第一話 出会い
この話の主人公は交通事故で手を失っています。そのような内容が苦手な方はこのページを離れて頂くよう、お願い致します。
寒い冬だった。私は厚いコートを羽織り歩き始めた。12月の冬。手はまるで氷水につけたように赤くなっている。頬に触れる風が冷たい。雪がちらついていた。今日は部活のコンクール入賞のお祝いだった。私の尊敬しているさつき先輩が、区のコンクールに入賞、しかも区長賞をもらったたのだ。我が写真部で初めての区長賞。言うまでもなく、盛り上がった。 ゲームをしたり、お好み焼きやもんじゃを食べたり…。だが、何よりさつき先輩との話が楽しかった。楽しくて、本当におめでたいムードだったのですっかり遅くなってしまった。もう22時を回っている。このままでは母に怒られる。門限は21時だから…。でも、そんなことより私には早く帰らなきゃいけない特別な理由がある。私は急いで帰ろうとあゆみを早めた。なんといっても明日はクリスマス。少しでも明日のために早く寝なければ…。何て言ったって6ヶ月ぶりなのだ。ずっと待っていた。あくびなんてしていられない。とても言葉では言い表せないほど、楽しみで仕方なかった。私はクリスマスカラーの輝くネオン街をすたすたと歩いた。クリスマスソングが耳から入って抜けていく。どうでもいいのだ。明日のこと以外は全て。私はさらにあゆみを早めた。明日、明日…。
その時だった。急に光が強くなった。ネオンの光とは違う。まぶしい。何だろう。 しかしそれは一瞬だった。どどんっ。キー。がたん。 急に目の前が暗くなった。それと同時に私の意識も消えた。
目を覚ましたとき、私の目の前には色がなかった。真っ白。何が起きたのかわからない。私はご飯を食べて…、ゲームをして…、急いで帰って…。どうしたっけ、と思い出すのには時間がかかった。その後、帰った途中で光が強くなり、何かに、ぶつかったのだ。多分ひかれたのだろう。だとしたらここは…。そう、 そこは病院だった。病院名の入った日めくりカレンダーの日付は12月26日になっている。ということは…知也は?デートは?プレゼントは?思考回路はめちゃくちゃだった。 私は意味がわからなくて起き上がろうと腕を伸ばした。しかし、いくら伸ばしても届かない。手すりはどこだ?探そうと思って私は上体を起こした。すると…、そこに私の手はなかった。肘から先がなくなっていたのだ。ますます意味がわからない。私は手を失ってしまったのか、まさか…。いや、そんなばかな…。きっと夢だ。 そう考えていると、誰かが部屋に入ってきた。
「彩音!?あなた…、麻酔から目が覚めたのね?」
母だった。母は目に大量の涙を浮かべ、それはしずくとなって私の顔に落ちた。それはまるで豪雨のように激しさを増していく。
「お医者さん、早くー、彩音が、彩音がー目を覚ましたー。」
母が何をいっているかわからないような声で叫んでいた。
「あ、目覚められたのですね。」
私の目の前に背の高い男性が現れた。息を切らしている。首から提げたカードには皆本と書いてある。どうやらこの病院の医師らしい。皆本先生はほっとしたような顔をして、近くにあった椅子に座ってゆっくり話し始めた。
「私は皆本和と言います。初めまして。あなたの担当医です。目が覚められてよかったです。」
私はすぐに聞いた。
「私の手は?どこに?」
それを聞いた皆本先生の表情は一変した。今までの優しい微笑みが一瞬にして消えた。皆本先生は戸惑ったような、悲しそうな顔で黙って母の方を向いた。それを見て、母は頷いた。
「私の方からご説明させて頂きます。あなたはあまりくわしく覚えていないようですが、事故に遭ったのです。12月24日の夜、あなたは飲酒運転をしていた車にひかれたのです。そこまではいいですか?」
「はい。そこまではなんとなく記憶があります。」
「あなたはそこからはねとばされ、そして肘から先をひかれてしまいました。病院に運ばれて来た時には意識は朦朧としていました。私たちは最良を尽くしました。しかし、あなたの命を守るためには、どうしても切断しなくてはいけなくなりました。」
私は全てを理解した。あの日私は飲酒運転の車にひかれたこと、意識が朦朧としていたこと、病院に運ばれたこと、そして本当に手を失ってしまったこと。涙があふれてきた。一昨日まではあったんだ。寒さで赤くなっていた私の手。感覚があった私の手。でも、今は…。今は、もうないんだ。ないということは、私の大好きな写真は撮れなくなってしまう。もう、写真は撮れないのだ。もう二度と自分の手ではとれないんだ。声ではない声が病室に響き渡る。動物の叫びのようだ。多分廊下まで響いているだろう。しかし、そんなことなんて気にしていられない。涙は枯れるどころかどんどんあふれてきた。
「そんなに泣かないでよ。涙、ふきなよ。はい、ティッシュ。」
誰かの声が聞こえた。母でも、あの皆本先生でもない。少女っぽい声だ。誰だかわからないが、とりあえず私はティッシュを探した。だが、涙で目が見えないのと、きき手を失ってしまったので、なかなかティッシュが見つからない。その時だった。急に視界が開けた。
「そんなに泣いていても、何にも変わらないよ。」
目の前には私と同じくらいの少女がいた。服はボロボロ。高校の制服かと思われるスカートにひだはなく、ベストは毛玉だらけ。靴下はよれよれ。ただ髪の毛はしっかり一つに結んでいる。なんともアンバランスな少女だった。
「涙、拭いてくれたんだね。ありがとう。」
私はとりあえず、お礼を言った。他人の目の前で泣いてはいけない。私は即座に作り笑いをした。
