットは二人の兵士を指名すると、M−16を肩付けにしたまま近づいていった。フォスターがM−16、ワトキンスがM249を構えて後に続く。
カピィが、近づくバーネットらに気づいた。上体を起こし、頭部を向けてくる。
「抵抗するな、ネズ公」
言葉が通じる訳がないと判っていたが、バーネットはそうカピィに告げた。
カピィの黒い瞳が、じっとバーネットを見つめる。動物の眼ではない。明らかに知性を感じさせる眼である。
カピィの眉間に狙いをつけたまま、バーネットはじりじりと前進した。
不意に、カピィが動いた。触腕の一本が、装備ベルトに伸びる。白い柔毛に覆われた柔軟な先端部が、銀色の円筒に巻きついた。
「やめろ!」
バーネットは叫び‥‥引き金を引いた。弾けるような銃声と共に、バースト射が正確にカピィの頭部に撃ち込まれる。
一瞬遅れて、フォスターとワトキンスも発砲した。5.56ミリ弾が、次々とカピィの身体にめり込む。
「撃ち方やめ!」
三回引き金を引いたところで、バーネットは手を顔の前で激しく振ってそう命じた。
人間よりも薄い色合いの濃いオレンジ色の血液を撒き散らしながら、カピィは絶命していた。
「馬鹿な鼠だ」
ワトキンスが言い放ち、足元に唾を吐く。
「こちらヴァローナ01。リンクス・フライト。応答せよ」
ロシアのAWACS‥‥サウスダコタ州西部を旋回中のA−50‥‥が呼びかけてくる。
「こちらリンクス1。ヴァローナ01、どうぞ」
瑞樹はそう応じた。四機のF−2Aは、ネブラスカ州西部上空をほぼ西北西に向け飛行していた。このあとワイオミング州上空でアメリカ空軍タンカーと会合し、空中給油を行ってから、航空自衛隊が間借りしているアイダホ州マウンテンホーム空軍基地へ帰投する予定だ。
「リンクス・フライトの後方20nmにファイアドック三機、追尾中。エンジェルス4、マッハ3プラス。注意されたい」
「なんですって‥‥」
瑞樹は絶句した。
ファイアドックはカピィの制空戦闘機である。形状は、「ベーコンの塊の下にソーセージを四本くっつけたみたいな」と形容されるほど不恰好にもかかわらず、その速度は最高でマッハ3を軽く上回り、運動性においては人類側の全ての戦闘機を凌駕する。長射程兵器は装備していないが、距離20nmでは早晩追いつかれてしまう。
突然現れたということは、低空待機していたCAP(戦闘空中哨戒)機なのだろう。あるいは、そのVTO(垂直離陸)性能を活かして待ち伏せていたのか。
瑞樹らのF−2は、一応翼端に自衛用として一発ずつAAM−5を装備している。しかし、ファイアドックの装甲はMBT並みである。まともに戦って勝てる相手ではない。
「こちらリンクス1。リンクス各機、ECMオン。バーナー・オン。針路そのまま」
瑞樹は命じた。ここは逃げるしかない。残燃料に不安があるが、墜とされるよりましだ。
「ヴァローナ01、こちらリンクス1。支援を要請する」
「リンクス1、シャイアンでCAP中のフランカー・フライトとコンタクトしている。スタンバイ。ファイアドックはそちらの後方15nm」
憎たらしいほど冷静に、ロシアAWACSのコントローラーが告げる。フランカーという名は元々NATOがロシアのSu−27戦闘機系列に勝手に与えたコードネームだが、ロシア人も普通に自分たちの戦闘機をそう呼んでいる。まあ、スー27という呼び方はあまり強そうに聞こえないことも確かだが。
瑞樹はバックミラーに視線を走らせた。敵影は、ない。
「リンクス1、チャンネル7でルゥーチ24とコンタクトせよ」
「こちらリンクス1、了解。アウト。‥‥ルゥーチ24、こちらリンクス1」
「こちらルゥーチ24、レーダーに捉えている。20nmでR−27を発射する。こちらの合図でブレークしろ。スタンバイ」
「感謝する、ルゥーチ24。そちらの機数は?」
「四機だ」
瑞樹は暗澹たる思いに囚われた。ファイアドッグ三機とSu−27四機では勝負にならない。軽く一蹴されるのがオチだ。
「こちらルゥーチ24。FOX1」
フランカー・フライトが、NATO式に‥‥UNUFAFの基本的なルールはNATOのそれをベースにしている‥‥セミアクティブレーダー誘導AAM発射を告げた。
「3、後方に敵機!」
ほぼ同時に、三番機がファイアドッグ接近を報じる。
瑞樹は逡巡した。編隊を解いた方がファイアドッグの攻撃を避けやすいが、当然ファイアドッグの方も散開するので、ロシア戦闘機が放ったAAMも外れやすくなる。
ここは我慢すべきだろう。
「リンクス1より各機。回避機動」
瑞樹はサイドスティックを小刻みに動かし始めた。ファイアドッグの主兵装は空対空レーザーと汎用ロケットランチャーだが、その射撃精度はありがたいことにあまり高くない。
射程圏内まで追いついたファイアドックが、レーザー照射を開始した。青白い光の帯が、回避機動を続けるF−2Aの脇を通過する。
「こちらルゥーチ24。リンクス1、ブレーク・スタンバイ。‥‥ナウ」
瑞樹はサイドスティックを大きく倒し、右下方へと逃れた。僚機も思い思いの方向へと逃げ出す。
次の瞬間、後方の空にいくつもの爆発の花が開いた。ファイアドッグの編隊が、その中に飲み込まれる。
だが、一機も墜ちなかった。装甲が厚すぎて、破砕弾頭程度では致命的打撃を与えることは不可能なのだ。
「あとは任せろ、リンクス1」
ルゥーチ24が、告げる。
態勢を立て直した瑞樹は、後方を確認した。すでにファイアドッグは瑞樹らの編隊に興味を失っていた。編隊を組み直しながら、南へ向かってゆく。接近するルゥーチ24を迎え撃とうとするのだろう。そして‥‥フランカー・フライトに勝ち目はあるまい。
「リンクス1より各機。アフターバーナー、オフ。燃料節約に努め、空中給油に備えろ」
戦いは一方的だった。
Su−27各機が放ったR−73短射程AAMは、通常の航空機ではありえない機動を繰り返すファイアドッグの前にことごとく外された。態勢を立て直したファイアドッグがレーザーを放ち、回避しようとするSu−27が次々と墜とされてゆく。最後に残った一機も、レーザーの直撃に左主翼をもがれた。機体が急激なロールに入る。止めのレーザーが、尾部を吹き飛ばした。長い煙の尾を引きながら、Su−27がネブラスカの平原へと落ちてゆき‥‥大地に触れる寸前に赤黒い火球と化した。
マウンテンホーム空軍基地は、アイダホ州南西部にある合衆国空軍基地である。BCDはF−15CとEの基地だったが、UNUFNAWC(国連統合軍北米西コマンド)が組織化されてからは日本の航空自衛隊北米派遣臨時航空団の専用基地として基地機能の大部分が貸与されている。今はF−15J、F−2A、E−767、C−130H、U−125、T−4、UH−60Jなどが在機していた。
