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鬼の霍乱

作者: 我路あさこ

一部世の中には嫁、姑問題というのが存在します。それは些細な小競り合い程度のものから完全なる「いじめ」に近いものまで。大抵の場合は姑が息子の嫁に嫌がらせをするというのが一般的なのかもしれません。

その嫌がらせも嫌味を言う程度に収まれば良いのですが…

嫁が限界を迎えたとき、姑が心配しなければならないのは嫁の復讐よりも自分の息子の出方を心配したほうが良いかもしれません。2人ともうまくやってよ…というのが本心でしょうが、姑の嫌がらせが頂点に達した時、それはその姑の息子の沸点にも達するということを世の中の姑にわかってほしい…

人生、喜寿に差し掛かろうかとういう時にどれ程の人間が後悔、反省、そして懺悔の念に苛まれるのだろうか。子供や孫に大事にされ満たされた老後を過ごしている人間は世の中にどのくらいいるだろうか。

願わくば私もその中の1人になりたかった、いや今でもそうなりたいと切に願っている。

今からでも遅くはない、毎日そう言い聞かせてはいるものの心の中ではもうわかっているのだ。時既に遅し、事はもう終焉を迎え事態は何も変わらない、変えられない。そしてこれは他の誰でもない私が招いた結果であり全ては私のしてきた「行い」への当然の結果なのだと……。


2005年冬、長男から1本の電話がかかってきた。「あ、母さん?俺だけど。実は結婚したい相手がいるんだけど、年始にそっちに一緒に連れて帰ろうと思ってるからよろしくね。相手のご両親には先週会って結婚の了解も得てるから。」私はとても驚いたが久しぶりの長男からの連絡に素直に喜び「おめでとう!まだ相手の女性にお会いしてないけど誠司の選んだ相手だもの、きっと良いお嬢さんでしょ!」と心の底からのお祝いを言った。私には3人の子供がいる。長女の真理子は実家から5分の距離に子供3人と一緒に暮らしているが離婚をしている。彼女の元夫もそこから数分の距離に住んでいてお互いに再婚はしていない。親権は娘の真理子が持っているが、お盆や年末年始など休暇にはどちらの親と過ごすか等の事で度々揉めては私に助けを求めてきている。次女の恵子もまた実家から5分の距離に子供2人と暮らしている。彼女は一端は夫と離婚協議に入り彼女は今まで家族で暮らしていた家に子供2人と残り、夫はそこから10分程の所に家を購入して暮らしているのだが一度離れたことでお互いに優しく愛情を持って接することができる、ということで離婚はせずに別居婚という独自の結婚生活を送っている。当人同士がそれで良いのならと親心に応援はしているが、やはり心のどこかでこの「特異な結婚生活」に対し世間の目を気にしている自分がいるのが本心だ。

そして末っ子であり長男の誠司は奔放で身勝手な姉2人を見てきたせいなのか親の私が言うのも恥ずかしいがとてもしっかりしていて昔ながらの男気質という感じである。高校や大学でもガールフレンドをとっかえひっかえするようなタイプではなく今までいた数少ないガールフレンド達も皆礼儀正しく清楚なお嬢さんというタイプだった。なので私は誠司の連れて来る近い未来のお嫁さんに対する不安など全く無かった。


大晦日、長女の真理子が子供3人を連れて実家に来ていた。真理子の次男と長女の賑やかな声を、そして思春期に差し掛かった長男の母親への口答えを聞きながら私は台所でお正月の準備に大忙しだった。

次女の恵子からは連絡があり、彼女の夫の実家に挨拶してからこちらに向かうので到着するのは20時過ぎになってしまうとのことだった。私は次女恵子が相手のご両親の家に行ったのが数年ぶりだという事にしばらくして気付いた。別居婚という他人には理解されがたい結婚生活を送っているけども、自分たちに会う結婚の形を選択しその効果も出ているのだと少し嬉しく思い顔が自然とほころんだ。

今振り返って思えば私はもっと娘たちに嫁の立場としての振る舞いについて口を挟むべきだったと反省している。娘たちや孫が自分の周りに住んでいたが故、娘たちに対し義理のご両親への気遣いなど口を挟むどころか様子を聞いたことさえ無かったのではないかと思う。

お嫁に行った立場なのだから義理のご両親を大切にしなさい、こんな簡単な一言さえ私の口からは一度も出た記憶がない。まさに「自分良ければ全て良し」の代名詞のような人間だったのだろう。

夜になり次女恵子と家族も到着し皆でテレビを見て談笑しながら少し時間は早かったけれど年越しそばを食べていた。今年はこんなことがあった、来年もみんな元気に健康に過ごせたらと他愛もないありきたりな会話をしていた。そして話は自然と明日、誠司が連れてくるであろう婚約者の話になった。真理子も恵子も誠司はしっかり者だし将来設計も昔からきちっとしてたし、きっと真面目で優しいお嬢さんを連れて来るに決まっていると話が盛り上がっていた。私も娘たちと同じ気持ちだったしとても楽しみにしていた。いつか誠司にお嫁さんが来てくれたら仲良くしたい、昔からそう思っていたことは本当だった。そして私はまだ、この後に心の感情にいとも簡単にそして恐ろしいくらいの変化が訪れることを全く知らなかった。

いや感情の変化ではない、きっと私は元々が「そういう人間」だったのだろう。

なりたくない自分になってしまうのではなく本来の自分に戻っただけだったのかも知れない。


翌日元旦、午前11時になろうかとうところで玄関のチャイムが鳴った。私がドアを開けるとそこには誠司がおり約1年ぶりに会う長男はすっかり社会で活躍しているであろう大人なしっかりした男性に成長していた。誠司自身も良い意味で自信に満ち溢れていて一瞬で彼の仕事や生活の全てが順調で満たされているのであろうと簡単に推測が出来るほどだった。そして長男の後ろに少し隠れる程度に華奢な女性が立っていた。

私がいらっしゃい!と声を掛けるとその女性は「初めまして、安藤美奈と申します。元旦のお忙しい時にお邪魔してしまい申し訳ありません」と深く礼をした。美奈さん、この女性が誠司のお嫁さんになる人なのねという思いで彼女をしばらく見てしまった。美奈はとても華奢な体つきで肌が透き通るように白い。そしてなにより美人。現代的な美人というより昔ながらの美人という顔つきだった。目は大きくはないけどとても力強く意思のある目をしていて鼻筋もとても高く万人が美人と表現をするような顔だちだった。

