29 第二部 エピローグ 本当の家族 刈谷かなえ視点 - 1
29 第二部 エピローグ 本当の家族 刈谷かなえ視点
「ふざけるなあああああっ!」
私とほづみは同時に身体ごと振り返った。美月の怒鳴り声がした。
広場のほうから肉の潰れるような鈍い音が、ぐしゃり、ぐしゃり、と、断続的に響いてくる。ほづみは瞼を微かに振るわせて、肺から声を絞り出す。
「美月ちゃん?」
反射的に戻ろうと前のめりになるほづみの胴を、腕で止める。
「待ちなさい。いま戻ったら危険よ」
「でもっ、美月ちゃんが……」
「その美月が危険なのよ。いまの美月は、きっと、まともな精神状態じゃないわ」
「えっ! なら、急いで美月ちゃんを助けないと」
ほづみは私の腕を振り払って、元来た道を走り出してしまう。
「待ちなさい!」
考えている暇なんてない。
私は仕方なしに、ほづみの後を追った。
「ほづみ!」
路地裏を抜けたほづみは、足がすくんで動けなくなっている。
私はほづみをかばうようにして、前に立つ。
「……え?」
あまりに悲惨な光景を目前に、足の力が抜けそうになった。
坂場朱莉は、右腕に深い傷を負い、赤煉瓦にもたれて、辛うじて立っている。
「おい、アンタ、どうしちまったんだ?」
朱莉は美月に呼びかけるが、反応がない。
「何よ、これ……」
「アタシが聴きたいくらいだよ」
小さな肉片は、誰のものだろうか。誰かのものだった血潮は、赤煉瓦をさらに赤く染め、無機質な道路を黒く染めている。惨劇の中心地、洋灯の真下には、身体のいたるところに血痕を付けた栗原美月が、肉の塊を剣で力なく叩いていた。
「こんなんじゃだめだよ、あたし。何の解決にもならないっていうのに……」
「美月?」
私が背中に問いかけると、美月は首を後ろにもたげた。ふらふらとよろめいて、遅れて身体が着いてくる。
「ああ、かなえちゃん?」
妙に明るい声と、能面のような薄笑いが、私を不安にさせた。美月の腹部には爪で裂かれたような痕があり、本来見えてはいけないものが見えてしまっている。頬には、一筋の光が流れ落ちていた。痛々しい美月の姿は、目を覆いたい気持ちよりも、美月を心配する気持ちのほうが大きくさせられる。
ほづみは呼吸することを思い出して、ようやく吐息を漏らした。
「美月ちゃん、お腹……すぐに救急車呼ぶから!」
美月は重たい頭をふらつかせながら、一歩、一歩と、こちらに寄ってくる。
「ああ、平気だよ。あたしの身体なんて、安いものだから。でも、とっても、胸のあたりが苦しくて、息苦しいっていうのかな。とっても……辛い」
美月の言葉で、記憶のわずかな隙間が埋まっていく。
私はかつて、ほづみを襲ったとき、美月にも酷い仕打ちをした。
紅い花畑で、ほづみを助けようと必死になった美月と殺しあった。美月は魔力が尽き、四肢を切断されたまま動けなくなった。私は浄化され、ほづみが美月を庇いながら、私を拒否する姿を見下ろしていた。ほづみを救えなかった私は、美月の頼みに応じて脚をくっつけた。私は美月に少しの魔力を注いで、この凄惨な光景に精神を狂わせないよう、美月の記憶を一時的に封じた。あの場に美月もいたはずなのに、どうして、いままで忘れていたのか。私は確かに自分の記憶を封じたけれど、美月があの場にいた記憶だけ欠けてしまうような、曖昧な思い出し方をするのは、単なる偶然にしてはおかしい。それとも、私にはまだ、何か思い出したくない記憶があるのだろうか。
「かなえちゃん、いままで隠してたけど、こんなになっちゃった」
美月は剣を収め、右手の甲を差し出してみせた。
美月の指輪に嵌められた宝玉は黒く澱み、表面に小さな亀裂が入っていた。
「美月……どうして教えてくれなかったの?」
私は美月の血に塗れた掌を、両手で挟み込む。
美月は私の手を振り払い、濁った瞳で見下してきた。
「離れてよ。……いや、ごめん。危ないから離れて。いろいろ試したけれど、だめだったんだ。だから、秘密にしておこうと思って……」
私は口を閉ざしたまま、美月の指輪に魔力を送った。
けれど、指輪は、美月のこころは、黒く澱んだままである。
「もういいよ。あんたなんかに助けてもらおうなんて思ってない。そうやって偽善者ぶるのは、あたし一人で十分だから」
美月は、やり場のない憎しみの感情を押し殺した声で、私に背を向けた。
「あたし、もう、誰のことも信用できない。誰の言っていることが正しいのか、わからなくなっちゃった。ルナークは絶対に嘘を吐かないって言うけれど、それ自体が嘘かもしれない。でも、もしルナークの言っていることが本当だったら? いままでルナークはひとつも嘘を言わなかった。だけど、あたしはルナークなんかより、みんなのことを信じたい。ねえ、教えてよ。あたしはどうすればいいの? あはは、わかるわけ、ないよね。だって、これは、あたしのことだもん」
美月は胸に右手をあてがう。
「ねえ、かなえちゃん。かなえちゃんはほづみにいじめられていて、ほづみの家を燃やしたの? ほづみ、急に性格、丸くなったよね? 犯人はほづみのお父さんじゃなくて、かなえちゃんだったの? あたし覚えてるよ、ジョギングしているときに、燃えているほづみの家の前に、かなえちゃん、立ってたよね。あのときはほづみがあたしの家にいたからよかったけれど、もしほづみが燃えていたらどうしようかと思ったよ。かなえちゃんが救急車と消防車を呼ぶように言うから、慌てて呼んだけれど、なんか引っかかるんだよね。それから、学校でほづみが殺された事件、あれも、本当にほづみのお父さんが犯人なのかな。あたしは現場を見たけれど、あのときもかなえちゃん、目撃者に紛れてたよね。あ、そうそう、かなえちゃん、葬式のときに話しかけてきたよね。あたしがほづみの親友だってことを言ったら、かなえちゃん、突然、変なことを言い出したよね。なんだったかな。ああ、そうだ……」