瑞樹はF−2Aを機付き長に任せると、ヘルメットを取った。現れた顔はやや童顔で、二十八歳という年齢よりも若く見える。身長は160センチしかなく、いずれも男性の部下と並んで歩くといかにも華奢に思える。
「フランカー・フライトはどうなりましたか?」
デブリーフィング・ルームへ入るなり、瑞樹は飛行隊長の中村二佐に尋ねた。
「全滅したよ。射出できたのは一人だけだったそうだ」
淡々と、中村二佐が告げる。
「そうですか」
瑞樹も淡々と応じた。
瑞樹が第3飛行隊の一員としてここマウンテンホームを拠点に飛ぶようになってから二ヶ月。すでに何人か同僚を失っていたし、他国の航空機が撃墜されるところも、カピィの兵器群に地上部隊が蹂躙されるところも目撃している。他人の死に関して過剰な反応を見せる段階は、もはや過ぎ去っていた。
瑞樹と部下たちは、中村二佐に対し規定通りのデブリーフィングを行った。タイクーンへの攻撃、ファイアドッグ・フライトからの離脱。空中給油。
終わったところで、中村二佐が瑞樹を呼んだ。
「司令の処へ出頭してくれ。どうやら君は、内地へ転属らしい」
「ええっ。日本へ帰れるんですか」
耳聡く聞きつけた二番機の内田二尉が、羨ましがる。
「了解しました‥‥転属ですか」
瑞樹は複雑な思いで言った。むろん、死にたくはない。カピィと人類の戦いは全般として膠着状態にあるとはいえ、それは人類側が人員と兵器の損害を省みずに積極的に防戦を持続しているからである。特に空軍パイロットとその機材の損耗は大きい。このまま北米に留まれば、瑞樹が戦死する可能性は、小さくはない。
とは言え、瑞樹も軍用機パイロットの端くれである。プライドは、それなりに高い。フライト・リーダーとして部下も持てるようになった今の状況で、命令とは言えすごすごと安全な内地へ帰るのは、気が進まないことも、また事実であった。
「この時期に君のような腕利きを失うのは惜しいが‥‥」
航空自衛隊北米派遣臨時航空団を預かる竹内空将補が、瑞樹にソファを勧めながら言う。
瑞樹は一礼して浅く腰掛けた。
「で、君への転属命令だが‥‥非常に曖昧な内容で、わたしも困惑しているんだ」
竹内空将補が、すっかり白くなった頭を掻いた。
「航空自衛隊からUNUFAF(国連統合空軍)へ出向ということだが、出向先は明示されていない。赴任先は新田原に新設されたUNUFAF施設らしい」
「新田原ですか」
瑞樹には、あまり馴染みのない基地だった。一通り訓練を終えたところで第4航空団、その後飛行開発実験団、その後また第4航空団に教官として復帰というのが、瑞樹の大まかな履歴である。F−15乗りにはある種「聖地」である新田原には、演習参加などで数回訪れたことがあるだけだ。
「ともかく、幕僚監部からは可及的速やかに、かつ出来うる限りの便宜を図って、君を新田原に出頭させろと言ってきている。異例だが、T−4を準備させた。それでマッコードまで送る。そこから米軍定期便に便乗する手続きは済ませた。エルメンドルフ経由で横田まで行ける。そのあとは、UNUF側が面倒を見てくれるそうだ」
「ありがとうございます」
航空自衛隊初の女性テストパイロットというのが、瑞樹の以前の肩書きだった。カピィの地球侵略が始まり、自衛隊がUNUFに参加するようになっても、当初日本では女性の実戦参加が認められていなかった。しかし時代の趨勢と戦場での兵士の損耗には耐え切れず、徐々に非戦闘地域における支援任務を中心に女性がNAWCに派遣されるようになり、つい三ヶ月ほど前に世論の後押しを受けた形で、陸海空自衛隊でも女性が戦闘任務に就くことに対する制約が全面的に撤廃されたのである。
当時第4航空団で教官任務に就いていた瑞樹は、義務感から北米派遣部隊への転属を申し出た。腕には自信があったし、なにしろ地球人類の危機である。自衛隊の一員として、いや、なによりも人類の一員として、戦う覚悟はできていた。
宿舎へ戻った瑞樹は、手早く荷物をまとめた。もともと、私物はほとんど持ち込んでいない。それでも、かなりの大荷物となった。
飛行隊長の中村二佐、同僚と部下、補給整備群の面々、米軍人を含む世話になった人々などに簡単に挨拶を済ませた瑞樹は、T−4のバゲージ・ポッドに荷物を押し込んだ。第3飛行隊の同僚である赤木一尉が操縦するT−4で、瑞樹はマウンテンホームを後にした。
クリントン・デイ・アフター。
人類は、その悪夢のような日をCD‥‥クリントン・デイと名付け、それ以前をBCD、それ以降をCDAと呼び慣わしている。
CD。突如地球に飛来した推定四十機の異星の飛行マシン‥‥後にフルバックというコードネームを与えられた超大型攻撃機‥‥は、北米、ヨーロッパ、ロシア西部の主要航空宇宙産業施設、軍事施設、ロケット発射基地などを攻撃した。NATO諸国、ロシア等は即座に反撃を行ったが、その首尾は散々なものであった。
そしてその七時間後、月の裏側に隠れていたと思われる異星の超大型宇宙船‥‥後の推定で質量二億三千五百万トン‥‥が、地球大気圏内に進入する。降り立った場所は、アメリカ合衆国オハイオ州クリントン郡。
以後、そのカピバラを思わせる形状から「カピィ」と呼ばれるようになった異星種族は、着陸した宇宙船から多数の飛行兵器、地上兵器を繰り出し、北米の制圧に乗り出す。人類側はこれに対抗するために国連統合軍(UNUF)を立ち上げ、各国が軍事力を供出してカピィの侵略に立ち向かった。
すでにCDから約九ヶ月。人命の損失は、推定で軍民合わせ五百万人を超えたと言われている。この戦いの行く末を見極めたものは、いまだ誰もいない。
マッコード空軍基地から、まだサウスウェスト航空の色鮮やかな塗装のままのアメリカ空軍徴用のB737連絡便に乗せてもらいアラスカのエルメンドルフ空軍基地へ。そこで一泊して定期物資補給便の戻りであるC−17に便乗して横田空軍基地へ。
横田には、驚くべきことに迎えの飛行機が待っていた。UNUFAFのマークをつけた、ファルコン900だ。乗客は、瑞樹ひとり。
「直接ニュータバルまで飛行します、マーム」
白手袋も凛々しいハンサムなアフリカ系のスチュワードが、言う。
「コーヒーでもお持ちしましょうか、マーム」
「いえ、結構よ」
あまりの高待遇ぶりに不信感さえ抱いた瑞樹は、断った。
‥‥一介の大尉を赴任させるためにVIP機まで持ち出すとは‥‥何事か?