私は誠司の姉2人とその家族も来ているので一緒に食事をしながらゆっくりお話しをしましょう、美奈さんの事ももっと知りたいわ、というようなことを言って2人をダイニングに通した。

誠司の連れて来た美人の婚約者に私の2人の娘も興奮気味に話しかけていた。私が美奈さんに聞きたかったことを娘たちが全て聞いてくれたので最終的には私からお尋ねすることなど本当になかったくらいだ。

美奈さんは大学を卒業後、大変な就職難で8カ月ほど就職浪人をしていたらしいが、ちょうどよいタイミングで彼女のお父様の友人の協力があり現在お勤めの会社に入社できたそうだ。その会社が誠司の会社の大きな取引先というご縁で出会ったという。そして彼女の家族だが美奈さんのご両親は結婚40年、お父様は大学を卒業後、官庁にお勤めされていて1年後に定年退職の予定だという。そしてお母様は結婚後は専業主婦として家庭を守りながら時折、華道教室の臨時の先生をしていたそうだ。美奈さんのお姉様はまだ結婚はされていないが大学を卒業後に誰もが知っているような大きい会社でアナリストとして働いているという。まさにわが家とは正反対「しっかりとした家庭」とでも呼ぶべきだろうか。きっとこの時から始まっていたのだろう、私が美奈に対して嫉妬や何か嫌味の一つを言わなきゃ気が済まないと感じるようになってきたのは。私が思い描いていた結婚家庭生活、そして子供たちにしてあげたい、けども出来なかったことの全てをこの子はご両親にしてもらって育ってきた、そう考えるだけで悔しさが込みあげてきて勝手に不機嫌になっていた。決して美奈が悪いわけじゃない、たまたまそいう家庭に生まれただけで彼女を恨むのは間違っている、頭ではわかっていても私は最後の最後までこの気持ちを封印することができなかった。

私の結婚生活は散々なものだった。若くして結婚し長女真理子が生まれその4年後に次女恵子が生まれた。最初の夫との結婚は親が決めた縁談だった。肉体的に暴力を受けたことは一度もなかった、けれど子供が生まれてからも育児や家のことは手伝いなどしてくれなかった。私達の年代であればそれはほとんど当たり前だったが、この夫に関していえば子供や私に一切の興味を示さなかったという表現がしっくりくるだろう。一つ屋根の下に暮らしていてもまるで子供たちや私が存在しないかのように心が家庭に無かった男だった。

私はそんな元夫の態度が「意地悪」だと思い離婚を決意した。もちろん子供に興味のない男だった為に親権について裁判所で争うこともなく簡単に決着はついた。彼は戦地に赴いた人間なのでPTSDなどもあったかもしれない。けどその後も結婚離婚を繰り返し今は4人目の妻とようやく落ち着いて暮らしていて結婚20周年を迎えたと聞いた。ちなみに真理子と恵子は今でも彼女たちの父親と交流は持っている。

私は最初の夫と別れた10年後に再婚をした。2番目の夫は父親の違う2人の娘をとても大切にしてくれた。そして子供たちが父親と過ごす週末など私が1人の時には乗馬に連れて行ってくれたりハイキングをしてとても素晴らしい景色を見せてくれたりとても素晴らしい人だった。

私はその彼からのプロポーズを受け入れ、新たに子供2人と私達と家族としての生活をスタートさせた。

彼は相変わらず娘2人をわが子の様に可愛がり、良く働き私の事もとても大事にしてくれて私は毎日が幸せだった。結婚後ほどなくして私は妊娠した。待望の男の子、それが誠司だった。誠司が誕生してからというもの金銭的には多少大変なこともあったが、夫は2人の娘と誠司をとても大事にしてくれていた。私はこの幸せが一生続いていくということに何の疑いも抱いていなかった。

ところが、誠司が4歳になった年、夫は家を出て行った。他の女性と出会ってしまい恋に落ちたのだと言う。当時の私は夫が離れていく辛さや悲しさよりもこれから先私一人でどうやって子供3人を食べさせていけるのか、そのことが心配で毎晩のように恐怖の波に襲われた。今の世の中で離婚ということになれば離婚原因によっては慰謝料、子供がいれば養育費などの金銭的援助が受けられるのだろうが38年前は必ずしもこうではなかったのだから。私は2つないし3つの仕事を掛け持ちし近所の人や私の妹や弟の手を借りながら何とか子供たちを高校卒業まで育てあげた。3人の子供たちは自分自身で奨学金を得て4年制の大学へ進学をした。子供たちを育てあげた点から見たら私はとても出来た母親に見えただろう。だが子供たちには両親がいる当たり前の家庭の温かさのようなものは与えてあげられなかった。以前、次女の連れて来たボーイフレンドが見るからにしっかりはしていない遊び人のような男だったことがある。私は恵子に将来を考える相手ではない気がするわね、今だけって言うのなら青春を謳歌しなさいと言うし将来の事も考えていると言うのならあの人はやめておいたほうがいいと思うとはっきり彼女に助言したことがあった。しかし恵子はこう言い放った。「2人と結婚してどちらも当たりじゃなかった人の助言は信用できないよ、見る目が全くないのはお母さんじゃない?」次女の恵子はとても激情型な性格だ。身内でも他人に対しても自分の虫の居所が悪いと食って掛かって容赦はしないタイプだ。もともと情緒が不安定で鬱病疾患の人が服用する薬を彼女も定期的に処方してもらったりカウンセリングなどに行ったこともあった。少し前には長女の真理子との約束事があったのだが伝えた日にちの言い間違いだか聞き間違いということが姉妹喧嘩に発展してしまった。喧嘩と言っても一方的に恵子が真理子を罵倒する。この時は恵子は、「そんな集まりの日程の伝達事項さえも責任もってやれないの!?だからアンタの人生は惨めなのよ!一生惨めがお似合いよ!」と電話口で罵しり更には一方的に電話を切ったという。そんな事が度々ある次女からの言葉だったからそんなにショックではなかった。だが実際、私のこの年齢で結婚に2度も失敗しているという事は出来ることなら墓場まで持って行きたいというのが本心だ。そして長女真理子がまさに今、若いころの私が背負っていた苦労をしている、次女の恵子は幸せそうだがその裏には別居婚という人さまには言えない結婚の実態がある。離婚をしても別居婚でも当人が幸せならばそれでいいんだよと娘たちを慰めてきたけれど、親心としては両親がそろっている家庭で孫を育ててほしいという気持ちもほんの僅かはあった。そして来る2月に入籍を考えているという誠司とその横で幸せそうにほほ笑む嫁の美奈。この女性は私の2人の娘たちが縁のなかった「普通の」幸せな結婚生活を育んでいくのだろう、そして美奈を幸せにするのが自分の長男、誠司なのだと思うと今までにない不思議な感情が込みあげてきたのだった。


