29 第二部 エピローグ 本当の家族 刈谷かなえ視点 - 3
美月は私に背を向けたまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「かなえちゃんがいう『あいつのせい』って、もしかして、かなえちゃんのことじゃないのかな。でも、おかしいよね。ルナークと契約する前から、かなえちゃんは気が狂っていたのかな。かなえちゃんはずっと自分の意志で行動してきたんじゃないのかな。でも、変なんだよ。私の知っている、いまのかなえちゃんは、とっても優しいかなえちゃんなんだから。でも、もし、ルナークの言っていたことが本当なら、かなえちゃんは……嫌だ、こんなこと言いたくない。いまのかなえちゃんを傷つけたって、何の解決にもならないのに。でも、あたしが言わなくちゃいけないんだろうな……うあっ」
「美月ちゃん!」
美月は身体を痙攣させた。両腕で腹をおさえて、苦しみ悶える。中腰になった美月は、駆けつけようとするほづみから逃げるように後ずさり、洋灯に背をもたれかけた。
私は膝を着いて、呆然と美月を見上げていた。
ほづみが美月に触れようとすると、美月は剣の峰でほづみを突き飛ばした。
「きゃあ!」
私は、飛んできたほづみを支えきれずに巻き込まれ、頭を軽く地面に打つ。
頭部から滴る血を無視して、私は、地面の一点を見据えていた。
「はあ……はあ……あはは、だめだな、あたし。こころの痛みまで遮断する勇気が出ないや。最期に言っておくよ。かなえちゃんは、二重人格なんだよ。それとも、かつては二重人格だったと言えばいいのかな。もう、気が済んだかな。そうであってほしいけれど。後、ひとつ、お願いを言うなら、あたしの介錯はかなえちゃんにお願いしたいかな……もう、何もかも手遅れだから……魔力を使いすぎたらこうなることは……前からわかっていたのに……どうやっても……助からない……救われない……救えない……さようなら、かなえちゃん」
美月の指輪が弾けとび、強大な結界に引きずり込まれる。
暗く深い海の底に沈められた空間を月光が照らし出す。
海は物体としてではなく、重々しい圧力となり、私の肺を押しつぶそうとする。
天に広がる水面は、切なさを漂わせながら浪打ち、光を乱反射させていた。
美月の魔力を放つそれは、長大な剣の形をしている。
「かなえちゃん、しっかりして!」
ほづみの叫びが、私の意識を引き戻す。
私は即座に周囲を警戒し、宙を舞う大剣に銃を放つ。
大剣は銃弾を弾き飛ばし、回転しながら、ゆっくりと朱莉のほうへ近づいていく。
「……来い。アタシが相手になってやるよ」
朱莉は銀の二丁拳銃を大剣に向けて構えた。
「どうして? 銃弾は効かないのに……」
「友人が困ってるんだ、アタシが助けてやらねえとな」
「だからって、そんな無謀なことをして、何の意味があるのよ」
「アタシは最初からアンタらと一蓮托生するつもりさ。美月だけ仲間はずれなんて、アタシは嫌だ。それが無意味だっていうなら、アタシには人のこころなんか一生わからないんだろうな。なあ、教えてくれよ。アタシはどうすればよかったんだ? 坂場の身体をもらい受けたときもそうだった。何でアタシの手の届かないところで、仲間が死んでいくところを黙って見ていなけりゃならないんだ? アタシには、どうすればいいのかわからないんだ……」
朱莉は、私のほうに首を傾けて、力のない微笑を浮かべた。
紅いリボンでまとめられた金色の長髪が、ふわりと朱莉の頬を撫でる。
「もう、どうでもよくなっちまったなあ……」
無造作に放たれた朱莉の銃弾は、兆弾し、水面に溶けていった。