新田原までの飛行は平穏無事に終わった。瑞樹はタラップを降りはじめた。アフリカ系スチュワードが、気を利かせて荷物の大半を持ってくれる。
久しぶりに降り立った新田原は、珍しくどんよりと曇っていた。
「沢本一尉殿ですね」
瑞樹に、まだ高校生くらいに見える女の子が声を掛けてきた。ライトグレイのUNUFAFの制式軍服を着てはいるが、いまひとつ似合っていない。背は瑞樹よりも若干低く、身体つきも華奢だ。階級章は、三等軍曹。おそらく、戦時応募の空自事務官がUNUFに出向中、というところだろう。
「メイス・ベース総務部の福西美羽と言います。お迎えにあがりました」
「メイス・ベース?」
瑞樹は聞き返した。もちろん、聞いたことのない名称だ。
「はい。ベースといっても新田原の隣ですが‥‥あ、お持ちします」
福西三曹が、瑞樹のダッフルバッグに手を伸ばす。
「で、メイス・ベースって、なに?」
福西三曹の運転するランドクルーザーの助手席に落ち着くと、瑞樹はさっそくそう尋ねた。
「UNUFHQ(国連統合軍司令部)直属の〈ラムダ・フォース〉に所属する基地で、新田原基地に隣接して新設された基地です。一尉殿は当基地に配属されることになります」
やや前屈みのぎこちない運転をしながら、福西三曹が答える。
「何の部隊なの?」
「多国籍の作戦転換飛行隊だと聞いています。詳しいことは、軍機だそうでわたしもよく知らないのですが‥‥」
福西三曹の可愛らしい声の語尾が、不満げに消える。
「‥‥あれが、メイス・ベース?」
前方に見え始めたフェンスを眼にして、瑞樹は眉をひそめた。
「そうです」
なんともごつい境界フェンスだった。基部は分厚いコンクリートを使った台形で、高さはたっぷり一メートルくらいあるだろう。その上に伸びているのは自衛隊基地の周囲によく見られる金網ネットフェンスではなく、スリットの入ったスチール板からなるパネルフェンスで、向こう側を見通すことはできない。
前方にゲートが迫り、福西三曹がブレーキを踏んだ。
「これは‥‥」
瑞樹はおもわずシートに預けていた上体を起こした。
基地への入り口と言うより、むしろ小要塞とでも言いたいようなたたずまいのゲートだった。数十トンはありそうなコンクリートの台座。90式戦車でも呼んでこなければ乗り越えられそうにない、I字鋼を組み合わせた可動式の門。衛兵詰め所はどう見てもトーチカで、重機関銃の銃口が突き出ている。その筒先が、くいっと瑞樹らの方を向いた。
‥‥なんと。
詰め所から走り出してきた四人の衛兵が、すばやくランドクルーザーを取り囲む。全員が、ダークグレイのUNUF標準戦闘服に抗弾ベストとヘルメットを着用している。武器は二人がFNCアサルトライフル、一人が型式は定かではないがポンプ・アクション式のコンバット・ショットガン。残る一人はMINIMIを構えている。
銃口はいずれも瑞樹らに向けられていた。
瑞樹はおもわず運転席を見やった。福西三曹は涼しい顔で胸ポケットからIDカードを取り出している。詰め所から遅れて出てきたどう見ても西アジア系の下士官に、福西三曹は笑顔でIDカードを差し出した。下士官‥‥階級章はUN二等軍曹だ‥‥は、無言でIDカードを手にしたスキャナーに通した。ぴぴっと可愛い電子音が鳴る。
IDカードを福西三曹に返しつつ、西アジア系二等軍曹が瑞樹に視線を当てた。瑞樹は慌てて自分のIDカードを差し出した。二等軍曹がカードをスキャンし、ディスプレイに眼を凝らす。
「サワモト・ミズキ大尉。指紋認証をいただけますか、マーム」
英語で二等軍曹が言って、スキャナーを差し出した。
瑞樹はディスプレイの一角でブリンクしているピンクの長方形に、右手人差し指を押し当てた。ぴぃーっと電子音が鳴る。
「確認しました、マーム。仮IDを発行しますので、お使いください。三十分以内に、警備隊本部で本IDの発行を受けてください」
二等軍曹が、ディスプレイになにやら打ち込むと、スキャナーのお尻からぺろんとカードが吐き出された。これが仮IDらしい。
「ありがとう、軍曹」
受け取った瑞樹は、礼を言った。二等軍曹が身を起こし、ぴしりと敬礼する。取り囲んでいた衛兵も、銃口を車に向けるのをやめた。しかし、銃は構えたままだ。
福西三曹が、ハンドブレーキを解いてアクセルを踏み込んだ。
「ずいぶんと厳重なのね。銃まで向けるなんて」
「いつものことです。新田原から入ったからこの程度で済みましたけど、外から直接メイス・ベースに入る時にはもっと厳重ですよ。下着まで脱がされますから」
答えながら、福西三曹がくすくすと笑う。
「おかげで、ずいぶんと出不精になっちゃいました」
瑞樹は窓外を眺めた。それほど大きい基地ではないようだ。ありふれた二階建ての鉄筋コンクリートの建物が大小いくつか。航空機格納庫が三棟。倉庫群。ちょっと遠くに見える三階建ての建物は、宿舎だろうか。エプロンにはS−70ヘリコプターが二機駐機してある。
「メイス・ベースに〈ラムダ・フォース〉ねえ‥‥。作戦転換飛行隊って、いったい何をやらせるつもりなのかしら」
「噂ですけどね」
福西三曹が、声を潜めた。
「新兵器のテスト、らしいですよ」
当直士官への赴任報告と正式なIDの発行を済ませた瑞樹は、福西三曹に管理棟二階にある搭乗員用宿舎に案内された。
「なんか‥‥いいわね、これ」
あてがわれた部屋は想像していたよりも上等だった。大して広くないワンルームだが、この手の官給アパートメントにありがちな規格品臭さがあまり感じられない。なんだか、老舗シティホテルの安い部屋、といった雰囲気だ。
瑞樹は窓辺に歩み寄った。二階なので、眺めはあまりよろしくない。申し訳程度の緑地を挟んで、倉庫らしいプレハブの建物が立ち並んでいるところが見えるだけだ。窓はもちろん防音二重ガラスだった。
「他のパイロットの皆さんは、リビングルームにいらっしゃると思います」
「他のパイロット?」
「一尉殿が配属される飛行隊のパイロットの方々です。もっとも、まだ三人しかいらっしゃいませんが。あ、三人とも、外国の方です」
「ふうん。多国籍の作戦転換部隊ねえ‥‥」
瑞樹は腕を組んだ。もちろん、外国人の混ざる飛行隊など初めてである。慣れるしかないだろう。早めに顔合わせしておくに越したことはない。
「リビングって、どこ?」
「通路を右に突き当たった部屋です」
「そう。ありがとう、福西三曹」
「あの、大尉‥‥いえ一尉」
やや顔を赤らめて、福西三曹が言う。
「なに?」