2月、東京のホテルで両家の初顔合わせの食事会が行われた。

美奈のご両親とお姉さん、私と誠司。美奈のお父さんは19歳から柔道をやっている人で体格も風貌もまさに立派という言葉がぴったりの男性だった。お母さんは美奈と同じくらい華奢で年齢よりもだいぶ若く見えるが着物がとても良く似合う上品で優しく言葉遣いも美しい人。美奈の姉も見るからにキャリアウーマンという感じだがお話をするととても物腰が柔らかく人の話をきちんと聞く礼儀正しいお嬢さんだった。

私はとても安心した。もし美奈の両親が肩書などに拘るような人を上から見る事しか出来ないような人間だったら私は誠司の縁談に水を刺してしまうのではないだろうかと内心はソワソワしいた。

この顔合わせの為に洋服も新調して少しでも小奇麗に見えるようにと頑張ってはいるが、体は太り気味で髪の毛もとても短くパーマをかけていて女性らしさは皆無、もうあと何年かしたらおばあちゃんなのかおじいちゃんなのか、わかりづらくなると自分でも思っている。そして何より育ちや普段の行いが顔に出てしまうのだろう。美味しいものを食べていても美味しそうに見えない、いつも長女真理子の別れた夫の悪口ばかりを言うもんだから顔にその嫌悪が出てしまっていたと思う。ホテルの綺麗なトイレにある良く磨かれた鏡に映った自分を見て正直がっかりしたのを今でも覚えている。

美奈のご家族は本当に仲が良く幸せを絵に描いたような家族だった。その上、私の風貌を目の当たりにしても誠司の家族の細かいや父親のことは一切聞いてこない。姉が2人いる、きっとその程度のことしか知らないのではなかろうか。しかし私は結婚後に色々と知ったという事がないようにしておきたかったのと、それを隠していたと思われるのがとても嫌だったのでこちらの家庭の話を少しずつ始めようとした。

長女と次女、そして長男の誠司の父親が違うという話を私が終えた時だった、美奈の父親が私にこう言ったのだ。「お義母さん、家庭にはそれぞれに色々な事情や過去があると思います。ですがそれは過去の事で今回のこの2人のおめでたい結婚には全く関係のない話です。もしそちらの過去のことで何か言わせてもらえるのであればそれは、お義母さんお一人で3人のお子さんを育ててこられた、そしてこんなに立派に育てた誠司君に娘を嫁に貰っていただけて私たちはとても感謝しているんです。誠司君をこんなに良い男に育ててくれて本当に有難うございます。と私は言いたいですよお義母さん。」私は泣きそうになった。いやきっと数粒の涙が頬を伝っていたと思う。こんなに優しく温かい言葉をくれる両親、そしてその両親の元で育てられた美奈、私も誠司も幸せ者だと心からそう感じていた。

終始和やかな雰囲気と楽しい会話、美味しい食事で私はとても幸せな時間を過ごした。2つの家族が1つになるとはこういうことなのか、と実感してた。宴が終盤に差し掛かったところで私が誠司と美奈に挙式や披露宴について質問をした。「やはり会社同士の付き合いもあるし多少は大きくやったほうが良いんじゃないの?」と。きっと美奈の親が援助をするだろうという憶測もあって披露宴は大きくと欲が出てしまった。

しかし誠司と美奈は結婚式はしない考えだと言って皆を驚かせた。その資金を新婚旅行や新生活に使いたいのと、会社に義理立てるために披露宴をしたならば招待する人数が大変な数になってしまうのでお手紙で報告し、お互いの直属の上司には食事会を設定して報告をして終わりにするということらしい。

そのことに関しても美奈のご両親は最近の若者らしい発想だけど経済的かつ合理的でいいじゃないの、と反対の色は見せなかった。こうして無事に顔合わせ上司への紹介なども無事に済み誠司と美奈はめでたく入籍を済ませた。


2人の入籍から数か月後、誠司と美奈は私の家から15分の距離に新居を構えた。自宅購入も考えたそうだが誠司の転勤も視野にいれてしばらくは賃貸で様子をみようという計画なのだという。

お互いに仕事も忙しいらしいが食事は毎日一緒に済ませ休日は遠出したり、その帰りにはお土産を持って私の家に寄ってくれるとても優しい息子夫婦だった。

私はその時はとても満たされていた。真理子は離婚をしてシングルマザーとして3人の育児と仕事に追われていたがそれでも充実したように見えていた。恵子は相変わらず別居婚だが彼女もまたそれぞれの時間と一緒の時間の両方を大切にすることで今まで以上に思いやりの心でお互いに接していると幸せそうだった。

そして誠司と美奈、二人はほどなくして美奈が第1子の男の子を妊娠し出産は4月後半だと報告を受けた。子供たち、そして孫たち、全員が私の近くで生活をしている、会いたいと思えば歩いてでも行ける距離に住んでいる。こんなに有難く幸せな生活がずっと続くと信じて疑っていなかった。

妊娠の報告を受け、お腹の子供が男の子だとわかり息子夫婦と一緒に喜び少しずつ大きくなるお腹を毎週見せに来てくれたりと、母であり祖母であることの幸せを感じる日々が過ぎ、いよいよ出産まで6週間というところまできた頃だった。美奈が彼女の実家へ里帰り出産をすると言うのだ。これも当たり前のことなのだが、私は自分の娘や息子、孫たちのすべてを自分の手元に置いておきたい、誠司と美奈の長男は私が最初に抱きたいとあらぬ欲を出し始めていた。私は美奈に「なにも1時間ちょっとしか離れていないんだから里帰り出産なんてすることないじゃないのよ、産後は協力するから、ね?ここで一緒に出産を迎えましょう」

