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#6 休日

 お休みだなあ。

 警察署の半地下の、死体置き場の奥の自室で目を覚まし、レイチェル・テイラーは伸びをした。警察で働くようになって何度めかの休日だ。決まった休みのある生活をしたことがなかったので新鮮に感じる。献体が届けば即、休日返上になるわけだがそれは仕方ない。傀儡は作れば作っただけお金になるし。兄の病院代をギルドに返済している都合上、出来高払いの件数は多い方がありがたい。入院費はこれからも必要だし、研鑽のためには数をこなすよりないし。

 お湯を沸かし、紅茶とパンで簡単な朝食を準備する。本当は珈琲に牛乳を入れたものが飲みたいのだが、近所で珈琲豆を売っているところをまだ見つけられないでいる。もし売っていても、大量焙煎で長期間保存して風味の劣化した豆が多く、過度の期待は禁物だ。レイが珈琲党になったのは8歳から師事した師匠のヴォジニャックの影響なのだがイギリスでは少数派で苦労している。

 湯気の立つカップを口に運び、半地下から明り取りの窓を見上げた。

 地下に、つまり死体置き場に住んでいると知られると皆驚く、というか呆れる。もしくはおそれをなすようだ。皆というのはアンデッドの駆除で顔見知りになった他部署の警官たちや食堂で働くご婦人たちのことである。そして違うところに住む方が良いと必ず言われるが、献体が突然来ることを考えると、ここが一番便利だろうと思っている。簡易なバスルームも寝室も一応あるのだ。

 そういえばジャック・サリヴァンも呆れた顔はしていたが、

「……火事と床下浸水のときはさっさと逃げろよ」

と言っただけだった。一緒に仕事する上での距離の取り方なのだろう。基本的には親切な人だし付き合いやすい。

 でもまあ、不気味がられるにしても、警察のために仕事をしている限りは忌み嫌われるほどでもないようだ。賞金稼ぎで放浪しているより暮らしやすい。死者を扱う仕事だから何でもないときに現れると不吉に思うのだろう、宿を断られたり店を追い出されることもよくあった。一方でアンデッドやヴァンパイアの被害があって、依頼され呼ばれて訪れた先では崇め奉るようにもてなされた。落差に居心地悪くなるレイに、ヴォジニャックはこう言ったのだ。

「生者のことは気にするな」

 アンデッドすなわち狂暴な屍と、亡骸で作った傀儡のことだけで良いと、生きた人間のことは関係ないという生き方だ。なかなかあの境地にはなれないなあと思いながらレイは食器を片付けた。

 それから肌着を手洗いした。このくらいならこの部屋に干しても乾く。シャツ類は後で近所の洗濯屋に出して行こう。

 洗濯を終えて、不定期に送られてくるギルドの会報に目を通す。綴じずに束ねた紙束で、大きさも紙質もタブロイド版の新聞と同じような体裁をしている。

 スイスにある本部で発行されている内容を元に、イギリス支部で英語の訳と地方記事を追加してある。今回一面に掲載されているのは、行政への就業の可能性を探る、という記事だ。アンデッドの増加に対応してハンターを育成しているが、人数が増えれば賞金稼ぎだけで生活をたてられない者も当然出てくる。生活を安定させ地域に貢献するような、鳥獣駆除を生業とすることも視野に入れるべきだ、という論調。テストケースとしてドイツではミュンヘン市役所、イギリスではバーミンガム警察と提携を始めたと書いてある。後者はもちろんレイのことだ。名前は載せないでほしいと言ったので割愛されている。それ以外のページもざっと読み飛ばしていく。中頃にいくつか紹介されている論文はドイツ語で、こちらは抄訳しかないので詳しいことはわからない。まあ読めたからと言って理解できるとは思わないけど。熟練のハンターの腕を初心者に移植すれば技能が継承されると主張している医師がいるらしいが、どうも無理があるし、実現できたからと言って何の意味があるのかわからない。ハンターの人数が増えるわけでもないし。1ひく1足す1は1でしょうよ。レイからすれば広告欄の方が結局面白い。自分はナイフしか使わないが、最近は傀儡に持たせる大型の武器が流行っているな、とかいろいろ読み解ける。


 外に出ると瘴気でくすんだ空と街並みが広がっていた。地域基幹産業の紡績・織物工場から出る瘴気が多いのだろうが、普段の生活にももはや賢者の火は欠かせない。例えば小さな動力として洗濯用機械を回したり、また温度を容易くコントロールする装置として台所にも。高価だが一度使い始めたら手放せない道具として中産階級に広がっているらしい。上流階級の家庭には労働力として召し使いがいるので、そういった機械の導入はむしろ遅く、郊外の屋敷等では瘴気の発生が少ない。アンデッドの発生が圧倒的に都市部に偏っているのはそのせいだろう。

 洗濯屋に寄って、市民病院に着いた。古い建物だ。趣がある、と言うこともできるが陰鬱な石碑のようでもある。レイの兄、オリバーはもうずっと、この病院の三階の一室で眠り続けている。……眠り、と言って良いのだろうか?夢もみない覚めることもないものが眠りかどうかはよくわからないな。お医者さんならたぶん違うと言いそうな気がする。

 病室に入ると機械の音がする。この六人部屋の患者は皆、長いこと意識のないひとばかりだ。聞くもののない雑音に満ちた部屋は、無音に等しくひっそりと感じられた。生命維持の装置から伸びた管が患者それぞれの体につながって、酸素や血液や栄養を流し込み循環させる。機械仕掛けの寝台は空気圧とゼンマイを使った装置で姿勢を変えさせて褥瘡を防ぎ、四肢を動かして硬縮を阻止する。

 レイはタオルを用意して兄の顔を拭いてやり、爪やすりで足の爪を削ってやった。いくら機械で世話されていると言っても体重のかかることのない足の指は巻き爪が進行している。巻いて食い込んだからといっても本人は痛みを感じないのだが。

 以前、欧州各地を転々としていたころは年に数回立ち寄るだけだった。そんな頻度でも、何回も続けて顔を見る見舞い客、というか付き添いの女性がいた。たぶん毎日のようにずっと、何年も付き添っていたのだろう。いつも心を込めて患者の体を拭いてやったり髪をすいてやったりしていたが、ある時見なくなった。あのひとが心穏やかに暮らせているといいなと、病院に来るとふと思い出す。そして病院で清拭してくれているのはわかっているが、会話する代わりに兄の体を拭いてやったりする。

 また次の休みに来られるし今日はそろそろ帰ろうかと思いながら兄の顔を見ていた。病室に人影が入って来た。足音もしないような静かな入室だったが気配で目をあげて、レイは会釈した。知っている顔の看護婦だった。どちらかというと表情に乏しく、挨拶の声も控えめなひとだが清拭などの手順は丁寧だし、レイがもっと小さいときに慰めてくれたこともある。今と同じようにベッドの傍らで兄の顔を見つめていたときだ。レイの背中に手を当てて

「お兄さんの運命は、あなたの運命ではないの。背負いきれないならおろしていいのよ」

と言ってくれたのだ。レイとしては自分で決めて修行をしていて、兄のことを背負っている気負いはあったにせよ下ろす気はなかった。けれど、声をかけてくれたことは嬉しかった。

 当時は世代の違う大人だと思っていたが何年か経って見るとたぶんまだ二十代後半の女性で、若いころに病室で見かけた子どものことをよく気にかけてくれたなと改めて思った。

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