「もしよろしければ、もっと砕けた呼び方をしていただけませんか? 福西とか、美羽とか。ただでさえこの基地日本人が少ないし、日本語で話せる機会も少ないし、まして日本人の女性士官は数えるほどしかいないんです」
「ふーん。じゃあ、美羽ちゃんで」
「ありがとうございます」
ぺこりと、美羽が頭を下げる。
「代わりに瑞樹さん、って呼んでね」
「はい、瑞樹さん」
福西三曹‥‥美羽の笑顔がはじけた。
リビングルームの空気は張り詰めていた。
中にいたのは三名の女性だった。いずれも瑞樹と同年輩か、少し年上だろう。四人掛けほどの丸テーブルで、カードゲームの真っ最中だ。少し茶色がかった黒髪のストレートボブに、アリスバンドを留めた背の高い白人女性。淡い色合いの金髪のスパイキーヘアで、ちょっとボーイッシュな白人女性。そして黒髪のショートボブで、顔立ちからして一見して日本人ではないと判る東洋人女性。
入ってきた瑞樹に気づき、三人が三様の反応を見せた。黒髪の白人女性‥‥よく見ると、モデルとしても通用しそうなほどの美人だ‥‥は歯を見せて微笑み、かすかにうなずいてみせた。金髪の女性はちらりと視線を送っただけで、すぐに眼を手の中のカードに戻す。東洋人女性は、鷹揚に微笑んで左手を軽く振ってくれる。
瑞樹は歩み寄りながら室内を観察した。小さな冷蔵庫に電気湯沸しポット。新品のようだが安物のビニール張りのソファと、天板がガラスのセンターテーブル。壁際には、カウンターテーブルとスツールのセット。三人が掛けている椅子はパイプ椅子だった。なんともそっけない部屋だ。
唯一装飾と言えるのが、壁に貼られたUNUFHQ謹製の新兵募集ポスターだった。最近、やたらと出回っている世界共通のポスターで、様々な人種の若い男女がセーラー服から迷彩戦闘服までありとあらゆる軍装を纏い肩を組んでいるという、いかにもスタジオでしかもタレントさん使って撮りましたといった絵柄のものだ。コピーはシンプルに「共に戦おう」で、十七ヶ国語で書いてある。
三人がプレイしているゲームは、どうやらポーカーのようだった。手札は二枚で、伏せられたカードの山の脇に三枚が開かれている。テーブルに積み上げられているオセロの石が、チップ代わりのようだ。金髪女性の前の山だけ、やけに少なかった。
テーブルに近づいた瑞樹は、勝負の邪魔にならないように気をつけながら、三人の手札を順番に覗いた。東洋人女性がダイヤのクイーンとクラブの9、金髪の女性がクラブの6とスペードの4、黒髪の美人がスペードのジャックとハートの2。開かれているカードは、ダイヤの9、ダイヤの6、クラブの3だ。
「レイズ」
東洋人女性が、すでに置いてあった自分の掛け金に石をふたつ追加した。金髪女性と黒髪美人が、コールする。
親兼任らしい東洋人女性が、山から一枚とって捨て、二枚目を開いた。ハートの4だ。金髪女性の目が、傍目に見てもそれと判るほど輝く。
東洋人女性が、レイズして石を追加する。金髪女性がしばらく考えてから、さらにレイズした。黒髪の美人が、フォールドし、手札を捨てると立ち上がった。瑞樹に向けて、手を差し出す。
「四人目のパイロットね。よろしく。合衆国空軍、サンディ・ローガン中尉」
男だったらおもわず蕩けてしまいそうな色香の漂う笑顔で、言う。背は瑞樹よりたっぷり15センチは高いだろう。ハシバミ色と言うのだろうか、やや緑がかった薄茶色の涼やかな眼が、なんともセクシーだ。
「日本航空自衛隊大尉、沢本瑞樹」
手を握り返しながら、瑞樹は応じた。長い指の、女性にしては大きな手だった。
「この唸っている娘が、ダリル。合衆国海軍よ。その向かいで澄ましてるのが、スーリィ。中国空軍ね」
サンディが、残る二人を紹介する。
東洋人女性‥‥スーリィが、ポーカーフェイスを保ったままコールした。カードの山から二枚取り、二枚目を表返す。
ダイヤのキングだ。
すかさず、スーリィがレイズした。三つの石を、掛け金の山に付け加える。金髪の女性‥‥ダリルが、唸った。
「ひとつ聞きたいんだけど‥‥ここ、何の基地なの?」
「私たちもよく知らないのよ」
瑞樹の質問に、サンディが肩をすくめた。
「たぶんあなたも同じだろうと思うけど、急に辞令が来て、UNUFAFに出向させられただけ。ただ言える事は‥‥」
言葉を切ったサンディが、いたずらっぽく微笑むと、瑞樹の肘をなれなれしく掴んだ。
「あなたの前歴、当ててみましょうか。UNUFNAWCで実戦経験あり。その前は、テストパイロットか、教官だった」
「‥‥おおよそ当たってるわね」
「でしょう。わたしもサンディもスーリィも、同じ。全員カピィ戦で実戦経験がある上、テストパイロットか教官上がり。おそらく、このあたりに正解が隠れてると思うんだけど‥‥」
散々唸ったダリルが、フォールドした。スーリィが、涼しい顔のままオセロの石をかき集める。
「凄いわね、あなた」
瑞樹は、スーリィの腕前を褒めた。
「シァ・スーリィ。中国空軍大尉」
立ち上がったスーリィが、瑞樹の手を握った。PLAAF(人民解放軍空軍)ではなく、チャイナ・エアフォースと称するのが、最近の流行だ。瑞樹よりも数センチ背が高く、面長の顔はやや頬骨が張っている。中国人らしからぬ大きな眼が、印象的だ。まあ、漢民族は様々な人種の寄り合い所帯だから、異国的な顔立ちでも不思議はないが。彼女が浮かべた人懐っこそうな笑みは、ゲーム中のポーカーフェイスとはまるで別人のようだった。瑞樹も笑顔で名乗り返した。
「ああっ、もう。スーリィ相手にやってたらオケラになっちゃうよ」
手札をテーブルに放り出し、ダリルが立ち上がった。にやりと笑って、瑞樹に歩み寄る。
「よろしくね。あたしはダリル・シェルトン。合衆国海軍少佐。前はライノ(F−18E)に乗ってた」
「少佐殿でしたか」
「ああ、気にすることないわよ」
サンディが、口を挟む。
「この部隊はあまり階級を気にしないようだし‥‥だいたいダリルも戦時昇進だからね」
「それを言わないでよ、サンディ」
ダリルが、へこんだ。
「‥‥で、どういう部隊なの、ここ? わたしたちは何をやらされるの?」
瑞樹は、手近のパイプ椅子に座った。
「あたしが聞いた話では、ここはある種の実験飛行隊で、所属するパイロットは六名らしいわ」
丁寧にオセロの石を積み上げながら、スーリィが言う。
「じゃあ、あと二人いるわけ?」
瑞樹の問いに、スーリィがうなずく。
「でも、来るのは数日後になるみたい」
「四人目が来たら詳しいブリーフィングを行うとボスが言ってたから、いずれにしても今日中に話はあるだろうね」
ソファに脚を組んで座りながら、ダリルがやや投げやりに言った。
「ボス‥‥誰なの?」
