29 第二部 エピローグ 本当の家族 刈谷かなえ視点 - 4
「かなえちゃん、危ない!」
私はほづみの身体に腕を回し、瞬時に周囲を警戒した。
美月は全身で切り払い、光の刃を飛ばしてくる。
「ほづみ、私につかまって」
「ふええっ?」
私は目を深紅に輝かせ、ほづみを優しく抱えて二メートルほど跳躍する。
光の刃は地面に接すると大爆発を起こし、私とほづみを吹き飛ばした。
「ほづみ!」
私の手を離れたほづみが地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。
「くっ……よくも、ほづみを」
美月だからといって、許すわけにはいかない。
私は髪を振り乱しながら振り返り、美月に向けて煙手榴弾を投じる。
私はその隙に距離をとろうとするが、美月の斬撃は私の右脚を捉えた。
「がはっ」
右脚が寸断され、その場に倒れる。
痛みが遮断されているとはいえ、喪失感がこころを襲った。
美月は、強い。
このままでは、どうやっても勝ち目はない。
でも、ほづみを助けるためには、美月と朱莉を倒すしか方法が思いつかない!
「ほづみ……私から、離れていなさい」
私は身体を引きずり、右脚を拾い上げた。
魔力を惜しまず注入し、脚をもとどおりに接合する。
鉄くずの朱莉は再び美月の斬撃に遭い、戦意を喪失していた。
「かなえちゃん……ごめんね!」
私のこころの中で、何かが割れる感触がした、
一瞬、何のことかわからなかった。
身体の中に禍々しい生命力と魔力が湧き上がる。
私がほづみの姿を捉えると、ほづみは苦しそうにうめいていた。
「ほづみ、何を……?」
何が起きたのかはわかっている。
でも、質問せずにはいられない。
ほづみは自分の意志で、私の身体の中にあるペンダントを割った。
それが意味するのは、私にとって、とても残酷なことである。
「わたしの命、かなえちゃんが使って」
「だめよ、そんなことをしたら、ほづみが!」
ほづみの生命力の源であるペンダントを失ってしまえば、ほづみは肉体に残った生命力をすぐに使い果たして、そして……いいえ、させない。
私はほづみを小さな結界に閉じ込め、死ぬ間際に固定した。
ほづみの苦痛に歪んだ表情は、笑顔のまま固まっている。
まるで、棺に入れられたときのように。
私は目の色を紅く染め、気合を入れる。
異空間ポケットに溜め込んでいたミサイルを私の後方に配備する。
「私の希望を奪わないで」
私は指輪をした手を高く掲げ、魔力の込めたミサイルを美月に向けて斉射する。
使い魔を迫撃砲で迎え撃ち、悪魔の瞳が美月を睨む。
突き出された剣を右に跳んでかわし、ミサイルの着弾を確認する。
爆風から姿を現した美月は、一向に弱る気配を見せていない。
私は下唇をきゅっと噛んだ。
「……仕方ないわね」
あなたも、ほづみも、朱莉も、もう、みんな私の家族よ。
もとの家族も大切だけど、私はいまの家族を大切にしたい。
私はもう一人の私から力を借りて、風の刃で美月と朱莉を切り刻む。
リミッターを外し、力任せに叩き付けた風の刃は、美月の身体を二分した。
美月と朱莉の五メートルほどある上半身が地面に崩れ落ちる。
二人の結界がゆっくりと消えていく。
けれど、私は新たに結界を張った。
やがて、靄の中から体長十メートルほどの牛型の魔物が現われた。
「ルナーク、ここで私と一緒に朽ち果てなさい」
私はありったけの魔力で、ルナークを結界に取り込み、闇に閉じ込めた。
「あなたの力は、私がいただくわ」
私はルナークを殺し、力の一部を奪い去った。あらぬところから蘇るルナークを風の刃で分断する。再生するルナークを迫撃砲で撃ち殺す。数百もの赤目玉の魔物をルナークに突撃させ、ルナークの身体を突き破る。
「お前が、余計なことを吹き込まなければ!」
