26 かなえのこころ 刈谷かなえ視点 - 2
それから、どれほど永い時を過ごしたのだろうか。
呪いが薄まり、理性を取り戻した私は、ほづみを殺めようとしていた手を止めた。そして、いま私達は早朝の花畑にいることを認識する。そのときのほづみは、私に殺されることを望んでいるかのように見えた。
ほづみは花畑の上に仰向けになって倒れている。身体中は掠り傷だらけで、呼吸は荒く、ほづみが目に見えて疲弊しているのがわかった。
「葉山さん」
私は、できる限り優しい口調で、ほづみに語りかける。
私はほづみの額に手を触れた。ほづみは恐怖で強く目を閉じ、身を竦ませている。けれど、どこか満足そうだった。私に殺され続けることに満足してしまうほどに、ほづみは壊れていた。お願い、ほづみ。目を覚まして。
私は、何度ほづみに呼びかけても返事がないので、こころの限り叫んだ。
「目を開けて、ほづみ!」
こころのない私がこころから叫ぶなんて、おかしな話だと思った。
思えば、このころから、ほづみのことを「ほづみ」と呼ぶようになった。
「……え?」
ほづみはきょとんとして、私の目を見つめた。
どうせ、ほづみはもう私に見向きもしないだろうと思っていたけれど、ほづみは私の声に気づいてくれた。
人のこころを失ってしまった私だけれど、こころを持っていたときの私を想像することはできると考えて、私は昔の自分を思い出した。すると、不思議なことに、目に熱いものが溢れて、ぽろぽろと零れ落ち、眼下の花びらを塗らしていった。おかしい。私のこころはなくなったのではなかったのだろうか。その時は疑問だった。呪いが解けたのだから、こころを取り戻してもおかしくはない。
戸惑うほづみを見続けているのが辛くてたまらなかった。それでも、まず、自分がしなければならないことがある。
私は頭を下げた。
「ごめんなさい」
一陣の風が、花の茎を揺らした。
仄かな花の香りは、私には理解できなかった。
花の名前は、何だったろうか。ほづみは、こうしたものに趣があり、とても詳しいのだけれど。
ほづみは、小さく首を傾ける。
「こちらこそ、ごめんなさい」
「ほづみが謝ることなんて……」
「かなえさんにやつあたりして、ごめんなさい」
このときから、ほづみは始めて私のことを名前で呼ぶようになった。
本当の記念日は、私とほづみが仲直りした日だった。
「それは、そうだけど……」
「ねえ、かなえさん。ちょっと引っ張って」
ほづみは辛そうに身を起こそうとするので、腕を引く。
ほづみは、ほづみがしていた紫色のリボンを解き、私の頭に結いつけた。
綺麗な蝶結びができあがる。
「はい、できたよ」
「えっと……、ありがとう」
私は、ほづみが微笑んでいるのを見て、胸が苦しくなった。なんだか締め付けられるような、不思議な感覚だった。
恥ずかしさを紛らわすために髪を弄っていると、ほづみは私の頭を撫でた。
「これは、お守り。もし、かなえさんがこころを壊してしまったら、このリボンでわたしのことを思い出して。それでもだめなら、かなえさんは、わたしの命だけを狙ってくれればいいんだよ。わたしが全部受け止めるから」
「そんなこと、絶対にしない!」
私は強く被りを振った。でも、私のこころは、またいつか闇に染まってしまうかもしれない。たまらなく不安で、自分が憎かった。今すぐ命を絶とうかとも思ったけれど、ほづみの目の前で死ぬわけにはいかない。それ以上に、ほづみと仲直りできたことが嬉しくて、それだけで胸が一杯になった。
私は、ほづみの疲れた微笑みを、儚い命を、精一杯、守りたい。そう思った。
でも、事はそう上手くは運ばなかった。