「ヴィンス・アークライト中将。合衆国空軍」
ぼそりと、スーリィが答える。
「三ツ星の将軍が、基地司令なの?」
瑞樹は眉を吊り上げた。普通、空軍基地司令は大佐が、他の任務兼用でも准将クラスが務めるものだ。
「まあ、中将は戦時昇進だけどね。BCDは、AFMCの少将だったひとよ」
USAFのサンディが、説明する。AFMCは、合衆国空軍のマテリアル・コマンド‥‥兵站全般と兵器開発などを担当する組織である。
「でも、なんで四人とも女性パイロットなわけ?」
当然浮かぶ疑問を、瑞樹は口にした。
サンディとダリルとスーリィが、お互い顔を見合わせる。この三人にも見当がつかないらしい。
「ある種の、リクルーティングのための広報をやらされるんじゃないか、って予想はしたけどね」
ややあって、ダリルが言う。
「多国籍、美人ばっかり。〈強い女の子はUNUFAFに入ってカピィをやっつけよう!〉みたいなノリで」
「それだけのために、空軍中将をボスに据えるの?」
瑞樹は突っ込んだ。
「だから、その予想は外れだって」
ダリルが、だるそうな表情で脚を組み替えた。
「単なる広報なら、もっと若いパイロットを使えばいい。それに、実戦経験はアピールポイントになるけど、テストパイロットや教官の経験は必要ないからね」
「ここの警戒態勢は異常だわ」
スーリィが、言う。
「何らかの新型兵器のテスト基地、と考えると辻褄は合うのよ。元AFMCの中将。テストパイロット。警戒厳重な基地。もともと、新田原って日本空軍のテスト基地でしょ?」
サンディが訊く。ジャパニーズ・エアフォースという呼び方も、すでに一般化している。
「テスト基地というより、訓練基地ね。アグレッサー・スコードロンがあったりするけど」
瑞樹はそう答えた。
「失礼します」
開けっ放しの扉の陰から、声がかかる。美羽だ。
「基地司令がブリーフィングを行うそうです。みなさん、作戦室においでください」
美羽の案内に従って、地下二階へと階段を降りる。そっけない打ちっぱなしコンクリートの通路をしばらく歩いた先に、対爆仕様と思われる頑丈そうなスチールの扉があった。天井の隅には監視カメラが据えてある。
美羽が扉脇のテンキーパッドをなにやら操作した。重そうな扉が、音もなく開く。
「どうぞお入りください、みなさん」
扉の向こうに現れたのは、グリーンの眼にそばかすが印象的な赤毛の女性曹長だった。高級ホテル従業員のような優雅なしぐさで、四人のパイロットを招じ入れる。美羽は、扉の外に残った。
「凄っ」
おもわず瑞樹はそう漏らした。
なんともハイテク三昧の部屋だった。広さはさしてない‥‥15メートル×20メートルといったところか。正面に2メートル×2メートルくらいの大型プラズマディスプレイが、みっつ並んで壁面に埋め込まれている。それと向き合うようにして長いコンソールが二列設けられている。左側の壁面にもコンソールが三席。右側には大きな低目のテーブルと、壁に埋め込まれた小さめの液晶ディスプレイが数十枚。まるでNASAの広報映像に出てくるような部屋だ。
「ここが当基地の心臓部、作戦室です」
赤毛の女性曹長が、自慢げに言う。
「申し遅れましたが、わたくし当作戦室オペレーターのミシェーラ・イングラムと申します。合衆国空軍出身です。すぐに司令がいらっしゃるはずですので、お待ちください」
ミシェーラが、そう言って壁面のコンソールに座った。すぐに、正面の三枚の大型ディスプレイが生き返った。二枚がテストパターンを、一枚が砂の嵐を映し出す。
「なんか‥‥アニメにでも出てきそうな部屋だね」
小声で、ダリルが感想を漏らす。
ほどなく、三人の男性を従えて背の高い‥‥190センチを超えるだろう‥‥将官が現れた。四人の女性パイロットは、すばやく敬礼した。
瑞樹はじっくりとボスを観察した。アークライト中将は、いかにも軍人らしい厳つい顔立ちだった。がっちりとした骨太の体躯で、灰色の髪を短く刈っている。年齢は、五十代前半というところか。
後に続くUNUFAFの制服を着込んだ東洋人男性は、瑞樹には見覚えがあった。名前は思い出せないが、たしかどこかの航空自衛隊基地司令を務めていた人物だ。アークライトより頭ひとつ分小柄で、ほぼ同年代に見える。髪は頭頂部が薄い、いわゆるバーコード頭だ。丸顔で、軍人らしからぬ善人面をしている。さながら小学校の教頭先生みたいだな、と瑞樹は思った。着けている階級章は、UN式の准将だ。
三人目の東洋人は、細い目と高い頬骨という典型的中国人の風貌だった。階級章は大佐。背は日本人准将と同じくらいだが、ずっと引き締まった体つきをしている。黒髪を短く刈り上げており、ベルトからホルスターを下げている。アークライトや日本人准将よりはいくらか若い。四十代半ばくらいのようだ。
最後尾に続く男性は、どう見ても民間人だった。年のころは四十代に入ったばかり、というところだろうか。灰色のジャケットと暗い赤のネクタイ。こげ茶色のベスト。上背はそこそこあるが、背中が丸まっている。きっちりと左右に分けられた黒髪。丸顔で、大きなブラウンの眼が印象的だ。瑞樹はなんとなくフクロウを連想した。
「楽にしてくれ、諸君」
女性パイロットたちに向き合ったアークライト中将が、告げた。残る三人は、その右後方に立っている。
「わたしが当基地‥‥秘匿名称メイスの基地司令を務めるヴィンス・アークライト中将だ。紹介しておこう。彼が副司令の矢野春彦准将」
瑞樹の見覚えのある准将が、わずかにうなずく。
「セキュリティ・フォース・グループ司令の、ソン・グオジェン大佐」
中国人大佐が、鋭い眼で瑞樹らを一瞥する。
「そして彼がランス・ベース研究員で、当基地との連絡役を務めてくれるマーク・フロスト教授だ」
民間人が、ぺこりと一礼した。
「では、指揮系統から説明しておこう」
アークライトが言うと同時に、カラーパターンを映し出していた大型ディスプレイの一枚に、簡略な組織図が映し出された。
「見ての通り、当基地はUNUFHQの直轄部隊に組み込まれている。全体としての秘匿名称はラムダ・フォース。司令本部はランス・ベース。ここにプロジェクト・ラムダの開発センターが置かれている。所在地は諸君にも明かせない。まあ、中華人民共和国某所とだけ言っておこう。開発センター本部長は、オレグ・サヴィン教授。副本部長は、サイラス・ウッド博士。諸君もいずれお目にかかることになるだろう。軍事部門司令部も、ここに置かれている。司令官は、チェン・ガン大将だ」
プロジェクト・ラムダ? ランス・ベース? 開発センター?