と言った。しかし美奈は私の言葉を受け入れなかった。初産なので実家の両親、特に母に傍にいてほしい、育児の協力もまずは自分の母にしてもらいたい、母がいてくれたら何も心配や不安がないと思うから、すいませんお義母さん。と。私はこの言葉を聞いて激情した。口にはもちろん出さなかったが、何を甘えた事を言っているんだ、お前はうちの嫁でそのお腹の子供は織田家の孫息子なんだ!と心の中で叫んだ。

きっと私のぶ然とした表情に美奈も誠司も気付いただろう。しかし誠司は私に「初めての出産なんだから自分の母親に色々と教えてほしいのは当然だろ?お姉ちゃんだって2人とも出産後はお母さんに頼ってたんじゃなかった?俺も生まれてからは美奈の実家から出勤するから。産後1,2カ月でこっちに戻ると思うよ」といって2人は帰ってしまった。玄関のドアが閉まった時ほんの数秒は空虚感に襲われたがすぐさま怒りが込みあげてきた。嫁のくせにいう事を聞かない、何かあるとすぐに実家に帰る嫁などわが家の嫁じゃない、私は静かに独り言を口ずさみながら台所に戻り食器を洗った。


4月後半晴天、長男誠司と嫁の美奈の間に長男が誕生した。誠司から写真付きのメールが携帯に届き私は感無量だった。末息子までもが父親になったのだ、これこそ本当に子供が完全に自立した瞬間だと思った。

私はすぐに誠司に電話をしたが留守番電話に繋がってしまう。数回コールしたが全く電話を取ってくれない。私はメールで「忙しい?おめでとう、美奈さんにもお疲れ様と伝えてね。明日病院に赤ちゃんを見に行くわね」と誠司に送信をした。しかし誠司からの返事は期待していた内容とは180度違った。

「産後、腰やら体中が痛くて歩いてお手洗いに行くのもやっとなくらいなんだ。今は看護婦さんと美奈のお母さんが美奈の身の回りの事を協力してくれてる、美奈は赤ちゃんのお世話でいっぱいいっぱいだから退院するまで待ってあげて、赤ちゃんが寝てるときは彼女にも休んで欲しいし。」自分のお腹を痛めて生んだ息子からきた返事は美奈を思いやる言葉の連続だった。私はわかっていた、誠司のやっている事は100パーセント正しい。彼は自分の家族を持ったんだ、守るべき存在があるのだから当たり前だ。そうわかってはいたが、私は自分の息子が美奈ばかりを気遣い、美奈の両親と協力して美奈の世話を焼いている。そしてその輪の中に私はいない。息子を美奈とあちらの家族に取られたような気持になり面白くない、気に食わないという感情の津波が一気に押し寄せてきた。しかし今思えば、私の2人の娘が合計5人の子供を出産した時、私は常にその場にいた。出産の瞬間、その後の病室や彼女たちの家でいそいそと世話を焼いていた。しかし私は一度でも彼女たちに「義理のご両親に赤ちゃんに会いに来てくださいって連絡してあげなくていいの?絶対に会いたいはずよ?」と助言をしたことなどあっただろうか?娘が出産をして「自分の孫だ」ということだけを喜び相手のご家族が孫に一日でも早く会えるように何か娘たちにアドバイスをしたり取り計らったことはただの一度も無かった。きっとこれは私がしてきたことへのしっぺ返しが徐々に来ていたのだと今は思える。しかし当時の私は自分の行いを顧みて反省できるような年寄りではなかった。

美奈の出産から2週間。私は美奈に電話をした。孫に会いにそちらの実家へ行きたいと伝えたのだが美奈の態度がはっきりしないのだ。美奈は私の様に性格の歪んだ人間ではない。彼女は私と孫を会わせてあげたい、けれど体調がまだ回復してないのでお化粧やら着替えなどをしたくない、けれど義理母が会いに来るのならせめて着替えなければ、と葛藤があったのだと思う。しかし私は半ば強引に日時を伝えてパジャマでもいいから気にしないでと電話を切った。

それから数日後、私は電車を1回乗り換えて美奈の実家へお邪魔した。とても現代的な作りの都心に近いマンションだ。美奈のご両親は年と共に家の維持がだんだんと億劫になってきてしまったらしく2年前にこのマンションを購入したのだそう。物や家具がごちゃごちゃと置かれたわが家とは違い必要最低限でありながら立派な高そうな家具が置かれ日当たりのよいリビングにはベビーベッドではない簡易クリブが置かれていた。日中はそこに赤ちゃんを寝かせてお世話をしているようだ。夜は別室のベビーベッドを美奈が使っている部屋のベッドの横に置いて寝かせていると話していた。私は初めて対面した息子の長男を手に抱いて何とも言えない感情に襲われた。こんな日が来るなんて…と目に涙がたまり瞬きをしたらその大粒の涙が一気に零れ落ちてしまいそうな程だった。私はお祝いと労いの言葉を美奈にかけ、健康な孫を有難うとお礼を言った。こちらこそ、私のわがままとは言え実家での里帰り出産にご理解いただいて感謝しています、有難うございました、と完璧なまでの言葉を私にくれた。そしてその瞬間私は悟った。美奈は私が実家に帰らずここで産みなさいと言ったことを美奈の両親には一切話していない。美奈の母親からいただいた感謝の言葉からもそれが伺えた。誠司との間にこんなに元気で健康な男の子を生んでくれた美奈、そして私の口からでる身勝手な言葉さえもぐっと呑み込み実家の両親にその愚痴一つも言わない美奈、私はどうしてそんな嫁に嫌なことばかりしてきたのだろう。もし時間が戻せるのなら、美奈の実家に孫に会いに行った頃まで戻したいと思う。しかし非情にも時間を戻すことも出来なければ私が美奈に発した数々の言葉や行いも取り消す事はできない。私は何度も何度も私自身に尋ねた。どうして私はこのような人間なのだろうか…と。