大剣は朱莉に切っ先を向け、突進する。
私は、はっとして、力の限り叫んだ。
「逃げて、早く!」
鋭利な一突きは、無言で立ち尽くす朱莉の身体と小銃を破砕した。
魔物と化した朱莉が、さらに結界を生み出す。
「朱莉ちゃんまで……何で、どうして?」
ほづみは、魔物と化した朱莉を見上げて、うわごとのようにつぶやく。
結界内は、直径十五メートルほどある歯車があちこちで左右に回転している。ハリボテの剣や銃が襲い掛かってきたり、星やハートの吊り飾りが頭から降ってきたりした。二人の使い魔だろう。
私はよろめきながら使い魔の突進と銃撃を避けた。
ほづみは、転んだ私の手を引き、立ち上がらせてくれる。
「ありがとう。ほづみ、逃げるわよ」
「そんな! 美月ちゃんと朱莉ちゃんはどうするの!」
ほづみは、髪を振り回す勢いで、首を横に振る。
私は、ほづみの涙を、右手の人差し指で丁寧に拭き取った。
「しっかりして、ほづみ! 無闇に突っ込んでも犬死にするだけよ!」
私がぴしゃりと言い放つと、ほづみは、ぴくりと身を跳ねさせた。
二人で、息を飲み込み、呼吸をする。
「……ぐっ」
「かなえちゃん!」
「平気よ」
背中に鋭い痛みが走った。
痛覚を遮断し、やりすごす。
「落ち着いた?」
「うん……。でも、どうやって逃げるの?」
「それは……え? 嘘……」
私は中空に手をかざし、異空間の扉を開こうとする。
けれど、何も起きない。
「まさか、そんなはずは……」
すべてを捨てた私の魔力でさえ、この結界を突破できないというの?
迂闊だった。美月一人の結界なら、少し時間をかければ突破できるかと思っていたけれど、美月と朱莉二人ぶんの結界を破るのは無理に等しい。
私は魔物と化した美月と朱莉を見渡した。美月だったものは全長二十メートルほど、刃の幅は五メートルほどの、巨大な剣の形をしている。ゆっくりと回転しながら、私のほうに迫ってくる。
朱莉のほうは、ありとあらゆる鉄くずをより合わせたものが人の形を成した魔物の姿になっていた。体長は十メートルほどあり、地響きを鳴らしながらあちこちをさまよっている。
私は迫撃砲を召喚し、美月へ向けて一発発射した。
けれど、剣の形をした美月は無傷だった。
この調子だと、私がすべての魔力を使い果たして結界の外に出ようとしたとしても、その間に魔物になった美月と朱莉の手で私達は殺されてしまうだろう。
私は背中に刺さった平板な剣を後ろ手で抜き取った。
ほづみの背後に浮かぶ銃へと投げつけ、切断する。
使い魔の断末魔が私とほづみの不安を煽る。
「だめ……だめよ……。ここで終わるわけにはいかない……」
何度、異空間への扉を生成しようと試してみても、結果は変わらなかった。
「そんな、どうすれば……嫌……」
ほづみは、私が立つ気力を失い、倒れそうになるのを支えてくれる。絶望に直面して迷子になった私を、何も言わずに慰めてくれる。
ほづみの掌が、私の髪をすいた。
「よしよし。かなえちゃんはいい子だよ。よく頑張った」
ほづみが見せる明るい笑顔と声音は、とても痛々しくて、私のこころを強く握り締めてくる。
ほづみが諦めかけている。
私が泣いている場合ではない。
弱気を表に出してはいけない。
ほづみを心配させるわけにはいかない。
私は、恐怖心を、皮相的な冷静さで塗りつぶした。
涙の堰を止め、口を引き締め、目を鷹のように鋭く光らせる。
「かなえちゃん?」
「……私が一人で何とかする。私の力で、私の呪いに終止符をつける」
私は、足の震えを、より強固な痛覚遮断で抑え込む。
でも、こころの機微までは抑制できなかった。
愚かな人形と化した私の姿を、ほづみの前で晒すわけにはいかない。