瑞樹はいきなり混乱した。
「当基地は、チェン大将の指揮下ということになる。基地名称は、メイス・ベース。所属する飛行隊は、フレイル・スコードロン。見ての通り、同様の基地がもうひとつある。こちらの基地名称はソード・ベース。所在地は、イングランド南部。RAFブライズ・ノートン基地に併設されている。所属する飛行隊はダガー・スコードロン。我々の姉妹基地であると同時に、君たちの姉妹飛行隊というわけだ」
アークライトが、にやりと笑った。
「諸君らの任務は、簡単に言ってしまえば新兵器のテストだ。では、詳細をフロスト教授に説明していただこう。教授、どうぞ」
フロスト教授が、一歩前に出た。
「こんにちは、みなさん。カピィとの戦いで、人類側が最も苦しめられているポイントが、残念ながら空戦兵器の劣位にあることは、空軍パイロットであるあなた方‥‥失礼、海軍の方もいらっしゃいましたな。言い換えましょう。作戦機パイロットであるあなた方に説明するまでもないでしょう」
瑞樹は心中でうなずいた。その悲哀は、北米で何度も経験している。
「人類側の優れた戦闘機‥‥F−22ラプター、フランカー・ファミリー、ラファール、タイフーン‥‥いずれをもってしても、重装甲かつ重武装、そして高機動のファイアドッグとのACMは不利です。その結果、人類側は常に敵航空優勢下で戦わねばならない。‥‥そのカピィ兵器の優位さの源泉はなにか?」
カラーパターンを写していたディスプレイに、新たな映像が現れた。角を丸めた灰色の正六面体に、一見でたらめに穴をいくつか開けたように思える物体。‥‥カピィの核融合タービンだ。
「言うまでもありませんね。カピィのNT。ニュークリア・タービン。あの巨大なタイクーンから、ワンマン・タンクであるシーフ。もちろんファイアドックやフルバックのような航空兵器まで、全てのカピィ兵器はこのNTで駆動しています。比較的軽量で、大出力。空力性を重視せざるを得ず、大量の燃料を搭載せざるを得ず、軽量化のために装甲化するわけにも行かず、兵装搭載量に限度がある人類の戦闘機が、敵うはずがない」
フロスト教授が言葉を切った。
「‥‥そんな状況下で、UNUFHQはプロジェクト・ラムダを立ち上げました。目的は、カピィNTのコピー生産です。幸い、NTは大変丈夫にできており、破壊したカピィ兵器から無傷のNTをいくつも回収できたので、これを分解、解析し、模倣しようと考えたのです。しかし、その構想はすぐに破綻しました」
ディスプレイに、スチールが映った。白衣や作業服姿の大勢の人々が、NTに群がっている。
「構造を解析し、その作動原理を解明したものの、現状の人類の技術力では、コピーすることは無理だと判明したのです。機構的には磁場封じ込めタイプの核融合炉ですが、これを再現するためには効果的な中性子遮蔽方法、高温超伝導技術、特殊かつ高度な冶金学などを始めとする基礎工業レベルが足りないのです。‥‥挫折しかけたプロジェクト・ラムダでしたが、他部門では目覚しい成果が上がっていました。すでに兵器開発部門では、コピーNT搭載を前提とした航空兵器の設計が進み、試作段階にまで至っていたのです。とりあえず、捕獲したNTを搭載して試験飛行を行うとの決定がなされました。では、ここで興味深い映像を見てもらいましょう」
ディスプレイに、動画が現れた。Su−47を思わせる前進翼機‥‥ただし、胴体は驚くほど太い‥‥が、エプロンに駐機している。パイロットは乗っているが、キャノピーは開いたままだ。声がかぶさる。
「何度やっても起動しない。実験を中止するか?」
「もう一度試せ」
「‥‥だめだ。起動しない」
「テストベッドでは一定の電圧を掛けるだけで簡単に起動できたカピィのNTが、いざ機体に搭載すると起動しなかったのです」
フロストが、説明した。
「かなり長いあいだ、その原因は不明でした。あるとき、その原因がつかめました。テストベッドでNTが起動しないことがあったのです。その数分後に、再び試したところ正常に起動しました。わたしたちは数分前の環境を再現し、起動失敗の原因を探りました。それは、意外なところにあったのです‥‥」
フロストが、芝居がかって言葉を切り、四人の女性パイロットを見渡した。
「鍵は、女性だったのです」
「はあ?」
おもわず声を出したのは、ダリル。
「起動失敗した時に、たまたま女性研究員がひとりもそばにいなかったのです。再起動の時には、そばにいた。この推論を確かめるために実験を行いましたが、たしかにそばに女性がいないと起動しませんでした。で、これです」
ディスプレイの映像が変わった。先ほどと同じSu−47もどきだが、コックピットに座っているのは別人らしい。
「コントロール。起動する」
女性の声が、告げる。
「起動を確認。タキシー・テストに入る許可を求める」
「ですから、あなたがた女性ばかりが集められたのです」
フロスト教授が、居並ぶ四人の女性パイロットを、順繰りに見つめる。
「しかし‥‥教授。質問よろしいですか?」
サンディが、おずおずと手を上げる。
「どうぞ。ミズ・ローガンでしたね」
「なぜ女性だとNTを起動できるのですか?」
「正直、判りません」
フロストが、笑った。
「まあ、起動時のみ女性がいればいいので、パイロットそのものは男性でもかまわないのですが、万が一空中で再起動、などという危険な事態に陥ることを想定し、今のところNT兵器のパイロットは女性限定となっています‥‥では、話を戻しましょう。NTのコピーは失敗。しかしNT兵器の試作は順調に進んでいる。当然出てくるアイデアが、〈鹵獲したNTを流用したNT兵器の製作〉です。しかしながら、無傷で確保できたNTの数には限りがあります。供給も不安定で、NT兵器の大量生産は見込めない。少数精鋭主義で行くしかない。そういうわけで、本格的に人類製NT兵器を実戦投入する前に、増加試作機を使った少数機での部隊運用と、効果的な戦術の確立を目指す飛行隊の設立が計画されました。それが、ダガー・スコードロンとフレイル・スコードロンです。あなた方はいずれ与えられる人類製NT航空兵器に乗り、各種テストと戦技研究を行ってもらいます。良好な結果が得られれば、その後北米での実戦テストに移行します。では、機体を見てもらいましょうか」