月日は流れ誠司と美奈の長男が2歳になった。私の2人の娘の子供たちとも楽しく遊ぶようになり毎日が楽しかった。毎日孫に会うということではないが、孫同士が仲良くしているという報告を受けるたびに幸せな気持ちになった。先日は長女の真理子家族、誠司、美奈家族、そして真理子の元夫とでいちご狩りに行くという報告を真理子がしてきた。私は諭すように真理子に話した。「真理子、あなた別れた時にあの男には子供の事以外では一生関わらないって言ってたじゃないの。それなのに離婚してなぜ今更そんな家族ごっごのようなことをするの」そして真理子は「お母さん、離婚って成立したら夫婦はそれっきりだけど子供が3人もいたんじゃそうも行かないのよ。後味さっぱり後腐れなくなんて正直いって無理なの。子供は母親と父親の両方と過ごしたがる、両親そろって一緒に思い出を作りたがる。私達が元の鞘に戻ることなど絶対にありえないことだけど、今後は子供たちの為の両親として子供の事に関してだけは協力していくって2人で話し合って決めたの。だから何も言わないで。」真理子はそう言うと私の顔を見ず視線をそらした。私は正直不安だった。こうやって家族ごっこのような事をしいているとその延長で復縁を求められでもしたらどうするのだろう?そしてその復縁を断ったら今度はまた更に関係が悪化するのではと。

そしてその予感は的中した。いちご狩りからわずか1週間後、真理子と彼女の元夫は大喧嘩をした。もちろん私にも連絡がありすぐに家に来てほしいと言われたので私は真理子の家に急いだ。彼女の家に到着するとダイニングテーブルに着席して食事をしている元夫と3人の子供の姿があった。私は真理子に一体何があったのかと尋ねが彼女の元夫が真理子を遮るかのように始めた。「この前のいちご狩りがとても楽しくてやっぱり家族一緒っていいなと思ったんです。だから真理子にいきなりではなく少しずつ一緒に過ごす時間を増やしてみて1年後もしくは数年後、その時にまた一緒にやっていけそうだなと思ったら教えて欲しい、僕の気持ちは変わらないから。って言ったんです。そしたら真理子が今彼氏がいるからそれは無理だって。そしてそれを聞いた次男と長女が泣きだしちゃって。僕は別にいいんですよ、真理子に良い相手がいようがいまいが。でも真理子は僕に変な気を持たせるような事をするから、だから僕は復縁をしたいと思ったんです。だが蓋を開けてみたら彼氏がいるとか、ちょっと僕は意味がわからなくて。」

それを聞いた私は元義理息子に「あなたは真理子といちご狩りに、しかも子供たちのために行っただけなのにそれを勘違いして復縁を申し出るの?ちょっと早とちりにも程があるし物事をもっと深く考えるべきじゃないのかしら?」と冷たく言い払った。すると彼は「僕は一緒にいちご狩りに行っただけで勘違いするような思春期の少年じゃありませんよお義母さん?いちご狩りの後、家で一緒に夕飯を食べないかと真理子に誘われてお邪魔したんです。子供もお風呂に入れて寝かしつけて。そして僕も帰ろうとして真理子にお礼を言ったんですよ。久しぶりに子供をお風呂に入れたり寝かしつけたりしてすごく幸せだった、どうも有難うって。そしたら真理子が今日は泊まって行ってくれって。もうこの先は言わなくてもわかりますよねお義母さん?」私は頭に血が上り心臓の鼓動が早くなり体中が熱くなり今にも倒れそうだった。子供の前でこんな話をするこの男に腹が立ち、また別れた元夫に体の関係を催促するような娘の頬を引っぱたいてやりたいくらいの怒りが込みあげて来た。私は真理子の元夫に対し「今後は子供のためにした事を復縁の材料に使うのはやめなさい、子供の為にしていることはあくまで子供だけのため。復縁は無いと真理子も言っているんだから。それから真理子にまた誘われたのならあなたも断りなさい。私はもうあなたを家族と思っていないわよ、私の家族みんな、あなたを家族として扱っていないわよ」と言うと彼は「そうですかね?誠司君と美奈ちゃんは僕を本当の義理兄のように接してくれてますよ?つい数日前も夕飯に招待してくれて美味しい手料理を3人で食べましたけど」と言い、真理子に「もうこういうの無しな。お前のお母さん出てくると本当にロクなことないから」と言って子供に来週の約束をして帰ってしまった。

私は真理子のしたことへの恥ずかしさ、彼女の元夫から発せられた憎たらしくも言い返せる事がない発言に尋常じゃない怒りが込みあげた。その怒りの矛先を何かに向けなければ私は爆発してしまいそうだった。

そして私はある言葉を思い出した。「ほんの数日前に誠司の家で食事をした…」私はとっさに電話を手に取り美奈に電話をした。誠司が中国へ出張中だったことがわかっていたので当たり散らすなら美奈しかいない、そんな普通じゃ考えられない思考が脳を駆け巡ったのだ。私は美奈に「今から行くから」と冷たく伝え彼女の家へ向かった。私は玄関前のベルを鳴らし美奈がドアを開けた瞬間から怒鳴り散らした。

「アンタはどーして真理子の元夫を食事に招待したの!?あれは真理子を傷付けた元夫なのよ!そんな男を自宅に招待して夕飯なんか振る舞ったら真理子が傷つくのわかってるでしょ!アンタはそれでも人間なの!」美奈は「あの…呼んだのは誠司さんで…私はあの…ちょっと前にいちご狩りにも一緒にいった時に真理子さんに離婚はしたけど子供たちの父親だから、美奈ちゃんもリスペクトはしてねと言われていたので」と口ごもっていた。そりゃそうでしょう、60歳過ぎた年寄りが鬼の形相で怒鳴り込んで支離滅裂な事を叫んでいて、しかもそれが愛する夫の母親なんですから。

しかし私は我に返ることができず美奈にこんなことも言ってしまった。「どんなに良い人であろうが何だろが離婚したら家族じゃないのよ!わかった?まったくアンタ常識が無さすぎるわ!」

そして私はそのまま玄関を出て自宅へ帰った。

そしてその晩、後から知った話なのだが真理子も美奈へ電話をかけて罵倒したという。

私が傷つくと思ってわざとやったんでしょ?や、これで私に今彼氏がいることが子供にバレてしまった、元夫にも悪い母親だと言われるわ、私は素晴らしい母親なのに!!!!と散々叫んだそうだ。

