3 休息 刈谷かなえ視点 - 3
「ちょ」
私は頭の中がほづみの言葉で一杯になってしまった。
こんなことではだめ。しっかりしなければ。
いつも通り、冷静さを欠いてはいけない。小さく深呼吸する。
「何を言っているの。ほづみはもう子どもじゃないのよ」
ほづみに裸を見られるのは恥ずかしい。それに、私がほづみの裸なんか見たら、幸せすぎて昇天してしまうかもしれない。魔物だから、浄化されると言うべきか。
しかし、ほづみは、いやいやと首を横に振るのだった。
「かなえちゃんは、いつも私の傍にいてくれるんだよね」
「確かに、そうは言ったけれど、でも、お風呂までとは言ってないわ」
「まあまあ、細かいことは言わずに、一緒に入ろうよ、かなえちゃん」
ほづみがにっこりと笑いかけてくる。私は目を泳がせた。
「ええ。そうね、わかったわ。わかってるんだけど」
髪の毛を弄り、こころを落ち着かせる。ほづみの誘いに乗ってしまいたい私がいる。自分の幸せを望まない魔物なんて、いままでに前例があっただろうか。ある文献によれば、「魔物は私利私欲のため行動するものである。また、魔法を用いて人間の願いを叶え、代償として人間の魂を奪うもの」と書かれていた。私は、もう人間ではないけれど、魔物でもないのかもしれない。私は、なんなのだろう。
「着替えなら大丈夫、かなえちゃんの家のお洋服を借りるから」
「それは構わないけれど、その、恥ずかしいというか……」
「そ、そっか。そんなこと言われると、わたしも、ちょっぴり恥ずかしいかな。でも、平気だよ。私、あんまりかなえちゃんの身体、見ないようにするから」
ほづみは何故か自信満々だった。
ああ、もうだめ。顔が火照ってきた。こころを抑えきれない。いままで幾多の絶望を繰り返しても、ほづみへの欲望はこころの内に秘めてきた。それなのに、こんな小さな誘惑に、ほづみの目の前で負けるなんて、そんなこと、私のプライドが許さない。
お願い、ほづみ。これ以上、私を幸せな気持ちにしないで。
私のこころが弾けそうになったとき、紅茶ができあがる時間になる。話を逸らすため、急いで紅茶をカップに注ぎ込む。慌てて淹れたせいで、ティストレーターという紅茶用の茶漉しを使うのを忘れてしまった。
茶葉が紛れた紅茶入りのカップから、空のカップへと、ティストレーターを使って、冷めないようにそっと移す。次のカップにも紅茶を注ごうとするが、心臓の音がうるさいくらい響くせいで、私の手が震える。飛び散った熱湯が私の手を刺激する。
「わっ、大丈夫? かなえちゃん。すぐに冷やさないと」
「心配してくれるのはありがたいけれど、この程度なら、何も問題ないわ」
治癒速度が早い魔物の私なら、火傷のあとは残らない。
でも、熱いものは熱い。けれど、ほづみの前で情けない姿は見せられなかった。
涙をこらえながら、二人分の紅茶を、なんとか注ぎ切る。
私は魔物だ。人々を殺し、魂を集めることで生き永らえる。でも、私はほづみの悲しむ顔を見たくない。こうして、私が死ぬまでほづみの傍にいられれば、何もいらない。記憶の上では、ほづみと出合ってから、長い間、魂を集めずに暮らしてきた。魔物を殺してもわずかに生命力を吸収できる。けれど、私の場合、人間が相手でなければ、魂の対価が少なすぎるため、浪費する魔力量のほうが多い。私の魂に注がれた魔力も、もうすぐ底をつくだろう。悪魔にとって、魔力が底をつくということは、生命力が底をつくということ。魂が魂として形を成していられなくなり、私はこころの底で魂を渇望しながら、ひっそりと朽ちていくのだろう。
もし、私が少しでも幸せになっていいというのなら、ほづみを少しだけ独り占めしてもいいというのなら。
いえ、そんなことではだめよ。ほづみのこころはどうするの。自分勝手な魔物の私に、幸せになっていい資格なんてあるわけがない。
もやもやとした気持ちを抱えながら、ほづみのもとに紅茶を運ぶ。
~舞台裏~
賀茂川家鴨「……不自然だと思いませんか」
刈谷かなえ「そうかしら。どこも不自然には感じないけれど」
賀茂川家鴨「普通、あまり面識のない相手に『風呂に入ろう』と言い出しますか」
刈谷かなえ「それは……そうかもしれないけれど」
賀茂川家鴨「ちなみに、美月は別です。平気で初対面の相手と風呂に入ろうとします。美月はフランクな性格だからです。ただし、ふざけているときと、気をつかっているときがあります」
刈谷かなえ「そう。将来、美月は私の邪魔になりそうな気がするわ」
賀茂川家鴨「さあ、どうでしょう」