ディスプレイが四つに区切られ、それぞれに違う機体が表示された。
「右上の機体が、ゾリア。比較的軽量で、偵察兼軽攻撃機として設計されました。兵装は少なめで、その分電子戦関連機器が充実しています」
ずんぐりした中翼の無尾翼クリップド・デルタ翼機だった。外側に傾いた双垂直尾翼。機体規模に比べ、主翼は驚くほど小面積だ。タイフーンのそれに似た大きなエアインテークが、機首の下部に見える。主翼下には、パイロンが四つ付いていた。
「左上が、ヴァジェット。高速かつ高機動の制空戦闘機です」
こちらはゾリアと比べると、機首が長い分ほっそりとした印象だった。ただし、大きな矩形のエアインテークがコックピット後方の胴体から左右二つずつ張り出しており、その後方は恐ろしく太い。主翼は中翼位置に取り付けられた前進翼で、尾部には常識的な位置に水平尾翼と外側に傾いた双垂直翼がある。機首にも小さなデルタ翼のフィンがついており、機動性を重視したような設計に見える。パイロンは、胴体下面に四つ付いていた。
「右下が、ネメシス。大型の戦闘攻撃機タイプです」
ヴァジェットより一回り大きな機体だった。インテークは胴体左右に大きな矩形のものが二つついている。無尾翼のクリップド・デルタ翼機で、インテーク両脇にカナードが付いている。垂直尾翼は、大型のものが一枚。パイロンは、主翼下に四つと、胴体下面に二つ。
「左下が、ベローナ。大型の攻撃機タイプ」
ネメシスと同じくらい大きな機体で、胴体はさらに太かった。ゾリアを一回り大きくしたような印象だ。エアインテークはヴァジェットとそっくりで、前縁の角度がありえないくらい後退したクリップド・デルタ翼がついている。垂直尾翼は二枚で、例によって外側に大きく傾いている。パイロンは、胴体下に四つ。
「ネメシスが思いっきりミグ尾翼なんだけど」
小声で、サンディが指摘する。
たしかに、垂直尾翼はかつてのミグ設計局が多用したあの独特の形状そっくりだった。
言われてみれば、ゾリアやヴァジェット、ベローナの尾翼もスホーイっぽい。どの機体も、ロシア航空宇宙産業製品の色合いを濃く宿している。
「詳しいスペックは、シミュレーター訓練の際に説明するとして‥‥NTについてはお話しておきましょうか」
ディスプレイの機体を食い入るように見つめている四人を眺めつつ、フロスト教授が語り出した。
「ご存知のように、NTは内蔵する重水素を利用して核融合反応を起こし、強制吸気した空気をタービンで圧縮し、加熱膨張させて放出するという機能的にはシンプルなものです。航空機の場合膨張した空気をそのまま噴射し、推進力ないし重力に抗する力として使い、飛行したり上昇したりするわけです。地上車両の場合、噴出した空気で外部タービンを駆動させ、車輪などを動かして移動力とする。カピィは発電用タービンを駆動させ、電力を超伝導コンデンサーに蓄え、レーザーのエネルギー源として使用しています。我々が解明したところでは、モードを変更することによって、ある種の物質‥‥たとえば水を加熱し、高圧の水蒸気として噴射することも可能なようです。この意味、お分かりですか?」
「発電に使えますよね。外燃機関として」
スーリィが、そう答える。
「いえ。もっと直接的に使う方法があります」
フロスト教授が、にやりと笑う。
「水蒸気ロケット?」
サンディが、唐突に言った。フロストが、嬉しそうにうなずく。
「そうです。多少改造が必要ですが、水タンクさえ付ければ、これら各機は宇宙を飛ぶことも可能です。あくまで、理論上ですがね。‥‥また少し話しがずれましたな。NT兵器は燃料搭載の必要がありません。しかもNTは高出力なのでVTO可能ですから、翼面積を削ることができる。浮いた重量分は、すべて構造の強化と装甲の増加、兵装に当てることができました。たとえば装甲ですが、胴体部分はほとんどがチタンないしスチールのフルモノコック構造になっています。さらに外板には、カーボン・カーボン複合材をふんだんに使いました。カピィの対空レーザーに対する耐性は、通常のアルミ合金製の5から8倍に達します‥‥」
「疲れた‥‥」
ダリルが言って、リビングルームのソファに倒れこんだ。
「わたしも」
瑞樹もパイプ椅子に座り込んだ。フロスト教授の言葉が、頭の中で渦を巻いている。核融合タービン。対カピィ戦の切り札たる極秘試作兵器。実戦テスト。脳が与えられた大量の情報の処理を拒否しているかのようだ。
「新兵器のテストだとは薄々感じてたけれど‥‥」
サンディが、立ったまま自販機で買って来たコークをぐびりと飲んだ。
「よもやカピィから分捕ったNTを流用した兵器とはね」
「でも、悪い気はしないわね。これがあれば、ファイアドッグやフラットフィッシュと互角に戦えるわ」
にやにやしながら、スーリィ。
「ねえ、あとの二人って、どんな娘が来るのかなあ?」
むくりと起き上がったダリルが、訊く。
「そうねえ。ダガー・スコードロンの方は、基地の場所からしておそらくヨーロッパ各国の空軍から人材を集めてるんでしょうね。となると、こっちはアメリカ空軍か海軍、あとはアジアの空軍から来るのかな?」
コークの缶を握り締めながら、サンディ。
「ロシアは? NAWCに兵力を出しているくらいだから、こっちも縄張りじゃないの?」
瑞樹はそう言ってみた。
「あと、このあたりで女性パイロットが居そうなほど規模の大きな空軍といえば、インドかオーストラリア、あとはコリアくらいね」
スーリィが、指を折る。
「まあ、誰でもいいか」
ダリルが言って、ソファの上で猫っぽい伸びをした。
「あのNT兵器の名称って、どういう意味があるの?」
瑞樹はそう訊いた。とたんに、リビングの空気が凍り付く。
「‥‥ネメシス、って、聞いたことない?」
ややあって、サンディが訊く。
「ははは‥‥。知らない」
瑞樹は頬を掻いた。
「ネメシスくらいあたしでも知ってるよ。ローマ神話の復讐の女神だよ」
自慢げに、ダリル。
「ギリシャよ、ギリシャ!」
サンディが、激しく突っ込む。
「ネメシスがギリシャ神話。ベローナが、ローマ神話の女神よね、たしか」
スーリィが、言う。
「ベローナは、ローマ神話の戦女神よ。ヴァジェットは、エジプト神話。コブラの女神。ゾリアはスラブ神話だったかな? これも女神だったはず」
サンディが、すらすらと説明する。
