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#2

 錬金術師たちが「賢者の火」を手にいれたのは18世紀。触れても熱くも冷たくもないその火は、不思議なエネルギーを秘めていて、氷で作ったグラスを溶かさず中の水を沸かすことさえ可能にしてみせた。

 当初希少な見世物に過ぎなかった火はやがて人間の生活に入り込み、トマス・ワットが賢者の火を使うことでそれまでの蒸気機関を大幅に改良してから、一気に用途を増やした。どれだけ小さくも大きくもできるその動力は、重病人を呼吸させるための自動ふいごも動かせば、欧州を横断する機関車をも走らせた。だが、聖書に記される聖霊の焔にも例えられた賢者の火は、残念ながら神の祝福ではないことが次第にわかった。賢者の火は使い続ければ微かな瘴気を生み出す。瘴気は溜まり澱み続け、死体にとりつくようになる。死体は動きだし狂暴になり生き物の血を啜る。

 かといってもはや賢者の火を手放すことは難しい。石炭や水力では代替できないほど広まってしまった。そこで19世紀半ばから一気に表舞台へ出てきた職業がアンデッドハンターであった。

 織物工場の街として大きくなったバーミンガムは瘴気の多いところだ。ネズミやカラスなどの死体がアンデッドになる案件が頻発していた。それを退治するのは警察の役目だが、危険が多い厄介な任務だった。そのうえ市民が怪我しようものなら対応が悪いと叩かれる。警察の無策を聞き及んだ市長周辺の誰かお偉いさんが、特化した部署をつくって専門家すなわちアンデッドハンターを常駐させる「名案」を思い付き、警察監督者経由で現場に落っこってきたそのプロジェクトは「焼けたジャガイモ」としてたらい回されたあげく、平巡査からひとつ昇格したばかりのジャック・サリヴァン巡査長に丸投げされた。おかげでひとつの課の長にはなったが階級は変わっていないし部下もつかない。具体的に何をどうするかも不明。ハンター様のお守りをすることだけが決まっている。ジャガイモを地面に叩きつけるか鍋つかみでうまいこと掴むかはまだ決めていない。

 本来アンデッドハンターたちが狙うのは人間のアンデッドで、特に賞金首のヴァンパイアを追っているものだ。基本的に動物などは相手にしない。今回お偉いさんが謎のコネクションでギルドに話を持っていったところ、ある条件付きで特別に派遣されることになった、らしい。向こうで断ってくれたら良かったのに。


 土曜の夜勤、日曜の休みを経て月曜の朝、ジャックは新部署へ出勤した。部署名はアンデッド対策課の仮称を没にして特定害獣対策課となった。それも多分誰かの思い付きなのだろう。

 新しく使える部屋がないので刑事課の横の資料室に机が三台ねじ込まれている。ということはハンターはふたり連れで、地下室の女はやはり助手なのかもしれない。窓を背にした机に書類が置いてあったのでそこに座って読んでみる。ギルドから派遣されるハンターはレイチェル・テイラーであると、一名分だけの名前が記載されていた。

 なるほど。ジャックは自分の目の前に向い合わせで並べてある机を見直した。壁側の席には椅子と袖机があり、資料棚に近い側は机というよりただの台で引き出しも椅子もなかった。資料を探すときいったん置いて中身を確認するための台だろうか。もともとそういうスペースだったところに特定害獣対策課の机を置いたのだろう。

 ともあれこの環境は、なかなか居心地がよさそうだ。ジャックは一人で頷いた。堕落しそうなくらいだ。刑事課につながる扉は開放されているが、間に書類の棚が並んでいるのでこちらの島を直接見ることはできない。人目につかずにサボるには絶好すぎる条件だ。資料室なので禁煙なのは残念だが部屋を出たところの階段を降りてすぐに、制服組の溜まる喫煙所がある。刑事課の部屋にも喫煙スペースはあるようだが、親しい人間もいないのでそちらはたぶん使わない。