この日の出来事が美奈を追い詰め、家族から離れるきっかけを作ってしまったのは言うまでもない。

しかし私は一度美奈に怒鳴り散らした事が私の内側にいた鬼、いやいま思えば本来の私の鬼のような心に火を付けてしまったのだ。その後も私は誠司の留守を見計らっては美奈に家に行き嫌味を言うようになった。

美奈が美味しそうな夕飯を作っていると私は「これは子供とあなたの分?」と聞き美奈は「はい、誠司さんの大好物なので明日の分も作っているので大量なんですよ」と言うと私はつかさず「あらぁ、でもあたなの作った食事食べたら誠司も子供もあなたみたいなちょっと細い目になっちゃうんじゃない?」と言って大笑いをしてみたり、わざわざ誠司と誠司の昔の彼女の写真を持参して美奈に見せては「この彼女はすごく良い子だったのよ、誠司もこの子がベストガールフレンドだったと思ってるんじゃないかしら?私は誠司にはこの子と結婚して欲しかったのよ!」と言ってわざと美奈に不快な気持ちにさせたりしていた。

時には私の妹、つまり美奈の義理叔母に当たる人物に「美奈の左手の薬指の結婚指輪と婚約指輪を見たことがある?あれ美奈が無理矢理ごねて誠司に買わせたのよ、まったく金のかかる女なのよ」と大嘘を言った事もあった。誠司が急性腸炎で夜中に救急車で運ばれた時も近所の人や身内に「医者はストレスだって言ってたわ。うちの嫁、子供妊娠して仕事辞めたでしょ?でも自分が稼いでいた時の金銭感覚から抜け出せなくって贅沢ばかりしてるのよ。だから稼がなきゃいけない!ってうちの息子に圧がかかっちゃったのよ。結果それがストレスになって救急病院へ運ばれる羽目になったのよ。本当にどうしようもない嫁が来ちゃったわ」と更に嘘を塗り重ねた。そして美奈が私だけでなく誠司に対しても嫌悪感を抱くようにわざとマザコンを彷彿とさせるかのような行動をとったこともある。誠司が救急に運ばれ痛みや吐き気が治まり落ち着いてきた時、ふと病室を見ると誠司が美奈の手を握りながら笑顔で楽しそうに会話をしていた。

その様子は私にはやはり面白いものではなかった。そして私はその病室に入りベッドの横に立ち誠司の髪の毛を撫でながら「昼前には退院できそうだってお医者様が言ってたわよ。でも数日はゆっくりね、夜の生活も数日はお預けにしないさいね」と言ってしまった。自分で今考えても反吐がでる発言だった。

なぜあんな事をしたのかがわからない。わからないからこそ自分のしたことに鳥肌が立ってしまうくらい恐ろしくなる。息子を奪った嫁だから?自分が思い描いていた家庭で育ったお嬢さんだから?何度自分に問いただしてもいまだに答えは見つからない。が、やはり息子が夢中になる嫁が憎かったのかもしれない。そして息子の愛情を一心に受けている美奈が面白くなかったのだろう。

そして遂に私は美奈を奈落の底に突き落とすような事をしてしまったのだ。

私は離婚をしてシングルマザーだった。死別でもない離婚。そのため老後も微々たる年金しかもらえず私一人の生活を支えるのも大変だったので日中は週に4回、朝9時から午後2時までスーパーのレジでパートをしていた。そしてその職場に誠司の中学と高校の同級生の聡美さんという女性が働いているのを知った。

私は誠司の学生時代は彼女とは面識がなかったのだが聡美は誠司のことを良く覚えていた事で彼女とはとても仲良くなった。聞けば大学卒業後に就職はしたが人間関係がうまくいかず、引きこもりがちになっていたのだが、このままではいけないと思い少しずつ外にでるようになり今はこのスーパーで私同様、レジのパートを週5回しているという。誠司との昔話以外の事はあまり会話に出てこないのだが、正直頭が良いという感じの女性ではなかった。流行に敏感な派手な女性という感じではあったが一つ驚いたのが、学生の頃、少しの間誠司に思いを寄せていた時期があると聞いて私は何というか「やった」という気持ちになったのを覚えている。そして私は聡美と私の家で日曜日にお茶を飲む約束をした。偶然や話の流れでなんとなく、ではない。私にはちょっとした思惑があってそのような計画をたてたのだ。そして聡美が来る予定の日曜日、私は誠司に連絡をした。庭の草が伸びきってしまったのだが腰が痛くて草刈機を押すのがつらいので手伝って欲しいと伝えると快く引き受けてくれた。息子の電話口での受け答えからも、美奈は今までの私の悪行を誠司には何一つ言い付けていない、本当にお人好しな女だと心の中で嘲笑った。しかしそれはお人好しなのではない、愛する夫の母親だからこそ何を言われても耐えて愛する人の母親として、嫁として我慢をしてくれた彼女の優しさ、いや強さだったのだ。そんなことにさえ気付けない私は人間としてどん底まで落ちていいたのだろう。


日曜の昼下がり、ちょっとしたお茶のお供にとお菓子の手土産を持って聡美が家に来た。庭に置いた小さなテーブルセットに腰をかけ二人で仕事の話しや他愛もない話をしていた。そして私が頃合いを見計らい「聡美ちゃん学生の頃にほんの少しの間誠司のことが好きだったって言ってたでしょ?そんな若かりし青春の思い出を壊しちゃいけないとは思うけど、おじさんになった誠司も見てもらいたくてね、今日は誠司にも声を掛けたのよ!ぜひ会ってね。」そういうと聡美は素直に喜んでいた。

私は一体何を考えていたのだろうか?聡美がまた誠司を好きになり誘惑し、その誘惑に誠司が乗り美奈との家庭を壊せばいいと?考えるだけでも恐ろしいと今はそう思う。が、当時の私にはそれに近い思惑があったのだと思う。1,2回誠司が聡美と過ちを犯して美奈が傷付けばいいと。でもあの美奈のことだから誠司を許すだろう。そうすれば家庭が壊れて孫が傷つくこともないと。こんなに酷い人間が3人の親になったことを神様はどうおもうのだろうか…。

