3 休息 刈谷かなえ視点 - 4
ほづみは身を起こし、ベッドに腰掛けた。
「いろいろとびっくりすることがあったけれど、かなえちゃんがいてくれるから、立ち直れそうだよ」
「そう。無理はしないで」
嘘だ。普通の人間はそこまで早く立ち直れるものではない。それは、私が何度も経験してきたことだから言えることだ。記憶が薄れても、身体とこころは、あの絶望の感覚をしっかりと覚えているのだから。
ほづみが紅茶に口をつけるのを見て、私もおもむろに紅茶に口をつけた。
「うん、おいしい。フルーツティーかな」
「ええ、ピーチティーよ」
思い出したように、白く新しい食器棚から洋菓子の山を取り出す。クッキーやマカロンなどを適当にバスケットに詰めて、ほづみのもとへ持っていく。
紅茶や菓子は、ほづみのために用意しているだけ。紅茶の注ぎ方もほづみのために覚えたもの。普段は口にしない。口にしたとしても、魔物の鼻や舌は、甘く芳醇な香りなど感じられない。何を食べても、無味乾燥な味しかしないし、感じられない。普段、楽しむとすれば、乾いた喉をうるおすことや、歯ごたえを楽しむこと、そして、ほづみとのお茶会を妄想する程度だろう。
今は、茶菓子の香りや味よりも、ほづみとこうしてお茶会をしていることが、この上なく楽しかった。幸せに浸ってしまっていた。
けれども、ほづみの笑顔の裏側で、両親が殺されたことを思い悩んでいるのだと思うと、罪の意識で胸が重く詰まるようで、素直に喜べない私がいた。
「かなえちゃん、何か悲しそうな顔してる」
「そんなことはないわ。ほづみと一緒で、とっても幸せよ」
「うん。わたしも楽しいよ。でも、かなえちゃん、なんだかとっても苦しそうだから。何か悩んでいることがあるなら、話してほしいな、って」
「平気よ。それよりも、私はほづみのことが心配よ」
「かなえちゃん、わたしが言うのもなんだけど、やっぱり無理してるよ」
「そんなことないから、心配しないで」
私はほづみの頭を軽く撫でた。ほづみは気持ちよさそうに目を閉じる。
こころが軋む音がする。両親を殺されたばかりのほづみに頼ることなんてできない。
できないはずなのだけれど、ほづみに甘えたい気持ちも少しだけある。
悩んでいる間に、風呂が沸いたことを知らせる効果音が鳴った。
私はほづみから逃げるように二人分の洗濯物をかき集め、洗濯カゴに入れて戻ってきた。ほづみはすでに服を脱ぎはじめている。私は慌てて目を逸らした。
ほづみの生白い肌が、まくられた下着が、脳裏に焼きついて離れない。目を閉じて被りを振り、惰性で私も服を脱ぎ捨てた。脱いだ衣類は、すべて洗濯機に、直接放り込んだ。何かを考えるのが、面倒だった。
ほづみが先に風呂場へと入ったことを確認し、バスタオルを取り外す。
恐る恐る風呂場に入ると、一糸纏わぬほづみが、私に抱きついた。
ほづみの柔らかいものが、私の胸に当たる。
ふわりとした感触だった。
気がつくと、私は浴槽につかっていた。一瞬、意識がとんだような気がする。
すごく心地よい夢を見ていた気分だ。
「かなえちゃん、もっとこっちにおいでよ」
夢じゃない。ほづみが浴槽の中でも抱きついてきた。
ほづみの柔らかい感触が、また、私の胸の間隙を縫うように挟まってくる。細い腹部から下半身にかけての、なまめかしい姿が、透明な湯船の奥で白く輝いている。
「えへへ、かなえちゃんとお風呂、嬉しいな」
しおらしいほづみの長髪をすくってみる。ほづみは気持ちよさそうにしている。
ほづみの頭を撫でる。ほづみの身体がふにゃふにゃになる。
ほづみのわき腹をくすぐる。ほづみの身体がぴくりとはねた。
「わっ、くすぐったいよ、この!」
ほづみの右手が私のわき腹をくすぐり返してきた。
私の身体もほづみのように小さくはねた。
「ちょ、ほづみ、やめ、やめて。ごめん、もうしないから!」
私の身体をほづみに見られている。恥ずかしい。
手で隠そうとするけれど、ほづみが抱きついてくるので、それもできない。
仕方ない。ほづみを強く抱きしめ、のぼせそうな頭をほづみの肩に乗せた。
ほづみの髪の毛から水滴が滴っている。ほづみのふわふわした身体からは、ピーチティーよりも甘い、不思議な香りがする。魔物は匂いを楽しめないはずなのに、ほづみの香りは何故か楽しむことができた。
おかしい。嗅覚が戻ってきている。
ほづみの耳たぶを舐めてみる。
「わあっ! くすぐったい」
少しだけ、しょっぱかった。味覚もはっきりしている。私にかけられた忌々しい呪いが弱まっているようだ。私の魂もそろそろ限界ということだろうか。
「ちょっと、ほづみ!」
「えへへ、かなえちゃんにも、お返ししないとね」
ほづみも負けないといわんばかりに私の耳たぶを口にしてくる。耳たぶを咥えられる感触は、耳の奥にまでほづみの舌なめずりと吐息が入ってくる、背徳的なものだ。
そういえば、この家には大きな浴槽もあるのに、どうして、私とほづみは一人用の小さな浴槽にひたっているのだろう。
理由は自分がいちばんよく知っている。こうしてほづみと間近で、くっついていられるからだ。私は、自分のほづみへの執着心を客観的に思い浮かべてみた。
私は常にほづみのことを考えている。ほづみの行動を毎日チェックし、ほづみの周囲に怪しい動きがないか警備している。ほづみが怪我をしたら、適切な処置を施してから、すぐに保健室まで運ぶ。ほづみをいじめていた女子グループを軽く叩きのめしたこともある。そして、あわよくば、ほづみの家に泊まろうとする。ほづみの手を握り、ほづみの匂いを嗅いで、ほづみと一緒にお風呂に入り、ほづみと一緒に寝る。ほづみを魔物から守りながら、ほづみを独占し、ほづみと一緒に暮らそうとしている。
私は、あまりの妄執的な変態ぶりに、頭を痛めた。
自制心のかけらもない。これでは本当にただの魔物になってしまう。
大いに反省しなければ。