私は、憎悪に満ちた闇色の瞳をルナークの心臓に刺した。気の済むまでルナークを殺し続けた。力を奪われたルナークは、ただの的、腕をもいだり、頭を外したりして遊べるおもちゃでしかない。抵抗する隙を与えず、徹底的に殺し尽くす。
けれど、ルナークは何度殺しても蘇る。
私は、空になった迫撃砲を放り捨てた。
兵器の重々しい悲鳴が結界に溶けていく。もう、飽きたわ。
ルナークを何度殺したところで、誰も報われないもの。
「これで、終わりよ。何もかも、終わり。もう、誰も苦しむ必要なんてないわ」
両手を胸の前で組み、微かな希望を信じて、指輪に願いを込める。
「私を支えてくれた、ほづみと、美月、朱莉に、平穏な世界で生き続けて欲しい」
私が奪ったルナークの強大な力は、世界の条理を覆し、私の願いを叶えた。
けれど、私の指輪は許容量を越え、漆黒に染められる。
代償に耐え切れず、指輪から溢れた穢れは、世界に呪いを振り撒いた。
私の祈りは、家族には生命を、邪悪には死を与える。ほづみとルナークは姿を消し、私と結界だけが残った。
私が、何かにすがるように、ふと見上げると、蒼い蝶がひらひらと闇の中を漂っていた。もうめったに姿を見ないルリイロタテハに似ている。私のいま住んでいる家には、十頭ほどのルリイロタテハをピン刺しして作った絵画が飾られている。現在では、ルリイロタテハは保護されているから、こんな絵画は作れない。
その昔、コバルトが発見される前の時代、ルリイロタテハを青色の絵の具にするために、磨り潰そうとしたという。けれど、ルリイロタテハは光の反射で蒼く輝いているに過ぎない。潰しても、茶色の粉末ができるだけ。見た目はどんなに綺麗でも、本質はただの醜い有機物でしかない。私はルリイロタテハのように綺麗な見た目ではないけれど、本質は外見のみで語れないように、私のこころは病んでいる。ほづみを殺して愉悦に浸る、どうしようもなく醜い有機物の塊よ。
「……ほづみ」
私は、うわごとのように、ほづみの名前を口にした。
眼球の隅から、熱いものが止め処なく溢れ、頬を、胸元を、袖を、濡らした。
犠牲になるのは、醜い私ひとりで十分よ。
私は震える手で、拳銃を握り、自分の指輪を撃とうとした。
……指先に力が入らない。
何を迷っているの。これで何もかも終わりよ。
指輪を割り、私がルナークの力とともに地獄に落ちれば、私が振り撒いた呪い以上の被害が拡大することはないはず。それに、このまま私が暴れ出したら、一体、誰が私を止めるというの。
人間でも、魔物でも、誰かを恨む気持ちに満ちていれば、より凶悪な呪いを生む。でも、いまの私なら、まだ平気なはずよ。確証はないけれど、理性を保っているいまなら、優しい思いを抱きながら、この世界に悔いなく別れられるはず。
はずなのよ……。
「……ほづみ」
いいえ、私は自分に嘘を吐いている。
私は……死ぬのが怖い。
いくら身体が傷だらけになっても構わない。けれど、この世界から消えてしまうのが怖い。それに、まだ、私の願いは叶っていない。
もし、私がまだ生きていることを許してくれるなら……、私は、ほづみを、みんなを守りたい。私がいなくなってしまったら、私は罪を償えなくなる。私が死ぬだけで、すべての罪を償えるとは到底思えない。世界が私の死を望むなら、私は一向に構わない。けれど、私が振り撒いた罪や呪いは、私の手で償うべきことよ。そのためなら、私は何を捧げても構わない。死より辛い経験でも、何でもいい。私は、甘いこころを捨てて、すべてを受け容れる。私は私を永遠に許さない。
私には、やり残したことがたくさんある。
ごめんなさい。このまま、未練を抱いて死ぬわけには、いかないのよ……。
でも、このままでは、凶悪な魔物と化した私は、さらに罪を重ねてしまうだろう。
私は指輪をした左手を軽く握り、胸にあてがう。
せめて、これ以上こころが濁らないように、最期の希望にかけて。
私は拳銃の口をこめかみにぴたりと当て、引き金を絞った。