「ま、ありか」

 ジャックは誰も見ていないのをいいことに長い脚を机に投げ出してだらけた姿勢で椅子の背にもたれ掛かった。一応肩書きが変わったからなのか、一回り大きい椅子が与えられていた。長身のジャックでも背もたれが低すぎない。先行きのわからない仕事を押し付けられたが、おかげで少なくとも椅子の座り心地は良くなったわけだ。その時ジャックの正面、廊下側のドアが開いてテイラーが登場した。今日も男物の服を着ていた。セーターにズボンに大きめのジャケット、大きな荷物。電信の配達か新聞社の下働きの少年に居そうな格好だ。

「おはようございます……あっ」

「おぃっす……ノックしろよ」

 はしゃいでいるのを見られた気恥ずかしさで無愛想に答え、ジャックは脚を下ろした。

「さしあたって俺らニ名で仕事をすることになってるんでよろしく、テイラーさん」

「こちらこそ、えーっと」

 名前を忘れたのか呼び方に迷ったのかテイラーが口ごもった。

「ジャックでいい」

「あ、はい。じゃあわたしのことはレイと呼んでください」

 笑顔で答えたテイラー改めレイは、椅子がある方の席に回り背負っていた背負っていた荷物を降ろして座った。机に置かれた背嚢はレイの体格からすれば大きかったが、「あれ」が入っているにしては小さかった。

「ジャックさんが担当だとは知りませんでした」

「ああ。……そういやあのときの、なんだ、あれはどうなった?そこに入ってるわけじゃないよなあ」

傀儡(くぐつ)ですね、完成しました。あれはギルドの養成所で使うんです。わたしの腕だと実戦で使うものにはまだ及ばなくて。でもまあ、今はハンター増員中で訓練用も数が要るのでどんどん作らないと。献体があれば、ですけど」

 それがギルドの出した条件だった。バーミンガム市内で亡くなった人間のうち、傀儡になることを故人または遺族が了承した遺体を警察に集め、派遣されたハンターが加工する。その業務に差し支えない範囲で警察の仕事を手伝うと。だからそれなりのベテランが来るのかと思っていたのだが。ジャックは尋ねた。

「何年ぐらいやってんだ、その、仕事」

 レイは一瞬考えて

「修行を始めてからだと足かけ十年ですね、一人でやるようになってからだと一年ちょっとです」

「え、お前今何歳だ」

 流れでハンター様にずいぶんとぞんざいな口のきき方をしてしまったが、言い直すのも何なのでそのままにしておく。年下なのは間違いないし。

「十七です」

「じゅうななぁ?」

 うっかり、水夫時代に培った柄の悪い声が出た。怯むかと思ったがレイは意に介さず質問を返してきた。

「ジャックさんは何歳なんですか」

「二十五」

「若いですね」

 十七歳に比べたら全然だろう。

「随分早いうちから始めるんだな、ハンターの養成ってのは」

「んー、養成所は基本的に小学校卒業してからですね。わたしはたまたま早くに決心したんで、ギルドの紹介で師匠に当たる人のところで修行したんです。傀儡を作る人をクラフターと呼ぶんですけど、最近はハンターとクラフターの分業が進んでて、師匠は昔風の両方やる人なので、いろいろ叩きこまれました」

「へえ。昔風ってなんか、おっかなそうだな」

「厳しいですよ、恐怖の大師匠です」

 レイが笑った。

「弟子をとるつもりはないって最初に言われて、師匠って呼ばせてもらえなかったのでいまだに名前で呼ぶんですけど。ときどき様子を見に来てくれて、自分の作った傀儡見せるときはめっちゃ緊張します」

「ふーん」

 よくわからない世界だがレイはちゃんと修行した職人のようだ。扱っているのが死体だと言うことを除けば、ほほえましい師弟の話だった。とはいえこちらにとって重要なのは、兼任するハンターとしての腕前の方だ。

「えーと……ギルドからはどういう仕事内容だと聞いてる?」

「とくになにも?傀儡作成が優先で、それ以外はそちらに合わせるよう言われてます」

「だよなあ」

 こっちは何にも決まってない、とは言いづらい。

「じゃあまあ、とりあえず警ら(パトロール)に行くか」

 ジャックはレイを連れて外へ出ることにした。

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