ほどなくして誠司が家にやってきた。息子は聡美をみるなり、あれ?知ってるよね?と彼女に声を掛けた。

私は誠司に「懐かしいでしょ?偶然同じスーパーで働いてるのよ。もう草刈りはいいから思い出話でもしなさいよ」と誠司を促した。誠司は「この後子供を連れて出かけるからゆっくりはできないんだよ。5分だけね、5分したら帰るよ」と言った。2人は当時学校にいた意地悪な先生、ちょっと変わった同級生などの話をして笑っていたが誠司がそろそろ…と席を立ち始めてしまった。そして私は「ちょっと待ちなさい、せっかくの再会なんだから、高校卒業以来でしょ?お母さんに写真撮らせて!と言って無理やり二人の写真を携帯電話で撮った。そして誠司は聡美に軽く挨拶をして家路についた。

私は誠司が車に乗り込むのを確認し、聡美にこう提案した。「ねぇ今の若い人ってソーシャルネット何とかって言うので友達と繋がってるんでしょ?そこに今の写真載せて!きっと当時のお友達が懐かしい!同窓会したい!って気持ちになると思うわよ。いいきっかけになるって!」そして聡美は「あぁ、いいですよ。フェイスブックでなら私、誠司君と繋がってるし共通の同級生もたくさん繋がってますから!」

私は早速自分の携帯から聡美の携帯に2人の写真を送信した。そして聡美も言われるがままその写真をフェイスブックというネットワークに掲載し、聡美と誠司の名前を添付しいていた。

私は誠司も美奈もそのフェイスブックのアカウントがあるのを知っている。以前、子供の成長を写真を通して掲載し残していると言っていたのだ。特に仕事で忙しくなかなか会えない美奈の姉はそのフェイスブックで彼女の甥っ子の写真を見るのが楽しみだと聞いたことがあった。

私は美奈の反応が楽しみだった。誠司に怒りをぶつけ、誠司が呆れてわが家にきて美奈の愚痴でも言うんじゃないかと推測していた。そんな鬼の心がウキウキしていたが1週間、2週間そして1カ月経っても連絡は来ず、私から彼らに電話をしても留守電になるばかりで連絡が取れずにいた。そして最終的に3カ月が経過した頃に誠司から連絡がありこれから家に来ると言うのだ。誠司の声は少し疲れていたようだがとても落ち着いていた。そしてそのあまりに落ち着き何かを覚悟しているような声に私は胸騒ぎがした。


誠司からの電話が来て1時間もたたない頃だっただろうか、誠司がドアベルを鳴らした。

私は玄関のドアを開けるなり、「実家なんだからかしこまってベルなんて鳴らさないで入ってくればいいのに、結婚したってあなたの家でもあるのよ」と努めて明るく話した。しかし息子の誠司からは一切の笑みが出ないどころか私と目線を合わせようともしていない。私は誠司に何か飲み物を出そうとしたが誠司は椅子に座ってくれ10分で済むから、と私を半ば睨むような目つきで言った。

私が椅子に腰を下ろすと誠司は彼の携帯を荒々しくテーブルに置いた。

「この写真覚えてるよな?聡美ちゃんと久しぶりの再会だからって母さんが撮ったの、覚えてるよな?それがその後すぐにフェイスブックに掲載されてて俺の名前が添付されてたから俺よりも先に美奈が見たんだよこの写真。草刈り手伝いに行ったんじゃないの?って不安そうな顔で聞かれて本当に参った。軽い気持ちで懐かしいと思って撮影に応じた結果、大事な人を心配させて不安にさせて、俺は何をしているんだろうって思ったよ。」誠司は俯いたまま顔を上げようとしなかった。私は「でもこれは私が無理やり撮ろうってお願いして撮ったものなんだから、あなたが責任感じなくてもいいでしょう。それを美奈さんにはちゃんと説明したの?」と誠司をなだめた。すると誠司は「いやさ、そうなんだよね。母さんが撮ったんだよ、母さんの提案で。でもさだから不思議だったわけ、何で聡美ちゃんがこの写真アップしてるのか?って。だからそこから彼女にメールしたんだよ。懐かしくて写真撮ったのはうちの母親だけど、でもそれをわざわざ送信してもらってこういう場に掲載するのは止めてほしい、俺には嫁も子供もいて嫁はここの出身じゃないから同級生とか知らないし嫁がみたら同級生だろうが何だろうが他の女との2ショット以外の何物でもないんだよ。俺は誤解を招くような事はしたくないから削除してほしいって。そしたらさ、なんだって母さんが載せるように頼んだって言うじゃん。もうびっくりしたよ本当に。母さんさぁ、何がしたいの?俺を美奈を別れさせたいの?俺を困らせたいの?あ、美奈を傷つけたいのか! この件を美奈に話したら今まで母さんが美奈に言ったこととか全部泣きながら教えてくれたよ。なんですぐに言わなかったのかって聞いたんだけど、美奈は義理とはいえど夫のお母さんだからやっぱり大切にしなきゃいけないしいちいち誠司さんに愚痴ったら誠司さんもストレスになって良くないと思ってたって。こういうの美奈の実家のご両親からの教えらしいよ。美奈はすごいよな、限界、いや限界を超えても耐えてたんだもんな。美奈のご両親も本当にできた人たちだよ。自分の娘が嫁に行く、それだけでも心配だって言うのに昔ながらの嫁の心得とか教えちゃうんだもんなぁ。美奈、母さんのしたことをすべて話したあと俺にこう言ったのよ、嫁が夫の母親のしたことを言い付けるなんて誠司さんも聞きたくないわよね?ごめんなさいって。最近の嫁ってすごいらしいよ?姑さんにもどんどん反論して対等らしいよ?美奈もそういうタイプだったらなぁ。でもさ、美奈は違うんだよ。俺はもう付き合ってた時から数えて5年一緒にいるけど彼女が人の悪口を言ったり揚げ足を取ったり、声を荒げてるところなんて見たことがない。あいつはいつも穏やかでだから俺は一生を共にしたいと思ったんだよ。家に帰ってこんな穏やかな可愛い嫁がいたら辛い仕事も頑張れると思ったから。母さんさ、今まで美奈にやってきたこと恥ずかしいとか思わない?俺そんな70歳みたことないよ、聞いたこともないよ。俺はすごくショックだった。自分を生んで育ててくれた母親がそういう人だったって事が。自分の息子を心から大切に思ってくれる女性をそんな風に扱う母さんが悲しいし空しいよ。」私は誠司のこの言葉で心が爆発してしまった。今までの行いが走馬灯のように思い出され、私は一体何をしていたのか、もう自分が自分じゃないかのように思えた。謝罪の言葉を伝えたい、伝えなければ手遅れになる!と頭ではわかっているのだが体も唇も震えてしまって声にならなかった。