「へえ。詳しいのね」
瑞樹は素直に感心した。
「神話はちょっと研究したことがあるのよ」
知識の豊富さを恥じるように言い訳がましく、サンディ。
「すべて女神の名前か。あたしたちに相応しいわね」
恥じらいもなく、ダリルがそう断言する。残る三人が、あきれてため息をついた。
長い話をお読みいただきありがとうございます。本作は四部構成、全二十六話となっております。 お待たせいたしました。読者様からご要望いただきました簡易用語集が完成しましたので、第一話より順次掲載させていただきます。あくまで簡易である上に、編集を急ぎましたので、見落とし、間違いなど数多いと思いますが、お読みいただく際のご参考になれば幸いです。 第一話簡易用語集/MBT Main Battle Tank 主力戦車。 M−1シリーズはアメリカ陸軍現用のMBT。/ジャベリンATM ATMはAnti Tank Missile 対戦車ミサイル。 FGM−148ジャベリンはアメリカ陸軍現用の汎用ATM。/AWACS Airborne Warning and Control System 空中警戒管制機。アメリカのE−3、ロシアのA−50、日本のE−767などが有名。/フィート 1フィートは0.3048メートル。1メートルが3.2808フィート。/CP Contact Point 接触点。この場合のCPの意味は、FACと通信回線で接触を開始する地点を示す。/MFD Multi Function Display 多機能ディスプレイ。一枚のディスプレイに異なる複数の情報を状況に応じて表示できるようにした装置。通常ディスプレイの周囲を取り巻くようにファンクションキーが並んでいる。/スコーピオン・ミサイル Scorpion Missile 架空兵器。対装甲タンデム弾頭短射程大型ミサイル。スコーピオンは英語でサソリの意味。/レイセオン Raytheon アメリカ合衆国の軍需産業メーカー。ミサイルの販売では世界一を誇る。/AMRAAM Advanced Medium-Range Air-to-Air Missile 先進中距離空対空ミサイル。アメリカ製の空対空ミサイル。細長い弾体の中央部と尾部に四枚ずつ三角形のフィンが付いている。/イメージングIR誘導 赤外放射をあるていど画像的に捉え、それを内蔵するデータと比較することにより、目標を識別して誘導する方式。/nm Nautical Mile いわゆる海里。1852メートル。1kmは約0.54nm。/ETA Estimated Time of Arrival 到着予定時刻。/IP Initial Point 目標付近に設定した通過地点。通常、眼立つ地形や建物などの上空。/FCS Fire Control System 火器管制装置。軍用航空機の場合、レーダーや各種センサー、自衛用装備、搭載兵装の管制などを総合的に司る機上システムのことを指す。/NAVからA/Gへ切り替え 航法モードから対地攻撃モードへの変更。/青白いレーザービーム 本来ならば赤外波長(当然眼には見えない)の方が大気によるエネルギーの減衰が少ない。しかしそれでは画にならない(笑) そこであえて可視波長のレーザーを使っています。ご了承下さい。/HUD Head-Up Display 戦闘用航空機の場合、計器版上部に設置された透明な一種のスクリーン。これに各種情報を投影し、頭を上げて前方を見ながら情報を取得できるように工夫された装置。/M249 アメリカ陸軍現用のSAW(分隊自動火器) MINIMIのアメリカ版。/エンジェルス Angels 1000フィート単位での表現。エンジェルス4はすなわち4000フィートを意味する。/ECM Electronic Counter Measures 電子妨害策。/R−27 ロシア製の中射程空対空ミサイル。基本型はSARH(セミアクティブレーダーホーミング・母機の照射したレーダービームの反射を捉えて目標を追尾する)である 西側呼称はAA−10アラモ。/FOX1 セミアクティブレーダーホーミング空対空ミサイルの発射コール。FOX2が、赤外線誘導空対空ミサイルの発射コールで、FOX3がアクティブレーダーホーミング(ミサイル自体がレーダー波を発振する誘導方式)の発射コール。/R−73 ロシア製の短射程空対空ミサイル。赤外線誘導。/デブリーフィング 行動終了後の報告。/バゲージ・ポッド 戦術機のパイロンに装着される貨物運搬用のポッド。見た目はドロップタンク(落下燃料タンク)と変わらない。/ポーカー ここで三人が楽しんでいるのはテキサス・ホールデムというルール。手札は二枚だけで、全員が共用できる開かれた五枚のカードを含めた七枚のうち、五枚を使って自分のハンド(役)を作って勝負する。賭ける回数が四回あるので掛け金が大きくなりやすい、手札が二枚だけなので相手の手が読みやすいなど、運よりも駆け引きが重視されるルールである。/三ツ星の将軍 階級章に星を使用している場合、中将は星三つとなる。/アグレッサー・スコードロン Aggressor Squadron 演習や訓練で敵部隊役を演ずる飛行隊。瑞樹が言及したのはもちろん航空自衛隊飛行教導隊のことである。/RAF Royal Air Force イギリス空軍。/マーク・フロスト教授 Prof. Mark Frost 映画脚本は‥‥書いていないと思う(笑)/Su−47 ロシアのスホーイが自主開発した戦闘機。愛称はベールクト。長い間ベルクートだと思っていたが、ベールクトの方が原音に近いらしい。/クリップド・デルタ翼 デルタ翼(三角翼)の翼端部分を裁ち落としたような形状の平面形をした翼。ジェット戦闘機としてはもっとも一般的な形であり、ぶっちゃけF−15あたりの主翼を見ていただければ‥‥。/パイロン 主翼や胴体のハードポイント(構造強化点)に取り付けられた器具。兵装やドロップタンク、各種ポッドなどを装着する。/ミグ尾翼 ステルス機を別にすれば、航空機の尾翼は充分な面積さえ稼げればその形状はあまり性能を左右しない。ゆえにその形は設計者やメーカーの癖や好み、美的感覚などが如実に現れる箇所である。/カーボン・カーボン複合材 炭素繊維を炭素で固めた複合材。とにかく高温に強い‥‥らしい。