「いいの、いいの。初めまして。私は咲妃。17歳。あなたは?」
「私は…、私は枝野彩音。18歳。今は私立山岡高校3年生で写真部。そういえば、その制服、あまりみないね。咲妃ちゃんは何高校?」
私は涙を飲み込んで話を振った。黙っていたら、涙がでそうだった。
「霞野高校。」
聞いたことがない学校だ。ここら辺の学校ではないのだろう。
「咲妃ちゃんは、何号室?」
「えーと、702号室。」
それから部活のことや学校のことについて少しだけ紹介し合った。私は作り笑いに夢中であまり話を聞いていなかった。
「じゃあ、今度遊びに行くね。」
「うん。ありがとう。ごめん、彩音ちゃん。もうわたし行かなきゃ。じゃあね。」
しばらくしてから咲妃ちゃんはそう言って、病室から出て行った。きっと私の気持ちがわかったのだろう。涙をこらえていたのを知っていたのかもしれない。おそらく話したのは5分くらいだった。でも一つ疑問が残った。なぜ私のところに来たのだろうか。全く知らない人間の涙をふいてもくれた。特に私に用事があったと言うわけでもなさそうだ。よくはわからないが、今はなにも考えたくなかった。というか、考えられない。私は自分の肘を触った。やはり、手はない。こらえていた涙が再びあふれ始めた。そして私はまた動物のように泣き叫んでしまった。
目を覚ました時、既に夜になっていた。私は食事を持ってきたナースに起こされた。もう少し寝かせてほしかった。何だか今日は疲れた。それもそのはず、ほとんど一日泣いていたのだ。無理もない。眠そうな私にナースはきつくこう言った。
「残さずに食べてね。いい?元気になりたいでしょう?」
しかし、食べろと言われても食べる気などでない。食べたら吐いてしまいそうだ。しかし、やだ、とは言えなかった。私は笑顔を作り、はい、と言ってナースが出て行ってから布団に入った。その時だった。急に病室のドアがあいた。まさか、なんでナースが…?そう思って私は飛び起きた。ナースにばれたらなんと言われるかわからない。
「何しているんだよー?!」
入ってきたのはナースではなく、咲妃ちゃんだった。
「びっくりしたなぁ。咲妃ちゃん、勝手に入らないでよ!」
「ごめん、ごめん。今食事中でしょ?私も一緒に食べていい?」
咲妃ちゃんは悪びれずにそう言うと、私の前に座った。最悪のタイミングだ。眠気に襲われつつ誰かの相手をするのは大変すぎる。私は断ろうとした。しかし、既に咲妃ちゃんは持ってきたパンを食べ始めていた。私は断れずに
「いいよ。ただ、眠いからあまり遅くまではいないでほしいな。」
と伝えた。咲妃ちゃんは嬉しそうに食べ続ける。一方私は豆腐しか食べていなかった。箸が本当に進まない。いつもであれば普通なはずの量が多く感じられた。豆腐をちまちま食べながら、私は外の景色を眺めていた。
「きれいだよね。私、夜景大好き。」
咲妃ちゃんが話しかけてきた。
「そうだね。クリスマスが終わった夜景はちょっと寂しいけど。」
私は何気なく答えた。クリスマス。終わってしまった。今頃、知也はどうしているだろう。スマホをまだ返してもらっていないので、連絡ができない。本来はクリスマスに知也と買い物な行く予定だった。知也とはもう半年会っていない。彼は北海道に住んでいて、ここ東京とは離れてしまっている。彼は飛行機でくるはずだった。買い物の行き先は有名なアウトレットパーク。私がどうしても欲しかった鞄があり、知也がプレゼントとしてくれるはずだったのだ。それから、予約したレストランでゆっくり食事をする予定だった。ああ。事故がなければ。
「何でため息をしているの?何かあったの?」
どうやら私は知らぬ間にため息をついていたらしい。咲妃ちゃんは私にそう言った。理由を言う必要はない。私はそう判断して心配かけまいと嘘をついた。
「夜景があまりにもきれいだったから。」
「そっか。確かにきれいだもんね。ご飯、冷めちゃうよ。」
パンを食べ終えた咲妃ちゃんは私にご飯の催促をしてきた。食べなきゃいけないのはわかっている。だが、どうしても悲しみと疲れとクリスマスと…。眠い上に沢山のことが頭の中でまざっていて食欲がなかった。そんな私をみた咲妃ちゃんは、手伝うよと私のおかずを少しだけつまんだ。とてもおいしいとは思えない病院食。しかし、咲妃ちゃんはおいしそうに食べる。
「ねえ、彩音ちゃん。これ、美味しい!」
咲妃ちゃんはそう言って、きんぴらゴボウを指さした。本当に美味しいのか?見るからにまずそうだが。私はしぶしぶ食べてみた。やはりまずい。どうしたらこれが美味しいと言えるのか。私は咲妃ちゃんの味覚を疑った。
「スープも美味しいよ!」
「ご飯、冷めちゃうよ。」
「サラダ、うまい!」
そう言われる度に私は箸を運んだ。やだ、とは言えない。そして私も
「美味しいよ!」
と言いながら、ついには全てをを食べ終えた。苦しい。まずすぎる。そんな私とは反対に咲妃ちゃんは幸せそうな顔をしていた。何でだろう。こんなに味の薄いまずい料理が美味しいだなんて…。頭がごちゃごちゃして、きけそうになかったが不思議でならなかった。
「彩音ちゃん。何だか眠い。食べ過ぎたよ…。もう寝るね。」
咲妃ちゃんはそのまま、満足そうな笑みを浮かべながら病室を出て行った。
一人になった私はまた夜景を見ていた。あの時急いで帰らなければ良かった。後悔したが当然時間は戻らない。そう思うと涙が流れた。美しい夜景は涙で歪んでいった。
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