そして誠司はこう続けた。「実は今美奈が2人目を妊娠してるんだ。今回も順調にお腹の中で育ってる。そして俺はそのお腹の子供が無事に誕生してくれるように環境を整える義務がある。そのためには美奈を守ってストレスを与えないように守る必要があるんだよ。」私は早く打つ心臓の鼓動で倒れる寸前だった。このストレスとは私のことであるに違いない。この後息子から出るであろう言葉を想像すると吐きそうだった。

「まぁそういう気持ちだからさ俺は。申し訳ないけど俺たちの電話番号とか連絡先の一切を消去して欲しい。俺たち引っ越すから。引っ越し先も日時も伝えないよ。母さんの事はいつまでも母親と思ってる。でも母さんは完全に一線を越えた。だからおれは絶縁する。元気でな。」誠司はそう言うと何の迷いも無く玄関のドアを開け去っていった。

何が起こったのだろうか。私は何をしてしまったのだろうか。耳の奥が塞がりすべての音が遮られたような感覚になった。そしてその直後息子の言葉を思い出し私は今までの人生でため込んでいた涙を一気に流した。声をだして泣いたのはこれが最初で最後だった。


家の近くの国道から見える空はとても綺麗だった。小さくもふっくらした雲と少し高くなった薄青の空が秋の訪れを伝えてくれていた。

息子の誠司が最後に家を訪ね、去ってから7年近くが経った。

あのとき美奈さんが妊娠していたお腹の子供は無事に生まれていたら6歳くらいだろうか。

男の子なのか女の子なのかも私は知らない。今でも週2回、スーパーのパートは続けている。時々くる4,5歳の女の子とそのお祖母ちゃんの姿を見かけると毎回涙が出そうになる。お祖母ちゃんが買ってあげるね、お母さんとお父さんには内緒よ、そんな会話が聞こえると胸が張り裂けそうだ。

長女真理子はその後再婚をしてここから飛行機で2時間という距離に引っ越した。再婚相手のご両親がとても良い人たちで真理子の連れた3人の子供を本当の孫の様に可愛がってくれているという。

月に2,3回電話で近況を報告してくれているが私ももう年なので飛行機に乗り会いに行く体力は残っていない。次女の恵子は相変わらずの別居婚だがそれもうまく行っているようだった。彼女はもともと私とも密に連絡を取り合って話すというタイプの娘ではなかった上、真理子が既に遠くへ引っ越してしまったため私とも会う機会が殆どない。唯一、クリスマスに私を彼女の家に招待してくれ食事を振る舞ってくれるが、年末年始やお盆などは夫の実家で過ごしている。娘2人とも相手のご家族とは良好な関係を築いているようで私も安心している。そしてその関係を築けていられる理由が「義理家族」だ。彼らは私とは完全に違う。

新しく加わる家族を大切にしてくれる、また新しくはないけれど心を入れ替えて関係を築こうとしている相手を受け入れている。私の息子の嫁は何の落ち度も無かった。娘2人が子育てや仕事を理由に私のお願い事を断る事があっても美奈さんはそうではなかった。具合が悪いと言えば様子を見に来てくれたり、食事を届けてくれたり、ある時は私を救急病院に30分も運転して連れて行ってくれたこともあった。娘以上に私を大事にしてくれていた。しかし私はそれに甘え、そしてなんでも言うことを聞いてくれる出来た嫁の美奈さんに嫉妬していたのだろう。完璧な嫁、夫に愛されている妻という私が1つも得られずにいたタイトルを2つも持っているのだから。そして今頃は優しく子供にも愛されている母親という新しいタイトルが増えていることだろう。私さえ良い人間でいたならば、息子家族は今も近くに住み私に良くしていてくれていただろう。孫の成長も見れて時にはスーパーで孫に飴やチョコレートを買い、お母さんとお父さんには内緒だよ!などと言いながら幸せを噛みしめていたかもしれない。

私はこの7年間毎日、とんでもない事をしてしまった、息子の嫁を傷つけようなどとしたが為に最終的には大事な人全員が私の周りからいなくなってしまったという空虚感に襲われている。


秋の訪れを知らせる空を眺めながら私はこれから先の人生を考えてみた。

が、自分の人生を想像させるだけの材料、つまり登場人物がいない事を改めて知った。

これからの残り少ない人生の全てを息子家族への懺悔、自分のしてしまった事への反省そして後悔とうい念に捧げることで心の鉛が少しは軽くなるのだろうか。いや私の罪は重い大切な子供、そしてその自分の子供の大切な人を傷つけてしまったのだから、この罪、心の鉛を軽くしようと思う事が既に罪なのだ。


私は今年77歳、喜寿を迎える。こんな悲しく空しい喜寿を迎える人間はこの世にどれ程いるだろうか。

そして喜寿を迎える老人に与えられた罪とは一体どんなものなのだろうか。

もしこの世に実際の犯罪ではなく人間への「悪意」だけを取り締まる法律や司法があったならば私は

極刑なのだろう。

きっと私は彼女にとっては「鬼」の様な存在だったに違いない。しかし今もし彼女が私のこの懺悔の気持ちを知ったらどう感じるだろうか。病気にでもなり弱気になったと思われるだろうか。

私はこうやって同じ事を自問自答しながら残りの人生を過ごし、終えていくのだろう。

今はただ、自分の最期、もしくは葬儀に息子家族が来てくれる事を祈る毎日だ…。





                                               終










しっぺ返し、罰が当たる、カルマ、など表現はいろいろとありますが、自分の行いに対して何かしらの不運や不都合が最終的には自分に降りかかる、被害者(?)からしてみたらこれほど嬉しいことはないですね。

この作品の場合は姑の目線から書かせていただきましたが、嫁の目線から書いてみたらまた違った結末になるかも知れません。

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